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D-3(仮)

第1回      
 


1

 十五歳で彼は母を失った。工科大学へ入学が決まった春先のことであった。
告別式には真新しい制服姿の彼と母方の親族が出席した。入棺のときも彼の父は現れなかった。
  引き取ろうという親戚の勧めを断って、彼は母の居ない家に一人で暮らし始めた。
母の遺産と親戚の援助で生活費は充分以上にあったが、彼は学業の合間にアルバイトをして
金を貯めるようになった。
数年が過ぎたころ、彼は自分で稼いだ金と母の遺産とをはたいて子守用ロボットを買い、
それから中古のタイムマシンを買った。
  彼の父は、彼の母でない女性と暮らしていた。籍もその女性と入れていた。
彼は自分の父には数えるほどしか会ったことが無いが、その女性については
母から聞いてよく知っていた。母は床に臥せっていても、
うわ言のようにその女性への恨み言を呟いていた。
彼が法に触れてまで実行に移そうとしていることは、彼一人しか知らない母の遺言であった。
「母さんと、父さんの未来を変えてくれ」
  そう言って、彼は子守用ロボットを過去へ送り出した。

 少年が机の引き出しの異常に気付いたのは、何をするでもなく永らく居座っていた幼なじみが
「七詩のくせに生意気よ」と喚くのをどうにかこうにか宥めすかして家に帰し、
ようやっと溜まっている宿題が出来るとため息を付いて机に向かったときである。
引き出しに手を入れると、ぽかんと孔があるように何の感触もない。
あれと違和感を覚えたのもつかの間で、見れば引き出しの中は真っ暗闇で何にもなく、
ぞっとした七詩はひゃあと間抜けな声を上げながら椅子ごと後ろに倒れ掛かった。
そうして、見てくれは何ともない机がひとりでにがたがたと動き出し、
引き出しからぬっと青い髪の頭が出てくる。
七詩は先日幼なじみと観たホラー映画を思い出して、
「なんまいだぶなんまいだぶ!」と涙声で唱えつつぎゅっと目を瞑った。
  机の音が止んだ。部屋はしんとして、耳が痛くなるほどの静寂である。
七詩はちらと薄目を開けてみた。青いものが目に入った。
恐々として目を開いて行くと、ぴったりとした青いタイツに身を包んだ少女が、
両手の平を前に組んで立っている。
少女は七詩と目が合うと、青い髪を揺らしてぺこりとお辞儀をした。七詩はひぃと声を上げた。

「わたくしは汎用人型子守ドロイド、D−3でございます。あなた様は、
  品木七詩様であらせられますね?」
「そ、そうですけど、何か」
「了解致しました、マスター。これより貴方様のお世話をさせて頂きますので、御了承下さい」
「は?」
  D−3と名乗る少女はもう一度ぺこりとお辞儀すると、部屋を見渡し始めた。
先ほど自分が出てきた机の引き出しが目に付くと、彼女は灰色の目から、きゅいい、
という機械のような音を出しながらこう言った。
「宿題が残っていらっしゃいますね? 僭越ながらお手伝いさせて頂こうと存じますが、
  よろしいですか?」
「は、はい」
  七詩は思わずそう答えた。
「イエス、マスター」
  少女は再びお辞儀をするとノートと問題集を机の上に開いて、立ったままの姿勢で、
数式やらなにやらをノートに書き入れ始めた。
へその辺りにあるポケットから取り出したペンが凄まじい速度でもって紙の上に踊っている。
駄菓子を思わせる色彩の髪で全身青タイツ姿の少女が、一切変らない表情で
自分の宿題を片付けているのは異様な光景であった。
時折、例のきゅいいという音が部屋に響いた。
  七詩は頬を抓ってみた。痛かった。今日の日付と昨晩の夕食を思い出そうとした。
すぐに思い出した。もう一度頬を抓ってみた。やはり痛かった。
「完了致しました、マスター。御確認をお願い致します」
  ノートが差し出され、七詩は言われるがままノートに並んだ活字のような文字列を
見るともなく見た。その間、青タイツの少女は音ひとつ立てずに畏まっていた。
  ページを捲り終えると、
「よろしかったですか?」
「あ、うん。ありがと」
「女中如きにそのようなお言葉をかけてくださるとは、感謝の極みでございます」
  そう言ったきり目を伏せて礼の姿勢を崩さない少女に、
七詩はなけなしの勇気を振り絞って尋ねてみた。
「あの、さ。君……何なの?」

 江田竹美は不愉快であった。七詩に家を追い出されたのが気に入らない。
宿題をするなんて真面目ぶったことを七詩が言ったのも気に入らない。
宿題なんてものは、学校で木杉英子のものを写せば事足りるではないか。
人の頼みを断ることの無い英子なら、ちょっと言えば友達甲斐を見せてくれる。
それとも、七詩はあの暗い女に負担をかけたくないのかしらん。
そんな考えに至ると、竹美はますます不愉快であった。
夕闇の濃くなりつつある住宅地には、どこかの家で子供の泣き喚く声や、
豆腐売りの間伸びした声が響いている。
すれ違う家の窓から食欲をそそる匂いが漂ってくる。この家庭の夕食はカレーらしい。
竹美は七詩の両親がこの日帰宅しないことを思い出した。
  シチューの材料が入った買い物袋をぶら下げた竹美が、
上機嫌でマンションのインターフォンを押すと、七詩ではなく、
妙な恰好の女が玄関の扉から姿を覗かせた。
青いタイツのようなものの上にエプロンをかけ、鍋つかみをした手にお玉を持っている女である。
大昔のロックミュージシャンのように髪を真っ青に染めていて、
その奇態な姿に竹美は相手の声も待たず、
「すみません間違えました」
と言ってそそくさとその場を後にした。
  しばらくして思い直した竹美は、もう一度先ほどの玄関の前にやって来た。
表札にはちゃんと「品木」と書いてあった。
竹美は顔を真っ赤にして喚きながら扉を蹴り始めた。

 品木七詩は、私立大学卒業後、同じく就職先の見つからない友人である根川静江と共に起業する。
その後、中学時代の同級生である木杉英子と結婚し、貧しくとも幸福な家庭を築く。
三十五歳のとき、会社の経営が傾いて取締役である根川静江が失踪し、品木七詩は多額の負債を被る。
加えて、酔った勢いで行った花火の不始末によって事務所のあるビルが全焼し、
五人の子と病弱の妻を抱えて途方に暮れる。
自己破産の後、再起を試みるも……。
「もうたくさんだよ!」
と言って七詩はD―3の言葉を遮った。無表情ですらすら悲惨な未来を並べている彼女の姿が、
つんと澄ましているように感じられて、七詩はうんざりした気持ちであった。

「で、君は未来くんだりからわざわざ何しにやってきたのさ。
  アイルビーバックとでも言ってくれるのかい」
「はい?」
「何でもない。今のは忘れて」
「イエス、マスター。メモリーより消去いたします」
  七詩はため息を吐いて畳に寝そべった。ロボットだと名乗る少女も、
これから自分に起こるであろう未来の出来事もにわかに信じることが出来なかった。
「何度も申し上げている通りでございます。わたくしはマスターのお世話をし、
  マスターの未来をより良くするために、西暦2040年より送られて来たのでございます」
「誰がそんなことを頼んだっていうのさ」
「マスターのご子息様でございます」
  七詩からしてみれば当てつけのつもりであったが、D−3は馬鹿正直な答えを返した。
彼女のそういうところが七詩の気に入らない。
「はいはい。すばらしい電波をありがとう。なら、夕食でも作ってよ。
  D−3はお世話ロボット様なんでしょ」
「イエス、マスター。けれども、正しくは汎用人型子守ドロイドでございます。
  お間違えなさいませんようお願いいたします」
  何が子守ドロイドだ、と七詩は心の中で呟きながら、部屋を立って行くD−3を横目で見た。
けれどもその際、彼女の身体の線が青タイツであらわになっているのが目に焼きついて、
きまり悪い心地がした。
七詩は足を組んで天井を見つめた。木杉英子のはにかみ顔が頭に浮かんだ。
将来結婚すると言われたからであろう。思わず彼女の裸体を想像することになって、
七詩は自分が最低な人間であると感じた。
  D−3に呼ばれて行った台所のテーブルの上には、米飯を盛った丼と食パンの乗った皿、
それからその脇に塩の瓶が置いてあった。
「なにこれ」
「御夕飯でございます」
「いや、それはわかるけど……なにこれ」
「申し訳ございません。お米が多少水っぽくなってしまいました」
  七詩は並々と入ったご飯に箸を付けてみた。
「お粥みたい」
「消化には支障ございません。どうぞ、御遠慮なくお召し上がり下さい」
「ぱさぱさ」
「焼くと焦げ目が付くので栄養価が下がります」
「しょっぱい」
「塩分をあまり摂取なさいませんようお気を付け下さい」

 七詩は侘しい心地がした。救いを求めるようにキッチンへ目をやると、
蓋をした鍋がコンロに乗せてある。
「あの鍋、おかずじゃないの?」
「いいえ。なんでもございません」
「いや、あの鍋……」
「なんでもございません」
  鍋の下から取っ手のほうにかけて焦げ目が付いているのを見て、
七詩は幼なじみの竹美が作るシチューを思い出し、黙って箸を進めることにした。
  七詩が苦心してお粥と食パンを半分ほど平らげたころである。
玄関の方からとてつもない音と、聞き慣れた喚き声が聞えてきた。
「開けなさいよ」とか、「誰よ今の女」と言っているのが聞き取れた。
慌てて席を立ちかけると、D−3は七詩を手で制し、「少々お待ち下さい」と言って
台所からすたすたと出て行った。
  しばらくして音が止んだ。マンション脇を走る自動車の音さえ聞えなくなった。
戻ってきたD−3は、
「お見苦しいところをお見せ致しました。先ほどの騒音はお気になさらず、
  ごゆるりと御夕飯をお楽しみくださいませ」
と言い、七詩が何を尋ねても、例のきゅいいという音を鳴らしながら、
「お気になさらず」と返すばかりであった。
  七詩はわき腹がちくちく痛むような気がした。目の前の不気味な少女は
七詩の未来をより良くすると言っている。
七詩はそれから逃れようとしたり、彼女を疑ったりする意志を放擲した。

2008/10/15 To be continued.....?

 

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