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黄泉の国から(仮)

第1回


1

 最愛の彼女が事故で亡くなって二年半が経った。
  最初は独り悲しみ嘆いていた男だが、そんな男を支えてくれた女性がいた。
彼女は男の友人であり、そして亡くなった彼女の親友でもあった。
  辛いのは同じ。だが、今にも崩れ落ちてしまいそうな男を支える事で自分を
奮い立たせていたのかもしれない。
  恋人を失った男と親友を失った女。男は女に支えられ、女は男を支える事で
なんとか立っていることができたのだ。
  そんな二人が自然と結ばれていく事は不思議なことではなかった。共に傷をなめあいながら
生きていれば心も近くなっていくもの。傷跡は残っても傷の痛みはゆっくりと癒えていく。
  男も少しずつながらではあるが、しかし確実に自分の力で立ち上がることが出来るように
なっていった。これもひとえに女の献身的な努力の賜物といえた。

 二人はいくつも並んでいる墓の、その中の一つの前に立っていた。
  墓に刻まれている名前――それは亡くなった恋人の名前が刻まれている。
  「恭子が亡くなってからもう二年と半年も経つのね……」
  墓に水をかけながら、黒いワンピースに身を包んだ智美が呟く。
「ああ、苦しかった。もう立てない、いっそのこと俺も……そんなことを何度も考えたよ」
  黒い背広を着た孝道は恋人の名前を見つめながら静かに言う。
「果てしなく長く感じたわね。でも今になるとあっという間だった気がする」
  智美が丁寧に墓を拭き、孝道が線香に火をつける。
  花束を墓前に置き、二人は手を合わせて目を瞑った。共に思い返していることは
  三人でいた懐かしい日々。自然と二人の目尻から涙が流れる。
  いつも三人だった。楽しいときも辛いときも、嬉しいときも悲しいときも三人だった。
  三人の再開は静かに過ぎていく。時は決して止まる事はない。
  薄く細い紫煙が上り、墓前の花束が風に揺れる。近くの海から潮の香りがする。
  ゆっくりと目を開き、孝道が固く結んでいた口をゆっくりと開く。
「俺はもう大丈夫だよ。俺は前に進む。今の俺には智美がいる。
  恭子のことは絶対に忘れないよ。これからも毎年必ず会いに来るから――」
  右手に智美の体温を感じながら、孝道は真っ直ぐに前を向いて言う。
  その目は確かな力強さがあり、生きる意志がはっきりと感じられる。
「恭子、次に会いにくるときはお腹の中の子と一緒に来るからね」
  智美は膨らみかけたお腹を撫でながら、親友に以前と変わらぬ笑顔で微笑んだ。
  二人の薬指には指輪がはめられている。婚約指輪である。
  来月二人は結婚する。子供が生まれるのは恭子が亡くなった月が予定になっている。
  絶望に満ちた日々は終わりを告げ、今ようやく二人は前に向かって進んでいる。
「それじゃ、また来年会いにくるよ、恭子―――」
  太陽の光が降り注ぎ、二人を祝福しているかのように墓標が光に反射して輝く。
  寄り添いながら二人は墓を背にして歩き出す。未来に向かって進むために。

 線香の紫煙が揺れ、花束が風に吹かれて墓標から転がり落ちる。
  太陽は大きな入道雲に隠れ、大きな影を落とす。
  やがて、墓の影からもう一つの影が生まれた。誰も居ない場所にできるはずもない影は
ゆっくりと伸び、そこから湧き出るかのように―――憎悪が生まれた。
「―――さない……るさない……許さない、許さない……許さないッ!
私を殺しておきながら、孝道を奪っておきながら幸せになるですって……?
許せるわけないじゃない……私を殺しただけじゃ飽き足らず全てを奪っていくなんて。
殺してやる……。呪って呪って呪って呪って縊り捻り祟り殺してやる!
孝道は私のよッ! 誰がお前なんかに渡すものか………智美、絶対に殺してやる!!」
  憎悪を込めて怨念が呪詛を囁く。果てしない地獄の底から響くような声で恭子が謳う。
  顔の半分は潰れ、眼球は垂れ落ちている。歯茎や頬骨まで見えるほど抉れた顔に
乱れた髪がべったりと張り付き、腐臭と共に蛆が湧いて零れ落ちる。
  血に塗れ、所々破れている服。そこから覗く部分からはおぞましい蟲が這い出て、
生前の面影は綺麗なままの顔半分を残して微塵も残っていない。
  腐臭が墓場にたちこめる。その腐臭の中心から恭子はゆっくりと歩き出す。
  二人の歩いていった先を見据え、燻り続けた火から出る煙のように憎悪が蠢きだす。
「待ってて、孝道。すぐに殺すから。そいつを殺したらまた一緒になれるから……。
うふ、ウフフふふふふふふふフフフフフフふふふふふふふふふふふふふふふふふ――――」

2008/08/15 完結

 

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