彼女、立木里沙が”その事”に気付いたのは、何時の事だろう。
初めて彼の事を思って自慰をした日では、遅すぎる。
彼の両親が離婚し、彼が一時的に孤独となったその日よりも、前からである事は確実だ。
彼の両親の離婚の原因は、彼女が”作り上げた”のだから。
いつ頃から里沙が、彼にそんな感情を抱き始めたのかは、里沙自身にも定かではない。
ただ一つ言える事があるとすれば、
里沙はある種の運命を信じている。
自分が彼と出会えた事、
それが物心つく前から共に過ごす、”幼なじみ”という存在な事。
過去の全てに自分がおり、今の全てにも自分が主役になり、それが未来永劫に続いていく…。
彼女は、それが運命だ と信じて疑わない。
運命が与えてくれた、自分と永遠に一つになるべくした存在、
それが本庄光彦だ、と。
里沙が本庄と、満足に口も聞かなくなったのは、中学2年の時からだ。
理由ははっきりとしている。
里沙が、本庄を無視し始めたからだ。
何故、里沙がそんな事をし始めたのか、説明するのは容易だ。
里沙は、自分が無視した時の本庄の表情、
戸惑いの目、憂いを帯びた眉間、何か言いたそうな口元、
その姿を見る度、
その全てが、自分が引き起こした結果によるものだと思うと、
彼女自身がどうしようもないほどに、
暗く、それでいて満ち足りた、快楽に襲われてしまったからだ。
だからこそ、なのかもしれない。
里沙は、その行動をエスカレートさせていった。
最初は、本庄以外の男子生徒と、本庄に見せ付ける為に、親しく話始める、それだけだった。
でも、その時に感じてしまった快楽、
自分の行動が、彼の全てを決めているという、濁り湿った情欲、
それが里沙の行動に、歯止めを奪った。
親しくから親密に、そして恋人同士に見えるよう、
里沙はその行動を、本庄に見える範囲で、
強くしていく。
かと言って、里沙の気持ちは本庄一人に向けられている事に代わりはない。
事実、里沙は誰とも付き合った事はないし、
本庄の見ているところ以外で、彼女が相手の男子生徒と親しく接する事はない。
何より、里沙は本庄と同じ高校に通う為、自分の学力より1ランク以上レベルの高い、
今の高校に合格しているのだから。
ある日の放課後、とある喫茶店、
里沙はそこで考え事に耽っていた。
一人で来ている訳ではない。
帰り道を一緒に歩いた男子生徒がいる事にはいるのだが、
既にその相手に対して意識を向ける事はない。
里沙が彼に興味を失った、
訳ではない。
元から、本庄を嫉妬させる為だけの存在であり、
それ以上の価値など見出だしていなかったのだから。
「なあ里沙、俺の話、聞いてるか?」
相手が里沙に、真剣な顔で問い掛ける。
里沙は特に返事を返さない。
既に里沙は相手に関係なく、溜め息をついたり頬を綻ばせたり眉間に皺を寄せたり、
そうして、自分の考えに没頭していた。
もはや、里沙にとっては、相手が発する言葉は、ただの雑音にしか過ぎなくなっていた。
「俺の話、聞いてくれよ…」
懇願するような相手の言葉に、里沙は、
「うーん…」
と軽く首を捻った。
今、里沙は悩んでいる。
無論、本庄光彦の事で、だ。
”なんで光彦は、私に何も言ってこないのかなあ”
その事に、真剣に頭を悩ませていた。
傍から見れば滑稽な悩みに思えるかも知れない。
が、里沙にとっては切実な、それでいて理解出来ない悩みだ。
何せ、里沙から見れば、常に本庄にチャンスを与えているのだから。
それは、登校時だったり放課後だったり、休みの日さえも、そうだ。
常に本庄の前を歩く事を、意識づけているハズだからだ。
”前の時にやり過ぎちゃったかな…?”
小さな後悔を思い出して、溜め息をつく。
それは中学2年の時の事、
里沙が初めて本庄を無視したその日から数日、
本庄光彦という人間が存在しないものとして、里沙は行動した。
理由は簡単だ。
そうする事によって見れた本庄の気持ち、
自分に存在をアピールしようとしてとった、行動の一つ一つ、
それが里沙に例えようのない快楽を与えてしまったからだ。
”私からも動かなきゃ…”
そこまで考えた里沙の思考は、
「聞けよ、俺の話!」
という怒鳴り声で中断された。
里沙にとっては、この事態は寝耳に水、そんな感覚だ。
何で自分が怒鳴られているのかは勿論、
相手の男が誰なのかさえも、里沙はには分からないほどだったのだから。
「おまえ、俺のコト、ナめてんだろ!」
青筋を立てて、そんな表現が似合う感じで怒鳴り出した相手に、里沙が思い出した事がある。
”そういえば、誰かを誘って帰り道を歩いてたっけ”
と。
それだけは思い出す事が出来た。
「おまえから誘っといて、何だよ、この態度!」
周囲を気にせずに、怒鳴り声を上げて、席を立ち上がる相手、
里沙はそんな事、お構いなしに、
”確かコイツは、池田、井川、井上、猪股、そんな名前だったっけ”
と、相手の名前を思い出そうとしていた。
「おまえさ、男のコト、ナめてんだろ?!」
判で押した、そう思えるような一言に、
里沙は思わず笑いそうになった。
良く言われる一言、だから。
「教えてヤんよ、男の怖さを…!」
本気、そう思える顔で言う相手に、
里沙は特に動じた様子も見せず、
「ふーん」
と、見下した言い方をすると、
「で、何をするの?」
と、からかう、相手を激情させる一言を言う。
「おまえに男の…」
「そういえば、今日はアンタと一緒にいるって、ダチに言ったんだよねえ…」
何かを言いかけた相手の言葉を遮るように、里沙は言葉を発する。
「もし、私になんかあったら…」
そこで小さく言葉を切り、相手の顔を見る。
「アンタが真っ先に疑われんだろうねえ…」
そう言った時、相手の顔はそれまでと見る陰のないほどに、青ざめていた。
「そんなの…」
「関係ないって、言える立場、じゃないよね」
里沙の一言に、相手は言葉を無くす。
里沙は、常にある程度の立場にいる人間を使うようにしてきた。
それは、今回のような事が起きた時に、扱い易いからだ。
「おま…!」
「何かしてもイイよ」
平然と里沙が言い放つ。
そして、付け加える。
「その時はアンタも終わりなんだけど、ね!」
淀みなく、その言葉を言い切る。
「クソ!」
そう言いながら、相手が席を離れた。
だから、里沙は聞いた。
「どこ行くの?」
「帰るんだよ!」
吐き捨てるような一言に、里沙は思わず微笑を隠せない。
自分の思い通りに事が運んだから。
そこで里沙はもう一押しする。
「帰るなら、伝票よろしく!」
業と挑発するような一言を。
「ちっ!」
相手が、回りに聞こえるほどの大きな舌打ちと共に、相手が一言放つ。
「覚えてろ!」
と。
その一言は、里沙が言って欲しかった一言だ。
だから、里沙はすぐに答えられた。
「覚えとくよ」
「私に何か遭ったら、犯人はアンタだって…」
「その事を、ね!」
里沙のそんな言葉に、相手は既に何も答える事が出来ず、早足でその私に場を後にしていった。
「バカみたい」
立ち去った相手を見ながら、里沙が小さく呟く。
何度も繰り返して行為、
里沙に恐れはない。
「光彦も、あそこまで単純に動けばイイのに」
小さく溜め息をつきながら言った言葉。
里沙からしてみれば、
本庄光彦ほど、自分の思惑通りに動いてくれない人間もいない。
「ハァー…」
大きな溜め息と共に、里沙は思う。
”私からも動いてヤらなきゃダメか”
と。
”とりあえずは、明日の朝に、光彦の前を一人で歩いてやるか”
とも。
里沙の根本的な発想、
それは、本庄光彦、それは自分だけの物であり、
自分がいるからこその存在だという考え。
この考えは、里沙にとって絶対であり、
変わる事のない真実でもあった。
だが、その日の翌日にこの考えは覆される。
そして、覆された後、
彼女は思い知らされる事になる。
自分がどれだけ、本庄光彦を愛しているか、を。
自分にとっての本庄光彦が、どれだけ必要な存在か、を。
既に気付くのが遅い、その事実に。 |