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理解できない姉

第1回


1

 苛々――と、した。
「……あれ?」
  なんでだろうか、と思いつつ、私は前を見る。
  前方二十メートルの位置には私の妹がいて、その隣には幼馴染がいる。
  苛立ち――その原因と思われる光景を、思い出す。

 つい十分ほど前のコトだ。
  私と妹は、いつもどおりの時間に家を出た。
  向かいの家では幼馴染の飼い犬がご飯を食べていて、ああ、彼はもう行ったのか、なんて理解する。
  彼は家を出るときついでに犬にご飯をあげていく。そのコトを妹も分かっているので、
「姉さん、どうするー?」
  と、首を傾げながら聞いてきた。
  今日は俗に言うバレンタインデーで、私達は毎年惰性のようにチョコを用意している。
  今年で――確か、十四年目だっただろうか。
「ん、……学校じゃあ、ちょっと渡せないしね」
「そうよねー」
  追いつこう、という共通認識を得て、私達はうっすらと雪の積もる道を行く。
  ……なんで今日に限って彼は家を早く出たのだろうか。
  私達が先に行っていて、彼が追いついてくるのが常だけど――。
「……まさか、チョコ貰えるかもとか浮かれてるのか……」
「ん?姉さん?」
「あ、ごめん、ひとりごと」
  誤魔化しつつ、続きを思考する。
  ありえる、と結論を出すには五秒もかからなかった。
  ……ため息を吐く。ばかだなー、と。
  十七年ほど生きて、私達と親以外から貰ったことがないくせに、
なんで今年こそはと希望を抱くのだろうか。
  男のサガだとかあのばかは言いそうだが、
「……ま、いいか」
  と、思考放棄する。
  鞄からその箱を取り出して、曲がり角の向こうに見えた人影に声をかける。
「おーいっ。おーいっ!待てー、そこのおおばかーっ」
  歩き方で分かる。幼馴染だ。
  向こうも声で分かったのか、こちらを振り返り、
「お」
  どことなくばつが悪そうな顔をして、立ち止まった。
  ……今日に限って早く出たんで気まずいなー、アイツら変な風に思ってないかなー、って顔だ。
うん、私も妹もそう思っている。

 朝の挨拶は、彼が先だった。
「よ」
  右手を上げて、一言。
  どこか腰が引けたような、元気の無い挨拶だ。
「おはよう」
「お、おはよう、お兄さん」
  二人で挨拶をする。いつもよりキレイに剃ってあるあごひげがちょっと目に付いた。
  ……こういうのは普段の行いが肝心で、今日一日どうにかしたからといって
どうにかなるような問題じゃない気がする。
  まあいい、と心中頷き、
「ほら、チョコだ」
「お、おう」
  彼の胸元に押し付けるように、箱を渡した。
  中身は一応自作のチョコレートだ。甘さは控えめ、苦味も走るいい味――の、ハズだ。
  今日彼は、私達姉妹とその母親、彼の母親、と四個のチョコレートを貰う。
  一つくらい、甘くないチョコレートがあったっていいだろう。
「形はハートだが、模様はギザギザとブレイク気味。ホロ苦い青春の味だ。味わって食べなさい」
「……趣味悪いなァ、お前」
「いや。本命だったらもっと甘く作るよ」
  そうかよ、と彼は妹の方に向き直る。
  妹は、胸元にチョコレートを抱いていた。
  ――そう。ここまでは、きっといい気分だった。
  今、この胸のわだかまりの原因は、なんのせいだろうか。
  改めて見た妹の頬が、どうにも赤いせいだろうか。
「……お兄さん」
  熱のこもったその声のせいだろうか。
「これ、受け取ってもらえますか……?」
  その上目遣いのせいだろうか。
「……えー、あー、その、……どうした?」
  煮え切らない態度の幼馴染のせいだろうか。
「美味しくできたかわかりませんけど……」
  私に手伝わせて、家では自信満々のくせに、
いざ渡すとなっておどおどとするその態度のせいだろうか。
「……ぎ、義理でももらえるなら嬉しいなァ!」
  誤魔化そうとする幼馴染のせいだろうか。
「…………」
  泣きそうになっているその表情のせいだろうか。
「……え、あれ。その――お、俺は嬉しいですよ?おねーさんから貰うのも、お前から貰うのも」
  そのド下手糞なフォローのせいだろうか。

「あ、あの――ほ、……です」
  耳が聞き取るコトを拒否した、その宣言のせいだろうか。
「……え?」
  どうやら本当に聞き取れていない、彼の馬鹿みたいな対応のせいだろうか。
「……なんでもないです。行きましょう」
  妹は、私と同じように彼の胸元にチョコの箱を押し付け、ザクザクと雪を踏みしめて先を行く。
「ま、待てよ、おい」
  情けなく追う彼。見送る私。
  ……そう。この瞬間だった。この大きくもない胸に、大質量の感情を抱いたのは。
/
  ……思い返すも、原因は分からない。
「おかしい」
  明らかにおかしい。
  私はマイペースな人間だ、と自他共に認めている。その私が、苛々する。
  それだけでも異常だが、妹もまた異常だ。
  妹の顔は、寒いから、なんて言い訳はできないくらいには赤い。
  幼馴染の方も、なにやら妹との距離を離そうとしているようだ。
  妹の方は近寄ろうとしているものだから、いつの間にか幼馴染は道の端に寄ってしまっている。
  僅かに聞こえてくる会話はギクシャクとし、
万一手が触れ合おうものなら幼馴染は露骨に一歩分離れる。
「……ふむ?」
  思い当たる状況が一つだけあるが、絶対にそうではないだろう。絶対に。絶対に。
「何かあったんだろうか……」
  ……そう言えば昨日、妹が彼と一緒に帰って来たが、その途中で何かあったのかもしれない。
  だが、それも所詮憶測だ。真実に至るには、本人に聞くしかないだろう。
  ため息を吐いて、心の質量を軽くしようとしたが、無駄だった。
「……全く。読心術でもできたらいいのにな」
  夢想して、校門を抜けていく二人を見る。
「……もしも」
  そう、もしも、と前置きし、思考を続ける。
  もしも、妹が、彼と『ある関係』になりたい、と願っているとするならば。
  説明は矛盾なく行える。応用すれば、私の心情さえも、だ。
  ……思考結果を心奥に秘め、私は二人の後を追っていく――――。

2008/02/15 完結

 

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