軍が町に着いてから全てが終わるまで、それは永遠のように長く、あっという間の出来事だった。
文字通りの殺戮。圧倒的な虐殺。
逃げ惑う人々を殺し、命乞いする人々を殺し、死体を死体の上に高く積み上げ燃やした。
軍隊に入っていたとはいえ、戦場に出た事がない私は虐殺の恐怖に震えた。
圧倒的な狂気を前にして、体が前に進まない。
それでも自らの体を鼓舞して奮い立たせたのは、ティークに対する思いだった。
ティークの怒りと悲しみ。ティークの望み。
そして、ティークへの愛のため。
指揮を執ったのはティークだ。自らが先陣を切って町に入り、
目に映る全ての人間を斬り伏せていく様は、まるで殺戮を楽しんでいる様にしか見えなかった。
狂ったような笑みで惨劇を眺めるティークに、かつての優しい面影はすでに無い。
彼は誰だ?目の前で笑っている男は一体誰だ?
私が知っているティークがこのような事をするはずがない。
私が知っているティークはこんな顔で笑うはずがない。
私が知っているティークはこのような殺戮を望むはずがない。
私が愛しているティークは?
ティークの顔をした悪魔は残忍な笑みを浮かべて言う。
「この町は敵国の毒に侵されている。焼き尽さねば国に被害が及ぶ。そうだろう、ゼンメイ?」
私は震える足を抑えるように、跪くしかなかった。
町を轟火が焼き尽し、全てを灰塵にし終えたのは朝日が昇る頃だった。
町の中心には、足を縄で縛られたスラルと、
両手足を縛られた男が兵士達に囲まれて捕えられている。
スラルの腕の中には、幼い赤子が泣き疲れて眠っている。
三人を囲む兵士の輪が、大きく開いた。
三人の前に現れたのは、二人の女性騎士を従えたティークだった。
ティークの目は暗く澱み、濁って光を透さない底無し沼のようだ。
スラルの瞳が大きく見開く。自分が裏切った男が目の前に現れたのだ。
兵士達の鎧と装備から、自分の国の兵士だということはスラルも気がついていた。
そして、ティークが目の前に現れた瞬間、
ティークがこの惨劇を起こしたことににスラルは気がついた。
「ティーク…何故このような事を!何故罪の無い人々と町にこのような事を!!」
赤子を強く抱き、スラルが罵るように叫んだ。
(お前がこの町に居たから町の皆が死んだのだ。お前のせいで罪の無い人々が犠牲になったのだ。
ティークにこんな事をさせたのはお前だ!)
私は叫び出してしまいそうな言葉を、喉元でグッと堪える。
しばらくの沈黙の後、ティークがゆっくりと口を開く。
「この町は猛毒に侵されていたんだよ。それよりもスラル、迎えに来たよ。
さあ、国に帰ろう。俺は慈悲深い。スラルの行った過ちならいくらでも目を瞑ろう」
ティークは濁った目で、優しくスラルに言った。
闇だ。ティークの眼はスラルを見てはいない。闇を見ているのだ。
私はティークの真意が読めなかった。何故こんな売女にそんな優しい言葉をかけるの?
(なんでその裏切り者に許すなんてことを言うの?)
(見たじゃない、そこにいる男と幸せそうに笑っている顔を。
見ているじゃない、そのスラルの腕の中の赤ん坊を)
私の中に暗い炎が灯る。この町を焼き尽した轟火が燃え移ったのかもしれない。
(言ってよティーク。その女の首を斬り落とせって。お願いだから命令して!)
祈るように胸元で拳を握り締める。剣の柄を握り、ティークの言葉を、命令を待つ。
「貴方を裏切った私の罪のせいで、この町は滅びました。貴方を裏切って彼と国から逃げ出した私が
国に戻る事はできません。この場で処刑してください。
…その代わり、どうか彼と娘の命だけは救ってください!」
スラルは涙を流し、自らの命と引き換えに、彼と娘の命を救うことを懇願した。
私はじっと命令を待つ。早く「スラルを殺せ」と命令してほしい。
ティークが無言でスラルを見つめていると、横で跪いていた男が声を上げた。
「王よ。スラルを連れ去り、裏切らせたのはこの私です。罪は私にあります。
処刑するならばどうか私を!ですが、どうか…どうかスラルと娘の命だけはお救いください!」
スラルが涙を流し、男と見つめあう。
二人の表情からは、愛し合う二人の強い絆のようなものが感じられた。
二人のその顔を見て、ティークの顔が大きく歪んだ。
私をその表情をよく知っている。例えようのない「怒り」と「憎しみ」が混じり合うと、
このような顔になるのだ。ティークと私は2年間も顔を歪ませて苦しんだ。許せるはずがない。
やがて、表情がなくなったティークの眼に、暗い光が灯る。全てを飲み込み、焼き尽し、
塗り潰すような暗い闇に、私の全身に鳥肌が立った。
「……っは、はっはっはっはっ…」
廃墟となった町に、抑揚のない声が響く。
その場にいる全ての者の視線がティークに注がれている。
ティークは震えるように肩を揺らし、何かを堪えるように下を向いた。
そして、
「ハッハッハッハッハッハッハッハッ!アッハッハッハッハッハッハッハッハ!」
ティークは体を大きく揺さぶりながら、天を仰ぎ見るかのように体をのけ反らせて笑いだした。
何がそこまでおかしいのか、目に涙を浮かべながら笑うティークに、
その場に居る者たちは声を発することもできないでいる。
スラルに裏切られ、そんなに悲しかったからか?
目の前で二人の愛を見せつけられた事が悲しくて笑っているのか?
哀れな自分がおかしくて笑っているのか?
その場に居る者は皆、固唾を呑んでティークを見守る。ひとしきり笑い終えたティークは、
「何を言ってるんだ?そんなに自分達が罪を犯したというのか?そんなに自ら罪人になりたいのか?
そんなに自分達がしてきた事が罪だというのか?…そんなに俺が哀れか?
……そんなに俺を侮辱したいのか?」
ティークは優しく、おぞましい声で二人に問いかけた。
目の前で捕えられている罪人に、我が子に諭すかのように優しく、
罪人を地獄に突き落とそうとする悪魔のように。その声は、今まで聞いたことのない声だった。
ティークの顔をした悪魔の声にしか聴こえなかった。
「そんなに死にたいか?ならば望みどおり殺してやろう。
俺は慈悲深いから、最も苦しむ方法で殺してやる。…ゼンメイ、赤子を取り上げろ」
ティークの一言に、私は耳を疑う。
「……えっ?」
ティークは今…なんて言った?
最も苦しむ方法で?
赤子を取り上げろ?
それを私に命令した
意味が分からず、私はティークの顔を見ていると、ティークは動かない私に苛ついた顔で、
「何をしている?俺はお前に言ったのだ。二度も言わせるな」
ティークは氷のような冷たい声で言う。
ティークは暗い眼で、飲み込むように私を見据える。
その眼は、「従わなければお前の首を落とす。もう一度言わせても同じだ」と暗に物語っていた。
圧倒的な死の恐怖感に足がすくむ。
王の命令は絶対だ。例えどのような命令であっても従わなければならない。
例えそれが、王の過ちであっても。
私は我が子を抱きしめて離さないスラルの腕を、近くの兵士を使って離させた。
泣き叫ぶスラルの声に耳を塞ぎ、我が子を奪う悪魔の手先を睨む眼から顔を背け。
赤子は柔らかく、ミルクのような良い匂いがした。
母親の愛情は私には分からない。
捨て子だった私には母親の愛など知る由もない。私にはティークに対する愛情しかない。
スラルとは違う。偽りの愛などではないのだ。
ティークに対する愛は何があろうとも絶対に揺るがない。何があろうとも絶対だ。
ティークに赤子を差し出す。ティークはゴミを見るような
目で赤子を摘み上げると、残虐な笑顔で、
「まずはコレだ。よく見ておけ。お前達の大事なコイツから先に殺してやる。
罪人にふさわしい罰だ」
ティークはそう言うと、赤子の顔が二人に見えるように持ち、腰に差した剣を抜いて――。
赤子の腹を貫いた。
絶叫。悲鳴が聴こえた。
目の前には串刺しにされた赤子を持ち、高らかに笑うティークが立っている。
剣の先からは、赤子の腹から流れる血がポタポタと流れ落ちる。
兵士達は顔を背け、ホーネットは顔を真っ青にして立ち尽くしていた。
「嫌あああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
「うあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
なおも二人の絶叫が廃墟となった町に木霊する。魂を業火の炎で焼き尽す、罪人の悲鳴が響き渡る。
ティークは二人の絶叫とその様子に満足した顔で、剣を赤子の腹
から引き抜く。
「罪人が煩いな…ゼンメイ、ホーネット、二人の口を塞げ。
舌を噛み切られては困る。余興はこれからだ」
狂っている――ティークは狂っている。
猿轡をされた二人の目の前で残虐なショーが始まる。
赤子の四肢を切断し、腸を掻き出し、首を斬り落とす。
あまりの凄惨さに、殺戮を行った兵士達さえ目を塞ぎ、顔を背けた。
見ていた兵士達は次々と嘔吐した。もちろん私も、ホーネットも。
スラルは途中で気を失った。男は最後まで自分の子が肉塊に変わっていくのを見ていた。
ティークが言ったのだ。
「お前が最後まで見なければ、次はスラルだ」
ショーが終わり、赤子の首を持ってティークは男に言った。
「この赤子を残さず食べろ。そうすればスラルの命だけは助けてやる。
なに、食えるように調理はしてやる」
狂っている――ティークは狂っている。
「城に戻るぞ。国王も楽しみに待っている」
私とホーネットは震えながら、血生臭いティークの後ろを追って歩きだした。
狂王。ティークがそう呼ばれる日の始まりだった。
それからのティークの行為は見るに耐えがたいものだった。
男を地下深くに幽閉し、赤子を残さず食べさせた。男はだんだんと痩せ細っていった。
スラルはあの日のショックからか心を病み、声が出なくなった。
国王は嘆き、スラルを城の自室から出れないようにして療養させた。
国王は知らない。スラルがこの様になった原因がティークにあることを。スラルに赤子がいた事も。
スラルが発狂したのは、よく晴れた日の昼食の時だった。
悲鳴を聞いて部屋に飛び込むと、スラルはスープを床に溢して震えていた。
スープの溢れた床には、安物の指輪の挟まった指が落ちていた。
スラルに出されていた料理は、愛した男の肉だった。
発狂した数日後、スラルは舌を噛み切って死んだ。
ティークはスラルの遺体と一晩を共にした。スラルが死んでしばらくして、国王が病に倒れた。
毒による暗殺。城の一部の者しか知らない真実。
ティークは若くして国王になった。ティークに進言する者は居なくなった。
ティークの気に障る者は処刑された。
ある日、占い師が城に招かれてティークに言った。
「王よ。貴方は全てを滅ぼし、全てを手に入れるでしょう。
そして、自らが滅ぼしたものに滅ぼされるでしょう」
ティークは占い師の予言を笑い、その場で首を斬り落とした。
ティークが他国を侵略し、国を強大にしていくのに3年が過ぎた。今では3つの国を滅ぼした王だ。
私とホーネット以外、誰もティークに近づかなくなった。近づく女は私とホーネットで始末している。
狂王の側には二人の魔女がいると、国の内外で囁かれている。
私のティークに対する愛は変わらない。むしろ強く増しているくらいだ。私の愛は揺らぐ事はない。
残る邪魔者はホーネットだけだ。ホーネットは手強いが、いずれ始末できるだろう。
やり方はいくらでもある。
ホーネットさえ居なくなれば、ティークは私だけしか居なくなる。
そうなれば、ティークは私だけを見てくれる。
例えティークが私を見なくても、私だけが見続けられる……。
私だけが側に居続けるわ、ティーク…。
そういえば先日、次の侵略を予定していた国の王女がティークに謁見しに来た。
あの女のティークを見る目は危険だわ。ホーネットよりも先に始末しよう…。。 |