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きょうだい

第1回


1

「ちょっと悠太!どういうことなのよこれは!」
畜生、迂闊だった。携帯には気をつけろとあれほど自分に言い聞かせていたのに、
風呂に入ってる隙に見られるなんて、自分のアホさ加減にうんざりする。
いくらなんでも大丈夫だろうと油断して、実名で登録したのはさすがにまずかった。
「ねえ!直美っていったい誰の名前よ! アンタこの間約束したわよね?
  他の女のアドレスなんか絶対に登録しないって!」
手前が無理矢理約束させたんだろうが、という言葉は飲み込んだ。
反論すればろくなことにならないのは今までの経験で嫌というほどわからさせている。
この人には従順な態度で接することこそが一番安全なやりかたなんだ。
「ほ、ほら、僕も今年から副部長になったでしょ?
  だから部長の直美先輩と連絡とれるようにしておかなきゃ駄目なわけで……」
もちろん嘘だ。部活関係の連絡ごとなんぞ学校でいくらでも出来る。
姉さんに知られる危険を冒してまで携帯電話に登録する必要なんてこれっぽっちもない。
本当の理由は僕と先輩が先輩後輩の関係ではなく、男女の関係にあるということだ。
こればかりは姉さんに知られるわけにはいかない。
僕と直美先輩の身に何が起こるか、考えただけで寒気がする。
「だったら、今すぐ消しなさいよ」
「でも……」
「消しなさいったら!」
「わ、わかったよ。消すよ」
突きつけられた携帯電話を手にとって、アドレスの消去作業を始める。端末をいじっている間、
姉さんは身を乗り出して僕の手元をにらみつけていた。
俯き、前髪で隠された目玉はぎらぎらと鈍く輝いている。いい年してツインテールにしている髪が、
ゆらゆらと波打ってるようにも錯覚した。
「これでいいんでしょ。アドレスに、メールの履歴もみんな消したよ。姉さんの言うとおりにね」
精一杯の皮肉を込めて、目の前にいる年増に報告する。
二十四にもなってこんな様子ではいつまでも結婚できないだろう。
ふと、初めから結婚するつもりなんて無いんじゃないか、と考えたら憂鬱になった。
普段の言動から省みるに、この人は結婚する気なんてこれっぽっちもない。
偏愛する弟の子を孕もうと企んでいやがるのだ。

「……ちゃんと、消したみたいね」
「だったらもういいでしょ。じゃ、携帯返して」
こんな茶番はさっさと済ませてしまいたい。
後で暗記していた直美さんの番号を登録しなおして、電話で慰めてもらおう。
しかし、姉さんは僕の言葉を無視して、携帯電話を握りしめたままでいる。
いつものヒステリーはまだ治まっていないのか、
まるでそれが親の仇であるかのように携帯電話をにらみつけたまま、ぷるぷると震え続けていた。
「姉さん、返してよ」
携帯を奪い取ろうと手をかける。ぐい、と引っ張ったが、姉の手も一緒に引っ付いてきた。
今度は何なんだよ、と思って舌打ちが漏れる。
「姉さん!」
何度も何度も引っ張るが、姉さんは駄々をこねる子供のように一向に携帯電話を離そうとしない。
しばらく不毛な綱引きが続いたが、突然姉さんが俯いていた顔を上げて、
力ずくで僕の手から携帯電話をもぎ取った。
姉さんはぶつぶつと呟きながら携帯電話を何度か撫でると、
二つ折りの端末を開いて、そのまま一気にへし折る。
ぱき、と乾いた音を発して、プーさんのストラップをつけた哀れなそれは
一瞬にしてスクラップに変わった。
「ちょ、姉さん! なんで壊すんだよ!」
「……さい」
姉さんの突然の凶行で、先輩に買ってもらったストラップがはじけ飛んでしまった。
床に這い蹲り、必死になって探す。
「ああ! これじゃもう使えないじゃないか!
  こないだ機種変したばっかりなのにどうしてくれ……」
「うるさいうるさいうるさいっ!」
さっきまで携帯電話だったものを手にして目の前のきちがいに不平を述べた瞬間、
きんきんと耳障りな叫び声が部屋に響いた。
「アンタがいけないんだからね! アンタがアンタがアンタが!
  そんなものを大事そうにするからいけないのよ!」
「はぁ?」
わけがわからない。姉さんの言い分が支離滅裂なことは今に始まったことではないが、
今回は本当にわけがわからない。
まだ今日の僕は何も粗相をしていないはずだ。
なのにどうして怒り狂う。まさかとは思うが、携帯電話なんかに嫉妬したとでもいうのか。

「ねえどうして! どうして悠太はアタシだけを見てくれないの!
  こんなに愛しているのに、こんなに大事に想っているのに!
  他のものばかりみてアタシを見てくれない! 悠太!」
きめぇ。あろうことか姉さんがいつものアレを始めやがった。
アタシを愛しなさい、こんなに尽くしてるのにどうして、絶対に他の女なんか見るな、
えっちなら私とすればいいじゃない、と身の毛もよだつような戯言を延々と繰り返している。
いわゆる悲劇のヒロイン願望というやつだ。
こうなるとこの糞姉はもう手遅れで、これ見よがしに「アタシは世界で一番不幸なの」
なんて自己陶酔に浸りきった不愉快な顔つきをして、一人シェイクスピアごっこに耽るのだ。
こいつはどこまで鬱陶しくなれば気が済む。
人の物を壊しておきながら、しつこいほどの自己主張を繰り返す目の前の人間に、
張り詰めていた堪忍袋の尾がとうとう千切れた。


「いい加減にしろよ。クソ兄貴」

僕は言ってはいけない単語を言った。

2007/11/02 完結

 

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