【視点人物:鳴瀬正紀】
坂木がこの家に来て3日が経っていた。
あいつの表情や声色は不機嫌なのがデフォルトのようで、
最初はどう対応したらいいのか戸惑っていたが、
必要な会話は応じてくれるので、良しとしよう。
家事については今のところ自分のことは自分でやる、という不文律。
まあ俺が坂木の下着を洗濯したり部屋を掃除するわけにはいかないので、
当たり前だろうが。
だがあいつは俺が作った食事を食べたことはあったが、
俺はまだあいつの作ったものを食べたことはまだない。
さらに言えば坂木が料理をしている姿も見たことがない。
明日はどうするんだろうな、あいつ。
週末の朝、俺はいつもより早めに起きて弁当用の料理をしていた。
なんでも今日は学校にパンや弁当を売りに来る業者の都合で、
購買で昼飯を買うことができないらしい。
そしてこの家から学校までは一本道で10数分なのだが、
食料調達のためにコンビニを経由しようとすると、
1時間以上もかかってしまうという位置だ。
前日に適当なパンでも買っておいても良いが、
どうせなら余っている冷凍食品を使い切ろうとしただけだ。
俺が弁当を詰め終えて、朝食のトーストが焼けたとき、
坂木が起きてきた。
「おはようさん」
「朝から料理かと思えば、今日はお弁当?」
この言葉、もしかしてこいつは忘れているのではないのか。
「あー、坂木。今日は学校の購買部が休みだってこと、知ってたか?」
「え?」
驚き半分、焦り半分といった表情。
「ついでに言うと、ここからコンビニを経由して学校に行くと、
俺の足でも軽く1時間はかかるぞ」
「うそ!」
「悪いが本当だ。うむ、だが俺も鬼ではない。
幸いにして冷蔵庫にはまだ冷食とかが残っているから、
可哀想な我が義妹に進呈しても吝かではない」
「……てよ」
「ん? なんと言った」
「どうせならあんたが作ってよ」
うーむ、この女はツン(ツンデレかツンツンかは未確認)だと思っていたが、
女王様属性的高慢さも持ち合わせていたとは。
「残念だが、俺にM男くん属性はないからな。自分でやってくれ。
どうしてもと言うなら『お兄ちゃん、お・ね・が・い』とウル目で懇願を」
「誰があんたなんかに……」
大きくため息をついた坂木は冷蔵庫を物色し始めた。
ふむ、せめてもの情けに弁当の容器くらい準備してやるか。
それから数分後、電子レンジの音を聞きながら、
俺は久しぶりにミノムシロの朝グサッ!を見ていた。
坂木がいると必ずシャープシンに変えられるからな。
朝グサッ!は痴情のもつれによる事件を優先的に報道してくれる。
今日のトピックは『わたしだけのご主人様、監禁調教』、
『お兄ちゃんクサ〜イ、泥棒猫の臭い』、
『血溜りの中に沈んだ第2ボタン』か。
今日もどこかで誰かが誰かを苦しめている。
下世話な好奇心を満たしていると、画面が切り替わって、
『今朝のワンニャン占い☆』になってしまった。
くそっ、もう作り終えやがったか。
どこかのディレクターが適当にコメントを書いた予言を見て何が楽しいのやら。
無言でじっと占いを見ながらもすごい速さで朝食を口に入れる坂木は、
占いコーナーが終わるとすぐに席を立った。
よく噛まないと消化に悪いぞ。
坂木がいつものように一足先に出たのでチャンネルを切り替えたが、
既に朝グサッ!は政治談議をしていた。
「おはようさん、ユカネエ、アキボー」
家を出るとお馴染みの二人がそこにいる。
坂木が来た翌日は彼女を加えることになるのかと思ったが、
あいつはいつも早めに家を出る。
朝練でもあるのだろうか? そういえば部活をしているのか?
「おはようまーくん。昨日は何もなかった?」
「あの女に何かされたのならいつでも言ってね」
変化といえば、2人から坂木の話題が出ることだ。
まだギクシャクとしている俺と坂木のことを心配しているのだろう。
「何にもないよ。家族と言っても気が合わなければ他人よりも遠いっていうじゃん?
そういう意味では俺にとってユカネエとアキボーの方がよっぽど身近だよ」
「「ホントに? 嬉しい!」」
2人が両側からひっついてくる。
もう1つの変化といえば、なんかやたらと密着されたりすることが増えてないか?
そりゃあ、異性に触れて嬉しくないわけがないが。
「ねえ、ま〜くん。明日の予定空いてるかな?」
「あたしたちのショッピングに付き合って欲しいの」
ん? 今年になってからは初めてのお誘いだな。
アキボーが高校生になったらいつも2人で行っていたのに。
でも、断る理由はない。
「3人で出掛けるのは久しぶりだしな。いいよ、行こうか」
そう言うと、再び抱きついてくる。
やめてくれ。そろそろ周囲の視線が痛くなってきた。
このところ変化と気苦労が増している私生活と比べて、
学校内ではさして変わりがない。
日常という意味のありがたさを噛み締めつつ、
居眠りをしたり馬鹿話をしたりする。
さて次の音楽の授業も睡眠にあてるかな、と思いながら教室移動をしていると、
階段の下から大きなダンボール箱を抱えた女子がのぼってきていた。
上方は見えていないだろうし、足元も大丈夫だろうかと見ていると、
その女子が足を踏み外して転びそうになった。
「おっと、危ない、な?」
事前の観察のおかげで、右手で箱を押さえ、左手で女子の肩を支える。
と、俺はその女子の顔を見て固まってしまった。
「……ありがとう」
今朝も顔を合わせた憶えのあるそいつは、坂木舞、我が義妹である。
ここで、脳内エンジンをハイテンションにして高速演算。
こいつは見知らぬ同級生だ、同級生。
1つ屋根の下で寝食を共にするとかそういう関係ではない。
さあそういうロールが与えられたとき、俺はどうプレイングをするべきだ。
「1人で運ぶのは大変だろう? 運んでいってやるよ」
と、坂木が両脇に抱えている荷物を奪い取って階段を昇り始める。
大丈夫だよな? たまたま助けた同級生の手伝いをするぐらいは、
見知らぬ関係でも許せる範疇だろう。
坂木の方は振り返らずにスタスタと元来た階段を昇り、
以前聞いた坂木の所属する2年4組の前までもっていく。
そこで坂木に無言で渡した。
「……あたしの教室、知っていたんだね」
あ、しまった。見知らぬ同級生がどこのクラスかなんて知るはずがない。
「ヤマカンだ」
言い訳にもならない言葉を吐いてそそくさと逃げた。
多少の失敗はあっただろうけど、セーフだよな。
あれを横からみている奴がいても、俺と坂木の関係がばれることはないだろう。
え? わざわざ荷物を運ぶ必要はなかっただって?
考えてみよう。もしあそこで坂木を見捨てていたら、帰って何を言われるかを。
まだ手伝った方が言い訳がきくだろうよ。
さて、ミステリー小説を読み込んだ人のためにも、
ここで伏線は回収しておくにこしたことはない。
俺の今日の昼飯は散々だった。
解凍しきれていない唐揚げを口の中で溶かしたり、
生のブロッコリーにマヨネーズが塗られていたり、
噛んだらバリバリと歯ごたえのある卵焼きなど、
俺は作った記憶がない。
くそう、坂木め。俺の弁当を間違えてもっていったのか。
それとも同じ容器を準備した俺の責任か?
わざとではないだろうとそこだけは坂木の良心を信じよう。
あー今ごろ、坂木は俺の特製アスパラのベーコン巻きを食べているんだろうな。 |