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その瞳の場合(仮)

第1回


1

「いいか?俺は僻んでるんじゃない。そこを間違えないでほしいわけだ。
考えてもみろ。日本の製菓会社が作った金儲けのための慣習等に踊らされる必要がどこにある。
  元は自由な結婚を認めた聖職者の命日をだ、なんだってこんなくだらんイベントに
利用されなきゃならん?
  いやもっと現実的にだ、仮に貰ったとしても、意中の相手からのものでなければ何の意味がある?
1ヵ月後に返済する手間を考えれば、少なければ少ないほどよく、
  かつ本命なんてものは無いほうが好ましい。なぜならそんな『重い』チョコをもらったところで…
いや聞いてるか兄弟?」
「あー、うん。聞いてる聞いてる」
  日暮れ、大学の構内。
  俺は世間でバレンタインと呼ばれるイベントが過ぎたことに安堵と空しさを感じつつ、
隣のアホウに講釈をしている……というのになんだこの返事は。
  嘘吐け呪われろこのモテ女。あからさまにんなことどうでもいいってツラしやがって。
  しかもチョコ無数に入った袋持って憂鬱そうなのはどういうわけよ。
たとえ女であろうと慕われてるってのに違いはあるまいに。
  こいつにはもう少し危機感がなくてはいかん。そんな風にたくさん貰えるのは社会に出るまで
だということを教えてやらねばいかん。でなきゃ差別だあんまりだ。
  大体なんでこんな飾り気も化粧もない女が同姓から慕われるんだ。
  マスコット的な『可愛い』タイプじゃないが、だからって明らかに『お姉さま』って
タイプじゃねえぞ?
  まず口調は全くもって清楚でも丁寧でもない。その辺にいる女同様、ほとんど男言葉だ。
背丈は高いが目立つほどでもない。
  顔はいいほうなんだろうが、常に眠たそうな半眼なんで魅力があるとは思えない。
  スタイルがいい、胸がでかいのにウェストは太くないと増木のヤツは言ってたが、俺は知っている。
こいつのウェストから足までが細く見えるのは筋肉質だからだ。
  以前夏に人の部屋であぢぃあぢぃ言ってやがった時に見えた腹は、
割れてこそいなかったが筋肉の筋がはっきり見えた。
  足までは見てないが、たぶん同じだろう。柔道だか空手だかをやってたってのは本気らしい。
間違いなく女性的な柔らかさとは無縁だ。
  唯一お姉さまっぽく見えるのは背中まで伸びた真っ黒な髪だが、
これがまた日によって寝癖がついてたりして、完全にまっすぐになってるのを見たことがない。
  整髪剤のせの字も使ってないことが丸見えだ。以上を持って断言する、
たぶんこいつが女からチョコを貰えるのは無意識的にこいつを男だと見てるからだ。
  実際こいつに渡してくれと女の後輩に(しかも大人しげで俺の好みだった)渡された便箋から漂う
空気は明らかにそっちの世界へのお誘いに違いなかった。

「いーや、お前はわかってない。いいか、おまえh」
「で、ゆうは今年も1個も貰えなかった訳だよなぁ?」
  何そのメッチャ嗜虐的な幸せに溢れた顔。
  勝ち組の余裕ですか貧困層への嘲りですかケンカ売ってますかケンカ売ってますね
勝てないから買わないけどチッキショウ。
  あと今年もって言うな。大学入る前までは貰えてたんだよ習い事の義理だけど。
「…だからそーいうのはいらんと言ってるだろ。人の話やっぱ聞いとらんなお前」
「いやーうん、そーいうことにしとこうじゃないか兄弟。
  でだねぇ、そんな恵まれないおまいさんにもこの明菜さんが潤いを与えてやろうと思うんだが」
「い り ま せ ん。たかだか数百円分のために一月後に千円以上使わされてたまるか」
「あん?その心配はいらんだろ兄弟。前回も見返りは求めなかったろ?」
  その前回は今時珍しい五円チョコだったろうがお前。
チロルチョコですらねぇって漫画でもないだろ。
「まぁそんな顔すんな。一個でもらっときゃ誰かに聞かれたとき助かるだろ?」
「ぐ」
  ああ聞かれる。増木とか鈴橋とか孝丞とか。
彼女持ちの孝丞なんぞ絶対有頂天になりながら聞いてくる。
  …呪われろ。脛毛のかわりにチンゲン菜生えろ。
  こっちが黙ると相手は勝利を確信したようだった。
  半眼のまま満面の笑みを浮かべ(不気味だ)用意してあったのか懐に手を突っ込み
(解けてませんかソレ)、
「というわけで――――さぁ受け取れ!!」

 

 チャリーン

 

 突き出した手から硬貨250円が俺の手に落ちた。

「……………」
「壮健美茶がいいな♪ あ、もちペットボトルで。」
  呪われろ。
  キヨスケ(ペット・アオダイショウ)、早く部屋に帰ってお前の顔が見たいよ。

「…最悪だ。最低だ」
  あの後校門の外のコンビニに行ってご所望のペットボトルを買うついでに釣りでチョコを買った。
  みみっちいとか情けないとか思うな俺。泣いちゃ駄目だ俺。
たとえレジのバイトが『うっわああああ痛ってええぇえ』な顔をしていたとしても。
  …ごめん泣きそう。なになんなのこの羞恥プレイ。イジメ?イジメなのか?
校門に戻ると知り合いが総出でクスクス笑ってんのか?
  そもあいつがついて来なかったの明らかにこれを狙ってただろクソが。
  ぼやきながら(そして背後の店員の視線に自尊心を切り刻まれながら)コンビニを出る校門とは
  目と鼻の先だ。
  さっさと戻ってあいつにボトルぶん投げよう。うんそれがいいそう決めた。
  …あれ?
  おかしい。歩いているのになぜか左半身が進んでいないような。
  まさかあのバイト、俺を周りに紹介するために?上等だこのヤロウ、客に対する礼儀を
「あのう」
  え?
  この声、確かどっかで――。
「あの、止まってもらえませんか」
  あ。
  腕引っ張られてるのにまだ歩いてた。慌てて振り向くと、
「ッ!? す、すみません…」
  急に振り向いたことにびっくりしたのか、
その後輩らしき少女は袖を掴んでいた手を引っ込めて萎縮した。
  少女?ってあれ、少女?
  店員じゃなかったのかとレジを見ると、
見るからにがっかりした顔でバイトはレジに向き直っていた。
  ああそうか、今の状況を客観的に見ると。
  客観的に見ると?
  ………。
  …………。
  …よし、まずは素数を数えるんだ俺。おっと9は素数じゃないぞ、うん。
  まぁ、考えても見ろ。そんなわけがない。鏡見ろお前。この溢れる凡庸感!漲る倦怠感!
滲み出す無気力感!
  よし、間違いなくあり得ない。明日北朝鮮が核放棄決定するぐらいあり得ない。
  対して相手はどうか。ぶっちゃけ可愛い子だ。大人しげな子だ。
  ショートカットの黒髪をこめかみの上辺りでクリップで止めて、
こういうことに慣れていないのか頬をうっすらと赤く染めている。
  …頬を?赤く?
  うん、まあアレだ。何のために呼び止めたか知らんが、
ほんの少し、そうほんの少しぐらいは期待してみてもいいんじゃないか俺。
  決め付けはよくないし、円周率ぐらい。いやちょっと過大に期待しすぎか?
「あ、あの、ですね…」
「ア、ああうん、何?」
  うわ声裏返った。しかも何ぶっきらぼうな返事してんの俺。
「そ、その…………ぁみ」
「?」
  聞こえなかった。いや待て、無理に焦らせては駄目だ。
  キモくならない程度の微笑みを浮かべるんだ俺。……あれ、そんな顔俺できんの?
「あ、あのっ、その、み、ですからっ、」
「うん落ち着いて。ゆ〜っくり、ゆ〜っくりでいいから」
  そういうと少女は金魚のようにパクパクしていた口をいったん閉じて、大きく呼吸し始めた。
  OK効果あり。いやしかし可愛いなこの子。小動物的な可愛さだ、うん。子犬?
  しまいには手を少し浮かせたり下ろしたりし始めた。ホント緊張してんだなぁ。
……やっぱ期待して良い?

「え、ええとですね、お、覚えてくれてますか?」
「……?」
  何処かで会っただろうか。そういえば聞き覚えのある声だった気もする。
  人助けをした覚えはないが、覚えてないだけで何かこの子に関わってたのかもしれない。
それで何かのお礼とか。でもそれだったら今日以外でもいいし、はて。
「覚えてないんですか…?」
「え、あ、いや、そのね、ああ」
  実は覚えてない。何か約束でもしたんだろうか。焦れば考えはまとまらないとわかってても駄目だ。
  落ち着かん。
  うわショック受けた顔してるし。レジのバイトなんか睨んでるし。
ええっと、なんだっけ、なんだっけ、誰だっけ…?
「その、手紙…」
「………手紙?」
  すうっ、っと。
  頭の中に今ではない、似た顔をしたこの子の映像が浮かんだ。
  手紙。あれは確か――。
「あ」
  あいつだ。
  あいつ宛に渡してくれって手紙を持ってきた子だ。
  錯乱してたのとヘアクリップつけてたせいでわからなかった。
つまりこの子がやってきたのはあの手紙についてのことで、俺は関係なくて。
「あー、うん。手紙ね。渡したよ、確かに」
「そ、そうなんですか……」
  不安顔からがっかりした、泣きそうな顔になる少女。うん、気持ちはわかる。
俺もかなりがっかりした。
  たぶんこの少女は明菜にあの手紙で告ったんだろう。で、今日その返事を貰うはずだったと。
たぶんOKならどこどこに来てほしい、なんて内容だったんだろう。
  で、それをこの俺は見事に勘違いしてあり得ない期待を抱いたと。
  ………んへぁ。
  恥ずかしいやら情けないやらでその場にしゃがみこみたくなる。
  見れば少女はもう俺のことなんぞ眼中に無いようで、とぼとぼと背を向けて歩き出している。
…しまった、残念だったねぐらい言ってやるべきだったな。
  どーしてこういう重要なときに気が利かんのかなぁと自分に呆れる。全く情けない。
  薄っぺらい夢でした、身分不相応な期待でした。
あーもう、レジのバイトが真相に気づく前にとっとと校門に戻ろう畜生。

 そう思いながら。
  でも俺はつまらない未練があったんだろう。
だからそのまま、その少女の背中を目で追っていたんだろう。
  振り向けば。
いや少しでも目をそらせば、俺の後ろを真っ青な顔で見ているバイトの顔が見えたはずなのだ。
  コンビニのガラスに映る、自分の真後ろにいつの間にか立つ女の影が見えたはずなのだ。

 

 いつもは半眼の目を見開いて、少女の背中を睨みつけているあいつの顔が、見えたはずなのだ。

2007/02/18 完結

 

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