ウィンナーの焼ける匂いがする。
トントントンっと包丁のリズミカルな音がする。
その音が止まり、足音がこちらに近づいてくる。
「起きて、お父さん」
「…………おはよう……奏」
―――あれから二年
浩一と奏はマンションで一緒に暮らしている。
前のアパートは狭く娘の部屋がつくれないため去年引越しをした。
奏は別に部屋なんていらないと言っていたが、
さすがに中学生にもなって自分の部屋がないのはかわいそうと思って浩一は強引に引っ越した。
「朝ごはん、できてますよ」
「…………わかった」
掃除、炊事、洗濯は奏にまかせっきりである。
奏は毎日愚痴もこぼさずこなしている。
浩一はそれに感心していた。
「やべっ、もうこんな時間だ」
服を着替え終えた浩一は食卓に腰をおろしながら寝坊したことに気づいた。
「もうちょっと早く起こしてくれよ」
ご飯を口にかきこみながら奏に言う。
「一度起こしにいったとき、お父さん、気持ちよさそうに寝てましたから」
「気持ちよさそうでも起こしてくれよ…………おまえ学校に間に合うのか?」
「走ってギリギリというとこですね」
奏は湯呑のお茶をすすりながら上目遣いで浩一の顔を見ている。
浩一はその表情の意味を知っていた。
「しょうがねーなー、後ろに乗っけてやるよ」
「えへへ………やったぁ」
「じゃ、ごちそうさま、行くぞ」
何回か奏をスクーターに乗せて学校に送っていたことがある。
おそらく今日はこれを狙って起こすのを遅くしたのだろうと浩一は思った。
「忘れ物ないな?」
奏は浩一の腰に手を回してちょこんと座っている。
ちなみにこのスクーター、一人乗り用。
「うん」
「よし!急ぐぞ!」
浩一はスクーターのアクセルを回し発進させる。
「よし間に合ったな」
学校の校門へと到着する。
奏はスクーターから降りてヘルメットを取る。
「ありがと、お父さん」
「どういたしまして…………お、来たな」
教師が一人、浩一に近づいてくる。
「またですかっ!!神山さん!!」
「怒った顔も素敵ですね。優子先生」
「バ、バカなこと言わないで下さい!!!」
山田優子―――奏の担任だ。
スクーターで奏を送るたびに浩一は優子先生に怒られている。
「二人乗りは危険ですからやめてくださいって何度言ったと思ってるんですか!!!」
「大丈夫ですよ。そんなヘマしませんよ」
「何を根拠に言ってるんですか!!だいたい校則で―――」
『奏のパパさん、おはよー』
「おはよー」
「聞いてるんですかっっ!!!」
これ以上からかうと優子先生が爆発しそうなので浩一は退散することにした。
そして門の前でボーっとしていた奏に一言言って浩一は仕事場へ向かって行った。
一緒に暮らしてくれと言われたとき私は迷った。
今のまま親戚と暮らすか、憎い父親と暮らすか。
私は父親を選んだ。あの連中と居るよりは新しい生活のほうに賭けてみたいと思った。
そしてその選択は正しかった。
彼女と本当に別れてくれたとき私のことを本気で向き合おうとしてくれていると思った。
憎んでいた相手なのに…………嬉しかった……。
一緒に暮らしていくとその憎しみも薄れていった。
お父さんは口は悪いけど優しい。
一緒にいると、胸が……あったかくなった。
―――そして二年が経つ。
朝。
私は顔を洗ってお父さんの寝室へ行く。
まだお父さんは寝ている。……気持ちよさそうに。
この寝顔はアパートに住んでるときはいつもすぐ横にあった。
だけどお父さんは「中学生なんだから部屋が必要になるだろ」と言って
このマンションに引越しすることになった。
いい場所なんだけど……私は二人で布団を並べて寝るほうがよかった。
などと考えているうちに時間が少し経っていた。
私はお父さんを起こさず朝食の支度を始める。
朝食は完成した。あとは……
「起きて、お父さん」
お父さんが服を着替えて食卓にやってくる。
案の定、時計を見て慌ててる。
「もうちょっと早く起こしてくれよ」
お父さんは急いでご飯を食べている。
「一度起こしにいったとき、お父さん、気持ちよさそうに寝てましたから」
「気持ちよさそうでも起こしてくれよ…………おまえ学校に間に合うのか?」
「走ってギリギリというとこですね」
いつものパターン。そしてお父さんもいつもと同じように言う。
「しょうがねーなー、後ろに乗っけてやるよ」
「よし!急ぐぞ!」
スクーターが発進する。
……気持ちいい。
「やっぱ、車に買い換えたほうがいいのかな。車のほうが送迎に便利だよな」
信号で止まったところでお父さんが聞いてくる。
「私はいやだな……。私、このスクーター好きですから……」
「そっか……」
正確に言うと私はお父さんのスクーターのうしろに乗るのが好きだ。
このときだけ直にお父さんのあったかさが全身で感じられる。
私はお父さんの腰に回していた腕を強く締め、頬を背にくっつけた。
「またですかっ!!神山さん!!」
学校に着くとやっぱり先生が怒って出てきた。
いつもの、見慣れたやりとり……。
「怒った顔も素敵ですね。優子先生」
―――冗談でもそんなこといわないで
「二人乗りは――――――」
―――まだやるの?
「何を根拠に――――――」
―――もういいでしょ?
『奏のパパさん、おはよー』
「おはよー」
―――返事しないで
いつもとおなじ。いつもと変わらない。見慣れたやりとり。
そしていつも―――ムカムカする。
「じゃ、頑張れよ、奏」
「……うん」
お父さんは去っていく。
……私は自分の気持ちに気づいている。
……私はお父さんのことが――――――。 |