愛欲が溢れ返る。ふしだらな妄想が脳裏にこびり付き、解放してくれる気配がない。
内にこもる熱で火照り、欲情は治まる事を知りません。
消化しても消化しても消化しきれず。絶頂に絶頂を重ねその先に待つ絶頂を迎え入れても。
わたしの体は満たされないのです。
もはや、自慰では限界なのでしょう。どこまでも淫靡になってしまったソコから、
すっかりふやけてしまった指を引き抜くと、ぶるり、と身を震わせる。
何と言うか。今日のわたしは随分と色欲に支配されていたようです。
和式の便器が愛液でベトベトです。
いやしかし。本当に今日はすごかった。このままだと危うく想像妊娠してしまいそうです。
ふふ。先輩の子供なら、喜んで孕ませて頂きます。
にやにやと緩む頬を引き締めもせず、わたしは乱れた衣類を整えます。色んな所が唾液やらで
酷いありさまですが、まあそこは置いておきます。
下着、特にお気に入りのパンツは愛液でもはやその機能を全うしていませんが、
まさかどこぞの色情保険医じゃないんです。ノーパンはまずいので、そのぐしょぐしょに濡れている
パンツを仕方なく履きます。
……ああ、気持ち悪い。今度は摩り下ろすのではなく脱ぐ事にしましょう。
反省は生かさねばなりません。
ふと、視線を感じて顔を上げる。わたしは一体どこに眼球をつけているのだと、
自分に詰問したいぐらいにその存在を全く持って認識していませんでした。
自慰に耽るあまり、気付かなかった? ありえない。
だって、ドアにはちゃんと鍵がかかっています。
ドアの隙間から入り込む、何て言うのは漫画の世界の話で。
だから、わたしは目の前で微笑む女性を見て、絶句した。
――随分と熱心なのですね、主よ。満足されましたか?
声が出ない。あんな激しく淫らな自慰を見られた恥ずかしさで声が出ない訳ではありません。
まぁ、それも少しあるのですが。
その、ふざけているのか、所謂メイド服を着た女性の両目には包帯が巻かれていた。
なのに、何故か目と目が合う、としか表現しようがない感覚。
――主よ、どうかなされましたか?
その艶やかな、赤い、紅く燃え上がる焔色の、大きく自己主張する胸にまでかかった
長い髪を揺らしながら、彼女は首を傾げた。
それにしても、随分と背が高い。わたしの身長が143センチと、
女子にしても随分と小さい体躯だが、女性とは40センチ以上の差を感じます。
「……あなたは、誰?」
――その問いに答える術を、私は持ち合わせておりません。
女性は困ったように微笑む。
「……いつから、そこに?」
――ずっと、と言えば宜しいでしょうか。正確な答えを導き出すには、少々言葉が足りません。
申し訳ございません、主よ。
やっぱり困ったように微笑む女性。
「わ、わかりやすく説明していただけないでしょうか。わたしは今、酷く混乱しているので、
出来るだけ簡単直結に答えてください」
――は、はぁ。では、簡単に申し上げます。一体いつ、何の影響を受けたかは不明ですが、
いずれにせよ、
そう言って女性は私を見て、微笑む。華のように。歌うように。
――主が、私を呼んだのです。
「わ、わたしが? あなたを?」
――はい。その通りです、主よ。どう言った経緯で主が能力に目覚められたのかは不明ですが、
いずれにせよ私は、主に呼ばれたのです。
「ど、どうして……?」
――必要、だからではないでしょうか。
いえ、私も全てを理解して話をしている訳ではございませんが。
ただ、気が付くと主の側にいたのです。
「わ、訳が分かりません……呼ぶだとか、必要だとか……わたしが、それを望んだと?」
――いえ、はい。ええっと……すいません。何分私の理解の範疇を超えておりますので。
上手く説明できません。
わたしはひとまず、深呼吸を三回ほど繰り返す。女性はじっ、とわたしの目を見つめてきます。
何故かは分かりませんが、不快感はありません。
ふぅ、と息を吐く。体の火照りも治まり、頭の中がクリアになってきました。
「……少し、落ち着いてきました」
――それは良かったです、主よ。
「……それで、です。わたしがあなたの出現を望んだとして、あなたは一体何をしてくれると
言うのですか? まさか殺しにきた、などとは言わないでくださいよ?」
――ふふっ。ご冗談を。私は、主の力を引き出しにきたのです。多分。
「酷く曖昧な人ですね」
――申し訳ありません、主よ。
しかし現在の回答でもっとも正確で正解に近い言葉はそれだけなのです。
主の力を引き出しにきた、と。
「……力、ですか?」
――その通りです、主よ。現在、何者かの能力により、
主は華を開花させるチャンスを手に入れました。私は、それを後押しする為に馳せ参じた次第です。
まるで漫画や映画の中の話です。それでも、わたしは湧き上がる好奇心を抑える事が出来ません。
「……百聞は一見にしかず、です。その能力とやら、引き出してもらえますか?」
――分かりました、主よ。では、しばし失礼致します。
女性の手が、私の顔を包む。女性が二言三言何か呟いた、
と思ったら女性は手をするするとまた元の、自分の胸の前に添えます。
「……? お、終わり、ですか?」
――はい、そうです、主よ。何か問題でも?
きょとん、とする女性に咳払いをして、頭を振る。少し、いえかなりすごい術みたいのなのを
期待していた、とは言えません。子供じゃないんですから。
「いえ、何でもありません。所で、一体どう言う能力なのですか?」
女性は、右手を自らの鼻に添える。
――鼻、です。
「鼻?」
――そうです。相手の匂いを嗅ぐ事によって、その人物の状態その他様々な情報を手に入れることが
可能となります。
「……相手がどこにいても、ですか?」
――いえ、範囲は決っています。ただ、その範囲の大きさは分かりません。
実際に計測する必要があります。
匂い。匂い……。何ともわたしらしい能力です。
昔から匂いに敏感だったのも、少なからず関係あるのでしょうか。
そしてこの能力を持ってすれば、わたしは四六時中先輩の匂いを嗅げると言う、
それはそれは素晴らしい特典を得られるという訳です。最高です。
先輩と常に一緒にいる事を許されたこのわたしに、あの雌牛たちの歯噛みする光景が目に浮びます。
ざまあみろです。
「ふ、ふふ。あは、あはははははははははッ! ふはは、ふは、ふ、ふふふっ」
――どうかなされましたか、主よ。
「ふふふふふふふふふふふふふふふ、ふふ、ふぅ。これを笑わずにいられますか?
この能力こそ、神の啓示なのです!」
――はぁ。
「神は、この能力を持って先輩と結ばれよと、そう言っているに違いありません。
最高です。完璧です」
――ですが、この能力は戦闘能力に関して言えば皆無なのです、主よ。
「それが、何だと言うのです? 闘えないと言うのならば、闘わなければいいだけの事です。
そうでしょう?」
――しかし、それでは先輩を手に入れることは出来ないのでは?
わたしはちっちっちっ、と嫌味っぽく指を振る。
「問題ないのです。敵は二人です。わたしが闘わなくても、敵二人で潰しあいを演じさせてやれば、
わたしは労せず先輩と結ばれるのです」
――上手くいくでしょうか?
「この能力がどれほどの情報を引き出せるかはわかりませんが、しかしわたしにアドバンテージを
与えてくれるのは間違いありません。ふふ」
わたしは、挑戦的な笑みで、彼女を見る。その瞳に決意を宿して。
「勝つのは、わたしです」
誇らしげに宣言するわたしに、女性はとても愉快そうに、微笑ましい表情を浮かべる。
――それは頼もしい限りです、主よ。
「……そう言えば、名前をまだ聞いていませんでしたね」
――名前はありません、主よ。主がつけていただければ、それが私の名前になります。
「そうですか…悩みますね……ふぅむ……では、ツェペルエというのはどうでしょう?
意味は聞かないで下さい。お爺様が昔飼っていた赤毛の猫の名前から取っただけなので」
――……ツェペルエ……。
「不服ならば言ってください。他にいくらでも考えます」
――滅相もございません。主に付けていただいたのです。このツェペルエ、死が二人を別つまで、
主と共にいましょう。
「ふふ。では、これからもよろしく、ツェペルエ」
――こちらこそよろしくお願い致します、主よ。
わたしは、トイレを出ると足早に自分の教室へと向かう。
気が付くと、もう六時間目は終わっていた。
俺は教室を出ると、足早に隣のクラスへと向かった。祥子を迎えにだ。
俺と祥子は家が近い為、学校に行くときは時間が合えば一緒に行き、
帰りはほぼ毎日一緒に帰っている。一緒に帰らないと、後が怖いのだ。
しかし。
「え……帰った?」
「うん。終わるや否やぶっ飛んで帰っていったよ。すンごい速かったよー!」
祥子の友人である中野 澄子がゼスチャー付きで教えてくれた。
俺は内心驚いていたが、中野にありがとう、と告げると一つ下の階、
一年生のクラスが並ぶその中の一つ、一年三組の教室へと歩を進める。
祥子が俺を置いて帰る何て今までなかった事で、何か裏があるんじゃないかと勘ぐってしまう。
何なのだろうか、この言いようのない不安は。
胸の中に燻って、振り払っても振り払っても現れる。気味が悪い。
だが、考えた所で出口が見つかる訳でもないので、俺はまず目の前にいる少女に頭を下げた。
「椎名ちゃん、さっきはごめん」
「い、いえ。先輩、顔を上げてください。先輩がした事ではないのですから」
「でも、ごめん。俺がもっとしっかりしておけば」
「いいんです。気にしていませんから。お願いです先輩。顔を、上げてください」
「……椎名ちゃん」
「大丈夫ですよ、先輩。本当に、気にしないでください。わたしにも、殴られる理由がありますから」
「で、でも」
「そ、その……ど、どうしてもと言うのでしたら、せ、先輩のメールアドレスを、
お、教えていただけませんか?」
俺はきょとん、とする。すると椎名ちゃんは慌てて手を振る。それはもう凄い勢いで。
「い、いえあの、ご迷惑でしたら、いいんです! す、すいません。さっきのは聞かなかった事に」
「いや、いいよ。そんなのでいいなら、いくらでも」
はい、と俺は自分の携帯の画面に現れたアドレスを見せる。椎名ちゃんは慌ててポケットから
携帯電話を取り出すと、慣れた手つきでアドレスを打ち込んでいく。
しかし、もの凄いスピードだ。何か指が残像を残してるような……いや、それは言い過ぎか。
数十秒後。アドレスと電話番号を携帯に記録させた椎名ちゃんは、満面の笑みを浮かべていた。
よかった。少なくとも、嫌われていないようだ。いきなりあんな事があって、
殴られたって文句は言えない立場だ。
アドレスと電話番号でこんなに喜んでもらえれるなら、安い物だ。
「それじゃ。本当、ごめんね?」
「い、いえ。先輩も、お気をつけて」
手を振る俺に綺麗なお辞儀で返す椎名ちゃん。育ちの違いが顕著に表れるなぁ。
三階建ての一軒家。何の変哲もない我が家に帰ってくる度、俺は何故か安堵の息を漏らしてしまう。
ああ、今日も無事一日が終わった。
家には誰もいなかった。姉ちゃんはまだ仕事だ。俺は姉ちゃんと二人暮しを、
かれこれ七年近くしている。俺の両親は、俺が十歳の時に交通事故で他界した。
最初はただただ毎日が悲しかった。姉ちゃんの優しい手に導かれてこの家にきた時、
俺はやっぱり寂しくて毎日泣いていた。
それでも姉ちゃんは、優しく俺を励ましてくれた。姉ちゃんがいなかったらと思ったらゾッとする。
いつも俺の側で笑ってくれた姉ちゃん。いつか、幸せになって欲しいと願う。
早く、自立した人間になりたい。
姉ちゃんのその優しくて、本当はとても弱々しいその手を借りずに、一人で生きていく。
もう姉ちゃんに、苦労はさせたくないのだ。
「……っと、メールだ」
携帯を見ると、見知らぬアドレスが表示されていた。
未読のメールを開くと、椎名ちゃんからのメールだった。
『葵 椎名です。今日の事は、気になさらないでください。水田先輩の事も、
怒らないであげてください』
なんとも素っ気無いといえば素っ気無いが、そこが椎名ちゃんらしい。
俺は返信メールを送ると、自分の部屋へと入る。相変わらず汚い部屋だ。
カバンを放り投げ、ベットへと飛び込む。何か色々疲れた。眠い。何もしたくねぇー。
睡魔相手に闘う意思を見せず、俺はすぐに意識を手放した。
あたし、水田 祥子は今人生で最高の気分を味わっている。
大声を上げて笑い出したくなる衝動を殺して、急ぎ足で帰路へとつく。
愉快だ。可笑しくて可笑しくて可笑しくて仕方がない。気が付くと口の両端が吊り上がり、
笑い声を上げてしまいそうになる。
ダメだ。まだ人通りの多いこの道で、突然笑い出す女子高生を、住人達は決して暖かい目では
見てくれない。世間体も大事なのだ。
ああ、でも。それでも。この殺意を、憎悪を、早くあの豚どもにぶつけてやりたい。
殺してやらなきゃ。あは。
あたしの中で、毎秒大きく肥大していく殺意。飼い馴らすには、まだ時間が要る。
でも、それはそんなに先の事じゃあない。
待っていろ、雌豚。その醜く卑猥な面を見るに耐えない豚らしい顔に変えてやるから。
あは、あははははッ!
亮君に手を出すからいけないんだよ? あたしに殺される理由を作るから。ふふ、ふふふふっ。
亮君も亮君だよ。そんな臭くて卑しい豚を側に置いておくなんて。
りょ、亮君にもお仕置きが必要だね。へ、えへへ。あ、あ、足の一本……ううん、
両足をあたしの能力でぐちゃぐちゃに砕いてあげる。えへ、あはは。
そしたら、ほ、他の交尾にしか興味のない牝犬達に近づく心配もないもんね。
い、痛いかもしれないけど、亮君がいけないんだからね。
あ、あたしの事無視して、あんな、あんな女に!
ち、畜生ッ! 畜生畜生畜生畜生畜生畜生畜生ァッ!
顔面を砕いて、見るも無残で、この世のもっとも惨めな姿にしてやる!
葵 椎名もッ! 高木 志穂もッ! ううん、全て、亮君に近づくアバズレ全員、
あたしの殺意を喰らわしてやる!
害虫は、殺す! 殺す殺す殺す! 塵屑にして消してやる。
その光景を脳裏に浮かべ、あたしは湧き上がる衝動を抑える事が出来ない。
うふ、うふふ、ふふふは、は、は、はははははぁはは、はぁ、は、あは、あはあああ、
あはああぁははははッ!
りょうくんはあたしのものりょうくんはあたしのものりょうくんはあたしのものりょうくんは
あたしのものりょうくんにふれていいのはあたしだけりょうくんをおかしていいのはあたしだけ
りょうくんを殺していいのはあたしだけあたしだけのりょうくんりょうくんりょうくん!
駆ける足がスピードを増す。力強く地面を蹴り上げる。
早く、早く家でこの能力を試したい。何が出来て、何が出来ないか。早く知りたい。
今はどこにもいないキラは言った。これはあたしの殺意だと。殺意。人を、物を、
全てをぶち殺したいと思う、意志。
その通りなのだと思う。これはあたしの殺意。想いを、力に変える能力。神から与えられた、
唯一無二のあたしの力。
最高だ。あたしは我慢できずに、笑い声を少し漏らす。最高だ最高だ最高だ!
恐れるものなど何も無い!
あの忌々しい清楚な化けの皮を被った葵 椎名も、昔から殺したくて仕様が無かった高木 志穂も!
殺せる! あたしは、息をするより簡単に、あの二人を殺せるのだ!
世界を変えれる……ううん、世界を壊せるのだ。壊して晒して、もう一度作り変えてあげる。
あたしと亮君だけの世界に。
「うふ……えへへへへ」
いよいよもって口から零れだした湧き上がる殺意を止めようともせず、
あたしは帰路を全速力で駆けて行く。 |