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恋と盲目

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第11話B


1

「も〜い〜かい?」
コンクリートに額を押し付けながら、一人の男の子が大きな声でそう呼んだ。
これは夢だ、そして一生忘れてはならない記憶だ。
私は……小学生低学年の私はその子のすぐ後ろで息を殺し身構えていた。
毎年夏休みになると遠い田舎からやって来る従兄弟の男の子。
それは恋と呼ぶにはあまりにも未熟すぎる感情だったが、それでもこの子と一緒に居ると
楽しいと感じていたのは覚えている。
いつまで経っても返事が無い事を知ると、その男の子はゆっくりと振り返り始めた……
その先に何が待っているのかを知らずに。
私は知っている、この先に何が待っているのかを。
何度も思い出した、何度も泣いた、何度も後悔した、何度も苦しんだ。
もしも一生に一度だけタイムワープができるのなら、私は迷わずこの瞬間に来るだろう。
そんな私の思いとは裏腹に、私は静かに腰を落とす。
隠れているとみせかけ、振り向いた瞬間に飛びついて驚かせようという魂胆である。
「……っえ!?」
飛んだ……いや、跳躍した……
全てがスローモーションの様に感じる、この記憶が蘇る時はいつもこうだ。
そして飛びついた……そして男の子はバランスを崩し……
  ゴッ……
鈍い音を感じた、何か硬い物同士がぶつかりあったような音だ。
何の音かはわかっている、男の子の後頭部がコンクリートに強くぶつかった音だ。
見える物は紅、まるで壁に紅い華でも咲いたかのような鮮やかな色彩。
触れる物は腕、一瞬にしてその動きを止め、ただ大地に向かって伸びる腕。
その子の瞳は、ただ虚空を見つめていた。
「きゃあああああああああぁぁぁぁぁっっっ!!!」
私は叫んだ、何もわからずに。
何もわからないからこそ、その恐怖に怯え叫んだ。
私は死という概念を理解してはいなかった。
それでも本能からか直感からか、私はその子が二度と動かなくなると感じていた。

 ジリリリリリリリ……
「う……ん……」
  ……ガチャッ
「タダイマ、6ガツ5ニチ6ジ01フン、デス」
間の抜けた電子音声が聞こえる。
目覚まし時計のボタンを押すたびに聞こえるこの電子音、もう何年聞き続けた事だろう。
吐き気がする……最悪の目覚めだ。
無理もないか、あんな嫌な夢を見たんだ。
最近は段々と見る頻度が減ってきたんだけど……見た後の嫌悪感は何度見ても慣れる事はない。
ふと隣に目をやる、誰も居ない。
いつもなら私が起こすまですやすやと寝息をたてている人物が居るのだが、
今日は掛け布団だけが目に入った。
どこだろう……まだくらくらする頭であの人の姿を求める。
寝室には居ない、居間かな?
ぼやけた視界で襖を探し、開ける。
……居た。
「緑かい?」
私の最愛の人は、ただ虚空を見つめながらソファーに座っていた。
「他に誰が居るのよ」
おぼつかない思考でなんとかそれだけ答える。
「ああ、そうだったね」
そういいながら優しく微笑んだ。
……視線を虚空に向けたまま。
「もしかして、昨日からずっと起きてたの?」
「まあね、気になって寝付けなかったよ」
「呆れた……」
この人は昔からいつもそうだった、宿題だとか約束だとかが残っていると
翌日はたいてい寝不足になる。
気持ちはわかるけど、できれば休める時に休んでほしいとは思う。
「だが、そのかいはあったよ」
そんな思考も一瞬にして途切れる。
「それじゃあ、もしかして……」
昨日の日付、そしてこの人の表情から察するに、私の予感が正しければ……
「ついさっき連絡があったよ。大賞は逃したけどね、審査員特別賞が正式に決まったよ」
あの日からもう15年。
私の最愛の人、私の従兄弟の男の子だった人は、現在小説家をやっている。

2

「………………」
「………………」
救急車に乗って、病院へとやってきた。
呼んだのはお母さん。
幸いな事に私の泣き叫ぶ声を聞いて駆けつけてくれた。
救急車に詰め込まれるまで、誰も何も喋る事はなかった。
病院に着くまで、誰も何も喋る事はなかった。
手術室に運び込まれるまで、誰も何も喋る事はなかった。
赤い手術中のランプが消えるまで、誰も何も喋る事はなかった。
真夜中になるまで、誰も何も喋る事はなかった。
東の空が明るくなるまで、誰も何も喋る事はなかった。
意識が戻るまで、誰も何も喋る事はなかった。
意識が戻ったら、私は大声で泣き叫び始めた。
何度も何度も謝り続けた。
そして男の子が最初に言葉を発したら、今度こそ誰も何も喋る事ができなくなった。

「検査では何の異常も発見できませんでした」
また……あの時の夢か。
妙に冷たい眼で白衣の女を見つめる私を、私は妙に冷めた眼で見つめていた。
オチのわかっているギャグマンガ、トリックを知っている推理小説。
そんな程度では説明がつかない、とにかくそう……冷めた眼だ。
「しかし宮間京司(みまや きょうじ)さんは……」
この先の台詞なら一字一句たりとも忘れた事はないし、忘れるつもりもない。
忘れてはいけないとは思うけど、思い出したくもない。
もう何百回と見続けてきた光景だけど、もう二度と見たくない。
「……失明してしまっています」
私……どちらの私なのかはわからないけれど……私の眼に涙が溜まっていたような気がした。
「治る見込みは……無いんですか?」
お母さんの顔は真っ青になっていた。
断じてこの薄暗い照明のせいじゃない。
異母兄弟とは言え、自分の弟が一生光を感じずに生きねばならない事。
自分のたった一人の娘が一生その罪を感じながら生きねばならない事。
お母さんはその事について予知に近い確信をもっていた。
「正直に言いまして……とても難しいです。二度精密検査をしましたが、
どこにも異常は見当たりませんでした。
精神的なものなのか、それとも検査に引っかからない程に小さな傷が付いているのか……
原因がわからなければ対処のしようがありません」
女医がそう答えた。
ぶん殴ってやりたいと思う……完全な八つ当たりだ。
小学校低学年の私にも、15年経った今の私にもそれはわかっている。
この人は悪くない……悪いのは私だ。

 ジリリリリリリリ……
  ……ガチャッ
「タダイマ、6ガツ6ニチ6ジ00フン、デス」
間の抜けた電子音声が聞こえる。
止めたのは私じゃない、私のすぐ隣から長い腕が伸びていた。
「……緑、起きてるかい?」
吐き気がする……今日も最悪の目覚めだ。
二日連続で嫌な夢を見た、でもそれは珍しい事じゃない。
あの時の夢はいつもいつも何日か連続して見る事が多い。
一度でも見てしまうと、それから何日かは最悪の目覚めをし続ける事になる。
のそ……とした動きで布団が動く。
きっと私を起こさないように気を使ってるんだと思う。
そんなちょっとした気遣いが素直に嬉しい。
手を伸ばす……掴まえた。
「……おはよう、緑」
「……おはよう、京司」
そのそこまでも暖かい微笑を見て、吐き気が収まった。
「起きているのなら返事をしなさい」
「悪かったわ、ちょっと頭が痛かったの」
嘘は言ってない、吐き気は収まったけど頭痛は収まってくれそうもなかった。
「体調が悪いのかい?」
京司が心配そうに眉をしかめる。
本当にやさしい……けど、京司に心配をかける訳にはいかない。
「大丈夫、いつもの事よ」
そう良いながら無理矢理笑顔を作る。
どうせ京司には見えないが、それでも雰囲気は伝わるらしい。
「なら良いけど……今日はどこかの雑誌の記者さんが取材しに来るらしいけど、
無理そうなら断っておくよ」
「大丈夫よ。今ご飯を作るわ」
ふらつく足を畳につけ、立ち上がる。
立ちくらみがした……気力で抑える。
今日は大事な日、この位で休んではいられない。
そして6月6日7時6分。
言い換えれば……6月6日6時66分。
  ……ピーンポ−ン
呼び鈴が鳴った。

3

 ……ピーンポ−ン
呼び鈴が鳴った。
「……来たのかな?」
「私が出るわ」
重い頭を引きずりながら玄関へ行く。
  ガチャッ……
「………………」
「………………」
「「………………」」
  ……ガチャンッ
また近所の子供のイタズラかしら……?
眼鏡を外す。
拭く。
戻す。
  ガチャッ……
「………………」
「………………」
「「………………」」
  ……ガチャンッ
何だったの今のは……?
何故かまた頭が痛くなってきたような気がする。
何故かさっきよりも悲壮感が増していたような気もする。
  ガチャッ……
「………………」
「………………」
「「………………」」
  ……ガチャンッ
驚いた、まさか貞子……いえ、濡れ女子が出てくるとは思いもしなかった。
  ……無視しないでく〜だ〜さ〜い〜……
……とうとう幻聴まで聞こえてきた。
やっぱり京司の言うように少し休んでいた方が良いかもしれない。
記者がいつ来るのかは知らないが、来るまでの間寝ていれば少しは体調も回復するだろう。
うん、それが良い。
そう結論づけると、私は……

1・鍵をかけた。
2・もう一回だけドアを開けてみる事にした。

To be continued.....

 

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