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RedPepper

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1

幼馴染が恋をした。初恋だ。

幼馴染である佐藤花梨とは、家が隣同士で幼稚園の頃からの付き合いだ。
昔はいつも一緒にいた。登下校の時も、遊びに行く時も、おやつを食べる時も。
そんな関係は長く続いた。…でも、今は違う。

何があったというわけじゃない。何となく一緒にいるのが恥ずかしくなって、
それで少し距離を置いたら、どんどん広がっていってしまったのだ。
…今では顔さえあまり合わせなくなった。隣の家に住んでいて、通う学校も同じだというのに。
だから、何年か振りに家を訪ねてきた花梨から、初恋の話を聞いたのはショックではあった。

だが、俺はそれを素直に受け入れることができた。
たぶん、俺と花梨の関係は昔とは違うのだと、薄々分かっていたからだと思う。
俺と花梨は今、別々の道を歩いているのだと。…そして、それは悲しむようなことじゃない。

そう、俺が今すべきこと、それは花梨を応援してやること。
だから、俺は笑顔をつくって口を開く。

「応援するよ、花梨。告白、成功するといいな。

2

私は恋をしました。二度目の恋です。

初めての恋は、そう…幼馴染のかずくんでした。
でも、私は恋をしていたことに、まるで気づいていませんでした。
あんなにいつも一緒にいたのに……いえ、だからこそ気づかなかったのかもしれません。

…三年前のあの夜、私は夢を見ました。かずくんの夢です。
私とかずくんは、一緒にお風呂に入っていました。…昔のように。
お気に入りのアヒルのおもちゃを浮かべて、二人で楽しくはしゃいでいました。
とても幸せな夢でした…でも目が覚めて、涙を流している自分に気づいたとき、私には分かってしまいました。

私の初恋は、もう終わってしまったのだと。

 

今、私は屋上にいます。告白をするためです。
目の前には、今私が思いを寄せている人がいます。
とても緊張します。足も震えていて、逃げ出してしまいたい衝動に駆られます。
でも、応援してくれているかずくん…いえ、和三さんのためにも、そんなわけには行きません。

意を決して口を開きます。彼の目をしっかり見て。

 

「待ちなさい!」

 

………え?

3

恋をしたのは私が先。

あれは一年前の入学式の日。
ぎゅうぎゅう詰めの電車の中で、私の前にいたのがあの人。
周りに押されて密着してしまい、彼は顔を赤らめて「すいません」と呟いた。

でもその時は、学校はともかくまさか学年もクラスも同じだとなんて思わなかった。
その上、席まで隣同士で一緒だったなんて。

そう、あれは運命の出会いだった。そうとしか思えない。

だから、私は一年かけて彼…吉備光との距離を縮めてきた。
かわいらしい顔立。小さめだけど引き締まった体。抜群の運動神経。学年トップの頭脳。
そして、誰にでも優しい性格。
絵に書いたような美少年。理想の彼氏。それが彼。…それが私のミツ君

でも、私は油断してしまった。彼の傍にいることに安心して、事をゆっくり運びすぎた。

 

私は彼に歩み寄る。彼の目の前にいる女を見据えながら。

姑息な泥棒猫! 薄汚い雌犬!! 身の程知らずの雌狐!!!!

雌豚は惚けた顔して突っ立っている。突然すぎて、状況が把握できていないのかしら。

この程度の女では、ミツ君にはふさわしくない。

そう、ふさわしいのは

 

「ミツ君…私、あなたのことが好き」

 

…この私。私だけ。

4

僕は恋をされた。それも二人の女の子から。

花梨さん…彼女は僕と同じ部活、バドミントン部に所属している。
彼女と仲良くなったのは、足を捻った彼女を介抱してからのこと。
一人で廊下でうずくまる彼女に、肩を貸して保健室まで連れて行った。
あれほど機敏な動きができる彼女なのに、その体は猫のように柔らかくて、
ドキリとしたことを覚えている。
それから僕は、彼女を意識するようになった。…そして、それは彼女も同じだった。

…蔓さんとの付き合いは、まるで小説のような始まり方だった。
登校途中の電車の中で、不意の揺れにバランスを崩して、彼女と密着してしまったのだ。
そのとき彼女からふわりと立ち上った香りに、僕はついうっとりしてしまった。
それが失礼なことだと気づいたのは数秒後だった。顔が真っ赤になった。
そんな彼女は僕の隣の席で…親密になるのに、長くはかからなかった。

 

そして、今日の告白。
二人とも、僕に告白したっきり黙っていたけど、どちらも言いたい事をぐっと堪えているようだった。
…実際、堪えていたんだろう。重く険悪な雰囲気が漂っていたのだから。

もちろん、責任は僕にもある。
僕はその場で答えを出さなかった。
答えを引き伸ばしたのは僕だ。

 

………いったい

 

「どうしたらいいんだろう。」

 

僕は、一人呟いた。

5

最近、恋の噂には事欠かない。

恋恋恋。どこもかしこも。そんなに恋っていいものかしら。
もちろん私だって恋に興味が無いわけじゃないわ。
でも男の子と話しててもつまんないんだもの恋する以前の話よ。
あいつらときたら人の話もちゃんと聴いていられないんだから。
恋したくてもできないわあれじゃ。

ま男の子で私の話を聴いてられるのは副編の名波くらいのものね。
あ副編っていうのは副編集長のこと。私がいる新聞部のね。
でも名波は聞き上手のほうだから会話を楽しむのとはちょっと違うのよねー。
結構かっこいいやつなのにもったいない。そこがいいっていう子もいるけどどこがいいのよ。

 

まいいか。今は極上のネタがあるんだもの。恋の話なのがちょっと癪に障るけど。
私はウキウキしながらいつものように新聞部の扉を開けていつものように口を開いた。

 

「ねえねえ聞いた!?ついにあの吉備光が告白されたらしいわよしかも二人に!」

6

何となく、落ち着かない。
花梨から相談を受けて、三日たった。
そろそろ、度胸を決めて告白する頃だろうか。

…帰り際の、花梨の無理したような、どこか陰のある笑顔を思い出す。
あの日、俺は結局「応援する」「自信を持て」としか言うことができなかった。
もっと何か言ってやることができれば…

いや、今さら考えてもしょうがない。今は待つだけだ。

何か動きがあれば、すぐに伝わってくる。何せここは情報の集積地にして発信地、新聞部だ。
まあ俺は単に文を書きたくて入部したのだが…うちに文芸部が無かったことに感謝しないとな。

 

と、扉が勢いよく開き、間髪いれずにいつもの声が聞こえた。
「ねえねえ聞いた!?ついにあの吉備光が告白されたらしいわよしかも二人に!……って
あれ名波だけ?」

来た! 学校一の情報通、四ツ川麻だ。はやる気持ちを抑えて口を開く。

「まあ、会議には時間が早いからな。…で、吉備光が告白されたって?しかも…」

ん?

今、四ツ川はなんていった?

…「しかも二人に」?

二人?

 

二人!?

 

「二人だと!?どういうことだ!!!」
「えっ?ちょ待ってよ名波どうしたのよ!?」

俺は思わず四ツ川に詰め寄ってしまった。

落ち着け、落ち着け。四ツ川を問い詰めてどうする。
額に手を当て、目を閉じ呼吸を落ち着かせる。

四ツ川は機関銃のように喋るやつだが、決して口が軽いわけではない。
味方につけろ。こういう時にこいつ程役に立つやつはいない。

…よし、落ち着いた。四ツ川の目を正面から見つめる。
「すまん、悪かった。続きを聞かせてくれないか?」
「え〜どーしよっかな〜。なんか急に惜しくなちゃったな〜久々の特ダネだしな〜」
どうしよっかな〜と言いながら、四ツ川は思わせぶりなポーズをとった。
流石だな。俺から何か引き出せると踏んだか。
…ってあれじゃ分かるよな、普通。

「告白したうちの一人は佐藤花梨、だろ?」
「あら副編にしては耳が早いわね珍しい」
「…俺の幼馴染だからな。」
「えっうそマジ!あの佐藤花梨と全然気付かなかったっていうかホント!」

 

「なぁ〜〜るほど!長年の思いを秘めた幼馴染としては恋敵の吉備光が気になるわけね?」
「まて、俺は花梨を応援してやりたいんだと確かに言ったはずだが。」
「まっかせなさい!この私が我が校彼氏にしたいランキングダントツ一位
吉備光の泣き所を必ずゲットして見せるわ!」
「いや、俺が知りたいのはどちらかと言えば花梨のライバルについての情報なんだが。」
「いや〜女っ気ゼロで評判の名波和三副編集長がこんなに嫉妬心に燃えるなんて
あ〜もぅ今から楽しみ!」
「…わざとだろお前。」
四ツ川は眼鏡をクイクイさせて上機嫌のようだ。よし、これらなら情報を引き出せるだろう。

 

…四ツ川によれば、昨日の放課後、花梨が吉備光を学校の屋上に呼び出したらしい。
だが、そこにもう一人…氷室蔓が現れて、花梨より先に告白してしまったという。
続いて花梨も告白したが、二人の告白を受けた吉備光は、なんと返事を保留にしたらしい。

なんとも判断に困る話だ。

氷室蔓は美術部のマドンナとして有名な女の子で、彼女目当ての男子のおかげで
美術部は廃部を免れたという話だ。
おまけに四ツ川によれば、入学当初から吉備光とは登下校と昼食を共にする、
親密な仲だったという。
つまり、強敵だ。
そんな相手に告白の返事を保留させたのだから、花梨にもチャンスはあると考えたいのだが…

「全く吉備光ってヘタレてるわよね〜男ならビシッとその場で答えを出せばいいのにそう思わない?」

そう、それだ。吉備光がヘタレだった場合が問題だ。

その場合、おそらくズルズルと三角関係を続けた後、
吉備光は最終的に氷室蔓に転ぶことになるだろう。
一年間も一緒に居たという関係は、相当強いもののはずだからだ。
…そう、異性を意識しない、幼馴染との関係とは違って。

とにかく、吉備光が花梨の事をどう思っているかが問題だ。
花梨の方も、吉備光と同じバドミントン部で"妖精"として有名な女の子だ。
ファンも多いと聞いている。
気になるのは、花梨の告白はバドミントン部の誰にとっても意外なことであった、という点だ。
つまり花梨と吉備光には、少なくとも目に見えるような接点が無かったことになる。
…まずい。花梨は圧倒的に分が悪い。よほど積極的にアピールしない限りは無理だろう。
何で俺はあの時もっと花梨から詳しく聞いておかなかったんだ。聞いておけば…

いや、これは花梨の選んだことだ。俺が口を出すことじゃない。
だが、黙って見ているわけにもいかない。花梨に何かしてやりたい。

…そうだ、まだ聞いてないことがある。
「今日は何か動きがあったのか?」
すると、四ツ川は待ってましたと言わんばかりにピクピクと鼻をうごめかせた。
「聞きたい?聞きたい?それはね」

と、ガチャリと音がして扉が開き、部員の一人が入ってきた。

「あもうこんな時間あのさ〜私と名波はちょっと取材に行ってくるから編集長に言っといて」
四ツ川は俺を手招きして外へスタスタ歩いていった。俺もあわてて後を追う。
「会議やってたらあの三人の下校に間に合わなくなっちゃうかもしれないからね〜」
四ツ川は早足で歩きながら、嬉しそうに三人の今日の動きについて口を開いた。

7

家を出る前に、もう一度だけ顔を鏡に映す。

自慢の長い髪は、丁寧に梳かして滑らか艶やか。
お化粧は薄く柔らかく、清楚な感じを心がけた。
制服は清潔、胸元のリボンのズレに気づいて整える。

よし、完璧。

そわそわして、靴を履くのがもどかしい。会いたい。早く、ミツ君に。
もやもやを晴らすように扉を開けて、私は玄関から駆け出した。

 

駅前に着くと、いつものようにミツ君を待つ。時計ばかりに目が移る。
落ち着いて。ミツ君の来る時間は分かってる。もう一分も経たないうちに現れる………ほら。
「蔓さん、…おはよう。」
「おはよう、ミツ君。」

いつも通りの挨拶。でも、ミツ君の声には戸惑いが混じってる。
本当なら、そんなもの欠片も無いはずなのに。

…あの女のせいだわ

あの女が告白なんかするから
あの女がミツ君の心を掻き乱したから
あの女が私とミツ君の仲を引き裂こうとしたから

私が先にミツ君に出会ったのに。私が先にミツ君に恋をしたのに。私が先にミツ君を愛したのに!

「…蔓さん?」
っ、いけない!
このままじゃ、この気持ちをミツ君に気取られてしまう、それだけはダメ!
ここは攻めに転じて誤魔化さないと!
「…なんだか、ミツ君元気無いみたい」
「!えっ、そ、そんなこと、無いよ」
「ミツ君が元気ないと、なんだか私まで元気がなくなっちゃう…」
「大丈夫だよ、ほら。いつも通りだよ」
「…いつもの、通りなの…?」
「ぅ…いや…」
…ほっ、何とか誤魔化せたみたい。
でも…ふふ、ミツ君たらすっかり慌てちゃって。

 

…そう、それでいいの。ミツ君、私のことだけを考えて。

ぎゅうぎゅう詰めの電車の中なのに、今日はとても快適な空間に思える。
いつもは圧迫されて窮屈なだけなのに、たった二人で寄り添っているみたいな感じ。
私と接触する度に、頬を赤らめて必死に視線を外すミツ君が可愛くて可愛くて仕方無い。
…そう、私たちが初めて出会ったときみたいに。

改札口を出て、やっと人ごみから抜け出せた。
でも、ミツ君と離れてしまうのは残念。

…少しだけ大胆になってもいいよね。

すぐ横に、ミツ君の右手がある。男の子なのに、白くて、可愛い手。
そっと、自然に、手と手を絡め
「おはようございます、吉備さん。」
!!!ッ

 

「ぁっ…おはよう、佐藤さん…。」
ハッとして、ミツ君の視線の先を見る…あいつ…アノ女!

ナゼオマエガココニイル!

「…どうしたの、…わざわざ駅前に…」
「ええ、吉備さんの顔を早く見たいと思いまして。」
何をいけしゃあしゃあと!ミツ君を誑かしに来たんでしょ!この泥棒猫!

「ぇっ?…だって、いつも、朝練で顔をあわせるのに…」
「それはそうですけれど…でも、もっと一緒に居たくて…。」
何恥ずかしそうにしてるのよ!計算ずくのくせに!この腹黒女!

「それとも…迷惑でした…?」
「…そうじゃなくて…ちょっと、びっくりしただけ、かな…。」
迷惑よ迷惑に決まってるじゃないそんな顔したってミツ君は
あなたの事をお見通しさっさと消えてほしいと思っ

ミツ君 なんで迷惑だって言ってあげないの
ミツ君 なんで私とミツ君の時間を邪魔されて怒らないの
ミツ君 なんでその女の存在を受け入れるの
ミツ君 なんで なんで ミツ君 なんで なんで なんでナンデなんでナンデナノ!

ミ ツ ク ン ! ! ! !

 

「あら…どうされたんですか?お具合が悪そうですけれど」

クッ…!コノ女!!

慌てて顔を俯き加減にそむけた。
だめよダメダメこんな顔見られたらミツ君に嫌われちゃうそれだけは!
「なんでもない…なんでもないの、ミツ君。」
…なんとか顔は落ちつかせた。多少ぎこちないかもしれないけど。
「…本当に大丈夫?具合悪かったりしない?」
「大丈夫。本当になんでもないから…」
ミツ君に笑顔を向けると、その横からあの女の顔が見えた。
…笑ってる、こっちを見て、私を嘲ってる!

ヤッパリワザトカコノオンナ!

耐えるの!耐えるのよ蔓!!ここで耐えなきゃアイツの思う壺じゃない!!!
笑顔を必死に貼りつけて、何とか声を絞り出す。
「…ほら…早く行かないと…朝練に間に合わなくなっちゃうよ…」

 

それからは平常心を保つのに必死で、ミツ君とはほとんど話せなくて返事するのが精一杯。
挙句の果てに、ミツ君とあの女が一緒に朝連に出かけるのを見送る羽目になった。
許せない。あの女、私とミツ君を引き離しにかかってる。

…掌がズキズキする。爪が食い込んで、血が出ていた………あはは。

8

朝は不覚を取ったけど、もう負けない。

登校から朝錬までの時間をあの女に渡したのは…口惜しいけど、それ位は与えてあげる。
せいぜい良い夢を見ておけばいいわ。もう私は油断しないから。

認めてあげる。あなたが私を出し抜いたってこと…そして、私のライバルに足る女だってこと。

佐藤花梨…覚悟しなさい。これからは、本気でいかせてもらうから!

 

お昼休み。食堂も購買も無いこの学校では、みんなお弁当を持ってくる。
当然、私も持ってきてる。私とミツ君、合わせて二人分を。もちろんお揃い。
ミツ君とお揃いのお弁当を一緒に食べる…そんな妄想を今朝はしていたけど、
今の私はそんなに甘くない。

必ず、あの泥棒猫が現れるはず。でも、あの女は私達とは別のクラス…先手を打たせてもらうから。
いつものように、ミツ君と机と机をくっつけながら扉の様子を伺う…まだこない。今のうちに!

「ミツ君…実は、ミツ君のためにお弁当を作ってきたの…食べて、もらえるかな…?」
少し目を伏せて、控えめにお弁当を差し出して、上目遣いにミツ君を見つめて、
可愛い女の子を演出する。
どう、ミツ君。ぐっとくるでしょ?

…でも
「うん、ありがとう…うれしいよ。」
ミツ君の歯切れが悪い…まさか

「吉備さん、約束どおり一緒にお弁当食べましょう」
後ろから、泥棒猫の声が聞こえた。…先手を打たれたのは私の方だった。

 

泥棒猫は、空いてる席から堂々と椅子を持ってきて、ミツ君の隣に座った。
そして、いつものことのような手つきで、ミツ君の前に弁当箱を置いて、包みを広げてふたを取った。
…和風のお弁当。煮物、魚の照り焼き、きんぴらごぼう、玉子焼き、おひたし、そして俵型のおにぎり。
見た目はぱっとしないけど、彩りは悪くないし、家庭的な温かみも感じる…口惜しいけど。

私も負けじと、自分の作ったお弁当を広げる。
私のお弁当は洋風。エビフライ、煮込みハンバーグ、マッシュポテトのサラダ、
卵とハム&レタスのサンドイッチ。
…ちょっと品目が少ないかも。それに、なんだかまとまりが無いような気が…
今朝は完璧だと思ったのに。

ううん、大丈夫。味には自信がある。この日を夢見てずっと腕を磨いてきたんだから。

 

ミツ君は、二つのお弁当を差し出されて、困った顔をしてる。
泥棒猫と約束してたみたいだけど…ミツ君、いったいどっちを食べるの?

 

「ミツ君、ハンバーグ大好きだったよね?」
どちらか決めかねているミツ君を後押しする。…やった!箸がこっちのほうに動いてくれた!
「吉備君…お弁当を食べてくれる約束、私のほうが先だったのに…」
ああっ、だめだよミツ君、泥棒猫の言葉なんかで動きを止めたら!
「ミツ君はおいしいものは先に食べるタイプだったよね?」
「おいしさなら私の玉子焼きも負けません。私、いつも作ってますから。」
…くっ、邪魔しないでくれる!これじゃ、ミツ君がいつまで経っても食べられないじゃない!

「えっ、えっと…そうだね、佐藤さんと先に約束してたし…じゃあ…」
!?
「ミツ君!」
箸が玉子焼きに届く前にミツ君を止める。すかさず玉子焼きを自分の箸で奪って…

 

「ミツ君、あ〜ん」

 

「…えっ?」
「あ〜ん」
「………」
「あ〜ん」
「………………………」
「あ〜ん」
「……………………………………」

 

「(ぱくっ)」

 

…勝った。

ちらりと横目で泥棒猫を見る。あはっ、固まってる固まってる片頬引きつらせながら固まってる!
どぉうれしいでしょだってあなたの玉子焼きを先に食べてくれたんだもん
うれしいに決まってるわよね!

アハハッ!

「き、きき吉備君!きんぴらごぼうもおいしいよ!」
うふふ、やっと持ち直したみたいね…でも普通にやったってダメよ。
「ぅぅ…ぃや、でもあの…恥ずかしいし…」
ほぉらやっぱり。ミツ君は恥ずかしがり屋さんなんだから、さっきみたいな状況でなきゃ
食べてくれないわよ。

 

「ミツ君。次は私のハンバーグ食べて頂戴。」

 

…今は放課後、部活動の時間。私はいつものように、美術室で絵を描いている。

…でも、気が散って、ぜんぜん進まない。

「何でミツ君はバドミントン部なの…」
なんだかモヤモヤして、思わず呟いてしまった。
どうせスポーツ万能なんだから、文化系の部活のほうがいいと思うのに。
美術の授業でデッサン見せてもらったけどうまかったし、ミツ君らしいやさしい色使いをするし。
絶対ミツ君には美術部が似合う。それに、美術部だったら、泥棒猫の付け込む余地なんか…

いけない、こんな気持ちじゃ今日は…ううん、あの泥棒猫がいる限りはずっと進みそうに無い。
展覧会までまだ猶予はあるけど、それまでに解決するかどうか…

あ〜もう!今日はやめ!また明日!

 

体育館に向かって走る。もちろん部活をしてるミツ君を見るため。
扉をそっと開けて、中に入ってミツ君を探す…いた。
いつ見てもかっこいい。運動しか取得の無いような男とは違う、敏捷で、無駄が無くて、知的な動き。

そして普段はめったに見せない、真剣な顔。

…やっぱりミツ君にはバドミントンが似合う。確かに美術部も似合うと思うけど。

そういえば、泥棒猫もバドミントン部だっけ。
まあどうせ同じ部活のよしみでミツ君に近づいたんでしょうけど…汚い女。
ええっと、どこかしら…あ、いたいた

 

………………ぁっ

 

やだ…見とれちゃってた………口惜しいけど、キレイ…

どちらかといえば、キビキビした印象のミツ君とは違って、優雅で流れるような動き…
まるでバレリーナ…踊っているよう…

そう、妖精が。

 

私…この女に………勝つ、の…?

9

花梨はよくやっている。そう思う。

花梨達の情報収集と尾行を始めてもう三日になる。しかし、思ったほどの進展は無い。
二人とも、自分を吉備光にアピールしながら相手を牽制している状態で、
まあ一進一退といったところだ。

だが、それで十分だ。花梨にはハンデがあったが、それを撥ね退けて対等の立場に立っているのだから。
これからも積極的に動き続ける限り、勝算はあるように思える。
それに、二人とも正々堂々と勝負をしているように見える。
これなら、例え花梨が振られたとしても、諦めがつくだろう。
もちろん、振られたら落ち込むだろうが…その時は慰めてやればいい。

今、俺にできる事は無い。…いや、俺はすべきじゃない。そう思う。

 

…駅前に着いた。いつも通り花梨は家に向かい、吉備光と氷室蔓は電車に乗る。
尾行もここで終わりだ。
「はぁー今日も特に進展なかったわねもう面白くない」
「面白くないって、全く人事だと思って気楽だな」
「そうよねー名波にとっては愛しい花梨ちゃんのことだもんね気になるよね〜」
「だから違うと言ってるだろうが…」
と、四ツ川が口を開いた。最初の尾行の時は、ひそひそ声がやかましく感じる程
喋りまくっていたのだが、
三日目となると流石に飽きてきたようで、今日の尾行で口を開いたのはこれが最初だ。
…いや、三日目だというのにすでに飽きてきた、の方が正しいかもな。こいつの場合。

でも、四ツ川がいるのは心強い。積極的に情報を集めてくれているし、尾行にも付いてきてくれている。
もっとも、面白半分で付いてきているのだろうが…それでも感謝している。

ふと、店の看板が目に入った。…そうだな、感謝しているし、な。
「四ツ川」
「なに名波?」
「お前、アイス好きか?」

 

「え〜とじゃあ私マンゴーとパパイヤとパイナップルと」
「…待てそんなに食うのかおまえ」
「なによおごってくれるって言ったじゃない」
「いやそうじゃなくて胃袋に入るのか?」
「あら知らないの名波女の子は甘いものは別腹なのよ」

かるくアイスでもおごろうと、サーティーンアイスクリームに入った所まではよかったのだが…
四ツ川が五つも頼んだ上に「私コーン嫌いなの」とカップで注文したため、店内で食べる事になった。
しかも店が結構混んでいたせいで二人用の席…そう、窓際のカップルが向かい合うような
席に座るハメになった。

…なんか恥ずかしい。

 

「…でさ、俺は花梨はよくやってて心配要らないと思うんだ。」
「………………」
「それに、…なんだか花梨の味方をするのは、かえってよく無いような気がしてさ…」
「………………」
「聞いて…ないな。全然。」
「………………」

四ツ川はアイスを食べるのに夢中で、俺が話しかけていることにも気づいていないようだ。
こいつはご飯粒を飛ばしながら食事をするタイプだと思ってたんだがな。かなり意外だ。

…意外といえば、こいつの見た目もそうだ。割と美人系の顔立ちに、
髪をきっちり肩の上までに切り揃え、
黒縁眼鏡をかけて、化粧ッ気も無い。静かにしてさえいれば、委員長、級長といった言葉が似合う。
そんなやつが表情をくるくる変えながら喋りまくるのだから…世の中は面白い。

…うわ、溶けかけたアイスをミックスし始めた。しかも五種類均一に。計算して食ってたのか。
つうかうまいのかそれ。うん、まあうまいかもしれないが、普通やらないよな。花梨だったらきっと

 

きっと、花梨だったら、どうするんだろう

 

昔はいつも一緒におやつを食べた。アイスだって数え切れないほど食べた…はずだ。
でも、思い出せない。アイスだけじゃなく、ケーキも、ポテチも、どんなものも

花梨がおやつを食べている姿が、思い出せない。

…そもそも、俺は見ていたのだろうか?
今の四ツ川のように、目の前の相手の事など気にしていなかったのではないか?
それは、単にお互いの距離が近すぎたせいなのか?それとも…

「名波」
「………………」
「名波?」
「………………」
「名波ってば!」
「………………ああ悪い、聞いてなかった。」
四ツ川はもう食べ終わっていた。どうやら結構な時間考え込んでいたらしい。
「もう呼ばれたら即座に反応するものよ名波らしいけど」
「…お前がそれを言うのか?」
「どういうこと?それはそうとアイス食べないの?」
「まだ食う気なのかおまえ…」

…とりあえず、自分のアイスを片付けよう。

 

「…でさ、俺は花梨はよくやってて心配要らないと思うんだ。」
「なに言ってるのよ名波あなたの花梨ちゃんへの思いはそんなものなの!?」
「いやだから何度違うといったら分かるんだそうじゃなく」
「男なら一度決めたことはやり通しなさいよ花梨ちゃんを盗られても良いの!?」
「…お前もしかしてホントに勘違いしてるのか?花梨を盗られた方がいいんだ!
ていうか花梨は俺のものじゃない!」

…アイスを食べ終わって、もう尾行しなくても良いんじゃないかと切り出したらこれだ。
まあ、こいつと話す時はいつもこうだから、さほど気にはならないが。

「もう名波ったらこの私の親心がぜんっぜん分かってないんだから」
「…親心って何だ?」
「あのね花梨ちゃんたちを尾行するのにはもう一つ別の目的があるのよ」
「別の目的?」
「そう!名波に取材力を付けさせるための訓練も兼ねてるのよこの尾行には!」
ビシィーッ、と効果音が付きそうな勢いで四ツ川に指を指された。
…なんか話の雲行きが怪しくなってきたな。
「…取材力?」
「そう!だって名波は表新聞の仕事しかしてないでしょ裏新聞も経験しなきゃ」

…表新聞とは新聞部が毎月発行する新聞のことで、詳しい内容は割愛するが要するに
普通の学内向け新聞のことだ。
表があるなら裏も存在するわけで、これは外部に漏れたら即座に廃部になるという代物。
つまりはゴシップ新聞だ。
そして、我が校の新聞部員の意識としては裏新聞こそがメイン。つまり俺は部内でも異端の部員なのだ。

「…副編の仕事は表新聞だからな」
「名波は入部してからずっと裏新聞作って無いでしょ!手伝ってあげるから一回くらいやりなさいよ」
「まあそれはそうだが…」
「気になる花梨ちゃんのことが分かって新聞部員として成長できる!
こんなチャンスをみすみす逃がすの名波?」

 

結局、四ツ川に丸め込まれて尾行は継続する事になった。
その上、土日も花梨を監視するはめになるとは。
…今更しょうがないか。前向きに考えよう、前向きに。

10

今日の帰り道は、吉備さんと二人っきりでした。…いっぱいお話しちゃいました。うふふ。

 

それにしても、蔓さんはどこへ行ったんでしょうか?図々しくも休日の練習にまで
吉備さんに付いて来たくせに、
途中で彼に断りもなく帰ってしまうなんて…彼に迷惑をかけに来ただけとしか思えません。

もしかして、彼を心配させるつもりなんでしょうか…子供っぽい手です。
本人は清楚で大人っぽい女の子を演じているつもりなんでしょうけど、
ボロが出てしまったみたいですね。

もっともあの人の場合、今に始まったことではありませんけど。
私が告白する時に強引に割り込んできた事とか、駅前で私の姿を見ただけで不機嫌になった事とか。
お弁当の件だって、私が慌てずに冷静に対処すれば…いえ、客観的に見ればマイナス材料です。
間違いありません。
吉備さんはまだ気づいていないようですけど、時間の問題でしょう。

私は吉備さんとの距離を縮めれば良いだけ。一時はどうなるかと思いましたが、
だんだん勝機が見えてきました。

 

一日中練習した後なのに、なんだか足が軽いです。そう、荷物さえなければスキップしたいくらいに。

「嬉しそうだね、花梨。」

やっぱり見て分かります?分かっちゃいますよね…って今の声は!?
あわてて振り向くと

かずく、いえ、和三さんが立っていました。

 

「あ、かずくん…かずくんも、今帰るところ?」
「まあ…帰るといえば帰る、かな。」
偶然ってあるんですね。確かに家は隣同士ですけど、帰りが一緒になったのは小学校の時以来です。
それにしても…こんなひねくれた答えをするなんて。…やっぱり、昔とは違うんでしょうか。
「帰るといえば帰るって…ほかに何かあるの?」
「そうか…姿、見えてなかったんだ。確かに、ずいぶんうれしそうだったしね。」
何の事でしょうか?話が見えませんけど…

「いや、花梨と話をしようと思って、駅前で吉備と話し込んでいる間ずっとここで待ってたんだ。」

えっ…

「というより、部活の練習中からずっと見てた。蔓さんも見に来てたよね?」

ええっ!

「もっと言うと、花梨が吉備に告白してから毎日尾行してたんだけど…気づいてなかった?」

ええええーーーっ!!!

 

「…それで、今日一日無駄にして、こんなストーカーまがいのことしてても役に立たないと
思い直して… 直接話そうと思って待ってたんだ。」
和三さんは、これまでの経緯を話してくれました。…何と言えばいいのか、ここまでくると
「犯罪、だよね。」
「………だよね…」
全く何を考えているんでしょうか。
私をネタにするなんて、これだから新聞部の人間は油断なりません。
「四ツ川さん…許さない」
「………………」
「………………」
「………俺は?」
「かずくんも同罪だよ。」
「………………」
「なんで私のことを話しちゃうの?」
「………………」
「そんなことしない人だと思ってたのに」
「………ごめん」
「………………」
「………………」
「………もう。」

…やっぱり、和三さんは変わってません。正直に隠さず話してしまう所とか、
言い訳をほとんどしない所とか。
…私も変わってません。かずくんは反省してるんだから許してあげよう、そう思ってしまう所が。

甘いのかな、私。
ふう、と溜息をついて。

「いいよ。悪気は無かったんだから、許してあげる。それで、何が聞きたかったの?」

「………………」
「どうしたの、聞きたい事があるから待ってたんでしょ?」
「ん…吉備とうまくいってるかどうか聞きたかったんだけど…うまくいってるみたいだね。」
「うん、大丈夫。蔓さんは手強いけど、うまくいってるよ。」
「そうか…悩んでないんなら、大丈夫かな。」
「………………」
「…帰ろうか」

 

和三さんと一緒に帰るのは、何年ぶりでしょうか。
あの頃は、毎日他愛も無いことで大騒ぎしながら帰っていました。
そう、いったい何が楽しかったのか今では分からないくらいのことで。
今は、二人とも無言で歩いています。
昔と違って、二人ともそんな歳ではありませんから、静かなものです。
…単に会話が無いだけ、とも言えますけど。

でも…
悪くは、無いです。

 

結局、家に着くまで一言も喋りませんでした。
別れ際の挨拶も「それじゃあ」程度。

でも、それだけで十分。私を心配してくれてる事、気を使ってくれている事は…
よく分かりましたから。

 

ありがとう、かずくん。

To be continued....

 

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