INDEX > SS > 甘獄と青

甘獄と青

第1回 第2回 第3回 第4回 第5回 第6回 第7回 第8回 第9回 第10回
第11回 第12回 第13回 第14回 第15回 第16回 第17回 第18回 第19回 第20回
第21回 第22回 第23回 第24回 第25回 第26回 第27回 第28回 第29回 第30回
第31回 第32回 第33回 第34回 第35回 第36回 第37回 第38回 第39回 第40回
第41回 第42回 第43回 第44回 第45回 第46回 第47回 第48回 外伝


プロローグ

「おはようございます、青様」
  最近の朝の日課であるストレッチをしていると、ナナミが入ってきた。基本的に無表情なナナミは、
  しかし眉を寄せる。理詰めで動く彼女は無駄が嫌いで、僕のこの行動が非常に気に入らないらしい。
「おはよう」
「いつまで続けるつもりですか?」
「飽きるまでかな?」
「二年間も続けて、まだ飽きないのですか?」
  もうそんなになるのか、長い間生きていると時間の感覚が希薄になってくる。
  最近始めたばかりだと思っていたけれど、思いの外長く続けていたらしい。
  これは昔にハマったジグソーパズル以来じゃないだろうか。
「そんなになるんだねぇ」
  思わず感嘆の声が漏れた。
「二年前の誕生日に開始したので、間違いありません。それと、今日は873歳の誕生日です。
  おめでとうございます」
  時間が経つのは早い、僕がここに入ったのは18のときだからかれこれ855年も経つことになる。
  変化の確率を抜かれたから時間なんて関係無いけれど、それでも毎年感慨深く思ってしまうのが
  人情というものだろう。
「今日は誕生日の宴会をするので準備中は、主役は外に出かけて下さい」
「手伝うよ?」

「手伝うよ?」
「オブラートを取って話しますと、邪魔です」
  このやろ…。
  メイドロボのくせに、こちらを敬う気が欠片も見られない。だからこそ屋敷を出るときに
  こいつを選んだけれど、たまに後悔をする。
「早く行きなさい」
  しまいには命令系かよ、泣きたくなるけど我慢する。男、それもいい年をした人間が泣いては
  いけないのが昔からのお約束。
  そう考えてから、不真面目な思考をする自分が嫌になった。
  何で、よりにもよってこんな未熟な時に確率を抜かれてしまったんだろう、せめてもう少しまともなら
  良かったのに。監獄に入った理由も自分の青さが原因で、過去の自分に呪いの言葉を投げ付けたくなる。
  そう、ここは監獄であり僕は只の大罪人。
  刑罰は『変化確率』を抜いての無期懲役。だから年も変わらないし、精神が変化することもない。
  だからこそ、辛い。SSランクの罪人としては文句も言えないけれど、
「きついんだよなぁ」
「うだうだ喋ってないで、早く行きなさい」
  僕はメイドである筈のナナミに急かされて、渋々部屋を出た。
「おにーさん、おはよ」
  軽い衝撃。
  抱きついてくるのはお隣さんのリサちゃん、こちらもSSランクの大罪人。
  罪は3000人の大虐殺らしいけれど、本当のところは分からない。彼女はまだ十歳の少女で、
  初めて会ったときにはまず自分の正気を疑ったものだ。
  それに、
「お誕生日おめでとう、あたしも準備を手伝うね」
  とても良い娘なのだ。

 この罪人都市ではそんな人が多い。罪を犯したけれども、悪人ではない人の方が圧倒的に多いのだ。
  だから、都市の名前も悪人ではなく罪人なんだろう。
「リサ様、おはようございます」
  僕がリサの頭を撫でていると、ナナミが出てきた。
「あ、ナナミちゃんおはよ。あのね、あたしも…」
「邪魔です」
  最近入ってきたばかりな上、まだ十歳のリサには少し辛かったらしい。それはそうだろう、
  心が17歳の僕でさえ最初は何度も分解をしようと思ったくらいだ。物心はついているとはいえ、
  精神が未熟な幼女には大分堪えるだろう。
  そしてもう一つ。
  思うのはリサちゃんの辛さだ。こんなに弱いのに、弱いままで僕と同じ刑を受けているという
  現実に心が痛くなる。いつまでも強くなれないままで過ごさなければいけないのは、酷く残酷なこと。
  せめてもの救いは、それすらも分からないということだけだ。
  守らなければ。
  そう思わせる無邪気さが、リサちゃんにある。

「おにーさんとデートしようか」
「うん、する」
  泣き顔を笑みに変えると、小さな手で僕の指を握ってくる。
「行ってらっしゃいませ」
  自分から追い出したくせに、とは言わない。
  綺麗な声に二人で手を振りながら、リサちゃんと街に出た。

Take1

 歩き疲れたと言うリサちゃんを肩車しながら歩く。それは疲れるだろう、僕の身長は
  約2mなのに対してリサちゃんは約1mしかない。第二惑星と第四惑星の人間ではそれなりに身長差が
  あるのに、僕らは男と女、年齢的にも大人と子供と同じようなものなので恐ろしい程に
  差が開いている。ゆっくり歩いたとはいえ、歩幅の違いや過剰なスキンシップは疲れるだろう。
「どこに行くの?」
  リサちゃんが頭を軽く叩きながら訊いてくる。
「どうしようか?」
  今日は何か予定がある訳でもないし、夕刻までに帰ることの出来る範囲ではイベントもない。
  ただ追い出されるようにして部屋を出てきた訳だから、目的もありゃしない。ただ時間を潰すのは
  僕の専売特許だけれども、リサちゃんは暇で仕方がないだろうと思うので自主的に却下。
「どこに行くか、まず考えようか」
「うん、じゃあいつものとこ」
  リクエストがあったので、取り敢えずいつもの喫茶店に向かう。あの喫茶店は僕らが心からくつろげる
  数少ない場所の一つで、普段から肩身の狭い思いをしている人からすれば非常にありがたい。
  たわいのないお喋りをしながら歩いていると、目的の喫茶店『極楽日記』が見えてきた。
  いつもながらほぼ満席で、不況知らずらしい。僕はむずがるリサちゃんを降ろすと、
  手を繋いで中へと入る。本当は肩車をしたままが良いらしいけれど、かなり中腰にならなければ
  いけないので僕から出した妥協案だ。他の第二惑星の囚人も来るので、店の入口は結構高い。
  それでも中腰にならなければ入れない程度の高さなので、良い年をした男が
  腰を曲げて入ることになる。手を繋いで入るのも大して変わらないような気もするけれど、
  それは個人の価値観だ。

「お邪魔するぜい」
  勢い良くドアを開くと、先日一緒に見た西部劇のように入る。リサちゃんはこれが大層
  気に入ったらしく、最近はどこでもやっている。少し失礼だと注意しなければいけないと
  思うけれども、可愛らしく微笑ましいこれを見る度にどうにもならなくなる。それに、
  この程度の自由を奪ってつまらない監獄生活を送らせるのはかわいそうだと思う気持ちも。
  ある意味自分勝手な考えをしていたから反応が遅れたが、店の雰囲気がどこかおかしいことに
  気が付いた。いつもは皆のアイドルであるリサちゃんが来ると返事が返ってくるのだが、
  それがない。それどころか喧騒すらも静まりかえり、客が多いのにBGMしか聞こえないという
  不思議なことになっていた。この光景に、リサちゃんと見た西部劇の一場面を思い出す。
  まさか、皆もそれを見ていて真似をした、ということはないだろう。
  僕がマスターを見ると、何故か強張った表情をしていた。
  どこかがおかしい。
  この店が落ち着ける一番の理由は、色眼鏡の無いことだ。それは人間なんだから、
  誰でも恐怖心は持っているし否定もしない。だけれども、そうされると居心地が悪くなるし、
  だからこそリサちゃんをよくここに連れてくるのだ。SSランクでも気軽に話を出来る場所だからこそ
  来るのに、これはどうしたことだろう。
  リサちゃんも不思議らしく、首を傾げている。

「ようようよう、残りの悪党のご到着だ」
「こら、黙れティニー。すまんね、青君、リサちゃん」
  この店の名前の由来でもある極楽鳥型ペットロボットを叱ると、マスターは苦笑いを向けてきた。
  けれども気にはならないし、寧ろ静寂を破り、その理由も教えてくれた程なので感謝をしたいくらいだ。
  僕はマスターとティニーに笑顔を向けると、
「気にしないで下さい。それよりも、誰か来てるんですか?」
「言わずと知れた大悪党だよ、たまげたぜ」
「大悪党?」
  心辺りがない僕は店内を見回してみた。知り合いといえば常連の皆だけで、他に居るのは
  面識のない人ばかり。もしかしたら改築のためにSSランクの棟に住んでいたDランクの人が
  遊びに来たのかと思ったのだけれども、どうやら戻ってきてはいないらしい。
  不意に、奥の席に座っている美人が手を振ってきた。タートルネックのセーターを着ているので
  ランクは分からないけれど、知り合いではないことは分かる。こんな美女ならば一度会えば
  忘れないと思うけれども、どうにも記憶にない。
  黙って彼女を指差してマスターを見ると、軽く頷き返してきた。
「おにーさん、早く座ろうよぅ」
「ごめんね、じゃああっちに」
  僕の手を掴んで揺らすリサちゃんの頭を軽く撫でながら、彼女の元へと歩く。
  僕を指名してきたということは、それなりに僕を知っているということだろうけれども、
  だからこそ納得がいかない。SSランクの囚人と自分から関わろうとする物好きな人間は、
  それ程多くはない。

「こんにちは、お兄さん。何て呼べば良いかしら?」
  名前を知らないということは、物珍しさで寄ってきた人か。それとも、虎の意でも
  借りに来たのだろうか。どちらにせよ嬉しいことじゃないし、少し警戒をする。僕は普段は
  首が隠れるような服を着ないので誰が見てもランクが分かるが、今日はそれを少し後悔した。
  僕は不機嫌な表情を作ると、
「名前は無いよ。ここに入る前から、皆に好きに呼ばせてる。おすすめは、青かブルー」
「あぁ、瞳の色ね。とても綺麗」
「それよりも、まず自分から名乗ったらどう?」
  彼女は笑みを浮かべると、
「これを見たら分かるかしら?」
  セーターの襟を掴んで、下にずらす。そこに見えるのは、黒い色をした首輪。色は僕と同じだが
  数は僕より一つ多い。それが示すのはSSよりも一つ上、世界に唯一人の超大罪人。
  架空の人物だと思っていた。
「サラ・D・G・ハートスミス」
  僕の答えに、サラは笑い声で応えた。
「ねぇ、ブルー。もう一人のSSは? いつも一緒だと聞いているけれど」
「はーい」
  リサちゃんは軽く襟を下げると、二つの黒い首輪を見せる。なるべく人に見せないように
  首が隠れるような服を買ってあげたのに、あまり意味は無かったらしい。人にばれずに
  どこにでも行けるようにしたかったから少し残念だ。
  そんなリサちゃんを見て、サラは目を丸くした。それはそうだろう、誰もこんな子供が
  SSランクとは思わない。

「こんな子供がねぇ、驚き」
「で、何の用?」
  突き放すように言う。出来れば、これ以上サラとリサちゃんを関わらせていたくなかった。
  それどころか、僕自信の身さえ守れるかも怪しい。
  サラは再び笑顔を浮かべると、
「別に、顔を見たくなっただけよ。この都市のツートップさんの」
  この言葉を聞いて、やっと店の雰囲気が変な理由を理解した。分からなかった僕は相当な馬鹿だ。
  そりゃあ大罪人、しかもトップ3が集まれば何かおかしなことを考えそうだと思うだろう。
「それにしても、随分と愛されてるのねぇ。えっと、お嬢ちゃん?」
「リサだよ」
「リサちゃんもだけど、特にブルー。あなたが。あなたのことを訊いたときに皆に凄い目で
  睨まれたわよ、鳥さんにも随分酷いことを言われたし」
  自覚はあまり無かったけれど、そう思われているのは素直に嬉しかった。何より嬉しいのは、
  リサちゃんも愛されているという事実。特に健闘してくれたらしいティニーには、
  後で高級回路を買ってきてあげても良いかもしれない。
「本当に、羨ましい」
  僕の思考を切ったのは、その一言。
「わたしだって皆の為に頑張ったのに、ね」
  サラはそう呟くと、僕の目を見て唇を歪めた。

Take2

 僕の目の前の女性は、確かに悪いことはしていない筈だ。しかし皆の為にしたことでも
  それが罪になることがある、その代表各が人類史上最悪の大罪人である彼女なのだろう。
  彼女が犯した罪は三つ。
・人類の数の固定。
・文明レベルの固定。
・彼女自身の不老不死化
  確かに人類の数の固定によって人工の増加や絶滅の可能性はなくなったし、文明レベルの固定では
  進化がない代わりに退化もなくなった。その部分では皆も納得しているところだが、
  利点にはそれに伴う裏の顔、弊害も必ず存在する。
  人口の部分では、素直に命の誕生を祝うことが出来なくなった。人が産まれるということは、
  それと同時に誰かが死んだという事実を認識させられる。逆に言えば、人が死んだときには
  命が産まれたことで、誰かが喜ぶことがあるかもしれないと思ってしまう。
  それを素直に受け入れることが出来なくなってしまったからだ。
  それに、偶発的に出産の予定も狂ってしまうのも悲しい現実だということになる。
  二つ目の文明レベルの固定では、もっと深刻だ。当時から不満に思われていた不備な点などが、
  永久に解消されないということになる。例えば当時の医療技術では治療出来なかったものが
  あるとして、後世の人間が治療方法を発見したかもしれない。その可能性までもが、
  失われてしまったのだ。
  どちらも償いきれない程の罪だが、しかし死刑にはされなかった。倫理的な問題ではなく、
  純粋に、単純に、物理的に、不可能だったから。

 それが、彼女の第三の罪。
  人類全てが恐れる由来。
「何で」
  僕は必死に声を絞り出す。喋ってもいないと、その存在に潰されそうになってしまうから。
  特に彼女は何をしている訳でもない、普通に椅子に座ってこちらを微笑んで見つめているだけだ。
  知力は普通の人間とは段違いな筈だが、体力も身体能力も並の人間と何一つ変わらない。
  それどころか攻撃の意思表示すら見られないのに、その存在だけで僕を震わせ、恐れさせる。
「何で、不老不死になったんですか?」
  自分でも、声がかすれているのが分かる。
  不老不死。
  本当にそうなのかは分からないけれど、他の二つの罪のレベルを考えると嘘とは言いきれない。
  しかし、そんな噂が存在し続ける時点で彼女は危険な存在だと分かる。まともな人間なら、
  そもそもこんな噂、伝説は人の間に流れたりはしない。
  僕が言えることでもないけれど。
「どうして、不老不死になることを選んだんですか?」
  少し考えているらしい彼女に向かって、再度尋ねてみる。
「そうね。確率のシステムを作ったのはわたしだから、かしら。皆が困ったときに、
  いつでも答えられるようにかな」
  答えは、あくまでも善意。
  だからこそ恐ろしい。
  行きすぎた善意は最早、薬を通り越して毒に変わっていく。その現象を誰よりも、
  他の何よりも表しているのが彼女という存在だ。不可抗力なのは否めないとしても、
  間接的に現在進行形で人を殺し苦しめ続けている彼女は、しかし悪びれた様子はない。

 しかし、他人は違う。
  だから、殺せはしない、まるで神のような彼女を恐れてこの都市に幽閉した。
「あなたは、そのシステムを作って後悔はしなかったんですか?」
「公開はしたけどね」
  まるで少女のように小さく笑う。
「度を越した罪なんて皆、そんなものよ。報われない、あなたもそうでしょ?」
「僕は報われたからこうなったんですけどね」
  あまり思い出したくないことを何百年かぶりに思い出して、気分が悪くなる。最後に見た
  その景色は夢の中でだが、今思い出しても鮮明に蘇ってくる。視界の中に入っているのは、
  華美な部屋の中で震えた少女と血まみれの男。床に転がる、赤く染まったナイフ。
  どれも、忌まわしいものだ。報われた筈なのに、辛すぎる。
  酷い頭痛を堪えるように、敢えて笑みを浮かべ、
「そうでしょうか?」
「あなたは違うの?」
  わざとらしく肩をすくめる。
「ところで、あなたは何をしでかしたのかしら。SSランクなら、かなりのものよね?
  リサちゃんは有名だけど、あなたには何故か制限がかかっていて調べられなかったの」
「人を一人殺しただけですよ」
「ならあたしの勝ちぃ、あたしは3000人だもん」
  今までの会話に入ってこられずに退屈していたらしい、やっと入れる話題が出来て
  嬉しそうにリサちゃんが割り込んできた。

 この無邪気な表情と声に反比例するような発言をされると、心が痛くなる。まだ幼い
  こんな少女がこれだけの罪を背負っているという現実は、遥か昔に存在していた地獄という言葉を
  連想させられる。
  僕は膝の上の少女の頭を撫でながら、
「それは言ったら駄目って、注意したでしょ?」
「ごめんなさい」
  途端にしょげた顔になる。
「あらあら、リサちゃんは凄いわねぇ」
「えへへぇ」
  嬉しそうに笑うリサちゃん。
「ところで、おねーさんは何人なの?」
「分からないわね、おねーさん馬鹿だから」
「ふーん」
  足をバタバタとさせながら愉快そうに笑う。
「ならあたしが一番だね」
「そうね」
  二人の間に流れる空気や表情は暖かいものだが、だからこそ違和感を感じる。
  美少女と美女の組み合わせは極上のものだが、交わされている会話は物騒なことこの上ない。
  この辺りが、やはり大罪人の精神なのだろう。
「もう一つ聞きたいんだけど」
  リサちゃんは愉快さを増した声でサラさんの手を取ると、
「本当におねーさんは死なないの?」
  愛おしそうに手の甲を撫で始めた。僅かに潤んだ瞳は独特の熱を持ち、呼吸も荒くなっていて、
  感情が乱れているのが一目で分かった。幼いが故に隠そうともしない、
  その突然乱れた空気のままサラさんと目を合わせ、
「そうなの? そうなの?」
「詳しいわね。偉い偉い」
  もう片方の手でリサちゃんの頭を撫でながら、
「試してみる?」
「うん!!」

 この異常な空間を決定的にしたのは、この一言だった。その言葉を合図にするようにリサちゃんは
  軽く身を乗り出し、いつの間に抜いていたのだろう、僕がいつも護身用にナナミに持たされている
  大型ナイフをサラさんの手の甲に突き立てた。どこでずれてしまったのか、
  それとも最初から噛み合ってなかったのか、先程以上に気分の悪さを感じながらも
  僕はその光景から目を離せなかった。
  しかし、ふと違和感に気が付いた。こんな光景で違和感という単語は正しいのか分からないが、
  どこかがおかしい。少し考えて、すぐに答えは出てきた。異常な出来事の中の異常が、
  目の前にあった。
「きゃははは…あれ?」
  リサちゃんもすぐに気が付いたらしい。不思議そうな表情をしてナイフを突き立てたまま
  横に引くと、
「血が出てない」
  それどころかサラさんの手には、傷一つ付いていない。まるで何事も無かったかのように
  微笑んだまま、その手でリサちゃんの頭を軽く撫でた。
  どういうことだ。
  システムを使ったのなら空間に痕跡が残る筈だが、それすらも存在しない。
「何で? 何で?」
  リサちゃんは不思議そうにその手を撫でたり眺めたりしているが。口には出さないけれど、
  僕も自然と態度に出ていたらしい。サラさんと目が合って、漸く僕は不躾に眺めていたことに
  気が付かされた。
  説明をしない代わりに、サラさんはリサちゃんの髪を撫でる。よほど気に入ったのだろう、
  さっきからサラさんはリサちゃんの頭や髪を撫でてばかりだ。その表情には後ろ向きな感情は
  欠片も見られず、純粋に可愛がっているように見える。
  その行為を数分続けたあと、不意に悲しそうな表情になり、
「あのね、おねーさんは死なないんじゃないの」
「そうなの?」
「死ねないのよ」
  呟くように言った。

Side ナナミ

 青様からの通信を切り、私は軽く瞼を閉じました。視界を閉ざすのならば視覚素子を遮断する
  という方法もありますが、敢えてそうしないというのは何故でしょう。
  心だよ。
  この方法を教えて下さったとき、青様はこの一言を私に伝えました。
  それがとのような意味を持つのかは結局教えてくれませんでしたが、
  その表情はとても悲しいものでした。
  あの事件がどのような影響を与えたのか私には分かりませんが、それが原因だったのでしょう、
  それだけは理解が出来ました。
  いけません。
  私は思考を切り替えると、料理を再開しました。一人増えると言っていた人物は、
  どのような人なんでしょうか。その日に出来たご友人を招待するということは、
  今までに見られなかった行動なので、疑問がいくつも残ります。
  そもそもご友人を招くこと自体あまりなさらないので、特別扱い、ということなのでしょうか。
  最近招く方といえばリサ様ばかりでしたので、他の方も招くというのは
  喜ばしいことではあります。その分、心も快方に向かっているということですから。
  こころ。
  私には、よく分からない単語です。人格、と表現をするよりも、心、というものを
  機械に与えた知恵人形。普通の知恵人形ならばこの概念を理解できるのでしょうし、
  説明も可能なのでしょう。しかし、思考回路との接触が上手くいかない、
  言わば不良品である私には未知の領域です。

 だから、良いんだよ。
  心の説明を求めたとき、青様はそう言いました。お前は心が分からない、
  だから、ここに来るときにお前を連れてきたんだ、と。
  結局、最後までその意味も教えていただけませんでしたが。
  いけません。
  最近は思考のノイズから、よく飛び火することが多いです。そろそろ、修理時なのでしょうか。
  8世紀以上駆動しているのですから、バグが多くなるのも無理はないかもしれませんね。
  それでも私を使用していただけるのなら、名誉ではありますが。
  お肉をオーブンに入れ、再び目を閉じます。
  データ管理層にアクセス‐許可
  タイマーを現在時刻から一時間後に設定‐確認
  一区切りついたので、椅子に座り室内を見渡しました。装飾に不備はなく、
  自分でもなかなかの出来だと思いますが、喜んでいただけるでしょうか。
  喜ぶ。
  これも心が示すものの一つですが、私には理解の出来ない概念です。青様は、それでも良い、
  それだから良いといつも言われますが納得が出来るのはいつになるのでしょう。
  8世紀以上、約9世紀に渡って考えていても、結局答えが出てこないのは、
  やはり欠陥品だからでしょうか。
  思考レベル2に切り替え‐許可
  癖、というものでしょうか。ここ最近、と言っても50年程ですが、青様が居ないときに
  よくこうしてしまいます。考えることはいつも大体は決まっていて、
  青様と初めて会話したときに抱いた疑問である心についての疑問と、
  私を使っていただいている理由です。

 特に、故障が多くなり始めたここ30年間は後者が高い比率を占めています。
  只の欠陥品なのではなく、故障も多くなり始め、ここ数年は修理に出されることも
  少なくありません。普段から不備も多く、他の知恵人形に比べると態度もあまり良くないと
  自覚できる程で、もしも私が青様の立場なら使いたいとは思わないでしょう。
  それどころか直ちに廃棄しようと思いますし、現に何百年もそう言われている立場では
  ありますが、自分自身納得の出来る発言だと思います。しかし普段からそう明言されているのに、
  何故、私は廃棄をされないのでしょう。
  特殊データ管理層第七番へアクセス‐許可
  適合ケースの検索開始‐許可
  いつものように理由を探し始めましたが納得のいくものは存在せず、答えとしては
  廃棄のみが残りました。該当するものも逝くつか存在しましたが、
  恐らく青様には当てはまらないものばかりですので自動的に却下されます。
  何故。
  これも、心というものに起因するものなのでしたら、それは私には分からないものです。
  どんな感情が、どのように働いてそうせているのか、いつも最後はこの部分に行き着きます。
  一般に定義されている知恵人形の幸せはこの答えに当てはまるのでしょうが、
  未だに答えを証明した知恵人形はどこにも存在しないので理解自体が無理なのでしょう。
  思考レベル通常モードへの切り替え‐許可

 いつも通りに思考の泥沼へと入りかけたところで引き返し、立ち上がります。
  瞼をゆっくりと開き、視界に入り込んでくるのはいつもとは少し違う室内の風景。
  青様の誕生日を祝うための、装飾された部屋。
  これも、心。
  これだけではなく、古今東西のあらゆる祝事では会場を飾りたてますが、
  それも心が関係しているのでしょう。確かに飾りつけによって通常とは違う空間を
  作り出したりすることは、差異を持たせるには分かりやすい方法ですし納得が出来ます。
  しかし、何故それだけで皆様は笑みを浮かべるのでしょうか。
  私には分からないことだらけです。
  青様の癖が移ったからなのでしょうか、私は軽く頭を振るとキッチンへと向かいました。
  嗅覚素子は、お肉が丁度良い状態になっていることを示していますし、
  足音と共に頭部の中で響くアラームは、手早く仕事をすることを求め急かしています。
  熱量探知素子を遮断‐許可
  この方法をすることを青様はあまり好まれませんが、鬼の居ぬ間に何とやらです。
  熱が伝わる刺激でミスをするよりは大分良いと思うのですが、青様は熱いものを平気で持ち、
  人工皮膚が傷むのを見ると悲しそうな表情をなさります。
  これも、心が原因ですね。

 今日だけで、何度この単語を使ったのでしょうか。一人になると使い、
  考える回数が飛躍的に上がるこの単語は不思議な力を持っています。
  それこそ心の概念を理解出来ない私でも、これまで稼働してきた時間では
  何回使用したかを数えるのも不可能な程です。普通の知恵人形や人間では、
  その言葉に対する気持ちはその比ではないでしょう。
  異臭を感知‐嗅覚素子を遮断します
  熱量を感知‐熱量探知素子を駆動させます
  傷みを感知‐マニュアルに基づき障害から離れます
  鈍音。
  再び思考の泥沼へと入り込んでいたようです。思考をしながら鉄板を持ち上げた際に
  肉汁が手にかかっていたらしく、視線を向けると人工皮膚の表面が軽く溶けていました。
  その上、安全回路のせいで鉄板を落としてしまい床が酷いことになっています。
  お肉が床に落ちなかったのは幸いですが、それよりも思うのは自分の不備のことです。
  もう、潮時なのでしょうか。
  いけません。
  無駄な思考を放棄し、やるべきことへと目を向けます。
  データ管理層にアクセス‐現在時刻を確認
  青様が戻ってくるまではあと数分程ですが、問題はありません。
  手早くお皿へローストビーフを移し、会場のIHコンロのスイッチを入れ、掃除をして。
  それをこなすと、玄関へと向かいました。予定よりは少しばかり遅れましたが、
  十分許容範囲です。
  数分。
  ノックの音が響き、覗き窓から確認をすると青様が居ます。それは問題ないのですが、
  隣に立っている方は、今日出来たというご友人でしょうか。
  特別扱いの。
  視線をそちらの方へと向けると、
  黒い3つの首輪の、女性。
「今、開けます」
  その首輪の意味を理解すると、私は武器を手に取りました。

Take3

 先鋭、ドアを開いて最初にその言葉が浮かんできた。こちらに突き出されたものは白い杭だが、
かなり高い部類に入る僕の身長よりも長いそれは、最早そんな表現を通過して槍のように思えてくる。
2メートル超過のそれはナナミが腕に装備した大型の杭撃ち機へと繋がっていて、
後は引き金を引くのを待つだけの状態になっていた。
時間にしてコンマ数秒、距離は数センチ、力はプルタブを引く程も要らないだろう。
その程度の作業、無骨な装甲に覆われた機械の内側で軽く指を動かすだけで、
悪意の白杭は飛んでくる。

「何のつもり?」
  最初に口を開いたのは、サラさんだった。死ぬことがないという余裕なのか、
向けられた先端に対して笑みを向けている。面白そうに目を弓にして杭の表面を撫で、
続けて軽く叩いた。どんな仕組みなのかそれだけで金属製である筈の杭にヒビが入り、
数秒もしない内に灰のように砕け落ちた。霧散した破片は空中を漂い、幾らもしない内に
空中へと溶け消えていく。目の前で起きたことなのに、一瞬現実を疑ってしまった。
  サラさんは笑みのまま視線をナナミに向け、
「お誕生日会と聞いていたけど、クラッカーじゃなかったみたいね?」
  大したことはなかった、とでも言うように軽く言い放った。
「それで、こんな物騒なものを持ち出してどうしたのかしら、可愛いメイドさん?」
「元より通用するとは思っておりませんでした。しかし、意味はございます」

 ナナミは今や只の機械の塊となった、杭のない杭撃ち機をサラさんに突き付け、
「これは敵意の表現です。不良品である私には感情はございませんが、表現の方法は無数に
存じております。私は青様に恩義ある身、その恩に報いる為に、害する疑いのあるものには
ことごとく敵対することの現れだと覚えておいて下さいませ。疑わしきから罰する、
この卑言をゆめゆめお忘れ無きよう御願い申し上げます」
  感情の無さ故の無表情、抑揚のない声で言ったにも関わらず、言葉の奥の棘が見える。
僕が他人を連れてくる度に聞かされている言葉なので個人的には慣れたものの筈なのだが、
口を挟むことが出来なくなっていた。それはやはり武器までをも持ち出したナナミの行動が
原因なのだろう。強い警戒が、場の空気を重くしている。
  数秒。
  誰も喋らない妙な雰囲気が嫌だったのだろう、今まで黙っていたリサちゃんがサラさんの顔を
見上げながらスカートを揺らし、
「おにーさんに悪いことしたら、メッ、だよ?」
  子供らしい無邪気さで要約したナナミの言葉を言うと、それだけで緊張が解けた。
サラさんは笑みを穏やかなものに変えて、柔らかな金髪を軽く撫でる。
擽ったそうにしているリサちゃんをいじりながら僕とナナミを交互に見て、
「そうね、約束するわ。ブルーに危害は加えない」
  リサちゃんも怖いしね、と、おどけた声で言うとリサちゃんは小さく笑い声を漏らした。

 それで幾らか、警戒も解けたのだろう。ナナミは目を伏せるときっちり一歩分後退し、
「失礼を致しました」
  スカートを両手の指で摘み持ち上げ、深く礼をする。
「改めて歓迎致します。ようこそ、青様の御誕生会においで下さいました。どうぞ心ゆくまで、
ごゆるりとお楽しみ下さいませ」
  音もたてずにスカートと髪を翻し、台所へと歩を進めていった。
「良い娘ね、リサちゃんも……ナナミちゃんも」
「僕もそう思う」
  リビングに入ってテーブルを見てみると、既に幾つかの料理が乗っていた。
僕が帰ってくる頃合いをきちんと分かっていたのは、野菜類が水々しいのを見ればよく分かる。
その辺りの理由としてはナナミの優秀さというのもあるけれと、やはり長年の付き合いというものが
一番だろう。だからこそ現に今、こうして二人で暮らしていけているのだし、
先程のサラさんに対する態度も怒る気にはなれないのだ。
「おにーさん、座ろ座ろ」
  言われて席に着く。
「それじゃ、おにーさん、お誕生日おめでとうございます」
「おめでとう、ブルー」
「おめでとうございます」
  リサちゃんやサラさんに続いて、ケーキを持ってきたナナミも声をかけてくる。
ケーキをテーブルに置いて蝋燭に火を点けると、いよいよそれらしい雰囲気になってきた。
大量の炎が少し異様に見えるが、初見の二人もそれ程気にしてはいないらしい。
「十進法で色分けなんて、よく考えたわね」
「うん、50才辺りから蝋燭の本数が多くてエラいことになってね」

 その当時友達が持ってきてくれた砂糖菓子で作った僕の人形を中心に置いていたのだが、
どこからどう見ても火責めにあっているようにしか見えなかった。別の例え話をするなら、
ノルマンディーの丘に一人で立っている哀れな兵士。どちらの例えにしても、ろくなものではない。
しかも予想以上に熱量があったらしく、表面が溶けてケロイド状態になった人のように見えてきた。
更には僕に追い討ちをかけるように、僕の分のケーキにその人形が載せられ、
自分の悲惨な姿をした人形を食べることになったのだ。それ以来ケーキの蝋燭の数は
シンプルに分かりやすく、デコレーションも比較的華美でないものになっている。
  軽くトラウマになっていることを思い出しながらサラダに手を付けた、
気分的に今だけは肉を食べたくない。すぐに直るものだが、僕個人にとっては切実な問題だ。
「あれ? おにーさんはお肉を食べないの?」
  頬一杯にフライドチキンを詰め込んだリサちゃんが不思議そうな目で尋ねてくる。
口にものを入れたまま話すのは感心出来ないが今日は無礼講でいこうと思うし、
顔の下半分を膨らませてこちらを見ている姿はリスなどの愛くるしい小動物を連想させられて、
注意をする気がなくなった。その代わりに僕は笑みを浮かべるとリサちゃんの髪を撫で、
「百寛デブにならないように気を付けているんだよ、リサちゃんも肉達磨より
スリムな僕の方が良いだろ? でもリサちゃんはたくさん食べて良いんだよ」

 リサちゃんは少し考えるように小首を傾げ、口に含んでいた鶏肉を飲み込むと笑みを浮かべて、
「うん!!」
  元気に返事をする。
「おデブはメッ!!」
「そう、おデブはメッ!!」
  サラさんがポークジンジャーサラダの豚肉だけを器に戻したのが見えたのだが、彼女の名誉の為にも
言わないでおいた方が良いのだろう。いくら不死身で化け物扱いされていてもやはり女性、
カロリーなどは気にしてしまうらしい。武器を向けられていても余裕の色を崩さなかった
世界一の大罪人がこうするとは思わなかった、と言うか思いたくなかった。
「まぁ確かに、肌とか体型に気を付けてるみたいだしなぁ」
「どうしたの、ブルー?」
「何でもありません」
  不意に向けられた笑顔が怖い、思わず敬語になってしまった。
「これで最後になります……サラ様、何故吐息をして私の体を眺めているのですか?」
「機械は良いわね……太らなくて」
「お誉め頂き恐縮です」
  ナナミがローストビーフをテーブルに置き、僕の後ろに立った。
これでやっと、面子がしっかり揃ったことになる。
人数は多くないけれど、僕とナナミと、それから皆の誕生会。
「青様、こちらをどうぞ」
「二人で選んだんだよ」
  ナナミとリサちゃんから手渡されたのは、僕が以前テレビを見ていたときに欲しいと思った
青色のタスペトリだ。海色の生地に同色の極細糸で、目を凝らさないと分からない程
に薄く宿り木に停まる極楽鳥が刺繍がしてある。
「わたしからは、これね。世界に一つしか無いし、とても便利よ」
  サラさんは指輪を引き抜くと、僕に手渡してきた。装飾品かと思ったが、
青色の水晶の下に確率システムの演算回路が見える。立方体フラクタル回路よりも
遥かに性能が良いと言われている、正四面体フラクタル回路だ。彼女にしか製作できないということも
あり、伝説の逸品とまで言われているこれを何故僕に渡したのだろうか。
どのような想いで、僕にこれを寄越してきたのだろうか。
  しかし疑問を口に出さず、僕は笑みを皆に向けた。
「ありがとう」
  楽しく時が過ぎてゆく。

6

 宴もたけなわになってきたところで、リサちゃんが船を漕ぎ始めた。時計を見ると時間は
十一時を越えている。ナナミは機械なので不眠なのは言わずもがな、僕もまだ眠い時間ではない。
屋敷で働いていた頃はもっと遅い時間に寝て早起きだったので、どうということはない。
それは数百年経った今でも変わらない。そしてサラさんを見てみれば、眠い気配はなさそうだ。
しかしこの辺りが限度だろう。
「今日はもうお開きだね」
「そうね、リサちゃんも眠そうだし」
  こちらの声が聞こえているのか、それとも聞こえていないのか、うつらうつらと僕を見てきた。
手を軽く伸ばしているのは運んでくれという表現だろうか、この辺りが子供だと思わせる。
勿論、悪い意味ではない。このまま真っ直ぐ生きていってほしいと思う。
  僕が抱き上げるとリサちゃんは目を閉じて、胸に頭を預けてきた。体重がかかっているにも関わらず
殆んど圧力を感じないその体は、ここにはふさわしくない。それは僕の腕の中、
という意味も含めてのことだ。
「おにーさん」
「ん、寝てて良いよ」
「ナイフ、貸して」
  ナナミに視線を送ると、僕の腰から鞘ごと外してリサちゃんの腕の中に収めた。
抜き身でも大丈夫らしいし、実際にそうして寝ているのを何度か見たこともあるのだが、
こちらからしてみれば危なっかしいし不安なので念の為だ。快さよりも安全が第一だ、
不老だが不死ではない僕らの考えはそこにある。

 感触を手指で確かめた後でリサちゃんは少し不満そうにしていたけれど、
それでも幾らも経たない内に穏やかな寝息をたて始めた。
幼女が大型ナイフを抱いて眠っているという、
言葉にすれば妙な光景だけれど不思議と違和感がなかった。
それは多分リサちゃんの寝顔が原因だろう、それは驚く程に優しい顔なのだ。
女の子がぬいぐるみや抱き枕を抱いているようなものと言うより、聖母が我が子を抱いているという
表現の方がしっくりくる。
  このまま眺めていたいとも思ったけれど、さすがにそれはリサちゃんに悪いので寝室に向かう。
リサちゃんの家の合鍵は僕も持っているけれど、目が覚めたとき一人ぼっちよりはこちらに泊めた方が
良いだろう。ナナミは甘やかしすぎと言うけれど、どうにも彼女を放っておくのは
可哀想に思えてくるのだ。
  数分。
  ベットに寝かせて戻ってくると、厳しい視線が二つあった。片方はナナミのもの、
もう片方はサラさんのものだ。第一印象が笑顔だったし、今までずっと笑みを浮かべていたので
少し意外に思えた。知り合ってまだ半日しか経っていないのに、その表情は酷く違和感を覚えさせる。
そのことに自分自身が一番驚いた。
「ブルー、あなたは少し勘違いをしているわよ」
  冷たい声が突き刺さる。

「あなたは確かに不老だし、リサちゃんもそうよ。それにSSは基本的に無期限に閉じ込められるから
大丈夫かもしれない、そう思ってない? でも、不死ではないのよ。
隣に居るのが当然と思っていても、死は問答無用で二人を分かつの。
それは死ぬことよりも残酷なことよ、永遠に生きることが出来るなら尚更」
  ナナミも同じ意見らしい、何も言わずにこちらをじっと見つめてくる。
  沈黙。
  動くことのない空気は固まり、この場に重くのしかかる。
「ごめんなさい、言い過ぎたわね」
  不意に、緊張が解けた。サラさんは再び笑みを浮かべてこちらに歩み寄ってくる、
その動きや表情には先程のような険はない。そこにはこちらを誉めるような、優しい雰囲気がある。
さっきの今でこれだ、全く意味が分からない。
「気にしないで、軽い嫉妬のようなものよ。わたしはこれでも寂しがりやなのよ」
「……青様」
  全部言わなくても良い、と僕はナナミに手を振った。言いたいことはなんとなく分かる。
「夜道の一人歩きは危険だから送っていくよ」
「ありがとう、優しいのね」
  何を白々しい。
  しかし自主的に送っていきたくなったのも事実だ。決して死ぬこともない、
普段の生活に不自由を覚えることもない、そんな彼女だからこそ覚える弱さや痛みを見てしまった。
見てしまったら、手を出さずにはいられない。少し失礼な言い方になるけれど、今のサラさんは
先程のリサちゃんと全く同じに見える。手を差し延べてあげると笑みを浮かべるのなどは、
誰よりも、それこそリサちゃんよりも幼く見える。

 嬉しそうにしているし、今すぐにでも送っていった方が良いだろうか。
  そう思って立ち上がろうとしたとき、大切なことを思い出した。
「サラさん、ちょっと待ってて」
「ええ、待つのは慣れてるから」
  ナナミを連れて廊下に出る。
「どうなさいましたか? 御心配なさらなくても、サラ様に妙なことは言っておりません」
  ということは、言ったんだろう。多分無自覚にしているのだろうが、こういった場合は
相手が誤解をするような発言をしている場合が多い。過去に僕の知らないところで
悪評がたっていたことが何度かあった。分解してやろうかとも思ったが、悪意がないらしい行動で
そこまでするのも大人気ないと自分を戒める。
  それは兎も角、
「ごめん、渡すの忘れていた」
  ポケットから一枚のカードを取り出して、ナナミに渡す。その辺りで安く売っている紙を
長方形に切り、軽いメモをしたものだ。表面はラミネート加工をしてあるので、
丁寧に扱えばかなりの長い時間にも耐えることが出来る。以前にナナミにどう保管しているかを
尋ねたことがあるが、数百年分、枚数にしてみると大量とも言えるものの全てを
真空保存しているらしい。それだけもつものなのだ。
  毎年恒例のそれを素直に受け取るナナミ、僕はそれに安堵する。彼女は人目がある場所では
受け取ろうとしない。それどころか、僕が甘やかしたり世話をしたりするのも拒絶をしてくる。
これは嫌われているのではなく、個人的な意見らしい。そもそも、感情がないので
嫌うも何もないだろうが。そんなナナミがそうする理由は単純なもので、
待女としての誇りのようなものらしい。正確に言うのなら、けじめのようなものになるのだろうか。
プライベートならいざ知らず、人目のある場所では仕事の方が優先らしく、
上下の区別をはっきりとつけてくる。

 今は二人きりとはいえ壁越しにサラさんが居るので駄目かと思っていたけれど、セーフらしい。
ナナミはそれを目を細めて眺めると、
「今年は無いものかと思っておりました」
  結構キツいことを言ってきた。
「『奴隷券』もかなり溜まりましたね」
  いつも世話になっているお礼に、誕生日に渡し始めたものだ。名前はどうしようもないものだが、
これは僕が付けたものではなくナナミが付けたもの。内容を見れば、
あながち間違っているとも言いきれない。
『僕こと青は、ナナミの言うことを一度だけ叶えます』
と書いてあり、感謝の気持ちを分かりやすく労働という単位で表現している。
本当ならばナナミの誕生日に渡すべきものなのだろうが、型式が旧すぎて正確な製造年月日が
分からないので僕の誕生日に合わせているのだ。
「ありがとうございます」
  感謝の言葉は述べてくるが、実際に使われたことは一度もない。
これは、どういう意味なのだろうか。無能だと思われてなければ良いけれど。
  ともあれ、目的は果たした。
「お待たせ、じゃあ行こうか」 部屋に戻ると、サラさんが視線を向けてきた。
「もう良いの?」
「うん、今日中に渡せて良かったよ」
  不思議そうな表情をしているサラさんを見ながら、僕は上着に袖を通した。

Sideサラ

『オカエリナサイマセ』
  ブルーと別れて家に入ると、電子音声がわたしを出迎えた。見慣れた光景、
機会人形がわたしに向かって頭を下げている。それを見る度に、心の奥底の方に強い痛みが駆け巡る。
不老不死になった今、唯一感じる痛みだ。これを消す方法を、それこそ百年単位で考えたけれど、
未だに見付かっていない。
  そしていつも、最後は一つの結論に辿り着く。
「消さない方が良い、ということかしらね」
  誰にも聞こえないように呟いたのだから、当然答えは返ってこない。もしかしたら
隣に居る機械人形が声を拾っているのかもしれないけれど、気を遣って何も言わないだけ
なのかもしれない。敢えて見た目はデッサンに使うデク人形のような外見にしているけれど、
それだけの性能は与えてある。型番は大分古いけれどわたしが度々手を入れていることもあり、
その辺りの汎用品や、もしかしたら人間と比べても何の遜色もないくらいになっているのだ。
外見と声が機械らしさを残しているだけで、それもいじってしまったらもはや
人間と区別が付かなくなるだろう。実際、わたしは何度もその甘い誘惑に付いて行きそうになった。
常に隣に居てくれる友人が手に入るのだ、まさしく夢のような話だろう。
  迫害もしない。
  怯えた目で見てくることもない。
  わたしを一人の人間として見てくれる。
  そんな存在が居てほしいと思ったことが、どれだけあるだろう。
数えたことがないから分からないけれど、きっと千単位、いや万単位になる筈だ。

「ねぇ、ユカリ。人間になりたくない?」
  久し振りにこの問掛けをしてみた。しかし今回のものは思い出したというだけで、
本当にそうなってほしいと思った訳ではない。ただ答えが聞きたくなったのだ。
  ユカリはいつも通りに軽く首を振り、
『ソレハ、無理デス。私ハ最後マデ、機械人形デスカラ』
  この言葉を聞きたかった。
  そして何気無く訊きたくなった、ナナミちゃんのことだ。
ナナミちゃんは自分に感情は無いと言っていた、ブルーもそれを当然のように受け入れていた。
それはどうなんだろう。
わたしが感情回路を開発したのが約1500年前、乱暴な計算だとブルーの年齢の二倍も前に
存在したことになる。だからそのその存在を知らない訳はないし、
50年後には生産ラインも安定して安くなったから一般にも普及している。
そもそも機械人形には標準搭載されているものなので、事故か不良品かは分からないが
上手く機能していないのなら、電気屋か役所に持っていけば少額で取り替えてもらえる筈だ。
なのに、そんなことをしていない。
「ユカリは、感情のない機械人形をどう思う?」
『質問ノ意味ハ分カラナイデスガ、不良品カ故障品ダト思イマス』
「それをそのまま使う人は?」
『ソノヨウナ嗜好ナノデショウ。感情抜キノ作業ナラ、人間ノ形ハアマリ効率的デハアリマセンカラ。
違ウノナラ、ソレハ多分……』
  ユカリはそこで言葉を区切り、歩みを止めてこちらを向いた。
『ソウシテイルコトニ、意味ガ有ルノデショウ』

 意味、か。
「例えば?」
『コレ以上ノ言葉ハ、相手ノ方ニ失礼デス』
  そう言うとユカリは部屋の奥へと入っていった。つまりそれより上の部分は自分で考えろ
ということだろう、厳しいことだ。理由をあまり考えたくなかったから尋ねたというのに、
そうしてしまったら意味がない。敢えて厳しい性格にした過去の自分が、
今回ばかりは少し恨めしかった。望んでしたこととはいえ、辛いときもある。
  吐息を一つ。
  本格的に一人になったことで急に疲れが押し寄せてきた。ドアを開けるのも億劫になり、
すり抜けることで自室に入るとベッドに倒れ込んだ。こんなとき確率システムは便利だ、
煩わしいことは殆んど省いてくれる。思考以外のことは全自動なのがありがたい。
しかしどうせなら、それも出来るようにしておけば良かったとも思った。
  確率システムというのは、簡単に言えば波を当てるものだ。先程のドアのすり抜けや、
昼間のリサちゃんのナイフを防いだのもそれだ。空中にあるナノマシンが放つ弱い音波を物体に当て、
僅かにずらすことで分子間の隙間をくぐり抜けるようにする。ナナミちゃんの白杭を消したのも
同じような原理だ。どんな物体にもある固有振動数と同じ周波の波を当てて、崩壊させる。
シンプルだけれど、一番効果的なもの。

 わたしの不老不死もそうだ、原理を明かせば単純で下らない。不老の部分は
リサちゃんやブルーと同じ、決まったパターンの波を送ってテロメア配列のコピーを助けるものだ。
不死の部分に至っては、ナノマシンが危険と判断したものを自動的に防いでくれているというものだ。
それでも意外と効果的で、現にわたしはこうして2000年以上生きている。
  長生き、と言うよりは、
「無駄に年食ってるって感じね」
  本当に、無駄だ。
  刺激の強いものや、危険なものは全て自分の作ったものに奪われてしまっている。
それによって人間らしい楽しみは殆んどなくなり、途端に人生の娯楽が減った。
以前ならば、ナノマシンの調整や研究機関からの相談などやることもまだもあったのだけれど、
天才児と呼ばれる子供が多く産まれてきた1000年程前からは、
そんなこともすっかりなくなってしまった。することもなくなり、したいことも出来ない。
そんな非人間的な暮らしをしていれば自分が人間だという自覚さえ薄くなってくる。
今や人間らしさが残っているのは、不定期に訪れる心の痛みだけだ。
システムは弱い部分を補ってくれる訳ではないからこそ残っている部分、
しかし弱さが露出しただけでもあるのだ。
  そうして生きていると次第に機械と人間との境界があやふやになってくる。
だからなのだろう、わたしよりユカリの方が余程人間らしく見え、
人間にすることが出来ると錯覚をしてしまうのは。
してあげたい、ではなく、することが出来ると思ってしまうのだ。

 勿論、ユカリの意思もある。だから勝手に人間らしくしようなどとは思わない、
ユカリがデク人形の姿をしているのはわたしの決意の現れなのだ。
  逆に、人間の姿をしているナナミちゃんはどうなのだろう。
感情がなく、ユカリよりもわたしに近い状態の彼女は人間になりたいと思っているのだろうか。
  ここまで考えて、先程ユカリとした話に戻っていることに気が付いた。
「何故、感情がないままなのか」
  言葉にすると、すぐに答えが沸いてくる。頭の回転が早いのも困りものだ。
  要は、ブルーがそう望んでいるからなのだろう。ブルーはそうしたナナミちゃんを
受け入れているのではなく、そうありたいと思っているからだ。だから修理しようともしないし、
ナナミちゃんがあのままであり続けるのだと思う。
  それは何故か。
  理由は分からないけれども、感情が存在しない方が良いからだろう。
たった一日接しただけで分かる程に、ブルーは優しい。
最初は怯えていたけれども、すぐにその態度を改めてわたしに接してきた。
怯えた目もせずに、嫌なものを見るような視線もなしに、それが当たり前であるかのように
自然体で接してきたのだ。それは罪を宣告されてからは初めてのことだった。
そのお陰で短い間ではあるけれども、自分の立場を忘れることが出来た。
今までユカリ以外とは不可能だと思っていたことが、簡単に実現されたのだ。
  そんなブルーだから、辛いことも多いのだろう。
だから、感情がないナナミちゃんを隣に置いておきたいのだと思う。
頼ることもなく、頼られることもなく、想いを寄せることもなく、寄せられることもなく、
ただ隣に居る関係。多分、それがブルーの望むものだ。
「もし痛みがなくなったら、わたしも隣に立てるのかしら」
  答えは返ってこない。
  思考するのも嫌になり、わたしは眠るべく目を閉じた。

Take6

 水音。
  シャワーを浴びている時間は、僕にとって最も大切なものの一つだ。体を洗っていれば
余計なことは考えずに済むし、何よりもお湯が跳ねる音が周りの音を掻き消してくれる。
特に、今日みたいな日はそれがありがたかった。勿論、リサちゃんやサラさん、
ナナミと過ごしたパーティは楽しかった。最高の大罪人があんなにも気さくだとは思わなかったし、
接して話してみると趣味もよく合った。これからも付き合いを続けていこうとも思う。
  しかし、今日起きたことはそれだけではない。
  ほんの一瞬だけれど、思い出したくなかったことを思い出してしまったのだ。
血に塗れ横たわっている中年の男、その側で震えている白いドレスの少女、
赤く染まったナイフを手に持った少年。僕の視点からの光景なのでその少年、
僕の姿は見ることが不可能な筈だが、しかしはっきりとイメージが出来る。
恨めしげにこちらを向いて言葉を漏らす中年の男、大統領も。怯えた目でこちらを見つめる少女、
僕が好きだったお嬢様も。僕が罪人になった夜のことは、脳の中で完璧に再現される。
  思い出すな、という命令は聞かずに再生され続ける映像が繰り返される。一度思い出したら、
これが暫く続くのだ。それはパーティのときもそうだった。
無理矢理意識しないようにしていたものの、それでも意識を刈り取ろうとするその悪夢は
決して僕を離さない。
他の誰かが居ればまだ何とかなるものの、完全に一人となった今では
このシャワーの音と体を洗うという行為だけが僕を支えてくれる。
ナナミが居てくれるものの一人になる状況が少なくないからこそ、
僕はこのシャワーを浴びている時間が好きなのだ。

 そうして思考をそちらに任せているせいなのかもしれない、この状態の僕は極端に外部からの刺激に
鈍感になる。だからはっきりとした足音がしてくるまで、誰かがここに近付いてくることに
気が付かなかった。いや、誰かではないだろう。サラさんを家まで送り、リサちゃんも寝静まった今、
こうして歩いているのは一人しか居ない。
  足音は僕の背後、僅か2mの位置で止まり、続いて衣擦れの音がする。
「失礼します」
  軽音。
  小さいがシャワーの水音を裂くような高い音が響き、ナナミが入ってくるのが雰囲気で分かった。
一歩踏み出す度にタイルの上で水が跳ねる音がしていて、妙な生々しさがある。
僅か数歩の距離だというのに、酷く時間がかかったような気がした。
「皿洗いは終わったの?」
「サラ様を送っている間に終わらせました」
「掃除や洗濯は?」
「洗濯は全自動で、掃除はうるさいので致しません」
  どうやって追い払おうか。
「この時間は入るなと言った筈だけど?」
  直接言ってみた。
  しかしナナミは退く様子がない。それどころか、曇った鏡越しに確認する分には
表情を変えた様子すらない。何と言おうと、自分が満足するまでここに居るつもりなのだろう。
こういうときのナナミは頑固なので、僕は諦めた。
「好きにしてよ」
「では、お背中を流させて頂きます」

 鏡に写ったナナミの姿が消えた。多分かかんだのだろう、
僕は適当に泡立てたスポンジを背後に差し出した。その重さが手からなくなること数秒、
背中に少し弱めの圧力が来た。
無言でスポンジを滑らせるナナミは、一体何を考えているのだろうか。
  数秒。
「お頼り下さい、私はここに居ます」
  水音や摩擦音に混ざり、声がした。
「私は決して青様から離れません。なのに何故、頼って下さらないのですか?」
  背中の圧力が消え、代わりにこちらを引く力が加わってくる。勢いのままに後方に体を崩せば、
頭部に柔らかな感触が来た。それが何かは分かる、こちらに来たばかりの頃は、
よくこうした状況になっていた。それには随分と世話になったものだ。
  背後から僕を抱き締めたナナミは首を曲げることでこちらと目を合わせると、
「存分に辛い思いをなさって下さい、それまでは離しません」
「労りの言葉や慰めはないのかな?」
「私には感情や心がありません、そんな言葉を出しても青様には失礼なだけになります。
しかし、そんな私だからこそ可能なこともあります。どうぞ存分にお苦しみ下さいませ、
私には心や感情が存在しないので発した苦しみは跳ね帰ることなく消えてゆきます」
  言って、ナナミは抱く力を強くした。
「ありがとう、でももう大丈夫だ」
  振り向き、ナナミを抱き返す。
「ありがとう」

 もう一度言い、首筋に舌を這わせた。鎖骨の辺りで切り揃えられた銀髪が頬に当たり、擽ってくる。
懐かしい感覚だ、機械である彼女は外見に変化がないから、より一層思う。
「夜伽をするのも、久し振りですね」
  そう言えば、最後にナナミとしたのはいつだっただろうか。
「約三百年振りのことです。私はてっきり機能不全になったかと思っておりました」
「な、失礼な」
「若しくは、嫌われたのかと」
  その視線が向いているのは、自分の胸元だ。二つの豊かな隆起の間からみぞおちにかけ、
大きく歪な傷跡がある。僕が原因で負ったそれをナナミは
絶対に直そうとしない。見慣れたものではあるけれども、綺麗な体にそうした跡があるのは
あまり良くないと思う。そのことを言っているのだろう。
  しかしそれは勘違いだ。
  良くはないとも思うけれど、
「気に入ってるから」
  首筋から下方へと唇を滑らせ、傷口に口付ける。普段は目に見えないということもあり、
傷口を塞ぐことを優先したせいで滑らかなものではない。表面が熱変形をしているせいで
ごつごつとしており、独特の固さが唇を押し返してくる。
柔肌と違い吸っても変化がないことを分かりつつも、僕は強くそれを吸いたてた。
ナナミにも快感機能はあり、淡い声が漏れてくる。続けて胸を揉むと、大きく声が漏れてきた。
感度を高くしているのか天然なのかは分からないが、
普段クールなナナミがこうした声を出すのは嬉しく思う。
「青様、私ばかり」
「僕がそうしたいんだよ」

 ナナミは困ったような怒ったような、判断しにくい表情で僕を見ると軽く頷いた。
その振動で肌に付いていた雫が緩い曲線を描いて滑り落ちる。
そして湿気で塗れた髪を手櫛で整えると、膝立ちの姿勢からゆっくりと仰向けに倒れた。
膝を折っているせいで、こちらに腰を突き出すような格好になっている。
仰向けでこちらを向いているので自然と伏し目になり、それがいやらしさを強調していた。
  ナナミ曰く三百年振りということもあり、理性による抑えがきかなくなってくる。
「お好きに、なさって下さいませ」
  ここが我慢の限界だった。
  この姿勢になっても尚、形が崩れない張りのある乳房。それをほぐすように強く揉み、
先端をねぶり、舐め、吸う。空いた手で股間に手指を走らせると、既に濡れほぐれていたらしい
割れ目は簡単に飲み込んだ。手を動かす度に泣き声のような声を出して体を揺らし、
ナナミの肌を幾筋もの雫が走る。
「青様、早く、ナナミのここに」
  自ら割れ目に人指し指と中指を当て、ピースサインをするように開いた。粘着質な音が僕を誘い、
その誘惑に抗うことが出来ずに一気に差し貫いた。とろけるような感触と
溶かしてくるような熱さがある。それは昔からずっと変わらない。
  壊してしまいそうな勢いでストロークをすると、風呂場中に水音とナナミの声が響く。
「青様、私は、もう」
「僕もそろそろ、ヤバい」
  ナナミは上体を起こすと、は、とも、あ、とも取れる声を出しながら抱き付いてきた。
唇を合わせ、舌を交わらせ、激しく腰を振ってくる。まるで自分のものだと言うように
脚を僕の腰に絡ませ、腕は強く僕の体を拘束する。
  唇を離し、は、と吐息をしながらこちらを見つめた直後、
「出して、下さいませ」
  言葉に応えるように放出した。
  僕がナナミの背に回した手をほどくと、脱力したらしくタイルの上に崩れ落ちた。
お湯が顔に振りかかるのを煩わしそうにしながら髪を掻き上げ、
「失礼を、致しました」
  僕は気にしないでほしい、と笑みを向けた。過去の光景は、もう見えない。

Sideリサ

 なんとなく目が覚めた。以前の仕事を辞めてから随分と経つというのに、
どうも体からはその癖が抜けきっていないらしい。目が覚めた原因を探ろうと
視線を回してみるけれどなにもない。間接証明の照らす薄暗い部屋は、非常に殺風景だ。
寝具と僅かな小物以外は何も置いておらず、ともすれば誰も使用していないようにすら思えてくる。
  では、原因は何だったのか。
  水音。
  そして女の喘ぐ声が聞こえてきた。
  きっとそれのせいだろう。長い軍生活で体に染み付いたもの、僅かな物音でも覚醒してしまう体質が
少し恨めしい。向こう側では何度も助けられたけれど、こちら側に来てからは無用の長物だ。
夜中に誰かが襲ってくることもなければ、急激な戦況の変化もない。
  そもそも、ここは戦争や内乱など関係もないのだ。
  そんな平和な場所に入ったというのにこうなってしまうなんて、あたしは余程そちらの方に
向いているらしい。疲れも取れず、こうして普通の人が寝静まっている時間に起きているというのに、
最初に思ったことは不快という感情よりも理由なのだ。それが毒されている最大の証明だろう。
人間らしさとは程遠いと思う。
  数分。
  もう一度眠ろうかと布団に潜り目を閉じたけれど、
一度去ってしまった眠気はなかなか戻ってこない。
だからと言ってこのまま無為に時間を潰すのも嫌で、これからどうしよう
かと考えている内に時間ばかりが過ぎてゆく。時間を潰す方法を考えることで時間を潰すのは、
人間としてどうなんだろう。無駄、と言うよりも下らなく思えてくる。

「運動でも、しようかな」
  馬鹿らしいことを考えるのを止めて、立ち上がった。時間帯は兎も角として、
だらだらと体を鈍らせるよりも余程健康的に思える。ここに来る前のことを思い出した
ということもあるし、少しだけあの頃に戻っても言いかもしれないと思ったのだ。
相手は居ないけれども幸いなことに獲物はあるし、方法については時間が足りなくなるくらいに
沢山学んできた。時間を潰すのには事欠かない。
  音をたてずにベッドから降り、灯りを点けた。瞬間、目が痛くなる程の光が部屋の中に満ちて、
全体が浮き彫りになった。あたしはこの光があまり好きじゃないけれど、
部屋の中のものを傷付けて青さんに嫌われるよりはずっと良い。
落ち着ける場所がなくなるのは嫌だし、この程度を我慢するのなら安いものだ。
  少し時間をかけて目を慣らすと、鞘からナイフを抜いた。ナナミさんが余程気を遣っているのか、
刃は眩しいくらいに光を反射している。形さえ違うのなら、鏡だと言われても
うっかり信じてしまうだろう。しかし刃物の形状をしているこれは、紛れもない凶器だ。
  懐かしい、と思いながら水平に構えた。
背がやたらと高い第二惑星の人から見ても大型であるこれは、第四惑星人のあたしから見れば
ナイフと言うよりも剣に近い感じがする。
程良い重さを感じながら左上へと振り上げ、一閃させる。

 慣性による力を身を回転させることで流して、二撃目に繋げる。ステップを踏みつつ、
斬り上げるような動きだ。リズミカルに足を運び、三、四と連続して刃を振るって空間を薙いでいく。
声を出したり足音をたてたりする訳にはいかないので雰囲気は出ないけれど、
耳に馴染んだ空気を裂く高い音がかつての時間を作り出してくれる。
  ラ、ラ、ララ、ラ。
  頭の中に浮かぶのは、今はもう居ない双子の姉の歌声だ。戦いは強くなかったけれど、
歌や演奏は上手く、軍の中で誰よりも音楽を愛していた。今している演武にしてもそうだ。
こちらは真剣にやっていたというのに、いつの間にか姉の歌声が混じってきて演武というより
演舞のようになってしまっていた。そのことには参っていたし、しょっちゅう怒っていたけれども、
嫌いではなかったのだ。無味乾燥なもの、と言うより殺伐としていたものが途端に華やかなものに
変わり、死を与えるものから生を振り撒くものに変化する。
  一人で居る今は、そうなっているだろうか。
  大きく腕を伸ばして前方を突き、右足を軸に半回転して背後に斬り下ろす。
長く伸びたあたしの髪がナイフと交わって独特な模様を作り出すのを見ながら飛び上がり、
刃を上方へと滑らせた。
「ララ、ラ、ラララ、ラ、ラ」
  気付けば口ずさんでいた歌に身を任せて着地し、低くしゃがんだ姿勢で脚を回す。
「ララララ、ララ、ラララ」
  回転の勢いはそのままに立ち上がり、螺旋状に斬り上げた。

 ここからは姉さんが気に入っていたフレーズ、もはや演武ではなくソードダンスというものへと
変わっていく。周囲の人間も自然に巻き込み、皆で踊り、歌っていたことを思い出した。
踊り手は互いに空を游ぐ刃をかいくぐり、謡い手は空に声を響かせる。戦闘以上のチームワークに、
皆が笑っていた。
  快音。
  見えない仲間の体の周囲を斬る度に、高い音がする。良い動き。敵を斬る訳でもなく、
空間を裂く訳でもなく、自分の気持ちを表現する動きだ。
  突き、裂き、身を回し、体を上下に移動する。荒くなる吐息と地を踏みしめる音は
剣を持つ者の楽器や歌声として、空に昇って響き渡る。
  始めの姿勢に戻り、敬意を持って床に剣を納めれば、一先ずの終了だ。
「見事なものですね、リサ様」
  突然の声に振り向くと、ナナミさんが立っていた。
「いつから居たんですか?」
  言い終えた後で、少し後悔した。つい素の状態で喋ってしまった。
せっかく今まで頑張ってきたというのに、それが一瞬で崩れてしまう。
  しかしナナミさんは気にした様子もなくあたしに一歩近寄ると、
「歌い始める少し前からです。これは、ソードダンスと言うのでしょうか?」
  普通に質問してきた。
「驚かないんですか?」
「誰にでも隠したいものはあるものです。青様に弱さがあるように、リサ様にもそうした
部分があるのでしょう。深くはお尋ね致しませんし、口外もするつもりはございません」
  数秒。
「いつものあたしを見て、どう思いますか?」

「明るく、純粋な方だと思います」
  それはそうだろう、皆の中心だった人物だ。いつも明るく優しく純粋で、
誰もがその人を好いていた。それは、モデルにしている幼い頃から変わっていない。
愛されている、という言葉は正にその人の為にあったようなものだ。
  吐息を一つ。
「あたしの姉です」
  短い説明だが通じたらしく、ナナミさんは頷いた。感情が本当にないのかは分からないけれど、
こうした対応をしてくれることが嬉しかった。
残骸であるあたしのたった一つの願いが叶ったことによる喜びのせいか、
それともナナミさんの独特の雰囲気によるものか分からないが、つい過去の話がしたくなる。
もしその相手が青さんでも、絶対に他人には話さないという妙な確信があった。
逃避の一つかもしれないと思うのに、重荷になるかもしれないと分かっているのに、
それとは逆の気持ちが沸き上がる。
  あたしはナナミさんを見つめ、唾を飲む。
「例え手遅れでも、誰かの代わりに死にたいと思ったことはありますか?」
「ございません」
「もし死ぬことで誰かが救えるとしたら、死にますか?」
「死にません」
  ならば、
「命と引き替えに青さんが助かるとしたら、助けますか?」
  これならどうだろう。
  ナナミさんは少し黙った後でこちらに一歩踏み込み、目を合わせてきた。
「助けます」
  やはり、そうだろう。
  しかしここで言葉を区切ることなく、
「ただし、私は死にません。私ならば、確実に誰もが助かる道を考えます」
  それでは質問の意味が破綻する。
  反論しようとして、しかし言うのを止めた。感情がない筈のその顔には、
決して揺るぎない程の想いが見えた。こうした相手には、どんな言葉も通じない。
  あたしは話を終わらせるように笑みを浮かべ、
「今の話は、絶対におにーさんには言わないでね。言ったら、メッ、だよ?」
「かしこまりました」
  そう言って、ナナミさんは深々と頭を下げた。

Take7

「おにーさん、起きて」
  体を揺すられて、目が覚めた。
  視線を声の方向へと向けると、膝立ちになったリサちゃんが眠そうな顔をしながら僕の体を
揺すっている。その背後、窓の外では太陽が見えた。壁にかかっている時計で時間を確認すると、
時刻は既に正午を回っている。どうやらかなり寝坊してしまったらしいが、
ナナミは起こしてくれなかったのだろうか。それとも気を遣って敢えて起こさなかったのだろうか。
リサちゃんがわざわざこんな時間に僕を起こしに来たということは恐らく後者なのだろう。
眠そうにしているのは、リサちゃんも寝坊したからか。
  僕はソファから身を起こして、リサちゃんの頭を撫でた。
「おはよう。ナナミはどこに居るか分かる?」
「おはよーございます。ナナミさんはお買い物、牛乳と卵が安いって言ってたよ」
  僕は物音には結構敏感な方だと思っていたのに、出掛けたことに気付かなかった。
どうやらかなり深く眠っていたらしい。その理由を考えて、すぐに答えが出た。
ナナミが僕を安心させてくれたから、深く眠ることが出来たのだ。
  帰ってきたらまずはお礼を言おう、と思いながら立ち上がる。
「あ、忘れてた」
  リサちゃんは腰に下げていた二つの鞘の内、小さな方を不慣れな手付きで外して、僕に渡してきた。
昨日の夜、せがんできたリサちゃんに貸したものだ。腰に下げたままのもう一つの方は
見覚えがないけれど、これもナイフなのだろうか。体格的に見ると、ナイフと言うよりも
剣のように見える。それもリサちゃんの外見にあまり似合わない大きなもの。
僕から見たら小振りな片手剣のようだが、リサちゃんから見たら幅広な両手持ちの大剣だ。

 その視線に気が付いたらしく、リサちゃんは大きな鞘を手慣れた様子で外すと
僕の眼前に掲げてみせた。幅は15cmから20cmだろうか。刃渡りは70cm程で、柄の長さを含めると
約1mにもなる。リサちゃんの身長と殆んど同じ長さだ。僕の伸長はリサちゃんの大体二倍程なので、
体感的には幅が30から40cm、長さにして2mにもなるものを想像してみた。
  何だろう、この化け物みたいな剣は。普通に考えて、きちんと扱えるような代物だとは思えない。
振り回して戦うどころか、逆に剣に振り回されるのがオチだ。
  リサちゃんは眠そうなままではあるものの、笑みを僕に向けると、
「ちょっとだけなら、触っても良いよ」
  そう言って僕に鞘ごと渡してきた。触っても良い、ということは、
あくまでも自分の物だということだ。どんな理由でこんな物騒なものを持ち出してきたのかは
分からないが、他人に譲る気はないらしい。使えるかどうか分からないものを持って、
リサちゃんは一体何をどうするつもりなのだろうか。
  そんなことを思いながら、剣を振った。危険なので抜き身にせず、鞘を着けたままだ。
僕には剣術の心得はないのでどのように使うかはさっぱりだ、適当に空間を薙ぐしかない。
その長さによる風斬り音がするだけで、その先はどうなっているのか理解できない。
ただ、見た目に反してやたらと軽いのは分かった。フライパンよりも軽いこの剣なら長さはともかく、
重さの部分で考えるのならリサちゃんの細い腕でも簡単に扱うことが出来るだろう。

 五度程空気を裂き、リサちゃんに返す。感想なんて聞くまでもない、屋敷に居た頃から
剣術の才能がないということが分かっていたから、今の動きがどれ程のものかも分かる。
  僕から剣を受け取ると、リサちゃんはそれを抱いて微笑んだ。僕に向けてではなくて、
剣に向かって。年相応とは思えない穏やかなその表情は、何を意味しているのだろう。
「良いもの、見せてあげる」
  そう言うと、リサちゃんは僕から数歩離れて剣を振った。僕が適当に空間を薙いだのとは違い、
使い慣れた動きだ。腕を精一杯伸ばして振る度に、僕のときとは別物のような音が部屋に響き渡る。
始まりの音から繋ぐように連続で刃を振るい、床を踏むステップの音と交わればそれは音楽となる。
小さな体からは想像も出来ないような大きな動きは、僕の目を強く引き付ける。
一歩間違えれば単に剣に振り回されているようにしか見えないのに、
確かな意思を持ったそれに踊っているのだと確信させられた。
「ララ、ラララ、ラ、ラララ」
  第四惑星特有の音楽なのだろうか、不思議なリズムの旋律がリサちゃんの小さな唇から流れてくる。
長い金髪を音もなく翻し、歌い、踊る様は正にソードダンサーだ。
それも、剣で踊っているのではない。剣と踊っているのだ。

 何と言うか、意外だった。普段のリサちゃんは明るく無邪気で、それこそ歌もよく歌う。
しかし今の姿はそんな様子とは遠く駆け離れた、どこか神秘的で、強く、
そしてどこか儚いイメージがある。いつもの姿からは想像もできない、
いや、いつもの姿が想像できない。
  どれだけ見とれていたのだろう、時間の感覚がなくなっていた。とても長かったような気もするし、
あっという間だったような気もする。気が付けば、踊りは終わっていた。
「どうだった、おにーさん?」
「いや、本当に凄かった」
  誉められたのが余程嬉しかったのか、きゃははと笑うリサちゃんの頭を撫でる。
しかしそれ以上の言葉は口にできなかった。どんな思い付きで僕にこの踊りを見せてくれたのかは
分からないけれども、きっと剣も歌も踊りも、とても大切なものなのだろう。
知り合ってからまだ一月も経っていない僕が訊いて良いようなものではないと思ったからだ。
  それはきっと、過去に通じるものだから。
  だからいつものように頭を撫で続け、抱えあげた。
「ごはんにしようか」
「うん」
  胸の高さで持つことでリサちゃんの首を視界から外し、台所へ向かう。
  テーブルには多めのホットサンドが置いてあった。昨日の残りを挟んだ手軽なものだが触ってみれば
まだ温かく、ナナミの気遣いが感じられた。これは作りたてなのではなく、
確率システムを応用した熱量保存システムだ。もう暫く帰ってこないのが分かったけれど、
何か買い物の他に用事でもあるのだろうか。珍しく書き置きもない。

 リビングに戻ると、チャイムが鳴った。
「ごめん、ちょっと出てくるから先に食べてて」
「うん、早くしないと全部食べちゃうよ」
「それじゃ、急がないといけないな」
  誰だろう、と思いながら玄関に向かう。ナナミが帰ってきたのかと思ったけれど、
彼女は普段ノックを使う。他に心辺りもなく、念の為にチェーンをかけてドアを開いた。
「こんにちは、ブルー」
  サラさんだった。
「あら、良い匂いがしているわね」
「今から昼食です。それで、何の用ですか?」
  昨日の今日で遊びに来たのだろうか。今まで彼女が居ることを知らなかったということは、
リサちゃんと同じで最近こちらに引っ越してきたということだ。
近所で知っている店も少ないだろうし、分かっている数少ない場所として来てもおかしくはない。
  サラさんは少し考えるような表情をして、
「用事は……ええとね。理由を考えるのが面倒だから直接言うけど、お昼ご飯をたかりに来たのよ。
もしかして、迷惑だったかしら?」
  本当だろうか。しかし表情を見ても不自然なところはないし、嘘が吐けるタイプでないのは
昨日なんとなく分かった。だが本当だとしたら、それはそれで嫌な話だ。
  どうしようかと迷ったが、ホットサンドも三人分はあるだろうし、招き入れることにした。

To be continued....

 

inserted by FC2 system