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「失礼します」 病室のスライドドアを開け、一礼。 「体のほうはいかがですか？ 病室の窓際のベッド、そこに彼女は今日も座っている。 「昨日左腕の包帯が取れたんですよ････お医者様もあと二週間で退院できると仰っていました････」 俺が花瓶の水を取り替えて椅子に腰掛けると、彼女は少し残念そうに言った。 そう、俺こと幹田馨（みきた かおる）は目の前の女性、森瑞希（もり みずき）さんを それにあとから解ったことによると、森さんには身寄りがいなかったのだ。 俺の贖罪への献身と、想いが通じたのか。最初は心を閉ざしていた彼女は日に日に笑顔を多く 俺はがんばって彼女に話しを合わせようと、いままでおろそかにしていた法学を必死で学び始めたが、 「本当ですか！！それはよかった！！」 だから俺は、包帯が消えた彼女の姿を心から喜んでいる。 「わたしが退院すれば･･･馨さんともう会うことができないんですね････そう考えると、 俺など憎んでも憎みきれない汚らわしいゴ○ブリ以下であるはずなのに、彼女は情けを掛けてくれる。 「寂しがることなんてないと思いますよ！！外には楽しいことがいっぱいありますし、 軽口だと気づいたときにはもう遅かった。 「忘れません！！！忘れることなんて････できません･･････」 彼女は震えながらも、強い口調で言った。おとなしくて物腰の柔らかい口調の彼女が取り乱す姿は 俺は大馬鹿野郎だ！！！！ 「申し訳ありません！！今まで浮かれすぎていました。自分が赦されることのない罪を犯した 俺は即座に土下座して額を地面に擦り付けた。摩擦熱で皮膚がすべて剥がれ落ちて醜い肉を曝しても、 「え････っ･･････そんな意味でいったわけじゃ････」 「とにかく、今日はこれで失礼いたします。ケーキは痛まないうちに食べてください。 俺は再度額を地面こすり付けてわびると、そのまま踵を返して部屋をあとにした。 「まって･･････ちがうの、そういう意味じゃ、馨さん！！････待って！！」 後ろで彼女が何か言っていたが後悔と不甲斐なさで噴火しそうな頭では聞き取ることができなかった。 そう俺は、罪人･･････赦されることなど、ない。 |
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馨さんは亡者のような弱々しい姿のまま、部屋を後にした。 「そ･････んな･････つもり、じゃ、なかったのに････」 津波のように押し寄せてくる感情。 実際、事故の原因はほとんどわたしのほうにある。 このことは事故で『一応』加害者となっている馨さんも知っているはずだ。 ････わたしは罪人だ。 馨さんは身長が高くて体つきも立派。 謝らなくてはならない、誤解を解かなくてはならない。 『もしかしたら、彼は明日からお見舞いに来なくなるかも････』 『面倒くさい女だと思って、別の女のところにいくかもしれない････』 そんな低俗で汚らわしい独りよがりな考え方をしている。 しかも、退院の日までが刻々と迫っているのだ。 どうしよう････もしかしたらこのまま彼と疎遠になってしまうかもしれない･･･
一晩考え抜いても、答えは出なかった。 「失礼します」 何時もどおり一礼して入室する馨さん。でも今日は声が少し枯れている。 「気分はいかがですが？森さん」 いつもはここで破顔してくれるのだが、今日は表情が硬いまま。 「へ、平気です････」 「そうですか」 彼は短く告げると日課となった花瓶の水を取替え、ゴミ箱と簡単な部屋の掃除をした。 「では今日はこれで････それと昨日のケーキ、いかがでした？幼馴染が薦めてくれた店で 馨さんの声がいやに冷たく感じる。そして言葉に含まれた『幼馴染』という響き。不穏だ。 「馨さん！！！･････幼馴染････誰？？」 気づけば大声を上げていた。 「ど、どうしました？森さん」 しまった、感情が暴走していた。先に誤解を解かなくてはいけないのに････ 「違うの････昨日の事････違う････」 「え？」 「忘れないってこと･･･！」 馨さんは目を見開いたまま直立していたが、また表情を曇らせると悲しそうに言った。 「解りました･･････迷惑でしたら、もうお見舞いにはきませんから････賠償金が少ないのでしたら、 その言葉を最後に馨さんは退出した。 今日も、誤解は解けなかった･･･
独りに、しない、で････ |
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俺がその報せを聞いたのは、事故を起こしてから回数を増やしたバイトが終わって 寝間着のスウェットの上にダウンジャケットを着込み、滅多に履かないスニーカーで家を飛び出す。 「長い入院生活で体力もないのに十五階から階段で降りようとしたみたいですね。 俺は糸が切れたようにその場でへたり込んだ。 「馨････さん････」 「おはようございます、森さん。そして、本当にすいませんでした！！！森さんの気持ちも考えずに、 「馨さん････わたしの話････聞いてくれるかな？」 また地面に額を擦り付けている馨さんの腕を取って、わたしはゆっくりと話し始めた。 「そ、それじゃあ忘れない･･･っていうのは？」 「うん･･･こんなわたしに優しくしてくれた馨さんを忘れることはできない････ってこと」 「じゃ、じゃあ俺のこと････」 「うん･･･赦すよ････」 馨さんは声を上げて泣き始めた。 まだ馨さんと一緒にいられる････ そう････思索に果てにたどり着いたのは、自らの体を傷付けて馨さんの視線を無理矢理固定することだった。 手首を切るのはどうか――――――――――――――――これは更に誤解を与える可能性がある、却下。 窓から飛び降りてしまうのはどうだろう――――本当に死ぬ恐れがある、却下。 馨さんは大勘違いが大得意なようだ。 わたしは、最終的に自分の体を階段から突き落とした。 えへへ･･･ 「森さんが元気でよかったです」 これからの入院生活のことを考えると笑いが止まらない。 「うふふふふ元気ですよ、ふふふ、困るくらいに････」 不気味な笑みを浮かべるわたしを訝るように見た馨さん。 でもそんな甘い高揚感は長くは続かなかった。
カツ･･････
「――――――――じゃあ明日から馨がお見舞いに来なくても平気よね」 カツ、カツ、カツ･････ わたしは顔筋が凄絶に引きつるのを抑えられなかった。 |
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---------森さんが眠っている、その頃＿＿＿＿＿＿＿ 「馨、ちょっと」 森さんの無事を確認した後、俺は夢の世界を彷徨いつつもなんとか大学にたどり着いた。 「ゆ、ゆかり････どうした？」 そこには長身の美女が立っていた。それも目に見えて解る不機嫌オーラを漂わせて。 「どうしたのはアンタのほうよ。最近授業マジメに受け始めたと思えばサークルにも顔出さないですぐ 早口で一気にまくし立てるのは同学部で、同じサークル。そして幼稚園のときからすべて同じ 「そ、そうか･･･？？ちょっと気に掛かることがあってな････しかたねぇだろ。 「べ、別に心配してるわけじゃにゃいわよ････」 「噛んでるぞ」 ゆかりは大きな胸を強調するように腕を組んだ。口を尖らせて不満をアピールしている。 「入院してる女の子のこと？？」 うう、いきなり確信か。どう答えたらいいかわからねー 「ま、まぁな」 「なによぉ、その反応？？もしかしてその女の子にフラれた、とかぁ？」 突き刺さる言葉。まぁ事実フラれたようなもんか。 「あ、あんたねぇ････仮にもバイクで轢いちゃった子と仲良くなれはしても付き合うなんてムリでしょ！！ いつものように強い口調で、ゆかりはブーツのヒールを鳴らして言った。 「いや、だからそれはちが････」 「言い訳はいいの。ちゃんと女の子に謝りなさい。私も着いて行ってあげるから」 「･･･わかりました」 有無を言わさないゆかりの強い視線。昔からこれだけには逆らえなかった。 ･････ 最近の馨はおかしい。 この男、馨は昔から『人』にモテる。 きっとちょっと前にバイクで轢いてしまった女の子もそんな馨の特性にヤられてしまった子なのだろう。 病院の窓口で面会手続きを済ませ、事故に巻きこんでしまった女の子の話をききつつ長い廊下を 「で、その女の子、また怪我したの？」 「ああ。階段から落ちて更に三ヶ月退院延期らしい」 「はぁ〜合計半年の入院ね･･･私なら背中にコケ生えるわ。 馨はお前に何がわかる。という目線で睨んでくるが、ぎろりと睨み返す。 きっと私の推測は当たっている。 でも････話を聞くうちに認識は変わった。 ――――――――――――――――馨の心を占めていいのは私だけなんだから。 「それじゃあ、ゆかりはここで待ってろ」 病室の前で、馨は珍しく真剣な顔つきをした。 カツカツとヒールを鳴らしながら病院を歩き回り、 『妙なんですよ････今回の怪我は。いくら体力がなかったとは言え･･･受身も取らずに自分から 私は頷きながらも医師の言葉の端々を反芻していく。 口の端が邪悪な形で歪むのを感じる。 さぁて･････ どうやって馨の心から退場していただこうかしら････
――――――――――――――――――――――――――――――――泥棒猫さん？ |
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私が病室に戻ると その薄っぺらい胸で馨の気を引こうってことかしら････ 私は入り口の影から暫く二人を観測することにした。 馨の親切心を利用して大した怪我でもないくせに全力で依存している。 「うふふふふ」 黒髪の女の子は口に手を当ててお上品に笑う。 ―――――――――――――――本当に幸せそう。 馨に気づかれないように接近。 女の子の黒い瞳とちょうど相対するようにして、言ってやった。 「―――――――――――――――じゃあ明日から馨がお見舞いに来なくても平気よね」 しばしの沈黙の後。 女の子の笑顔が、般若の形相に歪んだ。 「ゆかり？？部屋の前で待ってろって言っただろ！！」 「べつにぃ〜私がどこに行こうと勝手でしょ。それにアンタ、デレデレしすぎ。 膝までのブーツの踵を鳴らしながら、背の高い少し派手な印象を与える女性が近づいてくる。 好きじゃ･････ない。 馨さんは女性の言葉に、また顔色を失った。歯噛みしているようにも見えた。 女の人はわたしを品定めするかのように見渡し、極上の笑顔を浮かべた。 「初めまして、馨の幼馴染の浅羽ゆかりです。私の馨がご迷惑おかけしたようで」 ――――――――――――――幼馴染･････ケーキは････この人？？･･････ 背筋を悪寒が突き抜けていく。 ――――――――――――――思考が急に冷えていく。 「は、初めまして････森瑞希です････」 握手するのが嫌だから、視線を外して答えた。 「お怪我のほうも大したことなくてよかった。私の馨は大袈裟でしょ？だから貴女がそこの窓から 言葉に含まれる毒。 「ゆかり、止せよ。昨日の今日なんだから、森さんも疲れてるんだよ」 ゆかり？･････森さん････？どうして、浅羽さんは呼び捨てなのに、わたしは森『さん』なの？･････ 「そうかしら？さっきはあんなに元気そうに笑っていたのに。まぁいいわ。無事だってわかったでしょ？ やめて････やめてやめてやめてやめてやめて･･････ 馨さんを誑かさないで！！！ 「森さん･････？」 わたしを訝る馨さん。 気分が悪い･････ 「ねぇ、森さん？もうお見舞いに来なくていいわよね？」 黙りこくるわたしに焦れたのか、浅羽さんは少し語気を荒くしている。 どうしよう、どうしよう･･････ 「ちょっと、森さん？」 わたしがやっと搾り出した言葉。 「―――――――――――――――――――――――――その･････････････････忘れ、 馨さんの表情が凍りつく。 「さっき、赦してくれるって･････」 「･･････赦せるわけ････ありません･･････忘れることもできません････もう･････････」 「あんた！！！」 浅羽さんが怒りを露にする。そのままわたしの胸倉をつかみあげて綺麗な瞳で覗き込んでくる。 「ゆかり、止せ！！俺が、俺が････悪いんだから･････すいません森さん。 浅羽さんを羽交い絞めにして私から引き剥がし、馨さんは疲れきった顔でそう言った。 「馨、アンタは先に帰ってなさい。私は森さんと話すことがあるから」 浅羽さんは短く告げて馨さんを追い出した。
「あんた、いったいどういうつもり！！散々馨を苦しめといて･････まだアイツを
咲き誇る大輪の花が修羅の擬態だと見抜くのに、そう多く時間は掛からなかった。 |
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さっきはアレでも猫を被っていたほうなのか。浅羽さんの剣幕は恐ろしかった。 「･･････そういうあなたこそ････どういうつもりなんですか･･････大体･････ 「私はねぇ、馨の幼馴染なの！！！ずっと昔からそばにいるのよ。 「幼馴染なら･････いいじゃないですか。 自分でも言っていることは意味不明。 「ホント汚い女･････そんな可愛い顔して･････最初の事故だってあんたがちゃんと気をつけてれば 「そんなことどうでもいいんです････ 「ならはっきり言ったらどうよ！！！今まで自分の想いを隠すために事故のことを 「！！！！！！！！！！！！！！！」 ――――――――――――――――真実を抉られた。 どうしてこの人はまるで心を読むようにピンポイントで核心を突けるのか疑問に思ったが、 「何も言い返せないのね。まぁ当たり前か〜そんなこと馨に話したらもうお見舞いに この人･････馨さんと、したことあるの？･････ 「帰って！！！帰ってよ、この薄汚い牝犬！！！性の匂いを漂わせて馨さんを誘惑して！！汚らわしい、 負けたと解っても心は抵抗を続ける。 「ふん･･･襲い掛かってきたのは馨のほうよ。まるで動物みたいに息を荒くして、 ――――――――――――――――馨さんの照れた表情が脳をフラッシュバックする。 ――――――――――――――――あの笑顔が、優しさが、ぬくもりが、指先が、吐息が････ ――――――――――――――――全部この女のために･･････！！ 目の前が真っ赤になって、頭の中を白が埋め尽くす。
―――――――――――――それより先は覚えていない――――――――――――
言い負かしてやった。 私の願望を事実のように語ってやったら泥棒猫は憤怒と絶望の表情を交互に繰り返した。 そのまま放置してきたけどまさか手首切ったりはしないわよね？ あの女には意気揚々と語ったけど馨とはキスまでしかしたことがない。 ずーーーっと、そばでアピールし続けているのに馨はいつまでたっても気づかない。 さぁて、今日は行きつけのブティックで目一杯買い物して帰りましょ♪ ――――――――本格的に馨を陥とすにはイロイロ準備も必要だしね |
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部屋を追い出された俺は、とぼとぼと駅前通りを歩いていた。 暗い夜道、焦りに任せて単車を駆っていた光景が脳に浮かぶ。 いかんいかん、俺は贖罪に生きると決めたのだ。 あ、そういえばゆかりを病室に残したままだった。 『久々に呑まないか？？今ならアフターのカラオケつきだぞ。九時に新宿集合でどう？』 用件を短くまとめて送る。 『今日はバイトがあるからムリなの〜代わりといったら何だけど、よかったら明日私のアパートで アイツは二週間前にバイト辞めたような･････？という疑問はとりあえず端に寄せておくことにする。 先ずゆかりが怒っていないことに安心。 もうお見舞いに行くのは止そうと思っていたが、気まずい雰囲気をものともせずに すると、再び携帯が鳴った。 『――――――――――――――――て、よ――――――――――――――――』 ぼそぼそと何かを言っているようだがほとんど聞き取れない。 『森さん？････どうしました？』 反対の耳を指で塞ぎ、雑音が入らないように意識を集中させる。 「あの、森さ、 ････････････････夢なら醒めろ。 『森さん？？ととととにかく今すぐ向かいますから、落ち着いて、落ち着いてくださいよ！！！』 かろうじて聞き取れた、屋上という単語。 俺は電話越しで森さんを繋ぎとめようと必死だ。 『わ、たし この声･･･ほんとに森さんが発したものなのか？ 嘘だろ･････ 定期的に電話で声をかける。 口が渇く。喉が焼ける。 『も、り、さん････』 吐き出す音はほとんど言葉になっていない。 『ん――――――――――――――――ふ･････かおるさん、すてき――――――― ――――――――――――――――もう、訳がわからん。 はぁ、はぁ、はぁ･･････ ようやく屋上の扉にたどり着いた。 いた！！！！！！！！！ピンクのパジャマに黒のカーディガン。 「森、さん･･････何が、あったか、せつめい、して、もらえます、ね･･･？」 膝に手をつき、手の甲で額に浮かんだ汗を払いのける。 だから気づかなかったのだ、噛み付くように唇を奪われたことに。
「―――――――――んんんん」 森さんの薄い体が目一杯押し付けられ、ギプスで固定された左が後頭部に、無事な右腕が背中に 「馨さん･････待っていましたよ････」 どこか恍惚とした表情を浮かべる森さん。 一陣の強風で暗雲が晴れていく――――――――― その凶光を受けて黄金色に輝く上目遣いに、俺は文字通り石化した。 |
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「馨さん････待っていましたよ･･･ずーーーーーっと。待ちきれなくてこんなに濡らしちゃいました、 金色の輝きを浮かべる森さんの瞳。 「うふふ―――――――――もう準備はできてますから、早くください―――――――――」 小さな唇を吊り上げる森さん。 「正気ですか？？いったいどうしたんです！！！あの森さんが！！！」 「わたしはいつもほどほどに正気ですよ････まさか、あの牝犬にはできて、わたしにできない 彼女は愉悦の笑みを浮かべていたが、ふと思いついたように語気を荒くした。 「･････････めす、いぬ･･････？」 「あの女のことですよ、馨さん！！！！ 黄金の深淵を思わせる双眸が細められる。 まさか･････ゆかりのことか？？ 「さぁ、早くください･････もう、我慢、できません･･･････」 「待って、落ち着いて！！！」 細い体をボディプレスの要領で躍らせた森さん。
「ゆかりとは何もありません、だから落ち着いてください･････何を勘違いしているのかわかりませんが、 一歩後ずさる。 「だから、言い訳はいいって言ったでしょう？･･････もう解ってるんですから･････あの女は 「ゆかりの言ったことは嘘ですよ。俺はゆかりを抱くどころか、キスすらしたことありませんから」 徐々にうろたえていく森さん。あと少し、あと少しだ。 「え････････？でも、あの女は･････」 「ゆかりがどんな失礼なことを言ったかわかりませんが、とにかく冷静になりましょう。 まっすぐに森さんの瞳をのぞきこむ。 張り詰める空気。 「俺を、信じてくれ―――――――――」 肩を掴んで、抱き寄せた。 揺らぎは、決壊した。 「あ･･････････････え････････････？わわわわたし････あの女に、だまされたの？･･････」 「よくわからないけど、とにかく部屋に戻りましょう」 何もないところを見つめる森さん。 「わたし････････取り返しのつかないことを･･･････」 弱弱しいその姿に一瞬思考を奪われかけたが、ここで機会を逃したら最後かもしれない。 「その怪我はわざとやったんですよね･････俺のことを、引きとめようとして。 寒さにおびえる子猫のような彼女を、更に抱きしめた。 「あ･･････････」 森さんの瞳が輝きを取り戻した。 「その･････ごめんなさい、馨さんの気持ちを、なんども利用して、自分だけのために･････ 「いいんですよ、やっぱり悪いのは俺のほうなんだから。だからもう心配しないで」 「うう、ひぐっ、うっ、えぐっ･･･････」 俺の胸に顔をうずめ、子供のように泣きじゃくる森さん。 だからこの手を、離しちゃいけないと思った。 泣き疲れて眠ってしまった森さんを部屋まで送りとどけ、引っ張り出した椅子に腰掛ける。 いや、それでもよかったのかも――――――――― 安らかな寝息を立てる森さん。 ―――――――――思考を打ち消した。 この寝顔を見ていると自分の選択は正しかったと胸を張って言うことができた。 『･･････････どこにも･･････いかないで･････』 あの時聴いた言葉。
翌朝目覚めると、隣には馨さんの寝顔があった。 どうしよう････なんて馬鹿なことを････してしまったのか。 でも････ 『俺を、信じてくれ―――――――――』 これって、プロポーズ？････ 結局最後までいけなかったけど、結ばれる日は遠くないと思う。 だからこそ頭から離れない、幸せそうに馨さんのことを語った忌まわしい幼馴染が。 あの顔、体、声･････ ―――――――――でも、馨さんはわたしに言った。 もう一度隣の馨さんに視線を向ける。 渡さない。触れさせない。決して視界に入れない。 信じてるよ馨さん････ 「う･････ゆ、か････り？･････」
甘い空気は吹っ飛んで、体がおぞましいほどの憎悪に駆られた。 あわてて引き戻した。 いけない、いけない。 「ゆか･･･り･････」 ･･････････ぎり 我慢、我慢･･････
「ゆ、かり･････」 ぎりぎりぎりぎりぎりぎり････
「うふふ･････」
だんだん見開かれていく瞳を押さえられない。 「ゆ･･････････」 言葉は途切れ、途中で寝息に変わった。 「もう」 しょうがないなぁ、馨さんは。 でも。 うふふ････ ―――――――――つぎはないよ？ でも、もし、またわたしの前であの女の名前を出したら。 ―――――■すから･･･････
殺すから♪ 差し込む日差し。さえずる鳥達。 |
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俺にはやらなくてはならないことがあった。 真冬の風に差し込む日差しに少しの勇気をもらって、俺は携帯を握り締めた。 中央線の擦過音が耳を劈く。脳の位置がずれたのではないかと思うほど、 しかし、俺と森さん、ゆかりの関係はまったく違う。 突然ポケットに突っ込んだままだった携帯が振動した。 『ゆかり 内容は水槽の金魚に餌をやろうとしたら、鰐が飛び出して腕を持っていかれるくらいに予想外だった。
ゆかりのいない講義というのはいやに殺風景なものだった。
普段は思いつくことのない大学という場所に不釣合いな感傷に浸りながらも、 ガツガツとソールを鳴らし、俺はゆかりのマンションの階段を上っていた。 ――――だが俺は、それに気づかず、ゆかりの部屋にたどり着いた。
荒れる呼吸を何とか整え、とりあえずインターフォンを鳴らす。 もう一度、鳴らす。 何だこの違和感は？ 俺はすぐさま体を反転させ、管理人室へ向かう。 俺は再びエレベーターホールに向かい、階段を下ろうとして、言い知れぬ不快感に足を止めた。 心臓の鳴らす半鐘と、背筋を走り抜けていく悪寒が、強くなる。
だが中途半端な姿勢でそうしていた所為か、不自然な衝撃に体が均衡を崩した。 ふらつく足元、ゆれる体。 突然の衝撃に、階段を受身も取れないまま転がり落ちていた。 踊り場に転げ落ちて数瞬。 ようやく追いついてきた体のコントロールに全神経が痛みのオーケストラを奏でた。 ヘッタクソな演奏だ。統一性などない。 だが、たとえ視界をふさがれようとも、この細い目は、ぽんこつな耳は、霞む風景の中で
カツ、カツ、カツ･･･ この音は･･･ 不気味なくらいに冴えていく思考。 まさか･･･ それが･･･ ――――暗転した。 |
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確定だった。 今まで何度も心の中で否定してきたが、終にこうやって自身の瞳で映してしまったのだ。 その、決定的な光景を。 なんといえばいいのだろう。 ただひとつ簡単に言葉にしてしまうとすれば、それは一色に表すことができる。 ――――黒。 私があれほど釘を刺したのに、馨はまたあの病院へ向かった。 ふと一晩中私は何をやっているのだろうという考えにいたったが、一瞬で打ち消した。 少し悔しいなぁと、馨の横顔を浮かべては、思う。 それが、私の本心なんだから。 でも教訓に倣っているだけでは、現実は好転しない。 だが実のところ、どうやってあの女から馨を取り戻す？ 自分の体を使って馨を惑わそうか？ ならばあの女みたいに自傷行動に出るか？
さてどうしようか… きっとあの女も馨をひきつけようと、こんな策謀をめぐらせていたのだろう。 「■■…」 病室とあの女の顔、そして馨の後姿がかちりと音を立ててリンクした。 馨を他の存在に曝さない。 自分だけが馨を見ていられる状況を作り出す。 簡単なことじゃない… “馨を閉じ込めてしまえばいいんだ” そう思いついたとたん、急に胸が軽くなった。 なんて素敵なことだろう。 馨…ちょっと痛いかもしれないけど、我慢してね。 どうして今までこうしなかったのだろう。 沸き立つ気持ち。 悔しくて。目を覚まさせてあげたくて、何度も、何度も頼んだのに。 その寂しい笑顔が、忘れられなくて、離れられなくて。 それでもずっと待ち続けた。
もう我慢は要らない。 手段を選ばないタイプ。 ――――私と同じ、■■■なタイプ…
こんなことを考えている私、どんな顔をしているのかな？ 唇を吊り上げて、私は歩き出す。
学校を無断欠席した。 馨の心（なか）に住んでいる私、馨の瞳に映る私… 嬉しくなる。 一人はしたない笑みを浮かべていると、携帯が着信メロディを吐き出した。 内容は昨晩のこと。 でも同時に、心の奥には冷えた部分がある。 私の言葉でバカみたいに踊ったあの窮鼠はどんな行動に出たのか。 私が馨からの誘いに甘く震えているときに。
せっかく私が馨からの誘いに甘く震えているときに。 … 嫉妬と、焼付く様な怒りを伴い、業火で狂う。 メールは平常心を装った内容で返信した。 それから自分が何をしていたか覚えていない。 私がようやく平常心を取り戻したのは、馨のお陰だった。 荒々しく叩かれる扉。 来た……！！ 今すぐ飛びつきたい。 でも、我慢… 楽園は目の前に迫っている。 慎重に、慎重に機会を待つ。 すぐに去っていく足音。 さぁ･･･ 優しく馨の背中に触れてあげよう。 私の腕の中だから。 安心していいの。 ずっとずっとずっとずっとずっと！！ 傍にいてあげるからね。
後ろから迫る私の存在に、馨は気づかない。 いっそのこと抱きついたまま飛び降りようかと思う。 そして馨が階段を下りようとして固まった瞬間…！！ 愛撫するように優しく、そして律動するように激しく、その背中を押した。 魂が中に浮かんだように呆ける馨。 踊り場の壁に背中を打ち付けてうつぶせに倒れた馨は、身を折って激しく咳き込んだ。 色っぽい。 あぁ、こんな馨見たことないよ。
可愛い愛しい素敵大好き愛してる襲いかかって服を脱がしてこのまま獣みたいに交わりたい 自分の存在をアピールするように、いつも歩き方をする。 馨が微かに顔を上げた。 だから、ゆっくり休んで… 私は。
うごかなくなったかおるにくちづける。 |
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| To be continued... | |
