「何でこんな事になっちまったんだ……」
俺は頭を抱えながら呟いた。
あの後、店の従業員の人達が直ぐに救急車も呼んでくれたお陰で夕子は大事には至らずにすんだ。
とりあえず今は入院しているが、数日もすれば退院できるだろう。
尤も退院した後も暫らくは自宅療養になるだろうが。
そして俺はと言うとあれから丸一日経ったが、鬱とした気持のままだ。
やはり夕子のことが気にかかる。 当然だ。 何だかんだ言ってもあいつは俺の幼馴染だ。
それがあんな風に怪我を負って入院して、気にならないわけが無い。
だからと言ってどうする? あいつの望むように付き合ってやればいいのか?
違う。 そんなことしてもそれは一時的なその場しのぎにしか過ぎない。
それでもアイツはそれで満足してくれるだろう。
だが、其の選択肢を選ぶと言う事はすなわち美嬉との別れを――。
出来ない!!
やっぱり駄目だ。 夕子のことは確かに心配だが、それでも今の俺にとって一番大切なのは美嬉だ。
もう決めよう……。 今度こそ本当に覚悟を。
X X X X
あの日、紅司クンと白波さんの間に幼馴染以上の感情があるのではないかという疑念が沸いて以来
私は白波さんは勿論、紅司クンにもまともに視線を合わせることも話すことも出来ずにいた。
苦しかった。 寂しかった。
本当は会って話したい気持で一杯だけど、でも出来なかった。
疑念の気持を抱いたまま会うのが、話すのが怖かったから……。
そして私は紅司クンを避け続けてた。
そんな鬱とした気持のまま過ごす日々のある日の学校の休み時間。
「美嬉!」
「こ、紅司クン……?」
私は紅司クンに呼び止められた。
「話があるんだ……」
紅司クンは何時になく真剣な面持ちだった。
「ごめんなさい。 今、用事があるから……」
でも私はそう応えその場を立ち去ろうとした。
其の真剣な面持ちの口から語られるのが別れ話なのではと思うと怖くて。
だけどそんな私の腕を掴み紅司クンは言葉を続けた。
「大事な話なんだ。 一緒に来てくれ」
「え……? ちょ、ちょっと待っ……」
そして私は戸惑いを隠せないまま紅司クンに手を引かれ多少強引とも言える形で連れて行かれた。
紅司クンに手を引かれ私が連れて来れれた場所。 それは屋上だった。
屋上に付くと紅司クンは振り返り私の顔を真っ直ぐに見つめた。
其の真剣な眼差しに私は思わず気圧されながら口を開く。
「紅司クン? あ、あの私……」
そんな戸惑いを隠せずにいる私に向かい紅司クンは意を決したように口を開いた。
「美嬉、お前に話しておかなければいけない事があるんだ。 沢山有るけど、
だが一番大事なことから伝えるぞ。
俺にとって誰よりも一番大事なのはお前なんだ、美嬉」
其の言葉に私は今までの不安を拭い去ってくれる想いと、そして安堵感を感じ……。
でも直後正反対の気持が沸き起こる。
紅司クンと白波さんの親しげに話していた姿が脳裏に浮かんでしまい……。
「紅司クン……。 嘘……言わなくったっていいよ。
紅司クンにとってお似合いなのは私じゃないって解ってるから……」
そんな弱気な気持が気持とは裏腹な言葉を紡いでしまった。
「夕子のことを言ってるのか?」
そして紅司クンの口から出てきた言葉は私の不安な気持を見透かしてるようなものだった。
私が其の言葉に視線をそらしたまま頷くと紅司クンは私の肩を掴み正面から見据え言葉を続けた。
「やっぱり誤解してたか。 いや、まるっきり誤解って訳でもないが……。
確かにお前が思ってるように俺の夕子に対して抱いてた想いはお前が思ってた通り、だった。
幼馴染としてじゃなくて女として好き、だった。 でもそれらの気持は全部過去形だ。
今、俺が好きなのは……、いや今だけじゃなくこれから先も俺が好きな女はお前なんだ。
もう一度言うぞ。 俺が今、一番好きなのはお前だけだ!
この気持だけは偽り無い本当の気持なんだ! お前を失いたくないんだ!」
涙が溢れ出してきた。
紅司クンがこんなにも私の事を思っててくれたことに対する嬉しさ。
それなのに私は信じてあげられず、それどころか勝手に疑って避けていた事に対する申し訳なさ。
そんな気持で胸が一杯になってこみ上げる想いが涙を溢れさせていた。
「ほ、本当に私でいいの? 白波さんじゃなくて私なんかで……?
わ、私、紅司クンのこと信じ切れず、勝手に疑って避けてたのに……」
私がそう言うと紅司クンは私の涙をそっと拭い優しく微笑んでくれた。
「気にしてないよ。って言うより疑われるような俺にも否があった。 済まなかった。
辛い想い抱かせてしまって……」
紅司クンの言葉に私は首を振った。
「ううん。 謝らなきゃいけないのは私のほうなのに……」
「ありがとう。 これから先も俺の恋人で――一番大切な人でいてくれるか?」
優しい声で語りかけてくる紅司クンに私は想いの全てを込めて言葉を紡ぐ。
「ハイ。 私のほうこそコレから先も、ずっと、ずっと……、一緒にいてください!」
X X X X
何でよ。 どうしてよ。 どうしてこんなことになっちゃったのよ。
私と紅司は幼馴染で誰よりも深い仲で、しかも相思相愛同士だったのよ?!
なのに何でこんな事になっちゃったのよぉ……!
おかしいよ。 間違ってるよ……。
そうよ、私を選ばないなんて紅司は間違ってる。
どす黒い感情がお腹の底から沸き起こり心を塗りつぶしていく。
私じゃなくて藤村さんを……藤村を選ぶだなんて紅司は間違ってる!
藤村が、あの女が紅司に間違いを犯させた。
許せない……! 私にこんな思いをさせた紅司もあの女も絶対に許せない!
絶対……絶対に許さないんだから!!
だから……二人には……報いを……
受けさせてやる!
離れた場所に二人で話をしている紅司と藤村の背中を見つめながら私は鞄に手を突っ込んだ。
そして取り出すは一振りのナイフ。
(死ね……! 死ね……!! 死ね……!! 死ね……!!! 死んでしまえ!!!!
私を裏切った紅司も! 私から紅司を奪ったあの女も!! 二人とも死んでしまえ!!!)
怒りと憎しみと妬みで胸のうちを支配されてた私は其の行動に疑問を抱く余地など無かった。
そして私の存在に気付かぬ二人に向かって私は真っ直ぐ進む。
二人揃ってでも、どちらか片方でも構わない。
この手で引導を渡してやる!
もう、ただ二人が一緒にいるそれだけで私の心は掻き乱され許せない思いだけで一杯だった。
このナイフをあの二人に突き立てる、それしか私の頭に無かった。
そしてあと数歩で二人にナイフが届く――、そう思ったときだった。
「何やってるんだ白波!」
私は腕を掴む強い力と其の声に妨げられてしまった。
其の掴んできた手と声の主は――
「先……輩……?」
かって一時だけ――そう、紅司を忘れたいが為だけに偽りの交際をしてた相手――。
「こんな物持って! 白波! 一体何をするつもりだったんだ?!」
「何を……ですって? そんなの決まってるじゃないですか……。報いを受けさせてやるんですよ。
紅司に私を裏切った事に対する――、そしてあの女に私から紅司を奪った事に対する!!!」
「バカヤロウ!! 本気で言ってるのか?!」
「えぇ、本気ですよ。 冗談でこんなこと言えるわけないじゃないですか。 だから退いて下さい。
退いてくれないなら先輩も……」
「俺も刺すって言うのか? いいぜ……」
次の瞬間、先輩は私の手首を掴むと自分の方に向け……。
「せ、先輩何するんですか?!」
先輩は私の手に握られたナイフをそのまま自分の腕に突き刺したのだった。
手に伝わってくる肉を切り裂いた感触が、伝って流れてくる血の生温い温度に私は……。
「目を反らすな白波! コレがお前がしようとしてた事なんだぞ?!
こんな事をお前はしようとしてたんだぞ?! 分かっているのか?!」
先輩の言葉が胸に突き刺さる。 ナイフから滴る血は私の手にも伝ってきて――。
「う、うわああぁぁぁぁぁ……………!」
途端に恐ろしさが込み上げてくる。 人を傷つけてしまったと言う事の怖さ、
取り返しのつかないことをしてしまったという罪悪感――。
指先から力が抜けナイフから手が離れると真っ赤に染まった掌が目に飛び込む。
血塗られた掌に私はその場に崩れ落ちそうになり――。
「白波?! おい?! 大丈夫か白波?!」
――そんな崩れ落ちそうになった私の体を支えてくれたのは先輩の腕だった。
「ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……」
「いや、俺の方こそ色々済まなかった……」
あの後泣き崩れる私は先輩に連れられその場を離れ、そして先輩の腕の手当てもして今に到ってる。
「先輩……、腕の方は……」
「あぁ……もう血も止まってるし、ちゃんと指も動くし神経とかも大丈夫みたいだ」
先輩の言葉に私は胸をなでおろした。 そしてホッとするとまた涙が溢れてきた。
そんな私の涙を先輩は拭ってくれて心配そうに覗き込んできた。
私を案じ顔を真っ直ぐに見つめてくる先輩の眼差しに私の荒んでた心は癒される思いだった。
「先輩……どうして、その、私なんかのためにココまでしてくれたんですか?」
私がそう訊くと先輩は一瞬困惑したような表情を見せ、そして僅かに視線をそらし口を開く。
「その……お前の事が、まだ……好き、だから……」
「え……? そ、そんな……。 だ、だって私……」
私は紅司を忘れられなくて、それが辛くて紛らわせたいと言う身勝手な思いで
その気も無いのに先輩と付き合った振りしてて……。
それで先輩を傷つけたのに……。
「あ、別にまた付き合ってくれとかそんな事は言わないから……。お前が吉田を諦められない事は、
惚れた相手を諦められない事ぐらい、そんな事この俺が誰よりよく知ってるから……。
でもな、振り向いてくれないからってそれでどうでもいいわけじゃないんだ。
例え振り向いてくれなくっても、報われない片思いでも、
それでも好きな相手が過ちを犯すのをみすみす黙ってなんて見てられなかったから……」
其の言葉に再び涙が溢れ出してきた。
先輩の気持に比べて私の紅司に対する気持の身勝手さに対し恥かしさがこみ上げてきた。
気付けば私は先輩の胸に顔を埋め泣いていたのだった。
――あれから数ヵ月――
とある休日の昼間。
「おまたせっ、先輩」
「いや、俺も少し前に来たばかりだから。 じゃぁ行こうか」
あれから気付けば私と先輩はこうして過ごす機会が増えていた。
これが恋愛感情なのか、と問われるとやっぱり違う気がする。
失恋の傷も多少は癒えたけど、でもやっぱり未だ紅司に告げられた事が辛くて諦め切れなくて、
結局それを紛らわす為先輩を利用してるだけかもしれない。
それが申し訳なくて先輩にそう伝えたりもした。
それでも先輩は微笑んでくれた。
『それでお前の気持が紛れるなら幾らでも利用してくれればいい』と言ってくれた。
そんな先輩の優しさに縋ってる自分が卑怯だと自己嫌悪に陥ったりもしたけど……、
それでも先輩は変わらない優しい笑顔を向けてくれた。
そして、最近気付いた事が一つある。
それは先輩の――
このひとの笑顔が前よりも好きになってた事だった――。
END |