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放課後の対決

 

1

夕暮れ時の教室はひどく寂しい。
窓の向こうで練習に明け暮れるサッカー部員の姿が、まるで額縁の中の絵画に思える。
切り取られた世界。隔絶された空間。
私は教室にひとりきり、自分のものではない机に腰掛けている。
「……やっと来たかな」
私は息を吐いた。
待ちわびた足音が教室の前で止まる。
ようやく扉が開かれる。
私は目一杯の笑顔で彼女を迎える。
ようこそ。
処刑場へようこそ。

覚悟は出来てる?

 

「あの、なんの用でしょう? こんな時間に……」
きょろきょろとこちらを窺いながら、彼女は教室に入ってきた。
本当に可愛い娘。背が低くて、細くて、そのくせ胸は大きい。
わずかに茶色に染めたショートボブがよく似合ってる。
さぞかし男が引っ掛かるでしょう。
思わず嘲笑ってしまう。
誤魔化し半分に、私は切り出した。
「今日呼んだのは、彼のことについて、あなたに言いたいことがあったから」
「? 彼って?」
小首をかしげて、抜け抜けと言ってみせる。
まるで「誰のことでしょう、わたし全然わかりません」といった様子で。
他でもない私に呼び出されたのだから、察しくらいは付いているでしょうに。
「本当に白々しい。……そうね、一昨日あなたと寝た彼、って言えばわかるかしら?」
彼女の身体が震えたのがわかった。
決定的な証拠は持っていなかったけれど、これで確信した。
やはり彼女は――……
沸々と怒りが湧き上がってくる。冷静になろうとして抑えていた怒りが。
このアマ、この泥棒猫、この腐れ売女、この――
さまざまな罵倒が脳裏を巡っては消え、消えては巡り、
最後に私の口を突いて出たのはこんな言葉だった。
「……彼に近づかないで」
大切な彼。
いつも私に優しい幼馴染。
こんな腐った女に騙された、かわいそうな男の子。
「あなたみたいな下衆、彼には似合っていないのよ。とっとと別れて。二度と彼の前に姿を見せないで」 
「……どうして?」
まったく落ち着き払った声だった。
彼女は優雅ともいえる仕草で、私の正面に座った。
先ほどまでの怯えた様子から一転――まるで女王様のように。
「あなた、ただの幼馴染でしょ? わたしと彼との関係に、どうして口を挟むのよ?」
「っ、ただの幼馴染じゃないっ! 私はっ!」
「『私は』――なぁに? 『ずっと好きだったの』って? 『私が先に好きになったんだ』って?
  『だから彼は私のモノだ』とでも? ……随分とお高くとまってるのね」
ふふん、と鼻でせせら笑う音が聞こえた瞬間、一気に頭に血が上った。
思考が空白に染まった。
そして、
私は、

――パシィッ!

右手を動かしていた。
頬を打つ小気味いい音。
「う、うるさいのよっ! あんたは、どうせお遊びなんでしょっ! 私は本気で、本気で彼のことを、好きなんだからっ!!」
私の声は震えていた。
頬を押さえた彼女が、ものすごい目付きでこちらを睨んでいた。
「……お遊び?」
彼女が口を開いた。
「お遊び。ええ、そうよ。楽しいお遊び。わたしも随分と多くの男と寝たわ。数え切れないくらい」
あっけなく、彼女はそれを認めた。
認めたのね。自分が薄汚い女だと。
「恋愛なんて、所詮お遊びだと、思ってた。欲しい男を手に入れるための遊び、だと思ってた」
そう、この女はそういうタイプのクズ。
人を人とも思わないようなヒトデナ――
「これまでは、そう思ってた」
――え?
「でもね、彼は違うのよ。彼の傍にいると、すごく穏やかになれるの」
ちょっと待って。
待ってよ。
「わたしがそういう女だと知って、わたしの体目当てに近づいてきた男はたくさんいたけれど、」
私、おかしくなっちゃったのかしら。
彼女のことがわからない。
――彼女は、なぜ泣いているの?
「わたしのことを考えてくれて、そういうことから遠ざけようとしてくれた人は、彼だけだった」
ヒトデナシであるはずの彼女は、その大きな瞳からぼろぼろと涙をこぼして、それでも顔を上げて私を睨んでいた。
……やめてよ。
あなたは男好きの女郎蜘蛛。彼はその巣にかかった哀れな虫ケラ。
そのはずでしょ?
ねぇ、それだけなんでしょ?
「わたしは彼が好き」
私の懇願とは裏腹に、彼女は断言した。
「彼もわたしを好きだって言ってくれてる。
  もし、それでも彼が欲しいと、わたしと戦うと言うのなら――」
彼女の黒い瞳が私を見据えた。
足が竦んだ。
「――負けないから」
それは私を射抜いた。

 

彼女の足音が遠ざかっていく。
処刑されたのは誰だったのか。
もう日は暮れた。
暗くなった教室。
ひとりきりの教室。
――ひどく寂しい。

私の隣には、彼がいない。

2006/01/25 完結

 

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