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蒼天の夢 第11話



11

 規則正しく野菜を切る包丁が聞こえる。
  親父が朝ごはんの用意をしているのだろう。
  窓の外では既に太陽が顔を見せている。
  スキッダーになってからは家で朝を過ごすことはほとんどなかった。
  そのせいか普通の朝が懐かしく感じる。
  本来なら今頃走りこみの最中だ。
だが昨日、サイクロプスにやられたせいで血が足りない。
傷はエリシアさんが直してくれたが失った血はどうにもならないらしい。
おかげでしばらくは家で安静にしていろと言われた。
  お袋はお袋で変な薬をいっぱい飲ませるし、親父は今朝抜け出そうと思ったら
しっかり家の前で見張っていた。
「つまらん……」
  とにかくジッとしているのが嫌だ。
  何かしたいのだ。でないと昨日のことを考えてしまう。
『ジース君は十分魅力的』
  エリシアさんの言葉が頭の中で木霊する。
  ひたすらクリフ・スキッドのことしか考えてこなかった代償か。
  一晩経った今でもあの時の光景が瞼の裏から離れない。
  今考えてみるとはじめてのキスを奪われたのだ。
  世間では俺と同年齢で既に結婚して子供を生んでいる奴らもいる。
  そんな連中が今の俺を見たら大笑いするだろう。
  そういえばあの時はティオーナが起きてきてあやふやになってしまった。
  だから結果的に俺はエリシアさんに答えを返していない。
  問題はそこである。
  俺はエリシアさんをどう思っているのか。
  少なくとも今までは俺にとって彼女は先生であり、姉であった。
  不思議で、綺麗で、聡明で何でもできた憧れだった。
  好きか、と問われれば当然好きと答える。
  ただ一人の女性として好きか、あるいは家族として好きか、と聞かれたら詰るだろう。
  他にも彼女はエルフであり、俺は人間であるという問題も忘れてはならない。
「はぁ……」
  最近は一日に三回ぐらいため息をついている気がする。
  ともあれ自分だけで考えていては埒があかない。人に相談できればいいのだが誰が良いだろう。
  アズールは人間の言葉を理解できないから当然だめだ。
  アザラスは論外。
  エリシアさんと直接知り合いのお袋もだめ。
  年下のミリアちゃんに言うのもなんだか気が引ける。
  同僚のスキッダーたちなら聞いてくれそうだが、帰る頃には町中に噂が広まってそうで却下だ。
  同じ理由でライアンおやじも一見良さそうでも、商会に対して口が軽くて困る。
  最終的に残るのは自分の親父だ。
  お喋りではないし、身近なので相談しやすいといえばしやすい。
  ただ俺が望む助言をしてくれるかどうかが問題だ。
「坊主!朝飯ができたぞ!」
  そうこう考えている内に、当の親父が台所から俺を呼んだ。
「おう、今いく」
  いつもとは遥かに遅いペースで着替えると台所までのろのろと足を運んだ。
  テーブルには野菜スープとパンが湯気を立てて並んでいた。
  久しぶりの朝の食卓につくと親父が聞いてきた。
「大人しくしてろって聞いているが、坊主は何するんだ?」
「大人しくしてなきゃいけないなら何もできないって」
「母さんの薬ちゃんと飲むってんなら散歩ぐらいは許してやるぞ」
「散歩ねぇ」
  散歩すると言っても何処に行けばいいのやら。
  丁度いい。今親父に相談してしまおう。
「なあ、親父」
  流石に、エリシアさんにキスされたんだけどどうしよう、と聞く訳にはいかない。
一番知りたいのは一人の女性が好きになるというのはどういうことか、なのだ。
「あ?」
「お袋を好きになった時ってどんな気持ちだったんだ?」
「……やっぱ寝てろ」
「ちょっと待て!息子が悩んでいるのに何だよ、その反応は!」
「……いや、今までそんなこと聞かなかっただろう」
「何だっていいだろ」
  親父はしばらく手を合わせて俺を見つめていた。
  お袋の記憶でも思い出しているのか。あるいは何で俺がこんな質問をしているのか考えているのか。
  朝っぱらから重い空気だ。スープの湯気でさえ鬱陶しく感じる。
「ごめんください」
  重い空気を破ったのは明るく元気な声だった。
「坊主」
「分かってるよ」
  玄関に扉を開けに行く。
「ミリアちゃん!」
「……ジースさん」
  扉を開けるとそこにはエプロン姿のミリアちゃんが籠を持って立っていた。
「大丈夫なんですね!よかった!」
「うおっ」
  俺を見るや否や彼女にいきなり抱きつかれた。
「心配したんですよ!お父さんはジースさんがしばらく休むって言うし!」
捜索から戻ってきた時、俺は大事をとらされ一人だけ直接家に帰ってきた。
アズールたちとグレイ・クリフ山まで戻りたかったがエリシアさんが許してくれなかった。
だからミリアちゃんと会うのは捜索に飛び立った時以来だ。
  色々と心配をかけてしまったのだろう。いつもは元気な声が震えている。
「ごめんごめん、色々あったんだよ」
「でも、よかっ――」
  彼女は急に俺を離した。言葉も途中で切れ、瞳が虚ろになってゆく。
「ミリアちゃん?」
「なんでジースさんから臭いが……」
「げ……」
  昨日は疲れていたこともあり濡れた身体を拭うだけで寝てしまった。
やはり女の子からすれば臭かったのだろう。
「ごめん!今洗ってくるよ!」
「ああ!違う!違います!」
  慌てて家に戻るところをミリアちゃんに引き止められる。
「とにかくジースさんが元気でよかったです」
  ミリアちゃんはそう言いながら持っていた籠を差し出す。
「あの……これ、持ってきたんですけど、よ、よかったら……どうぞ」
  籠の中にはパンや果物などが入っていた。
「おお!ありがとう!とりあえず立ち話もなんだから中に入って。親父が朝飯つくったからさ」
  俺はありがたい見舞い品を持つと、ミリアちゃんを中に招き入れた。
「いいですか?じゃあお邪魔します」
  一方、親父はミリアちゃんを居間に通しても特に驚くことなく迎えてくれた。
「いらっしゃい。すまないな。うちの馬鹿息子のために」
「馬鹿で悪かったな」
「まったくだ。もう少し利巧だったら人様に迷惑かけずに済む」
「ぐ……」
  何か言い返したいが何も言い返せないのが悔しい。
「まあまあ。ジースさんが大丈夫ならそれでいいじゃないですか」
「君も大変だろう。こんなのに振り回されて」
「いえ、そんなことありませんよ。毎日が楽しいです」
「そう言ってもらえると助かる。それより腰掛けていてくれ。今君の分も用意する」
  親父は席を立ち上がると台所のほうに食器をとりにいく。
「あ、わたしもお手伝いします」
  ミリアちゃんはすかさず親父の後についていった。
  不思議な光景である。俺は生まれてからずっと父親が台所に立っているのを見てきたはずだ。
まさに日常風景。だがミリアちゃんという可憐な少女が一人加わっただけで
親父に妙な違和感を覚えてしまう。
  俺が食卓でそんなことを考えていると再び扉がノックされた。

 

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