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老人と12人の少女(仮)

第1回


1

 このごろの若者の奢侈淫佚は目にあまる。何かにつけ恋愛々々、
二言目には別れるの別れないのと、しまいにその場かぎりのけしからぬ関係が
一生涯の重大事であるかのように振舞っている。
この時代において修身の教科書を努めるべきテレビジョンでは、
役者くずれの男女をバスに乗せた兎にも角にもくっ付きくっ付けの諍い事の見世物が垂れ流され、
巷では、純愛譚を装った猥本紛いの読み物をもとにした活動写真が評判となっている。
中にはしたり顔で、これこそ人生だなどととち狂う者もある。
私の若い頃にはマルクスを読んでいたのが、今の青年たちときたら
飲食店で互い互いの値踏みに躍起である。明らかな性欲過多である。色きちがいといってもいい。
物心ついたばかりのころはじいちゃんじいちゃんといぢらしかった末の孫でさえ、
世間の毒に中てられている。
次男三男坊には男根(へのこ)一本の時代でなくなったというのに、
猿紛いの婬虐暴戻、日本男児の純潔はどこへやら、今はもはやドン・ジュアン気取りである。
「こりゃ七詩、分別を持てといつも言っとろうが」
「はいはい、昼めしはさっき食べたでしょ」
  とりつくしまもなく、孫は目も合わさずにけえたいとやらを指先で弄繰り回している。
「ともだちの家に遊びに行くから、晩めし要らないって母さんによろしく」
  ともだちとはいうものの、どうせ、気味悪く猫撫で声を掛け合う間柄の女学生であることは
想像するに余りある。
孫はいそいそと支度しながらも有頂天な様子で、時折聞きなれぬ女性の名をつぶやいている。
これで孫のともだちは両手の指では数えられぬほどになり、
その広い交友関係を自身の若かりし頃と比べて微かに羨ましく思いつつ、
祖父として当たり障りのない忠告を与えた。
「七詩、論語に巧言令色鮮し仁というのがあって――」
「あ、じいちゃん。もし誰か訪ねてきたら七詩は塾に行きましたって伝えておいて」
  東風の馬耳を射るが如きである。

 児孫のために美田を買わずとはいうが、どんな悪童でもやはり孫は子よりかわいくて、
ついつい甘やかしてしまい、七詩に言われたがまま、たった今押しかけてきた女学生を
舌先三寸で丸め込める。
「女房の妬く程亭主もてもせずという川柳がありましてな、それに身内の私が言うのもなんですが、
七詩は男っぷりがあんまりよろしくない。
もすこし美男子に生まれてくれればよかったのですが、やはり、遺伝ばかりはどうにもなりません。
家内だけは若い頃それなりの美人系でしたけれども、
AたすBの自乗もそんなにあてに出来んものですね」
「うそ、言わないでください。塾なんて、うそを言わないでください。
おじいさまは、七詩さんにそう言ってくれって頼まれたんですよね。
そうですよね。そうにきまってます。だってこの前も、この前の前も、
おじいさまは今と全く同じ事を仰ったじゃありませんか」
「はて、そうでしたかな」
ぼんやり口を空けて顎鬚を抓って見せると、女学生はきまり悪そうに目を背けた。
耄碌を目にするのは痛ましくも遣る瀬無くもあり、女学生の初めの勢いも段々と失せて行く。
狡猾な爺になったものだと考えれば、こちらも良い気持ちではいられない。
「突然お邪魔してすみませんでした。七詩さんが帰ってきたら、これ、渡してください」
女学生が暇を告げる際に差し出した紙切れには、婚姻届という活字と、
男女それぞれの戸籍が書いてある。
無論、筆跡は全て同一のものである。この女学生も他の娘に負けず劣らずしたたからしい。
始末に困るこうした類の紙切れは既に四枚ほど箪笥に入っているが、
印鑑を待つばかりの状態に仕上げられているのは初めてである。
四谷怪談か阿部定事件か、憤死にせよ情死にせよ好ましくない事情に立ち入るけはいが
そろそろ感じられ始めたので、
ある日、一つ諭してやらねばと不肖の孫を呼び出してはみたけれども、
「うん」「そうかな」と答えるばかりで一向に反省の色を見せない。
それどころか小遣いをねだってくるのである。数枚の紙幣を渡し際、
「これ以上、じいちゃんの寿命を縮めないでおくれ。せめて曾孫くらい見たい」
と言えば、嫌な顔をするという有様である。

 本人に何を言っても無駄であるのが解って、今度は外堀から攻めようということになる。
「そんなわけだから慈子(いつこ)ちゃん。どうにかして七詩を懲らしめてはくれんかの」
「やですよ。なんであたしが」
七詩の幼なじみである彼女ならもしやと考えたのであるが、
折角用意した菓子折りを突っ返されたばかりか、心底嫌そうな顔もされた。
「あいつがどうなろうとあたしには関係ありません。あんな女ったらし、
刺されて死んじゃえばいいんだ」
「そこをどうにか。ふりだけでいい。ふりだけで。
慈子ちゃんが七詩と交際しているみたいに振舞って、根も葉もない事を吹聴してさえくれれば」
そう膝に手を付いて頼むと、慈子ちゃんは何か思うところがあるのか思案顔になり、
しばらく経って、後ろめたそうにわき目をしながら、
「ほんとに、あることないこと、言いふらしていいんですか」
「かまわんとも」
成果は思いのほか早く現れた。それから数日後に七詩は必死の形相で玄関を開けて、
半ば涙声で懇願した。
「じいちゃん、居留守、居留守使って。七詩は居ませんって。来月の小遣い要らないからお願い」
言いながら七詩は震える指で玄関に鍵をかけると、
盗人のようにちょこまかしたつま先歩きで自室へと篭ってしまう。
いつもはけたたましい扉の開け閉めの音が聞えるのであるが、
その日ばかりは随分とひっそりしていた。
この後、女学生やら妙齢の婦人やら中学生らしき少女やらが十二名ほど入れ替わり立ち代り
訪れたけれども、その都度、口をだらしなく半開いて応対することで、大したいざこざもなく
追い返すことが出来た。
ゲートボールに行った帰り道でふと目に留まり、老眼鏡をかけなおしてよくよく観察してみれば、
七詩と慈子ちゃんが寄り添って歩いていた。
七詩はなにやら目の下に隈を作り、いかにも満身相違といった感じである。
慈子ちゃんは七詩の腕をぎゅうと抱きかかえて、それこそこぼれんばかりの笑みを浮かべている。
正直な感想を述べてしまうならば、かわいらしいというよりも薄気味が悪い。

「七詩のお祖父さん、こんにちは。いいお天気ですね」
慈子ちゃんが挨拶するのに合わせて七詩が恨めしげな目を向けてくるが、
孫に恨まれるような心当たりは無いので、ついと懐からあるものを取り出した。
「ところで慈子ちゃん。これ、頼まれた合鍵出来たんで渡しとくよ。
たまには夕食でも作りにきておくれな」
「まあ、わざわざすいません」
慈子ちゃんは七詩の腕を結構な力でもって抱きしめたまま、ぺこぺことお辞儀を繰り返した。
それにしても念の入った演技である。
あくる日、七詩は朝帰りするなり、荒い呼吸をしながら怒鳴り声を浴びせかけて来た。
「じいちゃん。どういうことだよこれは」
早朝から近所迷惑である。年寄りの朝の楽しみを邪魔しないでもらいたいものである。
「なんで慈子があんなに痛い女になってやがんだ。急に付き合ってるとか言い出すわ。
結婚の約束したとか広めるわ。しまいにゃいつの間にか携帯のメモリー消されてるわ」
盆栽の手入れを続ける。近いうちにこのサボテンにも花が咲くであろう。
「しかも一服盛られて、既成事実も」
鉢植えの隙間に野球のボールが挟まっているのを見つけた。
近所の子供が誤って放り込んでしまったに違いないので、塀の上に転がしておいてやる。
「昨日なんざ、他の女と喋っただけでぶち切やがったんだ」
ぐすぐすと鼻をすする音が聞え、七詩がまたあどけないころ、慈子ちゃんにいじめられて、
こんなふうに逃げ帰ってきたことがあったのを思い出し、何ともいえぬ感慨に浸る。
思えば、年をとってからは月日が経つのが早くなっているようである。世の中の変化も、
身内の成長も、瞬く間に過ぎて行ったと感じることさえある。
「あれもこれもみんな、じいちゃんが仕組んだことなんだろ」
「はて、なんのことやら」
月日が早く経つから物事を早く忘れるのである。

2008/08/21 完結

 

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