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MISCAST(仮)

第1回    


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 わたくしがどれほどアントニオ様を愛していたとしても、その思いを彼に打ち明けることも、
打ち明ける資格もございません。
わたくしは金貸しの娘です。食べるものに不自由しないどころか、
世間一般の方々とくらべて、ずっとずっと豪奢な生活をおくっています。
その生活が、他人の犠牲の上に成り立っていることは知っています。
高利貸しの父は、首吊りの紐を引っ張るような仕方で利子を搾り取り、
もしも気に入らないところがあれば、これまで懇意にしていた方々さえも
裁判所に引き立てる人間です。
私が父のことを人否人と言えないことは百も承知です。
着飾って表に出れば、ぼろを着た乞食に「薄汚いユダヤ人」と罵られ、
サロンに出ればその日父に破産させられた紳士に「異教徒め、地獄に落ちろ」と
唾を吐きかけられます。
彼らの怒りは尤もです。父が恨みを買ってでも富を増やすのは、母の唯一の忘れ形見である私に、
少しでも良い暮らしをさせたいと願っているからなのです。
  若い商人のアントニオ様も、そうした父の目的のために、一文無しになってしまいました。
父は私の身に付ける宝石の代金を工面するため、
アントニオ様に、曰くの或る商船を売りつけたのです。
アントニオ様のものとなった商船は、後払いの代金の支払期日が来ても、
港に戻っては来ませんでした。
そうして父はアントニオ様の財産を根こそぎ奪い取り、家も土地も、
食器や衣服でさえも差し押さえ、彼が明日のパンのためにほんの少し残してくれと懇願しても
耳も貸しませんでした。
アントニオ様は浮浪者同然になりました。
そのときより以前から密かにアントニオ様をお慕いしていたわたくしは、
罪滅ぼしをしようとでも思ったのか、宝石箱から一握りの宝石を鷲づかみ、
門から運び出される家具の数々を途方に暮れて眺めているアントニオ様のところへ走りました。
けれども、私が何かを言う前に、アントニオ様は手を横に振り、
「ジェシカ、今は僕に話しかけないでおくれ。君に酷いことを言ってしまいそうだから」
  とだけ言い残して、走り去ってしまいました。
  その日からわたくしは、昼夜を問わず寝台に伏せって暮らしています。
父は、心配そうに――本当に心配そうにわたくしを気遣ってくれます。
アントニオ様にあんなにも手酷い仕打ちをした父なのに、わたくしにだけは愛情深く、
そしてまた、心の底から誠実に接してくれます。
それがまたわたくしにはやりきれないのです。

 一週間ほど前に、使用人からある話を聞きました。
アントニオ様が、とある貴族様のお屋敷で秘書として働いているという話です。
ほとんど執事紛いのお仕事をさせられているそうですが、そのお屋敷のご主人は、
アントニオ様の境遇を哀れに思われて、アントニオ様がご両親から相続し、
今ではわたくしの家のものとなっている家を、
どうにかして買い戻そうとしかるべく方面へ手回ししていらっしゃるそうです。
このごろ父の機嫌が悪いので、使用人の言ったことはおそらく本当の話なのでしょう。
わたくしは現金にもまたアントニオ様とお話しできるようになるかもしれないと、
そのとき考えてしまいました。
父に内緒で、こっそり基督の教会を覗いてみたりもしました。
元気そうに笑うアントニオ様を見つけて、わたくしは思わず踊りたくなるくらい
嬉しい気持ちになりましたが、次の瞬間にアントニオ様に手を引かれた少女の姿を認めて、
浮かれていた気分がすっと引いて行きました。
深窓の令嬢ともいえる一人娘の彼女が、一使用人風情に手を引かれているということ自体、
普通に考えれば、ありえないことです。

 私のアントニオは、商人の息子ではなく、どこかの大貴族の落胤で、
これまで彼の両親と称されていた夫婦に育てられていた。
パパが頑張ってくれたおかげでいまじゃそんな話になっている。
パパはアントニオがお気に入りだ。私だってもちろん彼が大好きだ。
彼は才知があるし、サロンにいる有象無象の自称オネットムなんかとくらべて、
自分の意見というものを持っている。
ユダヤ人のシャイロックなんかに騙されたのは、断るに断れぬ、
アントニオの親の代から続く貸りがあったからだ。
ジェシカとかいう女とも何かあった口ぶりだけど、そんなのはただの義理だろう。
あんな薄汚いユダヤ娘なんかに、自尊心の高いアントニオが気を許すはずがない。
  アントニオはいつも、書斎で書き物をして過ごしている。
パパの手紙を書き写したり、私はよくわからないけれど、何か計算事をしたりしている。
私が書斎に行っても、ちらと目配せするだけで、すぐにまた書き物机に向かってしまう。
でも、私が分厚い哲学書を出して自由主義について云々言うと、
すぐさま反駁して私をやりこめてしまう。
私が莫迦な意見をいうと、そんなのは葡萄酒臭い坊主どもの弁論術だと言い捨ててしまう。

このごろ流行りの小説について話すと、あれは下女下男の読む小説ですと言い、
なるべくそういう低俗なものは控えるようにと男爵様も仰っていますと注意する。
アントニオは夜になるとサロンに出るか、そうでないときはパパの相手をして過ごすから、
私が彼と二人きりでお話しが出来るのはこの機会だけだ。
アントニオはとても規律に厳しいけれど、私が何かわがままを、
例えば一緒にお庭を散歩したいというようなことを幾度も言うと、
「仕方ありませんね、ネリッサお嬢様」
  と言って最後の最後には折れてくれる。
彼は、私に逆らってはいけないということをよく理解しているんだ。
彼の行動が計算づくなのは悔しいけれど、何もかもそうでないことは、私が一番よく解っている。
彼は、怜悧そう見えて、あんがい情熱的だ。彼の信奉する思想や彼の亡き両親を侮辱すれば、
顔を真っ青にしてたしなめるし、私が無分別なことを言い出せば、
本を読むような口調で諭しはじめる。
彼のような自負の強い、青年らしい潔癖を残している気高い人間を、
もし私だけのものにできたならば、どんなに嬉しくて得意なことだろう。
しかし、彼の全てはまだ私だけのものではない。
彼の尊敬は、パパに向けられているし、彼の愛情は――これは勘としかいえない、
理性的でないことだけれど、誰か他の、私以外の人間に、微かにだが、向けられているみたいだ。
もちろん、思慮深い彼はそんなそぶりなど欠片も見せない。
だけれど、私の胸のざわつきが、何か、とても見落としてはいけないようなものを知らせている。
  あるとき教会へお祈りに出かけた。アントニオと同伴することはパパにも許可を取っている。
司祭が聖句の解釈を云々している間、私はそっと彼の手に自分のそれを乗せてみた。
流し目を送ると、彼は祈りのため伏せていた目をいっそう伏せて、握り返してくれた。
私は有頂天だった。
教会の扉をくぐるときにも、彼の手を握ったままでいた。ひっと息を呑む音が聞こえた気がし、
道端の菩提樹のところを見ると、例の金貸しシャイロックの娘が、
気味の悪い顔色をしてへたり込んでいた。
私はアントニオに顔を向けた。彼はなぜか目を逸らした。
  私はこんな三文芝居に付き合う気はなかったので、アントニオの手をとって歩き出した。
一刻も早く例の話をパパに持ちかけなければいけない。

2008/05/12 To be continued.....?

 

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