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バレンタインSS(仮?)

第1回 第2回 第3回


1

 明日の決戦のために死力を尽くしている少女、柊あさみは台所の前で頭を抱えていた。
愛しい人に自分の気持ちを捧げる、女の子にとっては大切な一日。
菓子業界の策略に乗せられている気もしなくはないが、そんなもんは気にしなくていい。
  乙女にとって、バレンタインデーというのは戦争だ。

 他の恋敵を蹴散らし、墓場にまで送り込んで、想いを伝えるためのイベント。
毎年、その日を迎えると死者が100人以上も犠牲も出る。
特に競争相手が多い男性になると、恋敵は容赦なく妨害対策を仕掛けてくる。
下駄箱にチョコが入っているならば、焼却炉に捨てるなんて生易しい。
愛しい人を学校に登校させずに自宅で監禁して、恋敵にチョコを渡せないようにしたり、
犯罪行為まで走る女の子は少なくはない。

 ゆえに、あさみは悩んでいた。
  犯罪行為までして愛しい彼を独占することはいいかもしれないが、
警察に逮捕されて永遠に彼と引き離されるのだけは嫌だ。
  それに、バレンタインのチョコを渡す=彼を気持ちをGETしないと何の意味もないのだ。
料理のレシピに書いてあるようなチョコだけじゃあダメかも。彼の味覚を刺激して、
その後の人生に多大なる記憶を残すような独創性のある味にしないと。

「ふぅ……。でも、どういうチョコを作ればいいかわかんないよ」
  あさみは何度目かの溜め息を吐いた。
すでに学校から帰ってきて、チョコレ−ト作りに励んでいるが、作業は一行に進まない。
紐で結んだ長い髪を解いて、再び料理のレシピを眺めていた。

「うふふっ……。困っているようね」
  台所という戦場に入り込んできたのは、あさみに似た容姿がふらっと姿。
短めな髪と優しげな微笑を浮かべている。あさみの実の姉であるふたみである。
「お姉ちゃん」
「明日のバレンタインデーのためにチョコを作る貴女の姿を、
お姉ちゃんはちゃんとビデオカメラで録画してDVDに永久保存するわ。
亡くなった両親やご近所の皆様にちゃんと配っておくから」

「配るなっっっっ!!」
「えっ? せっかく、愛しの美央君のために健気に頑張っている姿を
  撮っておきたかったのに。ちぇっ」
「お姉ちゃん……。邪魔をするならこの戦場からさっさと離脱してくれる。
それに、私は美央くんのためなんかにチョコを作っているわけじゃないからねっ!!」
「そこでツンツンしているあさみちゃんも可愛くていいよね」
  と、ふたみに優しく頭を撫でられそうになるとあさみは強く振り解いた。
実の姉の手厚い抱擁に無駄な時間を浪費している場合はない。
「もう、お姉ちゃんはここから出ていってよっっ!!」
「ううっ。あさみちゃんのバカぁぁぁぁぁっっっつ!!」

 強引にふたみを戦場から追い出して、あさみは姉が入ってこれないように
入り口に、テーブルに置いてあった椅子を重ねて、バリケードを作った。
  少し天然が入っている姉の相手は本当に疲れる。
  入ってこれないが、雑音だけはあさみの耳にちゃんと聞こえていた。

「もう、あさみちゃん。せっかく、お姉ちゃんが女の子の必殺技を
  教えてあげようと思ったのに。ぷんぷん」

 必殺技。
  手作りチョコの作業に途方に暮れていたあさみにとっては、
喉から手が欲しかった独特なチョコにふさわしい響きであった。
  ただ、ふたみを簡単に信頼するわけにはいかなかった。
これまでにも姉が関わって、物事がプラスになった前例がないのだ。
どちらかと言うと、必ずマイナスになるのだが。

 だが、戦争は明日だ。
  すでに恋敵達は愛しい彼のハートを掴むチョコを作り上げて、
ライバルを蹴散らす戦略を立てている最中であろう。
学園の運動場に地雷を埋められていたとしても、別に驚くべきではない。
それぐらいのことは朝飯前に準備しておかないと戦争に勝利することは不可能だ。

(私は……私は……。み、美央くんのためなら。悪魔にだって魂を売ることだってできるもん)
  あさみはバリケ−ドの代わりに代用した椅子を元通りの場所に戻した。
すでに手段を選んでいる場合ではないのだ。

「お姉ちゃん。お願いです。女の子の必殺技を教えてっっっ!!」

 数分後。
  ふたみは戦場からまた追い出された

 厨房は荒れていた。
  用意してあったチョコレ−ト用の素材は全て粉々。
あちこちに吹き飛んだチョコの残骸のおかげで部屋は汚れてしまっている。
あさみは茫然とその場で座り込んで、
姉に関わる恐ろしさを再認識して、明日の戦争の参戦不可に失意を覚えた。
  何故に、あの姉を信用しようと思ったのだろうかと自分の腑甲斐なさに怒りを通り越して、
苦笑を浮かべてしまう。

「明日、バレンタインなのに。チョコが作れないなんて……ぐすぐす」
  憎き姉がチョコレートの材料を全て無駄にしてしまい、あさみは泣きそうな表情を浮かべた。
戦意を失った戦士が戦場を勝ち抜けるとは思えない。
それを理解して、美央に告白する権利すら与えられていないことを悟ると
気持ちは絶望のどん底に落ちていく。

 その時、声が確かに聞こえた。

『あさみちゃん。悲しまないで。僕はバレンタインデーだからチョコが欲しいんじゃない。
なんとなく菓子業界の陰謀に踊らされている君がちょっと滑稽に思えただけで満足したんだよ』
「美央くん?」
『あさみちゃんサイコーーー!!
  何やってんだ。
  今日は鮮血祭りだぜっっっっっ!!」
「何やってんの? お・ね・え・ち・ゃ・ん」
「チョコを作れずにちょっと悲しんでいるあさみちゃんの映像を後世に残す必要が」
「……。殺していい? っていうか、死んで」 
  戦場の入り口の隙間からメガホンを持ち出しているノリノリの実の姉の姿を見た時、
あさみに静かな殺意が沸いてくるのは仕方ない。チョコレ−トの材料を粉砕し、
戦意を失った戦士に鞭を打つような真似を許していいはずがない。
「ええっ〜〜!!」
「当然です。乙女にとって大切なバレンタインデーのチョコ作りをメチャクチャにしたんです。
死んで当然でしょう?」
「ま、まって。実の姉を殺そうとするの? あさみちゃん」
「だって、お姉ちゃんは決してやっていけないことをやったのよ」
「うん?」
「だ、大好きな美央くんの声を偽ったことだよっっ!!」
  顔から首まで真っ赤にしたあさみがふたみに向かって叫んだ。
だが、彼女はにやりと悪戯っ子の笑みを浮かべた。
「ふぅ〜ん。大好きな美央くんね。うふふふっ」
「な、な、なによ」
  不気味なふたみの笑い声にあさみは最大級の警戒心態勢を張った。
「美央くん。他の女の子と仲良く街を歩いていたよ」
「なんだってぇぇぇぇーーーーー!!」
「嘘だけど」
「……貴様、どれだけ私を怒らせたら気が済むんだ?」

「あさみちゃんあさみちゃん。口調変わってますよ」
「ええぃ。五月蝿いわ。お姉ちゃんはバレンタインデー云々の前に私を怒らせるのが得意のようね」
「別に」
  しばしの沈黙が流れた。
  姉と妹の間の空気は果てしなく重たかった。
「とりあえず、バレンタインデーのチョコ作りの材料が、お姉ちゃんの暴走によって失われたので。
ちゃんと弁償して」
「嫌です」
「私の二ヵ月分の小遣いの全てをバレンタインデーのチョコに懸けていたのよ。
美央くんに告白する機会を失ったらどうするのよ?」
「そんなこと知らないもん」
「おい」

 これでこの姉に静かな殺意を沸いたのは何回目であろうか? 
すでにあさみは回数など覚えてはいない。
ここに鋸と空鍋さえあれば、それなりの鮮血の結末を再現することができるのだろうが、
人類を遥かに超越した存在であるふたみに通用する自信はない。
  その姉は完全に勝ち誇った顔をして、不機嫌なあさみの傍までやってきた。
彼女の肩に手を置くと。

「諦めたらダメよ。諦めたら、そこで試合終了なんだから」
「諦める以前の問題で全てはお姉ちゃんのせいでしょっっっっ!!」
「違うよ。そこであさみちゃんが、
『お姉ちゃん。愛する美央くんのためにバレンタインデーのチョコが作りたいです』
って挿入歌を流れる感動のシ−ンになるはずだったに」
「ならんわっっ!!」
「ちぇっ」
  ふたみは憎らしく舌打ちをして、
テーブルに散らかっているチョコレ−トの残骸を片付け始めていた。
「ぐすぐす……。もう、お店なんて閉まっているし、チョコ作りなんて無理だよ」
「ごめんね。お姉ちゃんがチョコ材料を生卵と一緒に電子レンジの中に入れなきゃ」
「確信犯かよ」
「ううん。独特なチョコ作りは王道から外れたとこにあるんだよ。
妹を喜ばすためには、禁忌を破ってもいいと思うのよ」
「いや、守れよ。長年、職人が築いてきた技術の全てが書いてある、
  初心者向けの本に書いてあることを」

「だって、お姉ちゃん。取説読まないもん」
「読め。お願いだから読んでよ……」
  無邪気な姉の一言に堪えていた涙があふれてきた。
ふたみ自身は本気で悪気はないのであろう。
確信犯ではないのだ。単に思い付きで妹をからかうことが大好きな人なのだ。

「もう、泣いたらダメだよ」
「う、るさい。お姉ちゃんなんてホロホロ詐欺に遭っちゃえばいいんだ」
「オレオレ詐欺よりも高い金を支払いそうだけど、あさみちゃん。まだ、秘策はあるわ」
「秘策?」
  ふたみが大きく胸を張って自信満々で言った。
「乙女の最終兵器です」
「今度は一体何をするつもりなの?」
「バレンタインデーのチョコよりも相手にインパクトを残すことができるわ」
「インパクトを……」
  自分が求めていたのは市販に売っているチョコよりも、
自作で作ったチョコよりも相手の心を鷲掴みにするチョコを作りたかった。
姉の言葉は半信半疑だったが、すでにチョコレートの材料がない以上は
姉の言う秘策に懸けるしかない。
何度も騙されているあさみだったが、最後に頼りになるのは心強いの姉の……秘策。

(なんか、また良い様に騙されているように思うけど。美央くんのためなら、私は)

「犠牲にするのは女の命と等しい物よ。それを失う覚悟はある?」
「あるわ」
  躊躇なくあさみは悪魔に魂を売る。
「いいわ。教えてあげる。決めるのはあさみちゃんが決めてね」

 姉の秘策を聞いた瞬間、あさみは明日のバレンタインデーの勝者になれると確信した。

 

 一方、その頃。
  柊姉妹が明日のバレンタインデーの決戦のためにいろいろと準備をしている時に、
同じく決戦に勝ち抜く策を練っていた男がいた。その男の名は名坂美央。
  彼は非常に困っていた。明日は菓子業界がいろいろと宣伝工作している
バレンタインデーという日は男の価値を思い知らされる厄日だ。

友人達の容姿はどこぞのアイドルの事務所にスカウトされるぐらいに見た目は美男子だが、
中身はとんでもない爆弾を抱えている。
そんな奴らでさえ、バレンタインデーの日には女の子からチョコを貰ったりする。
ここ、数年は価値観が変わったせいであろうか、
女の子による監禁事件や猟奇殺人事件が多発しているが。

まだまだ、男の子というのは子供で女の子にチョコを貰うのが楽しみで一日中そわそわしている。
  そんな友人の一人が毎年毎年、友人の中でチョコの数を競い合うような、
馬鹿な事を提案してくるのだ。
自慢ではないが自分は容姿は普通だし、丸い黒縁メガネをしているせいか、
友人のなかでは数段ランクが劣る。

そんな地味一直線な自分に女の子がチョコなんてくれるはずがないのだ。
  しかし、絶望的な現実を認めるとこの日を迎える度に惨めな思いをするのは嫌だ。
  そこで美央は考えた。チョコの数は負けていても、友人に打ち勝つ手段を。

 自分の台所に立ち、用意してあったチョコの材料に真剣に見つめた。
  この日のために親戚から頂いたお年玉の全額を引き出して、
最高レベルの材料をインタ−ネットの通販で全国各地から集めた。
この材料を並べるだけで美央は笑いが止まらない。

 その辺の女の子が頑張ってチョコを作っても辿り着けない領域というものがある。
材料を吟味し、この日に準備を整えていた美央の執念の前では究極のチョコなんてゴミクズ同然だ。
  友人達がいくらチョコを貰ったとしても関係ない。自分が作った最高のチョコを、
女の子から貰ったバレンタインデーのチョコだと言えば、誰もが茫然として敗北を認めるだろう。

 最初は馬鹿にされるのが嫌だったので自分で作っていたが、
知らない内にチョコ作りの技術は素人を飛び出して玄人の域に達してしまった。
苦笑してしまう話だが、これがきっかけに近くの喫茶店で
パティシエ見習いとしてアルバイトをしている。
もしかすると一生の仕事になるかもしれない。

「さてと……」
  軽くを息を吸いながら、美央はチョコ作りの作業を始める。
明日、学校で友人たちを軽く驚かして、バレンタインデーという
「菓子業界の陰謀に乗せられた憂欝な一日」を愉快な日に変えてやる。
強く意気込み、無心で作業に没頭した。
  そして、美味しくなる呪文を唱える。

 体はチョコで出来ている。

 

 

 出来上がったチョコレートの品質に満足した美央はチョコを冷蔵庫の中で冷やす。
ちゃんと固まった後に、事前に用意してあった包装紙にチョコを包装すれば、完成である。
  ともあれ、美央は思う。

 

 女の子から本命のチョコとか貰えないかな?

2

決戦、当日。
学園へ登校する時に誰もチョコを手渡す気配もなければ、
いつもと何だか変わらない風景に美央は愕然とする。
期待はしていないと言われたら、嘘になるが。
地味な自分がチョコを貰えると思う程、自信過剰でもなかった。

下駄箱の中に確かめても、入っているのは自分の上靴だけだったし。
軽く嘆息してから教室に向かうと思わず、自分の目を疑ってしまった。
美央は登校する時間は遅刻ギリギリの時間帯にやってくる方だが、
クラスの男女は半分ぐらいが欠席だと言う。
友人たちも欠席している部類に入っていた。
(一体、何が起きた?)
出席している男子、委員長をやっている優等生クンに尋ねてみた。

「今日は誰も来てないのか?」
「さあ、知らないな。どうせ、タチの悪い風邪が流行しているんじゃないのかな?」
「どんな風邪なんだ?」
「恋の病。この時期は鳥インフルエンザよりも悪質なウイルスのせいだと僕は思うんだけど」
「そんな、アホな事が……」
バレンタインデーは男や女にとっては誰もが浮かれるイベントの一つだ。
告白する女の子もいれば、チョコを貰うことを誰かに自慢したがる男子もいる。
そんな奴らが恋の病という抽象的な病で学校を休むとは到底思えない。
そこで委員長は軽く微笑して、小さな声で俺の耳に吹き込んできた。

「本当のところは、クラスの男子はどこかに監禁されているらしいよ。
それに、女子も好きな男性に告白するためにいろいろと破壊工作を仕掛けている。
調べてみるとウチのクラスと同じ現象が他のクラスでも起きているよ」

「恋の病ねぇ」
美央は思わず首を傾げたくなる内容に頭を抱えたくなった。
委員長の言う通りにクラスの男子、親友を含めてどこかに監禁されている。
最近になって多発している事件では男性が女性を襲う事件なんて
殆どニュースで報道されることはなくなっていた。
今は男性が夜道で気を付けないと女性に襲われる時代になりつつある。
だが、それは自分の知らない所で起きているものだと思っていたが。

奇妙な現象は自分の周囲に浸透していたようだ。
ということは。
今、ここにいるクラスの男子や女子はバレンタインデーでありながら、
誰かに好かれたり、好きな異性がいない奴らが集まっている。

 つまり、監禁されていない自分は今年もチョコを貰えないことが確定したことを意味している。
その意味を理解すると、普段あんまり喋らない委員長に礼を言ってから、
教室を離れようとドアのとこまで歩いていた。
親友たちが監禁されているってことは、自分のつまらない意地のために
特製チョコを作った意味がなくなっていた。

親友たちにバカにされないように作ったダミーチョコレートだが、
見せる相手がいないのにこんなものを持ち歩いても仕方なかったし。
逆に空席が目立つ教室を見るだけで自分が惨めに思えてきた。
こんな時はさっさと早退して、バイトでお金を稼いだ方が賢明だ。
そう決心して、ドアを開けると目の前に見知った相手がいた。

「おはよう。ひ、柊さん!?」
「うん。おはよう。名坂くん」
一瞬、驚いたのはクラスメイトである柊あさみが、
美央の記憶にある姿、形とは変わっていたからであった。
彼女は昨日まで伸ばしていた清楚な長い黒髪をばっさりと切って、ショートカットにしていたのだ。
彼女とは隣の席で、ちょっと顔見知り程度の仲であったが、
この唐突な変化には少しだけ衝撃を感じてしまう

「髪、切ったの?」
「うん。ちょっとワケありで」
「そうなの。柊さんの長い髪は好きだったんだけど」
「す、すすすすすすす好きって……」
「なんだか、お人形さんみたいに綺麗だったし」
「あ、ありがとう」
あさみは完熟したトマトのように頬を赤く染めていたが、
美央は気にする様子は見せずに他の事を考えていた。

(ワケありで髪を切ったってことは他の男の人に告白して、
フラれてしまったってことなんだろうな)
と、美央は完全にあさみが髪を切った理由を誤解していた。
彼女も長かった髪を誉められて、彼が誤解した様子に全く気が付くこともなかった。

「名坂くん、もうすぐチャイムが鳴っちゃうよ。どこに行くの?」
「いや、ちょっと早退でもしようかと」
「ぜ、絶対にダメだよっっっ!! 風邪をひいているわけじゃあないんだから。
早退するなんて不良がすることです」
「でも」
「でもも、ヘチマもないです。私の目が黒い内はサボリの早退は許さないわ」
「柊さんって、風紀委員じゃあないでしょ」
「あぅ〜」
「わかった。早退なんてしないから」
物凄い形相で美央の迫ってくるあさみに彼は早退することもできずに
大人しく自分の席の方まで後ろ歩きで戻された。
そこで椅子に座ると、逃げられないように横の席で彼女が厳しい視線で見つめていた。
そのおかげで美央は身動きができない状態にまで追い込まれていた。

 しばらくするとHRを知らせるチャイムが鳴り響いて、
それと同時にこのクラスの担任が急いで駆け込んできた。
30代半ばで嫁を募集中の看板を掲げている独身教師。
少し違う方向に熱血になる青臭い教師だったが、今日は妙に興奮していた。

「き、今日は急遽うちのクラスに教育実習をしたいと校長先生と教頭先生に
嘆願した教師希望の女性が一日限定でウチのクラスの担任になることになりました。
では、入ってきてください」

 鼻の息が荒い教師が芝居かかった仕草で教師希望の女性を呼んだ。
教育実習をするには季節外れであり、恋の病でクラスの半数がいない学び場で急遽来ること事態が
不自然な展開に美央は一種の胡散臭さを感じていた。
今日は、バレンタインデー。
一応、特別な行事ではない日に特別なことが起きるのは何かがあると疑うのは当たり前である。
その女性教師は軽いスキップをして、
黒板の中心辺りまでやってくると天使の微笑みで生徒たちに優しく微笑んだ。

「今日、一日お世話になります教育実習をやりたい教師希望の
柊 ふたみです。どうか、よろしくお願いします」

 誰をも恋に落とせそうな笑顔を周囲に振り撒き、
教育実習をやりたい教師希望のふたみは生徒たちの心を掌握するための手段は忘れない。
すでに担任や校長や教頭すらもふたみの魅力と色気の虜となっている。
長身で、長い栗色の髪を妹からプレゼントしたリボンで纏めて、
童顔の容姿、整った抜群のスタイル。
人の心を簡単に鷲掴みするには彼女にとってはとても容易いことであった。

 そう、全ては。

(あさみちゃんが、愛しの美央くんにアレを渡せるのか。
見届けるために学校まで潜入してきゃったよ)

 

 妹の恋路を見守るためだった。
その事実を知らずに他の生徒たちは新しくやってきた教師希望の先生に
好感を抱いているようだった。
「先生は出会い系サイトで知り合った人にプロポーズを言うために早退するから。
後はちゃんと柊先生の言うことをちゃんと聞いて良い子にするんだぞ。
では、後はお任せします。シュワー!!」

 変な掛け声と共に独身教師は光の速さと同じ速度で教室を去っていたが、
その事については誰も気にすることはない。
今は教育実習の先生の方に興味が移っていたからだ。

「じゃあ、今日のHRの内容から先に伝えますね。私への個人的な質問は後でね」
ふたみは生徒たちに連絡事項を伝えると、次の一時限が始まる前にどこかへと去っていた。
恐らく、次の授業の準備のためだろう。
ふと、隣の席に視線を向けると。
あさみは派手な格好で机を押し倒すように倒れていた。

「どうしたの? 柊さん?」
「ううん。何にもないから。心配しないで」
ふたみに目を奪われているおかげであさみが倒れている派手な音が全く聞こえなかった。
まさにあの自己紹介の間だけ別空間に飛ばされているのか、
隣にいる彼女の事が全く目に映らなかった。

「大丈夫?」
「ありがとう」
美央が優しく手を差し出すと、あさみは先程のふたみとは劣るとも勝らない
蔓延なる笑顔を浮かべて、頬を朱に染めていた。
握った手の感触は柔らかく温かい。
女の子特有の温もりに彼は胸のときめきを感じながら、慌てて視線を逸らした。

「教師希望の教育実習のもどき人はわたしのお姉ちゃんなの」
「へぇ、そうなんだ?」
「まさか、本気で学校まで私の恋路の邪魔をしてくるなんて……」
「恋路の邪魔?」
「ううん、なんでもないから気にしないで」
そう言うとあさみは自分で倒した机と椅子を元に戻し、散らばった教科書とノートを拾い始めた。
美央は手伝いもせずに傍観していた。先程の印象深く残る教師希望の女性が彼女の実の姉だと言う。
そういえば、穏やかな雰囲気と可愛らしい容姿などはあさみとふたみは酷似している。
髪さえ切らなければ、双子だと言われても信じてしまうだろう。

「もうすぐ、授業が始まるな」

 授業が始まると、クラスの人数は10人以下に減少していた。

 

 そして、放課後。
クラスの人数は三人になっていた。夕日が見え始めている放課後の教室では、
美央、あさみ、ふたみの三人が帰りのHRを始めていた。
「起立」

 すでに朝の時に会話をした委員長を含めた、登校したはずのクラスメイト達が
どこかに姿を消している異常な事態に美央は危機感を覚えていた。
委員長が言っていることがクラス全体、いや、学校全体に起きた可能性がある。
恋する乙女が想いを込めて作った、バレンタインデーという日はその想いを
愛しい相手に伝えるのには相応しい行事。
その想いは暴走して、一人の男性を複数の女性が奪い合うことになる。
一度、紛争が起きてしまうと相手の命を断つまでは争いは決して終わらない。
最後に勝利した人間が愛しい人を永遠に自分のモノにしてしまう、恐ろしい女の執念。
恋する病とは言ったものだ。
この状況は……仕組まれている。

「礼」
一日、担任の代わりを勤めてくれたふたみに軽く会釈すると、
美央は駆け足で教室から出ようとしたが、隣の席にいるあさみに腕を掴まれた。

「わかっているんでしょう?」
妖艶な笑みを浮かべて、あさみは言った。
「名坂くん、いえ、美央くん」
「何を?」
「クラスメイトがいなくなったのは、残っていた男子生徒を好きだった女子生徒が連れ出した。
そこで残ったのは……私と美央くんだけ」
「お姉ちゃんは?」
「ずっと、待っていた。この日を。美央くんが私だけのモノになる日を」
「だから、お姉ちゃんは?」

「あの日からずっとずっと美央くんのことが大好きだったんだよ。
席替えの時に美央くんが隣の席にやったときは心臓が止まるぐらいに嬉しかった。
それから、ずっと美央くんのことが好きで好きで好きで、私のモノにしたかったんだよ!!」

「完全にお姉ちゃんはスルーですか?」
「愛しくてたまらないけど……」
美央を掴んでいる腕に更に力が込められ、あさみは後ろを振り向いた。
黒板にいるふたみに向けて言った。
「ちょっとお姉ちゃん。黙っていてよ。今はいいところなんだから」
「妹の恋を応援するのも姉心をもっと尊重するべきよ」
「お姉ちゃんは妹の恋路を邪魔しているだけでしょ」
「天国に逝ってしまったお父さんとお母さんに見せるために
あさみちゃんの恋が成就する瞬間をHDDに保存して、動画投稿サイトにうpする使命が」

「ないわっっ!! それにお父さんもお母さんも生きてるしっっ!!」
「ちぇっ!!」
「ちぇっじゃないでしょっっ!! 美央くんがいるのに格好悪い真似はよしてよ。
身内の恥を晒したくないわっ!!」
姉妹の痴話喧嘩を茫然と美央を眺めていた。
普段の学校生活には見られない大人しいあさみのイメージは音を立てて崩れ去ってゆく。
それはとても新鮮で彼女を身近に思えるのはいいのだが、
この後の展開を考えると自分の人生に些かの不安を覚える。
それらを回避するためには、今日の日のために用意していたアレを使う。
姉妹が言い争いの時に夢中になっている間に拘束されていない片腕で
器用に鞄の中身からアレを取り出す。
女の子が好んで使いそうな包装紙に、ピンクのリボンが結ばれているダミーチョコが
こんなとこで役に立つと自分でも思ってもみなかった。

「あの。二人とも」
「美央くん、今、ゴキブリにも劣る姉を黙らせるので。もうちょっと待ってください」
「だから、これを見て」
「んっ? み、み、み、美央くん?」

 

 それを見た瞬間にあさみの顔色が徐々に生気が失われてゆく。
「おおっ。それはあさみちゃん以外の女の子からの本命チョコ? 美央くんって以外とモテるぅ」
「そういうわけなんだ。すでに柊さん以外の女の子からチョコを貰っているんだ。
当然、その人の気持ちに受け入れたっ!!」

 あまりの芝居の下手さに美央自身もあさみを騙せるとは思っていないが、
恋する乙女にとっては好いていた男が他の女の気持ちを受け入れたという事は、
彼女の冷静さを失うには充分であった。

「う、う、嘘だよね? 美央くん」
「本当なんだ。こんな立派なチョコをくれる女の子だぞ」
と、包装紙を破って、自分が作り上げたチョコレートをあさみに見せ付けた。
自慢ではないが、そこら辺の女の子よりも技術は格段と上だし、玄人に負けない自信だってある。
それ故に彼女も相手が想いを込めて作った物だと誤認させることができたのか、
瞳孔が開いたままだ。

「そういうわけだ。柊さんの気持ちは有り難いけど、ごめんなさい」
掴まれていた腕が離される。美央は教室から出ていこうとするが、
落ち込んでいるあさみの姿に罪悪感を感じるが仕方ない。
だって、今日はバレンタインデーなのだ。
女の子がモンスター化する日に付き合うなんて考える奴はいない。
想いの果てにどんな惨劇が起こるのかはニュースで何度も報道されているのを知っているし、
今日さえ過ぎてしまえば、女の子たちは元に戻るはずだと美央はそう思っていた。
だが、その思惑は外れていた。

「み、み、み、み、み、美央くん。待ってよ。私も作ったんだよ」

 焦点の合わない瞳で美央がいるドアの付近を見つめて、あさみは走りだした。
その彼女の表情に恐怖した自分の反応は速かった。廊下に出て、二階の窓から飛び降りた。

着地した衝撃で足首が少し捻った音がしたが、それでも構わずに足は前へ動かしていた。
この女に捕まると命はない、とっとこの校内から逃げ出した方が賢明だ。

 下靴にはき換えるために下駄箱へ向かった。

3

 それは一瞬の出来事であった。
  ずっと、恋心を抱いていた美央が二階の窓から飛び降りた。
あさみが必死にその場につなぎ止めようとしたら、躊躇なく彼は逃げてしまった。
後、誤算があるとしたら、自分以外の女性からバレンタインデーのチョコを貰っていたこと。
泥棒猫に大好きな人を奪われたあさみの心は正気を保っていることができずに取り乱していた。

「あらら。物凄い、逃げっぷりね。でも、動きがどこか変だから足とか痛めたのかしら」
  下の光景をふたみは楽しそうに見ていた。
姉の言う通りに美央の歩き方は不自然で足をどこか痛めているようだった。
「チャンスよ。あさみちゃん。今なら愛しの美央くんをあさみちゃんのモノにすることができるわ」
「ダメだよ」
「どうして?」
「美央くんは私以外の女の子と付き合っているんだよ。ねえ、見てよ。
こんな凄いチョコを美央くんのために作ったんだよ。私はこんなチョコなんか作れないよ」

 昨夜の死闘を思い出すとあさみが作ろうとしたチョコは泥棒猫が作ったチョコと
比べると断然に自分の方が劣ってしまう。それは泥棒猫の方が自分よりも
美央に対する想いは深いということなのだ。
すでに美央は泥棒猫と付き合っているらしいので、それらに打ち勝つ方法は今の自分にはない。

「あさみちゃん。恋は奪うもの。決して与えられるものじゃないわ。
ここで美央くんを捕らえて、暗い部屋に閉じこめて洗脳すれば万事解決よ」

「お姉ちゃん。それ犯罪」
「好きな男の子のためなら、犯罪の一つや二つぐらい楽勝よ」
「やっ。刑務所になんてこの歳で行きたくないし」
「さあ、GONGを鳴らせ!!」
「鳴りませんっっっ!!」

 暴走するふたみにあさみは元に戻すために彼女の頭に手加減なしのチョップを炸裂させる。
昔から天然な姉を抑えるには絶好な効果をもたらす作用があるらしいのであさみは愛用しているが。
数秒後には再起動するので、特に意味はない。
  ふたみは何事もなかったようにあさみの両肩に手を置くと、優しい笑顔を浮かべて言った。

「今こそあさみちゃんが作ったバレンタイデーのアレを美央くんにプレゼントしなくちゃ」
「お姉ちゃん」
「お姉ちゃんの秘策で落とせない男の子はいないわ。
自信を持って、美央くんを自分のモノにしなさいっ!!」
「わかった。私、もう一度だけ頑張ってみる」
「行きなさい、あさみちゃん」

 迷いを捨てたあさみを見送った後、ふたみはぼそりと呟いた。
「さっきの場面。とっても盛り上がったから、帰ったら映像を編集しよう」
  どこまでもマイペースな姉であった。

 痛めた足を引き摺りながら、目指す場所は自分の下駄箱に向かっていた。
涙を堪えて、美央は苦痛に耐えていた。
先程の二階から飛び降りは自分の身体にあちこちに痛いという信号を鳴らしている。
何も訓練されていないただの学生が飛び降りなんてすれば、下手すれば死んでいた可能性もある。
だけど、死ぬことよりも恐ろしいことだって世の中にはあるのだ。
  バレンタインデーというこの日に自分と同じ境遇に遭っている連中は全国で沢山いるはずだ。

親友たちだって悲鳴をあげて、生まれてきたことを後悔しているはずだ。
自分もあさみの無垢な想いが、純粋な暴力に変わることを恐れている。
  自分のモノにならなければ、どんな手段だって冷酷に使ってくる。
そんな女の子たちは男の畏怖の対象だ。
今までバレンタイデーのチョコを貰えなかった自分にとっては別世界の出来事だと思っていたが。
  現実に自分が体験すると、それは悪夢に近い。

 逃げられるなら、逃げた方がいい。
  捕まったら、美央の人生は……暗闇に落ちる。
  もうすぐだ。下駄箱に辿り着いて、下靴にはき換えて逃げてしまえば。
  だが、自分の下駄箱の中身を見て、愕然とした。

 スキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキスキ
  と、血の文字でスキと紙に書かれていた。それも下駄箱の中一杯に。
「ぎゃあああああああああああああああああっっっっっっっっっっっ!!」
  美央は思わず悲鳴をあげる。あさみに見つかる危険があるのだが、
背筋が凍るような恐さに耐えられない脆弱な心を誤魔化すために声を出してしまった。

「そんなに喜びの声をあげなくてもいいんですよ。美央くん」
「ひ、ひぃ、柊さん?」
気が付けば、あさみは美央の背後に立っていた。気配を感じさせずに彼女は冷笑する。
確実に目の前にいる彼女から逃げ出すために窓から飛び降りたのだ。
足を痛めてしまったが、追いつかれるはずもないと確信していた。
  しかし、現実は。
  恋する乙女の行動力、執念が未央を追い詰めていた。

「ダメでしょう。私というものがありながら、他に恋人を作るなんて」
「ま、待て。落ち着いてくれ。柊さん」
「痛いのは一瞬の間だけですから」
  あさみは引き摺っている美央の足を見つめると、躊躇なく負傷した箇所を手で抑えていた。
「や、やめるんだ。足を切り落とすなんて。ぜ、絶対に嫌だぁぁぁぁっっ!!」

「美央くん……痛いの痛いの飛んでゆけーー
  これでもう大丈夫だよ」

 

「はい?」

 

「はい?」
「高い所から飛び降りたせいか、足を捻っているみたい。急いで、応急処置をしなきゃだめだよ」
「待って」
下駄箱から飛び出してきた血の文字で書かれた紙をあさみに突き出した。
自分を油断させるために優しく接している可能性を考慮すれば、
彼女と出来るだけの距離を離していた方がいい。
「これは柊さんが書いたの?」 
  もし、あさみが書いたと肯定するとヤンデレ症候群感染者ということになる。
それは年頃の男子達が最も恐れる状況になる可能性を示唆している。監禁されるのは生易しい。
下手すると鎖に繋がられて、ワンワンプレイを強要されるかもしれない。
又は女の子がワンワンプレイで迫ってくることも予想できる。
ただでさえ、バレンタインデーの日にはクラスの男子生徒が
全員がどこかに姿を消すという惨事が起きている。
  自分だけが例外を逃れるなんて甘い考えは捨てた方がいい。
  だが、あさみは少し困ったような顔をして、言った。
「そんなことをするのは、多分お姉ちゃんだよ」
「お姉ちゃん?」
「こんな人の恋路を邪魔するのはお姉ちゃんしか考えられないもん」
「いや、こんな悪質な事を柊さんのお姉さんがやるとは思えないんだけど」
「うちのお姉ちゃんを甘く見ない方がいいわよ。人の常識外のことを軽々とやってしまうんだから。
ダテに幼い頃からお姉ちゃんに振り回された人生を送っていないわ」
「ちょっと信じられない話なんだけど」
「大体、好きな異性に告白するのにこんな血文字で書かれたスキスキなんて送ったら、
余裕で相手が引いてしまうよ」
「それはそうだな」 
  異常な姉を持つあさみの苦労の半分も知らない美央だったが、
迫力のある彼女の怒りと憎しみだけは何とか理解できた。
「さあ、保健室に行って、美央君の足の治療をしないと」
「そうだね」
  恐怖のせいで忘れていた足の痛みが徐々に疼いてきた。
あさみに肩を貸してもらうと夕暮れの廊下をゆっくりと歩く。
遠くから聞こえるサックスの音が煩く響いていた。

 

 

 

 

「妹の恋路が成功するなら、お姉ちゃんはサックスを頑張って吹き続けるからね」
と、姉は姉で必死に場の雰囲気を盛り上げるためにサックスの音色を学校に響かせていた。

 

 保健室の中に入ると特有の薬品の匂いがしてくる。様々な薬品が置いてあるのだろう。
保険医の姿を探してみるが、誰もいないようだった。
美央が白いシーツのベットの上に座ると、あさみが長ズボンの裾をたぐってきた。
窓から飛び降りた時に痛めた足の負傷は思っていた以上に悪かった。
着地の時に妙な音が鳴っていたけど、自分の両足首は見事に赤く腫れている。
捻挫か、骨にヒビが割れているのかわからないが、
詳しくは病院でちゃんと検査する必要がありそうだ。

「大丈夫? 美央くん?」
「ううん。柊さんがちゃんと応急手当してくれたから大丈夫だよ」
  負傷した両足はよく冷やしたシップで冷やしているが、
痛みまで取り除くことができず疼いて仕方なかった。
「とりあえず、家に帰ったら病院でお医者さんに診てもらうから」
「あのね、ちょっと美央くんが帰る前に聞いて欲しいことがあるんだけど」
「うん?なーに?」
「美央くんは本当に付き合っている彼女がいるの?」 
「それはちょっと……」
  あさみに本当の事を言えるわけがないのだ。
美央が必死に隠してきたであろう、ダミーのバレンタインデーのチョコの真実を。

今まで他の女の子から貰ったことがなく、友人たちに笑われないために意地を張って作ってきた。
知らない間にチョコ作りは玄人の域に達し、
パティシエ見習いのアルバイトまでやっていることまで知られると、
世間の皆様を爆笑の渦に引き込んでしまう。それだけは命を懸けて避けたいと美央は思っていた。
  が、あさみは今にも泣き出しそうな表情を浮かべて、自分を見つめている。
これで嘘でもいると断言すると隠し持っていた鋸で胸を切り裂きそうで恐い。

「ううっ。いるんだ。私よりも大好きな女の子が……。そうだよね。
私なんか、クラスじゃあ全然目立ってないですし、
私よりも可愛い女の子なんて北斗七星の数ぐらいいますし、
お姉ちゃんに年中振り回されている私ごときが美央くんに恋をするなんて
思い上がりも甚だしかったんですよね」
「自虐モードかよ」

「私は空鍋にすら劣る存在かもしれません。
だって、私には美央くんが付き合っている彼女がいると知っても、
鋸を持って駅前で泥棒猫の首を切り裂くような勇気もないし、
電車に向けて突き飛ばすことなんてできないんだもん。
そんなことをしたら、ダメなんだよ。奪略愛もできないし、
美央くんは私のことをどうやったら好きになってくれますか?」

「やっ。バレンタインデー以外ならいつでも大歓迎なんだけど」

「ずっと、片想いをしていました。あなたを一目見た瞬間から私はずっと恋に落ちていたんですよ。
今年、同じクラスになってから、いつも、美央くんを見ていたの。授業中に先生の目を盗んで、
昼寝をしている時の美央くんの寝顔とか可愛かったんだよ。
それで隣の席になってから、私に話しかけてくれたよね? とても嬉しかったんだから」

 と、あさみの自虐に似た独白は止まることを知らない。
胸に秘めていた想いを解き放つと彼女は興奮しているのか瞳を潤わせて、涙の一粒を流していた。

「だからね、私は美央くんに自分の想いを伝えるために。
お姉ちゃんに手伝って貰ったけど、あなたのためにバレンタインデーチョコを……。
ぐすぐすっ。作ったんだよっ!!」

 差し出されるのは、先ほど受け取りを拒否をした、
あさみの丹精を込めたバレンタインデーチョコであった。
あさみとは1年間の交流で友達という友情を育んでいたと美央は思い込んでいたけど、
それは見当違いだったようだ。

男と女の友情はありえないとどこかの恋愛もどきの学者は言った。
  彼女の想いは純粋だ。ゆえに今日のバレンタインデーは自分に臆病な女性たちが
好きな人に想いを伝える勇気をくれる日だ。
だけど、年々、その想いというものが勝手に暴走して好きな男性を監禁したり、
誘拐したりと世の中は男性を脅かしていた。

 それはきっと違うのだ。
  男性はわかっていなかったのだ、女の子の純粋すぎる気持ちを。

 受け止める方法もなく、無責任に流すメディアの情報を真に受けて、
何も知ろうとはせずに、ただ恐い目に遭うと怯えていた。

美央も無知であったために、このバレンタインデーを危険な日だと思い込んでいた。
  だけど、健気なあさみの姿を見ると、今日の告白を受けてもいいと思えるようになってきた。

「美央くん?」
「柊さんの告白の返事を答える前に、俺は君に嘘をついていた」

 今、明かすであろう美央のつまらない意地を張ったダミーチョコの事を話す。
黙っていれば、自分の嘘がばれることもない。恥をかくこともない。
だが、本当に格好悪いのはダミーチョコを作って、つまらない虚勢を張り続ける自分だ。

チョコを貰えずに堂々と日々を生きている男の方が愛おしい強さを持っている。
それに比べると自分は何の価値もない外見に気を遣い、肝心な中身を疎かにしてきた。
これは臆病な自分に対する罰だ。遠慮せずに罰を受ける。

「実はあのチョコは自分で作ったんだ。
ほらっ。バレンタインデーになると他の女の子から今まで貰ったことがなくて、
友人達がたくさん貰えるのに、どうして自分が貰えないのかって。
友人たちにバカにされるのが嫌で、この季節にいつもダミーチョコを自分で用意したんだよ」

「あのチョコを美央くんが自分で作ったの?」
「そうだよ。バレンタイデーの度にチョコを作っている間に、何故か腕が上達しちゃって、
パティシエのアルバイトだってやっているし。将来はそっちの道に進もうかと……」
「そうだったんだ。うふふふ。良かった。美央くんが他の女の子からチョコを貰えなくて良かった。
私が美央くんにとって、初めてチョコを送ることができるんだもん」

「そういうことになるね」
「じゃあ、受け取ってください。私の気持ちを」

 差し出された可愛く包装されたチョコを受けると、中身を開けてみた。
  そこで美央は思わず驚愕していた。
あさみが作ったチョコは……黒くモジャモジャとした物体が入ってあった。

 そう、これは髪だ。

 誰の髪かはわからないが、推測できる範囲で言うと恐らく彼女の髪だ。

「これは……」
「お姉ちゃんが教えてくれたんです。女の子にとって、『髪』は命です。
  その命の部分を切り離して、想い人にプレゼントすることによって、
相手に一生忘れられない印象を抱かせる。
  これで美央くんのハートを射止めます」

「射止めると言われてもな」
  どこの世界に女の子の髪をプレゼントされて、
喜ぶ男性がいるんだろうかと美央は首を傾げたくなる。
  余程、女の子の髪マニアじゃないと需要はない。
  がっくりな自分の表情にあさみは気付いて、心配そうに様子を伺っていた。

「もしかして、私の髪はダメ……ですか?」
「正直に言うと微妙」
  気遣いは無用に等しい、下手な嘘は百の災いを生む。
  あさみは口からだらしなく魂を吐き出していた。
  もはや、生気がない。彼女の意外な一面を知るのは美央にとっては良いことなのかもしれないが、
  姉のふたみの嘘を無垢に信じているのはどうかと思う。
  口には出していない本音があさみに伝わったようなのか、びくびくと震えていた。

「チョコを作れなかっただもん。お姉ちゃんがバレンタイデーのチョコの材料を
遠慮なしに吹き飛ばしただもん。
  美央くんを喜ばせる方法はこれしかなかっただもん……ぐすぐすっ」

 と、あさみはついに泣き出してしまった。想いを込めた物をプレゼントしたつもりであっても、
  それが美央の心に届かなければ何の意味もない。
  包装している箱を持っている指先は震え、彼女は目の縁を真赤になっていた。
  自分を避けるように俯いたまま鼻を垂らす。
  そんな彼女を見ている美央も自分の不用意な発言があさみを傷つけたことに後悔していた。
  想いを伝えるということは、それは勇気がいることだ。
  仮に自分が好きな異性がいたとしても、
  告白する勇気も持たずに卒業するまでずっと片想いで終わってしまう。
  臆病すぎる自分は今度こそ覚悟を決めて、あさみと向き合わなければならない。
  胸に秘めている自分の想いを、解き放つ。
「俺は柊さんのことが大好きだよ」
「えっ?」
「バレンタインデーのチョコは貰ったよ。柊さんの想いもちゃんと貰ったよ」
「美央くん……」
「嬉しかったんだ。こんなチョコでも、俺にプレゼントしてくれたことが。
  柊さんから告白されると思ってもみなかったし。
  今まで友達同士だったけど、これからは俺の彼女になってくださいっ!!」
「は、はい。私も美央くんのことが大好きだから!!」
 

 菓子業界の陰謀の歯車が廻る日に、あさみと美央は結ばれた。
  ついでにサックスの音色は最高潮に煩く盛り上げるように吹き続けていた。

■後日談
「さてとお姉ちゃん……。これは一体どういうことなのかな?」
「これって?」
「なんで、美央くんと私が互いに告白しているシーンが居間のテレビで流れているのかな?」
「だって、大事な妹が初めて彼氏ができた記念だもん。
ちゃんと編集してDVDを焼いて、町内の皆様に配らないと」
「配らないで下さい。というか、お姉ちゃんのせいで私の髪が半分なくなったんだけど」
「ショートカットのあさみちゃんも可愛いわよ。
お姉ちゃんが男だったら間違いなくファンクラブを作ると思う」
「誤魔化すな!! 美央くんにバレンタインデーに乙女の髪をプレゼントしたら、
微妙って言われたんだよ。
  もしかしたら、美央くんに振られていたかもしれない。
  そうなったら、ヤンデレになっていたかもしれないんだよ」
「お姉ちゃんもあさみちゃんのために小学校から大学まで
  裏口入学できない頭脳で朝から晩まで考えたの。
  それである時に閃いたの。ショートカットのあさみちゃんが見たい、
  もしくはデジタル録画で半永久的に保存しておきたいって」
「ほうっ……やっぱり、お姉ちゃんはいつものように私を騙していたんだ」
「いつものことじゃない」
「ゆ、許せない。純粋な私の心を弄んで、私の恋路を……」
「お姉ちゃんだって今回の件はいろいろと頑張ったのよ」
「何を頑張ったの? 何を!!」
「知り合いの校長に私を教育実習生にしろと脅迫したり、朝から早く起きて、
  教室や校内に盗撮カメラを設置したり、担任の先生を出会い系サイトで知り合った風に見せて、
  学校から追い出したりと」
「それ、全部犯罪じゃん」
「ううん。愛する妹のためなら犯罪行為を犯しても、逮捕されないもん」
「屁理屈はいいわよ。他にやったでしょ。例えば、美央くんの下駄箱に変な手紙を入れたりと」
「うん。やった。あさみちゃんの恋する少女は美央くんを想うと
  激しく監禁したくなっちゃうようなことを想像して書いたの。
  美央くんには大好評だったよ」
「おかげで私がヤンデレと疑われて美央くんから嫌われそうになったわ」
「そうなの?」
「そうなの!!」

「もう、いいわよ。私が言いたかったのは私と美央くんが付き合うことになった以上は
  もう変な真似をしたら絶対に許さないんだからね!!」
  と、姉にそれだけ言い残すとあさみはとっと自分の部屋に立ち去った。
  誰もいなくなった居間で姉が最後にニヤリと笑みを浮かべていた。

「フフッ……、残念ながら次のあさみちゃん弄りのミッションはすでに発動しているのだよ」
  意地悪そうな笑みを浮かべ、ふたみは新たなるあさみ弄りの作戦を練る為に
  今晩も寝ずに頑張るであった。

 

END

2008/05/14 完結

 

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