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蚕の棲家

第1回    


1

1.


立夏の空には雲ひとつなく、見上げると濃淡な群青に吸い込まれるようであった。
大観覧車、ジェットコースター、急流滑り。
照りつける日差しで白銀に輝くそれらの前には、最後尾を見失うほどの長蛇の列がひしめいている。
頭頂の毛が焦がれるような暑さに、真田英二は帽子を取って額を拭った。

女受けのしそうな容姿である。
180に迫る長身、茶に染めた素直な髪、サングラスや眼鏡の似合う彫りの深い顔立ち。
前髪を直し、シャツで扇ぐ。そうした何気ない行動も絵になった。
しかしその瞳は楽しそうに輝き、秀でたルックスを嫌味には感じさせないでいる。
英二の周りには他に男が2人、女が2人いるが、集団の中心が英二なのは傍目にも明らかであった。

「さすがに休日ってなると、中々乗れねぇもんだなぁ」
男の1人がぼやいた。
彼も、他の者も、余りの人ごみに延々とテーマパークを巡り歩くばかりである。
「ああ…。あれ?奈々ちゃんはなーんか嬉しそうだなぁ」
別の男が、最後尾を静かについてきていた少女を見て微笑む。

瞬間、英二が歩みを止めた。

振り返ると、小さな少女が白い歯を覗かせて愛らしい笑みを浮かべている。

少女の名は岸重奈々(きしえなな)。
小さな、とはいっても背丈は160近くある。
中学・高校時代はバスケット部に所属しており、薄く小麦色の日焼けもしているので
ひ弱というイメージでもない。
ただその肩幅や腰回り、脚などを眺めると、やはり華奢に見えるのである。

彼女はややあどけなさの残る赤い顔から真っ白な歯を覗かせ、幸せそうに微笑んでいた。
それは彼女のチャームポイントであり、多くの者から愛されていた。
「あ、笑ってる〜。楽しいんだ?」
男に聞かれ、奈々はさらなる笑みをこぼした。

それを見て、英二は目つきを変える。

「なぁ。時間も時間やし、そろそろ昼飯にせぇへんか?2時半にここ集合。どや?」
急に切り出した英二の提案に、しかし反対するものはいなかった。
さくさくと物事を決めていく浪速っ子の彼に、皆が全幅の信頼を寄せているのである。

各々が昼食を取りに散った後、ベンチに腰掛けた奈々へ長い影が被さった。
奈々が見上げると、影はふっと横へそれ、椅子をゆらして隣へ腰掛ける。

「……ありがと……」
奈々が小さく呟いた。その顔には、先ほどまでの楽しそうな笑みはない。
英二は腕を組んだまま溜め息をついた。
「どうしてん。歩くん疲れたんか」
英二の言葉に、奈々がそっと靴を脱いで素足を晒した。
靴擦れであろう、足の先から血が滲んでいる。
かなり痛んだはずである。

「………。」
英二は憮然とした表情で、奈々のふっくらとした頬を撫でた。
「??」
不思議がる彼女を一瞥し、急に強くひねる。
「い、ひたひひたいぃー!」
奈々のつぶらな瞳が大きく見開いた。
「痛いならもっとはよ言え!黙り腐ってニヤニヤ笑うな!!」
奈々に一喝しながら、英二は目を吊り上げる。
色男が台無しである。
それは恫喝というより、まるで幼子にする躾けのようであった。

2.


英二と奈々の出会いは、中学校時代にまで遡る。
毎日昼休みになるたび、グラウンドの隅で男子に囲まれている女子が居た。
彼女はいつも笑っていたので、英二は仲が良いんだな、と思ったものである。
しかし、彼女は楽しくて笑っていたのではない。
それは彼女がスカートを捲られ、下着に手を入れられた状態でも
笑みを浮かべていた不自然さで明らかとなった。

岸重奈々が白い歯を見せて愛らしく微笑むときは、すなわち泣きたいほどつらい時である。

英二は、直感的にそれに気付いた。
感情に任せて男たちの肩をつかみ、そして、一方的に叩き伏された。
威勢もよく今風で、それなりに腕も立ちそうな英二は、その実喧嘩などからっきしである。
しかし男たちの去った後、赤黒く腫れた顔で笑って見せた彼の笑顔が、
奈々にとってどれほど力強いものであったことだろう。

それからというもの、英二と奈々は近くに居た。
奈々は英二の多くを知った。
スタイルの良さに反し、喧嘩どころかスポーツ自体がからっきし。
大多数の友人には気さくに接するが、奈々にだけはぶっきらぼうでどこか冷たい。
しかしそれは、彼女が気の置けない存在であることの裏返しである。

奈々は、彼に頼りきりの自分自身をよく分かっていた。
基本的に無口で、困った事があればつい笑ってしまって誰にも理解されない。

彼女は自分の周囲にいつも厚い空気の壁があるように感じていた。

自分の心が狭く、苦しい。周囲の人が、こわい。

いつまでも英二に甘えていてはいけない。
彼は社交性に富み、誰からも愛される明るい世界の人間だ。
いくらそう思っても、今日のように英二に遊びに誘われると断れずにいる。
彼女は知っていた。
英二はそのルックスのみで異性からの人気を得ているわけではない。
彼の気遣いの心、それこそが彼の彼たる所以であると。

 

「エイジ…ありがと。もう大丈夫だから」
奈々は大きな笑みを消し、目元だけを和らげて言った。
英二は肩を竦めてみせ、彼女の髪をくしゃくしゃと撫でる。
「その足やし、いったん帰ろか。他の奴に言ってくるわ」
立ち上がろうとする英二を、奈々の小さな手が圧しとどめた。
「いい、一人で帰れるよ。英二がいないと皆困るでしょ」
一瞬戸惑いを見せた英二に背を向け、奈々は入り口へと駆けていく。
「あ、おい!」
英二の甲高い声を聞きながら、奈々は唇を噛んだ。

  …ありがと。エイジ。ほんとうに、ありがとう…。
    ……私、ごめんね……。

雑踏に姿を消す華奢な背中を、真田英二は立ち尽くして見送る。

そして、もう1人。
くっきりとした瞳の女が、2人の始終を見つめていた。

2008/05/03 To be continued.....

 

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