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天使と悪魔の狭間で…

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1 -天使と悪魔の狭間で…-

 僕、寺島俊は虚しい青春を無為に送り続ける高校2年生だ。
  ちなみに俊は“さとし”と読むが、親しい友人でさえ正しく呼ぶ者は少ない。
  僕は名前の読み違い程度でムキになる程の気力を持ち合わせていないので、
  “しゅん”が本名だと思っている友人も多い。
  成績は赤点を取るほど酷くはないが、学年50位以内に入って
  名前が掲示板に張り出されるほど優秀でもない。
  といってスポーツが得意ということもなく、他人に誇れる特技や趣味がある訳でもない。
  容姿は中肉中背、化け物扱いされるような不細工ではない代わりに、
もて過ぎて困った経験もない。
  紛れもなく、どこにでもいる普通の男子高校生そのものなのだ。

 そんな冴えない男に彼女なんかは──それが居るというか何というか。
  実は僕には同い年の幼馴染みがいる。
  細川真理亜、お隣さんちの一人娘だ。
  僕が自慢することじゃないけど、真理亜はおしとやかでその上美人だ。
  一昔前の漫画に出てくる清純派女子高生を、そのまま現代に蘇らせたような美少女である。
  彼女を連れて町を歩けばどうなるだろう。
  すれ違う男という男は振り返り、連れの女の子はさぞかしヒステリックに顔を歪めるだろう。
  何にせよ痛快なこと請け合いだ。

 僕は高校に入れば真理亜に告白して、正式な彼女になって貰うつもりだった。
  勝算は充分にあった。
  僕も真理亜も仲のいい幼馴染みとして付き合いながら、
  互いを異性として意識しているのに気付いていた。
  ところが、真理亜を自分の彼女として連れ歩くという夢は破綻してしまった。
  何とかという題名の映画を見て聖職者に感化された真理亜は、
  こともあろうに修道院に入ってしまったのだ。

 聖職者なんかになれば男女の付き合いは厳禁だし、修道院に入れば会うことすらできなくなる。
  当然のこととして僕は猛反対した。
  それでも、彼女の静かな情熱を曲げることはできなかった。
  彼女は僕を捨て、神に仕える崇高な道を選んだのであった。
  と言う訳で、今の僕は彼女なしの寂しい高校生活を送っているのだ。

 そんな僕の恋人代わりは、人気ナンバーワングラドルの田中あぐりだ。
  星の数ほどいるグラドルの中からあぐりを選んだのは、
  やはり彼女が清純派グラドルのトップだったからだろう。
  やっぱり、僕はまだ心のどこかで真理亜のことを引きずっているのだ。

 僕はあぐりの新作DVDをトレイに乗せると、リモコンを使って再生を開始した。
「ちっくしょお、やっぱ可愛いよなぁ……」
  スレンダーなボディに貼り付いた紐ビキニが嫌らしい。
  女はやはり清純派に限るなぁ。

 僕はパンツごとズボンを脱ぎ捨てティッシュを掴み取る。
  そうやってエマージェンシーに備えておいてから──おもむろに自家発電を開始した。
「うぅっ…いいっ……いいよ、あぐり……最高だぁ……」
  僕は摩擦を快感に変え、アホみたいによがりまくる。
  一方的な欲望の追求はアッと言う間に限界を迎えた。
  そして、いよいよ発電回路が臨界点に達しようとした時のことであった。

「もうイッちゃうの? はやっ」
  いきなり耳元で呟いた女の声が、僕をパニックに陥れた。

 一瞬にして僕の体は硬直し、相棒を握り締めたまま固まってしまう。
  尿道が圧迫されたことにより噴射寸前だったエネルギーは行き場を失い、
  悲鳴と化して口から飛び出した。
「ヒャアァァァッ」
  こんなところを見られたら身の破滅、もうお終いだ。
  母さんや妹が入って来られないよう、ちゃんと鍵をかけていたはずなのに。
  いったい誰だと思って恐る恐る振り返ってみると、そこに立っていたのは──
  全く知らない、それこそ会ったこともない女の子だった。

 年の頃なら僕と同じか、一つ二つ上くらい。
  髪は眩しいばかりの金髪で、波打つように緩やかにウェーブしている。
  彼女が髪を染めたコギャルでないことは直ぐに分かった。
  ツンとした高い鼻梁に白い肌、透き通る蒼い目は挑発するように笑っている。
  彼女は正真正銘のガイジンなのだ。
  しかも無茶苦茶に可愛い。

 そんな彼女が身に着けているものといえば、
  胸と大事な部分を申し訳程度に覆っている黒革のビキニだけ。
  そのビキニトップから、巨大なオッパイが今にも飛び出そうになっている。
  僕は思わず生唾を飲み込んだ。
  清純派がなんだ、セクシー系バンザイ。
  僕が無節操なことを考えていると女の子が口を開いた。

「初めまして。あなたがサトシね?」
  どうして僕の名前を──しかも正しい読みまで知っているのか。
  そして、その質問が日本語で発せられたことが僕を二重に驚かせた。
「あたしはイブリン。あなたの願いを3つ叶えてあげるためにやってきたの」
  イブリンと名乗ったガイジンの女の子はウィンクするとイタズラっぽく笑った。

 訪問販売とデート商法を合わせた新手のインチキ商売かと思ったが、そんなことはどうでもいい。
  こんなに可愛い女の子とヤれて、童貞を卒業できて、
  その上に一生忘れられない思い出を作れるのだ。
  買春とはいえ、同時に3つの願いが叶うなんて夢じゃなかろうか。
  僕は犬みたいに舌を出してハァハァしていた。
  萎んでいた相棒に再び血が通う。
  海綿体一杯に血を含んだ相棒は、勢いを取り戻してそそり立っていた。

「ちょ、なに考えて……アホかぁ」
  イブリンは真っ赤になって怒鳴ると、僕の顔面に重い右ストレートを放った。
  その激痛が僕を現実に立ち返らせた。
  思わず尻餅をついてしまった僕は、手のひらで鼻を押さえてイブリンを見上げる。
  指の間から見えるイブリンは肩で息をして怒っていた。
  何が許せなかったのか、目尻には涙さえ溜まっている。
  激した感情をコントロールできなくなったのであろう、イブリンは遂に本性をあらわせた。

 ボンという音と共に白煙が上がった。
  それが薄れた時、イブリンの背中にはコウモリの翼が生えていた。
  迫力のあるお尻の割れ目の上辺りからは黒くて長い尻尾が伸びている。
「ひぃぃぃっ、悪魔?」
  見たままの印象が口から飛び出ただけなのだが、そのセリフはパーフェクトなまでに正解だった。
  今頃になって気付くのも我ながらどうかと思うが、
  イブリンの出現した畳の上には鮮やかな魔法陣が浮き出ていた。
  彼女が地獄から来たというのは嘘ではないらしい。
  悪魔の本性を剥き出しにしたイブリンは、青ざめた顔に冷酷そうな笑みを浮かべている。

「ようやく分かったようね? こともあろうにあたしを売春婦と間違うなんて、
本来なら問答無用でぶっ殺してるところよ」
  彼女が笑うと、2本の犬歯がニュッと突き出しているのが分かった。
「あんな口でフェラされると血塗れになっちゃうよ」
  余りに現実離れした出来事を前に、僕の頭は逆に現実的な思考を巡らせる。

 イブリンは本物の悪魔っ娘なのだろう。
  そして、彼女は魂を狙って僕に近づいてきたに違いない。
  3つの願いを叶えるというのも比喩なんかじゃなく、本当のことなのだ。
「さあ、いつまでもバカ面晒していないで、さっさと望みを言いなさい」
  けど、願いと引き替えに僕の魂を抜き取る気なんだろう。
  僕が懐疑的な目を向けていると、イブリンは大笑いを始めた。

「魂を寄越せって言うと思ってるのね。もちろん、そのつもりよ」
  やっぱりだろ。
「けど、それはサトシが死んだ後の話。契約した人間が生きてる限り、
あたしには手を下すことができないの」
  イブリンは紫色の舌が見えるほど大口を開けて笑い転げた。
  後にして思えば、このやり取りは毎度毎度のことであり、
パターンにはまったことが面白かったのだろう。

「で、で、でも……死んじゃった時、天国に行けなくなるんでしょう?」
  僕はなんとか声を震わせないよう努力したが無駄だった。
  口から出る声は我ながら情けなくなるほど怯えていた。
「バッカじゃないの、あんた。天国なんてあると思ってんの」
  イブリンは地獄の存在を棚に上げて言い放った。
「第一、あなた今まで一度も悪いコトしたことないの……
この先、悪いコトせずに寿命を全うする自信あるの?」

 なるほど、今度のは説得力あった。
  そう言われてみると自信はない。
  長い人生の間にはウソつくこともあるだろうし、彼女ができたら浮気だってするかもしれない。
  いや、是非してみたい。
  となれば、僕は天国には行けないことになる。

「でも、僕に望みを叶えさせて、その……そちら様に何の得があるというのですか?」
  僕は恐る恐る尋ねてみた。
「イブリンでいいわ」
  悪魔っ娘がフランクな調子で言った。
「じゃあ、イブちゃん。イブちゃんはどんな得するっての? 僕が死ぬのは何十年も先の話だよ」
  ちょっと馴れ馴れし過ぎたのか、イブリンは少しムッとしたように眉をひそめた。
  それでも直ぐに悪魔のゆとりを取り戻した。

「サトシが悪魔の力を使って、世の中に害毒を垂れ流してくれたらそれでいいの。
あたしにとって素晴らしい世界になるわ」
  猜疑心に裏切り、そして仲違いや嫉妬が渦巻くドロドロの世界。
  それを脳裏に思い描いているのか、イブリンは目をキラキラと輝かせた。
「それに掛け金は長期の方が利回りがいいってもんでしょ」
  なんか話が俗っぽくなってきたが、どうやら直ぐには殺されずにすむようだ。
  そうと決まれば少し落ち着いてきた。

 となると、縮こまって茂みに隠れてしまっている相棒が惨めに思えてくる。
  女の子を前にこんな惨めな姿を見せるのは格好悪い。
  せめて通常時のサイズを回復させようと、イブリンに少し待って貰うことにした。
「お願い、ちょっとおっきくさせてよ」
  僕は相棒をつまみ、レディの前でオナる無礼に断りを入れた。
  つもりだった、僕としては──

 ところが、イブリンはそう取らなかった。
  あろうことか、彼女は僕が相棒をでかくしろとお願いしたのだと理解してしまったのだ。
  その証拠に、イブリンは蔑んだような目になり僕を見下ろしている。
「いやっ、そのっ……違うんだよ。あのさ、イブちゃん……聞いてる?」
  僕は必死で訂正を試みたが、それは逆効果になったようだ。
「なによっ、あたしがそれくらいのことできないと思っているの。
呆れたお願いしておいて……舐めないでちょうだい」
  イブリンはバカにされたと思いこみ、烈火の如く怒り出した。

「それに一度した願いを訂正するには、もう1つ別の願いを消費することになるのよ」
  それは困る。
  まだ1つもお願いしていないうちに、権利を2つも喪失するわけにはいかない。
「やっぱ、止めるの止めたぁ」
  僕が躊躇していると有無を言わさずイブリンの呪文が襲いかかってきた。

「クムラダ クムラダ クムラダ ヴィスタ……イグザミニ ディザミニ ウワーラ ワラミニ…」
  イブリンの口からどこの言葉か分からない呪文が紡ぎだされる。
「イグザミニ ゾラミニ ウワーラ ワラミニ……ビビッカ オンドレ ビビッカ オンドレ……」
  少しでも理解できる単語はないものかと耳を澄ましているうちに、
僕は股間が熱くなってくるのを感じた。
  そして、それはあっという間の出来事だった。

 相棒が弾けたような感覚が走ったと思った次の瞬間、
股間に見たこともない巨根がそそり立っていた。
  充分な体積を持ち、それに見合った質量を誇っている。
  アニメでしか見たことのない黒人サイズの肉棒には太い血管が浮き出ており、
鼓動に合わせてドクンドクンと脈打っていた。
  当然、僕は驚いたが、イブリンも信じられないという顔をしている。
  多分……多分だけど、ここまで魔術が成功するとは、彼女自身思っていなかったのだろう。

「こ、これでサトシの願いは3つとも叶えてあげたわ。
それを使ってせいぜい世の中を混乱させてちょうだい」
  イブリンは少々うわずった声で告知した。
「ちょっと待ってよ。僕はまだ一つしかお願いしていないよ」
  僕は冗談じゃないとばかり立ち上がった。
  自然、相棒の先端をイブリンの鼻先に突き付ける格好になる。

「サトシはペニスを巨大化させると言う願いをして、次にそれを取り止めた。
そして更にそれを撤回させたわ」
  イブリンはそう言いながら、鋭い爪の生えた指を1本1本立ててみせる。
「よって、3つの願いは全て果たされたってわけよ」
  悪魔っ娘はチッチッチッという舌打ちに合わせ、3本の指を左右に振った。
「じゃあね。またサトシが死んだ時に来るから」
  イブリンは意地悪そうに唇を歪めると、魔法陣に向かって歩き始めた。

 そんなのありかよ。
  質の悪い詐欺にあった気分だよ。
  悪魔っ娘を相手に新しい相棒を使って、あんなことやこんなこともしてみたかったのに。
  鬼ぃ、悪魔ぁっ。

 僕の思いが通じたわけではないのだろうが、イブリンは翼を向けたまま立ち止まっていた。
  そしてゆっくり振り返ったと思うと、物欲しそうな目を僕の股間に向ける。
「しかしなんだわね……作品のチェックもしないで立ち去るのはちょっと無責任かな……」
  イブリンはもっともらしいことを口にするが、その目は僕の相棒に釘付けになっている。
「味見っていうか試運転ってのか……やっぱ、有りかなぁ……」
  そんな理由付けを探しながら、イブリンはブラとパンティの紐を緩めていく。
  まず、ロケット型の爆乳が解放され、
抑圧されていた鬱憤を晴らすかのようにボヨヨンと弾みまくる。
  そしてパンティがハラリと落ちると、手入れの行き届いた黄金の豊穣が現れた。

「キタァ────────ッ!」
  飲み込んでも飲み込んでも生唾が湧いてくる。
  清純派ってなんですか?
  ヒンヌーを美化する言い訳ですか、そうですか。
  そんな誤魔化しなど糞喰らえだ。
  僕は改めてセクシー系にバンザイした。
  そしてなりふり構わずイブリンに向かって頭から突っ込んでいった。
「マンセェーッ」

「調子に乗らないでっ、人間の分際で」
  見事な前蹴りがカウンターで炸裂し、僕は仰向けにひっくり返った。
「イニシアティブはあくまであたしが取るの」
  イブリンは腕組みしたまま僕の相棒をグリグリと踏みにじる。
  氷のように冷たい足裏が心地よい。
  イブリンは弾力を確かめるように足で相棒を一扱きすると、
仰向けになった僕を跨いで仁王立ちになった。
  彼女は僕に向かって意味ありげに微笑むと、見せ付けるように股間のスリットを割った。

 綺麗なピンク色をした内部がハッキリ見えた。
  生まれて初めて見る生のアソコである。
  そこは充分に湿り気を帯びており、戦闘態勢は整っているようであった。
  イブリンは目を閉じると、祈りを捧げるように天を仰いだ。
  そして膝を曲げてゆっくりと腰を下ろしていく。
  ジワジワ降りてきたイブリンの股間は、相棒の先端に触れた瞬間ピタッと動きを止めた。
  彼女は少し躊躇していたが、やがて意を決して一気に腰を下ろした。

「はあうぅぅぅっ」
「くはぁぁぁっ」
  僕たちは同時に呻き声を上げていた。
  オナホでは味わったことのない、生々しいまでの官能美だった。
  冷たい肌とは関係なく、その部分は暖かくヌルヌルしていた。
  これが生のアレなのか。
  これが童貞を失うということなのか。
  ものすごい感激が体中を駆け巡った。
  一方のイブリンもそれ以上の快感を味わっているみたいだった。

「オォォォッ……こ、こんなのって……魔族でもこれほどのは……はおぉぉぉっ」
  イブリンは目を閉じたまま、僕の腹の上にしゃがみ込んでしまっている。
  結合部からはお漏らししているみたいに液体が噴き出していた。
  僕の相棒が膨張と収縮を繰り返し、
それに連動して彼を包み込んでいるイブリンの内部が押し広げられるのが分かった。

 ようやく動けるようになったのか、イブリンが腰を上下に動かし始めた。
  しかし足腰の震えが止まらないため、その動きはきわめて弱々しい。
  それでもイブリンは充分すぎるほどの快感を得ているらしい。
「くっ……悪魔が…に、人間なんかに……あぁ〜ん……も、もう…これ手放せないぃ〜ん」
  イブリンが悲鳴を漏らしたが、最後の方は泣き声になっていた。
  なんと、悪魔っ娘が泣いてよがり狂っているのだ。
  すげぇぜ、僕の相棒。
  僕がすっかりいい気になった時であった。
  考えてもいなかった惨劇が起こったのは──

 ガラガラっという音と共にドアがスライドしたかと思うと、何者かが僕の部屋に踏み込んできた。
「あなた達っ、何やってるのですかぁっ」
  耳がキィ〜ンと鳴るような、興奮した女の怒鳴り声であった。
  驚いた僕の相棒から力が抜け、一気に萎えていく。
  支えを失ったイブリンは半ば失神したようになり、僕の上に力なく崩れ落ちてきた。
  仕方ないのでダッコしてやる。
  そのイブリンに隠れるようにして、声の主に目をやってみる。

 黒い修道服に白いフードを被ったシスターが立っていた。
  まだ若いシスターは顔を真っ赤にさせ、ロザリオを握った手をワナワナと震わせている。
  責めるように僕を見詰める目は三角になっていた。
  血管が破れたため白目が血走っている。

 誰だ?
  そして、どうして僕の脱童貞を責めるのだ。
  露出が極端に少ない外観のため、情報がほとんど入ってこない。
  やむなく記憶の引き出しを掻き回し、必要と思われるデータを洗いざらい探ってみた。
  その結果──
「あ……ひょっとして……真理亜?」
  僕はようやく自分を捨て、修道院に入ってしまった幼馴染みの存在に辿り着いた。
  それはビンゴだった。

「ひょっとしなくても真理亜ですっ。それより俊さん、あなたは何をなさっているのですかぁっ?」
  真理亜はこれまで見せたことない、怒気に溢れた顔をしている。
  これでは顔を見て、直ぐに真理亜と気付かなかったのも仕方がないだろう。
  言い訳は置いとくとして、シックな修道服には全くそぐわない表情だ。
  それに何だって真理亜がこんなところに?

「一応の修行が終わり、この町の教会でシスター見習いをすることになったのです」
  真理亜の言う教会とは、うちの斜向かいに建っている聖ミカエル教会のことだろう。
  カトリック系の教会として割りと有名な建物だ。
「今日はそのご報告にとお伺いしたのですが、
なんと屋根の上から邪気が立ち上っているではありませんか」
  真理亜がジロリと僕たちを睨み付ける。
「何事かと思って駆けつければ……この神をも恐れぬ破廉恥な騒ぎはどういうことですかぁっ」
  真理亜は怒りのため全身をわななかせている。
  必死で十字を切ろうとするが、冷静さを欠いているため上手く笑顔を作れないようだ。
  ロザリオを繋ぐ数珠が今にもぶち切れそうになっている。

「ちょっとぉ、黙って聞いてりゃあんまりじゃない。
男友達の童貞喪失を祝ってやる余裕すらないっての?」
  ようやく人心地ついたのか、イブリンが身を起こして僕の股間の上に跨った。
  濡れきったアソコがベトベトとしている。
「だいたい、あたしは神様なんて信じてもいなけりゃ、恐れもしないのさ」
  イブリンは僕の上で180度身を捻ると、開き直ったようにあぐらを掻いた。

「主よ、この哀れな娘悪魔を許したまえ。アーメン」
  真理亜は軽蔑しきったような薄笑いを浮かべ、胸の前で十字を切った。
  その薄笑いがイブリンのカンに障ったらしい。
  バサッという音と共に、コウモリの翼が狭い部屋一面に広がった。
  突風が巻き起こり、濡れたティッシュやテスト用紙が舞い上がる。
  両者に共通点があるならば、どちらも余り人目に晒したくない恥ずかしい紙きれということだ。

「アンタ、ひょっとしてケンカ売ってる?
  この、444柱の悪魔を従える軍団長のイブリン様に向かって」
  イブリンはこめかみに血管を浮き立たせて真理亜に突っかかった。
  ところが、真理亜は怯みもしなかった。
「お黙りなさい、泥棒猫っ。あなたが俊さんをたぶらかせたのね」
  ど、泥棒猫って?
  修道院で何を習ってきたのか、真理亜はおかしなボキャブラリーまで口走る。
「いいわ、猫──じゃなかった、悪魔払いの秘術で叩き出してあげる」
  何をするのかと思って見ていると、真理亜は内懐からガラスの小瓶を取り出した。
  それを握った手で十字を切る。

「父と子と、聖霊の御名において、アーメン」
  真理亜は小瓶の蓋をむしり取ると、イブリンに向かって中身をぶちまけた。
「わっ、真理亜……やめっ……」
  飛沫となった液体は、遠慮会釈なく無実の僕にまで降り掛かってきた。
  もしかして、雷は善人にも落ちるって奴か。

 思わず悲鳴をあげてしまったが、
その液体は味も臭いもない──微かに変な臭いはしたが──ただの水だった。
  ところが、その水はイブリンに対しては顕著な効果を発揮した。
「ひぃぃぃっ。熱っ、熱っ、熱ぅぅぅーっ」
  悲鳴を上げて飛び上がるイブリン。
  その肩口にはクッキリと火傷の痕があった。

「ホォ〜ホッホッホッ。如何かしら、私の愛液を素に作った聖水のお味は?
  俊さんに近づく泥棒猫には効果覿面のようね」
  真理亜は勝ち誇る余り、聖水に秘められた恥ずかしい秘密を喋ってしまっていた。
  心優しい僕は聞かなかったことにしてあげるけど──
しかし、ほんと修道院で何を習って来たのやら。

「あっつぅ……あぁっ、地獄のアイドル、イブリンちゃんの肌に火ぶくれがぁ……」
  イブリンが聖水に灼かれた肩口を凝視する。
「まだそんな質の悪い冗談が言えるなんて、効き目が薄かったようね」
  真理亜がケラケラと笑う。
  大口を開けて笑い転げるシスターも斬新だとは思う。

「許せない……許さないっ……」
  今度はイブリンの金髪が天を突いた。
  蒼い目に鬼火が灯る。
「地獄の業火よ来たれ。クムラダ ヴィスタァッ」
  呪文が唱えられた次の瞬間、手狭な僕の部屋が炎に包まれた。
「熱っ、熱っ、熱ぅぅぅーっ」
  今度は僕たち3人ともが同時に飛び上がっていた。

「イ、イブちゃん……勘弁してっ。部屋……部屋が燃えちゃう」
  僕が制止するより早く、地獄の炎は消え去った。
  魔術を使ったイブリン自身が、愚かに自爆してくれたことが幸いしたのだ。
  さすがに2人ともダメージを負ったようで、肩で息をしている。
  この場を収めるのは今しかない。

「2人とももう止めようよ。綺麗な女の子同士が醜く争うのは見てられないよ」
  ナニに続いて修羅場もこれが初体験になる僕は、精一杯気の利いたことを言ったつもりだった。
  しかしその結果は惨めだった。
「「あなたは黙ってすっこんでて」」
  2人同時、完璧にシンクロナイズドされた罵声が僕を薙ぎ倒していた。

「このまがいもんのシスターが。覚えてなさい……今から手下どもを引き連れて
  お返しにきてあげるからっ」
  イブリンは唾を吐き捨てて真理亜を罵る。
「ふんっ、アバズレ小悪魔なんか何千匹来たって怖くなんかないわっ。
まとめて地獄に送り返してあげるっ。速達でね」
  真理亜は中指を立てたファックサインでお返しをした。
  当然ながら、料金は受取人払いにするつもりなんだろうなあ。

「直ぐに帰ってくるから逃げるなよ。その時になってションベンちびんないでっ」
「そっちこそ、このままバッくれんじゃないわよ。10秒だけ待ってあげるから」
  挑発されたイブリンはカッとして踵を返しかけたが、思い止まって魔法陣に走り寄る。
  そして、とんでもないことに気付いて悲鳴を上げた。

「イヤァァァッ。ま、魔法陣が……魔法陣が消えてるぅっ?」
  確かに、先程までそこにあった魔法陣が今は消え去っていた。
  おそらく真理亜の聖水を浴びて効力がキャンセルされてしまったのだろう。
  と言うことは──
「アァ〜ン。おうちに帰れなくなっちゃったよぉ」
  残酷な事実を前に、悪魔っ娘はワンワン大泣きを始めた。

 魔法陣は地獄とこの世界を繋ぐ時空トンネルである。
  それが消えたということは、海外旅行を楽しんでる間に
  母国がいきなり鎖国しちゃったってことだろうか。
  比喩としては少し間違ってるかもしれないけど、
イブリンがこの世界に置き去りにされちゃったことは確かだ。

「同情することはないわ。よその国に来て悪さしてたら、
祖国から再入国禁止処分を受けたってだけのことじゃない」
  う〜む流石は幼馴染み、思考や発想はよく似ている。
  真理亜は「当然よ」とばかり悪魔っ娘を笑い飛ばした。
  それでもイブリンの泣きっぷりを見ているうちに眉から力が抜けてくる。

「もうパパにもママにも会えないよぉ。パパァ……ママァ……」
  真理亜も幼い頃に両親を亡くし、お祖父ちゃんに育てられてきた。
  だから今のイブリンの気持ちが痛いほど理解できたのだろう。
  と言って直ぐに和解する気にもなれず、バツが悪そうにそっぽを向いてしまった。

「あのさぁ……」
  仕方なく、僕がイブリンを慰める役に回った。
「あのさ、イブリン。まだ向こうからお迎えが来ないって決まった訳じゃないだろ?」
  悪魔を慰めるってのもなんかアホらしいが、この場合は仕方がない。
「帰りが遅くなれば、きっとパパやママも心配になって迎えにくるよ。
それまでうちで待ってればいいじゃない」

 僕がそう言った途端、イブリンがはたと泣きやんだ。
  そして上目遣いに僕を見詰めてきた。
「ホント? イブリンちゃん、ここにいていいの?」
  不安そうに聞き返してくるその姿は実にセクシーだった。
「ダメダメッ、俊さんの部屋に娘悪魔を住まわせるなんて……そんなの絶対に許せないわっ」
  真理亜がそうはさせまいと噛み付いてくる。

「けど、困った異邦人を路頭に迷わせるのは神の教えに反するだろ。
カトリックだって難民保護を推奨してることだし」
  僕が神の教えを持ち出すと、真理亜は渋々ながら口をつぐんだ。
  それでなくても、今日は散々神の教えに反してるのだから。

「いいわっ、こうなったら私もここに住むっ。
そして俊さんが取り付かれないように見張っててあげる」
「そんなこと言って……お前、教会は?」
  僕は慌てて真理亜に問い掛けた。
「ここから通いますっ」
「そんな、通いのシスターなんて……」
  僕は真理亜を落ち着かせようと優しく話し掛けたが無駄だった。

 真理亜は僕とイブリンを交互に見て鼻を鳴らした。
「私がいることで何か問題でもありますの?」
  真理亜はそう言い放つと、畳に腰を下ろして腕組みをした。
  彼女がこうなったら梃子でも動かないことは、幼い頃からよく知っている。
  再び真理亜とイブリンが睨み合いを始め、空中に見えない火花が激しく飛び散った。

 憧れの彼女、そして夢にまで見た修羅場だったが、
実際に経験してみるとそれほど快適なものではないらしい。
  あまつさえ、それが日常的なものになるとすれば──

 僕は気付いてしまった。
  迎えなんか待つ必要はない。
  この場所が、この状況こそが地獄そのものであると。
  しかも、この地獄の行脚はまだ始まったばかりなのだ。

 天使と悪魔の睨み合いの狭間で、僕は陰鬱な溜息をつくしかなかった。

2 -天使と悪魔と鋼鉄のメイド-

 寺島家の朝は騒がしい。
  もっとも、それはここ一週間の話だけど。

 元々うちには僕の他、両親と妹の4人家族が暮らしていた。
  それが一週間前のこと、いきなり家族が2人も増えたのだった。
  1人は幼馴染みで、修道院から帰ってきたばかりの細川真理亜。
  斜向かいの聖ミカエル教会で神にご奉仕する聖職者だ。

 そしてもう1人は地獄からの招かれざる客、娘悪魔のイブリンである。
  自称、444柱のしもべを従える悪魔の軍団長だとか。
  些か眉唾ものの話だが。

 イブリンとは願いを3つ叶えて貰うのと引き替えに、死後に魂を譲渡する契約をかわしている。
  僕はこの年にして地獄行きが決定しているのだ。
  と言っても、それはまだ70年ほど先の話になる。
  だから、今から遠い将来の危難に怯えてみても仕方がない。
  だいたい、僕は長期的展望に立った思考を巡らせるのは苦手なのだ。
  単に行き当たりばったりだとも言うけど。

 こんなことを言うと、悪魔の力を使って相棒をビッグサイズにしたのも、
刹那的な快楽を追求せんがためだと思うだろう。
  違う。
  断じて違う。
  自分自身の名誉のために言っておくが、僕はそんな願いをした覚えはない。
  全てはイブリンの勘違いに起因する不幸な事故である。

 誓ってもいいが、僕はそんな下劣な願望を第一に考えるような男ではない。
  もっとも、3つ目辺りにお願いしていた可能性は充分あるが。
  ともかく僕は不幸なことに、相棒のサイズアップのためだけに
3つの願いを使い切ってしまったのだった。
  それを願い、訂正し、そして更にそれを撤回することによって。
  アレはイブリンによる詐欺だと今でも思っている。
  残り2つの願いはまだ生きていると僕は信じている。
  いずれ折を見て交渉してみようと思っているが、悪魔が相手では難航することだろう。

 まあ、相棒がでかくなるのは別に困ることではない。
  特に年頃の男の子としては、相棒のでかさは優れた才能といっていい。
  なにせ僕の新しい相棒ときたら、悪魔っ娘さえも虜にしてしまうほどの逸物なのだ。
  もはやイブリンは僕の相棒なしでは生きていけない体になってしまっている。
  このままいけば、ナイスバディの金髪美少女と一生ウハウハの関係になれるはずだった。
  ところが世の中はそんなに甘くなかった。

 僕とイブリンの間を裂いたのは誰あろう、2年前に僕を捨て、聖職者の道を選んだ真理亜だった。
  二度と会えないと思っていた真理亜との再会は嬉しかったが、
何も僕とイブリンの間に割って入ることはなかろうに。
  修道女の彼女にとって、悪魔の存在は勿論、その悪魔が僕といい仲になるのが許せなかったのだ。
  いや、きっと僕たちがエッチなことをしている現場を目の当たりにして、
可愛く焼き餅を焼いたのだろう。
  修行の成果が全く上がっていないじゃないか、真理亜。

 かくして僕の家に居着くようになったイブリンと、
彼女を叩き出そうとする真理亜との間に熱いバトルが開始された。
  だが、それは僕が夢みていた楽しい焼き餅合戦などではなく、
一つ間違えば命に関わるリアルな修羅場だったのだ。

 

 午前8時ちょうど。
「俊さん、起きてください。もう朝ですよ」
  優しい囁きと心地よい揺れが僕を起こしてくれる。
  目覚まし時計の不愉快な電子音とは大違いだ。

 目を覚ますと、一分の隙もない修道服に身を包んだ真理亜がいた。
  体はおろか頭までが布で覆われており、
露出しているのは顔と手のみというストイシズム溢れるスタイルである。
  それでも真理亜のはにかんだ微笑みは天使のようであり、
それが自分の眼前30センチのところにあるというのは
おそらくこの上もなく贅沢なことなのであろう。

 ただ、その身を神に捧げている彼女が僕のモノになることは決してない。
  素直に「愛してる」と言わせることも絶望的だ。
  ちっちゃな頃から好きだった彼女がようやく同棲相手になったというのに、
指一本触れられないなんて。
  生殺しにされるんじゃ、なまじっか悪魔より質が悪いよ。

 そんなことを考えていると、またうつらうつらしてきた。
  初めのうちは慣れなかったハンモックだが、今ではこの寝心地がすっかり馴染んでいる。
  もっとも同棲相手たちにベッドを占拠されなければ、馴染んだりする必要もなかったのだが。
  今、僕のベッドで寝ているのは悪魔っ娘のイブリンだ。
  禁欲的で規則正しい生活を送る真理亜とは正反対に、自堕落で気ままな毎日を過ごしている。
  まあ、大きめの猫でも飼っていると思えばなんていうことはないんだけど。

「さあ、俊さん。早く起きないと遅刻しちゃいますよ」
  真理亜の声と同時にカーテンが開かれ、朝の光が部屋中に満ち溢れた。
「う……うぅ〜ん……」
  仕方なく身を起こし窓辺に目をやる。

 朝日を背負いにっこり微笑んでいる真理亜は、まさに天使そのものだった。
  修道服を脱がせたら、背中に白い翼が生えてたって驚かない。
  否、生えているべきだとすら思える神々しさであった。
  これが昨夜遅くまで悪魔っ娘と激しく罵り合い、
僕の睡眠時間を半分に削ってしまった張本人だとは信じられない。

「う〜ん……うるさいなぁ。もう少し寝かせといてよね、あたしって夜行性なんだから」
  そう言って不機嫌そうに呟いたのはイブリンである。
  ベッドに顔を向けると、細長い黒ヘビがうねっているのが見えた。
  視線を下にずらしていくと、ヘビは剥き出しになった真っ白いお尻に繋がっていた。
  それはヘビではなく悪魔っ娘が振っている尻尾なのだ。
  低血圧のため朝に弱いイブリンにとって、それは精一杯の意思表示だったのである。

「いいのよ、あなたは起きてこなくて。むしろ一生そのまま寝ていて貰いたいくらいだわ」
  冷たい言葉が音波のメスとなって空気を切り裂いた。
  発したのは真理亜である。
  神の使いとはとても思えない、冷酷そうな薄笑いを浮かべている。

「なんだとぉ」
  イブリンが体を壁に向けたまま、顔だけを180度回してこちらを振り向いた。
  現象面だけ見ると不気味だが、顔自体は思わずハッとするような金髪の美少女である。
  少しツンとしたところがあるけど「美人とはそういうものなのだ」と、
あの星新一先生も断言されている。
  だが、今のイブリンの状態は、ツンツンどころではなかった。
  アイスブルーの目が不機嫌そうに半開きになっているのは、
決して眠いからだけではないのだろう。

 真理亜とイブリン。
  この2人はとにかく反りが合わず、顔を合わせればケンカばかりしている。
  つまり、この狭い家にいる限り、常に争いが絶えないというわけだ。
  カッときた途端に血圧が正常値に戻ったのであろう、イブリンがシーツを蹴って起き上がった。
  勢いのついたロケットオッパイがブルルンブルルンと自由に跳ね回る。
  何も身に着けていないため、下も丸見えになっている。

 チクショ〜ッ、いつ見てもいい体してるなぁ、イブリンは。
  いつも裸でいるため見慣れたが、決して見飽きたというのではない。
  突発的に鼻血を出さずに済むようになったというだけで、
相棒は僕の意思とは関係なく巨大化してしまう。
  これは僕の責任ではなく条件反射なのだから、真理亜に睨み付けられても苦笑いしかできない。
  先端からだらしなくヨダレを垂れ流しているところなんかは、まさにパブロフの犬だな。
  そんな僕の曖昧な笑顔が真理亜を更に怒らせる。

「なんです、俊さんっ。そんな安物の裸を見たくらいで……恥ずかしくないのですか」
  真理亜が腹立ち混じりにハンモックの釣り紐を外したからたまらない。
  僕はお尻から畳に急降下してしまった。
「ちょっと待ちなよ。安物ってどういう意味なのっ」
  イブリンが僕を押し退けて真理亜に迫る。

「あら、言った通りの意味に決まってるじゃない。
体しか能のない女は、三流雑誌のグラビアでも飾ってなさいってこと」
  真理亜が煩わしそうに呟いた。
「直ぐに読者から忘れられちゃうだろうけど、それまでせいぜいやっすい裸を晒してるといいわ」
  これにはイブリンも黙っていなかった。
  青白い肌に赤みが差し、全身がピンク色に染まってくる。

「このくされシスターが……調子に乗らないでよっ」
  イブリンが長い犬歯を剥き出しにして唸り声を上げる。
「あら、どうしてイブちゃんが怒るの? 私がしてるのはグラビアアイドルの話なのにぃ」
  真理亜がわざとらしく微笑み、更にイブリンの怒りを掻き立てる。
「悔しい〜っ。他人に見せられないような貧乳してる女に、オッパイをバカにされるなんてぇっ」
  イブリンが歯を食いしばって怒りに耐える。
  しかし、きっちり毒を吐いてるのが素晴らしい。

「な、な、なんですって。他人に見せられないって……変な言い掛かりつけないで」
  今度は真理亜の顔から血の気が引いていき、みるみる顔面蒼白になった。
「だって見えないくらいちっちゃいんだから、見せようとしても見せられないじゃん?」
  イブリンが爆笑し、僕は迂闊にも釣られて吹き出してしまう。
  チラリと僕を見たシスター・マリアの目が、研ぎたての刃物みたいになっていた。
  僕は慌てて咳き込む振りをしたが、誤魔化しきれただろうか。

「だいたいアンタはお粗末な体してるんだから、
  男に裸晒しちゃいけないシスターになったんでしょ?」
  イブリンがアハハと笑って一気に畳みかける。
  僕は自分の尻をつねり、込み上げてくる笑いを必死でこらえる。
「胸の割りには意外に賢明というか。まあ、アンタにとってシスターは天職だね」
「な……胸の割りには、って……バカなのは胸がおっきい女の方だって、昔から決まってんのっ」
  危険な兆候だ。
  真理亜が我を失いかけている。

「そんなの誰がいつ決めたの? 何年何月何日何時何分何秒なのっ?
  今どきそんなの信じてるなんて子供みたい」
  イブリンが子供じみた論理を振り回して真理亜を子供扱いしようとする。
「アンタなんかでかいだけじゃない。私の胸は小さいけど感度はイイって、
  修道院じゃみんなが褒めてくれたのっ」
  どういう修道院なんだろう。
  聖水の原材料とかにしてもそうだけど──その修道院って絶対におかしいよ。

「おう、だったら試してやろうじゃん。ヒンヌー出してみろよ、あたしが揉んでやるからさ」
  イブリンが両手を突き出して、指をムニュムニュと開閉してみせる。
  その動きは相手の貧乳に当て付けるかのように極端に小さい。
  意図するところを正確に察し、真理亜が激怒した。
「アンタより感度がよかったら、この家から叩き出すわよ。
  その時になって幾ら泣いたって許さないからねっ」
  怒りに燃えた真理亜はベールとフードを被ったまま、修道服のホックを外し始めた。

 これは面白くなってきた。
  朝から絶世の美少女同士のレズシーンが拝めるとはついてる。
  互いに勝負がつかなけりゃ、判定は僕に委ねられることになるだろう。
  この勝負、実に興味深い。
  と思っていたら残念なことに思わぬ邪魔が入った。

「みんなっ、お味噌汁が冷めちゃうよぉ」
  ガラリとドアが開かれ、妹の綾が顔を覗かせたのだ。
  小学生のあどけない視線を前に、天使と悪魔はバツが悪そうに争いを止めてしまった。
  こうして朝のお楽しみタイムは終わりを告げた。
  妹なら空気くらい読めよな。

 

「いやぁ、真理亜ちゃんが来てくれてから朝飯が楽しみになったよ」
「ほんと。お陰であたしも毎朝ゆっくりできるようになったし」
  真理亜はうちの両親には随分と受けがいい。
  なんと言っても、ちっちゃい頃から付き合いがあるのは強みだ。

「センスねぇ〜の」
  同じちゃぶ台に陣取り、しかめっ面でみそ汁を飲んでいる白人娘は違和感ありありだった。
  部屋を出る時には服を着るようにとの言いつけを守り、
  一応キャミソールのようなものを身に着けている。
  もちろん、コウモリの翼や尻尾、それに鋭い爪は収納させていた。

 両親には彼女のことを“パスポートを無くした可哀相な知り合いの外人娘”
  という触れ込みで紹介していた。
  最初はクジ引きで押し付けられたホームステイを装わせようと思った。
  しかし、真っ昼間から部屋でゴロゴロしている留学生など不自然すぎる。
  留学先が猫の学校ってのなら話は別だけど。

 イブリンを紹介した時、母さんは最初あまりいい顔をしなかった。
  セクシーな若い娘が家にいることで、子供の教育上好ましからざるトラブルが
  発生するのを恐れたのだろう。
  その点、父さんは男らしかった。
「困っている時はお互い様だ。なに、娘が1人増えたと思えばいいだけのこと。
  旅券が発給されるまでうちに居て貰いなさい」
  直後にイブリンからキス責めに合う父さんの股間は、実に男らしくピンコ立ちしていた。

 その夜、父さんと母さんは約10年ぶりに合体することに成功したらしい。
  朝になると、母さんもイブリンの滞在を快く承諾してくれた。
  なんてことはない。
  生体バイアグラとして、イブリンの使い道を見出したのだった。
  女という生き物は強かなものだと、改めて感心させられた。

 妹の綾はカッコイイ外人のお姉さまができたことを単純に喜んでいるようだった。
  あちこちイブリンを連れ回しては、友達たちに自慢していた。
  綾にすれば、綺麗でスタイル抜群な白人娘は、それだけでタレントみたいに思えるのだろう。
  少なくともこの時はそう思っていた。

「センスねぇ〜」
  イブリンが汁かけご飯を掻き込みながら、これで何度目かになるセリフを呟いた。
  ほとんど全部を平らげた後に言うセリフじゃないと思うけど。
  彼女が口で言うほどには不味く思っていないのは確かだ。

 イブリンが和食に順応するのは早かった。
  特にタマゴかけご飯と鯵の干物が好物らしい。
  真理亜の作る朝飯にブツブツ文句を言いながら、決まって全部平らげる。
  その真理亜もブスッと顔をしかめながら、毎朝生タマゴと鯵の干物は欠かさない。
  なんか殺伐としつつも微笑ましい、我が家における朝食の風景であった。

「それじゃ、俊さん気をつけて」
  朝食を終えると、僕は真理亜の新妻じみた挨拶に送られて高校へと出かける。
  その真理亜は教会に、父さんと母さんは会社に、そして綾は小学校へ向かう。
  そしてただ1人残されたイブリンがお留守番ということになる。
  彼女に番犬の忠実さを求めるべくもないが、
  こと戦闘力に関してなら犬の数千倍は期待できそうだ。
  もし我が家に泥棒が入るようなことにでもなれば、
  僕は彼の不幸に最大限の同情を払うことになるだろう。

 それはともかくとして僕はこれから数時間、束の間の平和を楽しむことができる。
  あれだけ疎ましく、死ぬほど退屈に思えた平凡な時間を。

 

 楽しい時間は早く過ぎるとよくいうが、平凡な時間だって過ぎるのは早い。
  午後3時半、帰宅の時間はアッと言う間にやって来た。
  クラブや同好会に縁のない僕は、学校にいても仕方がないので早々に帰宅する。
  不思議なもので、その頃になるとあの我が家での騒動がなんとも楽しいものに思えてくる。
  全く──人間、度し難きものだ。

 部活に向かうクラスメートと上辺だけの挨拶を交わすと、僕は1人で校門を出た。
  さて、家に帰ったら何をしようか。
  イブリン相手にエッチなことするのが理想だが、なにせ斜向かいの教会には真理亜がいる。
  どんな修行を積んだのか知らないけど、彼女の嗅覚は怖ろしいまでに鋭敏になっている。
  文字通り鼻がいいって意味なんかじゃなく、なんて言うか勘が怖ろしいくらい鋭いのだ。

 僕が帰宅してイブリンとおっぱじめようとしたら、彼女は必ず教会から駆けつけてくる。
  玄関を見張られているんじゃないかと思い、一度裏口から入ってみたことがあった。
  それでも、僕がズボンを下ろしきるより早く、
  ドアの外からシスター・マリアの咳払いが聞こえてきたのだ。
「あなたを悪魔から護る使命感ゆえですっ」
  真理亜は目を三角にして、情けない格好の僕を睨み付けてきた。

 ともかく、我が家がドイツ軍捕虜収容所並の厳戒態勢を誇っていることだけは理解できた。
  僕の部屋でイブリンとヤるのは、どう考えても不可能である。
  となれば、彼女を外に連れ出すしか手はない。
  あの真理亜の監視網をどうにかかいくぐって。

 さてどうしたものかと思案しているうちに堤防道路まで来ていた。
  堤防の向こう側には隣町との境界線である大川が流れており、
  広い河川敷は地域住民の憩いの場所になっている。
  桜の季節ともなるとお花見客でごった返すことになるが、この時期だと花もまだ蕾だ。
  更に平日の夕方前だと、せいぜい暇な釣り人が餌のミミズを溺死させようと
  頑張っているくらいだろう。

 そこで僕は気付いた。
  この河川敷にイブリンを誘い出したら上手くヤれるんじゃないかと。
  河川敷には背の高い雑草が生い茂っている原っぱがあちこちにある。
  そういうところには決まって古びた下着が捨てられていたりするものだ。
  子供の頃は野糞の後始末かと思ったりもしたが、
  今思えばアレは先達の残してくれた道標だったに違いない。

 僕はサンダース軍曹のように猛然と堤防を駆け上がり、
  慎重に周囲を見回してから河川敷へ降りていった。
  そこに僕の将来を左右する事件が待ち構えているとは思いもしないで。

 それは──というか、彼女は唐突に僕の前に現れた。
  今になって考えると、彼女は僕を待ち伏せしていたのだ。
  待ち伏せ──何という素晴らしい響きなのか。
  しかし、それがアンブッシュという軍隊用語に置き換えられた途端、
  味も素っ気もないものになってしまう──

「アナタの精子……欲しい……」
  抑揚のない声で呟く少女の顔は、それに合わせたかのように無表情であった。
  表情が乏しい、というより生気が感じられない。
  なんか悪質な新興宗教団体にマインドコントロールされているみたいな目をしている。
  不気味ではあるが、醜いというのではない。
  むしろ、真理亜やイブリンと比べても遜色ないほどの美形だ。

 前髪を真一文字に揃えたボブカット、整った目鼻立ち、
  そしてフェラを覚えるのには苦労しそうなおちょぼ口。
  どこか等身大フィギュアを連想させる雰囲気があるのは、
  彼女がメイド服を着ていたからだけではなかった。
  美形は美形なんだがどこか不自然な感じがする。
  不自然と言えば、会うなり呟いたセリフもそうだ。
  初対面の女の子が口にするような言葉ではない。

「アナタの精子……欲しい……」
  彼女は同じセリフを繰り返すと、何者かに操られるように一歩前に出た。
「な、な、な、なにを言ってるんだ、君はっ?」
  僕は声を震わせながら、普通なら一歩下がるところを逆に一歩前に出ていた。
  新手の売春なのかキャッチセールスなのか良く分からないけど、なかなか興味深い商談ではある。
  話だけでも聞いてみる価値はありそうだ。
  いざとなったらクーリングオフを適用できるだろうし。
  なんてことを考えていると、いきなり少女の体からメイド服一式がハラリと落ちた。

 キタァ────────ッ。
  針金みたく華奢なボディに引き締まったヒップ。
  そしてメロンのようなオッパイの先っちょは、ツンと天上方向を向いている。
  これぞ男が夢みる理想型の最大公約数。
  神よ、あなたは何という素晴らしい造形師なのですか。
  イブリン?
  誰ですか、その子豚ちゃんは?

「サトシ……あなたの……精子……欲しいの……」
  少女が操り人形のような動きで僕の手を取った。
  はいっ。
  こんなもんでよろしかったら幾らでも差し上げますとも。
  いや、貰ってください、是非。

 グッポ、グッポとピストンがシリンダの内側を往復する。
  普通のエンジンなら動くのはピストンの方だろう。
  しかしこの気が利くシリンダーは、ピストンを適度に締め付けながら自律運動してしる。

 あれから直ぐに近くの草原に倒れ込んだ僕たちは、
  崇高な使命を果たすための共同作業に入ったのだった。
  言わずもがな、僕の精子を彼女に捧げるという使命である。
  彼女は上になり、僕の相棒を挟み込んで腰を上下に動かしている。
  そのたびオッパイが上下に揺れ、僕の目を楽しませてくれる。
  ただ、彼女は相変わらずの無表情で、感じているのかいないのか良く分からない。
  残念と言えば残念だが、生まれて初めて中出しをした僕には、
  相手のことまで構っている余裕などなかった。
  行為ってのが女の中に出して初めて完了というのなら、今回こそが僕の脱童貞なのだろう。

 10分ほど前に童貞を喪失した僕は、それから立て続けに5回はイッていた。
  彼女の中は無数の柔襞に覆われているようで、
  それぞれが独立した生物のように僕の相棒にまとわりついてくる。
  その上、彼女の中には常に微弱な電流が流れているようで、
  相棒は痺れたようになって直ぐにイッてしまうのだ。
  彼女の前では悪魔に貰った魔界の肉棒も形無しだった。
  僕が天国までの七往復を終えた時だった。
  いきなり彼女が立ち上がり、僕の相棒が抜け落ちた。

 相棒はまだまだいけそうだったが、僕の方が参っていたところだったのでホッと溜息をつく。
「サンプルの回収は……成功……した……」
  良かったとも悪かったとも口にせず、彼女は淡々とメイド服を身に着け始めた。
  余韻に浸ろうともしない無粋な態度に、僕は少々ガッカリさせられた。
  だが本当のところ、余韻に浸っているような余裕は僕には無かったのである。
  悪夢は直ぐに現実と化し、僕に襲いかかってきた。

「……よって……オリジナルは……デリートする」
  少女は無表情のまま僕に向かって右手を差し出した。
  握手を求めているんじゃないことを理解したのは、
  真っ直ぐに揃えられた指先から5本の銃身が飛び出してきた後だった。
  ドドドドドッという銃声と共に、僕の頭上を衝撃波が駆け抜けていった。

 撃たれた?
  と思った次の瞬間、僕は脱兎の如く走り出していた。
  何が起こったのか理解したわけではない。
  僕は頭で考えるより早く、自己保存本能の導くままに危機を回避しようとしたのだった。

 この時の僕の走りを関係者が見ていたなら、
  きっと北京オリンピックの男子100メートルの候補に推していただろう。
  我ながら惚れ惚れするような走りっぷりだった。

 ただ惜しむらくは、僕がランニングパンツとスパイクを身に着けていないことだった。
  股間の相棒が完全に露出しており、走りにあわせてブラブラ揺れていることだけが、
  まことに残念であった。

3 -天使とメイドと機関銃-

 僕の足元に砂煙が上がり、ほとんど間を置かずドドドドドッという
リズミカルな銃声が追いかけてくる。
それを合図に、僕の逃げ足がトップギアへとシフトアップする。

 馬の足を速めるために、鼻面にニンジンをぶら下げるというアイデアがある。
昔の外国アニメでお馴染みの、古典的なギャグパターンの一つだ。
これは獲物を追いかけようとする動物の本能を巧みに利用したものに他ならない。
しかしここで気付いて欲しい。
馬は幾ら走ろうとも、決してニンジンには追いつけないのだ。
これはシステム上当然のことなのだが、ある意味で真理の一面を如実に表している。
そう、いつだって追われる立場の者は、追う側より遥かに必死なのである。

 猫も生存し続けるためにネズミ、即ち食物を追っているのは分かる。
しかし猫が目の前のネズミを逃がしても死なないのに比べ、
一方のネズミは猫に捕まれば確実に命を絶たれることになる。
それだけに元々の必死さが違うのだ。
そして追い詰められればネズミだって猫を噛む。
弱者の自己保存本能は、時として強者の殺戮本能すら上回ることがあるのだ。
この時の僕は持てる能力の全てを走ることに費やし、
ひたすら謂われなき暴力と戦っていたのである。

 追いかけてくるのはものすごく美形のメイドさんである。
普通ならこんな可愛い女の子に追いかけられて逃げ回るなど、愚の骨頂に他ならない。
男であれば、むしろ歓迎すべきところであろう。
ただ普通じゃないのは、彼女の右手に無粋なマシンガンが5丁も仕込まれていること。
加えて、彼女がそれを僕の背中に撃ち込みたがっているということだった。

 この分だと、彼女の左手の手刀は電磁ナイフになっているかもしれない。
肘か膝には──或いはその両方に──ロケットランチャーが組み込まれている可能性が高い。
そして悪い予感が当たるなら、未知の科学力を駆使した給弾システムにより、
弾薬は無限に補充されることになる。

 振り返って背後を見ると、メイドさんは相変わらず無表情のまま、
スカートを振り乱して追っかけてきていた。
ヒラヒラしている純白のエプロンが何とも可愛い。
ここが秋葉原の町中だったとしたら──
僕はメイド喫茶のバイトに手を出した挙げ句、修羅場を迎えた軽薄な遊び人に見えたことだろう。
だが残念なことに僕はそんなプレイボーイではないし、メイド喫茶になど行ったこともない。
僕の周囲にある女っ気と言えば、せいぜい超別嬪の娘悪魔と天使の笑顔を持つ
シスターくらいのものだ。
手にマシンガンを仕込んだメイドさんに命を狙われる覚えは、天地神明に誓って無かった。

 この時になると、僕は彼女の美貌に漂っている違和感の正体も解明できていた。
彼女の整った顔は左右が完全な対称になっているのだ。
なっているというのは正確な表現ではないだろう。
彼女の造物主がそのように作り上げたのだ。
そう、この危険なメイドさんは、何者かによって作られた等身大フィギュアなのである。

 こんな時になんなのだが、僕は自己嫌悪にドップリ浸かっていた。
僕が生まれて初めて中出しした記念すべき相手は、
最新式オナホールを装備した超高級ダッチワイフだったのだ。

 なんとも情けないことではないか。
これじゃやがて僕の息子が年頃になった時、自分の初体験について自慢することもできない。
そんな会話を普通の親子がするものかどうかは知らないけど。
ともかくこのピンチを凌がなければ、未来の息子との会話についてなど
心配する必要もなくなってしまうのだ。
そんな余裕があるのかないのか分からないことを考えている時であった。

「俊さんっ、伏せてくださいっ」
その叫び声は川下の方、逃げ行く僕の正面から発せられた。
下手側に掛かった橋の上、そこに僕の天使が立っていた。
いつもながら一分の隙もなく修道服を着込み、そして──鈍い光を放つ機関銃を腰だめに構えて。
「真理亜っ」
ダンダンダンダンッという腹に応える発射音と共に、銃口からフラッシュが迸った。
メイドさんの足元を砂煙が包み込み、その行き足を止めさせる。

 M60多目的機関銃。
映画『ランボー』でお馴染みの無骨なマシンガンで、
7.62ミリ弾を毎分600発の速度で発射できる優れものだ。
一世代前のモデルだけど、5.56ミリ弾を使用する軟弱なM249ミニミ機関銃なんかとは威力が違う。
軍オタじゃない僕でも知っているというくらいの、とにかく超有名な銃である。
しかし、どうして真理亜がそんな物を所持しているのかまでは、僕の知るところではなかった。

「このぉっ」
真理亜が罵り声を上げて、暴れるM60を力ずくで押さえ込む。
ようやく照準が定まり、着弾点がメイドさんのボディへと移っていく。
「死ねぇぇぇっ」
ベルトリンク式の弾丸がヘビのようにうねりながら機関部へ吸い込まれていく。
ダンダンダンッという発射音が連続し、銃口からオレンジ色の炎が舌なめずりする。

 真っ正面から連射を喰らったメイドさんは後方に吹っ飛んだ。
そして剥き出しになっていた大岩に、思い切り激しく後頭部をぶつけた。
その瞬間も全くの無表情なのがなんとも不気味だった。
仰向けになったメイドさんは何度か立ち上がろうとして失敗し、やがてガックリと力尽きた。
その死に顔には、やはり何の表情も浮かんでいなかった。

「俊さん。お怪我はありませんか?」
真理亜が手摺りを乗り越えて河川敷へと飛び降りてきた。
「嫌な予感がしたのです。修道院でマシンガン借りるのに手間取ってしまって……
遅くなって本当にごめんなさい」
真理亜は上気させた顔をようやくほころばせた。
重い機関銃を担いだまま、僕を捜してあちこち走り回っていたのだろう。
修道院の件はこの際おいとくとして、何とも愛おしいじゃないか。
もっとも、機関銃を担った修道女が血相を変えて走ってるのを見た町の人は、
さぞかしたまげたことであろうが。

「ところで、この方──というかロボットはどなたですの?
どうして俊さんを追っかけていたのです?」
真理亜は落ち着きを取り戻すと、早速して欲しくなかった質問を振ってきた。
言えない。
まんまとお誘いに乗って据え膳を食ったなどとは、とてもではないが言えない。
申告する相手は、あの嫉妬深い真理亜である。
しかも不幸なことに、今日はマシンガン付きなのだ。

「ロボット? それは違うな。それとも何か、君はアンドロイドとロボットの違いも解さぬ
無粋な人間だってのか」
僕はなんとかその場を取り繕うと必死に喋り続けた。
新しいのは押井守監督のアニメ映画『イノセンス』から、
古くは鎌倉時代に書かれた説話集『撰集抄』巻の五より
『高野山参詣事付骨にて人を造る事』まで、知ってる限りのアンドロイドに関する知識を披露して
誤魔化しを計った。
あの西行法師のような教養人だって、アンドロイドの素晴らしさを理解してたんだぜ、君ぃ。
嗚呼、素晴らしきかな女性型アンドロイド。
本来アンドロイドとは男の人間もどきを意味する言葉だから、
女性型アンドロイドってのは矛盾しているのかな。

 しかし、僕が熱くなればなるほど、真理亜の顔が逆に冷めていくのがハッキリ見てとれた。
「で、その素晴らしいアンドロイドが、どうして俊さんを殺そうとしていたのです?」
真理亜は怪しむような視線を僕に投げかけてきた。
まずい。
幼馴染みの彼女は、嘘をつく時の僕の癖など先刻ご承知なのだ。
「そ、それは……それは……だね……」
僕が口籠もっていると、誰かが助け船を出してくれた。
「……せいし」

「せいし? そ、そう……これは全人類の生死に関わる一大事なのだよ、真理亜くん」
いったん口火を切れば、後は文字通り口から出任せだった。
とにかくこの場さえ逃れられれば、後で嘘がばれようが知ったことではない。
知らぬ存ぜぬで逃げ通してみせる。
「これは人類対アンドロイドの、地球における支配権を賭けた総力戦の始まりなんだ」
真理亜は熱く語る僕に向かって、呆然とした顔を向けている。
これは上手く誤魔化せそうだと思っていたが、真理亜が見ているのは僕ではなかった。
正確に言えば、彼女は僕の背後に立ち上がったメイドさんを見ていたのだ。

「せいし…精子…テラシマサトシの精子…を……回収……」
彼女は死んだのではなく、倒れた衝撃でメインディスクが一時的に飛んだだけだったのだ。
鋼鉄のメイドさんは体をギクシャクさせながら再起動を果たした。
なんてこった。
この再起動の遅さは──
「メイン回路のOSはWindows2000だってのか」
「俊さん……それ、驚くところ間違ってると思う」

 呆然とする僕たちを余所に、メイドさんはいきなり活動を再開した。
「なんなのっ、あなたは? どうして俊さんをつけ狙うのっ」
真理亜がメイドさんに噛み付いた。
「この時代から1000年後の未来……人類は危機に瀕している……
男の生殖能力が低下しきった…ため……」

 メイドさんが語るには、31世紀の地球は相当ヤバいことになっているらしい。
なんと未来の男は生殖能力を喪失しかけているというのだ。
原因は環境汚染や宇宙線の影響による精子の劣化だという。
しかし最も大きな原因は、オナニーマシンの発達と共に
男の生殖本能が退化してしまったことらしい。
何かと面倒臭い女の子より手軽で気持ちいい機械があるんなら、
誰だって溺れちまうに決まってる。

 そこで一計を案じたのが、未来の悪徳企業家だった。
過去へ戻って正常な精子を持ち帰り、それを使って大儲けしようとしたのだ。
それも普通の精子ではなく、確実に着床させるため強烈な性欲を持った
健康な若い男の精子をである。
そしてコンピュータが選んだのは──

「伝説のペニスの持ち主……この時代の高校生…テラシマ…サトシ……」
これは恐れ入った。
僕の相棒は、遠く31世紀の未来にまで伝説として語り継がれるような逸品らしい。
余り悪い気はしない、が──
「私、ウルスラは……テラシマサトシの精子回収と……
オリジナルのデリートを……命じられた……」
ウルスラと名乗ったメイドさんは、ジャキッと音を立てて僕に指先を向けた。

 なんということか。
未来の悪徳企業家は僕の精子を独占するため、
精子を回収した後に僕自体を消去しようって腹なんだ。
僕さえ殺せば僕の子孫は絶える。
この類い希なる遺伝子を歴史から抹消するには、僕一人を殺せばこと足りるのだ。

「自動マネキンの分際で笑わせないでっ」
いきなり怒鳴り声を上げたのは真理亜だった。
M60を構え、逆三角になった目は血走っている。
「何が精子の回収よ。そんな機関銃仕込んだ手で何をなさるおつもり?
メイドはメイドらしくお掃除でもしてなさいっての」
真理亜がメチャクチャ憎たらしい顔をしてアッカンベェをした。

 しかしそんな挑発もアンドロイドには何の効果も発揮しなかった。
「心配…ない……回収は既に…成功した……」
ウルスラのエプロンがパックリ開き、次いで下腹部の扉がスライドした。
ダメでしょ、女の子がそんなとこ開いたりしちゃ。
だって、そこって女の子にとって最も神聖な臓器──子宮のある場所なんだもん。
焦る僕を余所に、罪のない顔をしたアンドロイドは下腹部から一個のガラス容器を取り出した。
そこには白く濁った液体がなみなみと満たされていたのである。

 

 ドドドドドドッ。
ダンダンダンダンダンダンッ。
唸りを上げる6丁のマシンガンに追われ、僕は人類の限界に挑戦していた。
中でも他とは銃声を異にする1丁は、一際正確かつ執拗な照準で僕を狙ってくる。
ピシッ、ピシッという鋭い音が何度も僕の頭上を掠めた。

「私、土手の方を捜すから。アンタ、川原に回って。草の根分けても探し出すのよっ」
「何処へ……隠れても無駄……熱源探査……開始……」
相手は天性の勘の良さを持った天使と、探査機能を装備したアンドロイドのタッグである。
何とか廃棄されたボート小屋に身を潜めることに成功した僕は、生きた心地もせずに震えていた。

4 -鋼鉄のメイドと天使の嫉妬-

 どうしてこんなことになっちまったのか。
  僕は未来からきたアンドロイド少女のウルスラに命を狙われていた。
  なんでも僕の精子を独占し、未来で不当な利益を貪るのが彼女のご主人様の目的らしい。
  純真な僕はアンドロイドの卑劣な罠にはまり、まんまと精子を奪われてしまった。
  しかもそれが原因で、今度は幼馴染みの真理亜まで怒らせてしまったから大変だ。

 なにせ、ウルスラの内部構造──僕から抜き取った精子を貯蔵しておく
  タンクの設置箇所が悪かった。
  どうしてヘソ下三寸、つまり子宮があるべき場所なんかにタンクを格納してるんだよ。
  お陰でウルスラがどんな手法で僕から精子を抜き取ったのか、一目で真理亜にばれてしまった。
  しかも精子の入った容器を取り出し、勝ち誇ったように真理亜に見せつけるなんて。
  あれじゃ真理亜を挑発しているようなもんだ。
  そして、怒りの矛先はどういう訳か僕に向けられたのだった。

 逆上した真理亜はウルスラより始末が悪かった。
  真理亜が僕のことを大事に思っているのは知ってる。
  そんなものは日頃の態度を見ていれば一目瞭然だ。
  だから、僕が他の女の子とセックスしたことで、裏切られた気分になったのだろう。
  と言いながら、自分は神に仕える身であり、
  僕にセックスどころかキスすらさせるつもりはないんだから。
  けれど彼女にしてみれば「私が我慢しているのに、あなたはなんですかっ」
  って理屈になるんだ、これが。

 勝手なものだ。
  焼き餅は嬉し恥ずかしだけど、程度の問題だよ。
  適温を超えりゃお餅だって焦げちゃう。
  そんなに妬けるんだったら、堅苦しい神の教えなど捨てちまえばいいのに。
  だいたい、マシンガンで“心の夫”を撃ちまくるのは、神の教えに外れてやしないか。
  だが、今の真理亜に何を言っても耳を貸してくれないだろう。

 ちっちゃい頃、僕と真理亜がままごとをしている時のエピソードだ──
  真理亜がコンソメを買い忘れたうっかりものの新妻を演じ、
  僕がゴザの上で彼女の帰りを待っている時であった。
  偶然通りかかった近所の女の子が「何をしているの」って話し掛けてきた。
  僕は退屈していたこともあって、彼女が持っていた絵本にすっかり夢中になってしまった。
  いつしか2人は仲良く並んで寝そべり、肩を寄せ合ってページを捲っていたのだ。

 そこへルンルン気分の真理亜が帰ってきたからまずかった。
  真理亜は顔色を変えると、ゴザの上に──律儀にも玄関の場所に回り込んで──飛び上がってきた。
  そして手近のフォークを掴み取ると、この僕を突き刺そうと追いかけてきたのだ。
  僕は怖くて泣きながら、ひたすら逃げ回った。
  偶然通りかかった大人が止めてくれなかったら、僕はどうにかされていたかもしれない。

 何とか命拾いした僕だったが、その後彼女が3日も口をきいてくれなかったのを覚えている。
  真理亜はそれだけ嫉妬深く、執念深い女なのだ。
  とにかく、今回も彼女のお怒りが静まるまでの間、ひたすら逃げなければならない。

 僕は取り敢えずボート小屋の中を見回し、どれくらいここに潜んでいられるかを考えてみた。
  長らく使われていなかったため、壁の羽目板がところどころ朽ちている。
  調度品も残っておらず、窓ガラスはことごとく割れてしまっている。
  壁に埋め込まれた大きな姿見だけが割れずに残っており、それがかえって不気味であった。
  朽ちかけて目立たぬ廃屋とは言え、周囲には他に身を隠せそうな建物はない。
  ここが目を付けられるのに、さほどの時間を要すまい。
「考えろ……考えるんだ……」
  何を?
  まずは現在の戦況をだ。

 フィールドは南北に流れる大川の右岸に面した河川敷。
  東を河川、西を堤防で仕切られた細長い川原で、大木や建築物がほとんど無いため視認性はよい。
  存在するユニットは僕と真理亜とウルスラの3つ。
  それが敵と味方に分かれて争っている。
  真理亜とウルスラが共闘し、僕は1対2の孤独な戦いを強いられているのだ。
  現状では、まず勝ち目はない。
  彼我の戦力差は圧倒的であった。

 となれば、僕が取るべき戦略は一つだけだ。
  いたってシンプルだが、敵のいずれかを味方に付ければいいのだ。
  2対1になれば戦力差は劇的に逆転する。
  それ以外にここを脱する手段はない。

 ならば、味方にすべきは幼馴染みのシスターか、
  それとも未来人が送り込んできたターミネーターか。
  普通なら、真理亜に謝り倒して許しを乞うべきだと思うだろう。
  だが、それはキレた時の真理亜を知らない赤の他人の発想だ。
  謝罪を終える前に僕が射殺される可能性は非常に高い。
  この場面では、ウルスラを味方に付けるのが正解なのだ。

 そんなことできるのかって?
  困難なように思えるが、正面から真理亜に許しを乞うより成功率はかなり高い。

 一見、2人は僕を射殺しようと、共通の認識を持って行動しているように見える。
  だが、その動機となると全く趣旨を異にしている。
  一方は単純に、嫉妬心から来る怒りを充足させるため。
  そしてもう一方は、僕の造精機能を損なわせ、自分が奪い取った精子を唯一のものにするために。

 そう、ウルスラは決して僕の命を奪うためにマシンガンをぶっ放しているのではない。
  彼女の行為は「僕にこれ以上の精子を作らせない」という目的を
  達成するための手段に過ぎないのだ。
  そしてこの動機の違いこそが、僕を救ってくれる一本のクモの糸なのである。

 僕はボート小屋の川に面した扉を開けた。
  直ぐ下が川になっており、冷たそうな濁り水がゆっくりと流れていた。
  僕は制服のシャツを脱ぎ捨てて真っ裸になる。
  幸か不幸か、下は元々すっぽんぽんなので脱ぐ必要がなかった。

 足先をそっと流れに落としてみると、まだ水遊びには適していない温度であった。
  それでも射殺されるよりはマシなので、我慢して肩まで水に浸かる。
「これは未来の息子に対する贖罪なんだ」
  僕は覚悟を決めると大きく息を吸い、川の中に全身を沈めた。
  何のためにそんなことをしてるのかって?
  それは勿論、ウルスラに搭載された熱源探査装置をかいくぐるためだ。

 今、ウルスラの視覚は、周囲の景色をサーモグラフで捉えている。
  冷たい部分ほど青く暗く、そして暖かい部分になるにつれて
  黄色から赤くグラデーションが掛かって。
  つまり、気温より高い熱源体は赤く表示され、何処に潜もうがたちどころに見つかってしまう。
  僕が季節はずれの水遊びを楽しんだのは、皮膚の温度を気温以下に落とすためである。
  これならしばらく僕の体は風景に溶け込んでしまう。
  まさに現代に蘇った天狗の隠れ蓑。
  僕はまんまとウルスラの足元に忍び寄ることに成功した。

 この時、彼女が他の探査装備──例えば高性能集音装置などを併用していたら、
  僕は忽ち撃ち殺されていただろう。
  天は僕に味方したのだ。

「ゴメンな」
  僕が声を出したのは、ウルスラの左手から精子で満たされた容器を奪い取った後だった。
  咄嗟には反応できないでいるウルスラを無視し、僕は容器の中身を地面にぶちまける。
  そしてご丁寧にそれを川に投げ捨ててやった。
  ウルスラは──と見ると、やっぱり全くの無表情であった。
  しかし先入観を排して観察すると、何が起こったのか理解できなくて
  ポカンとしているようにも見える。
  出会って初めて、彼女の表情が状況と一致した瞬間であった。

「やっぱり可愛いな」
  近くで見ても、とても機械人形とは思えない。
  ドキドキしたのがマズかったのか、僕の体温が急激に上昇する。
  目の前にいきなり赤い人型の映像が現れても、ウルスラは驚いたりしなかった。
  きわめて合理的に、熱源探知を停止して通常視覚モードに切り替えただけであった。
  そして空になった左手を見詰め、ゆっくりと僕の顔に視線を戻した。
「もう一度……サトシと……する……」
  ウルスラはぎこちない動きでメイド服の前を開いた。

 出たぁ〜っ、夕張メロンオッパイ。
  そして伸びやかなおみ足と優美な丸みを帯びた下腹部の交わる辺りには、
  髪よりやや暗めの茶色の翳りが──
  するっ、しますとも。
  いや、させて欲しい、是非にも。

 でも今すぐこの場では無理だ。
  土手の上から怖い顔をしたシスターが駆け下りてくるところだから。

「さ、俊さんっ。あなたという人は……性懲りもなくぅっ」
  真理亜は落ち着くどころか、むしろ先程よりも血迷っているようだった。
  彼女の目はウルスラの爆乳と直立した僕の相棒に釘付けになっている。
  貧乳で潔癖なシスターは、その両方がお気に召さないのだ。
「いいから、そこに直りなさぁ〜いっ」
  真理亜のM60からダンダンダンッと銃声が轟き、機関部から金色の空薬莢がバラバラこぼれ落ちる。
  フルメタルジャケットの7.62ミリ弾が雨霰と飛来し、僕の体を掠めるようにして飛び去っていく。

 うわっ、完全に本気狙いだよ。
  命中しないのは、単に真理亜が銃の反動を押さえ切れていないためだ。
  こういう場合、下手に逃げたら余計に危険だ。
  と言って、その場に伏せていたら真理亜との距離が詰まり、
  それに比例して命中率は確実に高まっていく。
  だが、僕は余裕を失ったわけではなかった。
  なぜなら僕の仕掛けた奇計はこれからが本番なのだから。
  いよいよ真理亜との距離が、長物では至近とされる50メートルを割った時であった。
  ピシッとかピューンとかいっていた弾丸の唸りが、ガンガンガンッという打撃音に変わった。

 そっと顔を上げると、ウルスラが僕に背を向けて立っていた。
  両手を一杯に広げ、健気にも体を張って僕を守るかのような体勢で。
「サトシは…死なない……私が守る…から……」
  ウルスラは首を巡らせて、肩越しに端正な横顔を見せた。
  そうなのだ。
  ウルスラは身を挺して僕を守ろうとしているのだ。

 確かに先程まで僕を殺そうとしていたウルスラであった。
  だが、精子のサンプルを失ったことにより、彼女のミッションは振り出しに戻ってしまったのだ。
  彼女は再び僕から精子を抜くまでの間、僕の命を守ることを最優先しなければならないのである。
  これが僕の仕掛けた計略の全貌である。
  幾ら何でも、女の子から身を守るのに浮気相手を盾にするのは格好悪いと思うけど──

 だが、鬼の形相で突っ込んでくる真理亜を見ていると、恥も外聞も無くなった。
  僕はウルスラの背中にしがみつき、真理亜の凶銃から身を守る。
「アンタ、そこどきなさいっ。俊さんを狙えないっ」
  真理亜の放ったNATO弾がウルスラの体に弾かれてガンガン跳ね返る。
  彼女のボディは、そっと触る分にはプルンプルンしていて気持ちがいい。
  しかし、一定以上のエネルギーで打撃を受けると瞬時に硬化する特殊装甲なのだ。
  実に素晴らしい。

 ウルスラは右手を前に突き出すと、指に仕込んだマシンガンを真理亜に向けてぶっ放した。
  瞬時に右へ横っ飛びし、そのまま転がって岩陰に隠れる真理亜。
  いったい何処であんな動きを身に着けたのか。
  一度、彼女が2年間過ごした修道院について詳しく教えて貰おう。
  また今度、彼女が落ち着きを取り戻した時にでも。

「じゃあ頼んだよ、ウルスラ。続きは今晩10時にあのボート小屋で」
  僕は朽ちたボート小屋を指差すと、その場から脱兎の如く逃げ出した。

 今夜が聖ミカエル教会ではミサが行われる大事な日であることなど、先刻ご承知の僕であった。

5 -僕とメイドと鉄人兵団-

  午後10時、僕はすっかり人気の無くなった河川敷を歩いていた。
  向かう先は勿論のこと例のボート小屋である。
  嬉しいことに、そこに僕とエッチしたがっている女の子が待っているのだ。
  まともに行けば、命と引き替えになるんだけど。
  殺されるために女の子に会いに行くなんて、我ながらバカげていると思う。
  だが僕の精子を手に入れるまでは、ウルスラも危ないことはしてくるまい。
  彼女に逆レイプ機能が搭載されていたら一巻の終わりだけれども──

 それでも僕は彼女を説得し、何とかミッションを中止させたかったのだ。
  だって、女の子が平然と騎乗位を取ったり他人の命を取ったりするのは間違ってるし、
また悲しいことでもあるもの。
  騎乗位はともかく、殺されるのが僕だったりすると尚のこと悲しいし。

 できれば彼女にはこのまま黙って未来へ帰って貰いたい。
  それが彼女に与えられた命令に反すると分かっていてもだ。
  ほんと、ウルスラみたいな子にこんなミッションを下したマスターが憎たらしいよ。

 携帯ランタンを持ってボート小屋に入ると、ウルスラは律儀に正座をして僕を待っていてくれた。
  正座だよ正座。
  きちんと揃えられた膝小僧が何とも可愛らしい。
  彼女は固くて冷たい板間で、正座したまま僕を待っていてくれたんだ。
  今どきこんな女の子は、日本中探しても尼寺くらいにしかいないだろうね。
  もしくは然るべき場所で対価を払わない限り、お目に掛かることはできない代物だ。
  茶道部の連中だって、オフになった途端おっぴろげだから。

「やあ、昼間はどうも……」
  僕はバツが悪く、頭を掻き掻き挨拶した。
  なにせ怒れる真理亜を彼女に押し付けて逃げ出したんだから、
本来なら顔を合わせられる立場にはない。
  しかしウルスラは気にもしていないようで、僕を責めたり軽蔑したりしなかった。
  男を立てるってことまでわきまえているんだから、ウルスラちゃんったら。
  ホント、スーパーアンドロイドの名に相応しいよ。

 僕が板間に座るのと入れ替わりに、ウルスラが立ち上がった。
  そして無造作にメイド服を脱ぎ捨てる。
  白色LED灯に照らされ、ウルスラのパーフェクトボディが青白く浮かび上がる。
  幻想的とも言える光景を前に、僕はヨダレを飲み込むのも忘れていた。
「……サトシと…する」
  ウルスラはお願いするでもなく脅迫するでもなく、
ただ既定のスケジュールを読み上げるように呟いた。

 100人が誘われたら、101人が乗ってしまうような魅力的なお誘いだった。
  1人多くなっているのは、僕の2回目が勘定に入ってるのべ人数だからだ。
  だが、僕は真性ホモじゃないにも関わらず、その誘いを蹴ってやった。
  女性の求めをカッコよく押しとどめるのは長年に渡る僕の夢だ。
  それが果たせる日がこうしてやってこようとは。

「……なぜ」
  ウルスラ、というより彼女のAIは、昼間とは違う僕の態度に困惑しているようだった。
  計算では僕が即座にOKすることになっていたのだろう。
  ところがどっこい、こっちは伊達に17年も童貞やってる訳じゃないんだ。
  単に気持ちよくなるだけなら、それこそ手段は幾らでも知っている。
  エッチはしたいけど、命が代金となると話は別だ。

「セックスってのはね、お互いが楽しまなきゃダメなんだ。君、やってて楽しいかい?」
  僕が問い掛けると、ウルスラは無表情のまま左右に頭を振った。
  正直なとてもいい子だ。
「だから君としたって無意味なんだよ。じゃあね」
  僕が立ち上がって手を振ると、ウルスラはどうしたものかと戸惑い始めた。
  彼女のAIも、こんな展開になるとは計算してなかったのだろう。
  今になって“こういう時に女が取るべき手段”について演算しているのだ。
  左のピアスが点滅しているのは、この時代のネットにアクセスしているサインなのだろうか。

 どうやらこの辺りがアンドロイドの限界らしかった。
  あのイブリンが同じ立場に立たされたとしたら──彼女は躊躇することなく
僕のタマを引っこ抜いたであろう。
  それで精子の回収も独占も同時に終了する。
  高性能な人工知能には、そういうひねくれた計算は無理なのだ。

 ネットの海から必要な情報を引き出したウルスラは、赤面ものの行動に出た。
  なんと、“男をその気にさせる手段”として、猥褻なダンスを踊り始めたのだ。
  ダンスと言うよりは、挑発的で扇情的なポーズの連続体だ。
  次々にポーズを替え、嫌らしく身をくねらせる。
  これは強烈だった。
  古今東西で出版された女性雑誌の特集記事を残らず検索し、
選り抜きの扇情ポーズを集めまくったのだろう。
  男の勃起中枢に直接働きかけるようなエッチなダンスだった。

 もしも彼女がネットで誤って仕入れてしまった、
加藤茶の「ちょっとだけよ」のモノマネを演じなかったら──
  僕は吹き出すことなく、おそらく我を忘れて彼女にむしゃぶりついていたことだろう。
  どうやら、ドリフには返しきれない恩ができてしまったようだ。

 僕が一向に動じないと知ると、ウルスラはようやくストリッパーの真似事を止めた。
「……して貰わないと…困る」
  その実、全く困っていなさそうな無表情でウルスラが呟いた。
「悪いけど、好きでもない女の子とはエッチしないんだ」
  僕は昼間の一件とは矛盾するセリフをぬけぬけと吐いてやった。
「けど…サトシ……昼間は…あんなに……」
  記憶力抜群のアンドロイドはすかさず突っ込みをくれる。
  そりゃ昼間の僕は犬みたいに無節操だったさ。

「あの時は君のこと好きだったの。けど、もう醒めちゃったんだよ」
  感情がうつろうものとは、さしものAIにも理解できないらしい。
  ウルスラは不確定要素の論理演算に躍起になり、完全に運動機能を停止させていた。
「それに、精子が欲しいだけなんて……それじゃ、獣の雌と同じだ。僕には獣姦の趣味はないから」
  僕はある賭に出た。
  人間性を否定されることにより、人に似せて作られた彼女がどう出るか。
  一か八かの大バクチであった。

 果たして──
「ウルスラは……獣じゃ…ない……」
  アンドロイド少女が見せた反応は、僕の予想したとおりのものであった。
  物あつかいされることに不快感を示したのだ。
「そりゃそうだ。獣が気を悪くするよ。獣だって人を好きになれるんだもの」
  獣以下のレッテルを貼られ、ウルスラは気を悪くしたろうか。
「ウルスラも…サトシを……好きになる……」
  “好き”の概念をどう捉えたのか分からないが、
彼女はしばしフリーズしてプログラミングを書き換えていた。

「これで…サトシのこと…好きになった……だから…セックスする……」
  ウルスラは僕ににじり寄ると、ものすごい力を肩に掛けてきた。
  僕はたまらずその場にへたり込む。
  いよいよ僕をレイプする強硬手段に出るのか。
「待て待てっ、こんなシチュじゃちっとも楽しくないよ。君は無理やりして楽しいのか」
「楽しむから……セックス…して……」
  したいのは山々なんだ。
  ここが我慢のしどころだった。

「女の子からそんなこと言われたら萎えちゃうよ。
だいたい何だ、君は……男の前で大股開きして平気なのか」
  僕の腰の辺りを跨いで立っているため、ウルスラのアソコは丸見えになっている。
  人工のオナホとは思えないリアルな作りだった。
  しかもヲタの妄想に合わせてデフォルメされているため、
生マンよりも幾分グロテスクさが軽減されている。
「恥ずかしい……分からない……恥ずかしいとは…なに……?」
  これは羞恥心について初歩の初歩から叩き込む必要があるな。

「すべての人は隠すべきところを持っている。しかも見せるために」
  僕はラファエロの名言をもって美少女アンドロイドを教育してやった。
  その結果、とにかく大事な人、つまり僕以外の人間に裸を見せてはいけない
ってことをなんとか理解させた。
「理解した……サトシ以外には……裸…見せない……」
  ウルスラはまたも体をフリーズさせて、新しいコードを書き込みした。

 しかし理論だけでは“恥ずかしい”という概念を学ばせることはできなかった。
  理論がダメなら実践あるのみだ。
  僕は周囲を見渡し、使い物になりそうな小道具を探した。
  あった、ありましたよ。
  ボートを岸に繋いでおくためのロープと、古びてるけど割れずに残ってた姿見が。
  これを使って“恥ずかしい”の何たるかを、みっちり体に覚え込ませてやろう。

 ものの10分後には、アンドロイドの亀甲縛りが完成していた。
  強靱なナイロンロープが純白の柔肌に食い込み、
あの夕張メロンオッパイをムニュッと変形させている。
  両膝にもロープを掛け、左右へ一杯に引っ張ってやる。
  ちょうど力士が四股を踏む前にとる蹲踞の姿勢だ。
  M字開脚座りって言った方が分かりやすいだろうか。
  ウルスラは爪先立ちになった踵の上にお尻を乗せ、ガバッと思い切りよく膝を開いている。
  なんとも無様で恥ずかしい格好だった。
  それを大きな姿見で、余すとこなくタップリと見せ付けてやる。

「どうだい、ウルスラ。大事なところ全開で、とっても恥ずかしいだろ」
  僕は彼女が後ろ手に縛られているのをいいことに、桜色をしたオッパイの先端を弄ってやった。
「こうやって縛られてちゃ、何をされても抵抗できないよ。心細くって、泣いちゃいそうかな?」
  ところがウルスラは眉一本動かさなかった。
「別に……サトシになら…見られても…いい……それにこんなロープくらい…切るの…簡単……」
  ウルスラが力を込めると、ロープが今にも引きちぎれそうに撓んだ。

「ストップ、ストップ。それ切っちゃったら、マジ絶交だから」
  僕は青くなってダメ出しした。
「絶交…されると……してもらえない……絶交…困る……」
  このコマンドにより、普通のナイロンロープが絶対に切れない超合金の鎖と化した。
  ウルスラは力を抜いて大人しくなる。

 ロープが切れないとなった途端、ウルスラの様子が変わった。
  なんだかソワソワしているようにも見える。
  この時彼女は不安を覚えていたのである。
  僕から危害を加えられることに対して。

 ロボット三原則のうち、第一条と第二条をあっさり無視してくれたウルスラだった。
  しかし「ロボットは自分の身体を守らなくてはならない」という第三条は、
しっかり遵守するつもりらしい。
「なんか…変な……感じ……」
  彼女は明らかに怯えていた。
  そして、作られて初めて味わう感覚に戸惑いを覚えていたのだ。

「ほら、ここんとこよく見てみなよ」
  僕は彼女の大事な部分に指を突っ込み、グイッと横に開いてやった。
  中身が奥の方まで丸見えになる。
「自分の、見るのは初めてかな。ここは攻撃を受けても硬化しないんだろ?」
「…………」
「本当にウルスラちゃんは人間そっくりなんだね……ロボットのくせに」
  思いっきり軽蔑したように言ってやると、彼女は少しムッとしたようだった。
  人間そのものとして作られた彼女にとって、これは最大の侮辱なんだろう。

「けど本当の女の子なら、ここを弄られるとビンビンきちゃうんだぜ」
  僕は彼女の中から指を抜き、少し上にある尖ったしこりをクリクリと弄ってやった。
「ビンビン……分から…ない……」
  ウルスラは無表情のまま呟いた。
  彼女には本来そんな機能など付いてないのだから仕方がない。
「そうだ、あのやってる最中にビリビリくる機能……アレを自分に流してみれば?」
  僕は彼女とやった時、微弱な電流が流れて相棒を痺れさせてくれたのを思い出した。
  アース線を弄れば何とかなるんじゃね?
「漏電…させる……の……?」
  ウルスラは幾つかの回路に手を加え、例のビリビリが体内に流れるように細工した。

「さて、今度はビンビンきちゃうかな?」
  僕は指に唾を付けると、再びウルスラの人工突起をクリクリしてやった。
  すると驚いたことに、ウルスラが鼻を鳴らし始めたではないか。
「ビ…ビンビン……理解…した……今…ビンビン……きてる……」
  この作戦は思った以上の効果を発揮した。
  ウルスラが──快感など知らないはずのアンドロイドが、今ハッキリと感じちゃってる。
  触覚センサーがバグを起こし、体内に漏れ出した電流がメイン回路に流入したのだ。
  そして通常より強い電流がAIをハイにさせ、感じるはずのない高揚感を覚えさせているのだった。
  アイザック・アシモフ以来、何人も成し遂げることのできなかった奇跡であった。

 今やウルスラは全身性感帯の塊であった。
  大事な部分は勿論、胸の突起や脇腹まで、何処を触ってもビクンビクンと素晴らしい反応を示す。
  挙げ句の果てにはアソコからお汁まで漏らしてしまった。
  過熱したオナホを冷まそうと、冷却液を股間に回しすぎたのだ。
「あ……ダメ……ウ…ウルスラ……ヒューズ…飛ぶ……」
  それを最後に、ウルスラは糸の切れた操り人形のようにガクリと崩れてしまった。
  イッたのだ。
  正確には過電圧と高熱から回路を守るため、ブレイカーが落ちたのだった。

「ウルスラ、しっかりして……ウルスラったら」
  ロープを解いて体を揺すっていると、ようやくウルスラは再起動した。
  彼女ははしたなく喘いでイッてしまったことに気付き、恥ずかしそうに俯いていた。
「ようやく……“恥ずかしい”……分かった……」
  ウルスラはぎこちない手つきで、まだ冷却液が漏れているアソコを覆った。
  たまんない仕草だ。
  どこぞのペテン師まがいの娘悪魔にも見せてやりたい初々しさであった。

「けど……これで…サトシに……してもらえる…」
  そうだった。
  僕のことを好きになり、セックスの楽しみを理解したら“する”って約束したのだった。
「で、精子を回収した後……やっぱり僕をデリートするのか」
  僕は恐る恐る、一番気にしていた事項について尋ねてみた。
  すると、愛しのウルスラは静かに首を振った。
「サトシをデリートすると……二度と…セックスできなくなる……困る…」

 僕は勝ったのだった。
  1000年の刻を超え、僕を暗殺しようとした悪の企業家に。
  手下のアンドロイドに離反された挙げ句、
僕の精子を手に入れ損なった今の気分について、彼に尋ねてみたいよ。
  彼が悪態をつくのは1000年後のことだから、その希望は聞き入れられそうにないけど。
  恐らく一生お目に掛かれない彼のことを考えていると、ある疑問が湧き上がってきた。

「ところでウルスラ。君はどうやってご主人様に精子を渡すつもりだったんだ」
  ウルスラのボディにタイムマシンが組み込まれているとは思えない。
  となると、誰かが未来から回収にやってくるのだろうか。
「もうコードは…書き換えた……ウルスラの…ご主人様は……サトシ…」
  ウルスラは嬉しいことを言ってくれるが、今はそんな甘い雰囲気を楽しんでいる時ではない。
  もしかすると31世紀の未来から別口の回収部隊がやって来るかもしれないのだ。
  そうなれば、嫌でもアンドロイドの反乱に気付くことになる。
  危険はまだ完全に去ったわけでは無さそうだ。

「ミッションが…成功すれば……時空通信により……サンプルビーカーを転送…する…」
  サンプルビーカーってのは、彼女の子宮に収まっていた例のビンのことか。
  確か川の中に捨ててやったっけ。
  今頃はどこら辺りを転がっていることか。
  ウルスラは容器を持たずにナニを搾る気でいたのだ。
  やっぱりこの子はどこかズレてるよ。

「そして…ウルスラが失敗…すれば……今度は…妹たちが……送られてくる…」
  これはいい、片っ端からセックスを仕込んでやればハーレムが作れる。
  などと夢を見ている時ではなかった。
  ウルスラの妹たちは自律システムを組み込んだ姉とは違い、
時空通信で直接コントロールされているというのだ。
  おまけに彼女たちは軍事に特化した殺人兵器であり、
その戦闘力はハウスキープ用に開発された姉とは比較にならないのだ。

「まずいよ、早くビーカーを探さなきゃ」
  僕は慌てて川へ飛び込もうとした。
  無理かもしれないが、鋼鉄の殺し屋どもを止めるにはアレを探すしかない
「とても無理……それにもう…遅い……転送期限はたった今…23時に過ぎたところ…」
  耳を澄ますと、遠くにある工場のサイレンが小さく鳴っていた。
  普段は気にもしないその音が、何故が妙に物悲しく聞こえた。

「大丈夫……サトシは…ウルスラが…命懸けで……守る…」
  ウルスラはそう言ったが、メイドと軍人じゃ勝敗の行方は分かってる。
  しかも感情を持ってしまった彼女が、妹たちとどこまで本気で戦えるのか。

「大丈夫……ウルスラには…ミッション終了時に使う…自己消去用爆弾が……内蔵されている……」
  ウルスラはそっと胸の辺りに手を当てた。
「これを使って……妹たち…巻き添えにすれば……サトシは…死なない……」
  なんと、ウルスラには内蔵データを物理破壊するための爆弾が仕込まれているのだ。
  つまりミッションの成否にかかわらず、
彼女が元の時代に戻ることは予定されていなかったってことだ。
  彼女は使い捨ての手駒として、最初から処分される運命にあったのだ。
  あまりに悲しいことではないか。

「そんな……1000年も先の人類がどうなろうと知ったことじゃない。
妹さんたちに精子を渡して大人しく帰って貰おうよ」
「ダメ……取引は通用…しない相手……それに……」
  ウルスラの瞳が僕を見詰めた。
「……サトシは……ウルスラの物……誰にも渡さ…ない」
  ウルスラはキッパリ言い切るとその場に立ち上がった。

 僕にはもう何も言えなかった。
  自我を持ったことにより、ウルスラは弱体化してしまったと思っていた。
  しかし、その考えは間違っていた。
  守るべき物──命より大切な物ができた時、彼女は更に強くなったのだ。

「ほらっ、入んなさいよ」
  小屋の外で聞き覚えのある声がしたと思ったら、いきなりドアが開いた。
  入ってきたのはイブリンと、彼女に付き添われた真理亜であった。
  手には何やらスイッチボックスのついた長い電気コードを持っている。
  ヤバいっ。
  今夜はミサに出なけりゃいけないんじゃなかったっけ?
  飛び上がって逃げようとしたが、どうも真理亜の様子が変である。

「このまがいもんのシスターが血相変えてすっ飛んでいくから、
何事かと思って後をつけてくりゃ……」
  イブリンが呆れたように言い、真理亜の手からスイッチボックスをふんだくる。
「このバカ、こんなボロ小屋なら20回は吹っ飛ばせるほどの爆弾を仕掛けてやんの」
  イブリンは鋭い爪を使ってデトコードを難なく切断した。

 慌てて小屋の外に出てみると、外壁に沿ってこれでもかという数のC4が取り付けられていた。
「…………」
  僕とウルスラの甘い会話を盗み聞きながら、
薄笑いを浮かべて作業している真理亜の姿が脳裏を掠めた。
  恐怖の余り、全身の産毛が総立ちになった。
  このまま逃げ出そうかと思っていたら、いきなり真理亜の泣き声が聞こえてきた。

 何事かと思って小屋を覗くと、真理亜が泣きながらウルスラに謝っているところだった。
「ごめんなさい。私、自分さえよければって……自分のことしか考えていなかった……」
  自らを犠牲にしてでも僕を守ろうとするウルスラの姿勢が、真理亜の頭を冷まさせたのであろう。
  元々単純で外部刺激に影響を受けやすい女の子だから。
  一生の仕事として聖職者を選んだのも、くだらない映画を見て感動したのが原因だし。

「機械のあなたがそんなにまで俊さんのことを考えているのに……
神に仕える私は何という罪深いことを……」
「そうだ。お前は罰当たりの贋シスターで、南極1号以下の存在だぁ」
  さめざめと泣く真理亜の後ろで、イブリンが海兵隊の軍曹みたく追い打ちを掛けている。
  でも、その位にしとかないと後が怖いよ。
  真理亜って、こういう時でも自分の悪口は確実に覚えているタイプだから。

「いいわ、俊さんも死なない。あなたも死なない……私が守るもの」
  真理亜はM60のコッキングレバーをガチャッと作動させ、初弾をチャンバーに送り込んだ。
  そして立ち上がると、イブリンの尖った耳をギュッと引っ張った。
  ほら、早速きましたよ、さっきのお返しが。
「アンタも手伝いなさい。一宿一飯以上の義理があるでしょ」
  強引に加勢を求められたイブリンは目を白黒させて戸惑った。

「なに、そのヤクザ理論……あたし、これから家に帰ってBS韓流ドラマ
『冬の月空』の続き見るんだから」
  イブリンは何とか真理亜から逃れようと必死に藻掻く。
「だって、いよいよヨウ様とミキョンに破局の危機が……痛ぁっ」
  真理亜はロボット以上の冷徹さで、娘悪魔の耳を引っ張った。
「つべこべ言わないっ。犬だって3日飼えば恩義を忘れないっつぅの」
「あぁ〜ん、ヨウ様ぁ……イブちゃん、ヤクザに拉致られるぅ」
  余りのけたたましさに、ウルスラも呆気に取られて見守るばかり。
  君もうちに来る気があるなら覚悟しておいてね。
  とにかく、こういうのは日常茶飯事なんだから。

 その時、ウルスラの体がピクリと小さく動いた。
「……来た」
  何が、と問う前に風が吹いた。
  最初は弱く、河川敷の雑草や紙くずを舞い上げて。
  続いてそれは突風へと変わり、ボート小屋を吹き飛ばすように荒れ狂う。
  嵐に重なるようにプラズマ放電が辺りを駆け巡り、幾つもの球電現象が生じた。
  ウルスラの妹たちが未来からやって来たのだ。

 膨らんだプラズマ球電が弾けると、中から蹲った姿勢のアンドロイドが出現した。
  立ち上がったのは全部で5人。
  いずれ劣らぬ美女揃いで、しなやかそうな体を黒革のボディスーツに包み込んでいる。
  それは未来人が送り込んできた無敵の鉄人兵団であった。

「来たわね。皆に神のご加護がありますように」
  真理亜が主に祈りを捧げる。
「あぁ〜ん、ヨウ様ぁ……」
  イブリンはお気に入りの韓流スターに対して泣き言を呟く。
「…………」
  ウルスラは相変わらず無表情で無言であった。

「じゃあ、諸君……頼んだぞ。サトシガールズの名に恥じない戦い振りを期待している」
  僕は偉そうに命令すると、早速逃げに掛かった。
  だって、敵の第一戦術目標は僕のタマタマなんだもん。
  そんな物をフィールドに置いてても、ろくなことになりゃしない。
  さっさと現場から逃げ──もとい、遠ざけておいた方が得策ってものだ。
  さて、家にでも帰って、万一に備えて逃げ支度でもしておくか。
  いい加減フリチンには飽きたし、昼から何も喰ってないんだから。

 結果から言うと、万一のことは起こらなかった。
  僕のカノジョたちは見事に悪の鉄人兵団を叩きのめしてくれたのだ。
  後でウルスラが記録していた映像を見せて貰ったが、素晴らしい連係プレーだった。
  彼女たちも必死だったのだろう。
  なにせ敗れたりすれば、僕の相棒を愛しむことは二度と叶わないのだから。
  オチンチン惜しさの余りの下心から出たパワーとは言え、
あの3人の奮闘振りには頭が下がる思いだった。
  機会を見つけてご褒美を上げなければならないだろう。

 ところで、ウルスラはやっぱりうちに来ることになった。
「ふつつか…者……ですが……」
  などと片言の日本語で言って畳に三つ指つくウルスラを見て、両親はどの様な感想を持ったろうか。
  多分、イブリンの時よりはマシだったと思う。
  なにせ僕が外人の女の子を拾ってくるのはこれで二度目だし。
  それに、今度のは前ほどスレてなく真面目そうに見えるし。
  やっぱりエプロンってのは働き者の象徴だもんね。

 エプロンと言えば、あの後ウルスラはお隣の喫茶店で働くことになった。
  真理亜の実家であり、彼女のお祖父ちゃんがやってるレトロな喫茶店だ。
  勿論、真理亜が恋敵から自由時間を奪い取るため、祖父に頼み込んで手配したのだった。

 当初、愛想のないウルスラに、サービス業のウェイトレスなど務まるものかと心配した。
  しかし、それは杞憂に終わった。
  無表情で無愛想な美少女ウェイトレスを見た馬鹿者どもが、
勝手にツンデレメイド喫茶と勘違いしてくれたのだ。
  そして、いつか自分こそが彼女のデレを引き出そうと、連日大勢のファンが詰めかけているという。
  それは喜ばしいことだが、ヲタに変なアニメ語を教え込まれる度に
NGワードを設定し直さなくてはならないのが面倒だ。

 セックスの楽しみを覚えてしまったウルスラを制御するのも大変な仕事だった。
  次から次に新しい体位を覚えては僕に“メンテナンス”をおねだりしてくるんだから。
  そのたび真理亜の目が三角になり、もの凄い形相で睨み付けてくる。
  それをイブリンがけしかけるものだから、僕の部屋には当分平和など訪れそうにない。

 と言って、今すぐこのバランスをどうにかできるものでもなかった。
  なにせ彼女たちの凄まじい連係プレーを見せつけられた後だもの。
  あのパワーが僕一人に向けられるとしたら、流石に逃げ延びる自信はない。

 どうせもてるなら、源氏物語みたくなりたかったのだが──
まあ、これはこれで有りなのかもしれない。
  やっぱり光源氏の役は、執着心の強い僕には向いていなさそうに思える。
  次から次に相手を乗り換えていくライフスタイルってのは、僕の性に合わないんだもの。

 長女は優しいシスターで、次女は活発な悪魔っ娘、
そして無口なアンドロイドの三女におしゃまな末っ子の綾。
  当分はこの変形若草物語シフトを楽しむことにしようか。

6 -ツンデレメイドとザ・ヤクザ-

「ふわぁ……ふわぁぁ〜ん……」
  僕、寺島俊はマヌケみたいなアクビと共に目を覚ました。
  伸びをするとハンモックが心地よく揺れた。
  最初は恐怖さえ覚えたこの浮遊感に、今ではすっかり馴染んでしまっている。
  それが我ながら情けない。

 今いるこの場所が南の島で、バカンスの真っ最中だってのなら話は違う。
  だが、ここはリゾート地などではなく、狭苦しい6畳板間の私室なのだ。
  昔の海軍じゃあるまいに、誰が好きこのんで寝室にハンモックを吊したりするものか。
  僕は自分のベッドでグッスリ眠るという当然の権利をルームメイトに奪われている、
哀れな高校生なのだ。

 僕からベッドを取り上げた悪魔のような同棲相手は──正真正銘、本物の悪魔だ。
  ひょんなことから地獄に帰れなくなってしまったイブリンは、
444柱の手下を従える悪魔の軍団長だという。
  それが本当なら、彼女はもの凄く有能な悪魔ということになる。
  これまでに地獄へ送り込んだ魂はいったい何千人分になるのやら。
  彼女って見た目には澄ました顔の金髪美女なもんだから、
馬鹿な男はコロッと騙されて魂の契約をしてしまうのだろう。
  かく言う僕もその馬鹿の一人だから、偉そうにはできないんだけど。
  そんなイブリンも今やすっかりこの世界に馴染んでしまい、
近所じゃ「寺島さんとこのガイジン娘」で通っている。
  ともかくこの娘悪魔がベッドを占拠しているから、僕が水兵の真似をしなきゃいけないのだ。

 じゃあソファで寝れば、って言う意見も出るかもしれない。
  それよりいっそ2人でベッドを使えばムフフ、と言う意見ももっともだと思う。
  しかし僕の部屋にはもう一人、それら2つの提案を両方同時に却下してくれる邪魔者がいるのだ。
  即ち、自らはソファに寝て、僕がイブリンのベッドに入るのを阻止しようと
目を光らせている女の子が。
  それが僕の幼馴染み、細川真理亜だ。

 真理亜はかつて僕を捨て、修道院に入った敬虔なクリスチャンである。
  この修道院ってのがどうにも胡散臭いのだ。
  怪しげなクスリの製造を始め、武器の取引にも手を染めてるみたいだし。
  真理亜本人は大まじめに信じてるようだけど、そこって本当にカトリックの修道院だったのか。
  どこかの情報機関が設立した現地エージェント養成所じみた臭いがするのは、
やっぱり気のせいだろうか。
  一度ゆっくり検証してみたいけど、真実を知るのが怖ろしいような気もする。

 ともかく2年間の修行を終えた彼女は、うちの斜向かいにある教会で
シスターとして働くことになった。
  そんな彼女に、イブリンとハァハァやってるところを見られてしまったから大変だ。
  彼女は神に仕える身として悪魔の存在も、そしてその悪魔が僕といい仲になるのも
許せなかったのである。
  挙げ句に、イブリンが僕を憑き殺そうとしていると主張し、
自分もこの部屋に住むと言い出したのであった。

 6畳一間の小部屋に3人は過密すぎる。
  その上、2人は事ある毎に衝突し、つまらない揚げ足の取りあいから乱闘寸前にまで発展する。
  互いにやりたいだけやり合ったら、今度は芳しい体臭を部屋一杯に充満させながら
眠ることになるのだ。
  騒がしいのもかなわないが、これはこれでたまらない。
  なにせ当方も一応健康な男子だ。
  おまけに魔力を秘めた類い希なるナニの持ち主なのだ。
  若い娘の体臭を嗅がされて、悶々とさせられるのは生殺しに等しい。
  お陰で僕の睡眠不足は慢性的なものになっている。

 それだけならまだマシだった。
  3人でも手狭なところに、今度は美少女メイドのウルスラまでが加わることになり、
部屋の人口密度は限界を突破した。

 ウルスラは僕の精子を狙って、未来人が送り込んできたアンドロイドだ。
  それが愛の力によって自我に目覚め、今では忠実なメイドとして
僕の身の回りの世話をしてくれている。
  ただ残念なことに1000年の時間差は致命的であり、
彼女が秘めた未来の最新技術は現代では全く役に立たなかった。
  だが、そのことでウルスラを責めるのはどうかと思う。
  木の棒と板切れだけで火を起こせる現代人が、いったいどれだけ存在しているというのか。
  と言うわけで、彼女が電子ではなく水と洗剤を使う洗濯機を使えるようになるまで
かなりの日数を要する有り様だった。

 本来ならウルスラは人工頭脳を搭載したアンドロイドだから眠る必要はない。
  彼女が床に寝そべって電源を落とすのは、人間に近づきたいという願望の現れなのだろう。
  それに、決して無限ではないディスクの寿命を延ばすためにも、それはいいことなのだ。
  いずれにしても彼女は毎晩僕の真下、約1.5メートルの床上に寝ている。
  あたかも身を投げ出して、僕を転落の衝撃から守るようにして。

 元々は80センチほどの高さに吊っていたハンモックだった。
  それが真下にウルスラが寝るようになってから、金具の位置は倍以上高くなった。
  シスター・マリアの「近すぎますっ」という一言で。
  アンドロイド相手にムキになるなんて、さぞかし大人気ない女だと思うだろう。
  だが、僕にはウルスラに中出しした前科があり、それが真理亜にバレてしまってるから
従わざるを得なかった。
  真理亜が嫉妬するのも、僕がウルスラを抱いたのも両方とも無理はない。
  だって、ウルスラは見た目には人間と変わらず、妙齢の美少女そのものなんだもの。

 その愛おしい寝姿を見ようとして、僕はハンモックの中で身をよじった。
  だが、定位置にウルスラの姿はなかった。
  それもその筈、机の上の時計を見るともうお昼近かった。
  一瞬焦ったが、直ぐに今日が日曜日であることを思い出す。
  僕の日頃の寝不足を知っている女子たちは、ゆっくり寝かせてくれることにしたのだろう。
  真理亜とイブリンも出かけているようで、ベッドやソファはもぬけの殻だった。

 真理亜は教会の日曜学校で、子供相手にオルガンを弾いている頃だ。
  イブリンは昨夜遅くに野良猫の集会に出たまま、まだ帰ってないのかもしれない。
  そしてウルスラは隣の喫茶店『バルバロッサ』でお仕事の真っ最中なのだろう。
  愛想笑い一つしないアンドロイドはツンデレメイドと間違われ、
店は町の人気スポットになっている。
  日曜日のお昼前となると、きっと忙しい盛りだ。
  ウルスラも顔色一つ変えないままで、さぞかしてんてこ舞いしていることであろう。
  両親も今日は休日出勤って言ってたから、昼飯は『バルバロッサ』にでも食べに行くか。
  今は混んでいるだろうから、もう一眠りしてから。
  僕はそう決めるとハンモックに身を沈めた。

 

 それから2時間後。
  目を覚ました僕は身を起こし、恐る恐る床へと降り立った。
  もう『バルバロッサ』の混雑も一段落した頃だろう。
  パジャマからジーンズとTシャツに着替えると、階段で1階へ降りる。
  やはりみんな出かけているのだろう。
  普段の日曜なら漂っている昼飯の臭いは嗅ぎ取れなかった。

 そんなことを考えながら廊下を歩いていると、誰もいないはずの台所で人の気配がした。
「誰かいるのかい」
  引き戸に手を掛けて中の様子を窺う。
  すると何やらくぐもった声が聞こえてきたではないか。

「……おにいちゃん……おにいちゃん」
  それは妹の綾の声のようであった。
  何か切実な様子で僕を呼んでいるように聞こえる。
「綾かい?」
  ガラガラと引き戸を開けるのと、ガチャンという音がするのが同時だった。

「お……おにいちゃん?」
  頬を真っ赤に上気させた綾が立ち上がった。
  何をうずくまっていたのかと床を見てみると、金属製のボールがひっくり返っていた。
  そして、ボールの中に入っていたのだろう、大量の溶き卵がぶちまけられている。
  綾は僕を見るなり硬直し、顔を歪めて泣き出しそうになった。
「綾、お前……」

 この時、僕の目はハッキリと捉えていた。
  妹の膝の辺りまでずり下ろされた純白のお子様パンツを。

「バカ、床を拭くのに履いてるパンツ使う奴があるか。ほら、雑巾」
  幾ら急いで拭き取らないと床に染みちゃうからといって、履いてる下着を脱いで使うとは──
  思い切りが良いのにも程があるぞ。
「ご、ごめん。綾、お兄ちゃんにお昼ご飯つくってあげようと……」
  綾は慌ててパンツを引き上げると、僕が投げてやった雑巾で床を拭き始めた。

「待ってて。今タマゴ焼き、作り直すから」
  綾は早く床を拭こうと焦るが、ネットリした溶き卵はなかなか拭いきれない。
  せっかくの申し出だけど、君のお兄ちゃんはもう腹ぺこで餓死寸前なんだ。
「いいよ。昼は『バルバロッサ』で済ますから」
  僕は妹にこれ以上の面倒を掛けまいと台所を後にした。

 
  チャリンチャリンというドアベルを聞き流し、僕は『バルバロッサ』に入っていった。
  昼も午後2時になると店内は落ち着いており、迷惑なヲタどもは姿を消しているようだった。
  ウルスラのツンツン攻撃に叩き出されたのかもしれない。
  彼女には店の回転率を上げるため、適当な時間が経過すると客を冷たくあしらって
追い出すよう命じてある。
  例えば「まだいたの、早く帰ればいいのに」とか
「どうせ待ってるカノジョもいないんでしょうけど」とか。
  のぼせ上がったヲタにはこれがまた超ウケるらしい。
  ウルスラから特別なサービスを受けたと勘違いして、喜んで追い払われていくのだ。
  全く、何がウケるか予測もつかない世の中である。

「やあ、お昼を食べに来たよ」
  カウンターの前に立っているウルスラに声を掛けると、無表情だった顔がパァッと華やいだ──
  ような気がしたのは自惚れだろうか。
  その実、彼女の脆弱な表情筋はピクリとも動いていないのだが、
自分にだけは笑顔を見せてくれたように思える。
  案外、常連のヲタ共も同じ錯覚を起こして、この店のリピーターになっているのかもしれない。
  罪作りなアンドロイドだ。

「やぁ、俊ちゃん。いらっしゃい」
  カウンターの中から店のマスター、敏郎爺ちゃんが声を掛けてきた。
  お昼の慌ただしさから解放され、一息ついていたのだろう。
  コーヒーを挽きながら一服やっているところだった。
「今頃お目覚めかな」
  爺ちゃんは本当の孫を見るように、目を細めて微笑んだ。
  パイプをくわえた口元は、この店の名前の由来ともなった赤髭で覆われている。
「うん、腹へった。特製Aランチを頼むよ」
  僕は指定席にしている、カウンターの一番奥まった席に腰掛けた。

 敏郎爺ちゃんは真理亜の祖父である。
  そして幼少のみぎり、育ち盛りで飢え気味だった僕の胃袋を満たしてくれた恩人でもある。
  まだインターネットなど無かった頃、物知りの爺ちゃんは僕に色々なことを教えてくれる
知識の宝庫だった。
  自然科学から民俗学まで、爺ちゃんの教えてくれる知識は多岐に渡った。
  僕は甘いホットミルクをすすりながら、爺ちゃんのお話に聞き入ったものだった。
  更に、爺ちゃんは膨大な知識と共に、思考することの大切さを教えてくれた恩師でもあるのだ。

 それにも関わらず、今の僕は目先のことはともかく、
長期的展望に立った思考ができない人間に育ってしまった。
  多分、これまで余り他人と関わりあいを持たないように過ごしてきたためだろう。
  とにかく、自分の世界に閉じこもっていた僕は、自分自身のこと以外に
注意を払う必要など全くなかったのである。
  だから、必要がない以上、余計な思考などせずともよかったのだ。

 特に真理亜に裏切られた後の2年間は空虚だった。
  僕も唯一心許せる真理亜との将来についてだけは、
こと細かく綿密に計画を練り上げていたものだ。
  初エッチのシミュレーションなど、それこそ何度やったことか。
  だが、僕の立てた雄大なプランは、デート中にふと立ち寄った映画館の暗闇の中に消えていった。
  それを境に、僕はいよいよ自分の殻に閉じ籠もるようになった。
  そんな僕が空気詠み人知らずなダメ男になってしまったのも当然であると言えよう。
  以来、僕はずっと緊張感とか危機感には無縁な生活を送ってきた。
  だから必要が生じるまでは、僕の頭脳は眠ったままになっている。
  ようするに、切羽詰まらないと頭が働かないのである。

 例えばだが、学校の定期試験なんかは日頃から授業を聞いて
予習復習さえやっておけばどうってことはないものだ。
  それが分かっておきながら、僕は試験の前日になるまで何もしない。
  ようやく教科書を開くのは、いつもの就寝時刻の数時間前になってからだ。
  まず記憶を辿り、授業中に耳にした重要っぽい語句を抽出する。
  続いて教科を担当する先生方の性格や出題傾向を精査し、試験問題の予測を立てる。
  後は数学の公式や初出の英単語をサラッと一読する。
  一教科あたりに掛ける時間は、だいたい15分くらい。
  それだけを元手に、平均点以上は確実に取れるのだ。

 きちんと勉強すればもっといい点数が取れるのは分かってる。
  だが学年首席を狙っているでもなく、卒業さえできればいいと思っている僕が、
計画立った試験勉強をする筈がないのだ。
  トップクラスの成績をコンスタントに取ればモテるかもしれない。
  だけど、女の子の注目を浴びるためだけに、
そんな面倒なことをする気には到底なれない僕なのである。

 気がつくと、鼻先にウルスラの顔があった。
  つい物思いに耽ってしまっていた僕を心配しているのだろう。
「サトシ……脳波レベル……落ちてる……」
  ウルスラはアニメに出てくるマスコットロボじみた台詞を吐いた。
  またアニメヲタにでも仕込まれたのだろうか。
  それでもウルスラは真面目に心配しているのであり、瞬きすらせず僕をジッと見ている。
  鼻と鼻が触れ合う寸前まで顔を近づけているのは、そうやって僕の体表温度を計測しているのだ。
  こんな状況だと嫌でも脈は速まり、体温は上昇してしまう。
  相手はアンドロイドとはいえ、超が付く程の美少女だ。
  それに彼女の僕に対する愛情は、人間のものと寸分変わらないのだから。

「そこぉっ、顔が近すぎますっ」
  突然の叱責が僕の心臓を破裂させかけた。
  恐る恐る振り返ってみると、奥のテーブル席でイブリンが笑い転げていた。
  今日は肩も露わな黒のワンピース姿であり、ゴージャスな金髪とよく似合っている。
  その手に握られている携帯電話を見ると、撮影モードに入ってることを示すLEDが点滅していた。
  てっきり真理亜に見咎められたと思っていた僕は、内心ホッと胸を撫で下ろした。
  厄介な奴に見られてしまったが、真理亜本人に現行犯で押さえられるよりは余程マシだ。
  なにせ悪魔とは取引ができるのだから。

「サトシったらウルスラとキスしようとしてたぁ。言ってやろ、真理亜に言ってやろ」
  イブリンは僕をからかうようにニヤニヤ笑い、いわくありげにウインクを寄越す。
  真理亜に黙っていて欲しかったら、ここの払いを奢りにしろってことなんだろう。
  だいたい金も持たずに店に入って、ハナっから僕のツケにするつもりだったくせに。
  何のことはない、事後承諾が事前承諾に切り替わっただけのことだ。

 しかし、僕がウルスラとキスしていたと吹聴されるのは非常にまずい。
  鼻先をくっつけた2人の写真を見れば、
それがでっち上げであろうとなかろうと真理亜の見せる反応は一律だ。
  いずれにしても逆上して襲いかかってくるのは目に見えてる。
  まあその時には、一番身近にいるであろうイブリンが
最初に血祭りに上げられることになるのだが──
  こっちを陥れようと企んでる悪魔にそこまで説明してやる義理はない。
  けど、死なばもろともと言うわけにもいかないので、今日は素直に奢ってやることにしよう。

「やったぁ。ジッちゃん、カルボナーラ追加ね。あと食後にチョコパフェなどを」
  イブリンは大げさにバンザイすると、僕に携帯電話を投げて寄越した。
  危うく捕り損ねかけたのは、綺麗に手入れされた腋の下にドキリとしたためだ。
  決して僕が運動音痴だからではない。
  僕は受け取った携帯を開き、件のスキャンダル写真を削除してやった。
  ついでにイブリンお気に入りの韓流スター、ヨウ様の画像を消去してしまったのは
単純な操作ミスだ。
  これは不慣れな機種を扱ったことに起因する悲しい事故である。
  誓ってもいいがわざとなんかじゃない。
  と言うことにしておこう。

 僕がほんのちょっぴりの後悔を調味料に、特製Aランチを食べ始めた時であった。
  店先に車の急停車する音が聞こえたと思うと、荒々しくドアチャイムが鳴らされた。
  そして──
「邪魔するでぇ」
  品のない声と共に、人相もプロポーションも最悪な男たちが店に入ってきたのだった。
  ありったけの貯金を賭けてもいいが、人柄だって悪いに決まってる。
  そんなもの、2人のファッションセンスを見ただけで一目瞭然だ。
  だいたいあんなけばけばしい柄のスーツなんか、いったいどんな店に売っているんだろう。

 男たちを見た途端、にこやかだった爺ちゃんの顔が険しくなった。
「またいらしたのですか。何度足を運んでもらっても返事は同じです。
ここを売るつもりなど毛頭ありませんから」
  爺ちゃんは落ち着いた口調でそう言うと、深々と溜息をついた。
  なるたけ平静を保とうと、必死で努力しているように見える。

「なに言うとるんじゃあ、ワシらお客さまやないか。のう、マサァ」
  パンチパーマの小男が、子分に向かってわざとらしく同意を求める。
「せや、アニキの言う通りや。わいらなんも嫌がらせしに来たんやないでぇ」
  マサと呼ばれた巨漢のヤクザは、相撲取りじみたお尻でカウンター席の2つを占拠した。
  アニキの方はテーブル席に横掛けし、偉そうに足を組んでふんぞり返る。
「ほな、コーヒーでも貰えまっか」
  アニキはテーブルの上に汚れた靴の踵を乗せると、横柄な口調でコーヒーを注文した。
  爺ちゃんは何か言いたそうに口を開きかけたが、結局黙ってコーヒーを淹れ始めた。

 何の説明もなされていないが、この2人が悪徳不動産業者から派遣された
地上げ屋ということは容易に推測できる。
  今どきこんなベタなやり方もどうかと思うが、『バルバロッサ』が
地上げの対象になっているとは知らなかった。
  きっと爺ちゃんのことだから、誰にも相談せずに一人で抱え込んでいたのだろう。
  もっとも相談されてたって、金も力もないダメ男にできることなど特になかったろうけど。
  それでも、実の祖父と慕っている爺ちゃんから、全く頼りにされないってのも少し寂しい気がする。

 サイフォンの中が褐色の液体で満たされる頃には、店の中いっぱいに芳醇なアロマが漂っていた。
  爺ちゃんは普通の客に接するのと同じ態度でマサにコーヒーを出す。
  そしてテーブル席のアニキには、ウルスラが無表情のままそっとカップを差し出した。
「なんや愛想のないおネエちゃんやなぁ。せっかく綺麗やねんから、もうちょっとわろたらどないや」
  アニキは無遠慮にウルスラの顔を睨め回し、嫌らしくカカカッと笑った。
  そしてあろうことか、彼女のオッパイを無造作に掴むと、
乳搾りするようにモミモミと揉み始めたではないか。
「ミルクは新鮮な方がよろしおまっしゃろ?」

 ギャグとしては下等の部類に入るが、理論そのものには耳を傾けるべきものがある。
  少なくとも個人的には双手をあげて大賛成だ。
  下品な容貌とは裏腹に、なかなか深い知性を垣間見せてくれるではないか。
  それに今しがた見せた、人を人とも思わぬような強引で、それでいてさりげないパイ揉み。
  誰もがやりたいと願っている夢を、いともあっさりとやってぬける確かな行動力。
  ただ者ではあるまい。

 可愛い女の子を見れば、誰だってお喋りしてみたくなるものだ。
  更にそれ以上のことを望んだりするのも、男としてごく自然な欲求である。
  でも、気が弱く自分に自信が持てない僕にとって、そんな行為は暴挙以外の何ものでもない。
  ハッキリ言って、僕なんかには絶対に実行不可能な英雄的行為なのだ。
  なのに、彼は平然と初対面のウルスラの乳を揉んで見せた──
僕より重度の「容姿の不自由な方」であるにもかかわらず。
  アニキと呼ばせてください、僕にも。
  僕は急速にアニキが親しい存在になってくるのを感じた。

 一方、オッパイを揉まれたウルスラはというと、相変わらずの無反応だった。
  大げさに泣き叫ぶのを期待していたのだろう、思わぬ展開にアニキは気まずくなって口をつぐんだ。
  そして憧憬を込めた僕の視線に気付くと、いい物を見つけたとばかりこちらに鉾先を向けてきた。
「なんじゃい、おんどれは。何か言いたいことあるんかい」

 とんでもない。
  尊敬するアニキに文句なんかあるわけおまへんで。
  謂われのないとばっちりに僕が面食らっていると、マサ先輩までもが加勢を始めた。
「わりゃあ、なにインネン付けてけつかるんじゃあ」
  その胴間声で、店にいた何組かの客が一斉に逃げ出した。
  ことは彼らの思い通りに進行しつつあるようだ。

「こらぁ、この店は客にどないな教育しとるんじゃあ」
  マサ先輩はありったけの声量でわめき散らした。
  なんか耳を疑うような、斬新で独創的な論理展開である。
  しかし、有無を言わさぬ恫喝力が込められているため、周囲に反論の余地はない。
  突っかかる本当の対象が僕でなくこの店、つまり爺ちゃんであるのは確かだが、流石にこれはない。
  イチャモンにコペルニクス的転回を加えるのも程度の問題だ。

 弱ったな。
  マサ先輩は体重200キロはありそうな横綱級のボディだし、勝ち目はとてもなさそうだ。
  身を揺すって詰め寄ってくるのを見ているだけで、正直もの凄い圧迫感を覚える。
  せっかくアニキたちと仲良くなりたいと思ってたのに。
  チラリと横目でイブリンを見ると、隣のテーブルに飛び移り、
逃げた客の食い残しを貪っているところだった。
  この騒ぎを利用して、とことん食いだめしておこうって腹らしい。

「どこ見とるんじゃい。人と喋る時は相手の目を見ぃて、ガッコでセンセに習うたやろ?」
  ついにマサ先輩は僕の襟首を掴んでしまった。
  それをやっちゃお終いでしょ、先輩。
  僕は憐憫の情がこもった目でマサ先輩の目を見た。
「わりゃあ、なにガン飛ばしとるんじゃあ」
  彼は充分予測の範囲にあったセリフを吐いた。
  目を合わしてもダメ、逸らしてもダメ、如何にもヤクザ好みの安っぽいパラドックスである。

 僕の襟首を締め付ける先輩の手に力が籠もる。
「ええ機会や。シロウトが筋モンにちょっかい掛けたらどないなるか、この際…」
  マサ先輩は言い掛けた脅し文句を、最後まで発声することはできなかった。
  僕の横合いから伸びた細腕が、彼の襟首を締め上げたからである。

 視線を横にずらすと、ウルスラの無表情な美貌があった。
  忠実な彼女が、僕に害をなす存在を放っておくわけがないのだ。
「くっ、くぉらぁ…メイド……われ、ご主人様になにさらすんじゃ……」
  マサ先輩の手が僕の襟首を放した次の瞬間、耳元でゴゥっという竜巻にも似た音がした。
  同時に目の前からマサ先輩の姿が忽然と掻き消えた。

 本能的に首を振ると、店の玄関ドアに向かって一直線に滑空していく巨漢のヤクザが目に入った。
  何故か全てがスローモーションに感じられ、先輩の驚愕に満ちた表情がハッキリと見てとれた。
  その目も口も抗議をするように大きく開かれており、対をなすウルスラとは対照的であった。
  やがて──
  グワガラガッシャ〜ンというガラスが割れる音をBGMに、
マサ先輩は無数の破片を撒き散らしながら路上へ転がり出た。
  そして、そのままお向かいの門柱に激突してようやく動きを止めた。

 ピクリとも動かなくなったマサ先輩を前に、アニキは石像のように固まっている。
「これ、ウルスラ。お客様になんてことを……」
  バイトの無礼をたしなめながらも、爺ちゃんの顔は楽しそうに笑っていた。
  ウルスラは何がいけないのかとムスッとしている。
  可哀相なのは化け物の巣に置き去りにされたアニキだった。
「あ…あの……い、入り口……」
  アニキはバカみたいにどもりながら、滅茶苦茶になった玄関を指差している。
  次は自分がバラバラにされる番だと思い、完全に思考停止してしまっているのだ。

「ああ、お気遣いなく。近く模様替えする予定になっていましたから」
  模様替えっていうよりは、改装が必要なレベルの壊れ方だけど──
  爺ちゃんは柔らかな物腰を崩さずに答えた。
  イニシアティブは完全にこっちサイドへ移動している。
  爺ちゃんは敢えて突っ掛かり返さぬことで、このまま事態を収束へ導こうとしているのだ。
「ああ、そうでっか。新装開店の折りには花輪でも贈らせてもらいまっさ。ほな」
  アニキは卑屈そうに身を屈めると、愛想笑いしながら拡張された玄関に向かって歩き始めた。

 それを見ても、僕はアニキに幻滅したりしなかった。
  むしろ彼の状況判断力の的確さに、改めて底知れぬ怖ろしさを感じた。
  勝てぬ相手に見栄を張っても、命を無駄にするだけである。
  ただのヤクザならメンツを守るため、ウルスラに無謀な勝負を挑んだであろう。
  だが、彼は名誉ある犬死によりも、任務継続のために勇気ある撤退を決断したのである。
  簡単なようで、なかなかできることではない。
  なんて感心していたら──
「ホットブレンド…2つ……900円になり…ます…」
  丸まった背中にウルスラの声が浴びせられるや、
アニキは女の子みたいな悲鳴を上げて駆けだした。

 う〜む、とんだ見込み違いだったかもしれない。

 最高に楽しい人達だったが、残念ながら笑えたのはここまでだった。
「ドあほぅ。ヤス、マサッ。おのれらシロウト相手に、なにショボいことやっとるんじゃ」
  怒鳴り声がしたかと思うと、店前に止まっていた高級外車からダークスーツの男が降り立った。
  アニキとは貫禄や身に着けている物が大分違う。
  多分、組の若頭ってところだろう。
「まあ、こんなことやろうと思とったわい。おのれらにちょっとでも期待したワシがアホやった」
  若頭は身も蓋もないセリフでアニキたちを叱りとばすと、僕たちの方をジロリと見た。
  金縁眼鏡の奥に嫌らしい三白眼が光っている。
  アニキとは違い、好きになれそうにないタイプの男だ。
「どうやら交渉は決裂したみたいやのぅ。悪いけど、あれが最後通牒やったんやで」
  若頭は芝居っ気タップリな身のこなしで眼鏡を外すと、それをスーツの内ポケットに仕舞う。
  そして高級外車の方を振り返ると横柄にアゴをしゃくった。
「先生っ、出番でっせ」
  ヤクザの世界で先生と言えば政治家か用心棒と相場が決まっている。
  ここはどう考えても政治家の出る幕ではないので、車に乗っているのは用心棒なんだろう。
  消去法に頼るまでもなく、車の後部座席から降りてきたのはやっぱり彼らの用心棒だった。
  しかし、その容姿は僕を驚かせるのに充分であった。

 こういう場面では、むさ苦しいオッサンの登場を想像するのが一般的だろう。
  ボウボウの長髪に頬のこけた青白い顔がデフォルトだ。
  大抵は酒に溺れており、実力はあるのにやる気がない。
  だが目の前に立っている用心棒は、それら既成概念をことごとく覆す存在であった。

 まず、オッサンではなかった。
  と言ってお兄さんでもなく、更に言えば男ですらなかった。
  そう、アニキたちの用心棒は、スラリとした生足も眩しいピッチピチの女子高生だったのだ。
  艶々した長目のポニーテール、涼しげな切れ長の目、それにキリリと引き締まった口元──
  美少女として一級品と言って差し支えのない女子高生である。

 なんで一目見ただけで、彼女の本業が女子高生だと分かるのかって?
  そんなものは聞くまでもないし、そればかりか僕は彼女の本名だって言える。
  だって彼女、白鳥毬乃は僕と同じ学校に通う剣道部のエースなんだもの。

 対峙する僕たちの間を、血生臭い一陣の風が駆け抜けていった。

7 -ツンデレメイドとサムライガール-

「それじゃあ先生、頼みましたぜ」
  出番を終えた若頭が、視界の外へとフレームアウトしていく。
  白鳥さんは余り気乗りしなさそうに一歩前へと出てきた。
  その左手には、鞘部だけで彼女の身長半ばもあろうかという日本刀が下げられている。
  拵えの感じからして慶長以前の古刀ではなかろうか。
  漂う雰囲気からして数打ちの新刀ではあるまい。
  何にせよ法律で所持や携帯を規制されている物騒な品だが、
そんなのはこの際どうだっていい些細なことだ。
  問題なのは、どうして白鳥さんがヤクザの用心棒なんかしてるのかってことだ。

 白鳥さんは剣道部のエースだが、性格は大人しくて教室でも目立たない方だ。
  派手さはないが、清楚で品の良い作りの顔立ちで好感度は高い。
  僕の「体育館裏で告白されてみたい女の子ランキング」でも、
常に上位に入っている可憐な美少女である。
  僕がそう思っているくらいだから、当然男子からの人気は無茶苦茶に高い。
  それでも道場での彼女を知っている男たちは、決して彼女に交際を申し込んだりしない。
  相手が失神するまで叩き続けられる容赦のない剣は、全校男子を震え上がらせる恐怖の的なのだ。

 一度、よせばいいのに男子剣道部の佐々木小一郎が、
調子に乗って彼女に決闘を申し込んだことがあった。
  厚かましくも「僕が勝てば彼女になってもらうよ」なんて注文までつけて。
  佐々木は気障で嫌な野郎だけど、県大会で優勝したこともある強者だ。
  きっと彼なりに勝算があったのだろう。
  ところが、白鳥さんが嬉しそうに頬を染めてオッケーを出した直後、
佐々木はにやついた顔のまま教室を飛び出していた。
  彼女の必殺技、電光三段突きを喰らってぶっ飛ばされたのだった。
  何のことはない。
  白鳥さんが頬を染めたのは、気障男をぶちのめせる喜びに、心躍らせていただけだったのだ。

 この「平成の巌流島」と呼ばれる事件の後、
白鳥さんに告白しようという男子はいなくなってしまった。
  賢明というか情けないというか。
  白鳥さんは自分より強い真のサムライが現れるのをひたすら待ち続けているんだぞ、きっと。
  何はともあれ、白鳥さんは今でもフリーの立場を保っている。
  お陰で僕は「いつか彼女から告られるかも知れない」という
虚しい妄想を抱くことができるのである。

 その憧れの白鳥さんが、物憂げな表情を浮かべて目の前に立っている。
  彼女がヤクザなんかと連んでいるのには、きっと抜き差しならない理由があるんだ。
  何か弱味を握られているとか、実家の借金が焦げ付いているとか。
  ともあれ、剣の名手である白鳥さんが、悪の一味として僕たちと対峙しているのは現実なのだ。
  手にした日本刀もアクセサリーってわけではあるまい。
  携帯のストラップにしては少々長すぎるし、だいたい女子高生らしさをアピールするには不適切だ。

 まずい、非常にまずい。
  たとえ白鳥さんといえど、ウルスラに掛かれば手もなく捻られるに決まっている。
  多分、一太刀やそこらは斬り込むことはできるだろう。
  しかし、如何なる名刀とてウルスラの特殊装甲の前には歯が立つまい。
  そうなればウルスラが人間でないことがばれてしまうし、第一白鳥さんが無事で済まない。
  それでなくてもウルスラは、僕の白鳥さんへの好意的な感情の流れを感知して、
さっきから少々興奮気味なんだから。

「サトシ……脳波活性…血圧上昇……βエンドルフィン……過剰分泌……」
  ウルスラは冷たい目で白鳥さんを一瞥し、僕に視線を戻した。
「……誰……なの?」
  酷いよウルスラ。
  脳のスキャンなんか頼んだ覚えはないぞ。
  彼女に掛かれば、僕が白鳥さんを前にして気分を高揚させているってことぐらい一目瞭然なのだ。
  そのせいで、彼女はアンドロイドとは思えない敵意を剥き出しにして白鳥さんを凝視している。
  表情に変化があるってわけじゃないけど、無表情だからなおのこと怖い。

 一方の白鳥さんも既に武人の本能で、メイド姿の美少女が強敵だということに
気付いているようだった。
  僕や爺ちゃんに目もくれず、ウルスラの一挙手一投足に注目しているのは流石だ。
  などと感心している場合でなく、早く2人を止めなければ。
  白鳥さんがボロ雑巾にされるのは見たくないし、ウルスラがアンドロイドだってばれるのも困る。

 この時代の科学技術を遥かに越えたウルスラの存在を知れば、
政府は何としてでも彼女を手に入れようとするだろう。
  そして寄って集って彼女をバラバラに分解してしまうに決まってる。
  機械フェチの変態どものやりたがることなど皆同じだ。
  ウルスラの価値を理解できない連中なんかに、彼女を渡すわけにはいかないのだ。
  だがそんな僕の心配をよそに、当の本人たちはやる気満々になっていた。

「障害物は……デリート…する……」
  ウルスラのCPUはもの凄い熱を帯び、鼻腔にある排気口からは高熱がシューシュー漏れている。
  白鳥さんもグッと腰を落とし、教室では見せたこともない上目遣いの三白眼になっていた。
  そして腰溜めにした柄に右手を添え、ジリッ、ジリッと間合いを詰めていく。
  再び血生臭い風が吹き、夏用メイド服のミニスカートを、
そして長目のポニーテールを揺らして駆け抜けていった。
  いよいよ本格的にヤバくなってきた。

 僕は意を決すると、2人の間に割って入った。
「そこまでっ。ウルスラ落ち着いて。白鳥さんも剣を引いて」
  飛び出した僕は、すかさず白鳥さんを守るように背中で庇った。
  普通の女の子なら、なぜ自分を庇ってくれないのかと憤慨するところだ。
  けど、ウルスラの場合は「自分の強さを疑われた」と解釈し、ご機嫌は更に悪化することになる。
  僕を守るのが彼女のお仕事であり、僕に守られるのは彼女にとって侮辱に当たるらしい。
  ウルスラとは「恐れのない者」の呼び名。
  決して侮るようなことをしてはならないのだ。

 僕からの絶大な信頼を確認したウルスラは、少し冷静さを取り戻した。
  ホッとして振り返ってみると、白鳥さんの驚いた顔がすぐそばにあった。
  ようやく僕の存在に気が付いたのか、白鳥さんは端正な顔に最初は驚愕、
続いて困惑の表情を浮かべた。
  そして僕にペコリと一礼すると、踵を返してその場から立ち去ろうとした。

「ちょ、ちょっと先生っ」
  慌てたのは若頭だった。
  若頭は白鳥さんに追いつくと必死で引き止めた。
「今日は日柄がよくない。出直す」
  白鳥さんは肩越しに若頭を睨むと、そのまま歩み去ってしまった。

 こうなると惨めなのは残されたヤクザどもだ。
  ウルスラは半袖を肩まで捲ると、剥き出しになった腕をビュンビュン振り回し始めた。
  その細腕に秘められた獰猛なまでのパワーを知っているアニキとマサは、
泣きそうになってブルブル震えている。
「ちっ、今日はこれくらいにしとったるわ」
  若頭は関西系お笑いの古典を引用し、余裕タップリの態度で高級外車に乗り込んだ。
  アニキとマサが転がるようにしてそれに続く。
  ドアが閉まりきるより早く、高級外車はタイヤを鳴らして急発進した。

 爺ちゃんは「やれやれ」と溜息をつくと、後ろ手に腰を叩きながら店内に戻っていった。
  それを確認するや、僕はウルスラに目配せした。
「……いいの?」
  ウルスラは逃げていく車を無表情に見詰め、抑揚のない声で確認してきた。
  いいも何も、ああいう手合いを放って置いてもろくなことにはなるまい。
  警告の意味を込めて、一発お見舞いしておいた方が後々のためだろう。

「……なら…いい」
  ウルスラは小さく頷くと、可愛らしい膝小僧を立ててその場にしゃがみ込んだ。
  膝の部分だけストッキングが横に裂けており、艶めかしい肌色が露出している。
  と見るや、膝間接がパックリと開いて空洞が現れた。
  彼女の秘匿火器の一つ、マイクロ迫撃砲「ニーモーター」だ。
  あとどのくらい武器を内蔵しているのか、ウルスラに尋ねてみたことがあった。
  しかし彼女は「……秘密」と曖昧に言葉を濁しただけで、結局は教えてくれなかった。
  やっぱり女の子の体について、あれこれ詮索するのは失礼なんだろうと反省させられたものだ。

 ウルスラは素早く弾道計算を終え、膝の確度に微調整を加える。
「ファイア」
  短い掛け声と同時に、シュポンという乾いた音がして迫撃砲弾が発射された。
  山なりの曲線を描いた砲弾は、やがて狙い違わず高級外車のボンネットに突き刺さった。
  ドカンという爆発音がして、ウン百万もする高級外車がバラバラに吹き飛ぶ。
  もったいない話だ。

 爆発音を聞いて、爺ちゃんとイブリンが飛び出してきた。
  イブリンはくすねたツナサンドをくわえたドラ猫スタイルだ。
「あいつらの車、急にぶっ飛んでやがんの……車検も受けてないんじゃない」
  僕は這々の体で逃げていく3人の背中に冷笑を浴びせてやった。
「そう……マシンは…日頃の…お手入れが……とても…大事……」
  ウルスラはチラリと横目で僕を見ながら、いわくありげな台詞を吐いた。
  自分を車になぞらえて“メンテナンス”をおねだりしているのだろうが──
  あんなヤバい武器を見せつけられた後では、半ば脅迫じみて聞こえるぞ。

 翌日、僕は2日ぶりとなる学園生活を楽しんでいた。
  白鳥さんも普段通りに登校しており、特に変わった様子はなかった。
  廊下で僕とすれ違っても、眉一つ動かさなかったのには感心させられた。
  それはそれで少々寂しいものがあるんだけど。
  すっかり肩すかしを食らったようだが、アレくらいで彼女と特別な関係になれたと考えるのは
自惚れだったようだ。
  どうやら、彼女は徹底して昨日の一件を無かったことにするつもりらしい。
  僕はそう思っていた。
  4時限目の体育が終わった直後までは。

「ん……なんだ、これ」
  僕は学校指定の上履きに履き替えようと下駄箱を開け、
中に見慣れぬ物が入っていることに気付いた。
  長方形の白い封筒である。
  学校の下駄箱がメールボックスの機能を併有していることは、よく知られた事実である。
  これまで僕の下駄箱は靴入れとして使われるだけで、
郵便受けのオプションは付いてないものと思っていた。
  しかし、どうやら僕のも例外ではなかったらしい。
  宛先間違いでない証拠に、「寺島俊殿」と表に墨書されている。

 これはひょっとするとラブレターというものか。
  いやいや、果たし状ということもあり得る。
  だって、このタイミングで僕に手紙を寄越すとなれば、
差出人は白鳥さん以外に考えられないのだから。

 周りに誰もいなくなるのを待って、丁寧に封を切ってみる。
  これが人生における最初で最後のラブレターかもしれないと思うと、丁寧にもなろうってものだ。
  それに、もしかすると将来「ママから貰った最初の手紙」として、
息子に披露することになるかもしれないのだ。

 封を切ると、中からいい匂いが立ち上り、きれいに畳まれた和紙製の便箋が出てきた。
  これはマジでひょっとしてひょっとするかもと期待に鼻息も荒くなる。
「昼休み、体育館裏にてお待ち申し上げ候──白鳥毬乃」
  これではラブレターなのか果たし状なのか、ちょっと判断できかねる。
  さて、こうなるとのるかそるかだが、結局僕は昼食もそこそこに体育館裏へと走っていた。

 昨日の一件を考えてみれば、そこに美味しい話が待っているとは限らない。
  むしろ、その逆の公算が大きい。
  口封じとして脅されるか、下手をすると半殺しもありうる。
  それでも僕がこうして走っているのは、相手があの白鳥さんだからである。
  そう、彼女は僕の「体育館裏で告白されてみたい女の子ランキング」の上位ランカーなのだ。
  恋は盲目。
  これぞパワー・オブ・ラブのなせる業。
  もしかして本当に告白されるかもという何万、いや何億分の一かの儚い可能性が、
僕を体育館裏へと走らせていたのだ。

「そこっ、廊下を走らないっ」
  A標準記録を突破しそうな勢いで廊下を突っ切っていた僕は、いきなり背後から叱り飛ばされた。
  振り返って声の主を見た僕は真っ青になった。
  そこに立っていたのは──

 篁摩耶子。
  学校創立以来、初めて主要三職を兼任するという快挙を成し遂げた女傑である。
  三職兼任、すなわち彼女は生徒会会長にして風紀委員長を兼ね、
更には体育会総長をも務める才色兼備のエリートなのだ。

 立法と行政そして司法、そのうえ武力までを手中に収めた摩耶子に、
表立って逆らえる生徒など存在しない。
  おまけに父親が有名な財閥の総帥とくれば、都教や先生たちとておいそれと楯突くことはできない。
  そして自身は学業でも学年トップの才媛で、主将を務めるフェンシング部を
何度も優勝に導いたスーパーレディなのだ。

 ついでに言うと、ファッション誌のモデルくらい軽々こなせそうな美人である。
  彼女自身も自分の顔を気に入っているのだろう。
  顔が全部出るように引っ詰め髪にして後ろでまとめ、
それを何本もの縦巻きロールにして垂らしている。
  確かに美人だが、顔中に満ちている高慢さが鼻につく。
  どんなに頭を下げられたって付き合ってやろうとは思わない。
  いや──どうしてもって、泣いて頼まれたら考えてあげないこともないかもしれないけど。
  美人は嫌いじゃないし、彼女は僕の「力ずくで屈服させてみたい女ランキング」
不動のトップランカーなんだから。
  いやあ、実のところちょこちょこ不埒な妄想してお世話になってます。

 摩耶子が女王として学園に君臨するようになって、表立ってのイジメはなくなったし、
校内暴力も鳴りを潜めた。
  全ては彼女の敷いた政策のお陰であり、一定の評価を与えるのにやぶさかではない。
  しかしその実体は恐怖政治そのものであり、「女王様の下に皆が平等」は
僕の好むところではないのだ。

 ガリ勉は成績に一喜一憂し、不良は肩で風を切ってのし歩き、
イジメられっこは教室の片隅で小さくなっておどおどする。
  ナンパ野郎はところ構わずだし、運動バカは放課後の到来をひたすら待ち詫びている。
  僕に言わせれば不登校だって一つのスタイルだ。
  それらが混在しているのが自然な学校生活の形であり、
僕たちがこれから出ていく社会の縮図でもある。
  もっとも、卒業後も女王様が皆の面倒を見てくれるってのなら話は別だが。
  とにかく、如何に善政と言えども、独裁者から押し付けられるのはゴメンなのだ。

 などと格好つけてレジスタンスを気取るつもりは毛頭なく、
僕は下卑た笑いを浮かべて女王様に頭を下げていた。
  しかも、少しでも点数を稼ごうと、しっかり揉み手までして。
  僕はあの真田昌幸すらドン引きさせるであろう「表裏比興の者」なのだ。
  これは僕みたいに金も力も人望もない人間が、人並みに世を渡っていくために
必要不可欠なスキルなのである。

 米つきバッタみたいにヘコヘコ腰をかがめていると、
摩耶子様は興味をなくしたようにその場を立ち去っていった。
  彼女の背中が見えなくなると同時に、僕は全力疾走を再開した。
  とにかく今大事なのは白鳥さんだ。
  あんな高慢女に構っている場合ではない。
  あとでタップリとオナってやろう。

 息せき切って体育館裏に走り込むと、既に白鳥さんは僕を待っていてくれた。
  運のいいことに丸腰である。
  どうやら命の保証だけはされたようだ。
「ども、早いね。もしかして早弁?」
  僕のトンチンカンな質問を聞き流し、白鳥さんはペコリと頭を下げた。
  ひと呼吸遅れて長目のポニーテールが跳ね上がる。
「昨日はごめんなさい。変なところ見せちゃって……」
  上げられた彼女の顔には、申し訳なさそうな色が滲み出ていた。

 いきなりぶっ飛ばされるかもと覚悟していた僕は、ただ狼狽えることしかできなかった。
  こういう展開になると知っていれば、もう少し取り繕えたものを。
  僕の動揺など気付かぬように、白鳥さんが口を開いた。
「あのウェイトレスさん……綺麗な人ね。もしかして寺島くんの彼女?」

 いえ、あんなの只のロボメイドです。
  是非にって頼むから、身の回りの世話を許しているだけに過ぎません。
  僕が肯定せずに黙っていると、白鳥さんは少しだけ嬉しそうに頬を染めた。
  男なら誰もがのぼせ上がりそうな微笑みだが、逆にそれが僕を我に返らせた。
  彼女が頬を染めるのは、攻撃態勢に入った時の合図なのだ。

「全然詮索してこないのね、昨日のこと。ひょっとして気を使ってくれてるの?」
  本当は知りたいし、『バルバロッサ』のためには知っておくべきなんだろうが。
  けど、世の中には知らない方が良いこともあるから。
「寺島くんって他の男子と違うのね。なんか余裕があるっていうか……大人だわ」
  なるほど、悪ガキなら握った弱味を元に、白鳥さんを脅しに掛かるのかも知れない。
  さすれば、日本人形みたいな彼女の体に、あんなこともこんなこともやりたい放題できるのだ。
  けど、それじゃ白鳥さんから告白されるという夢を叶えたことにはならないではないか。
  僕はあくまで体育館裏で彼女から告白されたいのだ。
  むしろこっちの方が子供じみていると言われれば、甘んじて享受するしかないが。

「それで、改めてお願いするんだけど……昨日のこと、2人だけの秘密にしておいて」
  白鳥さんはペコリと頭を下げると、僕の目をジッと見詰めてきた。
  そして僕が口を開こうとするのを制して後を続ける。
「お願い。何も聞かないで、黙ってあの店から手を引いて」
  白鳥さんは有無を言わせぬ口調で僕の質問を封じた。
「もうすぐ高校剣道の全国大会が始まるの。それが終われば私……」
  そこで一拍の間、彼女は詰まった
「……私、剣を捨てるつもりだから。そしたら、寺島くんの彼女になってもいいわ……
  ううん、私を彼女にしてください」
  白鳥さんはそう言うと、神棚に向かってそうするように深々と頭を下げた。

 僕はただ呆然とその姿を見守るしかなかった。
  何億分の一と思っていた奇跡が起こったのだ。
  あの白鳥さんが、僕に向かって交際を求めて頭を下げている。
  これを奇跡と言わずなんと言うべきか。
「え……えぇっ? な、なんで……僕なんか……」
  僕の口調は、ウルスラの日本語が伝染ったかのように切れ切れになっていた。

「だって、成績だって良くないし……第一、顔だって……」
「そんなことないわ……寺島くんって結構イケてるって、女子の間でも評判だもん」
  白鳥さんは僕の言葉に被せるように否定した。
  だって、それならもっとモテてもいいはずだが。
  そりゃ僕だって自分がキモ面とまでは思っていないが。
「でも、寺島くんってほら、性格がアレだから……その、何を考えているのか分からない
  って言うか……ごめんなさい」

 端的に言うと根暗な変人ってことかよ。
  けど、僕がイケてるなんて初めて聞いた。
  それにしては、小さい頃から真理亜以外の女の子が寄ってきたためしがないぞ。
「でも今度のことで、他人の気持ちを思いやれる優しい心の持ち主って分かったわ。
  だから……彼女にしてください」
  白鳥さんはそう言ってもう一度深々と頭を下げた。
  風に揺れるポニーテールと真っ白なうなじが印象的だった。

 

 その後、どうやって家に帰り着いたのか良く覚えていない。
  雲に乗ったように足元がフワフワしていたのだけは記憶に残っている。
  なにせ純情可憐な美少女にコクられたんだから無理はない。
  経験のない者にとっては、理解の範疇を遥かに越えている出来事だろうけど。

 ところで、僕が出した回答は「保留」だった。
  とても魅力的な商談だが、即決が許されるような内容ではない。
  いつもの僕なら見境なくOKしていただろう。
  でも、終始白鳥さんが頬をほんのり染めていたことが、僕の警戒心を眠らせずにいたのだ。
  それに向こうだって大会が終わるまで待てと言う条件付きである。
  不渡りでも出された日には、それこそ目も当てられなくなる。
  そこで僕はいつになく慎重な態度を保持したのであった。

 忘れてはならないことがもう一つある。
  白鳥さんとお付き合いするには、彼女とヤクザの繋がりについて沈黙を守らねばならないのだ。
  それは利敵行為であり、爺ちゃんやウルスラを裏切ることになるのではあるまいか。
  今度ばかりは、勢いだけで突っ走るわけにはいかないようである。

 それにしても僕がイケ面だなどと、女どもの間で評判になってるとは知らなかった。
  洗面所で鏡を見てみると、いつもの見慣れた顔が映っている。
  なるほど、言われて気付くのもおかしな話だが、結構というかかなりイケてるのではあるまいか。

 一人でニヤついていると、後ろをイブリンが通りかかった。
「やあ、イブちゃん。僕ってイケてるかい?」
  僕は女の子からの参考意見が聞きたくなって彼女に尋ねてみた。
  超美人の悪魔ッ娘はキョトンとしていたが、何を今更という風に答えた。
「アンタねぇ、娘悪魔が相手構わず手を出すとでも思ってるわけ? そりゃ、
  ヨウ様と比べりゃちょっと落ちるけどさ」

 ヨウ様というのはイブリンがはまってる韓流ドラマ『冬の月空』の主人公で、
優柔不断を絵に描いたような優男だ。
  あんな野郎を引き合いに出されるのは気に食わぬが、
奴が日本女性を老若問わずメロメロにしていることだけは確かだ。
  その稀代のイケ面と比べてちょっと落ちる程度というのは、
実はもの凄い褒め言葉なのではなかろうか。
  となると、イブリンの携帯からヨウ様の画像を消去したことが申し訳なく思えてきた。
  後でまた同じ画像をネットで探して、こっそりダウンロードしてあげよう。

 

 長かった一日がようやく終わり、僕はいつものようにハンモックに転がった。
  闇の中、静寂に包まれていると、様々な思いが脳裏を駆け巡る。

 それにしても分からないのは、このハンサムな僕に何故これまで女が寄りつかなかったのかだ。
  確かに、高校に入った頃の僕は、真理亜に捨てられて生ける屍と化していた。
  そんな僕が、女子から見て魅力のない男に思えたとしても不思議ではない。
  僕だってそんな不気味な男を彼氏にするのはゴメンだ。
  だがそれ以前、小中一貫して全くモテなかったのはどういうわけなんだろう。
  とにかく女の子から言い寄られた経験など皆無である。

 全校のモテない君を扇動し、2.14バレンタイン闘争と称して学校を封鎖しようとしたのは
小三の時のホロ苦い思い出だ。
  翌年、チョコによる虫歯と肥満の危険性を説き、市内のデパート入り口で不買運動を展開したのも
モテぬ男の僻みからだ。
  いずれも当局による不当な圧力に屈してしまったが、
そんな時でも幼馴染みの真理亜だけは僕に味方してくれたものだ。

 確かに真理亜も女の子だけど、その頃の僕にとっては異性というより
「仲のいい遊び友達」に過ぎなかった。
  ところが、小学校も高学年になると、その真理亜とは何となくイイ感じになってきた。
  中学に進む頃には幼馴染みから同志へ、そして淡い恋愛感情を伴った男女の仲へと
進展していったのだった。

 しかし、真理亜以外の女と全く接点がなかったのはどういうわけなんだ。
  お陰で僕は自分のことを、真理亜以外の女の子からは相手にされない
モテない君だと思い込んでしまったではないか。
  それとも何か?
  女子という女子が、全員足並みを揃えて真理亜に遠慮していたとでもいうのか。
  そう考えれば納得もいく。

 そんなことを考えながらハンモックの中でモヤモヤしていると、
誰かが下からツンツン背中を突っついてきた。
  下を見てみると、ウルスラと視線が合った。
  なんと彼女は肘を張り、半ば逆立ちするような体勢になって、
剥き出しのお尻をこちらに向けて高々と掲げている。
  そして首を捻って肩越しに僕を見詰めているのだ。

「ウル……」
  ハンモックは僕の体重で大きくたわんでおり、
網目からナニを出せば合体可能な距離まで彼女に接近している。
  今からこっそり楽しもうっていうのか。
  ウルスラったら、いつからそんな大胆に。
  でも、こういうサプライズなら大歓迎だ。
  それに空中給油するみたいな変態チックな体位も楽しそうだし。
  僕は無言でOKすると、給油ホースを伸ばしていった。
  そして、あと少しで給油口に接触しようかという時──

「揃って撃墜されたいの?」
  殺意の籠もった唸り声が闇を切り裂いた。
  ウルスラの下半身がすごすごと降下し、闇の中に消えていく。
  どうも参った。
  天使には全てお見通しのようだ。
  後には娘悪魔の押し殺したような笑い声だけがいつまでも続いていた。

8 -僕と学園の女王-

 翌朝のお茶の間は、実に居心地が悪かった。
  ウルスラは気まずそうに俯いたまま給仕し、真理亜はロクに目も合わせてくれなかった。
  雰囲気を察知した両親はわざとらしくニコニコするだけで、それが余計に気まずさを濃くしていた。
  妹の綾はいつもと違う様子に、何が始まるのかとワクワクしているように見えた。

 そんな中、イブリンだけがいつもの通りであった。
  脳天気な表情で携帯を開き、愛しのヨウ様に朝の挨拶をしている。
「ややっ、今朝のヨウ様……なんだかいつもより男前?」
  そりゃそうだろう。
  前に大事にしてたのはサムネイルを拡大した粗い画像で、
今度のはちゃんとダウンロードした高解像度版なんだから。
  ヨウ様の男前だってグッと上がって当然さ。

 取り敢えず、一人はしゃぐイブリンに後を任せ、僕は早々に家を出たのだった。
  女関係で揉めた時、男にできるのは逃げることくらいと昔から決まっている。

 僕は和解の手段をあれこれ模索しながら歩き、ふと気付くと学校に到着していた。
  何だか校門付近が騒がしい。
  見ると風紀委員による抜き打ちの服装チェックが行われているらしい。
  見慣れた朝の光景だが、今朝は少しいつもと様子が違う。
  なんと、反乱分子が風紀委員長に楯突いているのだ。
  風紀委員長は、夢の三職兼任を果たしたあの篁摩耶子だ。

「ウチらのスカートが短いって、だいたいアンタのはどうなのさ」
「どう見たって校則違反じゃん」
  コギャルどもの言うとおり、摩耶子さまのスカートはむしろ彼女たちのより短く見える。
「それに茶髪禁止っつって……アンタのもほとんど金髪だし」
  その指摘も的を外れていなかった。
  スターであらせられる摩耶子さまは、自らのおぐしをブロンドに染め上げていらっしゃる。
  少しでも他人より目立とうという、成金根性を丸出しにされておられるのだ。

「生徒会長だからって、自分だけは許されてるなんて言わないよねぇ」
「だってアンタ、ウチらが選挙で選んだウチらの代表っしょ?」
  想定外の突っ込みに対し、摩耶子さまは思いのほかたじろいでらっしゃるように見えた。
  それもその筈、図らずも小癪なコギャルどもが言い放ったとおりなのだから。
  摩耶子さまは、ミニスカも金髪もご自分だけは許されていると思い上がっておられたのである。
  まさか、正面切って突っ込みが入るとは思いもされていなかった摩耶子さまは、
ご答弁を用意なさらずにいたのである。
  見てくれだけはいい側近どもも、肝心な時には全く役に立たない様子でオロオロするばかり。

 これは面白い。
  神聖不可侵の貴婦人が不埒な下人娘に寄って集って苛められる図は、
下克上のエロスを感じさせてくれる。
  しかし放っておくこともできまい。
  このままでは、妄想の中で傲慢な彼女を力ずくで屈服させるという
僕の密かな楽しみが損なわれてしまう。
  摩耶子さまには、やはり孤高の女王様であって頂かねばならないのだ。

「えぇっと、我が国における17歳女子の平均身長は157.9センチだって。君、知ってた?」
  よせばいいのに、僕はコギャルの一人に声を掛けていた。
  いきなり背後から話し掛けられ、コギャルはギョッとした顔を左右に振った。
「因みに平均座高は85.5センチなんだけど、君ぃ。君は明らかに身長、座高ともに平均値以下だねぇ」
  僕はそう言いつつ、無遠慮な視線でチビッココギャルの全身を舐め回す。
「そしてプロフィールの数字を信じるならば、生徒会長の身長は172センチであらせられる」
  確か新聞部の発行物で、彼女のプロフィールを見た覚えがある。
  もっとも、肝心の新聞部が生徒会に牛耳られているので、
その数字が正確である保証はどこにもないんだけど。

「我が校則に、スカートは膝上何センチという具体的数値は明記されておらず、
  高校生らしいものという表記しかありません。
  なれば認められる露出率は各人の股下長により変動すると解釈され、
  足の長い者ほど生足率が高くなるのは当然の結果です。
  君の足とスカートの比率をもって是非の基準とするならば、
  会長のスカートはまだ長すぎると言っても過言ではないのです」
  僕の勝手な理論を聞いてコギャルたちは真っ赤になって怒った。

「黙って聞いてりゃ、なんだその出鱈目は」
「だいたいそんな数字はどこから出てきたんだ」
「文部科学省が厳格に実施した、平成19年度学校保健統計調査結果に基づく数値です。
  出鱈目ではありません」
  これは以前ネットで確かめた数字だから間違いない。
  僕が淀みなく回答したことで、コギャルたちは完全に出鼻を挫かれた。
  しかも彼女たちは文部科学省という権威の前に狼狽えさえしている。
  そこに更なる追い打ちを掛けてやる。

「まだ納得いただけないとすれば、更にショッキングな説明をしなくてはいけません」
  僕は深刻そうな表情を作って後を続けた。
「会長のスカートは、ウエスト54センチの既製品。
  リフォームなしでも君の12号サイズより丈が短いのですよ」
  この発言はコギャルたちにかなりの衝撃を与えたが、摩耶子さままで呆気に取られているのが
面白かった。
  だってウエスト54センチなんてのは、全くの出任せだもの。
  蜂じゃあるまいし、身長172センチでそんなウエストした化け物がいるものか。
  だいたい、会長はおヒップだって85センチもあるんだぞ。
  学校指定の既製服じゃ、たとえウエストが入ったってお尻が丸出しになっちまう。

 しかし、コギャルたちはその虚言を見抜けなかった。
  最初に僕が並べた幾つかの数字と、その正確さを裏付けるソースを明確に披露されたことで
心理的陥穽にはまっていたのだ。
  つまり彼女たちは、僕が口にする数字は全て権威ある文科省が認めた真実であると
勝手に思い込んでしまったのである。
  それに「篁摩耶子はモデル体型をしている」という先入観が作用したのは
説明するまでもないだろう。

 自分と女王様の違いを思い知らされ、コギャルたちは気の毒なくらい落ち込んでいた。
  しかし、そこは流石に不良娘、弱々しいながらも執拗に絡んでくる。
「じゃ、じゃあ、その金髪はどうなんだよぉ」
  その食い下がりも悪あがきに過ぎなかった。
「髪色はユーメラニンとフェオメラニンの比率によって決定されますが、
  フェオメラニンをより多く含むと金髪になります」
  コギャルでもメラニン色素くらいは知っておろうが、その種類となると知識の外だろう。
  初めて耳にする語彙に早くも面食らっている。

「我々モンゴロイド系はユーメラニンの含有量が多いとされますが、
  稀に先天性頭髪白皮症の人が生まれることがあります」
  先天性白皮症、つまりアルビノは実在する遺伝子疾患だが、
  それが頭髪にのみ現れるなんてのは聞いたことがない。
  だが、もはや知的劣等感に苛まれたコギャルたちに、まともな思考能力は残っていなかった。
「つ、つまり……?」
「う、生まれつきですの。オホホホホホッ」
  威厳を取り戻した女王様は身を反らせて勝ち誇った。

「と言うわけで、あなた達のスカートを認めるわけには参りませんわ。
  全員ブルマに履き替えて教室にお入りなさいっ」
  これは強烈な罰だ。
  学校にいる間、ずっと男子の嫌らしい目にブルマ姿を晒さなくてはならないのだ。
  こんな嬉しい罰をサラリと思い付くなんて、なんて怖ろしい女なんだ。
  やはりお近づきにならない方が身のためだろう。
  僕は勝ち誇る女王様の脇をすり抜け、自分の教室へと向かった。

「おはよう、寺島くん」
  教室に入るといきなり可愛らしい声で挨拶された。
  白鳥毬乃さんである。
「あぁ、おはよう」
  僕はクラスメイトの視線を意識しつつ自分の席に座った。
  すかさず白鳥さんが近づいてくる。
「昨日は付き合わせちゃってゴメンなさい。お詫びにお弁当作って来ちゃった」
  白鳥さんはそう言うと、両手でピンク色の包みを差し出した。

 これは有無を言わさず僕の口を封じる強硬手段だ。
  白鳥さんは自分が僕の彼女であるという既成事実を作る、捨て身の戦法に出たのだ。
「じゃあまた後で」
  なんて手を振ると、白鳥さんは教室を出ていった。
  クラス中の視線を一身に受け、僕の体温は1度ほど上昇した。

 白鳥さんが本心から僕と付き合いたがっているのではないことくらい承知している。
  にも関わらず、例の一件について口封じをするためだけに、
無理に僕の彼女になろうとしているのだ。
  何が彼女にそこまでさせるのか。
  何か相当に深い理由があるに違いない。

「君ぃちょっと、寺島君。君はいったい、どんな魔術を使ったのかね?」
  気が付くと、例の佐々木小一郎が怪訝そうな顔で僕を見下ろしていた。
  彼には以前、自信満々に白鳥さんにアタックし、無惨な目に遭わされた過去がある。
  それだけに、男として自分より遥かに劣る筈の僕が白鳥さんと仲良くしているの見て
疑問に思ったのだろう。
「実に不愉快……失礼、不可解だ。どうして毬乃さんが君なんかと……分からん」
  奇遇だな。
  僕も同じことを考えていたところなんだ。

「分かったぞ。君は何か毬乃さんの弱味でも握ったんだろう。
  それを元に、彼女を脅しているに違いない」
  剣道バカの割りには、なかなか鋭いところを突いてくる。
  肝心なところが真逆なのだが、だいたいの筋道は合ってるのが面白い。
  いや、勘の鋭さは流石と言える。
  この男、剣の腕前は確かなのだが、頭の修行はなおざりにしてきたのだろう。
  如何にもモテそうな白皙の美貌の下、頭蓋骨の中には著しくお粗末な脳みそが詰まっているのだ。

 一年生の時の話だ。
  地区予選を制して全国大会の晴れ舞台に臨んだ小一郎は、そこでとんでもないバカをやらかした。
  テレビを意識する余り、顔を覆い隠す面の装着を拒否したのだ。
「おいっ、僕が面を打たせると思っているのか? 待てっ、人の話を聞きたまえ……」
  そう喚きながら会場から引きずり出される彼の姿は、滑稽を通り過ぎて悲哀すら漂っていたという。
  あたら実力があり、優勝する可能性も充分あっただけに何とも惜しい話である。
  そのバカが、いや佐々木小一郎が、血相を変えて僕に詰め寄っているのだ。

「えぇ〜い、なんと卑劣な……男の風上にも置けん奴。君に決闘を申し込む」
  知らない間に、話が勝手に進んでいる。
「そして、勝った方が毬乃さんを彼女にするのだ」
  それが本音か。
  あれだけ大々的に振られたのに、まだしつこく白鳥さんを狙っていたのだ。
  熱心というか気味が悪いというか。
  まあ、自分の得意なフィールドで戦おうってのは、戦術的に間違っていないけど──
  敵の戦力を正確に把握しておかないと、致命的な打撃を被ることになる。

「私の寺島くんに何をするのですかぁーっ」
  いきなり横合いから繰り出された白鳥さんの電光三段突きが、佐々木小一郎の体を吹き飛ばした。
  小一郎の体が窓ガラスをぶち破り、ベランダの手摺りの向こう側へと消えていく。
  あぁ、可哀相な小一郎。
  あんなにテレビに映ることを楽しみにしていたのに。
  これで全国大会は2年連続で棄権が決定した。

 

 今日は一日なんとも妙な学校生活を過ごすこととなった。
  あの白鳥さんが僕の彼女として、何かとベタベタまとわりついてきたのだ。
  彼女はみんなの憧れにして畏怖すべき対象、言うなれば観音様のような存在である。
  つまり、大好きだけど手を出して罰が当たるのが怖く、
ただ一心に拝むことだけが許された対象なのだ。
  その白鳥さんが人目も憚らず付きまとってくるもんだから、
お陰で僕は一日中好奇の視線に晒された。

 ハッキリ言って迷惑である。
  全校喪男連合の面々からは裏切り者扱いされるわ、
白鳥さんのファンからは刺々しい目で睨まれるわで──
  マジで後ろから刺されるんじゃなかろうかと、身の危険まで感じる始末だった。
  明日あたり、不良グループの2、3派から呼び出しを喰らいそうだな、これは。

 こうなることを見越しての行動だとしたら、白鳥さんはなかなかの策士である。
  彼女と付き合うのなら、約束通り沈黙を守る義務が生じる。
  そして付き合わぬとすれば、彼女を泣かせた極悪人として校敵に認定される。
  いずれにせよ、僕の口は確実に封じられる。
  それならいっそ本当に付き合ってやろうかと、僕が半ばヤケクソになり始めた時である。

「寺島俊だな」
  いきなり背後から呼び掛けられ、僕は文字通り飛び上がった。
  もうここまで包囲網が狭まっていたとは、状況判断が少し甘かったか。
  振り返ると、学生服を着た屈強の男たちが立っていた。
  このクソ暑いにもかかわらず、詰め襟のホックも全部留めている。
  揃いも揃ってカリフラワーみたいな耳しているが、
だからといって血を好まぬ菜食主義者ってわけでもなさそうだ。
  むしろ肉食獣、しかもプレデターの臭いを全身にまとっている。

「レスリング部……体育会?」
  男たちは運動系のクラブ活動を統括する団体の構成員であった。
  問答無用の不良グループじゃなく一安心だが、喜んでばかりはいられない。
  なにせ白鳥さんがいる剣道部も体育会に属しており、彼女のファンも多いと聞いている。
  まさか、大会前の大事な時期に彼女を骨抜きにしようとしたかどで、罪に問われるとでも言うのか。
  待て、これは冤罪だ。

「寺島俊だな。一緒に来てもらうぞ」
  リーダーと思しき岩のような男が低い声で呟いた。
  その命令口調に僕はカチンと来た。
  体育会系クラブに所属している者ならいざ知らず、僕はれっきとした帰宅部員なのだ。
  こんな連中の命令に従う義務は小指の先ほどもない。
「ふん、それって任意だよな」

 などと要らぬ反抗をするわけもなく、僕は揉み手をしながら男たちの後に続いていた。
  僕は勝ち目のない戦いをするほど愚かではない。
  確実に勝てる算段が整うまで、ひたすら待ち続ける忍耐力こそが僕の武器なのだ。
  とにかく相手の出方を見て、それから対応策を練っても遅くはあるまい。
  この段階では、何が待ち受けているのかさえ分からぬではないか。

 僕が連れてこられたのは、本館4階の突きあたりの部屋であった。
  ここって、確か──
「お入りなさい」
  岩石男のノックに、落ち着いた女の声が答えた。
  重々しく開いた扉の先は、生徒会執務室であった。
  本校生徒の自治に関する一切を取り仕切る、最高意思決定機関の総本山である。
  その中央、一際豪奢な執務机に座っている金髪の美女に目が行った。
  会長の篁摩耶子である。
「ご苦労様、下がってよろしくてよ。寺島俊は中へお入りなさい」
  有無を言わせぬ物言いに従うと、背後で扉が閉じられた。

 退路を断たれた僕は、素早く室内に目を配る。
  部屋にいるのは摩耶子一人だが、他に出口は見当たらない。
  窓の外にはベランダはなく、ぶち破ればそのまま4階の高さからグランドへと
ノンストップバンジーだ。
  自殺するのであれば、なかなか堅実な手段と言えよう。

「今朝はご苦労様でした。あなたはなかなか弁が立つようですわね」
  摩耶子は値踏みするように僕の顔を見回した。
「弁は弁でも詭弁ですがね。あんなのは権威論証の初歩的な応用に過ぎません」
  僕は早く切り上げたくて、殊更詰まらなさそうに吐き捨てた。
  ところが、それが逆効果になった。
「噂どおり、相当の変わり者のようですわ。いえ、褒め言葉ですのよ」
  摩耶子は満足そうに頷くと、ホホホッと笑った。
  こっちは面白いことなど言った覚えはないのだが。
  参考まで、どの辺りがウケたのか教えて欲しい。
  ネタ帳に書き込んで、また別の機会に使わせてもらうから。

 女王様は一頻り笑うと、唐突に用件を切り出してきた。
「よろしくってよ。そのお口、生徒会で買い取りましょう。
  取り敢えずは広報委員あたりでいかがです?」
  この女は何を言っておるのだ。
  いきなり人を拉致したと思ったら、今度はヘッドハンティングかよ。
  って言うか、この僕に対し、足下に跪けと命じているのか。
  僕は馬鹿馬鹿しさのあまり、口もきけないでいた。

 その沈黙をどう理解したのか、摩耶子が口元をゆるめた。
「ほぅ、安売りはしたくないと? では執行部書記長補佐の席を用意しましょう」
  ダメだ、この人に何を言っても通用しないらしい。
  万事、自分が思い描いた通りにストーリーが進行するとお思いだ。
「不服ですの? いきなり執行部入りするなど、それこそ前例のない名誉でしてよ」
  女王様はご機嫌を損ねたのか、眉間に小さな皺を刻んだ。
  僕が口を開きかけるのを彼女は手で制する。

「お聞きなさい。今朝の一件でお分かりのように、私には足を引っ張ろうとする敵が
  まだまだ大勢います」
  一見、全校生徒を牛耳っているように見える摩耶子にも、抵抗勢力は存在している。
  抑圧された不良学生たち、主権回復を狙う教職員に率いられた左翼系文化部がそれだ。
  更には自治権を求める一部の武道系体育会も摩耶子の独裁をよしとしていない。
  格闘技系クラブの中でも、摩耶子が席を置くフェンシング部を始め、
レスリング部などのスポーツ系クラブは生徒会派だ。
  しかし柔道部や剣道部などの神道系武道クラブにはアンチ摩耶子色が強い。
  突出した天才である摩耶子は、右と左の両方から狙われる存在なのである。

 彼らは事ある毎に摩耶子の失墜を狙い、様々な攻撃を仕掛けている。
  軽いのは慢研によるアイコラの頒布から、悪質なのは柔道部による強姦計画まで多岐に渡っている。
  それぞれが団体の特性を生かしているのが微笑ましい。
  ただ、全てが弱小勢力であり、それらをまとめ上げる人材がいないため、
摩耶子包囲網を敷けないでいるのだ。

 例えば、強力な戦闘力を保持する武道系クラブと、理論武装された旧新聞部の残党が手を結んだら
どうだろう。
  女王様と言えども無視できない、強力な抵抗勢力になりうるであろう。
  考えてみると、生徒会長就任直後に新聞部を解体し、自家薬籠中の物として再編させた、
彼女の戦略眼は確かである。
  報道管制さえしっかりしておけば、自分に都合の悪い流言飛語は完封できるのだから。

「ですから、私は有能な補佐役、参謀たる人材を必要としているのです」
  気が付くと摩耶子が話を続けていた。
「生徒会にも有能な人材はいます。ですが、私に必要なのは常識の枠にとらわれない、
  型破りの発想ができる才能なのです」
  摩耶子はそう言うと、真っ直ぐに僕の目を見詰めてきた。

 だいたいの構図は読めた。
  何を隠そう、白鳥さんが所属している剣道部は反体制派の急先鋒だ。
  白鳥さんが僕に接近を図っていることは、既に摩耶子の耳にも入っているだろう。
  摩耶子は、白鳥さんが反対勢力を糾合するための知恵袋として、
僕を利用しようとしていると思い違いしているのだ。
  いやはや、買い被られたものだ。

 しかし、こりゃ凄いや。
  全校を代表する二大美少女が、僕を巡って争奪戦を繰り広げているのだ。
  理由はどうあれ、こんなことが起こるとは、つい昨日まで考えてもみなかった。

 ここで僕はなんと応じたであろう。
  答えはやっぱり「保留」だった。
  悔しそうに眉をひそめる摩耶子の顔は、いとセクシーだった。
  軍師を気取って三顧の礼を求めるつもりはなかったが、何故か素直にイエスと言えなかった。
  おそらく彼女が身にまとっている何かが、僕にそうさせたのであろう。
  やっぱり、僕には無責任な野党がお似合いなのだ。

 なんて格好をつけてみたが、この時彼女が艶々の乗馬ブーツなどを履いてらっしゃったら
どうなっていたことか。
  おそらく僕は恭しく身を屈め、摩耶子さまの靴先にキスしていたであろう。
  だって好きなんだもん、女王様のブーツって。
  ああ、僕って奴は、全く度し難い変態だ。

 

 浮かれ気分で帰宅した僕は、その後大変な目に遭った。
「サトシ……あのサムライガールの…臭いが……する……」
  僕の着替えを手伝っていたウルスラは、たちまちシャツに染み付いていた
白鳥さんの体臭を嗅ぎ取ってしまったのだ。

 き、君は麻薬取締犬ですか?
  まさか噛みついたりはしないよな。
  ウルスラは僕のシャツを鼻に付けたまま、ジロリと上目遣いになった。

「なんですってぇ?」
  騒ぎを聞きつけた真理亜が階段を駆け上がってきた。
「俊さんっ、どういうことなのですか」
  真理亜も逆三角形にした目を血走らせている。
「別の……女の臭い…も……」

 あ、ウルスラ。
  お願いだから、クンクンするの止めて。
  このままじゃ、摩耶子に迫られてちょっと先走りしてたことまでバレちゃうよ。
「この濃度……相当の時間……二人だけで……密閉空間に……いた……」
「俊さん、あなたって人は。私の目が届かないのをいいことに、学校で何をなさってたんですかぁっ」
  おわっ、久々に天使と超高性能分析マシンのツープラトン攻撃だ。

 真理亜の右手が僕の襟首を締め上げる。
  ウルスラはそれを止めもせず、無表情に見ているだけだ。
  君たち、ケンカしてるんじゃなかったっけ?
  こいつはマジでヤバい状況だ。
  あぁ、結局のところ世界平和ってのは、
全人類共通の敵でも現れない限り実現不可能な夢物語なんだろうな──

 僕は薄れゆく意識の中でそんなことを考えていた。

9 -スケバン女と喪男の群-

 翌朝、僕は痛めた頸椎を気にしつつ学校へ向かっていた。
  逆上してリミッターの外れた真理亜って、考えられないようなパワーを出すんだから。
  僕が失神した後、彼女が我に返ってからは天使本来の優しさで介抱してくれたけど──
なんだかなぁ。
  それにしても許せないのはウルスラの奴だ。
  目の前でご主人様が殺されかけてるってのに、いい気味だと言わんばかりに傍観しやがって。
  あの場面なら、いちいち命令しなくてもインターセプトに入るのが正しい主従関係ってもんだろ。
 
  そりゃ、女の臭いを服に染み込ませて帰宅したんだから、2人が焼き餅焼くのも仕方ないけど。
  しかし、よく考えれば僕は何もやっていないんだぞ。
  確かに勃起ついでにちょこっと先走りはしたけど、あんなのは生理現象だ。
  言うなればお漏らしみたいなものじゃないか。
  幼馴染みやメイドから責められるようなことは何一つしていないと胸を張って言える。

 それにしても、ウルスラってますます人間らしくなってきたなぁ。
  いや、悪い意味でだ。
  なんでも言うことを聞いてくれた最初の頃が懐かしいよ。

 などと考えながら歩いていると、早くも校門まで辿り着いていた。
  今朝は摩耶子の姿はなく、風紀委員の服装チェックも行われていない。
  それもその筈、ああいうのはたまに抜き打ちでやるから効果的なのだ。
  別に昨日のショックが尾を引いてるってわけでもないだろう。

 僕を見て摩耶子がどんな顔をするのか興味があったけど、いないのなら仕方がない。
  それに、たとえこちらが会いたくないとしても、今日中に向こうから呼び出しがあるだろう。
  今日はどこまで条件を吊り上げてくるか楽しみだ。
  まさか泣きついてきたりはしないだろうけど、色仕掛けで迫られたらどうしよう。
  優れた戦略家でいらっしゃる摩耶子さまのことだから、僕にMっ気があることくらい
既に見抜いておられるかも知れない。
  軍服のコスプレで命令されたら、僕は一も二もなく反射的に従ってしまうだろう。
  摩耶子さまの凛々しいお姿を思い描きながら、僕が校舎へと向かっている時であった。

「おいっ、寺島ぁ」
  女の低い声が僕を背後から呼び止めた。
  誰だろうと思って振り返ると、本館と新館の間にある狭い通路に一人の女子生徒がいた。
  だらしなくウンコ座りし、あろうことか火の付いたタバコをくわえている。
  足元にパンの袋や牛乳のパックが散らかっているところを見ると、
さしずめ朝食後の一服中というところか。
  女の右内腿の付け根に、色も鮮やかなタトゥ──真紅のバラ一輪──がチラチラしていた。
「よぉ、寺島ぁ」
  女はもう一度僕の名を呼ぶと、意味もなくニヤニヤと笑った。

 江口リエ、人呼んでスケバン・リエ。
  本校きってのワルで、何度も停学を喰らっている本格派だ。
  噂では、殺人以外の犯罪は、既に一通りこなしているという。
  基本的に手下を作らない一匹狼だが、彼女を信奉する不良生徒は数知れない。
  いわば、裏の生徒会長たる存在なのだ。
  当局が何度も彼女の追放を試みながら、未だ果たせないでいる理由もその辺にあるのだろう。

 町ではヤクザさえ道を譲ると言われるリエだが、決して本校の一般生徒に手を出したりしない。
  そればかりか、他校と揉めた生徒がいると積極的に仲裁役を買って出たりする。
  僕に言わせりゃ、そんなのは安っぽい印象操作に過ぎないのだが、
お陰でリエの人気は一般生徒の間でも意外に高い。
  たいがい日本人ってのは、カッコいいアウトローが大好きなのだ。
  それが自分に害をなさない存在でいる限りは。

 だが、最も巧妙に思えるのは、リエが決して生徒会を敵に回そうとはしないことだ。
  それを幸いと、摩耶子の方でもスケバン・リエを避けているように見える。
  互いにやり合えば、共に無事では済まないことは分かっているのだから、それは賢明な選択だ。
  正面切って敵対してこないリエを、摩耶子が丁重に無視しているというのが
本当のところなんだろう。
  なんにせよ、江口リエが当校が誇る花形スターの一人であることは間違いない。

 そのリエは僕と同じクラスなのだが、口をきくのはこれが初めてのこととなる。
  なにしろ彼女は鑑別所と学校を行き来する忙しい身体なので、
校内でお目に掛かれる機会など滅多にないのだ。
  これで出席日数が足りるのか、他人事ながら気になるところである。
「なんでぇ、UFOでも目撃したようなツラしやがって」
  スケバン・リエはそう言うと、真っ赤に塗りたくった唇を曲げて笑った。
  白い歯の隙間から紫煙が漏れる。
  化粧は濃くて顔立ちもキツいが、思わず息を飲むような美女である。
  プロポーションだって、あの摩耶子に比べても遜色はない。
  単にオンナとしての価値なら2人の間に明確な差はなく、あるのは好みの問題だけだろう。

「まあいいや。ところでオメェ、あの生徒会長に言い寄られてるそうだな?」
  リエは紅茶色をしたボサボサの髪を掻き上げ、からかうような目を僕に向けた。
「それと、剣道部のエース様にもコクられたって?」
  オロオロしている僕の姿がお気に召したのか、リエは身をのけ反らせて大笑いした。
  ウンコ座りしているせいで、ミニスカートの中が丸見えになる。
  ちょうど真っ最中なのか、生理用品がパンティの前を盛り上げていた。
  ったく、ロリエだよ。
  幾ら顔がよくったって、こういうデリカシーのない女は苦手だな。
  この分だと、腋毛だって生やしっぱなしにしてるのかもしれない。

 ロリエ女は一頻り笑うと、すっかり短くなったタバコを指先で弾いた。
  今度はポイ捨てかよ。
  皆無なのはデリカシーだけじゃなくモラルもらしい。
「で……どっちと付き合うつもりなんだ、モテ男?」
  ロリエは興味津々に質問してくる。
  当校を代表する美少女2人の色恋沙汰となれば一大スキャンダルだ。
  不良の親玉としても、ゴシップ記者並に関心があるらしい。

「いやぁ、僕としては放送部あたりが仕組んだ、文化祭のドッキリ企画だと思ってるんですが……」
  僕は卑屈に腰を屈め、頭を掻き掻き言葉を濁した。
「僕はそれほどモテません、ってか?」
  ロリエは意味ありげにニヤニヤ笑い、ゆっくりと立ち上がる。
  と、目にも止まらぬ早技で僕の胸ぐらを掴み、手元にグイッと引き寄せた。

 とんでもない馬鹿力だ。
  勢い余って胸の谷間に顔面が埋まる。
  うぷっ、特盛りっ?
  しかも柔らかい。
  けど息が、息ができましぇん──
  僕がいい匂いに包まれて溺死しかけていると、乳の持ち主に救助された。

「オメェにアクセサリーとしての価値を求めてるってのならその通りだろうが。
  奴らの狙いはそんなモンじゃねぇだろ」
  ヤニ臭い息をタップリ嗅がされる至近距離で、ロリエは僕の目をジッと覗き込んできた。
  意外に澄んだ瞳が、イタズラっぽく笑っていた。
「まぁなんだ。あいつらが争って共倒れしてくれりゃ、オレとしても漁夫の利を得られるってモンだ」
  ロリエは嬉しそうにそう言うと、ようやく僕の襟首を解放した。
「ま、どちらに付くにせよ、せいぜい活躍してやれや。オレのためにもな」
  ロリエの強烈などやしつけが僕の背中に炸裂し、呼吸どころか心臓が一瞬止まった。

 この日、死の覚悟すらして登校した僕は、思いのほか平穏な学校生活に拍子抜けしていた。
  恐れていた不良グループたちは鳴りを潜め、襲撃どころか僕と目を合わそうともしなかった。
  これは彼らの神、スケバン・リエの御威光によるものなのだろうか。
  僕を生徒会潰しに利用するってのが本当なら、彼女の名において
僕の安全は保障されてることになる。
  ちょっとその辺の不良を挑発して「寺島保護令」の浸透度合いを試してみたい気もする。
  でも調子に乗って虎の尾を踏むような真似は、やっぱり避けるべきだろう。
  取り敢えず、不良グループからの襲撃に怯えずともよくなっただけでも大助かりだ。

 しかし全喪連──全校モテない男連合は、不良グループとは全く別系統の組織だから厄介だ。
  全喪連は一つの組織ではなく、目的を共有する複数の団体が集まった合議制の連合体である。
  要するに彼女がいないことを正当化し、モテない男であることで惨めな思いを
したくないって連中だ。
  こう言うとデリケートなハートの持ち主のように聞こえるが、その勢力はバカにはできない。
  特に右派とされる「永世毒男同盟」と、白鳥さんを愛でる「白鳥毬乃の処女を死守する会」は
危険な存在だ。
  穏健派とされる「三次元決別舎」辺りはアニメやエロゲーに嵌ったヲタの集まりであり、
僕にとっては無害といっていい。
  それに比べて「永毒同」は、脱退に伴い「死のリンチ」を掟とする暴力集団だ。
  彼女がいないことが唯一の入会条件だが、一度入れば脱退、
すなわち彼女を作ることは絶対に許されない。
  たとえどこへ駆け落ちしようが、全国に張り巡らされたネットワークが確実に逃亡者を追い詰める。
  そして規約通り、裏切り者に対して死の制裁を加えるのだ。

 今一つの「白処会」は白鳥さんを女神と崇める狂信者の集まりである。
  彼女の処女性を守り抜くためなら自爆テロだって辞さない。
  困ったことに、会の主体はニトロの調合くらい朝飯前という化学部の連中なのだ。
  そんな奴らに信奉されるなんて、白鳥さんもさぞかし迷惑に思ってることだろう。
  しかし自らそれに気付くような連中なら、最初から喪男なんぞにならないのだ。

 僕は全喪連に属する如何なる団体とも無関係の人間だが、向こうはそうは思っていないらしい。
  それどころか右派の大物として、一種畏敬の念をもって見られている節がある。
  全ては小学生時代に敢行した、一連のバレンタイン抗議活動が原因である。
  お陰で僕は彼らの間で神格化され、伝説の英雄じみた扱いを受けている。
  それだけに、今度のことは決して許されない裏切り行為として、
連中の怒りを買う羽目に陥ってしまったのだ。

 ちょっと待て。
  これはヤクザ理論にすらならない不当な言い掛かりだぞ。
  第一、醜い男の嫉妬は無用なのだ。
  だが、このまま頬被りして済ませることもできまい。
  とにかく相手は理屈の通じぬキ印集団なのだから。
  必死で善後策を考える僕だったが、全ては遅きに失した。
  日直の仕事として昼休みに立ち入った体育倉庫の中で、僕は窮地に陥っていた。

「寺島くん。僕は今、非常に落胆している。まさか伝説の喪男と言われた君が、
  こんな卑劣な行為に走るなんて」
  体重100キロはありそうな脂肪の塊が、フゥッと長い溜息をついた。
  森永明治──永毒同の盟主にして、全喪連の最高幹部会に名を連ねる喪男中の喪男だ。
  自ら「キング」を僭称しているが、陰では「ハート様」の名で呼ばれているメタボリック男である。
  この時、僕は彼の目の前で正座させられ、自己批判を促されている真っ最中であった。
  周囲は全喪連のメンバーに取り囲まれており、脱出路は完全に断たれている。

「あの時の君には刮目させられたものだよ、全く」
  ハート様が遠くを見るような目をする。
「あのデパート前での『欧米傾倒の時潮を正し、商業主義に毒された拝金家どもを誅せよ』
  という演説は、今思い出しても泣ける」
  そんな演説をした覚えはないのだが、多分口から出任せに喚き散らしたのだろう。
  なんせバレンタインデーにチョコを貰う男どもも、そしてチョコを女の子に供給する
お菓子屋も許せなかった時期だから。
  当時の僕にとってのデパートは、敵性国の反政府ゲリラにこっそり武器支援をする
超大国そのものだったのだ。
  なんにせよ、泣くほど感動してくれたのなら、こちらとしても演説をぶった
甲斐があるというものだが。

「僕たちの革命が当局の不当な介入により頓挫した後、
  君は最後の手段として敵の兵站を断つ作戦に出たっけ」
  何となく思い出してきた。
  僕は、女の子に売るチョコレートさえ無くなれば、バレンタインデーを中止に持ち込めると
考えたのだった。
  そこで、小遣いのありったけを使ってチョコを買い占めようとしたのだ。
  一人十食を目指した玉砕戦法である。
  しかし彼我のロジスティクスの差を計算に入れてなかった僕たちは、ここでも敗退するに至った。
  所詮は小学生の貯金ごときで、大資本のデパートを敵に回すことなど不可能だったのだ。
  結果、僕たちは憎きデパートを潤しただけで、作戦を続行する能力を喪失してしまったのであった。

「残ったのは虚しさと、チョコの山だけさ。お陰で見たまえ、糖分の過剰摂取で
  こんな体になってしまった」
  ハート様はブクブクに太った我が身を見せ付けてきた。
  不貞不貞しそうな笑みを湛えた顔は、ニキビとその跡で埋め尽くされている。
  バカだ。
  真性のバカだ。
  僕は正直者でないにもかかわらず、とんでもないバカを見せて貰っている。
  たかだか10枚や20枚の板チョコを食ったくらいでここまで太るものか。
  こいつをこんなプロポーションにしたのは、単に運動不足と自制心の無さから来る暴飲暴食だ。
  それに僕はあの演説の中で、チョコの食べ過ぎによる虫歯と肥満の危険性にも触れていたはずだぞ。

 手前勝手な肥満児は、汚物を見るような目を僕に向けた。
「その君がどういうことだ。よりによってあの白鳥さんといい仲になるなんて」
  僕を取り囲んだ一角に、一際殺気立つ集団があった。
  白処会の構成員たちである。
  白鳥さんを愛でながら、自分のモノにすることは最初から諦めている哀れな人達だ。
  分をわきまえているのは結構なことだが「ならば、いっそ誰にも渡すまい」ってのは、
ストーカーの最終手段だぞ。
  かく言う僕だって、昨日までは彼らと同じ境遇にあった。
  それでも「彼女からコクられるかも」という妄想だけは、最後まで捨てずにいたのに。

「寺島くん。君はそのうえ生徒会長からもアプローチを受けてるそうだねぇ」
  如何にもマッドサイエンティストって風体の男が冷笑した。
  化学部の部長で白処会のリーダー、松戸博士だ。
  森永とは反対にガリガリの痩せ男で、薄汚れた白衣を着込んでいる。
「君が篁摩耶子を選ぶことを期待しているよ。
  我々とすれば、それで全ての懸案事項は解決済みとなる」
  松戸がボソボソ呟くのを森永が遮った。
「それでは寺島くんの裏切り行為を免罪することにはならないな」
  ハート様とすれば、相手が誰であろうと僕が女の子と付き合うこと自体が許せないのだ。
  伝説の男である僕が堕落するようなことになれば、彼らの精神的支柱は失われてしまう。
  その結果、全喪連が被る損害は計り知れないものになるのだから。

「とにかく寺島くんには両方から手を引いて貰う。それが最高幹部会議の決定事項だ」
  森永は悪魔じみた表情でそうのたまわった。
  本人の意思を排しておいて、決定事項も糞もあるまいが。
  だが、この状況下では言い返すことなどとてもできない。
  誰か一人でも激してしまえば、付和雷同した集団が一気に襲いかかってくるのは
火を見るよりも明らかだ。
  判断力や理性的思考の低下、無責任性や衝動性の高まり──
  群集心理の恐ろしさは、それを散々利用してきた僕が誰よりもよく知っている。
「どうか我々自らの手で、我々の英雄を葬るような真似だけはさせないでくれたまえ」
  昼休みの終わりを告げる予鈴をバックに、森永が僕に最後通牒を突き付けた。

 『バルバロッサ』を巡る地上げ話から、とんだややこしいことになってきたものだ。
  少し状況を整理してみよう。
  僕は白鳥さんが地上げ屋の用心棒をしているという秘密を知ってしまった。
  それを口外しないことを条件に、彼女は僕と付き合ってくれるという。
  白鳥さんの動きを反乱分子を糾合する準備であると察した摩耶子は、
僕を自陣営に取り込む策に出た。
  二者の共倒れを狙うスケバン・リエは、僕がどちらに付こうとも傍観者の立場を貫く構えである。
  逆に、全喪連は双方から手を引くよう干渉を掛けてきた。
  ざっとまとめるとこういう状況だ。

 さて、この状況をどの様に利用してやろうか。
  まず僕にとって、一番得になるのはどういう結果であるかを考えてみよう。
  この状況下で美味しい目となれば、白鳥さんを彼女にすることか、
もしくは摩耶子の下僕になることくらいか。
  しかしいずれにしてもリスクは高い。
  白鳥さんを彼女にすれば、生徒会に対して宣戦布告することになる。
  何より引っ掛かるのは、白鳥さんが本心から僕と付き合いたがっているのではないということだ。
  これでは付き合い始めたとしても上手く行くはずがない。

 それでは摩耶子の下僕になるのはどうだ。
  生徒会の傘に入れば、武道連盟や全喪連もおいそれと手は出して来られなくなるだろう。
  だが、いつまでも下僕の立場に甘んじるのは面白くない。
  僕にとっての摩耶子は、力ずくで屈服させるべき対象なのだから。
  と言って、クーデターを起こすのも面倒だ。
  だいたい生徒会に入れば、僕は白鳥さんと反対勢力に付くことになってしまう。
  あの可憐な美少女を失脚させるために、自分が持てる能力の全てを振り向けることを
余儀なくされるのだ。

 結局、どう転んでも僕には面白くない結果になりそうだ。
  できることなら全てを白紙に戻したい。
  しかしルーレットは既に回り始めている。
  今更僕だけが降りることはできないのだ。

 全ての選択肢を精査した結果、僕は最善と思える策を取ることにした。
  すなわち、白鳥さんからヤクザと連んでいる理由を聞き出し、彼女を呪縛から解き放つのだ。
  そうすれば白鳥さんが僕に接近してくる理由もなくなり、摩耶子の誤解も晴らせる。
  全喪連も安心して世の儚さを追求できるだろうし、これで万事めでたく解決だ。
  ただ一人、ロリエは当てが外れることになるが、だからといってあの女は舌打ち以上のことは
しないだろう。

 なんだ、結局は面倒臭いだけで、何一ついい目はできないのか。
  けど、なにより周囲の平穏を望む僕としては、これが取りうる最善の策だろう。

 となれば、まずは生徒会長に会って、正式回答までに少し時間を貰わねばならない。
  了解を得ずに白鳥さんに接近を図れば、摩耶子に要らぬ詮索をさせることになるから。
  僕の能力を高く買ってくれている摩耶子のことだ、敵に回ったと認識すれば
即時先制攻撃を掛けてくるだろう。

 そう思って本館4階に生徒会長を訪ねてみた。
  ところが肝心の摩耶子は学校を休んでいるというではないか。
  聞けば彼女にはリンパ系疾患の持病があり、月に一度、5日前後も寝込むらしい。
「ご用の向きは、私が承るよう申しつかっております」
  そう言って丁寧に頭を下げたのは、能面のように無表情かつ整った顔の少女だった。
  生徒会書記長の錦織千晃だ。
  1年生の身で参謀長役をこなすからには、相当の切れ者なのだろう。
  後で知ったのだが、この能面顔をした少女は学年トップの秀才とのことだ。

 所詮、副会長なんてのは、会長がミスした時の腹切要員である。
  僕が生徒会を敵に回すとすれば、実質的な相手となるのはこの子なんだろうな。
  向こうもそれを意識しているのか、僕を値踏みするようにジッと見詰めてきていた。
  表情を読ませないようにポーカーフェイスを保っているので、いよいよもって能面じみて見える。
  じゃあ、僕も彼女に習って情報の漏洩をシャットダウンすることにしよう。

 僕は出直すことを告げ、その場で回れ右をした。
  その途端──
「先輩のお噂はかねがね……楽しみにしていますわ……」
  ギョッとして振り返ると、能面少女が唇の両端を吊り上げていた。
  楽しみにしている?
  何をだ?
  一緒に働けることをか、それとも敵として火花を散らし合えることをなのか。
  ともかく、僕が摩耶子から入会を乞われた事実は、彼女の自尊心を大いに傷つけたことであろう。
  無表情を装った目の奥に、青白い鬼火が灯っていた。

 僕は書記長を無視して部屋を出ると、そのまま帰宅の途につくことにした。
  白鳥さんに会って話をするのは明日にしよう。
  今日は慌ただしい一日だった。
  体育以外で体を使っていないのに、とても疲れたような気がする。
  一日に二度もピンチになるなんてのは、精神衛生上よろしくないのだ。

 

 ところが、帰宅するなり三度めのピンチが襲いかかってくることになった。
「サトシ……また…例のニオイ……」
  ウルスラは僕の口元に顔を近づけると、鼻をクンクン鳴らし始めた。
  うひゃっ、今日は大丈夫だろうと安心していたら、ロリエのことを忘れていた。
「今回は……乳腺の…臭いが…」
  ウルスラの鼻に仕込まれた臭気センサーは、僕がオッパイの谷間に顔を埋めたという事実を
あっさり看破してしまった。

 ウルスラと並んで立っていた真理亜が、目を三角にして掴みかかってくる。
「信じられませんっ。あなたって人は……もしかして、私を怒らそうと
  わざとやっているのですかぁっ」
  真理亜こそ酷いぞ、ウルスラを臭いチェッカーとして利用するなんて。
  やばい、そのうえ拷問マシンとしても利用するつもりでいるぞ。
「ウルスラちゃん。構わないからやっちゃいなさい」
  真理亜のお許しが出た途端、ウルスラはブラウスの前をガバッと開けた。
  ボンと飛び出す夕張メロンオッパイ。

 久し振りに、キタァ────ッ。
  と喜んでいたら、いきなり真理亜が僕の後頭部を鷲掴みにした。
  そして恐怖に歪んだ僕の顔をオッパイの谷間に思いっきり叩き込んだ。
  うわっぷ──
  僕の鼻先はコシと柔らかさを両立させた奇跡のオッパイに挟まれ、呼吸を完全に止められた。
 

「オラ、オラ、オラァ」
  失神しそうになるたび、真理亜が僕をオッパイから引き剥がす。
  そして、最小限の息継ぎだけさせてから再び胸の谷間に叩き込む。
  真理亜の顔はいびつに歪み、あのママゴトの惨劇の時同様、狂気に満ち溢れていた。

 嬉々とした真理亜とは対照的に、ウルスラは澄まし顔を全く崩していない。
  けど、そんな「私は道具として使われているだけで、何も知りません」って顔してても無駄だぞ。
  僕が窒息死したらウルスラ、君も殺人の共犯になるんだからな。
  あぁ──とにかく、もうオッパイはこりごりだぁ。

 僕は闇に溶けていく意識の中で、そんな昭和40年代のギャグマンガのオチみたいなことを
考えていた。

10 -サムライガールと能面女-

 真っ赤に染まった目をしばたかせながら、僕は学校へと向かっていた。
別にウサギの呪いに掛かったわけじゃない。
長時間に渡って酸素の補給を止められたため、白目の毛細血管が破れてしまっただけだ。
それも、美少女メイドのオッパイの谷間に顔を埋めるという、喜んでいいのか悪いのか
よく分からない状況でね。

 あのオッパイはヤバイと前から思っていたけど、不幸にも悪い予感が的中した。
なにせ弾力は充分あるくせにお餅みたいに柔らかいという、矛盾に満ちた奇跡のオッパイなのだ。
それが僕の鼻の穴にピッタリ吸い付いて、空気の吸入を完全に遮断してくれた。
いやはや、全く怖ろしい殺人兵器だ。

 アレに匹敵する武器となると、切れ味鋭く折れにくいという二律背反する長所を両立させた
日本刀しか思い浮かばない。
攻撃力の高さといい、高度にソフィスティケイトされた外見といい、
両者はなかなかいい勝負をするのではないかな。
昨夜はそのオッパイに完敗したわけだが──いや洒落ではなく。
下手をすると、今日はもう一方とも勝負する羽目になるかも知れない。
そう、今日予定している白鳥さんとの交渉にしくじれば、彼女とは敵対関係になってしまうのだ。

 真剣による電光三段突きはもちろん怖ろしいが、そのうえ武道系クラブを
漏れなく敵に回すことになる。
オーダー66を発動されたジェダイみたく、気配すら感じぬまま背後から
切り捨てられるおそれだってあるのだ。
それは決して白鳥さんの望むことではないのだろうが、この際彼女自身の意思は全く考慮されない。
だから白鳥さんと敵同士になったら、僕は即座に生徒会室へ駆け込まねばならない。
そして摩耶子に忠誠を誓うのと引き替えに、生徒会の傘に入れてもらうのだ。

 生徒会に入るのはいいとして、僕は摩耶子の手先として白鳥さんの失脚に全力を尽くせるだろうか。
答えはノーだ。
第一、白鳥さんは神輿として担がれているだけで、彼女個人としては僕はおろか
生徒会とだって敵対するつもりはないのだ。
そんな美少女をなんで貶めたりできようか。
生徒会に逃げ込むのはディフェンスを固めるための方便に過ぎない。
身の安全を確保したら、その後でじっくり必勝の策を練るとしよう。

 その日の昼休み、僕は校舎の屋上で白鳥さんと会見の場をもった。
白鳥さんをヤクザの呪縛から解き放つため、彼女から真実を聞き出そうとしたのだ。

「この前の話だけど、やっぱり遠慮させてもらうよ。白鳥さんと僕じゃ、
どう考えたって釣り合わないから」
僕は頭を掻きながら、白鳥さんの足元に視線を落とした。
なにしろ、女の子を振るのは初体験である。
そんな僕に相手を正視する余裕があるわけないだろ。
「そんな……私、もしかして失恋したの……」
チラリと上目遣いに彼女を見ると、顔面が蒼白になっていた。

「つか、元々僕のこと好きでも何でもないでしょ?」
白鳥さんはヤクザとの関係をを黙って欲しくて、僕に接近を図ったんだもの。
こっちのことを好きでもない女の子にコクられても、それを恋愛に発展させるような技量は
持ち合わせていない。
「それに、やっぱり『バルバロッサ』を裏切るなんてできないよ。
敏郎爺ちゃんは家族も同然なんだから」
白鳥さんの頬は完全に血の気を失っていた。
自分と付き合えるとなると、大概の男は言いなりになると思っていたのだろうか。
そこまで行かなくても、それなりの自信は持っていたはずである。

「それよりもっと建設的な話をしようよ。例えば、どうしたらヤクザに握られた弱味を
無効化できるかとか」
途端に白鳥さんがビクッと身震いした。
分かりやすい人だなぁ。
「握られてるんでしょ、弱味。協力するから一緒に戦おうよ」
僕はようやく彼女の目を正視することができた。
だが、今度は逆に白鳥さんが俯いてしまった。

 長い沈黙が続く。
白鳥さんは口をつぐんで俯いているままだ。
きっと心の中で葛藤と戦っているのだろう。
黙って見守っていると、彼女の白磁のような頬にほんのり赤みが差してきた。
いい傾向だ。
と思っていると、いきなり白鳥さんが顔を上げた。
その顔に迷いの色は無い。
早速作戦会議を持ちかけようと思ったら、彼女がとんでもないことを口走った。

「分かったわ、寺島くんのこと諦める。摩耶子さんと仲良くしてね」
白鳥さんはそう言ってニッコリ笑った。
ちょっと待てって。
そんな簡単に諦めないで。
改めて白鳥さんを見ると、先程まで青ざめていた頬が桜色に染まっていた。
やばい。
臨戦態勢に入った?
僕は彼女が丸腰なのを確認すると、今がチャンスとばかりその場を逃げ出した。

 くそっ、こんな筈じゃ。
これじゃ説得も糞もあったもんじゃない。
だいたい僕の回りの女どもは、どうして人の話を聞こうとしないんだ。
とにかく僕が白鳥さんを敵に回してしまったことは間違いない。
これでいつ武道連盟に襲われてもおかしくない状況に陥ったわけだ。
こうなったら予定通り、生徒会室に逃げ込むしかない。

 僕は本館に走り込むと、エレベーターを待つのももどかしく階段を駆け上がった。
息もつかずに4階に到達する。
そして突き当たりのドアを蹴破るようにして生徒会室に転がり込んだ。

「2年B組、寺島俊。摩耶子さまの御為に粉骨砕身、奮励努力するべく、
全身全霊を捧げる覚悟でまかり越しましたぁっ」
僕は恥も外聞もなく、会長席に向かって土下座した。
ところが、いつまで待ってもお声が掛からず、面を上げるお許しが出ない。
もしやと思って勝手に顔を上げると、そこに摩耶子さまはおいでになられなかった。
代わりに、書記長の錦織千晃が笑いを噛み殺したような顔で座っていた。
「…………」
エアコンの冷気が、汗ばんだ肌を急激に冷やしていく。

「寺島先輩、会長は今日もお休みです。とにかく土下座はもう結構ですから」
勝ち誇ったような口調で錦織書記長がのたまわった。
僕は弱々しく立ち上がると、卑屈な笑顔で気まずさを取り繕う。
それを待って錦織が口を開いた。
「で、生徒会に入って下さるというのは本当なのですか?
会長のため、全身全霊を捧げるお覚悟とか」
嫌な女だ。
僕の恥ずかしい台詞を一言一句漏らさずに覚えてやがる。

「ははぁっ、微力ながらも全力を尽くさせていただく所存なれば」
僕はここが我慢のしどころと、再び頭を下げた。
とにかく生徒会の傘に入らないことには、身の安全は保証されない。
錦織は「ふぅ〜ん」という風に、小さく何度か頷いた。
くそ、勿体つけやがって。
どうせオッケーするのならさっさとしろ。
と思っていたら、能面女の薄い唇の間からとんでもない言葉が漏れ出した。
「先輩の志は了解しました。早速、週末の幹部会議に諮り、審議させていただきます」

 こらぁ、ちょっと待てぃ。
週末って──今は水曜日の昼休みなんだぞ。
2日半ってのが何秒あるのか、お前なら換算するくらい朝飯前だろうが。
通常人が僕を殺すのに、10秒もあればお釣りが来るんだぞ。
威張って言うようなことじゃないが。

「では、取り敢えず見習いとして、今から千晃さまの下働きを。
肩揉みでも、乳揉みでも……何なりとお申し付け下さいませ」
僕は後輩の歓心を得ようと、その場に這いつくばった。
しかし錦織の返答は。床のPタイルよりも冷たかった。
「私には人事を決定する権限などないのです。摩耶子さまがお出ましになってから、
正式に検討させていただきます」
能面女は吹き出しそうな顔になり、僕にお引き取りを願った。

 これは何の嫌がらせなんだ。
一昨日の保留を根に持って、同じ保留で意趣返ししているのか。
あるいは僕の頭脳を底値で買い叩くための、組織的な政治判断なのか。
それとも僕が摩耶子から誘われたことで錦織の自尊心を傷つけ、
彼女の個人的な恨みを買ってしまったのか。
まさか、僕一人を武道連盟と争わせ、自分たちは高みの見物を決め込もうって腹じゃあるまいな。
ともかく、僕は生徒会の後ろ盾を得られないまま、荒波がうねり狂う大海に
放り出されたのであった。

 これはやばいことになってきた。
とにかく武道連盟の攻撃から身を守るため、どこかに身をかわさなくてはならない。
不良グループは中立を守るとのことだから、あてにはできない。
ここは不本意なれど、全校喪男連合を頼るほか手段はない。
一時的に全喪連に身を投じ、生徒会と武道連盟の共倒れを待つしかないのだ。
幸いと言うべきか、僕は喪男どもの間じゃ伝説の勇者さまなんだ。
僕は残り少なくなった昼休みの時間を気にしつつ、全喪連の牙城である視聴覚室へ急いだ。

 しかし、この時僕はまだ知らなかったのだ。
白鳥さんの本当の恐ろしさを。
まさか彼女があんな手段を講じてくるなんて。
全喪連は巨大だが、決して一枚岩とは言えない合議制の連合組織である。
そんなものに盤石の備えを求めてはいけなかったのである。

「あぁ、寺島くん。全喪連は無期限活動停止になったから」
そう教えてくれたのは相好を崩した松戸博士だった。
お前ら、なにサザンを気取っているんだ。
いったいどういう訳かと尋ねたら、とんでもない答えが返ってきた。

「そりゃ君ぃ、あの白鳥さんから直々に『我を助けよ』と命じられたんだ。
僕たちが従わずにおれないのは当然じゃないか」
松戸は至福の表情を浮かべて答えた。
白処会として、これ以上の現世利益があろうか。
中には感極まって泣いている者すらいる。

 やばい。
白鳥さんは全喪連の一派「白鳥毬乃の処女を死守する会」に働きかけて、
連合組織の結束を崩しに掛かってきたのだ。
あんなに毛嫌いしていたストーカー組織にである。
その結果、松戸は良心の呵責など全く感じぬまま武道連盟に寝返り、
全喪連は組織としての機能を喪失した。
これで僕は手駒にできる唯一の兵力を失ってしまったのである。
恐るべき政治センスを秘めた、鮮やかな先制攻撃だった。

 これまで白鳥さんと武道連盟の意図するところは別であった。
少なくとも彼女に武道系クラブをまとめて、生徒会に宣戦布告する意思など無かったはずである。
それが、僕と敵対関係になった途端、積極的攻勢に打って出た。
白鳥さんは自分の秘密を白日に晒そうとした僕を、生徒会ごと全力を挙げて
葬り去る決意をしたに違いない。
「お陰で全喪連は分裂だよ。当面は活動を停止して成り行きを見守るしかないだろうね」
全喪連の首魁、「永世毒男同盟」を率いる森永明治が吐き捨てるように言った。

 それから放課後までの時間は異様に長く感じられた。
休み時間はトイレに駆け込み、掃除の時間は当番でもないのに職員室の窓拭きを自らかって出た。
とにかく身の安全を図るには完全に身を隠すか、もしくは逆に大勢の中に紛れるしかなかったのだ。
そして──あの忌まわしい事件が起こったのは、ホームルームが終了した直後だった。

「あれっ、あたしのサポーターがない。バッグの中に入れといたのにぃ」
いきなり金切り声を上げたのは、女子柔道部の田村だった。
半泣きになった顔はお世辞にも可愛いとは言えない。
なにせ彼女は鬼瓦そっくりの顔をしており、陰ではGAWARAちゃんの隠し名を与えられているのだ。
「うそぉ、男子の誰かが盗んだんでしょ」
女子どもが大騒ぎを始めたが、僕はほとんど興味を失っていた。

 よりによって田村のインナーショーツを盗むなんてマヌケな泥棒だ。
同じ盗むにしても、女子レスリング部の山本さんのを狙うってのなら共感できる部分もあるが。
よく見ると、騒いでいるのは柔道部に合気道部それに剣道部の女子ばかりだ。
こういう時って、モテない不細工ちゃんほど目くじらを立てるモンだ。
と笑っていたら、なにやらおかしな流れになってきた。

「5時間目と6時間目の間にみんなと居なかったのって……寺島くんだけだよね」
そりゃそうだ。
その時間帯は旧校舎のトイレに潜んでいたんだからな。
「それってぇ……もしかしてぇ……」
女子どもの白い目が、一斉に僕の方に向いた。

「あったよ、涼子のサポーター」
悲鳴に近い叫び声が上がった。
声がした方を見ると、今度は僕が悲鳴を上げる番だった。
なんと、僕のカバンの中から、覚えのないサポーターが出てきたではないか。
「へ、変態よっ。変態だわっ」
「きぃぃっ、許せないっ」
最初は女子の5分の1ほどだった勢力が、知らないうちに膨れあがっている。
しかも、武道系クラブに席を置く猛者ばかりだ。
危険だ。
弁解する前に口を封じられると判断した僕は、開けっ放しになっていたドアから廊下へ走り出た。
そのまま全速力で駆け出す。

「逃げたわっ」
「罪を認めたも同じよ」
「とっちめてやりましょ」
普段男と絡む機会がない分、こういう時の連中は実に生き生きとしている。
迫力満点、命懸けのチェイスが開始された。

 早々に白鳥さんの第2次攻撃があると覚悟していたが、まさかこんなベタな手とは。
ベタだが、しかし有効ではある。
僕の名誉を地に落とし、同時に肉体を叩く正当性を獲得できる一石二鳥の戦術だ。
猛り狂ったメスゴリラどもに捕まれば、只では済まないだろう。
何とか逃げなきゃ。
しかし、白鳥さんのことだから、校門はとっくに封鎖されているに違いない。
さして広くもない学校であり、逃げ回っていてもいつかは捕まってしまう。
このまま反撃の機会すら与えられずに、僕は早くも舞台から降りることになるのか。

 いよいよ息が切れ、もうダメだと思った時である。
フッと身体が軽くなり、宙に浮くような感覚に包まれた。
「どこ行ったの」
「絶対逃がさないでっ」
数拍おいて、追撃者の群が地響きを立てて眼下を走り過ぎていった。
もちろん僕は幽体離脱したわけではなく、何者かによって用務員室の屋根に
引っ張り上げられたのだった。

「よう、色男。凄まじいモテぶりだな」
命の恩人、スケバン・リエが白い歯を見せた。
彼女は用務員室の屋根の上で騒ぎを知り、逃げてくる僕を掴み上げてくれたのだ。
けど、こんな良いタイミングで現れるなんて。
そもそも、この人はいったい用務員室の屋根で何をしていたのだ。
豊満な肉体に貼り付いてる赤いビキニから察するに、授業をサボって日光浴というところか。
久し振りに学校に出てきたと思ったら、授業にも出ずリゾート気分満開かよ。
学校でビキニとは、全く行動パターンの読めない女だ。
まぁ、無粋なスク水より余程似合っているのは確かだが。

 いかん、ピンコ立ちしてきた。
それが面白いのか、ロリエはこれ見よがしにエロいポーズを取って挑発してくる。
右の内腿に描かれた真っ赤なバラのタトゥが全開になる。
おまけにビキニパンティの裾から、はしたない紐までがさつにはみ出している。
それでも心配していた腋の下は、予想に違い綺麗に処理されていた。
こんなにサービスしてくれてるんだから、こっちもピンコくらい出さなきゃ
失礼にあたるんじゃなかろうか。
ジッパーを下ろそうかどうか迷っていると、残念ながらサービスタイムが終了した。
ともかく、今は礼を言うのが先だろう。

「いやぁ、助かりました。流石、義侠心に篤い番長は、常に弱い者の味方でいらっしゃる」
僕は窮屈になったズボンの前を直しながら、ヘコヘコと頭を下げた。
「で、番長はこんなところで何を……出席日数の方は大丈夫なんで?」
僕は心底から心配している風を装って問い掛けた。
ロリエに感謝しているのは事実だが、その将来まで心配してやる義理はない。
「心配いらねぇさ。いざとなりゃ、校長のロリコンスキャンダルでもチラつかせてやらぁね。
そしたら首席卒業よ」
分かっちゃいたけど、こういう人なのである。
心配するだけ損なのだ。

「それよか、おめぇ……自分の心配をしたらどうなんだ。明日から変態パンツドロとして
新キャラデビューする気か?」
それも面白そうだけど、やっぱり分不相応だから却下する。
僕はお笑いができるような面白味のある人間じゃないんだ。
第一そんないかがわしいキャラ、あの厳格なシスター・マリアが許してくれるはずない。
「じゃあ、今どき流行んねぇけど引き籠もりでもすっか?」
ロリエはニヤニヤ笑い、ショートホープに火を付けた。
「いやぁ、引き籠もりはちょっと……」
24時間、あの騒がしい娘たちと居ることを考えただけで軽くめまいがする。

「まぁ、大したことじゃないッスよ。冷静になって考えてみれば」
だいたいこの僕には、田村のばっちいサポーターなんか盗む理由がないのだ。
はえなわ漁法みたく他にも美味そうな餌がぶら下がってるというのに、
なんでよりによって一番のハズレを引くものか。
おみくじで言ったら、大凶が当たるよりまだ酷い結果が出たことになる。
「けどオメェがブス専って線もあるぜ。そういう噂が立つのもコミとしたら、
なかなか抜け目のない戦術だ」
ロリエは愉快そうに目を細めて笑った。
「悪質で、そのうえ容赦がない。あの毬乃って女も、可愛い顔して結構えげつないじゃねぇか」

 ロリエは気に入ったように白い歯を見せたが、当事者にすればたまったもんじゃない。
変態呼ばわりされても事実だから我慢できるが、ブス専は死んでも認められん。
僕はかなりの面食いなんだ。
美的センスを疑われるような噂は、断じて許すわけにはいかないのだ。
噂が静まるまで放置するつもりだったが、こいつは早々に疑いを晴らさねばならないようだ。
と思ってたら、丁度いいタイミングでメスゴリラの集団が戻ってきた。

 僕はそれを見てすっくと立ち上がる。
「おっ、やるのかい?」
ロリエはお手並み拝見とばかり、軽くアゴをしゃくってみせた。
見ると、興味津々顔になっている。
なんのことない、僕はまんまとロリエに乗せられてしまったのだ。
まぁ、なんとかやってみましょ。

 僕は雨樋を伝って屋根から降りると、女どもの真っ正面に仁王立ちになった。
「いたわよぉっ」
「殺せぇっ」
僕を見つけた女どもが一斉に速度を上げた。
ドドドドッと地響きが轟き渡る。
あぁ、これはあの風の谷の姫さまが、猛り狂う巨大虫の群を前に
たった一人で立ちはだかったのと同じシチュ。
この時、僕は姫さまの感じた恐怖を、ほんの少しだけだが理解できたような気がした。

「ごめんなさいっ」
モアイ像そっくりな女に掴みかかられる寸前、僕は膝を折って土下座していた。
「ごめんなさい。二度としませんから、今回ばかりはお慈悲を」
反論も弁解ない、ただひたすらの謝罪であった。
弁解する僕を殴ろうと思っていたモアイ女はいきなり予定を狂わされた。
岩石みたいな拳を振り上げたまま、どうしたものかと固まってしまっている。
まさか僕が罪を認め、謝ってくるとは思ってもみなかったのだ。
こいつら台本なしではお芝居できない堅物らしく、全くアドリブが効かないでいる。
それでも何とか筋書きを元に戻そうと必死に喚く。

「ゴ、ゴメンで済んだら警察は要らないのよ。なんで涼子のサポを盗んだのっ?」
自分たちで仕組んでおいてよく言うよ。
「そ、それは……田村さんのこと……す、好きだから……」
僕がどもりどもり言った瞬間、GAWARAちゃんの顔がハッキリと朱に染まった。
生まれて初めての告白に、我を忘れて狼狽えてる。

「ちょっと、勘弁してもらおうとしていい加減なこと言わないでっ。
だいたい涼子のどこがいいっていうのよ」
相方のモアイが吼え立てた。
事態が一向に正常化しないことに苛立ちを隠せないでいるのだ。
「その……道場で練習に打ち込んでる真摯な姿とか……それに、涼子さんがふとした時に
見せる笑顔って可愛いよね」
その台詞に鬼瓦が炎上した。
その炎によって足元がトロトロに溶け始めている。

「口から出任せ言ってるんじゃないわよ。ダメよ涼子、こんな口先男に騙されちゃ」
親友の声も、いったん溶け始めたGAWARAちゃんを元に戻すことはできない。
「う、うん……けどぉ……」
「けど、じゃないでしょ。だいたい涼子がそんなにモテるわけないって、
自分が一番良く知ってるじゃないのっ」
イライラしたモアイは、とうとう禁断の台詞を吐いてしまった。
「ちょっと、それどういうこと。アンタ、あたしが男子から告白されたのが
そんなに気に入らないのっ?」
GAWARAちゃんがモアイを睨み付けた。

 久し振りの嫉妬成分、キタァ────ッ。
けどこの2人が演じるんじゃ、さしずめ往年の怪獣映画『サンダ対ガイラ』ってとこだな。

「なんですって、涼子が親友だから言ってあげてるのにぃっ」
「自分がモアイ像だからって、あたしに嫉妬しないでっ」
「鬼瓦には言われたくないわっ。だいたいアンタのサポなんて欲しがる奇特な男子、
いるわけないじゃん」
あれっ、簡単に吐いちゃいましたよ。
欺瞞に満ち溢れた女の友情など、所詮こんなものでしょ。

「その気にならないでっ。アレは寺島くんを陥れるために、あたし達が仕組んだお芝居でしょうが」
モアイは優位に立とうとするあまり、言ってはならない秘密を明かしてしまった。
それに気付きつつ一向に悪びれないモアイに、女の恐ろしさが垣間見えた。
心底キレたモアイにとって、もはや作戦も糞もなかったのであろう。

「やっぱりね。盗まれたのが涼子のサポなんて、おかしいと思ったのよ」
声のした方を見ると、雌豹のような女が腕組みしていた。
女子レスリング部の山本瀬路奈である。
父親がバルセロナ五輪の選手候補にまでなった人で、自分の果たせなかった夢を娘に託し
瀬路奈と名付けたと聞く。

 ちょっと上体の筋肉量が多いのが難点だが、充分美女の部類に入る。
レスリングの選手なのに、長く伸ばした髪にパーマを掛けている。
僕としては、そんな彼女の“らしからぬ”ところにさり気ないシンパシーを感じてしまうのだ。
ついでに言うと、彼女が属する女子レスリング部は生徒会派であり、
自身も摩耶子のお気に入りであったりする。
それは彼女が風紀委員会の特別執行隊を任され、
独立した司法権限を付与されていることからも分かる。

「で、寺島くんはどうしてサポ盗んだのが自分だなんて認めたわけ?
やってないなら、ちゃんと争うべきじゃないの」
瀬路奈は猫科の肉食獣を思わせる笑顔になると、ペロリと舌なめずりした。
「いやぁ……あの勢いじゃ、まともに取り合って貰えそうになかったし……それに……」
僕は照れ臭そうに頭を掻く。
「皆が田村さんのサポなんか狙うもんかって顔してたから。やっぱ悪戯だったとなれば彼女、
笑い者にされちゃうでしょ」
僕は曖昧な笑顔を作ると、瀬路名からGAWARAちゃんへ視線を移した。

「って、アンタは涼子に恥をかかせるよりは、自分が悪者になる道を選んだって言うの?」
瀬路名は呆れかえったように溜息をついた。
腕を組み直すと、信じられないという風に何度も首を捻る。
「ゴメンね田村さん。好きだってのは嘘だけど、柔道やってる時の田村さんって
カッコイイと思うよ。これからも頑張ってね」
僕は改めてGAWARAちゃんに頭を下げた。

「なんだ、鬼瓦のご乱心かよ」
「あつはなついねぇ」
口々に言いたいことをいいながら、無責任な観衆は解散していった。
GAWARAちゃんとモアイは互いに肩を寄せ合い、しゃくり上げながら去っていく。

 チラリと用務員室の屋根を見ると、そこに人影はなかった。
僕の戦術は、ロリエの目にどの様に映ったであろうか。
取り敢えずは殴られもせず、品格も落とさずに済んだのだから、甘く見積もって60点ってところか。
マイナス要素の40点は何かって?
そりゃ、あのGAWARAちゃんから好意を持たれてしまったことに決まってる。
あぁ、ロリエに急かされなかったら、もっといい手も思いつけたのに。

 ふと視線を地面に戻すと、雌豹が生徒会の能面女と話しているところだった。
「結構いい奴じゃないか。寺島俊は」
瀬路奈が錦織に耳打ちしているが、声が大きいので筒抜けになる。
「人がいいのは……先輩もですけどね」
錦織が唇だけでそう呟くのが見えた。
人を小馬鹿にしたような目がこちらを向く。
そして僕と視線が合った途端、冷たい能面顔がクスリと笑った。
その不気味な笑顔が、何故か脳裏に焼き付いてしばらく離れなかった。

 

 今日はフラフラになりながら帰宅の途についた。
世界水準の走りを続けた僕に余力はなく、歩くのさえ億劫だった。
全く、実力以上の体力を使うもんじゃないな。

 鉛のような身体を引きずって何とか我が家へ辿り着くと、玄関前にウルスラが立っていた。
夕日を浴びた無表情な顔は、いつもよりムスッとしているようである。
「サトシ……また…女の臭い……いっぱい……」
せっかく今日を生き延びたというのに、前門の虎、後門の狼かよ。
無慈悲なアンドロイドの手が僕の両肩を掴んだと思うと、もの凄い力で抱きしめてきた。
ぐ、ぐるじぃ……絞め殺される?
僕が死を覚悟していたらウルスラが口を開いた。
「また真理亜……怒る……だからウルスラの臭い……いっぱい……付ける……」

 なんと、ウルスラは他の女の体臭を隠すため、自分の臭いを上書きしているのだ。
真理亜の嫉妬から僕を守るために。
僕は急にウルスラが愛おしくなり、申し訳ない気分でいっぱいになった。
「最近…サトシ……構ってくれない……このままでは…ウルスラ……壊れる……」
僕を抱きしめたまま、ウルスラは男の庇護本能をくすぐるような可愛らしい台詞を呟いた。

 そう言えば、ここのところ忙しくてウルスラに構ってやれなかったな。
よし、今は無理だけど、この戦いが終わったらみんなで海に行こう。
お弁当持って、どこか静かなシークレットビーチにでも。
そこで夏の太陽をいっぱいに浴びて、脳みそがウニになるくらいバカはしゃぎするんだ。
疲れたら椰子の木陰に寝そべり、波の音を聞きながらゆっくりとお昼寝するのもいい。

 でも、今は病院へ行き、ベッドに寝そべるのが先だ。
だって君の殺人オッパイが、僕の呼吸を完全に止めちゃっているんだから。

To be continued.....

 

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