「やったぁ!」
私、日野桜は嬉しさの余り小躍りしてしまった。
死ぬ気で告白した大之木大樹くんから、オッケーがもらえたのだ。
今日からどちらか一方が相手をフるその時まで、二人はカップルとなるのだ。
私が大樹くんをフることなんて考えられない。
もし、二人に破局が訪れるとすれば、それは私が大樹くんにフられる時だ。
けれどもそんなことは起こりっこない。
大樹くんに好かれるためなら、私はなんだってするつもりでいる。
髪型や服装だって、大樹くんの好みに合わせて彼の気に入るように変わってみせる。
もしも大樹くんが望むなら、メイドだって猫耳だって辞さない構えだ。
私はそこまで大樹くんのことが好きなのである。
ハッキリ言って大樹くんは特別に格好いい男の子じゃない。
格好悪いというんじゃないけれど、クラスには「キモい」なんていう子もいるのは確かだ。
けど、私は知っているから。
外見では窺い知れない彼の優しさを。
雨の日に見つけた捨て猫に、こっそりミルクをあげている姿…
「ウチじゃ飼えないから…ゴメンな」なんて謝っている姿…
そんな大樹くんを見ているうちに、私は段々と彼のことを好きになってしまったのだった。
ところが大樹くんと付き合うには強力なライバルがいた。
白鳥若葉…大樹くんの幼馴染みだ。
幼馴染みだけあって二人は本当に仲が良く、お似合いのカップルに見えた。
私なんかが付け入る隙は無さそうだった。
しかし大樹くんのことを諦めきれない私は、まず若葉と仲良くなることにした。
少しでも二人のことについて知ろうと思ったのだ。
そして充分に親しくなった1月の終わりごろ、彼女にある問い掛けをしてみた。
「もうすぐバレンタインデーだね。若葉は誰かにチョコあげるの?やっぱ、大樹くん?」
すると若葉から思いもかけなかった返事が返ってきた。
「あげるのはあげるけど…あんなの義理チョコ。なんて言うか、まあ年中行事の一つだね」
若葉はケラケラと笑って答えた。
私も大声を上げて笑った。
これが笑わずにおれようか。
私が大樹くんに告白したのは、それから3日たった放課後だった。
大樹くんはその場で返事をくれなかった。
その辺りの慎重さが如何にも彼らしい。
そして彼が真剣に考え抜いた末に出した答えは「オッケー、こちらこそ」だった。
* * * * *
私たちが付き合い始めてから、そろそろ一ヶ月になろうとしていた。
デートも何回かしたし、手を握って下校するようにもなっていた。
呼び掛けにも「大樹」「桜」と互いにファーストネームを使っている。
しかしまだキスもしていない。
今どきの高校生としては珍しい部類に入るのかも知れない。
けど、私は大樹くんとは真剣なお付き合いをしようと考えていた。
二人の関係はゆっくり進めていこうと思っていたのだ。
大樹くんも同じ考えでいてくれているらしく、ガツガツしたところなど見せなかった。
それが私には本当に嬉しかった。
それでもさすがにそろそろ次のステップに移っても善い頃だろう。
私だっていつまでも中学生みたいな恋愛関係では寂しすぎる。
「そろそろキスくらいいいよね」
次の日曜日には彼と映画を見に行く約束をしている。
その帰りに公園の展望台に誘ってみよう。
あそこならいい雰囲気になれるし、自然な流れでキスできるに違いない。
どんな感じでキスするのか考えているだけで胸がドキドキと高鳴るのが分かる。
「やっぱり、私…その時になったらふるえちゃうのかな」
そんなことを考えている時、若葉が深刻そうな顔つきで教室に入ってきた。
若葉とは、大樹くんと付き合い始めてからも仲良くしている。
一時はギクシャクしたこともあったが、それは彼女の日常のバランスが崩れたせいだったのだろう。
新しい環境に慣れると、私たちの交際をまるで自分のことのように祝福してくれた。
本当に素晴らしい友達…まさに一生ものの親友である。
その若葉が深刻な顔で私にお願いをしてきたのだから、放っておくことはできなかった。
「あのね…他ならぬ桜だからお願いするんだけど…」
若葉はモゴモゴと口籠もった。
「なによ、水くさいわね。私たち親友じゃないの」
私は本心からそう言って若葉に先を促した。
「じゃあ…親友に甘えることにする」
そう前置きして若葉が語ったのはとんでもない話だった。
「えぇっ、キスの練習台になれって?」
私の出した大声を、桜は人差し指を自分の口元に添えて制する。
「私の後輩にあたる子なんだけど、その子が今度彼氏と初キッスなのよね」
若葉はウンザリした様子で天を仰ぎ、申し訳なさそうに先を続ける。
「で…その子にとってファーストキスになるんだけど、彼氏の前で恥をかきたくないっていうの」
その彼氏というのが結構進んだ人らしく、キスの下手な女など一発で捨ててしまうらしい。
だから事前に練習して、少しでも上手なキスができるようになっておきたいというのである。
「私が相手になってやる約束してたんだけど…どうにも外せない用事ができちゃって」
若葉が両手を合わせて私を拝む。
そんなこと言われたって、私に同棲愛の趣味はない。
女い同士のキスなんて、考えるだけで寒気がする。
「幾ら何でもダメだよね。ごめん、忘れてちょうだい」
若葉が申し訳なさそうに頭を下げた。
親友のそんな姿を見ていると何だか申し訳ない気持ちになってくる。
それにキスの練習というのには激しく興味をそそられた。
私自身が次の日曜日には大樹くんと初キッスする予定なのだ。
「いいわ、若葉。親友の頼みだもの…私が代打で出てあげる」
そう言った途端、若葉の顔がパァッと輝いた。
「ほんと?恩に着るわ。放課後、体育館の裏で待ってるように言ってるから」
若葉は嬉しそうに飛び跳ねながら私の両手を握って上下にゆさ振った。
そんな姿を見ていると、私までが嬉しくなってきた。
* * * * *
「あっ、桜せんぱぁい」
指定された時間に体育館裏へ行ってみると1年生の女子生徒が待っていた。
小さい体でピョンピョン跳びはねながら、私に向かって手を振っている。
なかなかに可愛らしい子である。
「今日は貴重なお時間をいただき、本当にありがとうございます」
彼女は屈託のない笑顔になり、ペコリと頭を下げる。
つい釣られて私も頭を下げてしまう。
「じゃあ…さっそく先輩の唇、頂いちゃっていいですかぁ?」
なんか語弊のある言い方ではあるが、早く済ませないと大樹くんの下校時間に間に合わない。
それにこんな所を誰かに見られでもすれば一大事である。
人気のない体育館裏だからといって、誰も来ないとは限らないのだ。
しかし、私は何をどうやっていいものか分からず、後輩の子と向き合ったまま突っ立っていた。
「ところで先輩…先輩はキスしたことあるんですかぁ?」
見るとその子は、私をバカにするようにクスクス笑っていた。
私はムッとしながらもそれに耐え、後輩の肩を抱いてグッと引き寄せてやった。
後輩は嫌がるどころか、尖らせた唇を私に向けて突き出してきた。
「ふ…振りだけだから…ホントにはしないからね」
私はそう忠告すると、同じく唇をぎこちなく尖らせる。
そして彼女の唇スレスレにそれを近づけた。
そのまましばらくジッとしている。
その時であった。
「こんなんじゃよく分かんないなぁ…先輩、ゴメンね」
後輩はそう言うと、私の唇に自分の唇を重ね合わせてきたのだ。
声を上げる暇もなかった。
逃げようとしても、首に巻き付いている両腕がそれを許さない。
ものすごい嫌悪感が私の全身を押し包んだ。
そのうち後輩は強引に舌先を私の口の中にねじ込んできた。
舌と舌がネットリと絡み合う。
「む…むむぅ…」
こんなキスが本当に未経験者のものなのであろうか。
心では嫌悪しているのにもかかわらず、体はとろけそうになっている。
膝がガクガクして立っていられない。
その時、私は背後に人の気配を感じたような気がした。
しかし、振り返って確かめるような余裕などとてもなかった。 |