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A HOLY NIGHT(仮)

第1回


1

「…うん、大丈夫。そっちはどう?
……そう、それなら6時に公園の噴水の場所で。遅れないでね?
…うん、期待してて。それじゃまたあとで」
電話を切って時計を見ると、時刻は4時を指そうとしていた。
キッチンに戻って作りかけの料理を再開したら、終わるのは5時過ぎ頃になりそうだ。
出来上がった料理は7割りといったところか。
あとはホワイトシチューとローストチキンが出来上がれば完成だ。
よく考えたら、テーブルの上に乗りきれない程の料理を作ってしまっている。
二人だけじゃ食べきれない量を作ってしまったけど、彼の喜ぶ顔を想像したら
つい張りきってしまったのだ。
この日のために一ヶ月も前から必死に練習してきたのだ。
味は今までで一番上手く、美味しくできている。
彼の顔を思い出し、喜ぶ顔を想像するだけで幸せな気持ちになれる。
付き合って三ヶ月目になるが、時が経てば経つほど彼の事が好きになっていく。
彼の喜ぶ顔が見れるならなんだってできる。
彼に尽す事が私の生き甲斐と言っても過言ではない。

ローストチキンをオーブンに入れてスイッチを押す。シチューはあと30分ほど煮込めば出来上がる。
その間にテーブルのセッティングを少しずつ済ませてしまう。
白いテーブルクロスに白い皿。シルバーのナイフとフォークにワイングラスを二人分。
あとは料理を盛り付ければ完成だ。
数時間後の光景を想像すると、自然と頬が緩む。
今夜、私は世界で一番幸せになるだろう。
世界から祝福される――世界中の幸せを少しずつ分け与えられ、
そして私も世界中に幸せを贈る。
言い過ぎかもしれないが、今の私は本当に幸せなのだ。

クリスマス――世界中が幸せになる日。
嘘っぱちだと思っていた。普段より賑やかなだけのただのイベントだと思っていた。
騒がしいのが嫌いな私はクリスマスがああまり好きじゃなかったけど、今は感謝している。
クリスマスのおかげで私は今幸せなのだ。今までの人生で一番幸せかもしれない。
この喜びを誰かに伝えたい。だが口にするのは彼にだけだ。
他人に伝えたらこの喜びが薄れてしまうかもしれない。
オーブンからローストチキンの芳ばしい匂いが漂ってきて我にかえる。
慌ててシチューを確かめに行くが、どうやら大丈夫だったようだ。
この特別な日に料理を失敗するわけにはいかない。彼には最高の料理を食べてもらいたいのだから。

彼――啓祐(けいすけ)とは高校に入学してからの付き合いになる。
親友の優香里の幼馴染みということで紹介された。
その頃は何処にでもいるただの男子としか思わなかった。
私は人見知りするタチだったのだが、人懐っこい啓祐の性格と
世話焼きの優香里のおかげで私はすぐに啓祐と仲良くなれた。
啓祐と優香里はいつも一緒だったせいか、自然と3人でいることが多かった。
私は二人が付き合っているものだと思っていたが、
二人は幼馴染みのせいか友達以上恋人未満――つまりは親友のようなものだと
照れ臭そうに、誤魔化すように言った。
私から見れば二人がお互いのことを好きだということがみえみえだった。
恐らくは、近すぎる故にもう一歩が踏み込めない。
長年の幼馴染みとしての付き合い。親友としての付き合い。壊したくない関係。
告白をして、もし断られたらもう元の関係に戻ることはできない。
二人はそれを恐れてあと一歩が踏み出せないという関係だった。
私からすれば、なんて初々しい恋愛だろう、
としか思えず二人を見守るように眺めているしかなかった。
まるで臆病な子供だ。お互いの気持ちを察しているんだから勇気を出して告白すれば良いのに
とお互いに言った事もある。
答えはいつも同じだった。
「まだこの関係でいいから。この関係を壊したくない」
私は二人にアイアンクローを何回かましたか覚えていない。

高校2年の冬頃だろうか。私は気が付いたら啓祐が好きになっていた。
親友とまで呼べる関係にまでなり、二人きりで遊んだこともあるし
恋の相談を何度も受けたこともある。
啓祐のことを知れば知るほど好きになっていったのだ。
私は自分の気持ちに気付いた時に愕然とした。

――どうして親友を好きになってしまったの?
――どうして親友の好きな人を好きになったの?

答えなんか出るはずもない。好きになってしまったのだからしょうがない。
自分の感情に文句を言っても仕方なかった。
私は悩みに悩んだ結果、一計を案じた。

「私、啓祐君のことが好きなの。だから優香里が告白しないなら私が告白してもいい?」
この一言をきっかけに優香里は啓祐に告白をして二人は付き合うことになった。

私は祝福した。優香里が私の意図に気付いたのは二人が付き合う事を報告しにきた時だ。
祝福は嘘ではない。
私は二人を失いたくなかった。
啓祐は優香里が好き。
優香里も啓祐が好き。
私が啓祐に告白してもフラれるのは明白だったし、優香里との友情も失うことになる。
恋と友情の二択――私は友情を選んだ。
――いや、選ぶしかなかった。報われない恋だと諦めたのだ。
結局のところ、一番臆病だったのは私だったのだ。

それから私は二人から少しずつ距離を置いた。
二人の邪魔になるからと、二人の幸せを見たくなくて少しずつ離れていった。
それでも二人とは変わらず親友のままだった。
私は胸の奥をえぐられるような痛みを抱えたまま二人との関係を続け、そして私達は高校を卒業した。

二人と別の大学に進んでしばらく経ってから、啓祐から悩みを相談された。
啓祐は大学で優香里は専門学校に行き、少しずつ連絡が途絶えだした頃だ。
久しぶりに会った啓祐は少し痩せていた。疲れたような顔で笑う啓祐を見た時、
私の胸の奥が再び痛みだした。
相談の内容は優香里のことについて。優香里から相談を聞いていたから察しはついていた。
別々の学校になってからの優香里は人が変わったように嫉妬深くなった。
大学のサークルの飲み会から帰った時に、知らない女性の匂いがしたと言い出した頃かららしい。
それは飲み会の席で隣に座ったのが女性で、飲み潰れたのを抱えて送っていったのが理由らしい。
今までにない怒りかたをした優香里はその頃からおかしくなりだした。
啓祐を束縛するようになり、女性の会話をするだけで激怒するようになった。私の話でもらしい。
メールの件数が異常なまでに増え、返事がないと出るまで電話をかけ続ける。
怒った優香里をなだめて、泣いた優香里を慰めて、すがりつく優香里を抱きしめて、
そしてまた怒りだす優香里をなだめるの繰り返し。

優香里からは聞いた事のない話だった。
私は話を聞いているうちに、優香里に対して沸々と怒りが沸いてきた。
――暗い憎悪と嫌悪。そして嫉妬。
胸の奥深くに閉まっていた負の感情。
私が好きな啓祐と付き合ってるのに、今度は彼を束縛して苦しめるなんて許せない。
優香里はもう充分幸せになったんだ。これ以上彼を苦しめるな。私を苦しめるな。
憎い――憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い。
もう優香里なんか親友じゃない。友達じゃない。
優香里は害虫だ。病原菌だ。彼の心を蝕む糞以下のなにかだ。

身体中を負の感情が駆け巡る。
脳から全神経、髪の先から爪の先まで「それ」が巡りきった時、私は決意した。

私は彼と積極的に会うようにした。
名目は悩み相談と愚痴を話せる相手。ストレス発散の遊び仲間として。
私と啓祐の共通点はいくつもある。
酒が飲める。大学生同士で大学の話ができる。高校の頃の話ができる。趣味が同じ。
会う回数を重ねるごとに啓祐の笑顔は増えていった。
デートの様に買い物や遊びをするようになった。
啓祐と私は親友なんだから問題ないよ。これは浮気なんかじゃないわ。
優香里と私は親友だもん――滑らかに言葉が出た。
昔のように笑う啓祐は次第に優香里の話をしなくなっていった。私と会う時はしないようになった。
週に一度の逢瀬は徐々に私達の距離を詰めていった。ゆっくりと、ゆっくりと。

そして決定的な事が起きた。
私と啓祐が会っているところに優香里が現れたのだ。
久しぶりに会った優香里は別人だった。
目は赤く充血し、肌は荒れて体は痩せ細り、昔の面影は少しも残っていない。
あれほど綺麗だった優香里が、あれほど輝いていた優香里が、あれほど幸せそうだった優香里が――。

優香里は私と啓祐を見て幽鬼のような顔で、
「なんで綾が啓祐と一緒に居るのよ!!
啓祐が私の彼だって綾は知ってるでしょ!?
ねぇ啓祐、なんで綾と一緒にいるの? 答えてよ!?」
啓祐の詰め寄るように向かってくる優香里の前に私は立ちはだかる。
ここが正念場だ。失敗は許されない。

「私ね、啓祐君のことが好きなの。愛してるわ。
ずっと前に優香里に言ったわよね?」
「だからなによ!? 啓祐は私と付き合ってるのよ。人の彼氏を横取りする気?」
「啓祐君を苦しめておいて彼女面しないで。啓祐君が優香里のせいで
苦しんでいるのが分からないの?」
「バカ言わないで。私が啓祐を苦しめてるって? そんなわけないじゃない。
だって私は啓祐を愛してるのよ。変な事言わないで!」
顔をグシャグシャにして叫ぶ優香里の顔は醜い老婆にしか見えない。
人はここまで変わるのか。人はここまで醜くなるのか。
いや、嫉妬に胸を焼かれた私の顔もきっとこんな醜い顔をしていたのかもしれない。
私は振り返って啓祐を見る。
啓祐は困り果てた顔で私と優香里を見ている。
そんなみっともない顔をしないでよ。そんな情けない顔は啓祐には似合わないよ?
「啓祐君。私は啓祐君が大好きです。ずっと前から好きでした。
私と――付き合ってください」
言いたくて言えなかった言葉。初めての告白。胸に閉まっていた言葉。
心臓の鼓動が激しく鳴って胸が張り裂けそうになる。
啓祐と見つめあって返事を待つ。
後ろから優香里の怒声が聞こえてくるが、今は小さくしか聞こえない。
啓祐は固く結んでいた口をゆっくりと開き、
「――俺も綾が好きだ。俺でよければ――いや、俺と付き合ってください」

それからの事はあまりよく覚えていない。幸せ過ぎて思考が停止していたのだ。
あとから聞く話だと、泣き叫びながらすがりついてきた優香里に
啓祐は別れようと告げ、優香里を置いて私達は啓祐のマンションに行ったらしい。
私の記憶はうろ覚えであちこち記憶が飛んでいたが、優香里の顔はよく覚えている。
絶望して奈落に突き落とされた亡者の顔だった。
涙を流しながらみっともなく口を開き、膝をついた敗者の顔。
私は優香里のその顔を思い出すと少しだけ胸が痛んだ。
でも啓祐の腕に抱かれる喜びに比べたらそんな痛みは路傍の石のようなものだ。
そのうち優香里の顔を思い出しても胸が痛むことはなくなった。

三ヶ月前の出来事。私が幸せになった日の出来事。
私は啓祐の彼女になった。

マンションから出て公園まで歩きで15分。待ち合わせの時間より少し早くついてしまった。
12月の夕方は夕方とは言わないんじゃないかと思う。
5時を過ぎると外は暗くなり、6時になるとすでに真っ暗だから夜と言ってもいいと思う。
街灯の光は頼りない。それでもクリスマスを祝う沢山のライトが闇を照らしてくれる。
無数の色鮮やかで綺麗なライトは地上に降ってきた星のようだ。
まるでおとぎ話の世界に迷い込んでしまったんじゃないかと錯覚してしまう。
公園の中心にある噴水は虹色の光でライトアップされている。
噴水の水がライトの光を反射して、幻想的な光景に思わず目を奪われる。
噴水の前のベンチに腰を下ろす。
ヒンヤリと冷たいベンチも、目の前の綺麗な噴水を見ているせいかそれほど苦にはならない。
ふと周囲を見渡すと、公園には誰もいない。
時間帯のせいもあるのか、それとも外は寒いからなのか、公園には私だけしかいない。
まあこの幻想的な雰囲気を独り占めできるのも悪くない。
啓祐が来たら二人でゆっくりとこの雰囲気を楽しむのもいいかな。
ぼんやりと噴水を眺めていると、コートのポケットの携帯が震えだした。
(あっ、啓祐かな?)
立ち上がってポケットに手を入れると、突然背中に何かがぶつかってきた。

ドンッ――

軽い衝撃。その次に何かがぶつかった場所が熱くなる。
訳が分からずに背中を左手で触ると、指に冷たくて硬いモノが触れた。
指に何か液体のようなものがついて、なんだろうと指を見ると、
赤い液体が手にベットリとついている。
「――えっ? なに、これ…?」
背中に何かがぶつかって、指に硬いモノが触れて、それで、なんで手がこんなに赤いの――?
「ふっ、ふふふ…うふふふ…」

突然、背後から笑い声が聞こえてきた。
驚いて首を反らせて振り返って見ると――。

「ゆ…優香里?」
「うっふふふふふ…メリークリスマス、あ〜や」
首を反らせて背中を見ると、久しぶりに見る優香里が笑顔で屈んでいた。
優香里は背中に隠れるように、見下ろす私を見上げるように屈んでいる。
「優香里…どうしてここに……?」
「うん、ちょっと泥棒猫を退治にね?」
優香里はそう言って私を突き飛ばすように押してきた。
突然の事に驚きながらも二、三歩つんのめるようにして前に足を運ぶが、
何故か足に力が入らずに私は倒れてしまった。
私は噴水の前に倒れこみ、優香里に文句を言おうと立ち上がろうとするが、
何故か身体中から力が抜けていく。
(…あれ? なんで? なんで立てないの?)
横に寝そべるように倒れていると、今度は腹部に衝撃がきた。
あまりの痛みに口から内臓が出そうだ。呼吸が出来なくて苦しくて涙が溢れる。
「メリークリスマスってさぁ、ベリー苦しみますって昔誰かが冗談で言ってたわよね?
あれって誰だったかしら? 私の記憶だと、お笑い芸人が言ってたのよね」
さっきまで私の背中の方から聞こえてきた優香里の声が、今度は上から聞こえてくる。
楽しそうに世間話をするように話かけてくる優香里を見上げて私は気づいた。

優香里が私のお腹を蹴ったんだ。
冗談抜きで、おもいっきり。
倒れていると、今度は意識が朦朧としてきた。
どうしてこんなことになったのかが不思議で優香里を見上げると、
優香里の左手には赤い何かが握られてる。
噴水のライトが当たらずに暗くてよく見えない。
目を凝らして優香里の手に握られてるモノを見ていると、
「あっ、コレ? これね、よく切れるのよ。
さっきもブッスリ綾の背中にも刺さったし、ホント良い包丁だわ。
魚を捌くの苦手だからあんまり使ってなかったんだけど、意外なことで役に立つもんだよね」

優香里の手に持っているものがライトに照らされる。
優香里の左手に握られてるモノは、魚を捌くのに使う「刺身包丁」だった。
包丁は刃の半分まで赤い液体で濡れていて、包丁の先から赤い雫がポタポタと落ちていく。

(ああ、そうか。優香里があの包丁で私を刺したんだ。
それであの赤い液体は私の血なんだ…)

段々と意識が薄れて行く中、優香里が私の肩を足で押して私は仰向けになる。
空は雲に覆われて星が見えない。
その代わり、白い雪が星のように空から降ってきている。
「…ホワイト…クリスマスだ。ねえ、優香里?
どう…して今日なの? どうして、私は殺されな、きゃいけないの?」
優香里は答えない。
さっきまで笑顔で雄弁に喋っていた優香里は無表情で私を見下ろしている。
「嫌だよ…私まだ死にたくないよ……
今日って、クリスマスだよ? こ、これから啓祐と、幸せにな、なるんだよ?
ねえ、優香里……私、死にた」
包丁でお腹を刺された。
腹部と背中の激痛で声が出ない。
咳き込むと口から血が溢れた。
口の中が血の味でいっぱいになる。嫌だよ。まだ死にたくないよ。
「啓祐は私のモノよ。アンタなんかに渡さないわ。
薄汚い泥棒猫はここで薄汚く死ぬのがお似合いよ。
うふふ…あっははははははははははははははははははははは」
優香里は笑いながら何度も私のお腹を刺す。何度も何度も何度も何度も。

痛みがなくなり、体が動かなくなる。嫌だ。
嫌だよ。嫌だ。まだ死にたくない。死にたくないよ啓祐――。

頬に雪が触れて冷たい。明日は雪が積もるかもしれない。世界中が幸せに溢れるかもしれない。

私だけをおいて―――。

2007/12/25 完結

 

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