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貴方だけしか見えない



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 朝、いつもと変わらぬ穏やかな日差しが窓から差し込む部屋にて。
  その部屋の主こと朝倉義一(あさくらよしかず)は未だ目覚める気配も無く、
安らかな寝息を立てていた。
  頬を緩ませ、幸せそうに眠る義一。
  その枕元には先程までけたたましい音を鳴り響かせていた目覚まし時計が転がっている。
  随分とのんびりと惰眠を貪っているが、彼はれっきとした学生、近隣の高校に通う高校生である。
  時刻は既に8時を回っており、彼の通う高校までの移動時間を考えると、
そろそろ起きなければまずかった。
  しかし、義一は目を覚まそうする素振りもまったく見せず、頼みの綱の目覚まし時計も
持ち主によって早々にスイッチを切られ、
その役目を果たすこともできずに無念のリタイアを遂げている。
  彼にとっては今日もまったく、いつも通りの朝であった。
  が、さりとてそんな義一が遅刻の常習犯であるということはなかった。
  その訳は―――――

「兄さん〜〜って、また寝てるよ・・・・・・しょうがないなぁ、もう。
ちょっと、兄さん! もう8時過ぎてるよ!! いい加減起きないと遅刻しちゃうよ!?」
  ドンドンと乱暴にドアを叩く音が響いたかと思うと、勢いよく部屋のドアが開け放たれる。
  何の遠慮も無く部屋に入ってきた人物、朝倉義美(あさくらよしみ)は、
入るなり目の前に広がる最早見慣れた光景に呆れたように首を振り、深く溜息を吐く。
  だが直ぐに呆れている場合ではないと思い直し、透き通るような声を精一杯張り上げて、
兄を起こしにかかる。
「うう〜〜ん・・・・・・ひみ・・・・・・ふぁぁ、静かにしろよ・・・・・・・くぅーー」
「静かにしろよ、じゃないって! ほら、もう起きてよ!! 本当に遅刻するよ!!」
  義美は整った眉を吊り上げ、端整な顔立ちに困りきった表情を浮かべつつも、
義一をゆさゆさと揺さぶり懸命に起こそうとする。
  そう。義一が毎朝毎朝寝坊を繰り返しつつも、間一髪で遅刻を免れている最大の理由が、
義美がこうして部屋まで起こしに来てくれるからであった。

「もうっ、いい加減に起きてってば兄さん!」
  昨夜は遅くまで起きていたのだろうか。
いつもよりも深い眠りに入り、目を覚ます様子を見せない義一。
  若干の焦りを見せながら、細い腕によりいっそうの力を込めて兄の体をがくがくと揺らし、耳元で
「義一〜起きろ〜っ!!」とどさくさに紛れ兄の名を叫ぶ義美。
  一方、そこまでされては流石の義一も眠り続けることはできないらしく、
まどろみの状態から徐々に意識を覚醒させていく。
  そんな彼がまず感じたのは、密着した体から微かに香る、洗い立ての毛布のように柔らかい体臭。
自分の名前を繰り返し呼ぶ、鈴を転がすような澄んだ声。
  夢現のままに瞼を開ければ、体をゆさゆさと激しく・・・
けれども痛くはないように配慮して揺さぶる、白く、折れそうなほど細い腕。
  そして自分の首筋に垂れる、長くさらさらと流れる黒髪に、
耳元に寄せられた目鼻口と各パーツの一つ一つが繊細に整った顔が義一の視界に入ってくる。
  義美が義一に呼びかける合間に呼吸する度、吐息が義一の耳朶をくすぐった。

 

「うう〜〜ん・・・・・・今はダメだって、かわぐちさぁん・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・っ」
  その妖しい快感に思わず身悶えし、入手した幾つかの情報によって連想した女性の名前を、
甘えた声でつい口にしてしまう義一。
  が、どうやらそれは大変な、取り返しのつかないほどの失言だったようだ。
「だ、誰・・・・・・が・・・・・・」
  先程まで困りきった表情を浮かべつつもどこか愛しげな眼差しで見つめていた義美だったが、
義一の言葉を聞いた瞬間、全ての表情が掻き消え能面のような無表情に変わる。
  次にそれは悲しみに変わったかと思うと、急速に顔に朱が差し込み、眉がつり上がっていった。
  細い肩をわなわなと震わせ、先程まで義一の体に置かれていた手が義一の枕元へ―――
主を目覚めさせること無く、途中退場した目覚まし時計へとゆっくりと伸ばされる。
  それにもう一度活躍の場を与えるべく、
義一の頭上へと目覚まし時計を鷲掴みにしたまま腕を振り上げる義美。
  口角をひくひく痙攣させながら、一度大きく深呼吸する。
  そして次の瞬間、
「誰が、川口さんだぁぁぁぁぁぁーーーーーー!!!!!」
「ぐあっ、っつうーーーーーー!!!???」
  義美の叫び声とともに勢いよく腕が振り下ろされ、
一瞬の後、義一の情けない悲鳴が部屋中に盛大に響き渡った。

「お前なぁ・・・・・・確かに起こしてくれるのは助かるけど、
もっと優しい起こし方があるだろうが・・・・・・!?」
「はぁ、何言ってるのさ。大体普通に起こしても起きない、兄さんが悪いんでしょ?」
「うっ・・・・・・そ、そりゃそうだが・・・・・・」
  結局文字通り『叩き起こされ』、頭にたんこぶを作ることになった義一。
  ひりひり痛むそれをさすりながら義美に愚痴る義一だったが、とうの義美は涼しい顔で受け流すと、
用意していた制服一式を兄に乱暴に渡す。
「ほら、兄さんさっさと着替える!
  今日はいつにもまして時間が無いんだから、ゆっくりしてる暇なんてないよ!」
「・・・・・・朝飯は?」
  暫く両者の間に広がる沈黙。
「食べたかったら後十分早く起きようね、兄さん?」
  その後にこやかな笑みを浮かべ、爽やかにそう答える義美に義一は絶望の声を上げた。
  ただ、そこで完全に突き放すことも義美にはできず、
「昼までもたねえよ・・・・・・」とぶつくさ呟く義一を見かねて、
「もう・・・・・・どうせこんなことだろうと思って、おにぎりなら用意してるから、
休み時間にでも食べちゃいなさい」
  兄の情けない姿に内心呆れながらも、結局はそう口にしてしまうのだが。
  こちらもいつもと変わらず、兄に対してはどこまでも甘い義美なのだった。

「よっしゃ、んじゃさっさと着替えるかな」
「わ、わわ・・・・・・兄さん!! い、いきなり脱ぐかな普通!!」
  自身の頭を強かに強打した後、そのまま床に転がっていた時計を見て流石に焦ったのか、
勢いよくパジャマの上着を脱ぎ捨てると、続いてズボンに手をかける義一。
  目の前で着替えを始めた義一を見て、義美は慌てて顔を覆うと後ろを向く。
「何だよ。別に着替えくらい大したことない・・・・・・って、何本気で照れてんだよ、お前は!?」
「なっ、べ、別に照れてなんてない・・・・・・!」
「嘘付け、だったらなんで耳が赤いんだよ!」
  後ろを向いているためその表情はわからないが、
確かにその左右の耳は普段の透き通るような白ではなく、真っ赤に染まっていた。
「・・・・・・もういいや。ほら、着替え終わったからもう行くぞ、急ぐんだろ?」
  これ以上不毛な言い争いを続けるくらいなら義美の用意してくれたおにぎりを
一刻も早く口にしたい、というのが義一の本音だった。
  半裸の状態から素早く上下の学生服(母親か義美がアイロンをかけてくれたのか、皺一つ無い)
を身に纏うと義美にそう声を掛ける。
「はぁ・・・・・・まったく、兄さんは乙女に対しての配慮が全然足りてないよ!」
  まだ赤みの残る顔を向け、少し怒ったように言うと自分の鞄を持って
一足先に部屋から出て行く義美。
  一人取り残された義一は心底うんざりしたように呟く。
「乙女って・・・・・・お前は俺の弟、正真正銘の男だろうが・・・・・・」
  急に広くなった部屋に小さく漏れた彼の心からの叫びが届くことは無く、
その代わりに玄関から「兄さん〜!!」と呼び声が響いてくる。
  やがて義一は諦めたように溜息を一度吐くと、玄関に向って駆け出すのだった。

2007/11/07 To be continued.....

 

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