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世界のetc



1

駅前で一人空を見上げてみる。
その空は灰色で確かに重そうで、世界を圧迫しているみたいだった。
その下で冬のせいか足早にかけていく音を聞くと
どこか遠く知らない場所でたった一人、たたずんでいる様な気がしてくる。
目を細めてみても何も変わらない、そんな世界を確認して視線を戻した。
「寒いな、しかし」
何かを確認したくて吐いた言葉には何の意味も無い。
意味も価値も無いけど、受け止めてくれるヒトがいるならそれでいいのかもしれない。
「寒いね、ホントに」
言葉より前に絡められた腕の温かさが心地よくて嬉しくて、
「遅れてごめんね」
なんて言葉にも素直になれる。間の抜けた返事を返して、笑い合いながら僕らは歩き出した。

「なんか二人で出かけるのって久しぶりだよな」
「まー、部活が忙しかったからしょうがないけど。寂しかった?」
「帰って来る時必ず家に顔出すじゃないか、そんな暇無いよ。隣だからって別にいいのに」
親公認とはいえしょっちゅう出入りするのはいかがなものか。そんな考えは無視するのだろうけど。
「だって心配じゃない? 色々と」
「色々って疑問形で聞かれても。
それにヒカルに心配されるような事は無いだろ、一人は慣れてるし」
「外食ばっかで済ますのが慣れてるっていうんだ。
それともあれですか、私のこと邪険にしちゃってますか。そうですか」
「そういうつもりじゃないってば。ただ疲れてるのに家事の手伝いとかは別にいいのにと思ってさ」
後ヒカルの来る時間が門限みたいになってる、というのもあるのだけど。
一回遅れて酷い目にあったし、僕でもちょっとは自由な時間も欲しいわけで。
なんて軽く考えてた時、ヒカルが立ち止まった。
つられて僕も立ち止まる。反応できなかった分だけ空いた少しの間がやけに冷たく感じられた。
そうして見つめた、見つめられた瞳は。少し茶味がかった、ガラスみたいな瞳で。
「私の決めた事だから別に気にしなくていいんだけどね。嫌だったんなら止めるけど――」
「嫌じゃないって、感謝してるよ。ヒカルにも、おじさんにもおばさんにも。
もしヒカルと一緒じゃなかったらきっと一人だったろうからね。
嬉しいよ。ヒカルと一緒にいるとそう感じる」
不安そうな言葉とは裏腹に強い意志を感じさせる、少なくとも僕には。
そんな力に抗えそうにもない、言ってから恥ずかしくなっている位考え無しの僕には。
「ごめんね、ありがと。……ごめん。
だけどさ、もしかしたら。私じゃなくても、
私がいなくても誰かと一緒にいるかもしれない。
けどシンは今私と一緒にいるんでしょ。だったらさ、一人が良い様な事言わないでよ」
一人になるのは誰だって嫌だ。まして彼女は僕の特別で、僕は彼女の……特別、なんだから。
「うん……ごめん。来てくれてずいぶん助かってる。一緒にいてくれて嬉しい」
ヒカルは手を伸ばせば届く距離に居る。
一緒にいて欲しいから手をとるだけだ。その資格はある筈なんだ。
言い聞かせても鼓動は早くなって精神は緊張するだけ。
自分から何かする時はいつもこう、情けない。
おずおずと言った風にしか出せなかったが、
それでも手をヒカルの方へ向けた。
ヒカルは俯いてしまっているけど、……雰囲気で分かる。
きっと笑ってる。それで僕もいつもの様に笑う事が出来るんだ。
そうして近づく距離、手を通り越して強く握られる腕の感触、腕に顔を埋める仕草が
一つ一つ恥ずかしくて、こそばゆい。
決して不快じゃないのに落ち着かない。だから余計な事を言ってしまうんだろう。
「だけどさ、自由な時間も欲しい訳で。とりあえず八時に帰る位別に良くない?」
「んー、そんな時間まで何やってるの。別にやる事無いくせに」
言葉尻が厳しいけど虎穴に入らずんば虎児を得ずの格言通り突撃あるのみ、
僕にはライフワークがある。
「いやゲーセンに」
……視線まで厳しくなったのは気のせいだろ、多分。
「服がタバコ臭くなってるのはその所為だったんだ、そんなとこ行くの止めなさい」
「嗅がないでよ」
掴まれている腕をちょっと遠ざける様にして言った。
一瞬で赤くなるヒカルの耳と、それでも離さずにいてくれる手の感覚。
にやける口が止められない。そうしてやっぱり、ヒカルは怒った。
「嗅いでない! 匂ってくるの。洗濯しても取れないんだから」
「いや――。悪い事している訳じゃないしクレーンゲームとかで景品取れるかもしんないし。
アレだ、前あげた景品喜んでたよね。ビークル犬のやつ」
UFOキャッチャーは故あって自ら封印して久しいが
(アレは悪魔の様な機械だ)確かあげた筈、多分。
「誰にあげた話をしているのかな?私はもらってないんだけど」
「……」

2

「誰にあげた話をしているのかな?私はもらってないんだけど」
「……」
まいったな。
と一呼吸おいてから隣を見て、

笑ってる。
「もー。小夜にあげたんでしょ。その事忘れてるの知ったらあの子泣くよ?」
「ん、そうだっけ?」どうにもはっきりしない。
「それは誰にでもあげててハッキリしないという事かな」
なぜそういう方向に話を持っていくのか、と思いつつやっぱり焦ってしまう。
「いや違うって、大体あげる様な人いないし」
「へー。最近、御塚さんと仲良さそうに見えるけどー」
「いや、アレはそういうんじゃないって。
判らないとこがあるからって、勉強聞きに来てるだけだよ」
「わざわざマックで?」
「――」
「バカ」
「ッつ、抓らないで。
見かけたんなら声かけてくれればいいの――、イタッ、痛いから、本当に痛いから。
本当にそんなんじゃなくて、お礼に奢ってくれるって言うから――。止めて、
悪霊退散とか言いながら叩くの止めて」
「馬鹿、ご飯なら私がいつも用意してるのに」
「いや、その瞬間に食べたい時ってあるじゃない?まして奢りだし」
「それでほいほいついてっちゃうなんて。お猿さんですか。
ご飯なら私が作った方が美味しいよ、流石に。それに……」
――それきり何故だか言葉を続けようとしなくなったヒカルは、
だけれど何かを言いたそうにこっちを見ては視線を外しての繰り返しで、
何かう〜、む〜唸ってた。

そんな様子がおかしくて
なんとなしに、笑いながら彼女を抱き寄せた。
それを嫌がらずに向こうも結局笑いながら手を絡めて離れない様にしてくれる。
後ろから抱きしめる格好になって顔に当たる髪の匂い。
懐かしい匂い、これはそんな匂いなんだろう。
昔から惹かれていた匂い。そういう事なのかな。
「浮気は駄目なんだからね。こんな事じゃ誤魔化されないよ」
そんな事しない。と意味を込めて腕に力を入れる、離さない様に。
そうして少しの間続いた沈黙が何だか息苦しく感じられて
呼吸するみたいに口を開いた。
「小夜ちゃん今年もこっち来ないんだよね」
「……そうだよ、詳しく聞いてないけど」
んっ、と言ってヒカルは離れた、手は握り合ったままだけど。
「それでも一昨年まで来てたのに。ちょっと寂しいかな」
「今年もちょっと無理みたいだね。けど都合がつけば絶対こっちに来るよ」
「そうなの?こっち来ても何にもないけど」
「分かってない感じですね。分かってたけど」
「ん?」
「とにかく小夜は今年も無理」
「そっか……」
ため息みたいに息を吐いて、すぐかき消えるそれををなんでもなく見ていた時、
手を少し強く握られた。
その感触に反応すると、ヒカルはこっちを見ずに笑っていて。
それはどこか所在なさげで悲しそうな、
あの顔を思い出させた。あの、光の中で見た顔を。

「シン。……どうかした?こっち見ていきなり黙り込んで」
「いや、はは。ちょっとぼーっとしてた」
誤魔化しながら周りを見渡した。色々な人がいる。
笑いながら大きな建物に入って行く人、出て行く人。
タバコを吸いながらぼんやりしている人、早足ですたすた行ったり、
仲間で騒ぎながら歩いていたりもしている。
大きな建物、新しく出来たショッピングモール。その外観は誰もを歓迎してた。
そこへちょっと腕を引っ張って導く様に。
「やっとついた」
「本当、ちと疲れたね。っと、そんなに引っ張らないでよ。
来る前は乗り気じゃなかったくせに」
「うおっと、送迎バス出てるんだ」
「帰りはバス使おう。おばあさんには堪えるよ」
笑いながら入っていく。いつもの、一緒にいる雰囲気。
吹き抜けから見える厚い雲もここでは別世界の事
とりとめもない人たちが一つの方向を向いている、
僕らも僕らの視点で一緒の方向に歩いていく。
そうして中に入ってからヒカルは元気になり
僕の方はダウン寸前になったのはお約束だろうか。
ジジイは無理がきかない

「ねえ、ちょっと休まない?」
「ん、そうだね。じゃ飲み物買ってくるからそこに座っててよ」
「いや、別に――」
「いいから、お茶でいいよね」……行ってしまった。
「別にどっかでコーヒーでも飲もうかと思ったんだけど、まあいいか」と座る、いや本当に疲れた。
ボーっと待っていたら
「あー」と声をかけられた。
「おー」と声を返す。小池、小池……何だっけ。同じクラスの人なんだけど。
「崎山君も来てたんだ。一人?」
「ん、いや違うけど」
「ハハッ、やっぱり。一人で来るわけないよね」
凄く嬉しそうな笑顔で「仲いいもんね、光と」一言付け加えられた。
「いやまあ、そうだけど」
「付き合ってるの?」
「えっと、一応そうさせてもらってるけど……」
認める事に抵抗は無くて、何でこんなに突っ込んでくるのか、それが不思議だった。
「一応はいらないって。見ててすぐわかるし、もっと胸張っていいよ。
でも、そうだよねー。光に聞いても、
付き合ってないの一点張りでさ。顔真っ赤になって否定するんだもん。
かわいーけど、そろそろ飽きてきたし、これからは公認カップルとして扱っていこうかと。
とりあえずは人前でちゅーとかする様になるとさらに見てて面白いんだけどなー」
「ちゅーって、それはないから」
「駄目ですねそんな事では立派なバカップルになれません」
「……」馬鹿にされているのだろうか。
「まあ、ちゅーは兎も角たまには判り易い位の方がいい時もあるよ。もっと判り易く
幸せオーラを出してくれないと。一緒にいて幸せとか、
嬉しいってもっとアピールしないと。
今この場で言ってごらん、好きだ好きだ好きだーって」
「何故!」
「いや嬉しいと思うけどね。私はそんな事されたら恥ずかしいけど」
「やっぱり恥ずかしいのか、そんな事やらせようとしないでよ」
「恥ずかしい事でも好きな人からされたら嬉しいもんだよ。崎山君はさ、
もっと光の事信じてもいいんじゃないかな。
二人とも何だか遠慮しあってる様に見えるから。
大きなお世話だって言うのは判ってるんだけど、うん。ごめんね」
「いや……」
他の人からそう見えるって事はそうなんだろう。
求めて拒絶されたらなんて怖くて考えられない、劣情に任せてなんて求めたくない。
そんな馬鹿な考えが透けて見えてる様でバツが悪くなった。

「? まあいいけど。光を待ってるんでしょ、私行くね。
あの子、私が崎山君と二人で話してると五月蝿いから。
何話してたの? とかさりげないつもりできいてくるし。彼氏としてしっかりしてもらわないと」
「アハハ。いやそれは」僕がどうこうより昔からそうでした。
昔は直接僕の所に聞きに来てたんだけどな。じゃあと別れてからそんな事を思い出した。
おばさんと話しても聞きに来たんだよな。ちょっと笑える。
「ずいぶん楽しそうだね。不気味ですよ」
「いや幼稚園位の時の事を思い出しててさ、
おばさんとか友達とヒカルがいない時に話した事をしきりに聞きたがってたよね」
「そうだっけ。けどまあ仲間外れが嫌だったんじゃないの?多分。はい緑茶」
「ありがと。自分の事なのに曖昧だね」
「昔の自分なんてそんなものでしょ。
もう今じゃ何を考えていたのかさっぱりだったりする事だってあるし。
でもその時の感情と光景だけは覚えてたりするんだよね」
「うん」
それが記憶って事なんだろう。
「シンはこっちがヤキモキする位マイペースだったかな。遠足の時一人早弁してたし」
「はは、いやまあ、お腹減ってたんじゃないの?多分」
何考えてたんだ自分。
「結局お弁当の時間に私の分を半分にして。それを見つかってなぜか私まで先生に怒られるし」
「そうだっけ、確かおばさんに作ってもらったんだよな。おいしかった」
「懐かしいね。今でもその時のお礼は受け付けてますよ」
いやヒカルに、と言いかけた言葉は飲み込んだ。
ヒカルは凄く嬉しそうで
その時の事はきっと楽しい事だったんだ、と思わされて僕では邪魔なんか出来そうも無かった。
どんな記憶も過去の事なら笑える、嬉しい事ならなおさらだ。だから今日の事も笑える筈。
サヨナラ。僕のお銭。
結局大多数の冷やかしと少しの買い物を済ませた頃には辺りはもう薄暗く、
夕日の暖かな光は雲でさえぎられ、鈍色の世界だけがそこにある。
僕は何度も一人でそうした様に自然と見上げて目を細めた。
観測者がいて世界は決定する。観測の仕方が変われば世界は変わる。
言葉遊びではあるけれど。強く、強く信じてる。信じるに足るものがある、この世界には。
「しかし寒いな」
「日が暮れるとさらに寒いね、さっさと帰ろう」
手を握り合って、腕をからめて、寄り添いあって。

帰りの電車でヒカルは寝ていた。
一人で窓ガラスのほうを見る、辺りはもう暗くて僕の顔しか映らない。
僕らの他には数人、皆一様に疲れた顔をしている。こういう所はあの頃となにも変わらない。
変わったのは僕が僕らになっただけ。
僕自身は、どうだろう、他から見たら何も変わっていないのかも知れない。
でも僕はあの時、ヒカルのいた世界を感じられた自分を信じてる。
僕だけが、でも構わない。
何度も繰り返した問答をやめて眠気に身を任せた。

帰りの電車で私は寝た振りをした。
シンの事を考えるために、シンにくっついて。
シンは分かっているのだろうか、私がどんなにシンの事考えているかって。
帰った家に居る筈の人が居なかった時の寂しさを。
その人が他の子と居たって知らされた時の哀しさを。
その子と比べて自分の方がかわいい、なんて思ってしまう私を。
シンを抱きしめるのは私だけで、
タバコの匂いの混じった雰囲気には私とシン、だけの筈なのだから。
その筈なのに不安になってしまうのは何故なんだろうか。
信じていない訳じゃない、けど言ってくれるまで不安で。
答えてくれる言葉と瞳が如何しようもなく、心に暖かく嬉しい。
有り体に言えば、惚れた方が負け。という事なんだろう。
不安だからって暴走気味にならない様にはしているのだけど。
その時遅く帰ってきたシンを家に入れないでそのままにしたっけ。
嫌な自分。あんな事をして誰が一番怯えていたか。
判っている、もう子供じゃない。私の気持ちは別に恥ずかしい事じゃない。
過度に押し付けなければいいだけ、って雑誌にもあったし。
……いいやもう、シンは私を選んでくれた、許してくれた、それは事実だし。
でも本当にそうなのか、やっぱり答えは無い。
いや答えなんて、始めからシンにくっついている時点で求めてないんだ。
初めからこれを求めてる。だからシンがいないと考えられない、怖いから。
こんな私を小夜は許してくれないだろう。
けど小夜は今年もシンに会わず、私は毎日シンに会いに行ってる。
だから、結局はそういう事なんだ。
そうしているうちに本当に落ちていった。

3

起こされて地元に着いた事を知る。
地元では暗闇の中を雪がちらついて、
ホームに下りた途端に寒気が襲ってくる。
「また降ってるんだ、十分積もってるのに」
「昨日も降ってたからね、まあこうすれば暖かいし」
笑いながら寄り添っていく。そんな時間を携帯に邪魔された。
ブー、ブー五月蠅いですねホントに、……家からか。
「はい」
「あ、お母さんだけど。今どこ?電話大丈夫?」
「今丁度駅のホームに降りた所だから大丈夫、もうすぐ帰れるよ」
「いや……、ちょっと困ってね。悪いんだけど帰る前にやって欲しい事があって」
「ん、いいけど。多分。何?」
「うん、小夜ちゃんを探してほしいのよ」
「うん?いや小夜は東京に――」
「いないのよ。小夜ちゃん櫻子の家に」
「……」
「東京の知り合いももちろん当たっているけど、こっちにも万が一って事で櫻子から連絡が来たの。
『私たちの勝手な都合でこっちに来るのを止めたから、小夜凄く怒った』って櫻子凄く弱ってた。
小夜ちゃんが本当にこっちに来ているかは分からない。
けど、それでも小夜ちゃんを探して欲しいの。
初詣に行ってた神社はお父さんに行って貰っているから。その他の場所を探して。
……こっちで小夜ちゃんの事知っているのはヒカルと新ちゃんだけだから。探せるのは」
「んーっと。分かった、一応探してみる。けど、……雲を掴むみたいな話だね。正直」
「新ちゃんが一緒なら無理はしないでしょ。それに何かあったら電話して。
帰ってきたらシチューがあるから。あんまり遅くならない様にね」
「シンはまだ探すなんて言ってないから」
「でも光は探すんでしょ。なら新ちゃんも絶対一緒に探してくれるよ。
光が何かするって言ったら何も言わずについてきてくれるよ、新ちゃんは」
「……兎に角シンにもお願いして一緒に探してもらうから。
正直私は小夜がこっちにきてるって思えないし見つからなくたってしょうがないよ?
何かあったら電話する。じゃあ切るからね」
「ええ、よろしくね。
光、しょうがない事なんて無いんだからね。動けば動いただけの結果はついてくるから。
……なんだかんだで光はやってくれるけど。それだけじゃ駄目なんだよ。
心を込めないと、意識しないとどんどんこぼれていっちゃうよ」
「もー、とにかく探すから。またね。シチューはシンも食べるから」
「当然。じゃあまたね」

しょうがない事が無いなんてそんな事を私に期待してどうするんだ。
今までたった十数年の中でもしょうがない事なんて一杯あった。
十全に得られないものばかりだった。
「……シン、お願いがあるんだけど――」
「小夜ちゃん探すんだろ」
「聞こえてた?」
「ヒカルは結構声大きいし。で、どこを探そうか」
「一緒に探してくれるの?」
「ヒカルは探すんだろ。
それより、小夜ちゃん自分の家にいないなんて、なんかあったの?」
あった、確かにあった……が。シンに言っていいものか。結局私は言わない事にした。
「わかんない、けどあの子、思い込んだら、ってとこあるから……」
シンは同意するように頷いて。
「そっか。小夜ちゃんと一緒に行った場所ってどこがあったっけ」落ち着いた声でそう言った。
「いつも新年のお参りに行った神社は父さんに行って貰ったらしいから……。
後はスーパーとか古墳とか図書館」
正直いまいち、スーパーにいるとは思えないし、
古墳は原っぱと変わりない、残りは閉まっている。
「……図書館か」考える時に唇に手を当てる、いつの頃からかのシンの癖。
学校では口唇期なんて風に教わった癖だっけ。別にどうでもいいけど。
「学校に行こう」
「学校?駅が違うよ」私たちは電車通学だし、
大体小夜は私たちの学校なんて……って。
「小学校の事だよ、一回行った事があるんだ」
当たり前か。けどそんな事あったっけ、覚えていない。
そんな様子を見て取ったのか
「小夜ちゃんと二人の時だったんだ」そう付け加えられた。
そう、か。始めの頃か。
あの頃は小夜の反応が面白くてよく二人にしてみてたし。なにより、
私が嫌だったんだ。シンと一緒にいるのが。
子供らしい、とても馬鹿な子供だった自分。
思い出したくも無い。けど忘れる事なんて出来ない。
「どうしたの、何か引っかかる?」
「ううん、早く行こう。シンの勘は良くあたるしね」
「勘ってわけでもないんだけど……」

手をいつもより強く、握って歩き出す。
駅の大通りは明るいけれど、少し道を外れればもう暗い。
車の音もどこか遠くに聞こえる。積もった雪を踏みしめる音を聞きながら。
遠くに見えるのは能天気についているネオンと家の光、近くは自分の息と二人の靴。
雪だけがシンシンと降って、それを正面から見るとなんだか自分が責められているみたいだった。
そんな暗闇の中を二人で黙って歩く。手の温もりだけが何かの慰みかの様に。
今日は本当に寒い。こんな時に小夜は何処かで一人、彷徨っているのか。
あの子は東京の事話したがらなかったけど、いつもはどういう風なんだろう。
当たり前の様に生活してて、今は何処か東京の友達の家にいるといいのだけど。
学校にはあんまり親しい人がいないのかもしれない、
まったく、どうしてそんな所に通わなくてはいけないのか。
ひっそり建っている白い校舎を見やる。
懐かしさなんか感じない学校、
校庭は何もかも白で埋め尽くされ、
そんな雪の白に混じれず余所余所しく建っている校舎。
フェンス越しだからそんな事を考えてしまうのかもしれない。
「で校門閉まってるけど、本当にいるのかな」
「うーん。まあ、前の時も閉まってたし。よっと、滑らない様に気をつけて」
「平気だよ。っと、ここまではいいけど、校舎の中は入れないでしょ。何してたの?」
近くの広場で走り回ってたずっと小さな頃がなんとなく思い出されて嬉しかった。
「いや入れたんだよ。昔鍵が壊れてる窓があってさ、そこから入ったんだ」
「へえ、けど一回全部、窓新しくしたんじゃなかったけ」
だから不用意だった。
そう、割れると危ないから強化ガラスにした、ガラスが割れて問題になったから。
シンが当事者で、結局ガラスが割れて表面化した問題は強化ガラスによって解決とあいなったんだ。
「うん、まあだからその前の事だよ。懐かしいな、本当に」
表情をうかがう勇気は無い。これまでこの時期の話題を出す事なんて無かったから。
バツが悪くなってシンから目をそむけた。
そむけた先に。いる筈無い、いるわけが無い少女が居た。
顔どころか輪郭すらおぼろげなのに、その子は私を殺したい位憎んでる。
その事に疑問の余地は無く、だけれどアレはいる筈が無い。私が確かに殺したんだから。
「こっち。たしかここら辺だったんだけど」
そんな筈は無いのに何も言えず、息しか呑めずに。
そうしてそのまま見続けるのは耐えられない。
何かが歪み、体は制御を離れ、首は垂れた。
「?、どうかした?あんまり深刻にならない方がいいよ」
「うん……」
ゆっくり顔を起こしてもう一度校庭を見る。
其処にはナニも、誰も居なかった。雪だけが静かに積もっていく。
目を閉じる。
体に溜まった何かを吐き出して、冬の冷たい空気を代わりに入れる。
頭の芯から冷えていく感覚が心地良い。
改めて目を開け、確認できたのはシンの心配そうな顔で、何だか自然に笑えた。
これが私の本当なんだ、そう思えた。
「大丈夫だよ。この辺から入ったんだよね?
っと。あの窓、鍵がかかってないんじゃない……。ほら、やっぱり」
「ん。本当だ、職務怠慢か、それとも小夜ちゃんが本当に来ているのかも。
何だか誘われているみたいだ」
「……」
スッと、音も無く、入り口は開いた。

4

「よっと。当直の先生はいないんだよね、確か」
「うん、先生も休みたいって事でしょ」
校舎の中に入るとそこは、外の光だけでかすかに廊下が浮かび上がっていた。
それはいかにも静かな光景で。
動いているのは私達だけ、場違いというか世界が違う。そんな風に感じる。
そんな雰囲気に呑まれて黙りこくっていた事に気付いた。
「ちょっと不気味だねー、学校案内でもしてたの?」
「いや探検のついでに音楽室でピアノを聴かせて貰ったんだ、とりあえず音楽室行こうか」
「へー、ピアノ弾けたんだ。今度聞かせて貰おうかな。あ、音楽室こっちだったよね」
「あの頃でも上手いもんだった、そう四階の一番奥」
無断で借りたスリッパの音だけがペタペタ響く。
なんとなしに教室を見て、
自然にあの時の光景がよみがえった。
放課後の黄昏た光が希薄に教室を満たした、あの時だけの世界で二人だけの場所。
そこには他のどんな視線も無くて、何にも邪魔をされずに私たちは何を見ていたのだろうか。
今じゃ何を考えていたのか思い出せない。
けど、偶然教室で二人になった時の事を忘れはしない。
光に照らされたシンの顔を。その時私が願った事を。
その後した私だけの約束を。
「机、小っさ。こんなのに座れるくらい小さかったんだね。……ヒカル?」
その後、私の回りはシンだけになって。それでかまわなかった、そういう風に決めたんだから。
そうして彼は一緒にいたいと、好きだと言ってくれた。
それでもその前の事が消えるわけじゃない。
「ヒカル、音楽室もう目の前だよ。って言っても鍵は無いのだけど」
「うん。もし開いてたら中にいるって事でしょ。散々心配させて。いたら問い詰めちゃうからね」
「泥棒かもしれないけど、音楽室に用があるとは思えないな。なんにせよ開けてみよう」
扉は開く、想像以上の音をたてて。
顔を見合わせて中へ。カーテンの閉められた真っ暗な部屋、何かいる気配も無い。
パチパチとスイッチを入れる音がして、あたりは一瞬白く塗りつぶされる。
しばらくしてから周りを見渡して、何の変哲も無い、誰もいない音楽室を確認した。
「小夜ー?……いないみたいだけど、どうしようか」
教室をうろついているシンに習ってブラブラしながら聞いてみる。
「何だか学校にいそうな気がするから二手に分かれて探そう。いてもいなくても音楽室に集合
九時まで探そう」
「えっ」思わず声が上ずってしまった。
窓は開いてたし、ここも開いていた、やっぱり学校にいるんじゃないか。
そう感じてた。でも二手に分かれるなんて考えもしなかったから。
「何、一人じゃ怖い?」
「そうじゃない!そうじゃないけど。
……私は向こうの棟を見てくるからね」
「じゃあ僕はこの棟を見るよ。気を付けて」

余裕っぽい表情が気に食わなくて、返事無しに足早に音楽室を後にする。
しばらくしてからやけに大きく響く自分の足音にあわせて鼓動まで大きくなってる事に気がついた。
何故だか歩く度に体が熱くなる、歩く衝撃にも耐えられず頭がふらつく。
堪られずにため息一つと歩く速度を落とした。
「一人は不味いよ、こんな場所に一人なんて」
誰も答えてくれない言葉はすぐにこの暗闇の雰囲気に溶けて消えてしまった。
手を握り締めても、痛みしか感じない。
「鍵開いてるし。ホントどうなってんだろ」
独り言はもう止めとこう、余計に虚しい。
渡り廊下の向こうの扉もこちらのも鍵は開いてた。
誰だか知らないけど誰かがここにいるか、いた事は間違いないみたいだ。
誰か……、あの子であるわけがない。
……あの子?あの子って誰だ。
誰だっけ?私は誰を見た?
何も考えずに校庭の方を見た。
私の顔だけが映る窓ガラス、邪魔だからあけた。
外では雪の勢いはかなり弱まっている、やっぱり校庭には誰も居ない。
体の方は随分冷えたけど頭はまだまだ熱い、冷たい風が心地よいと感じる位。
そんなぼんやりした頭がはじき出したのはno_good_placeなんて言葉だった。
何だか自分の意思とは関係なく体が動いている様な感じがして。
だけれどもそれが何だか心地よく、空っぽの教室を見て回った。
そうしてこの棟の最上階、五年生の時の教室を見て回っていた時、

ソレは唐突だった。
数人の女の子が教室で談笑している。私は何だかそれを上から見下ろしてるみたいで。
でもそんな事は何も気にならない。私の注意は女の子たちの会話の内容だけ、らしく。
他の事は何も不思議じゃない、そんな風に如何でもよかった。何も実感が無い。
「アナタってわりと普通っぽいねー、アイツと一緒にいたから変な人かと思ってた」
「」声が出なかった。どうやっても出せない。
「アハハ……」代わりに聞こえてきたのはなんとも耳障りな声だった。
「なんかキモイよね、アイツって」
「休み時間は本読んでるかなんか塾の教科書開いてるか、ソレで薄く笑ってたりしてるし」
「マジで?イっちゃってるんじゃないの」
「ホラ、また男子たちアイツに絡んでるよ。いい加減やめりゃいいのに」
「あーあ連れてかれちゃった、何処行ってるんだろう」
「しらなーい。それより、アイツって何処の塾行ってんの?」
「え?、っと。たぶん市内だと思うけど」
「そこまでいってんだ、親が送り迎えとか?」
「おじさんとおばさん忙しいみたいだから。多分一人だと思う。
おばあさんも結構前に死んじゃったし。家でも一人だと思う」
「えー、ご飯とかどうしてんだろ」
「分かんないよ、私が起きてる時間で崎山君の家、電気ついてた事ないから……」
「よく見てるよね」
「それは!皆が見ろって言うから……」
「分かってるよ、もう。そろそろ行こうか。アナタも行くでしょ」
「うん……」
その子は知っている事を少しづつバラしていった、
このクラスでのアドバンテージはそれしかないから。
「一緒にいたって言ったって昔の話だし。彼が忙しくなったころから疎遠になって、
今じゃ状況も相まって声さえかけ辛い。
彼がいなければ一人だった。
だから、しょうがないよ。ここにきてやっと出来たトモダチだもの」
(……こんなのは、嫌だ。こんなのは嘘だ、汚い大嘘だ)
「嘘も糞もないよ。私はこの時確かにそう思ってたもの、しょうがないって」
終始俯きがちだった子だけがこっちに戻ってきていた。
その、さっきまで俯いていて暗くて何だか判らなかった顔は、

私だ。小学生の時の私なのか、この子は。なのに、
(何で、そんな事言うの。私はずっと償ってきた、シンの為に。
だから、だからもういいじゃない。あの時はしょうがなかった。そうだよ、しょうがない)
「そうだね。だけどその償いはシンの為じゃなくて自分の為。安っぽい罪悪感から。
そのせいで私は今もここに残されてる」
(……何を言っているの。私はシンが好きだから――)
「分かってるでしょ。私は貴女。私が言った事は偽りの無い貴女の事」
(……違う)
「違わない。貴女は何も変わってない。
何をするにも二言目にはシンの為。ホントは自分の為なのに、やってあげるんだーって息巻いて。
彼が思い通りにならなかったら私はこんな事もしてあげてるのにーって言うんでしょ。
彼、カワイソ。うんざりするよね」
(シンはそんな風じゃない。シンは私のこと好きだって――)
「貴女の話をしてるの。そんなんじゃ彼の愛情も冷めるってお話を。
もう一度言うよ。貴女は何も変わってない。私をここに置き去りにしても、
彼にどんなに尽くそうとしても、自分の為に彼を売ってたあの時のままだ」
(違う、違う、違う、違う、違う、違う!)
「認めたほうが楽になるよ。私はそういう人間なんだ、って。だからしょうがないってね」
(違う。私は絶対認めない。貴女は私なんかじゃない。貴女は私の幽霊だもの。
私は貴女を殺した。絶対に、絶対に違う)
「ふうん、別にいいけど。私はこうしてここにいるわけだし。ここは結構居心地良いよ。
何処に行ってもしょうがない事ばっかり。けどそろそろ飽きてきたしさ、お外に出たいわけですよ」
(何?)
「あの頃と何も変わってない貴女の体ならお外に出れそうだって話。
そういうわけだから、私と一つになりましょうか。ねえ貴女」

「っっっっっ」
突然、体に実感が戻ってきた。
うつぶせに倒れてて
少しでも多くの酸素をと呼吸は乱れ、心臓は制御を外れたみたいに暴れてる。
腕も足も震えていたけど何とか四つん這いの姿勢は取れた。
そして顔だけ上げた先に、
いた。
真っ黒でガス状の何かが。確かにいる。
弾かれた様に後ろに倒れた。手も足も震えてうまく立てない。
それでも少しでも離れたくて座ったまま移動しようと両手足をばたつかせ、
既に後ろは壁である事に気付いた。
黒いなにかはゆっくり近づいている。
声さえ上げられず、震える足で何とか立ち上がり、駆け出した。
震える足ではうまく走れずに、途中で何度も転びそうになりながら夢中で走った。
すぐ後ろにアレの気配を感じる。足を止めてしまったらすぐに取り込まれてしまう。
アレは真っ黒な、私だったんだ。
暗闇に押しやって見えない様にして忘れた筈の、そうして真っ黒になってしまった私の過去。
泣いて、泣いて何が変わるものか。判ってる、けど泣きたくて。
シンに会いたいんだ。情けない私は。
シンに会えれば私は大丈夫。シンだけが私の本当だ。
そう念仏でも唱えるみたいに思いながら音楽室に向かった。
息を切らせて、もう半分泣いている顔だって分かっているけど。明かりの中に入りたかった。
音楽室の扉が見えた。もう少しだ。もう少しで私は大丈夫。
「はっ、あ」やっとこれで、扉は目の前だ
私は勢いよく扉を開いた。
開けて、明かりの中に、
入れずに、
シンと、
小夜が、
抱き合っている様を、
暗闇の中で見て、
立ち止まった。
とうとう私は立ち止まってしまった。
頭が酷く痛くて、血が必要以上に頭に送られる感覚。
何も考えられない、だのに体は自然に言葉を発す。
「シン、何してるの」
私を放って置いて。シンがいないからこうなってしまうんだ。だから、だから仕方ない。

「いや違うんだヨこれは。小夜ちゃんも離れて。
そういうんじゃなくてね。小夜ちゃんがいきなり……、離れて。
とりあえずヒカルお疲れ様。小夜ちゃんいたよ……。どうしたの、大丈夫?酷い顔しているけど」
アハハ、酷い顔してるんだ。そっか、笑ってみた。少し怯むのが判る。
「シンは楽しそうだね。小夜、どこにいたの」
「……一年生の廊下であったんだけど、本当に平気?」
「嘘でしょ、目尻の筋肉が緊張して動くから直ぐに分かるよ」
「ん、……ごめん。やっぱり音楽室にいたんだよ。だけど出にく――」
「私が邪魔だったんだ。二人の方が良かったから。それで二人で楽しく過ごしてたんだ
私が暗い中を探している間に。楽しくしゃべって、私の事馬鹿にしてたんだ」
「馬鹿になんてしてない。そういうのはヒカルの悪い癖だよ」
「じゃあなんで。何で私を一人で行かせたの」
「邪魔にするつもりじゃなかったんだ、ただ小夜ちゃんが出ずらそうにしていたから」
「シンはいつもそうだよね、困っている人の味方だもんね。そうして誰かを踏み台にして助けるの。
私がどう思うか、分かってたんでしょ。分かってたのにしたんでしょ」
「……」
「小夜かわいいものね。頭だっていいし、ピアノまで出来るみたい。凄く楽しそうだしね」
「ヒカル、僕は……」
「私は確かに頭が悪いけど、シンの事必死で考えてる。一緒にいたいって、考えてる。
もう傷つけたくないって、あんな事しないって思っているのに。どうして」
どうしてシンはそんな事するの、といったつもりがしゃくり上げるのに邪魔されて上手く言えなかった
「私の事恨んでるんでしょ、けど人肌が恋しいから一緒にいる。それでいて中途半端な良心から
キスも出来ないでいる。私の事無茶苦茶にすればいいじゃない。
したいでしょ。憎いでしょ、あの時笑ってた私が
シンの事無視して皆と一緒に笑っていた私が。いいんだよして、私はそうされたいと願ってる」
「ヒカル少し落ち着いて、そんな事言わないで」
「シンは何も判ってない。奇麗事ばっかりで自分には何も関係ないような顔して。
私はそんなに汚い?シンに相応しくない?
シンだって、あの時のシンだって私の事、皆の事見下してたんじゃない。
皆気付いてた、だから疎外した。シンが一人がいいような態度を取るから仕方ないって。
それで一人、黄昏て我が身を憂うんでしょ。何?何かあるの」
「それは……そうさせたのはどっちなんだよ。僕はあの時必死だったんだ」
「認めるんだ、自分が汚いって」
「僕の事を全部ヒカルがばらしたんじゃないか。ヒカルしか知らない事を全部あいつらは知ってた
それで僕を笑い者にしたのはヒカルじゃないか」
「そう。だから気がすむまで傷つければいい。そうしないのは、自分が傷つきたくないからでしょ。
だけど一人ではいたくない。だから私と一緒にいて、傷つきたくないからそれ以上踏み込まない。
だから小夜なの?何にも知らないから、自分の汚い所を。
汚い所を無くして奇麗な自分でいられるから。
でも駄目、そんな事できやしない。違う自分にはなれない。その事は一生残るんだ。
其れを忘れた振りをして、隠し合って生きていくんだ。
小夜だってそう。両親の不仲が堪えた?其れを理由にして黙ってこっちに来る?
そうする自分に酔って」
「待てよ、小夜ちゃんは関係ないだろ。それに小夜ちゃんの両親の事知ってたのか」
「知ってたよ、シンには関係無いから言わなかったけど。それより小夜の事庇うんだ」
「関係ないって事ないだろ。小夜ちゃんの事大切に思ってる」
「……ナニソレ」
「……言葉どおりだよ」

一瞬の静寂、その隙間を縫う様にして。
それまでシンの後ろに隠れてた小夜が動いた。
俯きがちに私の目の前に来て、
「もう辞めてよお姉ちゃん」
といった小夜の顔は、
薄く笑ってた。
その顔も、言い草も気に食わなくて。
一際大きく心臓が跳ねた。
その刹那の後、気付いた時には。
衝撃が、
手の平と何故だか心臓にも直接響いていた。
息も止まって、それからそれまで切れていた線が復帰したみたいに頭が冷える。
いや、今この時に切れてしまったのかもしれない、どんどん頭が冷めていく。
小夜は俯いたままじっとしてる。
小夜に謝らなきゃいけない、
なのに口からは「あぁ」としか出てこなかった。
「ヒカル!」
怒気をはらんだシンの声が怖くて、私は、また、逃げ出した。
光の中も怖くて、闇の中も怖い。もうどこにも行く場所なんか無い。
でもここにいられない。何処に行くわけでもなく外へ。
こんな筈じゃなかった、呟いても空しいだけだ。
まだ雪は静かに降っていて、手の平に降ったそれは静かに消えた。
それを握り締めて願う。
消えてしまいたい、と。

5

笑いたい。
笑うのは不味いからずっと我慢しているけど。
新さんの体に顔を押し付けても、体の震えは止められない。
それを彼は心配そうに肩を抱いて、優しく
「小夜ちゃん大丈夫?」と声をかけてくれる。
ますます笑いたなって、より強く彼を抱きしめた。
優しく背中を撫でてくれる。
そうだ、結局そんなものだ。
いくら付き合ってるなんて言ったところで、
相性がよくなければ別れてしまうんだ、どんなにその前まで仲がよくても。
彼と相性がいいのは私だけ、彼と同じ境遇の私だけだ。
だから離さない。お姉ちゃんのとこになんて行かさない。
「今度はヒカルを探さないと、小夜ちゃん行こう?」
行かさない。新さんは私と一緒にいればいい。
彼の顔を見上げて、頭の後ろに手を回し、
キスをした。
やらかくて暖かい、夢を見てるみたい。
だけどそれは直ぐに終わった。新さんが体を離してきたから。
その顔は何だか困った風で、少し、微笑って言うんだろうか、笑っていた。
「新さん、新一さん。私は……」
鼓動が激しくなるのは分かってた、夢の中では何度も言った。
なのにそれきり言葉が繋げられない。
「小夜ちゃん。小夜ちゃんの気持ちは嬉しいんだけど、
僕はヒカルの事が好きだから。
だから、ごめん」
体はもう完全に離されて、
新さんは私の頭を撫で様として出した手を、
バツが悪そうに自分の方へ持っていって頭を掻いていた。
「な……んでですか」
「……」
「お姉ちゃんは新さんに酷い事をしたのでしょう。今だって酷いこと言った。
何でそんな人の事を探しにいくんですか。何で、好きなんですか」
「僕だって、ヒカルに酷い事を言ったよ。酷い事もしてきた。
でもしょうがない事なんて無かったし、こんな筈じゃない事だって何も無い。
だからこのままじゃ嫌なんだ」
「……」
なにかの音が校内に静に響いた。
「ヒカル外に出たね。小夜ちゃん、一緒に行こう」

納得なんか出来ない。
けどそれ以上何も言えない私は黙ってついて行くしかない。
ちらちら降っている雪を眺めながら、さっきの言葉を反芻してみた。
其処まで言うなら、見てみよう。
新さんの言う事を。
お姉ちゃんの性格からして今頃自己嫌悪で死にそうになってるだろうし。
誰がなんと言おうと許せない筈だ、自分を。
新さんが一緒にいるって事は自分の罪を見せ付けられてるのと同じなんだから。
もう一緒にいるなんて出来やしない。
それで新さんも気付く、隣にいるべきなのは誰かって事に。
外に出た事さえ分かれば足跡を辿ればいいのだからお姉ちゃんは簡単に見つかった。
その様子は両手を額の前に組んで祈っているみたいで、
街灯の下に一人きりなんて様がよりいっそう寂しさを際立たせてる。
新さんは私の方を振り返り頷いてから、駆けていく。私もそれに習う。
それに気付いたお姉ちゃんは逃げようとして、頭から雪の中にダイブした。
相変わらずの行動だ。
「はは、ヒカル大丈夫?」
お姉ちゃんは頭に雪がついた状態で、涙目もそのままに、座ったまま私たち。
いや、新さんを見上げて言った。
「何で追ってくるの」
「そりゃ、ヒカルの事心配だし。それに好き、だから」
「私が汚いって分かったでしょ。辺りかまわず汚して、当り散らして。昔と全然変わってない」
「そうでもないよ、変わってない部分もあるけど。変わった事だってある」
「一番変わりたい所は変わってない」
「……」
「私はシンと一緒にいたいけど。駄目なの、
シンと一緒にいると我慢できない事とかたくさん出てくるし。
何より昔の自分を思い出しちゃって、シンを哂ってた時の事を思い出して。
あの私は確かに私の中にいるんだもの」
「そうさせたのは僕だ」
「私が、した。どんな風に言ってくれてもそれは変わらない。そんなの許せない。
それとも忘れた振りをしてこのまま付き合うの?」
そんなの無理に決まってる、誰でもわかる。それでもお姉ちゃんの瞳は揺れてる様に思えた。
「忘れないよ。忘れるなんて無理だ」
「……そう、だよね。トラウマになっちゃうよね」
「そんな繊細じゃないって。
というかヒカルは別に自分の事許さなくて良いんじゃないか。
確かにあの時の事は決して褒められる事じゃないし、ひけらかすものじゃないと思う」

……何を言ってるんだろう新さんは。相手を赦しに来たんじゃないのか。
お姉ちゃん本泣きにぶり返してるし。
「っっぅぅごっ、ごめっくっっぅぅぅ」
それでも泣かまいとするお姉ちゃんを、
新さんは、抱きしめ。
何か伝えていた。
それはすぐ風にさらわれてしまい私の耳には届かなかった。
だけれども、お姉ちゃんの表情だけは見えて。
泣き顔が、驚いた顔になって、
最後には泣きながら無理に笑おうとして、なんともいえない顔になっていった。
何が変わったっていうのか。
言葉にできるほどの事は起こってない。
なのに二人の雰囲気は確かに変わってる。
私はそれに取り残されたまま、何処に行ったって私は取り残されたままだ。
思い出にしがみついた所で、家族の絆なんて言葉をかざした所で。
冷たくなった体が震えた。
そんなの、こんなのない。
身を切る様な寒さだけが私の証明なんて。
地面を見ながら震えていた私に影が落ちた。
「小夜。ごめんなさい、叩いて。後、シンとの事黙っててごめんなさい。
小夜の気持ち知ってたし、言い出せなかった。小夜に遠慮したら小夜に取られるとも思ってた」
いまさら、いまだからそんな事をっ。
「……汚いです。そんなの、いまさら言って。
私は認めない。いつも一緒にいるからって、そんなのずるい。
酷い事したのに一緒にいるなんて信じられない」
「私は信じてるよ」そう言ってお姉ちゃんは、私の頭に手を載せた。
気に食わなくて睨みつけでもしてやろうと上を向いた、
その先に。
逆光で黒く照らされた顔があった。
表情なんか分からない。
だけれど真っ黒な彼女からこぼれた涙は街灯の光に照らされ輝いて、
とても綺麗だった。
こんな、
こんな単純で綺麗なものがこの世界にあるのか。
その事が私を満たしてく。
そんな単純な事で私は心を動かしてる。
どうしようもなく、涙が出てしまい困った。
「小夜……。ごめんなさい」お姉ちゃんは抱きしめてくれて。
その感触、匂いが、何だか懐かしく。
私に、このいつも優しくて少し笑える姉が大好きだった。
その事を自然と思い出させてくれた。
私はそんな事も忘れてしまっていたんだ。
「ごめんなさい」言いながら撫でてくれる。
私はかぶりを振って、面と向かってでは到底いえないから「ごめんなさい」
とくぐもった声のまま言った。
「帰られますか」
「帰りましょうか、小夜。帰ろう。シチューもあるよ」
小さく頷いて離れればその分寒さが身に染みる。
震えた私の両手をそれぞれ別の暖かさが包んでくれた。
「私……そんな子供じゃなひ……です」
「分かってるよ、小夜。小夜は子供じゃない。
ただ、私達がこうしたいだけだから。帰ろう一緒に」
歩き出すまえに後ろを振り返ってみた。
其処は街灯が照らし出した静かな空間で、
ナニも、誰も残っていない。
その事を確認して歩き出す。
見上げた空には、怖いくらい白い雲の切れ間にダークブルーの世界と瞬く星があった。

結局私はその日、お姉ちゃん家に泊まった。
布団の暖かさを噛みしめたり、朝起きた時、先に誰かいるなんて事が
少し嬉しく、いつもを思い出して寂しくもあった。
お母さんが今日迎えに来るって言うから直ぐに帰らなきゃいけないのだけれど。
「そんなに急いで帰らなくてもいいのに」とは新さんの弁
「そうそう、でも昨日はホント夢みたいな出来事だったねー」
「そうだね。色々疲れたし。
あ、もう来たみたいだよ。親御さんにも謝らないとね。小夜ちゃん」
「別に。それより最後に新さんになんて言われたんですか。お姉ちゃん」
「えっ、っと。私が何処にいてもシンは私の事を探してくれるんだって」
「意味が分かりません。にやけられても困ります。後、新さんアレは夢じゃないですよ」
「ん?」
「私のファーストキスは安くないです」
「!」
「!それどういう事」
「それじゃあ私はこの辺で。母が待っているみたいですから」
騒がしい部屋を後にした。
結局新さんの言った言葉の意味は分からなかったけれど、それでいいような気がする。
その言葉の意味を決めるのは私だ。これから決めよう。
悪魔と契約なんかしなくても、
世界にはあんなにも美しいものが見つかった。
今はこれだけで十分だ。
「小夜、車に乗って」
「うん……。お騒がせしました」
「つぐみ姉さんありがとう。さあ行きましょ」
「ハイハイ、小夜ちゃんまたね、今度はゆっくりしてってね。櫻子も」
車に乗り込むと、あっという間につぐみおばさんが小さくなった。
遅れて新さんとお姉ちゃんの姿も見える。
「小夜、私はこれから仕事に行かなきゃいけないけど。だけど今日は早く帰ってくるから。
……お父さんも早く帰ってくるから、だから――」
しょうがない事なんて何も無いし、こんな筈じゃない事だって何も無い。
その意味を見つけるために私は言った。生まれて初めての言葉を。
「お母さん。私、お父さんの事もお母さんの事も好きだから」

−了ー

2007/11/08 完結

 

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