INDEX > SS > 一番目の彼女

一番目の彼女



1

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + 

 

 ――モテるとは、どういう事か。

 じきに本格的な寒さを伴うであろう初冬。
  通学途中で信号待ちをしていたとき、何の脈絡も無くそんな事を考えていた。

 モテ。――異性、ときとして同性に気に入られ、惚れられる奴。
  非モテ。――not人類。

 他人からの人気、個人的な魅力のバロメーターとしてよく見受けられる、
バレンタインのチョコレート。
あれなんかが良い例だと思う。
  貰える奴は鞄をチョコで破壊しかねんばかり、あるいはたった一つだけ、
当人達にとって一際想いの篭ったそれを貰う。
貰えない奴は下校時刻まで粘ったが成果が出ないまま涙を流す事もしばしばだという、
そんな魔性のイベント。
  しかし、しかしである。

 モテるってのは、そんなに素晴らしい事なのか?

 しばしばそうした格差を見せ付けられる両者の間に、果たして如何ほどの違いがあると言うのか。
  この熊谷良太郎。これまで過ごした十六年の人生を顧みるに、紛う事無き非モテである。
  小中通して女子からの告白はおろか、チョコレートや交換日記など、
ただの一度も体験した事は無い。
キャンプファイヤーを囲んでのフォークダンスは常に男相手。
肝試し大会では参加者ではなく最初の脅かし役。
学芸会の舞台には村人Aとして臨み、修学旅行では誰より早く就寝していた。

 でも、それが何だと言う。

 それらの思い出に後悔は無い。全部が全部良かった訳ではないが、結果的に満足の行く内容で、
俺も十分に楽しめたからだ。きっと俺だけではない。
俺と踊った奴や、一緒に脅かした奴。会話をした村人Bや、
起きたら顔に落書きされてた奴だって大体は同じ気持ちの筈なのだ。

 …だと言うのに、どいつもこいつも二言目にはモテたいモテたいと……。

 互いに通じ合った仲の友人達の、そこだけが理解出来ない。
お前らはあれか、一日一回それを言わねばならないルールでも密かに作っているのか。

 何故、今の友達同士で遊ぶ関係で満足出来ないんだ。

 楽しいのなら、それで十分ではないか。女子と仲良くなる事は、女にモテるというのは、
そんなに良い事なのだろうか?
  周りが皆そういう雰囲気だから、何となく自分もその場の空気に任せて青春している風を
装っているだけではないのか?
  すると、今まで自分はこの若さの波に知らず乗り遅れていたという事になるのだろうか。

 その波に乗れば俺の生活が何か、もっと別の方面から潤うのか? ……わからん。

 普段考えない様にしていた方面の問題だっただけに、いざ真面目に考えると苦悩する。

 逆に考えてみよう。
周りの奴らが女子と関わろうとするのは当然の事で、俺みたいな考え方をしている奴が異端なんだと。

 そうだ。その通りだ。だって、現に俺という奴は今まで男連中とツルんでばかり、
クラスの女子達には殆ど見向きもして来なかったではないか。
そんな経験値ゼロの非モテ野郎が、どうして異性交流の素晴らしさについてだなんて事を
考えられるだろう。
  まずは、自分自身がその状況に身を置く必要がある。
その上で、ようやくモテと非モテの差異を真に理解出来るに違いない。

「何でも、まずはやってみなけりゃわからん」

 青く光っていた信号機のランプは、既に点滅を繰り返し再び赤へと変わっていた。

 

 HR十五分前の、まだ人気の少ない教室。
  窓際、俺の後ろの席に都合良くぽつんと座っていた女子。
決めた、とりあえずこいつと仲良くしてみよう。

「よっ、おはようさん」
「………」

 名前は確か持田。下の方は覚えていない。
  クラス内、というより学校内における交友関係ゼロ。
一目置かれていると言えば聞こえは良いが、ぶっちゃけてしまえば所謂ぼっち、
というのが友人から聞いた話。
  何故そこまでそいつが知っていたかと言えば、
「見た目が良かったんで何日か色々チェックしてた」との事。
…だから、その熱意は一体どこから出てくるんだ。
  本人がどう思っているか、あるいは実際にどうなのかは知らないが、
周囲の持田に対する認識は概ねそんな感じで固定されているらしい。

「……」
「……」

 しばらく待っても返事は帰って来ない。
多分、今の言葉が自分に宛てられたものだなどと思っていないのだろう。
それもその筈、何しろ俺がこいつに話しかけるのはこれが初めてなのだから。

「HEY、持田ガール!」
「ひゃっ!?」

 席に座り、身体をぐるりと反転。
名指しと満面の笑みでばっちりターゲットを捕捉し、粋なアクセントを利かせて再度声を掛ける。
  対して、持田の俺への初の言葉は「ひゃっ!?」。…うむ、一応記念として覚えておこう。

「おはよう!」
「……」
「おはようっ!!」
「お、おはよう…」

 はばないすでい。今ここに俺と持田とのファーストコンタクトが成立した。
  唯一の問題はここから先の事を一切予定していなかった事だが、
普段友達と喋るときにわざわざそんな事を気にする奴は居ない。
気ままに同じ時間を楽しめればそれで良いのだ。
  そう。何故なら今この瞬間をもって、俺と持田はフレンズになったのだから。

「数気噺電気離譽檗璽搬澆靴討んろ、持田どん」
「えっ!?」

 ゆえに物の貸し借りは基本。例えどんな親友であろうと、話をするからにはきっかけが必要だ。

「すぐ写して返すからさ、頼むよ持田どん」
「……なんで貸さないといけないの。ていうか、何よ”どん”て。勝手に妙な呼び方しないで」
「固い事言わんと、ちょいと見るだけ! 見るだけだから!
  何なら俺のと見せっこしても良いから!! ね? ね?」

「ちょ…へ、へんな言い方しないでよっ!!」

 一歩間違えたら危ない人間だが、こちらとしては至って大真面目だ。
大真面目に、友達とじゃれあっているつもりなのだ。
断じてセクシャルなハラスメントを行っている訳ではない。

「お金あげるから! あげるから!!」
「やめっ、人が……わか、わかったわよ、ほら!」

 おお、意外とやってみるもんだな。

「サンキュ! 俺のも見たかったら言ってくれよな!」
「い、いい、いらないっ!」
「そう遠慮すんなよ」

 これでも授業は真剣に受けている方なのだ。成績だって悪くない。

「遠慮なんてしてない! もういいでしょ、さっさとどっか行って!!」

 どっかて。俺の席はお前様の目の前ですよ。

 どうやら向こうもすぐにその厳然たる事実に気が付いたのか、
うっ、と顔を僅かに顰めると、決まりが悪そうに窓の外へと視線を逸らした。

「ふふっ、照れ屋さんめ」
「うるさいっ! 何なのよアンタ!!」

 今はわけあって愛の探求者です。はい。

 

 キーンコーン

「おう持田! 飯食い行こうぜ!!」
「はぁ?」

 朝のHRから時計の長針がカッチコッチと数周して、昼休み。
  クラスメイトとのコミュニケーションタイムであるそれは、
俺にとっては即ち、新たに出来た友達との親睦を深める時間である。

「学食、お前も行くだろ?」
「……」

 がたっ、すたすた

 わざわざ席を立ってのスルーであった。

「まあ待てまあ待て持田君」

 すたすたすた

 故に、俺も当然の如く追尾。

「そりゃ確かに急っちゃ急だと我ながら思ってるけどな、
俺は何も他意があって誘ってるわけじゃないんだ。
ただ純粋にお前と昼食を取ってみたいなと思っただけなんって聞けぇぇい!!」
「ぎゃぁぁぁっ!」

 本気の悲鳴を上げる持田。説明だけではどうにも埒が明かないので、
俺が背後からいきなり奴の両目を手で覆い隠してやったのだ。
簡単に表現すれば「だぁーれだ」のポーズである。

 こうされては流石に向こうも立ち止まるしか手は無く、
「この持田、生来目が見えぬ」とか言い出さない限りはこちらも安心であった。

「折角平和的な手段でいってたのを断りやがってからに、良い根性してるじゃねえの嬢ちゃん」
「やめっ…はなっ…やっ…やーーー!!」
「先生、持田さんが何言ってるのかわかりませーん!」
「やーーーーーー!!!」

 すぐ横を通り過ぎる生徒達からして見れば、俺はさぞや立派な変態だったに違いない。
  軽いパニック状態に陥ったのか、暴れるように両手をぶんぶんと振り回す持田嬢。
が、俺が当たらないポジションをしっかり確保している為にただただ空を切るばかり。
足を使う発想は出てこなかった様で、腕の方も疲れてきたらしく次第に息が上がってきた。

「くくく…ほれほれどうした、お前が大人しく昼を一緒にすると言うのなら離してやるぞぅ」
「うぅうううう…」

 こくり

「よぉし、良いだろう。さあ、食堂へ行くぞ。それとも購買が良いか?」

 ふぅふぅと息をつきながら、持田は非常に悔しそうに頷く。
時折突き刺さってきた周囲の目線を鑑みるに、結果は辛勝と言わざるを得ない。
  まあ、そんな事も購買でパンを買ってお釣りを受け取る頃には既にどうでも良くなっているので、
長い目で見れば特にこれといった問題でも無く。

「そっちは何も買わんかったん?」
「…お弁当あるから」
「へぇー」

 教室へと帰り、少しの問答の末に互いの机と机を寄り合わせた俺と持田は、
自分達の昼食を広げながらごく普通の会話を繰り広げていた。

「……………へぇ」
「な、なによ」

 俺の視線の先には持田の弁当。

「いや、不慣れだなと」

 忌憚無き感想に、うっ、と狼狽した様子を見せる持田。
やはりこれは自分で作ってきた物なのだろう。

「卵焼きを作ろうとして崩れたスクランブルエッグもどき」
「ぅ…」
「レタスはまあ千切るだけだから良いとして、トマトは切り方が悪いのか潰れかけ」
「…」
「そしてひき肉を調理したらしき何か」
「……それは、ミートボール」

 出来ないならそれくらい冷凍食品使っておけばいいだろうに。

 一見無事に思えるご飯も、この分ではどんな塩梅かも知れた物だ。未熟者め。
  食べられないという事は無いが、正直あまり食欲はそそらない持田の弁当。
今日は冷蔵庫の中がほぼ空だったので仕方無く購買で済ませたが、
習慣的に自分の弁当を作っている身としてはどうにも粗末な出来である。

「最初は誰かに教わるか、作り方を調べておかなあかんてあーた」
「本で調べたわよ、悪かったわね」

 提言に対し、ぶっきらぼうに持田が答える。自分でも出来が悪さは分かっている様で、
朝に引き続き、苦々しげな表情で顔を逸らした。

「なこた言ってない。料理なんて慣れない事にはどうしようも無いし、
自分で作ろうとしたのはむしろ良い事じゃないか」

 売れ残りのコッペパンを一口食べ、そう付け加えておく。

「偉そうに、アンタだってそんなじゃない」
「ほほう、さてはお前、この俺が普段手作りの弁当だという事を知らんな? 言ってないけど」
「ふ、ふん。どうせ大した物でもないんでしょ?」

 むかっ

 持田が悔し紛れにそう言ったのは確かだろう。
しかし、働き者の両親の為に中学に上がる前から必然的に磨きを掛け続ける事になり、
家事には幾らか自信を持っているこの俺が、そんな素人の言い掛かりをどうして聞き逃せようか。
  友人同士での、「弁当のおかず交換会人気No,1」の栄光は伊達では無いのだ。

「言ったなこの野郎? なら明日お前の分まで用意してやるさ。
めちゃ美味しく作ってやるから今夜はせいぜい布団の中でわくわくしていやがれ!」
「な、何よそれ。ていうか、なんでそうなるのよっ!」

 

 次の日の昼休み。

「………お、おいしい」

 本当に、思わず口から漏れたと言う風な呟き。
  俺が朝も早くから丹精を尽くして作った弁当は、
どうやらこの無礼な女の舌を満足させる事に成功した様である。

「ふふふ、そうだろうそうだろう。こっちの高野豆腐も食してみるがいい、
昨日の内から仕込んでおいた自信作だ。心して味わえ」
「うん、……ほんとだ、おいしい」

 こちらの注釈も聞きながら、持田は驚きに目を見開き、殆ど休む事無く箸を動かし続けた。

「当たり前だ、手軽さが売りな市販の冷凍食品とは訳が違う」

 言いつつ、自分もまた鯖の味噌煮をほうれん草のお浸し、そして固過ぎず、
柔らか過ぎずの白米と口に入れた。
咀嚼する度に口中で鯖の風味と汁が広がり、それがお浸しの素朴な味わいと絶妙の調和を見せ、
ご飯の進む事この上無い。サブとして用意した高野豆腐と出汁巻き卵、
そして白菜と胡瓜の浅漬けも良いアクセントになっている。
  気が付く頃には、こちらとそれ程量の変わらない持田の分は残さず綺麗に食べられていた。

「ごちそうさま…」

 お互い作った物は弁当であるにも関わらず、自分と相手とに横たわるあまりの実力差を前に、
持田は手を合わせたまましばし呆然としている様子。

「どうだ。料理を始めたばかりの素人には、到底この良太郎様の味は真似出来まい」
「うぅ……どうしてこんなのが」
「こちとら何年も家の飯を作ってるんだ。舐めてもらっちゃ困る」

 熊谷家のお袋の味は、今や立派にその息子へと受け継がれているのだ。

「ときに持田よ、お前の方は何で昨日弁当を作って来たんだ?」
「え」

 質問に対し、若干息を詰まらせる持田。
昼だったら購買や食堂で済ませれば良い訳で、何らかの心境の変化でもあったのだろうと思った。

「それは、……どうでもいいでしょ」

 まあ、そうなのだが。そのどうでもいい話を楽しむのが友達なのであって、

「いや、折角だから続けるんなら俺も手伝ったり教えたりしたいと思ってさ」

 俺は目の前の女子にも、果たしてそれらの気持ちが伝わるか知りたかったので、
いつも通りのフレンドシップを発揮してそんな提案をしたのだが。

「………なんで?」

 当の本人は目を丸くして、それは大層意外そうな顔でこちらへ振り向いていた。

「そりゃおめぇ、どうせ手作りで食べるなら美味い方が良かろうに」
「何でアンタがそんな事をするのよ」
「んなの、俺が手伝いたいからに決まってる」
「…そ、そう」

 俺の中じゃもう友達同士なんだし。向こうがどうかは知らんけど。

 程度はあれど、仲良くなるのに関り合おうとする姿勢は大事だ。
むしろこの位踏み込んで行けなければ、個人的に友達としてカウントするには甘いと思う。

「それにレポートとかノートとか必要な時は借りたいし、これでフェアじゃね?」
「ぅ……」

 まだ頼ってくる気かよコイツ、という思考がありありと顔に浮かんでいるが気にしない。
仲の良い奴は揃って別のクラスだから、融通の利かない場合がある事も確かなのである。

「どうよ? あれだって俺に教わりゃその内すぐに覚えるぞぅ?」
「ぁ…ぅ……それは、…でも」

 あ、ぐらついてる。この女、食欲に食い付いてやがる。くく、正直者め!

「お前が作りたきゃ家庭料理も教えてやろう。
なぁに、カレーやシチューや炒飯だけだのとケチな事は言わんぜ。
手軽に美味しく健康的、財布にも優しい熊谷家の秘伝を披露してやるともうふふふふ」
「ぁぁあ、ぅぅぅ…」

 ふーらふーら

 両手を高々と上げて催眠術でも掛ける姿勢で誘惑する俺、
そして釣られる様に両手を彷徨わせ夢遊病患者の如くあぅあぅ言っている持田。
一々面白い反応をしてくれる奴だ、気に入った。

「おいしいよーとってもおいしいよーでもふとらないからへいきだよー」
「ぅうぅぅううー」

 それから放課後までの間、持田が食の誘惑の前に屈した事は言うまでも無い。

 

 ――で、どっちの家でする? 調理室は流石に使えんし。
  ――あたしの家で、良い。こっから、結構近いし。

 意外(?)にも、持田は自らの住居へと進んで俺を招き入れた。
異性の家へお呼ばれするなど、幼稚園以来の出来事ではなかろうか。
  そんなこんなで、あれから三日程過ぎた土曜日。
俺は現在、本人による案内の下、持田家のマンションへとやって来ていた。
  この頃になると向こうもある程度はこちらに慣れてきたのか、
視界に入れば挨拶もするし、合間合間での下らない話にもそれなりに相槌を打ってくる。
個人的には、顔見知り以上友達未満といった距離感。
  本日をもって、晴れて友達へとランクアップの予定である。

「ここ。…はい、入って」
「……」

 緊張は、一応していた。と言うより、”今更”していた。我に返ったと言っても良い。
  考えてみれば、異性の経験を持たない自分がぶっつけ本番でこれである。
我が事ながら、良くぞこの短期間でここまで関係を持って来れたものだと感心した。

 でもまあ、その為の行動だし。

 そう思うと、今度は逆に心が落ち着いて行く。
冷めたのではなく、あくまでも純粋に楽しもうとする心境への変化。
友達の家へ遊びに来た、いつも通りの自分だ。

「お邪魔しまーす!」
「そんな大きな声出さなくてもいいって。誰も居ないし」

 相手の家族へきちんと挨拶が出来ないのは礼儀知らずなので、まずは元気に声を出してみる。
が、その行為は持田の苦笑気味の表情によって締められ、……何?

 ………あ、…あぁ、はいはい。

「だから料理の技術が必要な訳な」
「…まあ、ね」

 微妙そうに頷く持田。

「お父さんとお母さん、外国に住んでるから。…仕送りのお金も、最近は足りなくなってきて」

 ものの試しに自分で料理をやってみた、と。
  成る程、言われて見れば確かに。片親だとすると気にはならないだろうが、
このワンルームでは、一般的に考えて家族構成が三人以上の場合にはやや手狭に感じるだろう。

 しかしそれ以前に、そんな所へ男を呼ぶのは普通に考えてどうなのか。
持田を我が家へ招待するのも少々勇気が要るのに、
向こうの方から知り合って間もない男子を家に入れるのである。

 ……うぅむ。

 とは言え、その我が家にしても今の時間帯は両親共に不在。
どちらが状況としてまずいかとか、そんな事を悩む位なら最初から誘ったりはしない。

「ふふん、良いだろう。ならば今日は俺が一人暮らしの頼れる味方となってやる」

 よって、俺はやはりいつも通り。至ってフレンドリーに接する事にした。

「ちょ、ちょっと…一応言っとくけど、いきなり難しいのは止めてよね」
「ふふふ、安心しろいモッチー。明日からでも実践出来る、
素晴らしくリーズナブルで美味しいテクを教えてやるとも」
「ありがと。でも勝手に人に変なあだ名付けないで」
「別に定着させようたぁ思ってねえって、…あ、それちょっと取って」
「あ、うん」

 元々下心と呼べる様な代物を持っている訳で無し、
そちらはパソコンと紙媒体で既に事足りているのである。
もっとも、それ故にこそ実物がどの程度であるのかを知りたい気持ちもあるのだが。

「…しかし、あれだな」
「な、何?」

 簡単な下ごしらえを終えて何気無く室内を見渡す俺に、持田は心持ちヒヤヒヤした様子で尋ねる。
その仕草はまさしく未知であった女子そのものだったのであるが、

「押入れの中、後でちゃんと片付けような」
「ひっ!?」

 馬鹿め、あっさり引っ掛けに乗りやがった。

 つまりは、そういう事である。
  今の便利な世の中、生活無能力者は着々と増えているとの事だが、こんな所にもまた一人。

「家事ほどやり甲斐のある事もそうは無いってのに。ったく、けしからん」
「…だって、面倒じゃないの」
「バッキャロー、それが愛着へ変わるんだよ。オラ、とっととそこへ塩胡椒を投入!」
「わ、わかった」

 フライパンとフライ返しを持つ俺の横で、持田が慌てふためきながら先程買って来た瓶を手に取り、
こちらへ恐る恐る近づく。

「……こう?」

 キュ、キュ…キュポッ(瓶の蓋を外す音)
  バッサァ(中身を全部入れた音)

「おっふぁ!!? ちが、…ぶぇっくし!! いっきし! …アホか貴様!?」

 バシン!

「ぃたっ!? 〜〜な、何すんのよ、痛いじゃない!!」

「当たり前じゃこのどアホ! こんなん食ったら死ぬわ!!
  四、五振りすりゃ良いっつったろうが!」
「あんたがさっき”投入”って言ったんでしょ!?」

 その言葉がどうやったら中身丸ごとって意味になるんだ、
お前はスーパーへびっくり水を買いに求める主婦か何かか。

 さっきからほんの初歩的な事しかさせていないにも関わらず、この有様である。
もしかしたらあの時の弁当は、こいつなりの奇跡の産物だったのかも知れない。

「がーー!! しゃあねえ、ちょっと退いてろ! …っくし!!」

 隣で喚く持田を身体で押し退け、フライ返しでソテー及びフライパンに
こんもり乗せられた塩胡椒を素早く丁寧に取り除いていく。
  無論、それでも当初の目分量まで減ってくれる訳が無いので、
他は全体的に薄味、横に添える千切りキャベツはかなり多目にする事となった。

 

 てんやわんやになりつつもどうにか料理を完成させ、更におっかなびっくりの食事を終えて、
壁に掛かった時計の針が一時を少し過ぎた頃。
  今は台所の流しで二人一緒に、と言うより、俺が持田の隣で教える形で食器を洗っている。
  料理を食べる時までは何時に無く多かった向こうの口数も、
片づけを始める辺りにはどうやら通常程度までペースダウンしたらしく、
シャワーで流れる水道水と、時折かちゃかちゃという食器同士が触れる以外に音の発生源は無い。
  他に誰も居ない二人きりの室内、俺と持田との間には、いつもより少しだけ、
ほんの少しだけゆったりとした空気が生まれていた。

「……」
「どうだった。一応、お前が半分作った様なもんだぞ、一応」
「…何でわざわざ二回言うのよ」
「気にするな」

 これが言わずにいられようか。

 微妙に不服そうな顔の持田に対し、更に数段不服そうな顔を作っている俺。
  それもその筈。俺がかなり熱心に教え込んでやった、
本来ならば十分家庭の味として通用するレベルだった料理。
それがこいつの引き起こした大小様々な失敗によって、
一気に学校の調理実習程度まで落ちてしまったのだから。
  こちらの見込みが少しばかり甘かった、家事初心者は伊達ではなかったという事だろう。
  別に悪い事だとは思わない。最初は皆そんなものだ。
思えば俺も、小学生の頃はあんな間違いも何度かあったものである。

 …………いや、胡椒一瓶は流石にねえな。

「美味しかったわよ。……熊谷が作った物の方が、やっぱり良かったけど」
「あったりまえだ、これからそうなる様に頑張るから良いんだろうが」

「…うん」

 割にあっさりと同意する持田。俺への呼び方も普段の「ねえ」とか「アンタ」なんかでは無く、
きちんと名前に変わっている。だがしかし、どうと言う事は無い。
今がそんなちょっとした切り替えに丁度良いタイミングなだけなのだから。

 やっぱ今日は来て正解だったな。

 距離感の狭まりを肌で実感して、心の中でガッツポーズを取る。
もしあの時、俺が手作り弁当に託けて、持田へ今日の話を多少強引ながらも持ち出さなかったなら、
俺の名前が呼ばれる機会はもっと後になっていたのかも知れない。
  それでは些か勿体無い。だって、こいつは面白い奴なのだ。
  聞いた話では取っ付き辛いだの何だのと言われているけれど、
一旦ガードを崩してやれば簡単に反応してくれるし、
その反応の仕方もこれまた良い具合に笑わせてくれる。

 一日一ネタじゃあるまいしな。ほんとに。

 何でも器用に出来そうな見た目と口調に反して、中々抜けているのが何とも言えない。
  他の女子達がどうかまではまだわからないが、
俺は少なくとも持田と一緒に居るのは楽しいと思った。
  これならあいつらの言っていた事も半分以上は理解出来る。
実際に面白い相手なら、男だろうと女だろうと関係は無い。
そんな物は俺のつまらない偏見に過ぎなかったのだ。

「おっし、これで終わり、っと。……そうそう、忘れない内に」
「? …何? ちょっと待ってよ、まだこっち洗い終わってない」

 持参したエプロンで軽く手を拭き、台所を離れる俺に持田が声を掛けるが、
特に返事はしないままテーブルへ置いた携帯電話を手に取り、操作画面を開く。
書く物を持って来て無かったので、近くにあったペンとメモ帳のページを一枚拝借、
そこへさらさらと記号や数字を記入していく。
  その内後ろの方から持田がやって来たので、
今し方書き終えたばかりの紙片を手前に置いて見せてやった。

「これ。俺の携帯の番号とメルアドな、料理とかそこらで聞きたい事でもあったらこれで」
「………」

 Oh、ジャパニーズSIKATO。

 むしろ呆然と表現した方が正しそうな、どうにも動きの止まった様子の持田さん。
他ならともかく、私何か今失礼な事でも致しましたでしょうか? Why?

「…ああ、もしかして持ってないのか?」

 どきり、という擬音がぴったりなリアクションをくれる辺り図星らしい。
幼稚園児すら持っているのが珍しくも無い今日日、中々レトロな奴である。

「まいいか、無くても別に困りゃしないし、学校行きゃ嫌でも会えるし」
「え」
「お?」
「…うん」 

 一瞬戸惑う様に宙を泳ぎ、結局元の位置へと垂れ下がって行く手。
それでも、人差し指と中指は迷い有り気にもぞもぞと動いている。

「……欲しいのか? 携帯」
「うん。…え、あ、べ、べっつに!」

 先生、正直は美徳だと思います。

「とりあえず、親御さんに許可取ってからなら良いんじゃないか? 何なら手伝う」
「いいっ! 要らないの!!」

 …そんな、あからさまに欲しそうな顔して言わなくても。

 しかし未成年である以上、親が両方海外に居るならそう易々と手に入る物でも無さそうな気もする。
そこは俺個人の協力でどうにか出来る範囲からは外れているので、やはり放って置くのが無難だろう。
もし買ったならその時に色々と教えてやれば良い。

「ねえ、ちょっと聞いてるの!? 変な勘違いしないでよっ!」
「はいはい、よかよか」

 未だ墓穴を掘り続ける持田を適当にあしらいつつ、俺は手荷物(と言う程でも無いが)を
纏めてさっさと玄関前へ。
  帰るならなるべく楽しい内が良い。

「んじゃ、また来週な。楽しかったぜモッチー!」
「るっさい! 二度と来るなっ!!」

2

+ + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + + 

「おはよっ、熊谷」
「おう、おはようさん」

 週明けの月曜。まだ人気の少ない教室でさらりと交わされる、何気無い挨拶。

 今日は向こうから、それも名指しと来た。

 先週の土曜に味わった胡椒地獄の憂き目も、この分ではやはり無駄ではなかった様である。
軽く手を振って、俺の一つ後ろの席へ向かう持田。
こちらを横切る際に微かだが、鼻孔にふんわりと柑橘系の香りがした。

「お、珍しい。いつもは香水なんて付けてなかったんじゃないのか?」
「ぅ……よく気付いたわね」

 試しに少しやってみただけなのに、と、やや恥ずかしげな声が背中の向こう、
椅子を引く音と一緒に聞こえてくる。どうやら今朝に付けて来ていたらしい。

「横切った時にちょこっと。こっからだとギリギリわかるかどうかか」
「ちょ、ちょっと」

 机へ向かっていた状態から、椅子をがたりと九十度回転。
振り返って何度か匂いを嗅ごうと鼻を鳴らすも、残念ながらわからなかった。

 しかし、良く見てみると……

「……今日の持田さんてば、何やら微妙に気合が入ってるんと違う?」
「い、いいいいじゃない別に! あたしだってたまにはそういう日もあるわよっ!」

 化粧については大した知識も無いし、
普段からじっくりと女子の顔を観察したりする癖も別に無いので
、かなり勘に頼った指摘、だったのだが、
向こうが否定して来ない所から察するに、どうやら本当らしい。

「あ、そ」

 少し不思議には思ったものの、それ以上の興味も沸かなかったのでさっさと身体を引いた。
俺にしたって時々、無性に髭を伸ばしたくなったり、
意味も無くその場で踊りだしたくなる事も無い事も無い。
こいつもその日の占いでラッキーアイテムがどうだったとか、何となくのレベルなのだろう。
些細ながらも持田が取ったそんな行動の理由は、
今の俺に推し量る事は出来なかったし、特に知ろうとも思わなかった。

 しかし、良く見てみると……

「……今日の持田さんてば、何やら微妙に気合が入ってるんと違う?」
「い、いいいいじゃない別に! あたしだってたまにはそういう日もあるわよっ!」

 化粧については大した知識も無いし、
普段からじっくりと女子の顔を観察したりする癖も別に無いので、かなり勘に頼った指摘、
だったのだが、向こうが否定して来ない所から察するに、どうやら本当らしい。

「あ、そ」

 少し不思議には思ったものの、それ以上の興味も沸かなかったのでさっさと身体を引いた。
俺にしたって時々、無性に髭を伸ばしたくなったり、
意味も無くその場で踊りだしたくなる事も無い事も無い。
こいつもその日の占いでラッキーアイテムがどうだったとか、何となくのレベルなのだろう。
些細ながらも持田が取ったそんな行動の理由は、今の俺に推し量る事は出来なかったし、
特に知ろうとも思わなかった。

「………ねえ、熊谷」
「なんぞや」

 互いの顔が向かい合う姿勢、こちらから微妙に視線を逸らして持田が話し掛けて来る。

「あのさ、今日の放課後って、暇?」
「うんにゃ、別に何」
「じゃ、じゃあさっ、ちょっと買い物付き合ってくれない?」

 質問に答え切る前に、わんこ蕎麦の如く次の質問が出される。
このせっかちさんめ。…そういや最後に食べたのはいつだったっけ。

「ハイヨー」
「そ、そう。それじゃ、あたし委員の仕事あるから、校門前で落ち合いましょ」
「ヨッセー」

 つい頭がわんこ蕎麦の方へ傾いてしまい、返事が適当、
というかわんこ蕎麦屋の店員がお代わり盛る時の掛け声になってしまう。
が、あちらもいっぱいいっぱいだったせいか、その事に関しては気が付かなかった様子。
……いや、まあ、これでも一応ちゃんと聞いてます。

 確か七十杯はいったと思うけど、そっから先はどうだったかなー……。

 キーンコーン

 人もまばらだった教室も、次第にざわめきの数が増していく。
双方半ば上の空となっていた会話は、校内に響く予鈴の音でそのまま打ち切られた。

 

 して、その日の授業が全て滞り無く終了した放課後。

「おー……寒ぃ」

 悴む手を擦り合わせ、はあと白くなった息を吐き掛ける。

 こうするのももう十九回目辺りになるだろうか。
校門の前に一人で突っ立っている俺は、不意にそんな事を考えていた。
校舎を見上げた先にある大時計の長針は、ここで持田を待ち始めてから既に半周を終えている。

 少し遅くなるとは言ってた気がするが…まさか聞き間違えたか?

 俺の記憶では、あいつとの待ち合わせ場所は確かにここで合っていたと思う。
あれから確認を取ったりしたわけでは無いので自信の程は微妙だが、
ここなら校舎からでもすぐに見つかるし、
下駄箱まで行けばこちらが外に居るという事は簡単にわかる筈だった。
こんな事なら下駄箱前の廊下ででも待っていれば良かったかも知れない。
時間的におそらく最も込み合う場所なので、実際にそうするつもりは無いが。

「厚手のコート、着て来て正解だったなぁ…」

 鉛色の空を仰いで、しみじみと呟く。
歩くなり運動している間ならまだしも、この寒さの中、
ただ呆けて立っているだけというのはそれなりに厳しい。
だが、待つ。

「熊谷ーー! おーーい!」
「………おぉ」

 暇潰しに外のガードレールの上に忍者を思い浮かべ、
行き交う車を障害物に見立ててピョンピョン飛び乗り避けさせる謎の遊びをしている内に、
不意に後ろから最近聞き慣れた声がしてきた。

「ごめん、委員会、思った以上に長引いちゃって」

 タカタカと走りながら謝罪の言葉を口にする持田は、
俺の横まで追い付くと両手を合わせるジェスチャーを見せた。
今までのやり取りを考えれば、何とも珍しい態度である。

「そうかい」
「結構待たせちゃったよね、……もしかして、怒ってる?」

 僅かに上目遣いで、不安そうにこちらを見やる持田。…今日は初めてづくしか何かだろうか。

「怒っとらんよ」
「でも、足」

 そう言って持田が視線を移した先には、カツカツと神経質そうに地面を叩く俺の靴。

「これは違う。ジャンプボタンだ」

 二段ジャンプは個人的に邪道なので、大型車に対しては溜めでハイジャンプする形式だ。
……言うまでも無く、忍者の話である。

「何それ」
「ふ、お前にこの高度な知能遊戯は到底理解出来まいて」
「よくわかんないけど、それじゃもう行きましょ。
いつまでもここに立っててもしょうがないし、ほらっ」
「ちょっ待て、まだ残機が…のおおおーーー!!」

 

 学校から徒歩二十分。通学路に重ならない生徒にとっては、
近いようでいて微妙に遠い、そんな市内のとある商店街。

「携帯とな」
「そう、やっぱり無いと不便じゃない? ほら、さっきみたいな事もあるしさ」

 ああなった時にメールなりで連絡しておけば、困らないでしょ?
俺の横を歩き、もっともらしい理由を述べている持田だが、
その目はどことも知れぬ方向をスイスイと泳いでいる。
そのままドーバーなりマリアナなりにでも行ってしまえば良い。

「ふぅん」
「……何よ、その顔」
「別に。流されやすい奴だなあ、て」

 昨日の今日だ。そう思っても仕方が無い。と言うより、そんなに欲しかったのか、携帯電話。

「別に、どうでもいいでしょ、そんなの。それより、アンタ何かおすすめとか無いの?」
「値が張らずにメールと電話が使えて、そこそこコンパクトなら良いだろ」
「あっ! 熊谷ほら見てあれ! あれ可愛いと思わない?」

 うん、聞けよ。人の話。

「そもそもあれストラップだし、本体無いと付けられないから。
しかも趣味悪いぞ、何だあのグロい顔した猿は」

 首から上が別の生物の様にも見える猿が元らしきストラップは、
確か今巷で密かなブームを引き起こしているとニュースで報道され、
次の週には在庫の山があちこちの販売店で目撃されたという曰く付きのブツ。
母が沖縄へ旅行に行った土産に、
あれのアロハシャツを着た地方限定品を渡してきた時はどうしようかと思ったものだ。
夜中こっそり弟の枕元に置いといたけど。

「ちょっと熊谷ー! こっちこっちー」

 離れた所から声がするのでそちらへ振り返ると、
いつの間にか持田の奴は次の物品へと興味の対象を移していたらしい。

「はいよ、何ですか……って、またストラップかい」
「こっちのは地方限定なんだって。なのにどうしてここに置いてあるんだろう?」

 そしてアゲイン・沖縄グロモンキー。

「………さあな」

 あの夜、弟の枕元から如何なるルートで以ってまた俺の前に現れたのか。
そもそもこいつは本当にあの時のあれなのだろうか。
気にならないといえば嘘になる、だが敢えて気にしない。気色悪いし。

「ねえ、ちょっとあっちのお店行ってみない? ほら、あっち!」

 そうこうしている内に、再び俺の横を離れ、一人でたったかとレンガの道を進んでいる持田。
追い付いて一言二言コメントをする頃には、向こうは既に別の場所へと行っており、
何と言うか、もう、何? このわがまま娘。

「早く来てよ!」
「……何でお前はそんなテンション高いんだよ」

 普段とは正反対といった風に、無邪気に商店街をはしゃぎ回る持田の姿を追いかけるのが、
地味に恥ずかしい。ふと周囲の視線を気にしてしまう様な、奇妙な気恥ずかしさだ。
おかしい。何故だか今日の奴はいつもと一味違う。

 やけに好景気な表情を見せる持田を追って辿り着いた場所は、
ビデオ屋と本屋に挟まれた、一軒の小さな携帯電話の専門店。
奇しくもそこは、俺が初めて(と言っても一度しか無いが)携帯電話を買った店でもあった。

「遅いわよ、もう」
「ようやくか。しかし良かった、ひょっとして目的忘れてるのかと心配したぞ」
「忘れてなんかないわよ、ただちょっと寄り道しようと思っただけだもの」

 そんな事を言いつつ、店内へと足を踏み入れる俺達の視界を、
テーブルや壁にきっちりと並んだ色とりどりの携帯電話が出迎える。
ふと奥を覗くと、店員は他の客の相手をしている最中らしく、代わりに俺が持田の
「で、どれが良い物なの?」
という質問を受ける事になった。というか、同じ事を最初の方にも言ってたよな。

 良いけどさ。やる事無いし。

「人に同じ事を何度も聞く子はお馬鹿さんなんですよ」と、
言ってやりたい気持ちがちらと湧いたが、買
うなら手伝うと約束したのはこちらの方だし、ここは素直に教えてやろう。
俺は先程流された言葉をもう一度あいつに言ってやった。
陳列されている商品を物色しながらあれこれ意見を求めてくる持田と、
店員さん早く戻って来ないかなとか思いながら返事をする俺。
あーだこーだと言っている内に、そんな光景が既に三十分。

「なあ」
「何」

 振り返りもせず、熱心に携帯電話とにらっめこを繰り返す持田。
……正直もうそろそろ決めて欲しいのだが、言いづらい。
女の買い物は長いと聞く。これまで身近な女性として参考になるのが母親しか居なかった俺だが、
今ようやく実感する事になった。そう考えるとさっきまでの寄り道も頷けるというもの。

 あー……忍者飛ばしてぇ。

 でもこの位置からじゃ窓見えない。
しかも見えたところで商店街の中は交通量が少ない。忍者超退屈。

 な、何てこった。忍者遊びが封じられたら、後はもう一人山手線ゲームしかないじゃないか。

「これでもないし……こっちは色がちょっとね……」
「持田、持田」
「何よもう」
「急いでくれ。お前のお蔭で俺のボーリングがクライマックスだ」
「それならそっちが決めてみてよ、生返事ばっかりしてないで!」

 言われたので、手近にあった商品の一つを無造作に差し出したらローキックをもらった。
よく見てみると、骸骨の柄が付いた大変縁起の良くなさそうなやつだった。

「アンタふざけてんの!?」
「こ、この野郎……言われたからその通りにしてやっただけだろが」
「そんな適当にじゃなくて、アンタのセンスで良いと思ったのを、って言ってんのよ!
次こんなの持って来たら膝の皿割るわよっ!!」

 膝の皿て、こ、怖っ!? どうして? 何で俺怒られてるの!?

 何という逆ギレ、恐るべしヒス持ち女。
向こうが絶対に悪いとわかっているのに、つい従ってしまう。
改めて真剣に探そうと試みるが、こちらとしては携帯電話の良し悪しなんて
余程のものでない限りどうでも良いので、いかんせんどれにしようか悩む。
後ろの方で「そら見た事か」な感じの視線が刺さってる気がするのも、
これまた俺の思考を妨げてくれた。

 しかし急がないとどんな嫌味を言われるかわからんし、………ええい!

「おっし、ならこいつと同じのでどうだ!」

 そう言って、ジト目になった持田の前に、俺がズボンのポケットから勢い良く抜き放った物。
……非常に誤解を招く表現をしてしまったが、要するに自前の携帯電話である。
今ではもう結構古い型になってしまっているだろうが、
勿論当時の俺がそれなりに選んだ物なので、こっちの感性という意味では問題無い筈だ。

「…………ふ、ふーん?」

 ふと様子を窺ってみれば、予想外の選択肢に多少の戸惑いを見せるものの、
満更でもなさそうな持田の表情。行ける、多分もう一押しだ!

「ちょっと古いけど、もう在庫が残ってないってほどじゃないだろうし、
何より旧機種だから値段も安い。どうだ、お前にとって実にお得だろう!!」
「ん……ま、まあそうね。別に最新の物に興味がある訳じゃないし、そんなに悪くないかもね」
「だろう! さあ、早くこれ持って店員さんとこ行って来るが良い! 丁度今空いてるみたいだし!」

 俺も早く退屈から解放されたいし! 暇だし!

「わ、分かったわよ、もう。しょうがないわね……ちょっと待ってて」

 ようやく願いが通じたのか、持田は微妙にどもるような口調になったものの、
無事俺の携帯電話を手に持ってカウンターの方へと向かった。笑顔で行ってらっしゃいをする俺。

 ふっ、悪いな持田よ。俺は自分が興味の無い事に延々付き合わされるなんて真っ平ゴメンなのだよ。

 叶う事なら世の中の楽しい部分だけを見て生きて行きたい、
でも現実はそう甘くない、だから自分でどうにか出来る範囲で精一杯の努力をする、
ちょっと大人なナイスガイ。それがこの俺、熊谷良太郎。
向こうで店員と色々話し込んでいるらしき持田をしたり顔で見つめながら、
しかし俺の余裕の態度はそう長続きしなかった。

 持田が、中々こちらへ戻ってこない。
そう言えば、自分がかつてあの携帯電話を買ったときにも、
手続きやら何やらで随分と時間を取られた記憶がある。
あのときははてどの程度待たされただろう。十分? 二十分?

「……………」

 頭を冷静にして確認する。とにかく。そう、とにかくだ。
カウンターの椅子に座っている持田を待つ間、俺はまだまだ退屈と戦わねばならない。
それこそがこの場で唯一の、揺ぎ無い事実であった。

 

 いくらかの時間が経った。正確な所は、確認してないのでわからない。
だってあいつが俺の携帯電話持ってるから。

「清和、後鳥羽……白川……後白河……」

 店の片隅、ぶつぶつと一人で呟きを繰り返す怪しい人物。俺。

「………ふ、ふふふ……」

 何をしているのか、と。言うまでも無い。
一人山手線ゲーム(二周目)。お題は歴代天皇である。

「…天武……後三条、推古……」

 ちらほら突き刺さる他の客の視線など気にしない。
むしろ俺を気にして欲しい。構って! 誰か俺を構って!!

「ちょっと、何してんの熊谷? もう終わったけど」
「…………かんむ」

 先生、退屈は人を殺します。

 

 俺の最近学んだ限りでの女子というものは、
大抵は環境に応じて数人規模のグループを作り、その中でこの便利アイテムを酷使しまくるわけだが、
これまた俺の学んだ限り絶望的な交友範囲の狭さを誇るあの持田嬢の事、
きっと主な用途は目覚まし時計になるのだろう。
月々に払う基本料金だって馬鹿にはならないというのに、これではとても勿体無い。
まさしく豚に真珠、猫に小判、持田に携帯電話だ。
そう考えていた時期が、俺にもありました。

 ジャーン! ジャーン!

「げぇっ、持田!」

 あれから三日明けて、学校帰りののどかなくつろぎの時間。
ベッドに横になって惰眠を貪っていた俺は、枕元に置いておいた携帯電話が突如として発した、
持田専用である銅鑼の着信音によって叩き起こされた。
メールだ。
設定して早々変えようかどうか後悔させる専用着信音から判る通り、
画面に表示された送信者名は当然ながら〈持田薫〉。
ちなみに、互いのアドレスと番号とを登録する段になって
俺は初めて持田のフルネームを尋ねた訳だが、その際「信じらんないっ!!!」という怒声と共に、
油断していた所へ思い切りローをぶちかまされたのは記憶に新しい。
耳元で思い切り鳴られたので軽い耳鳴りに唸りつつも、
続いて表示された文面に俺は更に顔を顰める。

 :今何してる?

 ……持田よ、そんな事を聞いてどうする。

 思わずその場で重く、深い溜息を吐く。今日はこれで十一件目辺りだろうか。
俺もまあ、最初の方は確かに随分はしゃいでいたものだ。
友達に何度も何度も意味不明のメールを送ったり、
無茶して使えもしない絵文字をやたらと多用した事も認めよう。

 ピッピッピ……トゥルルルル、トゥルルルル、トゥル、

「はい、もしもし?」
「しつけぇーーーーんだよこんの馬鹿たれがっ!!!」
「きゃぁああ!!?」

 だがしかし、それはそれ、これはこれ。
あの時のあいつらも、大量にやって来る俺のメールを見てこんな気持ちになっていたのだろうか。
だとしたら明日学校であった時にでも、誠心誠意きっちり謝っておかねばなるまい。
有体に言おう。滅茶苦茶うぜぇ。

「な、なによいきなり大声出して! びっくりしたでしょうが!!」
「っかましいわこのアホンダラ! 買ってから今日まで、俺に何回メールしてると思ってやがる!?
七十四回っ! 電話も含めりゃ八十一回だ!! 用があんなら一度で済ませ!
学校だったら直接喋りやがれぇぇぇええ!!」

 それも、ごくごくどうでもいいような内容。
特に壮絶だったのは二日目。
一晩経ってメールの使い方を学習したのか、
時間を問わず送られて来る持田からのメール、メール、メール、電話、メール!!
初めの内はしゃあねえ我慢してやるかという大らかな気構えでいたが、
今や俺の胸中に慈愛の精神など微塵も残っていない。
大体、俺だってここまではしなかったっちゅーねん。普通に引くわっ!

「使い方を覚えるには実践あるのみって、言ったのはアンタじゃない!」
「ああ言いました言いましたよ。だがな持田さん、いくら何でも!
限度ってもんがあんだろ!! ていうか、ちったぁ銅鑼の音に恐怖する
この俺の身にもなってみやがれってんだ!! あぁん!?」

 後半はもはや言い掛かりのレベルだが、これぐらいしておかないと
まだしばらく俺にとっての地獄が続きそうだったので、この場は敢えて怒らせてもらう。
俺の安眠を守る為、自覚していないだろうこちらの被害をしっかりと伝えてやった。

「……そっ、そんなに怒らなくたって」
電話越しに聞こえた声は少し怯んだ様な調子で、最後の方は尻すぼみになっている。

「俺以外の奴に送るとか、そういう発想は無いのかよお前は……」

 呆れた気分でそう持田に言う。
もし、他の知り合いにもこのペースで電波発信していたとしたら本気で引くが。

「………だって、熊谷以外に送る相手いないし」

 一層凹んだ風に聞かされる声。そう言えばそんな話を耳にした事もあった。この付き合い下手め。

「家族は? 海外ったら金はかかるだろうけどメールくらいなら…」
「してたけど、「いい加減にしなさい」って怒られた」

 ……………うん、ちょい待てや。

「おま、もう先に怒られてんじゃねえか! ちったぁ学習しろよ!?」
「だ、だってせっかく買ったんだから、使わないと損じゃない!」

 お前の中での携帯電話の用途は嫌がらせしかないのか。何て図々しい。

「何て図々しい奴だ!!」

 あまりに怒ったものだから、つい声に出してしまった。だが後悔はねえ。

「そんなだから貴様は友達が出来んのじゃーーー!!」
「なぁっ……!? う、うううるさいわよこの馬鹿っ! よくも人が気にしてる事を!!」
「お前にだけは言われたくねえ!!」
「こ、このっ……ばっばーか! ばーーかぁ!!」
「小学生かおのれは!!」

 その後、穏やかな午後に俺と持田との筆舌に尽くし難い低レベルな口喧嘩がしばらく続いたが、
戦いの決着は奴がマンションの管理人にこっぴどく叱られる事により締められた。ざまぁみさらせ。

「うっ……ひぐ…熊谷のばかぁ……!!」

 翌朝、教室内で顔を合わせた持田が開口一番にそう言ってグーパンチをしてきた。
が、腰の入っていない貧弱な拳は俺の身体に何らダメージを負わせる事無く、
ぽすぽすと弱気な音を周囲に響かせるのみ。
聞けば、あれから罰としてマンション内の清掃を手伝わされたらしい。

「でも、清掃のおばちゃん達とは仲良くなったわ」

 そうですか。良かったですね。

2008/02/01 To be continued.....

 

inserted by FC2 system