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冬の星空

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11

「どうぞ。適当に座って」
「……うん」
秋穂に促され、綺麗なフローリングで構成された床に足を踏み入れる
「…綺麗な部屋だね」
なんとなく部屋の中を見回してみた感想は、これだった。
整理整頓された本棚と勉強机、埃ひとつ落ちていない床と白いカーペット。
その上にポツンと置かれた小さなテーブルの上には、ノートパソコンがひとつ置かれている。
さらにその横には、この部屋の中でもひときわ目立つ、
皺ひとつ見つからないやたらと綺麗で高価そうなベッドが設置されていた。
「そうでもないよ。じゃ、何か飲むもの持って来るわね。これから長くなりそうだし……ふふ」
口元を歪め、嫌な笑みを浮かべながら部屋のドアを閉める秋穂。
「あ、別に僕は……」
僕の返事も待たずに、秋穂はそのまま台所があるであろう方向へ向かって歩き出してしまった。
「………はぁ」
静まり返った8畳ほどの広さの部屋に、一人、取り残される僕。
どこかに座れと言われても、ここまで綺麗だと逆にどこにも座れない。
居心地の悪さを感じながら、カーペットの上に座る。
「ほんと、綺麗な部屋だな」
先ほどとは違い、今度はじっくりと、部屋の中を見回してみる。
…そうか、これは綺麗なんじゃない。何もないんだ。
普通の高校生が持っているようなものが、この部屋にはない。
ポスターも、テレビも、ファッション雑誌も、CDコンポのようなものも、なにも…
あるのは勉強机と、小さなテーブルと、パソコンと本棚。クローゼットも、あるにはあるけれど。
だけどまるで着飾ってない。この部屋は、高校生が住んでるって感じの部屋じゃない。
……美希の部屋は、もっと色々なものが置かれていた。
それこそつまらないインテリアだけど、ぬいぐるみとか、写真立てとか。
少なくとも美希が生活してるって感じはした。あの部屋は、美希の匂いで満たされていた。
でもここは違う。なにも感じない。秋穂の匂いも、なにも……。

「……美希」
――あの後、どうにか授業には全部参加することはできた。けど、それだけだった。
休み時間も放課後も、徹底的に村田さん達に阻まれて
高田にも美希にも話しかけることができなかった。
二人とも自分から僕に話しかけてはこないし、どうしようもない。
結局、学校にいる間、僕らはまるで接触せずに一日を終えてしまった。
……でもこれでよかったのかもしれない。あれ以上何を話せばよかったんだろう。
なんて言えばよかったんだろう。どう言えば、高田を納得させられたんだろう。
あの時頭に浮かんだ数多くの言葉のどれを言っても、結局言い訳にしかならなかったような気がする。
事実、僕はこうして秋穂の家に来てる。言われるがまま、何も考えずにここに来てる。

…さっきから鞄の中の携帯が振動し続けてることに、気づいてるのに。

 

「なんにもない部屋でしょ?」
「うわっ!!!」
背中越しに突然かけられた声に、身体を竦ませる。
驚いて振り返ると、いつの間にか背後に秋穂が立っていた。
「ふふっ…そんなに驚かなくてもいいのに」
両手でおぼんを持ったまま、クスクス笑う秋穂。
おぼんの上には2つのティーカップと小さな菓子袋が乗せられていた。
「紅茶でもいい?あとこれ、よかったら食べて」
秋穂がテーブルの上にティーカップと、菓子袋を並べる。
その動作がなんだか手馴れていて、少し違和感を覚えた。
「あ、ありがとう。えっと…秋穂ってこういうことなれてるの?」
「ん〜まあね。父さんがよく家に人を呼ぶのよ。その時にね」
自分の分のカップと菓子袋を並べながら、僕の向かい側に静かに秋穂が座る。
小さな丸いテーブルを挟んで、僕達は真っ直ぐ向かい合う形になった。

「私の父さんね、小さな会社のだけど、一応社長なのよ。その関係でかな」
「ふ〜ん…だからか」
なるほど。たしかにこのマンション、結構いいところだ。
場所も駅に近い。それにこの部屋並みの大きさの部屋がいくつもあるみたいだ。
外に高級そうな自動車も止まってたし、秋穂って実は結構お嬢様なのかもしれない。
「さてと……じゃ、なにから話そうか」
「……………………」
秋穂がそう言ったとたん、部屋の空気が一変した。
少し和やかになっていたはずの空間が、重く暗いものへ変わっていく。
そうだ。僕はそのためにここに来た。
聞かなきゃ。全部。
たとえどんな結果になっても、聞かなきゃ…
「うん……話してくれ。すべてを」
「………すべて、ね。じゃあまずは私と美希の事教えてあげる」
そう言うと秋穂は、どこか遠くを見ながら懐かしそうに語り始めた。
それほど遠くもない、けど近くもない。昔の思い出を。
「私と美希が初めて会ったのはいつだったかな。確か、中学2年のとき」
中学2年…そんな頃からか。
「私はまだここに越してきてなくてね。美希と同じ学区内に住んでいたの。…要君と同じ学区に、ね」
そうだ。美希も引っ越す前まで、僕と同じ駅を使って、同じ道を歩いていたんだ。
僕達はそんなころから一緒だったんだ。
そして一旦バラバラになって、また再び、この学校で出会った。
「私達は同じ塾に通ってて、同じ進学クラスに入ってたの。成績も似たようなものだった」
「でも、美希はあんまり目立たない子で……あの時の私とは正反対だったの」
秋穂は両手でカップを包み込むように持ち、ただじっと、揺れる紅茶の水面を見つめている。
「だけど美希の周りにはクラスの中心になるような、そんな人間ばかりだった」
「私には、美希がそんな子達に必死で無理やりついていってるような、そんな風に見えたの」
無理やり…?僕にはそんな風に見えなかったけど。
「だからかな。だんだん美希が気になってきて、私から話しかけたの。美希に」
「もちろん最初は美希も戸惑ってたし、すごい警戒されてたのよ?
でも何でかしらないけど、あきらめる気になれなかった。だから何度もしつこく美希に絡んだの」
苦笑しながら、秋穂が小さく吹き出した。
…なんだか、懐かしい旧友の話でもしてるみたいだ。敵意とか悪意が全然感じられない。
「そしたらね、いつの間にか私達、ずっと一緒にいるようになってたの」
「勉強してるときも、遊びに行くときも、どんなときも」
「二人でいろんなことを話したわ。未来のこと、学校のこと、友達のこと…そして」
一呼吸置くように、秋穂は紅茶に口をつける。
そのまま小さく笑みを浮かべると、真っ直ぐ僕を見つめながら、ゆっくり口を開いた。

「好きな人の、こと」

「好きな…人」
「そう。わかるでしょ?あなたの事よ。山下要君」
…僕?
「やっぱり、わかんなかったか。結構アプローチはしてるつもりだったんだけどな」
困ったように眉をひそめ、自虐的な笑みを浮かべる秋穂。
秋穂が僕を!?い、いや待て。そういう意味じゃないかもしれない。
「前にも言ったけど、ストーカー、っていうか要君のあとつけてたのだって、
ただ美希との関係が気になってたからじゃないよ。
だったら要君が一人でいるときにまであとつける必要なんて全然ないじゃない…」
……そういう意味だった。なんてこった。
MOMOちゃんの話。あの時の秋穂の少し赤かった顔。全部、本当の事だったんだ。
そう理解した途端、僕の顔も熱く、赤くなっていっているのが分かった。
「えっと…」
「ふふっ……それ、飲んだら?それなりにおいしいとおもうよ」
小さく笑う秋穂の目線が、僕の前に置かれているカップに移る。
カップの中の紅茶からは、とてもいい香りがしている。
そういえば、全然手をつけてなかった。
「あ、う、うん。いただきます…」
少し震える手で、白いカップの取っ手をもつ。
そのままゆっくりと、紅茶に口をつける。
甘い。でもベタベタした甘さじゃない。すっきりとした、シンプルな甘さだ。
「……ふう」
「落ち着いた?」
そんな僕の様子を、薄く微笑みながら見守る秋穂。
…なんだかまた顔が赤くなってきたような気がする。
「え、えっと、でも、どうして?なんで?」
「……同じだったから。私と要君」
…同じ?僕と秋穂が同じ?
「私達って周りの人間をすごく気にするタイプでしょ?周りの目が怖くて、評価ばかり気にして…」
「……………」
「私はずっとそうだった。父さんの娘として恥ずかしくないように、明るい目立つ子でいようって。
興味ないことにも無理やり興味を持って、分不相応なことにも何度も挑戦して。
…そうやって偽りの自分を作り上げていったの」

偽りの自分…か。
生徒会の委員だった秋穂も、あの明るくて前向きな秋穂も、全部作り上げられたものだったのか。
「無理やり笑顔を作って、無理やり周りに合わせて。心の中では全然別のこと考えてたりした」
「………………」
「でも、要君は違ったよね?」
秋穂が再び、まっすぐ透き通った瞳で僕を見つめる。
「私と同じなのに、自分を偽ったりしなかった。
自分にできること、ただそれだけをいつも一生懸命やってた」
「………………」
「真面目でまっすぐで…目立たないけどいつもすごいなぁって思ってたよ」
「………………」
…違う。そんなんじゃない。僕はただ怖かっただけだ。
自分で変わるのが怖くて、周りになんとなく合わせてた。それだけだ。
秋穂の方がずっとすごい。
「だから許せなかった。そんな要君が周りの評価なんか気にせずに美希のこと守ったのに、美希は…」
僕をまっすぐ見つめていた秋穂の視線が、下に向く。
感情を抑えるかのように、肩を震わせている。
重い沈黙の時間が流れていく。
やがてゆっくりと、再び秋穂の口が開く。
「……美希はね、要君のこと好きだったのよ。そのころからずっと」
……え?
「だから私も要君に興味を持って、要君に話しかけたの」
「……………………」
「それで要君のこと好きになっちゃったんだから、おかしいよね」
…そんな。そんな前から?
「けど私にはその時付き合ってる人がいたの。だから要君を好きだって、誰にも言えなかった。
もちろん、美希にもね」
「……………………」
「もう分かってるでしょ?良治よ。小林良治先輩。私達、付き合ってたの」
ああ、そうか……そういうことか。
「だけど良治もね、私と一緒にいる美希を見て、だんだん美希に惹かれていってたの」
「……………………」
「ある日言われたわ、他に好きな人ができたって。だから私も正直に話したの。好きな人がいるって」
「そしてそのことを、美希にも……話したの」

「……美希は、なんて言ったの?」
「…何も言わなかった。ただ私の事は気にしないでって。
その代わり、ずっと友達でいようって言ってくれた」
「……………………」
だけど今は友達じゃない。美希も秋穂も全然別の世界の人間として生きてる。
同じクラスなのに眼も合わせない。…とても友達といえる関係じゃない。
「私は喜んで要君ともっと仲良くなろうって思った。美希も良治と付き合うようになって、
これから全部うまく行く。そう思ってたの。でも…」
「…でもそうじゃなかったんだね」
僕の言葉に、秋穂が静かにうなずく。
「その頃から美希は変わり始めたの。
要君や周りの人間から見れば分かりずらい変化だったかもしれない。
だけど、私にははっきり理解できた。…私を避け始めたのよ」
「美希はだんだん私と会う回数を減らしていって、
変わりに村田や戸田みたいな連中に近づくようになった」
「勉強も運動も今まで以上に頑張るようになって、性格までまるで別人のようになっていった」
「そしていつの間にか、この学校でも一番有名になるような、そんな人間になっていったの」
そこまで言い終わると、秋穂はカップに口をつけ、一息ついた。
僕もそれを見て、なんとなく目の前のカップに口をつける。
大きく息を吐いた後、再び秋穂は語り始める。
「そしてあの子は2年のとき、図書委員になった。要君に近づき始めた」
「きっと要君が自分に惹かれてきてることに気づいてたのね。
だからわざわざ図書委員になんてなって…」
…あの委員選びも、僕を狙ってたってことか?僕が好きだから…?
「私もね、やっぱり要君のこと美希があきらめられなかったんだって、そう思ったわ。
だから文句なんて言えなかったし、良治と別れるって言ったときも納得した。
…でもそうじゃなかったのよ」
僕を見つめていた秋穂の眼が、少しずつ潤んでいく。
「美希はね、ただ私から奪いたかっただけなのよ。良治も、要君も。なにもかも」
「……………………」
「美希はいつも言ってた。秋穂みたいになりたいって。秋穂が羨ましいって。
だから私のファッションや髪型を真似たり、性格も真似たりして、一気にクラスの中心になった」
「それからそんな自分にふさわしい友達を「作って」、
そんな自分にふさわしい「恋人」まで作ったのよ」
…ふさわしい友達、ふさわしい恋人。
あの美希も、作られたもの……
「でも、そんな「恋人」も邪魔になってきたのね。あの子にとってはただ利用しただけの存在だから。
だからそんな存在が自己主張しはじめたのが、うざったかったのよ」

淡々と語り続けていた秋穂の声が、少し震え始めた。
「だからあの子はいらなくなった「友達」を使って、良治を落としいれようと思ったの。
…もう分かったでしょ?あの噂を流してたのは私よ。
美希に頼まれて、本間君と一緒に学校中に流したの」
「……なんだって!武が!?」
どういうことだ?秋穂と武が繋がってたんじゃないのか?
「本間君がなんで美希に協力してたのかは知らないわ。でも、私は美希が好きだったから。
友達だってずっと思ってから、だから協力したの。良治を捨ててでも、美希の友達でいたかった…」
そんな……なんてこった。そんな事が……
「でも、でもあの子は……」
語り続けていた秋穂の声に嗚咽が混じり始める。
今度ははっきりと分かる。泣いてる。
けれど秋穂は頬を伝う涙をぬぐいもせずに、言葉を紡ぎ続ける。
「あの子はもう私なんていらなかったのよ!
あの時、良治に向かって言った言葉は私にも向けられてたの!」
「それだけじゃない。かつて好きだった男の子まで利用して、自分の立場を守った。
しかもそれを使って、さらに自分の地位を上げたのよ!」
そんな……
「美希にとってはもう要君なんてどうでもよかったのよ。私も、良治もね。
ただ自分が学校の中心に立つ、そのための道具としてしか見てなかったの……」
そんなバカな……
「今要君と付き合ってるのだって、ただ私から要君を奪ったのが面白かっただけよ」
ウソだ…そんなのウソだ……
「もうすぐ要君のことも捨てるわ。分かるでしょう?次は高田君よ」
そんなの……そんなの………
「本当に自分にふさわしい男は高田君だって、そう思ってるんじゃないの?
じゃなきゃいくら「約束」があっても、あんな告白、普通きっぱり断るでしょ?」
約束…そうだ。約束だ!
秋穂の言葉を遮るように、意を決して叫ぶ。
「違う!美希はあんな約束やぶってもいいって、そう言ってた!」
そんな僕の叫びにも、秋穂はまるで表情を変えない。
「…………それは、たぶん要君を動揺させるための作戦でしょ。
美希はそういう子よ。私が一番よく知ってる。事実、あの子がその「約束」破ったこと、ある?」
「そ、それは……」
「もういらなくなったのよ。
丁度私が出てきたし、ゴチャゴチャになって自分に危険がせまるのがいやだったんでしょ。
だったらこんな嫌われ者の男のことなんてさっさと忘れて、私との関係もなくしたい、
そう思ってたんじゃない?」

「そんな……」
……そんな、そんなバカな!
テーブルに肘をつき、両手で頭を抱える。
目の前では、飲みかけの紅茶が小さく湯気を放ちながら揺らめいている。
「…私はね、村田達にいじめられてたの。多分美希の差し金でしょうね。だから髪型も性格も変えた。
いつのまにか私は目立たないように、地味に生活していくしかなくなっていたの」
涙をぬぐいながら、ゆっくりとカーペットから立ち上がる秋穂。
そのまま向かいにいる僕の横に、寄り添うように座る。
「…ねえ、要君。私達同じなんだ。同じ捨てられた人間。美希を信じて、捨てられた」
僕の肩に、秋穂の手がのびてきた。
両手で輪を作るように、僕の体を抱きしめる。
「もういいじゃない。だったら私達も捨てようよ。美希を捨てて、二人で生きよう?」
涙に濡れた秋穂の顔が、輝いて見える。
「……秋穂」
頭を支えていた両の手が、ほどけていく。
迫ってくる秋穂の整った顔立ちに見とれながら、ゆっくり瞼を閉じる。
やがてどこかで嗅いだ懐かしい匂いとともに、唇に柔らかい感触が伝わってきた。
……甘い。なんて甘い唇なんだろう。これが秋穂の唇か。
テーブルに置かれていた両手を秋穂の背中に回し、そのまま抱き寄せる。
抱きしめた秋穂の体は、とても柔らかくて、少し力を入れたら壊れてしまうような、
そんな感じがした。

 

 

―――なんだったんだろう。僕のこの3年間は。
なんだったんだろう。あの時、先輩の所へ向かった僕は。
なんだったんだろう。あの美希の笑顔は。

両親に見捨てられ、クラスメイト達に見捨てられ、それでも側にいてくれた高田にも見捨てられた。
その上、一番大事だった美希にも……

もういいや。みんないなくなるんだ。父さんも母さんも、姉さんも。
だったら今くらい、僕がなにしたっていいはずだ。美希だってしたんだし。

もう、いいや。疲れたよ。なにもかも…………

―――ああ、ようやくこの時がきた。長かった。ほんとに。
いやこれが本来あるべき姿だったんだ。あの夜の教室には私と要君がいるはずだった。
夜だけじゃない。昼もずっと一緒にいるはずだった。
それをできなくしたのは美希。美希が要君をここまで追い詰めた。

「はぁ、はぁ、あき、ほ。痛く、ない?」
「……うん。ありがとう。だいじょぶだから、もっと動いていいよ」
…ほんとはまだちょっと痛いけど、この痛みもなんだか心地いい。
「秋穂、秋穂!」
「……っ!」
要君の動きが少し激しくなる。気持ちいいのかな?私の身体。
…あ、私もちょっと気持ちいい、かも。
「ああ…はぁ、はぁ、くぅ!」
でも、これも美希に仕込まれたんだよね…ムカつくなぁ。
「はぁ…ねえ、要君。私の、身体、気持ち、いい?」
「うん。すごく、気持ちいいよ…」
「…………美希より?」
「……………………」
「今頃、美希も高田君とシてたりして?」
「くっ…!!」
「あっ……!!」
私の身体を強く抱きしめ、より激しい動きへ切り替える要君。
…ふふっ。いいなぁこれ。

これで終わりだ。要君を手に入れて、美希のメッキを少しはがすことができた。
もう満足だ。あとはゆっくり、二人で未来を作っていこう。
……待てよ、そういえばひっかかってることがあった。
要君と美希の約束…美希はやぶってもいいって思ってたらしい。
でもそうなったら、美希は全部失うことになる。学校での地位も、友達も。
高田君の話によるとデート中も要君のこと考えてたみたいだし。
もしかして美希は、私が考えてるよりもずっと要君の事を…………
…い、いやだったら余計いいじゃない。
美希の大事なものを壊せたってことだ。
そうだ。これでいい。これでいいに決まってる。

……これで、いいはず、だ。

12

なんでだろう。ずっとコールしてるのに、要が出てくれない。
「……どうしちゃったんだろう」
携帯電話を操作し、リダイアル画面を表示する。
要の番号を表示した状態のまま、もう一度通話ボタンを押す。
「……………………」
だめだ。さっきからずっとこうだ。
留守番電話に繋がるわけでもなく、ただずっと待機音が聞こえてくる。
なんでだろう。なんで出てくれないんだろう。
お昼にちゃんと言ったのに。連絡するって。それなのに…
「……………要」
これじゃどうしようもない。
学校じゃ涼子と麻希に阻まれて全然話ができなかった。
あんなにあの二人が要を嫌ってるなんて思わなかった。
いつも学校じゃ目も合わせない様にしてたから、気づかなかっただけなんだ。
ほんとは皆、私が考えてる以上に要の事……
でもそのおかげで要の事、今まで独り占めにすることができた。
今更後悔したって遅い。もうやってしまったことだ。それよりも……
「秋穂…」
そうだ。秋穂だ。今日の放課後も、要は秋穂や飯田君達と一緒に下校したんだ。
きっと秋穂がなにかしてるんだ!そうだ!そうに違いない!

勢いをつけてベッドから起き上がり、コートを引っつかむ。
そのまま部屋に設置してある鏡の前に立ち、容姿を整える。
こうなったら要の家まで行こう。昨日だってほんとは行くつもりだったし。
多分今日は桜さんはいないし、要がいるかどうかすぐわかる。
もしいなかったら…行きたくないけど、秋穂の家まで……
「よし!」
決意を固め、自分を鼓舞するために声を出す。
鏡の前から離れ、まっすぐ部屋のドアへと向かう。
…だいじょうぶ、きっとだいじょうぶ。だから――
何度も自分に言い聞かせ、心を落ち着かせる。
勇気を持って取っ手に手をかけ、ノブを回したその時、向こう側から独りでにドアが開いた。

「きゃっ!」
「お姉ちゃん!大変大変!」
開いたドアの先には、何か雑誌を持った舞が立っていた。
ひどく興奮している様で、私の様子や状態になどまるで気づいていない。
「お姉ちゃん、見て見て!お姉ちゃんと麻希さん、また載ってるよ!」
舞はハイテンションのまま雑誌をめくり、両手で開いたページを見せつけてくる。
「ほらっ!ここ!」
「……んん?」
舞に指差されたページを、目を凝らしてよく見てみる。
…たしかに私と麻希の写真が載ってる。
周りにも女の子の写真が載っているが、私たちだけやけに扱いが大きい。
「ああ、これね。そういえばこれで4度目ね」
でもこれはいままでと違って、麻希に誘われて自分から撮影に行ったものだ。
この雑誌は毎月発売されているファッション誌で、結構学生に人気がある。
私も話のネタとして買っているけど、熱心に見てるわけじゃない。
大体こういうの要は好きじゃないし。
「……で、なに?これがどうしたの?」
「どうしたのじゃないよ!すごいじゃん!麻希さんに誘われたんでしょ?いいなぁ〜」
「なにがすごいのよ。麻希だって載ってるじゃない」
「麻希さんは元々モデルしてるじゃん!お姉ちゃんは一般人なんだよ?いいなぁ〜」
まずい。このパターンは。
この状態に入ると、舞は止まらなくなる。
「いいなぁ〜いいなぁ〜私も載りたいな〜」
「……ねえ、舞」
「いいなぁ〜お姉ちゃん。髪はサラサラストレートだし、顔は可愛いし、スタイルだって悪くないし」
「…ちょ、ちょっと。舞!」
「いいなぁ、いいなぁ〜!私も載りたい〜!お金ももらったんでしょ?」
…確かに麻希からちょっとだけもらったけど。
「いいなぁいいなぁ〜。お姉ちゃんほんとすごいよ〜!」
舞の目がキラキラ輝いてるように見える。
けどたぶんこれから…
「いいなぁ、いいなぁ!…それに比べて私は」
急に舞が肩を落とし、顔を俯かせる。…始まった。

「髪もくせっ毛だし、背も低いし、幼児体型だし…」
「ま、舞。あのね、私これから…」
「センスもださいし、頭もよくないしそれに…」
「……………」
出た出た。舞の悪い癖だ。
いつもは自信満々な感じなのに、私が目立つことをするとすぐ自分と比較してネガティブになる。
わざとやってるのか、天然なのか、それがわかりづらいから厄介だ。
なまじ他人の心の動きに敏感な子だけに、余計たちが悪い。
「私ってほんとだめな子だよね。この前だって……」
「…………」
今日はダメっぽいな…。
明日から連休だし、要の家には明日行こう。
「…だし、それに前も………」
「はぁ………」
…でも明日までに終わるのかな?これ。

 

 

結局、舞の愚痴は夜中まで続いた。
どうにかなだめることはできたけど、おかげで要に連絡する気力がまるでなくなってしまった。
「…………ふう」
それでも、私は今こうして要の家の前まで来ている。
「………………」
相変わらず大きな一軒家だ。相当なお金持ちじゃないとこんな家建てられないだろう。
……でもその代わりこの家には、要と桜さん以外ほとんど誰も寄り付かない。
近所付き合いも、例の事件があってからほとんどなくなってしまったらしい。
桜さんのおかげでそれなりに修復され始めたらしいけど、
それでも要はいつも自分のせいだって言って悩んでた。

――ほんとは私のせいなのに。

「……………」
駐車場には車がない。いつもは青い軽自動車が止まっているはずだ。
今日は桜さんがいないんだろう。たぶん仕事から帰ってきてないんだ。
腕時計を見て時間を確認する。時刻は朝の11時。
要は休みの日、大体昼過ぎまで寝てることが多い。この時間なら家にいると思う。
もしかしたら出かけてるかもしれないけれど…そのときはそのときだ。
「……よし」
少し震える指先で、インターホンを押す。
ここに来るのも久しぶりだし、このインターホンを押すのも久しぶりだ。
「…………………」
二度、三度と青いボタンを押す。
家の中でチャイムの音が反復されているのが聞こえる。
日曜の騒がしい住宅街で、この家だけ隔離されているかのような静寂が訪れる。
「……………要」
もしかしたらまだ起きていないのかもしれない。
もしかしたら出かけているのかもしれない。
だけど………

しばらくして、思考の渦に飲み込まれそうな私の耳に低い男の子の声が響いてきた。
『…はい』
「あっ!!…あ、あの、私。美希」
あれ?なんでだろう。覚悟はしてきたずなのに声が震えてる。
『……………』
「え、えっと、全然電話繋がらないし、ちゃんと話したかったから、ここまで来ちゃった…」
『……………』
おかしい。いつもならもっと喜んでくれるのに。
やっぱり高田君のこと…だよね。
「あのね、高田君のことは……」
『……ごめん。帰ってくれ』
…え?
「えっ?要?」
『いいから帰ってくれ!しばらく会いたくないし、連絡も取りたくない!』

…へ?えっ?なんで?え?
「え?要?…要!」
『…………ごめん。ちょっと考えさせてほしいんだ。ごめん…』
それっきり、要の声は途絶えてしまった。
「要っ!要っ!」
何度も何度もドアを叩く。
けどまるで反応がない。何度声をかけても、要は返事をしてくれない。
なんで?やっぱり秋穂がなにかしたの?なんで、どうして…
「要………」

 

――――なにがなんだかわからない。
でもなんだろう、この感じは。ものすごく嫌な予感がする。
なにかはわからないけど、とてつもなくまずいことが私達に起ころうとしてる。

……それだけは、理解できた。

13

相も変わらずこの駅は人が多い。
道行く学生、サラリーマン。みんな別々の方向へ散っていく。
これから年末にかけてもっと忙しくなるんだろう。学生には受験が待っている。
こんな朝早くから、ほんとご苦労様って感じだ。
「……………………」
そんな慌しい駅の入り口で、私は一人、携帯をいじくる。
「………だめだ」
携帯の液晶画面には、メール送信完了の表示が出ている。
でもこのメールの返信が来ることは、たぶんない。
「要………」
一昨日要の家に行ってから、ずっと返信を待ってる。
何度も何度も電話をかけて、何度もメールを送って。それでも返事はこない。
着信拒否にはされてないみたいだけど、だからこそ、余計につらい。
「…………うう」
まずい。また涙が出てきた。
別れを切り出されたわけじゃない、嫌いだって言われたわけでもない。
でもこれは、それに近い感情が要にあるっていう証拠だ。
……どうして?なんで?どうしたら、どうしたらいいんだろう。

「美希っ〜!おっはよー!」
「……っ!」
突然背中を押され、慌てて涙を拭く。
振り向くと、そこにはいつもの2人組が立っていた。
「…あれ?どしたの?」
「あ、な、なんでもないよ!おはよう涼子」
不思議そそうに私の顔を覗き込む涼子。
そしてそんな涼子の横には、あの子がいた。
「おはよう。美希ちゃん」
「…おはよう。美穂」
トレードマークだった三つ編みをほどき、ウェーブのかかったロングに変えた美穂。
微妙に大人っぽくなったその姿は、なんとなく見るものを威圧する。

「……………」
「なぁに?美希ちゃん。そんなにジロジロみないでよぉ」
美穂が口元に手をあてながら、クスクス笑う。
…怖い。なんだかすごく怖い。
「さぁてと、あんたの王子様はまだなのかな〜?」
わざとらしげに声を上げながら、周囲を見回す涼子。
探している人が誰なのか、私には分かってる。…もちろん美穂にも。
たぶんその人はそろそろこの駅に着く。
「あ〜いたいた!高田君〜こっちこっち」
「…あ、おはよう。村田さん、緑川さん。…三浦さんも」
「おはよう。高田君」
「…おはよう」
相変わらず、どこかのモデルのようなルックスをした高田君は目立つ。
この混雑した駅でも、目のいい涼子ならすぐ見つけることができたようだ。
「ん〜じゃ行こうか。麻希達はどうせ遅いでしょ」
先陣をきって通学路を歩き出す涼子。
私と高田君も、涼子の後をゆったりとついていく。
………美穂の鋭い視線を、背中に感じながら。

 

「…それでさぁその後……」
「ははは。村田さんが悪いんじゃないの、それ?」
「失礼ね!私は……」
「ははは……」
「………………」
「………………」
涼子と高田君が馬鹿笑いしながら楽しそうに前を歩く。
その後ろを、私と美穂が黙りこみながら、揃って歩く。
あの放課後からずっとこんな感じだ。
たぶん、涼子もどうしていいのかわかんないんだと思う。
私と高田君を二人っきりにしたほうがいいのか、美穂とバラバラにするべきなのか。
………私には選択肢がないのに。

「…うまくいってるみたいだね、美希ちゃん」
「……え?」
ボソッと、美穂が突然つぶやいた。
目線は目の前で涼子と歩く、高田君に固定されたままだ。
「よかったよ。これで私も安心できる」
「………そ、そう」
口元を歪め、薄く笑う美穂。
私はうなずくしかない。
「ちゃんと約束、守ってくれてるね。私達友達だもんね?」
「……う、うん」
「…うん。じゃあ、二人でごゆっくり」
「…え?」
そう言うや否や、突然美穂の歩みが速くなる。
そのまま前を歩く涼子の手を取り、勢いよく走り出した。
「ちょっ、ちょっと!美穂!」
「はやくいこ!涼子ちゃん。二人の邪魔しちゃ悪いよ!」
慌てふためきながら、なすがまま美穂につれらていく涼子。
チラチラ私達の方を見ながら、静かにうなずく。
「…それもそうね。いこっか!美穂」
「うん!」
「じゃあ二人ともごゆっくり!もし休んじゃっても担任には言い訳しとくからだいじょぶよ〜」
笑いながら走り去っていく涼子の声が小さくなっていく。
美穂もチラッと私と目を合わせると、不気味な笑いを浮かべたまま走り去ってしまった。

「なんだ?あの二人」
呆然と二人を見送っていた高田君がようやく口を開く。
「………………」
「…やっぱりつらいのかな、緑川さん。そりゃそうか、俺のせいだもんな」
沈痛な面持ちのまま、俯く高田君。
「……そうじゃないよ」
そう、高田君のせいじゃない。私のせいだ、なにもかも。
「…いこっか」
「…うん」
……本当にどうしたらいいんだろう、私は。

結局、終始無言のまま、私達は同時に教室に入った。
そんな私達を先に席に着いていた涼子や鳩山君達が迎える。
涼子は私達を見て、ニヤニヤしながら参考書を読み込んでいる。
鳩山君は、複雑な表情で高田君と挨拶を交わしている。
…やっぱり難しいんだろう。あの二人も。
たぶん私が高田君と一緒にいるから何もないだけだ。もし私が何かしたら、あの二人は…
「…………はぁ」
「あら〜結局学校には来たわけね」
やらしい目つきでチラッと参考書から私に目を移す涼子。
「あのね、もうああいうことやめてよね。不自然すぎるでしょ、いくらなんでも」
「は〜い。ごめんなさ〜い」
…ったく。ほんとにわかってんのかな。
机に着き、鞄から教科書を出しながら、チラッと要の席を盗み見る。
まだ今日は来ていないようだ。飯田君と氷川さんの二人しかいない。
そういえば秋穂も来てない。また二人で仲良く登校してるのか。…くそっ!
「ねえ美希〜ここ教えて」
「あ〜…はいはい」
しかたない。今は、我慢するしかない。

 

 

いつも通りホームルームが始まる直前になると、残りの生徒達が一斉に教室になだれ込んできた。
その中には麻希達もいた。そして、要と秋穂の二人も。
…あれ?なんだろう。おかしい。
あの二人、やけにくっついてるような気がする。いやそれだけじゃない。
なんか明らかに様子が変だ。まるで……
「あ〜あ。見て、山下と庄田」
机に肘をつきながら、毒づく涼子。
「あ〜見た見た。あの二人さ、マジ付き合ってるみたいよ。今朝もイチャイチャしてたし」
麻希が鞄を置きながら二人を見つめる。
「ゲ〜。ま、あの二人ならお似合いか。山下もラッキーよね」
「地味子がいきなりあれだもんね。山下も一生童貞が嫌で必死だったんでしょ」
「やだ〜。キモっ!私なら飯田選ぶね、あのメンツなら」
「え〜。さらにありえないし。高田君でしょ、普通は」
「高田君には美希がいるし〜。ま、どっにしても山下はお断り!」
「だね!キャハハハ!」

なんで……
「ん?あれ?どしたの美希?」
なんでよ……
「お、お〜い。美希?」
なんなのあれ……
「ちょ、ちょっと、美希!」
何よ、あれ。なんなのよ!!
「美希!美希ってば!!」
「…へ?えっ?あ!」
涼子と麻希が二人揃って私の顔を覗き込んでいる。
その表情には、心配と恐怖の念が入り混じった感情が浮かんでいる。
「み、美希。だいじょぶ?それ…」
「え……?」
涼子が震える指先で私の右手を指差す。
「痛っ!」
右の手のひらをゆっくり開いてみる。
そこでは、粉々に砕けたシャープペンシルが私の手のひらを赤く染めていた。
「み、美希……」
「………………」
痛い。痛い。心が痛い。
「お〜し。お前ら席つけ〜。ホームルーム始めるぞ!」
担任の声が教室中に響く。散らばっていた生徒達が次々に席に着いていく。

なんで?なんでなの?心が苦しいよ、痛いよ、要……

――――まだ痛い。ズキズキする。もうお昼なのに。
包帯の巻かれた手のひらをさすりながら、弁当をつつく。
もうこの気温じゃ中庭や屋上じゃ食べる気にはなれない。
皆教室か、食堂か、それとも廊下か、そのどれかだ。
今日は食堂にするように私が提案した。ここなら人が多い。
要と秋穂を、じっくり観察できる………
「でもさ〜庄田もちょっと調子に乗ってるよね」
ガヤガヤとうるさい食堂でも、涼子の声はよく聞こえる。
あんまり大声で言う話題でもないだろうに、わざとやってるんだろう。
周りの人間に、聞かせたいんだ。
「ま、たしかにね〜。今朝もさ、声かけてくる人たくさんいたのに、全部無視してんの」
「………………」
「なにそれ?どういうこと?」
「なんかすましてるっていうか、あんた達なんか眼中にないわよ〜みたいな感じ?」
「うわっ!なにそれ?腹立つ〜。何様よ」
「………………」
「山下もさ、庄田のこと咎めるでもなくて、手繋いでニコニコしてんの」
「うわっ!キモっ!」
「まさに二人だけの世界ってかんじ?あ〜ウザっ!」
「………………」
「……ね、やっちゃわない?久しぶりに」
涼子の声が急に小さくなる。
「………いいね。最後の最後にまたやっちゃう?」
麻希も身を乗り出し、ニヤニヤ笑い始める。
「ちょ〜っと身の程ってヤツを分からせてやるのよ。庄田にさ」
嫌な笑みを浮かべ、クスクス笑う涼子。
「美希はどう?久しぶりにさ。受験のストレス解消にもなるよ。今後のためにも…さ」
「………………………」
…そうか。そうだ。またこの子達を利用すればいいんだ。
何で気づかなかったんだろう。今までと同じことをすればいいだけだった。
「…いいね。やっちゃおうか」
私の言葉を聴いた途端、麻希と涼子が顔を見合わせてまた笑う。
……正直気が引ける。でも、やるしかない。
このままじゃ要がおかしな方向へ進んでしまう。それだけは阻止しないと。
秋穂がいけないんだよ。せっかく忘れかけてたのに……また出てくるから。

ごめんね…秋穂。

そう思った時、自分も薄く笑っていることに、私はようやく気がついた。

14

どんな物事にも、必ず表と裏がある。光と闇がある。
どれだけ多くの人に好かれていようと、すべての人間に好かれているわけではない。
どんなに人気者であろうと、それを嫌う人間も必ず存在する。
私のときもそうだった。
あの時の私は、性格を変え、容姿を変え、すべてを偽って生活していた。
けれど、元々の性格を完全に偽るなんて事はやっぱり不可能だった。
人と群れる事があまり好きでなかった私は、あまり周りの人間に深く関わることがなかったのだ。
そこに目をつけたのが戸田と村田だ。
私と違い天性の「人気者」として生まれたあの二人には、私のような人間が勘に触ったのだろう。
気取っている、すまし面してる、なんて思われるのも仕方がない。
あの二人に取って、私は不愉快な存在でしかなかったのだ。

美希はそんな二人をうまく利用した。

結果、私はクラスで地味な暗い存在と認知されることとなった。
……あの頃のことは思い出したくもない。すべてに絶望した。まさに地獄だった。
厄介だったのが、それが狡猾で陰惨な、周りの人間に知られないような手段だったことだ。
おかげで誰にも相談することもできなかった上、信じてももらえなかった。
頭のいい人間がこういうことをすると誰にも止められない、そう思い知らされた。
でも美希の本当に恐ろしさはそこじゃない。
あの子は私を見て、学習したのだ。
一人でいると危険だ、自分を守る「壁」が必要だ、と。
そこで美希は、さらに村田達を利用し学校内外の人間にネットワークを張った。
そうすることで「人気者の自分」の周りに「他の人気者達の壁」を作り、自分を守ったのだ。
そのおかげであの子は、自分を嫌う人間からも身を守ることができるようになった。
たとえなにかのターゲットにされても周りにいる「他の人気者達」のおかげで、それは拡散する。
自分に被害が及ぶことは限りなく少なくなる。
完全に計算された鉄壁の守り。それがあの子をここまで押し上げたのだ。

―――でもね、美希。学習したのはあんただけじゃないのよ。
私も成長したの。「私なりの壁」ってやつを、作れるようになったのよ……

――――そう、こういうときのための壁を、ね。

「………………」
やっぱりこうなったか。少し遅すぎる気もするけど。
美希の事だから自分から提案したわけじゃないんだろう。
たぶん、また村田だな。そこから話が広がったんだ。
ま、村田にしろ戸田にしろやり方がパターン化している。
これじゃ誰がやったかなんて、すぐにわかる……
「秋穂?どうかしたの?」
下駄箱を見つめたままの私を見て、要君が怪訝な顔をしながら近づいてくる。
「…ううん、なんでもないよ」
笑顔を作り、下駄箱を覗こうとする要君を遮る。
「でも……」
「えっと…私、忘れ物しちゃったみたい!先、行ってて?」
「えっ?だけど…」
「いいから!先行ってて!」
要君は執拗に私の下駄箱を覗こうとする。
性格上、異変に気づいてるとは思えないけどなにかあるとは思ってるんだろう。
「ホラ!いいからいいから!」
「わ、わかったよ。じゃあまた後でね」
私に背中を押され、しぶしぶと階段を上り始める要君。
何度も何度も私のほうを振り返り、やがてあきらめたように教室へ向かっていった。
…ちょっと寂しそうな顔してたな。後で慰めておかなきゃ。
「……さてと」
気を取り直し、もう一度下駄箱の中を確認する。
どこをどうみても空っぽだ。
上履ききもなにもない。
灰色の空間だけが、下駄箱の中を支配している。
「ま、たぶんあそこだよね」
下駄箱から離れ、あたりを見回す。
…あった。たぶんあの中だ。

靴下のまま、冷たい廊下に設置されている大きなゴミ箱へ向かう。
中を視認し、大したものが捨てられていない事を確認するとそのまま両手を突っ込む。
たぶん、一番下だ。あの時期もそうだったし。
「……あった」
両手をゴミ箱から取り出し、上履きの感触を確かめる。
どうやら特にいじられてはいないようだ。
まあ最初だし、こんなものだろう。
そのまま埃をはらって上履きを履き、周りを見渡す。
…誰かに見られたりはしていないようだ。
見られたら見られたで、面白くなるんだけど。
「………………」
鞄をしっかり持ち直し、教室への階段を上る。
ここからだ。ここからが今までと違うところ。
前までの私だったら、困惑したまま教室へ入っていたことだろう。
でも今は違う。確かに私は「学習」した。
この後村田や戸田がなにをしてくるのか、大体予想がつく。

見てなさい美希。あんたの思うようには、絶対ならないわよ……

教室に入った私を迎えたのは、要君や由梨絵達ではなかった。
最近毎日のように私に絡んでくる、まともに話もしたことのないような連中だ。
「おはよう!庄田さん」
「早いね〜庄田さん!」
「…おはよう。皆」
正直反吐が出る。こういう連中は父の影響で嫌というほど見てきた。
父が有名になった途端、ハイエナのように群がり始めた親族達や友人達。
どれだけ父が苦労しても見向きもしなかった連中。
こいつらも同じだ。前は私に見向きもしなかった。
…だからなんだろう。私があまり人と深く関わろうとしなかったのは。
どんなに性格を偽っても、こういうやつらが根本的に嫌いなんだ。
「皆も早いのね?勉強?」
「う、うん。そうなんだ」
「庄田さんってそういえばどこの大学行くの?」
「頭いいもんね〜庄田さん」
「あはは。そんなことないって」
……でも今は我慢するしかない。これが私の「学習」だ。
前はこういう連中には、常に冷たく接してきたが今度は違う。
距離を置きながら、それでもある程度仲良くする振りをする。
こうしておけば、私の周りから人がいなくなることはない。
これが私の「壁」。まさに肉の壁だ。
「……チッ」
村田達の苦々しい視線を感じる。
人に囲まれている私を見て、手を出したくても出せなくなっているんだ。
…ふふっ。ざまあみろ。
さあ、なにかしてみなさいよ?できるもんならね。
「ねえ、庄田さんここ教えて〜」
「あ、俺も俺も」
「うん、いいよ。どれどれ……」
それに、こういうのも悪くない。
馬鹿面したやつらを手の内で転がしてる、そんな気分になれる。
おまけに…………

「そんなことないよ〜。秋穂、ちゃんと私達と一緒にいてくれてるじゃん」
「んでも昼とかだけじゃん?もう朝は完璧俺ら3人になってるさ〜」
「ん〜…そうだけど、きっと秋穂は私たちの事考えてるよ」
「どうだかな〜。なあ、山下はどう思うよ?」
「……………」
「…あれ?お〜い山下」
「山下君?お〜い」
「…え?あっ!ごめん。…そうだね。ははは」
…ふふふ。やっぱり。
要君、すごい顔してたよ。自分で気づいてるのかな?
前から思ってたけど、要君って結構独占欲強いよね。
なかなか表に出さないけど、たま〜にすごい顔して私の周りのヤツを睨んでる。
きっと美希の時もそんな風に思ってたんだろうね。
…余計美希が憎くなるよ、ほんと。
「庄田さん〜次はここ教えて〜」
「うん〜分かったよ」
でもほんといいなぁ。こういうの。
由梨絵達と離れるのはきついけど、要君の心が私で占められていってるのがわかる。
どんどん私の色で染まっていってるのが、手に取るようにわかる。
美希は要君と私が離れてくれて内心ほくそ笑んでるだろう。
手を出せなくなるのはともかく、美希にとってはそれだけでも十分なはずだ。
…でも実際はちがうの。正反対なのよ。
離れることで、要君と私はより「近づく」ことができるようになる。
より、離れられなくなる。より、私に夢中になる。
たぶん美希も無意識のうちか、計算上か、こういうことをやってたんだろう。
だからあれだけ要君も夢中になったのね。全く対した悪女ね、ほんと。
……次は私がそれを利用させてもらうわ。
こうやって会えない分は、ちゃんと夜に「補って」あげてるから。
アメと鞭。押すだけでなく、引くこと。

これもあんたから学んだのよ?美希。

15

教室内では「肉の壁」のおかげで特に問題もなく、やり過ごすことができた。
しかし本当の勝負はここからだ。
教室を一歩出ると、そこから先は私一人でやりくりしなければならない。
今、この状態で由梨絵と2人でいるとあの子まで巻き添えを食う危険性が出てくる。
だから移動教室のときは飯田君や要君のような男の子達と一緒に行動する。
こうすれば、美希はおろか戸田や村田も下手に手が出せない。
これが余計あいつらの怒りを買う行為であることは百も承知だ。
…けど一人になるわけにはいかない。
それがどういう結果に結びつくのか、私にはよく分かっているから。

 

「美希〜こっちこっち!」
「おっけ!」
「ホラ!麻希!」
コートの上では、美希や戸田、緑山といった連中がスポーツに励んでいる。
やっぱりこの時期でも体育は欠かせない科目だ。
受験のストレス解消にもなるし、運動不足解消にもなる。
…ま、私はこういう団体スポーツは好きじゃないからやらないけど。
それに「肉の壁」が使えるこの時間は、今の状態で由梨絵と話せる貴重な一時だ。
「すごいね〜やっぱり緑山さんと三浦さん、いい動きしてる」
「ん〜…そうね」
由梨絵は面白そうにコート上の美希達を見つめている。
この子は私と違い、不本意であのコート上に立てないでいる。
「いいな〜私もあんなふうに動きたい」
「……………」
由梨絵は体が弱い。
だからいつも体育の時間は見学だ。
前までは学校に来ること自体が稀で、だからなのか、あんまり友達がいなかった。
そんな由梨絵が、私に声をかけてきたのは当然のことだったのかもしれない。

「わっ!すごい!あんなところからシュート決めちゃったよ三浦さん!」
「そうね……」
子供ようにはしゃぎながら、羨ましげに美希を見つめる由梨絵。
この子は私と美希にあったことを何も知らない。
ただ純粋に、まっすぐに美希に憧れている。
そういうとこ、要君と似ている。
「ねえねえ、秋穂も混ざってくればいいじゃない!秋穂なら活躍できるよ!」
「私はいいのよ。こういうの好きじゃないって言ってるでしょ?」
「え〜。つまんなーい」
ほんとに純粋な子だ。私に近づいてきたのも、同情とかじゃないんだろう。
ただ仲良くなりたかったから、それだけなんだ。
だからこそ、由梨絵に迷惑をかけるわけにはいかない。
そしてこんな子が好きになった、彼にも。
「…ん?あっ!飯田君だ!またさぼってこっちきてるよ〜」
由梨絵が指差した先では、飯田君と要君達がぞろぞろと体育館に入ってくるのが見えた。
全く、なんのために彼らがここに来てるのか、私達が分かってないとでも思ってるんだろうか。
「うわ〜また来てるよ、男子達」
「キモ〜」
「見てあの目!やらしい〜」
やれやれ。言わんこっちゃない。
若干あきれながら要君の方を見ると、向こうも私を見ていたのか、ばっちり目が合ってしまった。
慌てたように私から目を逸らす要君。私も、なんとなく目を逸らしてしまう。
「お〜い飯田君〜」
周りの反応もまるで気にせず、嬉しそうに手を振る由梨絵。
飯田君もそれに気づき、こちらも嬉しそうに由梨絵に向かって手を振り返す。
…いいな、ほんとに。この二人はほんとに似合ってる。
由梨絵が飯田君の事好きになったのもわかるし、飯田君もたぶん、由梨絵に惹かれてる。
羨ましいほどお似合いのカップルだと思う。

――やっぱり駄目だ。この二人を巻き込むわけにはいかない。
これは私と美希の問題だ。
私の手で、なんとかするしかない………

体育の時間が終わると、合同だったクラスは元のようにバラバラになる。
女子達は更衣室で着替え、その後それぞれが元のクラスへ戻っていく。
私はすぐに教室には戻らず、容姿を整えるため、一人で女子トイレへと赴く。
――ここからだ。ここからが、正念場だ。

女子トイレに入ると、すでにそこには村田とその取り巻きの女子達がいた。
入ってきた私を一瞥すると、興味なさそうに鏡へと目線を戻す。
予想通りだ。ま、これで終わるわけがないことは十分分かってるけどさ。
私も彼女達に関心がないような振りをして、そのまま鏡の前に立つ。
視界の外で、村田の口元が少し歪んだのが見えた。

…来る。

「…でもさ〜いきなりあれだもんねぇ」
急に声を張り上げ、取り巻きの女子達に話を振る村田。
「急に変わっちゃってさ〜男にでも飢えてんのかな〜」
「ありえるありえる。きっとストレスたまってたのよ」
「あ〜だから適当な男捕まえてストレス解消って感じ?」
「そうそう。がり勉ちゃんぽかったしね〜」
「そんなんだったらエンコーでもすればいいのにねぇ」
「家が許してくれないんじゃない?「お金持ち」だし!」
「違う違う!いくら変態オヤジでもあんな根暗相手にしないって〜」
「あっ!そっか、だよね〜だからあんな格好しはじめたのかもね〜」
「うへぇ〜いくらなんでもマジありえない〜」
私の様子を伺うように大声で話し続ける村田達。
…我慢だ。まだ我慢しなきゃ駄目だ。
「………ねえどう思う?しょ〜ださ〜ん?」
村田がバカにしたような笑みを浮かべながら私に話を振ってきた。
今だ。
「…さあ?少なくともそんな子に彼氏取られるような女より、随分マシなんじゃないかしら?」

「…は?何言ってんのあんた?」
「……別に?ただの例え話」
村田は私の言葉に、わなわなと肩を震わせている。
…ぷっ!まずい。笑ってしまう。
「それじゃ、さよなら」
メイク用具をしまい、口元を押さえながら外に出る。
ほんとに吹き出しそうになってしまった。まずいまずい。
「待ちなさいよ!」
一歩踏み出した私の肩に、村田の手が伸びる。
「あんた、マジで調子に乗ってんじゃないわよ!」
凄まじいほどの怒りを全身から発しながら、私を睨む村田。
私もできるだけ冷たく睨み返す。
「調子に乗ってるのはどっちよ。離して」
「はぁ?どの口が言ってるわけ!?またイジメてあげましょうか?」
「…やってみれば?ほんとウザいわね、あなた」
「っ!!!庄田!」
村田が声を張り上げたその時、丁度授業開始のチャイムが鳴った。
「離してよ。授業遅れちゃうでしょ」
肩に置かれた手を振りほどき、教室へ向けて歩き出す。
背後から村田の悔しそうな声と慰めるような取り巻き達の声が聞こえる。
ほんとバカね。あんたは所詮その程度なのよ。
こんな挑発に乗るなんて……美希も似たようなものだけど。
この学校の女は、ほんと自分の男が関わると弱くなる。
そういう意味じゃ私も同じか。ふふっ。

 

廊下の角を曲がる瞬間、村田の恨みと怒りのこもった声が私の耳に響いてきた。
「あんた本気で私の事怒らせたわね!!覚悟しなさいよ!根暗女!」

…だからやれるもんならやってみなさいよ。ホルスタイン女。

16

体育の後は、多くの生徒が睡魔に負けてしまう、無意味な6限が始まる。
でも、なぜか今日も自習のようだった。
おかげで遅刻はせずにすんだが…これで3回目だ。
なにしてるんだ、この学校の教師は。
「あ〜庄田さん!」
「ごめん〜勉強見てほしいんだけど…」
「庄田さ〜ん」
こいつらも、もっと人の事考えなさいよね、全く。

 

自習という名の受験勉強時間は、あっという間に過ぎていった。
結局「壁」達の相手をしているだけで、この時間は終わってしまった。
ホントは要君の勉強を見てあげたかったんだけど…しょうがないか、今は。
村田は一応教室には戻ってきたが、終始無言で美希達が話しかけても無反応だった。
……代わりにずっと私の方を睨んでいたが。
多分その事で戸田も何かに気づいたのだろう。
ヒソヒソと、私の方を見ながら美希に話しかけているのが見えた。
――そろそろ仕掛けてくるだろうな。
学校にいる間は平気だろう。下校するときは要君がいるし。
となると……
思考に入ろうかというところで、担任の無駄に大きな声がドアの先から聞こえてきた。
「お前ら席つけー。帰りのホームルーム始めるぞ」
「壁」達が席へ戻っていくのを見届けながら、今度こそ、思考を開始する。
「いいか〜お前ら、もうすぐ受験なんだから少しは…」
いつ来るだろうか…いつがいいんだろう。
「もう少し気を引き締めてだな……おい!コラ飯田!寝るな!」
明日か?いやそれでも……
「卒業までもう少しだぞ〜最後まで学校生活を……」
う〜ん……
「……よし、今日はここまで。号令かけろ。それと庄田、週番頼むぞ」
……えっ?
「あ、はい」

週番?…しまった。
「きり〜つ。礼〜」
そうか。たぶん、今日。今からだ。
号令が終わり、担任が教室を後にすると、一斉に教室中が騒がしくなった。
クラスメイト達ががそれぞれ雑談を交わしながら、次々に帰宅準備を始める。
村田達も荷物をまとめ、教室のドアに足をかける。
その時一瞬、私を見て含むような笑みを浮かべたのが、はっきりとわかった。
「……ほ、秋穂、秋穂!」
「…あっ!」
いつの間にか帰り支度を終えた要君が、私の席を見下ろしていた。
その横には由梨絵と飯田君も揃っている。
「今日週番だよね?手伝おうか?」
「………………」
どうしようか。
今ここで手伝いを了承すればあいつらは手を出してこないだろう。
でももしかしたら由梨絵達に迷惑をかけることになるかもしれない。
それだけはまずい。だけど……
…ん?まてよ…そうだ。
「……ううん、いいよ」
「えっ?……そう」
心底残念そうに、寂しそうに肩を落とす要君。
可愛い。でも、駄目だ。
「うん…だいじょぶだから……」
「……?秋穂?」
要君が違和感に気づいたかのように、私の顔を覗き込んでくる。
いいぞ。あとは由梨絵が…
「…秋穂?どうかしたの?なんか変だよ?」
由梨絵も私の様子を見て、訝しげな表情を浮かべる。
よし!さすが由梨絵だ。ここまでくれば……
「……なんでもないのよ。だいじょぶ。ごめんね、また明日」
わざと苦しそうに、辛そうな表情を作る。
こうなれば要君や由梨絵がどう考えるのか、私には予想がつく。

「……うん」
「…わかった。また明日ね、秋穂」
心配そうに私の方を振り返りながら、教室を後にする要君と由梨絵。
無理やり作ったような笑顔を浮かべ、彼らが見えなくなるまで手を振る。
よし、後は週番の仕事をこなして時が来るのを待とう。
恐らくあいつらが教室に戻ってくる、その時を。

 

 

「…ふう」
日誌を書き終え、一息つきながら窓の外を眺める。
季節が冬だからか、すでに外は薄暗くなっていた。
照明がグラウンドを照らし、その中でクラブ生達が懸命に汗を流している。
…そういえば、前までこの時間は私にとって悪夢の時間そのものだった。
美希と要君が交わるところを、己の意思でとは言え、何度も見てきた。
美希の勝ち誇るような様を、何度も見てきた。
でも今は違う。負けるものか。今度こそ、私が勝つ。
「………………」
日誌を閉じ、時計を見ながらあいつらが来るのを静かに待つ。
しばらくして、多数の足音と小さな話し声が廊下から聞こえてきた。
その足音も教室の前で一斉に止み、代わりに大げさにドアを開く音が、教室中に響く。
「あら、庄田さん。お疲れ様〜」
私がいることを確認した村田が、満面の笑みを浮かべる。
その後に続くように、戸田や取り巻きの女子達が次々と教室に入ってきた。
「ちょ〜っとお話があるんだけど、いいかなぁ?」
「…いいけど、ここで?」
「ここじゃ誰か来るかもしれないし〜…移動しましょ。そこで、ゆっくりとね…」

──夜の学校の、体育館裏。
今、体育館内では多くの学生が部活を行っている。
それでもこんなところにまで走りこみに来る生徒はいない。
おまけに夜にこんなところに来る理由も普通の学生にはない。
遊んだり、密会したりするならわざわざこんな場所を選ぶ必要はないからだ。
「ここならおっけーねぇ」
「………………」
「さてと……謝るなら今のうちよ?庄田」
「………………」
しかし…私一人に対して大した数だ。
全員合わせて8人はいる。でも幸いな事に男は一人もいない。
こいつらならそれくらいはやると思ったんだけど。
さすがにそこまでクズな男は仲間内にいないってことか?
…いや、ただ単に自分達の手で私を粛清したいだけかもしれない。
私を本気で私刑にするつもりなのか、それはまだわからないけど。
「ちょっと!何とか言いなよ」
「………………」
「こいつ…!!」
「マジ腹立つ!」
「………………」
「庄田っ!聞いてんの!?」
「………………」
「もういいよ!やっちゃおうよ」
「そうそう。こういうやつは口で言っても無駄だしさ」
「………………」
なーんだ。結局そういうつもりだったのか。
「まあまあ、皆。どうするの?庄田さん。今ならまだなんとかなるかもよ?」
興奮した皆をなだめながら、勝ち誇ったような笑みを浮かべる戸田。
それを見て、突然ニヤニヤし始める村田と取り巻き達。
…美希はここにはいない。だけどどこかで見ている。
もしかしたら、後で戸田たちから結果を聞くつもりなのかもしれない。

だったら余計、ここで屈するわけにはいかない。

目を逸らさずに、しっかりと村田達を見つめながら口を開く。
「…謝るって、なにを謝るの?」
そんな私の態度に、村田が怒りの表情を浮かべる。
「決まってるでしょ!?昼間のことよ!」
「昼間のって……ほんとのこと言っただけだけど?」
「……はっ?」
「あんたの彼氏…木村君だっけ?彼、私に告白してきたの」
「えっ……」
私の言葉に、愕然とする村田。
やばい。また吹き出しそうになってしまった。
「だから、告白してきたのよ、私に。もちろん振ってあげたけどね」
「………………」
「感謝してよね?あんたがしっかり首輪つけとかないからこうなったのよ?」
「………あ、あんた」
「ま、あんなサルみたいな男、好きになるのあんたくらいのもんだろうけどねぇ?」
「…………っ!!庄田!!」
感情が爆発したかのような勢いで村田がつかみかかってきた。
でもこんなんじゃ、簡単に避けられる。
「………よっと」
避けるついでに足を掛けておいた。
「…あっ!!」
見事に引っかかり、不様に倒れる村田。
…だめだ、笑いが抑えられない。
「ぷっ…!くくく」
「…………っ」
「…っ!庄田!」
泣き出しそうな村田を見て、今度は戸田が仕掛けてきた。
ちょっとまずい。戸田はモデルもやるような長身だ。
しかたない。ここは口で攻撃するか。
「なにムキになってんのよ?あんたも似たようなことしてるじゃない」
「…………!?」
「知ってるのよ〜?あんたがモデル仲間の川島君と浮気してること」
「えっ!?なんで…あっ!」
慌てて両手で口を塞ぎ、顔を真っ赤にさせる戸田。

なんて間抜けなんだろう。バカすぎるにもほどがある。
体ばっかり大人っぽくなって、頭は空っぽなんじゃないの?
「村上君が知ったらなんて思うかなぁ?ふふふっ…」
「………っ!!」
「庄田!」
「あんたマジいい加減にしな!」
「調子乗ってんじゃないわよ!」
二人の様子を見た取り巻き達が、私に詰め寄ってくる。
あらあら。これはちょっとまずいかも。
「庄田…!!」
「許さない…!絶対許さない!」
村田と戸田も立ち直り、私を壁際に追い詰める。
やばい!万事休すか!!
「覚悟しなさいよ!」
8人の女子が一斉に私に飛び掛ってくる。
きゃああ!もうだめ!!
……なーんちゃって。

「やめろ!!」

突然の大声に、私を囲んでいた女子達が一斉に後ろを振り向く。
そこには、少し小柄ながらそれでもしっかりとした体格をした男の子が立っていた。
息を切らせながらもその男の子は村田達を睨みつけ、再び大声で叫ぶ。
「秋穂に手を出すな!そんなこと、絶対僕が許さない!」
その瞳からは、とてつもない怒りの感情が見て取れた。

―――ふふっ。来た来た。やっぱり来てくれた。

やっぱり王子様はこういうときに現れないと。ねっ?要君。

17

――なんてこった。ホントに予想通りになってしまった。

目の前では、秋穂が複数の女子に囲まれ、体育館の壁に追い詰められていた。
女子達は皆口々に秋穂を罵りながら、ゆっくり秋穂に詰め寄っていく。
まずい。これは絶対やばい。
なんでこんなことになってるのか全然分からないけど、やばい状況であることは理解できる。

「やめろ!!」

思わず口を出た僕の言葉に、女子達が一斉に振り返る。
ほとんど見たことない顔だ。別のクラスの女子か?
いや、二人だけ、秋穂のすぐ近くにいるあの二人だけ、僕は見覚えがある。
いつも美希と一緒にいる、あの二人。
常にうちのクラスの中心にいる、あの二人。
いつも僕をバカにしている、あの二人。
そして、秋穂をイジメていたっていうあの二人。
村田さんと戸田さんだ。
「…………っ!」
そう理解した途端、この状況に対する答えが、一瞬で頭の中に導き出された。
あの話は本当だったんだ。
この二人は、秋穂をイジメていた。それも、こんな大勢で。
そして今また、同じことをしようとしていた。
なんでだ…?なんで今なんだ?
どういう理由で、今また秋穂を狙うんだ?
……ほんとは分かってる。理解したくないけど、この状況がそう言ってる。

美希だ。美希がやらせてるんだ。

「秋穂に手を出すな!そんなこと、絶対僕が許さない!」
気づいたときには、そう叫んでいた。
女子達の顔を見回し、一人一人睨みつける。

ここに美希はいない。どこかに隠れているとか、そんな気配もない。
もしかしたら美希は関係ないのかもしれない。
村田さんと戸田さんの単独犯なのかもしれない。
…でも、それもただの勝手な思い込みなんだって事、僕は気づいてる。
この感覚、このざわつき、この不快感。
怒りだ。とんでもない怒りが、僕を支配しようとしてる。
「は?山下?」
「なによあんた。なんでこんなとこいるわけ?」
僕の叫び声にもまるでひるまず、女子達は僕を睨み返してくる。
「そんなことどうでもいい。秋穂から離れろ」
そっけない僕の返事に、いよいよ彼女達の表情が強張っていく。
「なんなのあんたマジで!」
「これ私達の問題なんだけど!?」
「ウザッ!関係ないのに口出しすんなっての!」
「何様よあんた!」
「ホントわけわかんないヤツ!さっさと消えなさいよ!」
まるで打ち合わせをしてきたかのように、彼女達の言葉はまるで被らない。
ひとりひとりが強烈な悪意を持って、僕を罵ってくる。
…なるほど。確かにこれじゃあ男は勝てない。
口げんかで女に勝てる男なんて、この世にそうそういないだろう。
でも、だからってここでひるむわけにはいかない。
僕だってもう、我慢の限界なんだ。
「関係なくなんかない!秋穂は僕の…!」
「はあ?なんなのよ!」
「秋穂は……秋穂は……」
……なんなんだろう。秋穂は僕にとってなんなんだろう。
あの日から僕らは変わった。
肌を重ねて、お互いを求めあうようになった。
だけど…僕の恋人は美希だ。じゃあ秋穂は?
秋穂は、僕の…僕の……
「僕の、大事な人だ!だから手を出すな!」

僕の再三の大声に驚いたのか、彼女達の動きが一瞬止まった。
チャンスだ!
「ちょっ、ちょっと!なにすんのよ!」
秋穂を囲むように立っている彼女達を、無理やり押しのける。
それを見て、最も秋穂に近い位置にいる村田さんが僕の前に立ち塞がった。
「………………」
無言で村田さんを見下ろし、威圧する。
だけど、村田さんは全然ひるまない。
むしろさらに強く、僕を睨んでくる。
「……どいてくれ」
「嫌よ。あんたが消えなさいよ」
決して気圧されず、僕と秋穂の間に立つ村田さん。
仕方ない。あんまり女の子に手は出したくないんだけど……
「ごめん、村田さん。どいてもらうよ」
「えっ?……きゃっ!」
瞬間的にひるんだ村田さんを、勢いよく突き飛ばす。
もちろん極力手加減はした。
だけど、それでも村田さんの体は軽く吹っ飛んでしまった。
「いった〜い…」
「だいじょぶ!?涼子」
慌てて戸田さんが村田さんに駆け寄る。
そのまま寄り添うようにして、僕を睨みつけてくる。
でもそんなのかまってられない。今はこっちが優先だ。
「だいじょぶ…?秋穂?」
警戒されないように、壁に張り付いたままの秋穂にゆっくり手を伸ばす。
「……うん、だいじょうぶ。ありがとう、要君」
ほっとしたような笑顔を見せ、僕の手を取る秋穂。
だけどその手は、細かく震えていた。
…そりゃそうだろう。こんな人数に囲まれて平気でいられるわけがない。
ましてや昔自分をいじめていた相手だ。怖くないわけない。
また同じような目にあうかもしれないって思うのも、無理はない。

「要君…」
くそっ!こいつら……許せない!
秋穂の手をしっかり握りながら、ゆっくりと振り返る。
そのまま、僕達の様子を見ていた女子達を今度こそ本気で睨みつける。
「うっ……!」
「な、なによ……」
今度は本当にひるんだのか、彼女達は徐々に後ずさり始めた。
村田さんと戸田さんも少し怯えたような表情になる。
「今後一切こういうことするな!もし次、こんなことしたら絶対に許さないからな!」
ありったけの敵意をこめて、彼女達全員を威嚇する。
「……っ!!」
「返事は!」
「…………っ」
「……わかったわよ」
戸田さんが悔しそうに唇をかみ締める。
「村田さんは?」
「…わかった!わかったわよ!」
村田さんも戸田さんや周りの皆を見て、諦めたように目を伏せる。
「よし。約束したからな!絶対に守れよ!……行こう、秋穂」
「…うんっ!」
秋穂の手を引き、女子達の輪から抜け出る。
途中、まだ何人かの女子が僕を睨みつけてきたが、こっちが睨み返したらすぐに目を逸らした。
こういう時だけは、自分の悪評にも感謝するしかない。
…そうだ、まだ聞いておかなきゃいけないことがある。
あまり気が進まないけど、確認だけはしておかなきゃ。
校舎へ向かっていた足を止め、うなだれている戸田さんの方を振り向く。
「ねえ。三浦さんはどこにいるの?」
僕の言葉を聞き、戸田さん怪訝な表情を浮かべる。
「は?なんで美希が出てくるのよ?意味わかんない」
「………………」
無駄か。この二人を問い詰めても、きっと何も言わないだろう。
「…そっか」
ここに美希はいない。だけど、秋穂の話は本当だった。
きっとそれが、答えなんだろう……

――満天の星空の下、僕と秋穂は帰路についた。
前まで美希と歩いていた夜の街を、今は秋穂と歩いている。
吐く息は白く、吹き付ける風は肌寒い。
だけど秋穂と繋いだ右手は、なぜか暖かく感じる。
「ありがとう。来てくれて」
繋いだ手が少し強く、優しく握り返された。
「……いや、氷川さんのおかげだよ」
「由梨絵?やっぱり気づいてたんだ…」
「…みたいだね。やっぱり朝のも?」
「………うん」
そうか…なんで気づかなかったんだ僕は。
なんとなくおかしいとは思ってたのに。
そのせいで秋穂を怖い目に合わせてしまった…
「ごめん。もっと早く僕が気づくべきだった。ほんと、ごめん」
「い、いいよ。そんなに謝らないで。来てくれただけで……」
頬を朱色に染め、そのまま腕を組んでくる秋穂。
女の子独特の、柔らかい感触が伝わってくる。
「嬉しかったから…」
「……………………」
こんなことされると、まともに秋穂の顔を見ることすらできなくなる。
二人揃って俯いたまま、黙って街を歩き続ける。
「……ね、今日、家来ない?」
顔を俯かせ、身体を僕に密着させたまま、秋穂がつぶやいた。
「…今から?ご両親は?」
「今日は二人ともいないの。ね?昼勉強見てあげられなかったし」
あ、なんだ。そっちか。
「あ、そ、そうだね。じゃあお邪魔しようかな…」
「………………」
「…な、なに?」
「……エッチなこと考えてたでしょ?」
「うっ!」
「ふふっ。いいけどね。要君がその気ならさ」
いつものように、可愛らしい笑顔で秋穂が微笑む。
それにつられて、僕の口元も少し緩んでしまった。
…ほんとに美希に似てるな。仕草も、性格も。
いや、これは美希が秋穂を真似たって言った方が正しいんだよな。
僕の知ってるあの美希は、ここにいる秋穂をコピーしたものなんだから…。

「…ねえ。やっぱりあれって美希がやらせたのかな?」
「………たぶんそうだと思う。やり方が同じだったし」
やっぱりか……
「やっぱり、ちゃんと話してみるよ。美希と」
「そう…わかった」
秋穂の言ってた事は多分事実だ。
だけどまだ美希を信じたい自分も、確かにいる。
そろそろちゃんと美希本人から聞かなければ。
きっと答えは僕の想像通りなんだろうけど、美希の口から聞きたい。
そうじゃなきゃ…美希をあきらめることができない。
このままじゃきっと、高田を本気で憎んでしまう。
そして美希の事も……
それは、嫌だ。
「…そういえばさ、要君」
マンションに向かおうかというところで、秋穂が足を止めた。
「さっき私の事、大事な人だって言ってくれたよね?」
「えっ!……う、うん」
「あれって、どういう意味?」
小首をかしげながら、僕の顔を覗き込んでくる。
「えっと、あれは……」
「あれって「そういう意味」ってことでいいのかな?」
悪戯っぽく笑う秋穂。
「……………………」
それって、つまり「そういう事」だよな。
…でも、僕自身、正直言ってよくわからない。
秋穂の事は好きだと思う。少なくともそれは事実だ。
でもそれがどういう「好き」なのか、実はまだ分かってない。
あんな風に秋穂の事抱いておきながら、なんてヤツだって、自分でも思う。
あんなに秋穂に群がる奴等に嫉妬しておきながら、バカじゃないのかって思う。
だけど、ほんとにわからないんだ。
「…ま、いいわ。いつか要君の口からちゃんと言ってくれるって信じてるから」
そう言うと、嬉しそうな顔をしたまま、秋穂は再び歩き出した。
「……うん、いつか、きっとね」
僕も秋穂に合わせて、ゆっくり歩み始める。

美希への想いと、秋穂への想い。
同じなようで、全然違うようなモノである気もする。

――僕は、どうしたいんだろう。誰を、一番信じたいんだろう……

18

『それで、涼子が荒れちゃって……』
「うん」
『でも山下が戻ってくるなんてホント思ってなくってさ……』
「うん」
『山下の顔、ホントにやばくて。多分私達の事本気で……』
「うん」
『ちょっと私もさ、あいつに弱み握られてたっていうか……』
「うん」
『だから私達、もう無理かも。自分達から言い出しといてなんだけど……』
「そう。わかった。さよなら。また明日ね」
『え?ちょっ、ちょっと美希』

携帯の通話ボタンを押し、麻希との会話を終わらせる。
ゆっくりと、部屋の中の空気を吸い込む。
駄目だ。全然駄目だ。少しも落ち着けない。
どんどん右手に力がこもっていく。
携帯のきしむ音が、静まり返った部屋中に響く。
「……クソっ!!」
思いっきり腕を振り上げ、携帯をドアに叩きつける。
さすがにシャーペンみたいに粉々にはならない。
だけど、電池は取れてしまったみたいだ。
さっきまで光っていた液晶画面が、真っ暗になっている。

――全く!あれほど言ったのに!要がいないときに仕掛けろって!
おまけに「弱みを握られたからもう無理」、ですって?
日頃の行いが悪いからそういうことになるんだ!
人の噂話をするのは大好きなくせに!
自分達の番になるとこれか。なんて役に立たない連中なんだろう。
これならまだ昔の秋穂や、本間君のほうが役に立った。

……どうしよう。どうすればいいんだ。
あの二人が要に私の事をしゃべることはないだろう。
だけど、これがきっかけで秋穂が要に何かしゃべるかもしれない。
要は私と秋穂に何があったのか、知ってるのか?
知っているとしたらどこまで知っているんだろう?
いや、そもそも要があの話を聞いて素直に信じるかな?
もしかして要の様子がおかしいのは、それが原因なのか?
大体要は私と高田君の事、どこまで知っているんだろう?
頭の中がぐちゃぐちゃだ。全然考えがまとまらない。

「お、お姉ちゃん! どうしたの? さっきの何の音?」
先程の物音を聞きつけてきたのか、舞が血相を変えて部屋のドアを開けてきた。
「あっ! べ、別になんでもないの。ごめんね、驚かせちゃって」
なるべく不自然でないように笑顔を作り、舞に答える。
もちろん、バラバラになった携帯と電池は隠して。
「そ、そう? ならいいけど……」
「うん。おやすみ、舞」
「……おやすみなさい。お姉ちゃん」
舞はまだ何かひっかかっているような顔をしていたが、やがてドアを閉め、
自分の部屋へ戻っていった。

とにかく、明日だ。明日もう一度、ちゃんと状況を確認しよう。

 

 

――そして、新しい一日が始まった。退屈で、苦しい一日が。
涼子は学校に来なかった。麻希の言ったとおりなら、あのあと木村君ともめたんだろう。
そしてその結果がどうなったのか、容易に想像がつく。
涼子は秋穂を毛嫌いしていた。そんな人間に自分の彼氏が気を持ってしまったんだから、
平静でいられるわけがない。
加えて、涼子の木村君への愛情はとても深い。
木村君はどうだか知らないが、涼子のショックは余計に大きいはずだ。

麻希はなんだか秋穂に怯えているようだった。
どんな弱みを握られてるかしらないけど、多分男関係だろう。
麻希が男にだらしがないことは、涼子からもよく聞かされていたし。
ま、この二人については予想通りだったし、正直どうでもいい。
問題は……
「要君。ここ違うよ。ここはね……」
「あっ、そっか。そうだった。ごめん」
寄り添いながら、まるで本物の恋人のように振舞う要と秋穂。
飯田君と氷川さんもいるにはいるが、あの二人はあの二人で、別の世界を作ってしまっている。
そう、問題はあの4人だ。あの4人の中に「私がいないこと」だ。
あそこには秋穂ではなく、本当は私がいるはずなんだ。
私が要の勉強を見て、要の側にいて、要の友達と付き合う。
それが、本当の姿のはずだ。なのに……
「おーい。お前ら。朝のホームルーム始めるぞ〜」
教室に入ってきた担任の声で、ようやくあの4人はバラバラになった。
要と秋穂は名残惜しそうに、それぞれの席へ戻っていった。
――駄目だ。やっぱり秋穂はまるで堪えてない。
それどころか、あの二人の絆が余計に強まってしまったようにも見える。
どうしよう。どうやって、どうすれば、あの二人を……

 

退屈で無意味な授業を受けている間も、何の考えも浮かばなかった。
ひたすらあの二人の様子を見て、悔しさと恨みを募らせる。
それだけで、時間はあっという間に過ぎてしまっていた。
そして気づいた時には、すでにお昼休みになっていた。
「涼子、だいじょぶかな〜?」
カレーライスをほおばりながら、麻希が心配そうにつぶやく。
「えっとね、涼子ちゃん、学校には来るって。さっきメール来たよ」
それを聞いた美穂が、携帯を開き、メール受信画面を見せてきた。
「あ、ほんとだ。よかった〜」
「………………」
涼子のことなど、今の私にとっては、どうでもいい。
ただ黙って、秋穂と要の様子を見守る。それが一番重要なことだ。

今日も学食にしようと提案したのは私だ。
あの二人は、最近ずっと学食でお昼を取っているから。
その理由も私には分かっている。だから余計二人から目が離せない。
「あの二人、仲いいよねー。いいなぁ、うらやましい」
私の様子を伺うように、美穂があの二人の話題を振ってくる。
私を試しているつもりなんだろう。そして、たぶんそれは秋穂も同じだ。
「どう要君?ちょっと味薄いかな?」
「ん。そんなことないよ。おいしい」
結構な数の学生がひしめくこの学食内でも、私達の距離からなら二人の声が聞こえる。
この席を選んだのは美穂だ。
麻希や私が渋っても、強引に私達をここに座らせた。
まるで、秋穂と共謀しているかのような動きだった。
「庄田さんって、あんなに綺麗だったんだねー。知らなかったなぁ。
でも「彼女」があんなに美人なら、山下君も鼻が高いよね。美希ちゃんもそう思うでしょ?」
「……うん。そうだね」
秋穂が周りにみせつけるように要と仲良くしているのは、それが理由なんだろう。
自分が「山下要」の「彼女」だってことを、皆に知らせたいんだ。
そして、私がこうして二人を監視している事も秋穂は分かっている。
分かってて、やっているんだ……!
「ま、まあ庄田の事はいいじゃん。どうでもさ」
麻希は秋穂の方を決して見ようとはしない。話題にも参加しない。
例の弱みってヤツが発覚されるのを恐れているんだろう。
「え〜。でも気になるじゃん。学校一の嫌われ者とあんな美人が仲良くしてるんだよ〜?
私なら庄田さんみたいになれないよ〜。美希ちゃんもそうだよね?」
「……そう、ね」
私だって、要と仲良くしたいのに。仲良くできるのに。
「美希ちゃんとか庄田さんには高田君みたいな人がお似合いなのにね〜?」
「………………」
「は〜あ。もったいないなぁ〜庄田さん」
「………………」

私達が座っている席のすぐ側で、楽しそうに食事を取る要と秋穂。
一方で、「要の彼女」であるはずの私は、こんなに苦しい思いをしなければならない。
……なんでこんなに我慢してるんだろう。なんで、我慢しなくちゃいけないんだろう。
「み、美希?どしたの?だいじょぶ?」
「……………」

なんで……なんでこんな事になってるんだろう。
なんで、美穂はこんな風になっちゃったんだろう。
なんで、私がこんな思いをしなければいけないんだろう。
なんで、私は要とお昼を一緒しちゃいけないんだろう。
なんで、秋穂があんなに要と仲良くしてるんだろう。
なんで……どうして、どうして、どうして!

数え切れないほどの疑問と抑えきれない怒りが、私の感情を黒く染めていく。
寄り添う秋穂と要の姿が、網膜に焼きついたかのように目から離れない。
「……えっ?み、美希ちゃん?」
「美希?美希ってば!」
美穂と麻希の、心配そうな声が耳に届く。
二人ともテーブルから身を乗り出し、肩をゆすってくる。
うっとおしい。この状況も、周りの人間も、皆、皆!

――もう我慢の限界だ。こんなの、耐えられるわけがない。
「約束」がなんだ。要はもう約束なんて守る気なんかない。
それどころか、要の心はだいぶ秋穂に傾いてしまっている。
これじゃあなんのために「ここ」まで頑張ってきたのか、わからない。
要は怒るかもしれない。だけど、このまま秋穂に渡すくらいなら……!

私と要の世界を、もう一度変えてやる!
これ以上、秋穂の好きなようにはさせない!

19

この時期のロングホームルームは、私達受験生にとって貴重な自習時間だ。
どの生徒も友達と共に、あるいは一人で、自身が用意したテキストに向かう。
中にはおしゃべりをしたり、カードゲームをしたりして時間をつぶしている者もいるが、
担任はそのことも承知の上で、あえてこの時間は席を外している。
――要と秋穂は今、バラバラだ。
秋穂は多くのクラスメイト達に囲まれ、それぞれに笑顔で対応している。
一方の要は、飯田君達と机を並べ、互いに教えあいながら、勉強を進めている。

クラスメイトが一箇所に集まり、さらに担任はいない。
しかも秋穂と要はバラバラ。
二人の席は教室の端と端だから、今互いが干渉することもまずないだろう。
私個人にとっても、この時間はまさに絶好のチャンスだ。

 

「……ねえ、皆に聞いて欲しいことがあるんだけど」
開いていた参考書を閉じ、机を合わせているクラスメイト達に声をかける。
「ん……なに?美希」
私の言葉を聞き、参考書に目を落としていた涼子が、一番最初に顔を上げた。
その目は腫れぼったく、昨日の夜何かあったであろう事は容易に想像がついた。
こんな状態で遅刻してまで涼子が学校に来たのは、彼女自身のプライドと、
木村君に対する当てつけの両方の意味があるのだろう。
「なんか美希、昼から変だったのよ。なにかあったの?」
「どしたん?悩み事かなんか?」
麻希や山田君達もおしゃべりを中断し、私に注意を向けた。
だけど、高田君だけは顔を上げず、ただ黙って窓の外を見つめていた。
もしかしたら彼は私が何を言おうとしているのか分かっているのかもしれない。
だったら何故止めようとしないのか、何故、何も言わないのか。
窓の外には、綺麗な青空と見慣れた街並みが広がっている。
そんな景色を見ながら、彼が何を考えているのか、私にはわからなかった。
――でも言うしかない。もう、これ以上要と秋穂をあんな風にしておきたくない!
意を決して、私はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「……私と高田君の事なんだけどさ。はっきり皆に言っておきたいんだけど、
私達なんでもないの。付き合ってないし、変な関係でもないのよ」

皆の顔に、困惑の表情が浮かぶ。
私の言いたいことがいまいちよく分かってないようだ。
「え?何言ってんの?だってあんた……」
涼子が何かを言いかけ、しかし躊躇したのか、言葉を切った。
多分、美穂の事を言おうとしてたんだろう。
涼子がどこまで美穂から事情を聞いたのか、それは分からない。
でも要と私の関係は知らないはずだ。
でなければ私とこんな風に話すことはないだろうし、秋穂に対する態度も変わっていたはず。
――だからこそ、彼女には特に聞いていてもらわないといけない。
彼女と美穂の繋がりの強さは、私もよく知っているから。
……美穂はなんて言うだろうか。どうするだろうか。
嫌な結果にしかならない事は分かってる。でも……!
「本当だよ。……私、他に付き合ってる人いるもの」
「……え?誰よ?」
「あの人……」
私が指差した先を、皆の視線が追う。
40人近い生徒がひしめくこの教室の中で、私の指差した空間にだけ、
不自然なほど綺麗に生徒がいなかった。
そうなると必然的に、そこには要と飯田君達だけが残されることになった。
「は……?山下?」
麻希が素っ頓狂な声を出し、目を丸くした。
「え?なんで山下?」
「ど、どゆこと?」
山田君達も、皆驚きの声を上げている。
「マジで……?マジで山下と?」
鳩山君の表情が徐々に険しくなる。
同時に、涼子や麻希の目も鋭くなっていく。
高田君は私の話を聞いているのかいないのか、ずっと窓の外を眺めている。
……もう言うしかない。言わなきゃ駄目だ。

「……そうだよ。付き合ってるの。私と要は」

――言った。とうとう言ってしまった。
指差したまま、要の方へと視線を移す。
要は私達の様子になどまるで気づいていない様で、飯田君達と笑い合いながら、
楽しそうに勉強を進めている。

もうすぐだ。もうすぐ私もあの場所へいける。
そして終わりにする。今のこの状況も、なにもかも。
この一年半、ずっと隠し続けていた私達の関係。
とてつもない苦しみに縛られ続けていたこの一年半。
ようやく、その苦しみから解放される――

けど、そんな私の思いは見事に打ち砕かれることになってしまった。

「ぷ……ぷくくくく」
「ふ、ふふふふふふ」
麻希と涼子が、突然口元に手を当て、笑い始める。
「はっ……はははは」
「み、三浦さん。急に真顔で何言い出すのかと思えば……ぷぷぷ」
山田君と鳩山君も、笑いを堪えきれなくなったかのように吹き出し始める。
「……え?皆、どうしたの?」
理解できなかった。なにがそんなにおかしいのか。
私は事実を言っただけだ。ちゃんと、真面目に。
だけど――

「「あははははは!!」」

「!?」

教室中に、彼女達の大きな笑い声が響き始める。
その声に、散らばっていた他のクラスメイト達も反応し、私達に視線を向けた。
「え?え?なにがそんなにおかしいの?」
困惑する私の肩を、涼子が軽く叩く。
「あはは!だ、だって、いきなりすごい真顔で何言い出すのかとおもってさ」
「ふふふ。あんたが山下と?なんでそうなるのよ。ほ、ほんと笑わせないでよ」
麻希も腹を抱えながら笑い続けている。
「ち、ちがうよ!冗談じゃないってば!ほんとに付き合ってるの!」
「ははは……はぁ。分かってる、分かってるよ。美希」
私の肩に手を乗せたまま、涼子がうなずく。
「美穂の事でしょ?……いいのよ。気にしないで。あの子にもわかってるはずだから」
「……え?」
「人の想いってさ、やっぱり届かないこともあるのよね。こっちがどんなに想っててもさ。
私、それが昨日よくわかったの……。きっとそれは美穂にもわかってると思う」
そう言いながら、涼子の目がどこか遠くでも見ているかのように細くなった。
――って違う!何勝手に勘違いしているんだ!
「だから違うってば!……そんなに言うなら、証拠、見せてあげるよ!」
「へ?ちょ、ちょっと、美希!」
涼子の声を無視し、要の席に足を向ける。
乱雑に並ぶ机を無理やりどかしながら、一歩一歩、要に近づく。
――さっきから教室中の視線が私に釘付けになっているような気がする。
それならそれで好都合だ。
これからクラス中、いや学校中に私たちの事を知らしめてやる!
「要っ!」
「ん?……あっ!」
近づいてきた私にようやく気づいたかのように、要が声を上げた。
要と机を合わせていた飯田君と氷川さんも私に気づき、驚きの声を上げる。
「み、三浦さん!?」
「え!な、なに?お、俺らになんか用?」
まるで珍獣を見るかのような目で、二人は私を見つめてきた。
丁度いい。この二人には特等席でしっかりと認識してもらわないといけない。
要は私のモノなんだってことを、しっかりと。

「あ、あの……三浦さん?僕に何か用?」
要が怯えたような目で私の顔を見つめながら、やけに小さな声で話しかけてきた。
……なんでそんな顔するのよ。秋穂の時は嬉しそうに笑うくせに。
内心の苛立ちを隠しきれないまま、要の手を取る。
「ちょ、ちょっと!なにするの、三浦さん!」
「三浦さん、なんて呼び方やめてよ!いつもみたいに呼んで!美希って!」
私の叫び声に、要の体が一瞬ひるむ。
だけど、それでも決して私の手を取ろうとはせず、椅子から動こうともしない。
「み、三浦さん。とにかく離して。皆見てるよ」
周りの視線を気にするように、キョロキョロと教室を見渡す、要。
確かに、今や教室中のクラスメイトがおしゃべりや勉強をやめて、私達に注目している。
氷川さんと飯田君にいたっては、なにが起きているのかまるで理解できていないようで、
完全に固まってしまっている。
「三浦さん。離してくれ。お願い、だから……」
しどろもどろになりながら、要は視線を泳がせる。
そんな要の態度が、私を余計に苛立たせた。
「なんで?なんでよ!もう我慢の限界なの!もう言っちゃおうよ!私達付き合ってるって!」
「……っ!」
「要っ!」
俯く要の手を、さらに強く握ろうとしたその時、突然私の手首を誰かが掴んだ。
「……やめてくれるかな?三浦さん。要君、困ってるじゃない」
「……秋穂!」
いつの間に自分を囲む輪の中から抜け出してきたのか、秋穂が私達のすぐ側に立っていた。
私の手首をしっかりと握り、冷たい目つきで私を睨みつけてくる。
一瞬、その冷たさに気圧されそうになったが、こちらも負けずに睨み返す。
「離してよ!あんたに関係ないでしょ!邪魔しないで!」
「離して欲しいのはこっちよ。要君の顔、よく見てみなさいよ。すごく嫌がってるじゃない」
私の威嚇するような声にもまるで動じず、決して手首を離そうとはしない。
要は要で、私達の顔を交互に見つめながら、どうしていいかわからないような顔をしている。
「……ねえ、要!なんとか言ってよ!」
「…………」
「要ってば!」
「…………」

要は何も言わない。
ただ、助けを求めるかのように、秋穂の方へ視線を移す。
「……ほらね?嫌がってるじゃない。離してあげてよ、三浦さん」
要の視線を受け、勝ち誇ったような表情で、私に薄く笑いかける秋穂。
そのまま私の手を振り払い、自分の手を要の手の甲へ重ねる。
そんな秋穂の様子を、ほっとしたような表情で見つめる要。
秋穂も小さく微笑みながら、要に応えている。
その光景は、まるで仲睦ましい恋人達の逢瀬の様だった。
――なによ、これ。
これじゃまるで私の方が……
「美希!いったいどうしたってのよ?」
「あんたホント変だよ?なんで急に山下なんかに……」
慌てふためいた様子で、涼子と麻希が私の側に近寄ってきた。
だけどその二人も、ここに秋穂がいると分かった途端、足を止めてしまう。
「しょ、庄田……」
「うっ……」
「あら、村田さんに戸田さん。私の顔になにかついてる?そんな怖い顔しないでよ」
二人の様子を見て、クスクス笑う秋穂。
そんな秋穂を見ながら、涼子と麻希はばつが悪そうな表情をし、立ちすくむ。
「……くっ!」
ぐるっと、教室中を見渡してみる。
教室中のクラスメイト達が、私達に注目している。
皆、呆けたような表情をしながら、黙って私達の様子を伺っている。
そんな中で高田君だけは一人、ずっと窓の外を眺め続けていた。
私達の事になどまるで興味がないかのような、そんな振る舞いだった。

秋穂に助けを求めた要。
そんな要を見て、勝ち誇る秋穂。
その秋穂を見て、まるで動けなくなった涼子と麻希。
そしてすべての事情を知っているはずの高田君は、私達に興味を示さない。

 

――このクラスに味方は誰もいない。
そのことに、今になってようやく私は気がついた。

20

庄田秋穂は私にとって目標であり、憧れの存在だった。
聡明な頭脳と、飾らない、自然な美貌。
決して他人に臆することのない、明るい性格。
なによりも、彼女は自信に満ち溢れていた。
常に先を見据え、前を向き続けていた。
私は、そんな秋穂が大好きだった。彼女の友達である事を誇りに思っていた。
秋穂の言うとおりにし、秋穂のしたい事をするよう、私は常に意識していた。

そうすれば、ずっと一緒にいられるって思ってたから。
そうすれば、少しは秋穂に近づけるような気がしてたから。

だから「彼」の事を話したのだって、ただ秋穂に自分をもっと知ってほしいって思ったからだ。
周りの女の子がしてるように、自分も親友に好きな人の事を打ち明けただけ。
……それだけだった。ただ、それだけだったのに。

気づいた時には秋穂は「彼」と話をするようになっていた。
いつの間にか、「彼」と仲良くなっていた。
いつの間にか、秋穂の視線の先に、いつだって「彼」がいるようになっていた。

―――私ができなかった事を、平気な顔をしてやりのけた秋穂。
私が必死で手に入れようとしたものを、いとも簡単に手に入れた秋穂。
私の持っていないものを、すべて持っていた秋穂……

私の中から秋穂に対する羨望が消え、代わりに強い妬みの感情が生まれたのは、丁度その頃だった。

 

――誰もいない、放課後の教室の中。
シャーペンが紙を叩く音だけが静かに響き渡る。
まだ十数名の生徒達が、他のクラスにはいるのだろうか。
隣の教室や、廊下の先からは、生徒達の話し声が聞こえる。
でもこの教室には今、私しかいない。
他には規則正しく並べられた机しか、存在していない。
「……もうこんな時間か」
窓の外からは、縦に伸びたオレンジ色の光が差し込んできていた。
グランドから、部活に励むクラブ生達の大きな声が聞こえる。
この季節なら、もうそろそろ日が落ち、辺りは完全に暗くなるだろう。
もうすぐ、夜になる。
つい最近まで要と一緒に忍び込んだ放課後の教室。
今は、私一人しかいない……。
「……要」
席から立ち上がり、要の座っていた机に向かう。

どうして要は何も言ってくれなかったんだろう。
どうして秋穂の方を見たんだろう。
なんで私の事、ちゃんと見てくれなかったんだろう。
どうして、こうなってしまったんだろう……

さっきから、こんな考えばかりが頭に浮かぶ。
こうして日誌を書き、週番の仕事をしている最中も、
さっきまでの事がずっと反復されている。

なんで、どうして――

「信じるわけないじゃない。あんな事」

「……え?」

突然掛けられた声に反応し、ドアへと目を向ける。
そこには、今一番会いたくない、一番顔を見たくない女がいた。
いつ教室に入ってきたのだろうか……まるで気がつかなかった。
「信じるわけないでしょ? 今まで散々無視しといて、いきなりあんな事言われてもさぁ」
薄気味悪い笑顔を浮かべながら、その女は言う。
「要君もかわいそうよねぇ? 必死に隠してきたのに、あんな風に言われちゃあねえ?」
両腕を組み、ドアにもたれかかりながら、挑発するような目つきで言葉を続ける。
「あんたももっとよく考えて行動しなさいよ。頭悪くなったんじゃないの?
要君が何のために隠し続けてきたか、まだわかんないの?」
ドアから離れ、しかし腕組みはしたまま、その女――秋穂はゆっくりこちらに近づいてくる。
「全部あんたの為よ、美希。あんたのために隠し続けてたの」
私と机一個分ほどの間隔を空けて、秋穂は立ち止まった。
丁度、私と秋穂の間に要の机が置かれている。
当の要本人はいないが、昼間と全く同じ構図だ。
「私の……為」
「そうよ、全部あんたの為。あんたを守る為。
自分みたいに、あんたが周りからハブられないようにする為」
「………………」
「ホントかわいそうよねぇ?
あんたがどれだけ他の男と仲良くしようが、どれだけ自分に冷たく当たろうが、
ずっと我慢してたのに。ずっと耐えてたのに。
それを守ろうとした本人にぶち壊されそうになったんだもんねぇ?」
「そ、そんなの……」
「言われなきゃわかんない、って? そのくらい気づきなさいよ。ホント馬鹿ね」
呆れたように、秋穂は目を伏せる。
「……要君はねぇ、嫌われ者の自分でも受け入れてくれたあんたの事が、ホントに好きだったのよ。
だからあんたと付き合えたことが嬉しくて、あんたを守りたくて、あんな約束取り付けたの。」
「………………」
「なのにあんたときたら……ちょっと要君が違う女になびいただけで動揺して、怖くなって。
自分に惚れてるイイ男が優しくしてくれたからって、学校休んでデートして、キスまでして」
「……えっ!」
――なんで秋穂がそのことを知ってるの?
そんな私の内心の疑問を感じ取ったかのように、秋穂が薄く笑う。
「でもそっかぁ〜。もうあんたには要君、なんていらなかったのよね? 
そのころから高田君に乗り換えようって、そう思ってたんだもんね〜?」

「……っ! 違う! 私はそんな……」
「あ〜はいはい。いいわよもう。言い訳なんて聞きたくないし。……で、どうすんの?
もう村田達は使えなくなっちゃったわよ? また本間君にでも頼む?」
「うっ……」
「きっと頼めばまた助けてくれるわよ? 彼、まだあんたに惚れてるみたいだし」
「………………」
「あんたわかってたんでしょ? 本間君が自分に惚れてるってさぁ?
じゃなきゃあんなに言うこと聞いてくれるわけないもんねぇ? なんのメリットもないのにさぁ」
「………………」
「あんたってさ、ホント最低よね」
秋穂の切れ長の目が、さらに鋭くなる。
蔑むような、汚いものを見るような目で、私を見つめてくる。
「自分に惚れてる男はとことん利用して、捨てまくって。しかもアフターケアはまるでなし」
「………………」
「おまけに、自分がちょっと危うくなるとすぐ混乱して、他人を利用して解決しようとする。
自分一人じゃなんにもできないから」
「………………」
「他人の真似ばっかりするわ、友達は利用するわ、男は乗り換えまくるわ……」
「………………」
「まあ、安心して。いままであんたがしてきたこと、誰かにバラす気なんてさらさらないの。
もう欲しいものは手に入ったし、これ以上あんたに手を出す気もない」
「………………」
「だからさぁ。あんたももう要君に付きまとわないでよ。すごい迷惑なの」
「………………」
「あんたには村田達もいるし、緑川もいる。それに、高田君だっている。
要君なんて邪魔なだけでしょ? だからもうやめて? ね? お願い」
「………………」
「それだけ言いたかったの。じゃ、もう話すこともないと思うけど」

そこまで言い切ると、秋穂は私に背を向けた。
そのままゆっくりと、再びドアにむかって歩みだす。
ふわっと、懐かしい香水の匂いが私の鼻をかすめる。
秋穂の背中は、いつか見たあの日のように、自信に満ち溢れていた。
私なんかじゃ決して敵わない、決してたどり着けないような、そんな背中。

だけど――

「……待ちなさいよ」
自分でも、驚いた。
こんな声聞いたことない、そのくらい低い声が、自然に出ていた。
「……えっ?」
秋穂が小さく驚きの声をあげ、こちらを振り向きかけた時には、もう駆けていた。
静かな教室の中に、鈍く重いなにかが叩きつけられる音が響き渡る。
けどその音も、グラウンドから響き渡る元気な掛け声に、すぐにかき消されてしまう。
教室の中に、再び静寂が訪れる。
「ぐ……ぐぐ……」
秋穂の小さくうめく声が聞こえる。
でも、決して手は緩めない。いや、緩められなかった。
「秋穂……あんたは……あんたは……!」
首筋にかけられた手に、どんどん力がこもっていく。
「ぐぐ……はな……し……なさい……よっ!」
「……うぐっ!」
秋穂の右膝が、鋭く私の胸に突き刺さった。
教室の壁に叩きつけられた秋穂は、その痛みのために大した力を出せないようだった。
それでも、蹴りがうまくみぞうちに入ったのか、体のバランスが崩れてしまった。
態勢を立て直すこともできず、私は秋穂から離れることになってしまう。
「ぐっ……げほっげほっ……ホント最低ね。口で勝てないからって……」
首筋を撫でながら、秋穂が心底軽蔑するような目で、私を睨む。
「……なにしたのよ! 要に、なにしたのよ!」
私も決して目を逸らさず、その目をしっかりと見つめ返す。
「……別になにもしてないわよ。ただあんたが良治にあげたものを、私は要君にあげただけ」
良治にあげたもの……?
そんなものない。奪われたものなら、確かにあるが……
「ふふふっ。何言ってるのかわかんない? じゃ、面白いもの見せてあげる」
そう言うと、秋穂はスカートのポケットに手を突っ込み、携帯を取り出した。
そのまま携帯を操作し、再び薄気味悪い笑顔を浮かべながら、液晶画面を見せつけてくる。
「これ、なーんだ?」
「…………?」
「よーく見てみなよ。ここに写ってるのは誰でしょう〜?」
目を細め、しっかりと液晶画面を見つめる。
「……えっ?」
始めは何が写っているのか分からなかった。
いや、分かってはいたが、今ここでこんな画像を出す意味がまるで分からなかった。
だけど……

「えっ? えっ? えっ?」
その画像群は、一糸纏わぬ男と女が写っているものだった。
でもよくあるアダルト画像の類ではなく、画像のブレ具合から見ても、
完全な素人が撮った物であることが一目でわかった。
女の方はよく知っている顔だ。
今目の前で携帯を操作している女、秋穂。
男の方は……
「言っておくけど、これ合成とかじゃないから。そんなめんどくさいことしないし」
秋穂が何か言っている。でもどうでもいい。
食い入るように、画像を見つめ続ける。
これは……この男は……
この男もよく知っている。この身体は良く知っている。
何度も、何度も眺めた身体。
少し小柄だけど、しっかりとした筋肉のついた身体。
そして何より、この顔。
少しあどけなさの残った、この顔は……
「要……?」

 

「……そうよ。私、寝たの。要君と。」

見開かれた私の目を、面白そうに見つめながら、秋穂は、確かにそう言った。

 

 

 

――携帯が鳴っている。この着信音は……

「もしもし」
『もしもし? 美希? 僕、要』
「……うん」
『あのさ、昼間のことなんだけど……』
「……うん」
『……やっぱいいや。直接話したいし。今、どこ?』
「……今、学校にいる」
『そっか。じゃ、今から学校に戻るよ。……もしかして、他に誰かいる?』
「……もういないよ。私一人だけ」
『……わかった。じゃあ少しだけ待っててくれるかな? すぐ着くからさ』
「……うん。私も話したいことある、から……」
『……分かってる。じゃあ、また後で』
「……またね」

 

――私は……私は……

To be continued.....

 

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