「今日も寒いね〜」
「ん……そうだね…」
今日も秋穂と一緒に通学路を歩く。でも、頭の中は美希の事でいっぱいだ。
昨日、美希からは連絡がなかった。もし今日も休みだったら絶対なにかあったってことだ。
もしそうなら絶対美希の家に行かないと。戸田さんや村田さんに聞くわけにはいかないし…。
「う〜ん……」
「…………また美希のこと?きっとただの風邪よ、だいじょうぶ」
「そうかな〜でもいくら連絡しても返してくれなかった…」
「………………」
「…そういえばさ、秋穂の方の用事ってなんだったの?」
「……別に、たいした用事じゃないよ」
秋穂はチラッと僕の顔を見てそう言うと、すぐまた前を向いてしまった。
「…そんなことより、もし今日放課後大丈夫なら、要君の家行ってもいいかな?」
「………え!?」
突然の要望に、思わず隣で歩く秋穂の顔を見る。
秋穂も僕の方を向いていた。図らずも丁度眼が合ってしまう。
「ん…と、なんで?」
「朝だけじゃそろそろきついでしょ?やっぱり放課後にちゃんとやったほうがいいと思うの」
いつもの通り静かな表情で秋穂が言う。
……たしかにそうだ。言ってることは実際正しいと思う。
でも、正直美希以外の女の子を家にあげるのはなんだか気が引ける。
浮気とかじゃないけど、美希と秋穂の関係を考えるとすごく後ろめたい。
「ん〜と…え〜っと……」
でもそろそろしっかり教えてもらわないとまずい。もう11月になる。
「ん〜…」
でも…………
「美希と同じ大学、行きたいんでしょ?」
………………………………
「わかった。今日は特になにもないからだいじょぶだよ」
――――そうだ。今ここで止まるわけにはいかない。
「ん。じゃあ今日放課後にね」
うん。そうだ、これでいい。勉強するだけなんだし、浮気でもなんでもない。
……あれ?でもそれなら別に僕の家じゃなくてもいいじゃないか。
「あ、秋穂。あの…」
「はぁ〜。要君家か〜。楽しみだなぁ〜。ねっ?」
嬉しそうに天を仰ぐ秋穂。
「え?ああ、うん…」
…まあ、いっか。別に。
教室に着いた僕らは、早速いつもの「勉強会」に取り掛かった。でも、今日は飯田が来ていない。
「飯田君どうしたのかな…?」
氷川さんが心配そうに飯田の席を見る。
「だいじょぶだよ。あいつのことだし。学校始まるまでには来るって」
なんとなく美月さんが関係してるような気はする。
でも別に何されるってわけでもないだろう。ただの姉弟なんだし。
「ま、飯田君の事はいいとして。昨日の課題ちゃんと解けた?」
秋穂は、特に飯田のことは気にしてないみたいだ。
「ああ。うん。ちゃんとやってきたよ」
「どれどれ……」
気を取り直して、勉強の続きに取り掛かる。
まあ飯田のことだ。どうせただ寝坊しただけとかそんなところだろう……
勉強を始めてしばらくすると、クラスメイト達が続々と教室に入ってきた。
僕らが学校に着いた頃にはもうすでに結構な数の生徒がいたけれど、彼らはあくまで「受験生」だ。
このクラスには就職するやつだっているし、専門学校にいくやつだっている。
それに上位大学を目指すヤツはこんな朝早くから学校で勉強するってことがあんまりない。
うちの学校が特別なだけで、頭のいいやつってのは大抵予備校とか図書室で勉強するものだ。
そんな連中に混じって、飯田と高田が揃って教室に入ってきた。
「よう、山下。今日もやってるな〜…ははは……」
なんか飯田の様子がおかしい。やけにやつれている。
「お前どうしたんだ!?昨日なにかあったの?」
「あー…まあどうでもいいじゃん。はは…」
やつれた顔のまま薄く笑い、飯田はそのまま氷川さんのところへ向かって行ってしまった。
「…飯田のやつどうしたんだろう?なあ高田?」
「………………」
高田は何も答えない。……あれ?いつもならもっと陽気に…
「高田。昨日はどうしてたんだよ。風邪か?」
「……別に。要には関係ないだろ。じゃ俺行くわ」
そう言うと、僕と目もあわせずに高田は自分の席に着いてしまった。
……なんだろう?機嫌悪いのかな今日。
そういえばいつもなら村田さんや美希と一緒に学校に来るのに今日は一人だ。
……ん!?そうだ。昨日美希と高田は同時に休んだんだ。
もしかしてそのとき二人になにかあったのか?
そうだ!なんでそんなことに気づかなかったんだ!高田は美希のことが…!
………って、でも待てよ。だからって僕に冷たくするのはなんでなんだ?
美希が僕らのことをバラしたとかか?いやだったら余計、昨日連絡がないのはおかしい。うーん…
席に着いた高田の周りに、山田や鳩山達の輪ができ始めている。
ああなると僕は高田に接触できなくなる。
どうしちゃったんだろう…そうだ、美希は……
「あ、美希おはよ〜!」
「おはよー美希。昨日どうしてたの?」
戸田さん達の声が聞こえた方へ顔を向けると、丁度美希が教室に入ってくるのが見えた。
なんだか元気がない。ずっと俯いている。
「お、おはよう。」
「ん〜?どうした〜元気ないぞ〜?いつもの美希はどうした〜?」
村田さんに頬を引っ張られる美希。でもその表情は沈んだままだ。
「どしたのよ〜?昨日高田君となにかあった?」
「えっ!な、なに言ってんの!な、なにもないよ…」
「あ・や・し・い〜素直に言え〜昨日高田君とどこ行ってたの?ん?ん?」
「だから違うって!大体高田君と会ってないし……」
――ウソだ。僕には分かる。さっきから美希はチラチラ高田のほうばかり気にしてる。
高田もなんだか美希の方を気にしているような節がある。
……やっぱりあの二人、昨日何かあったんだ…っ!
「……め君、要君!」
「えっ!…あ、ああ」
秋穂に声をかけられ慌てて我に返る。
「だいじょぶ?すごい顔してたけど……」
「うん…だいじょぶだよ……」
まさか…いやそんなこと…………
「ほんとに大丈夫ですか?山下君」
いつの間にか教室に入り、僕の側に来ていた武が声をかけてきた。
「あ…武。来てたのか。昨日どうしたんだ?具合だいじょぶか?」
「…え、ええ。もう平気です。だいじょぶです」
武はなんだか挙動不審だ。やけに秋穂を気にしてるようにも見える。
そういえば秋穂達と仲良くなってから武の様子がいつもおかしいような気がする。
…まさかこの二人もなにかあったのか?秋穂も用事があるって言ってたし。
だめだ、もうなにがなんだかわかんない………
授業中も、昼休みも、二人のことが気になってしょうがなかった。
二人とも表面上なんにもなかったかのように接してるけど、よく注意してみると分かる。
高田は僕に冷たいし、美希はそんな高田を避けてるような気がする。
なんにしろ二人になにかあったことだけは確実だ。それも、結構重大なことがあったんだ。
…もうすぐ今日の授業がすべて終わる。あとは帰りのホームルームだけだ。
放課後は秋穂が家に来るとか言ってたし、やっぱ携帯で美希に聞いてみるしかない。
「……であるからして、ん?もうこんな時間か。それじゃ今日はここまで」
初老の教師の授業終了の合図と共にクラスメイト達が席を立ち始める。
すぐにポケットから携帯を取り出し、美希にメールを送る。
「昨日どうしたの?なにかあった?」
……これでいい。あとは返信を待とう。
ところがホームルームが始まっても美希からの返信は一向に来なかった。
美希の席を盗み見てみると、俯いているだけで携帯をいじっているそぶりがまるでない。
…………くそっ!美希、どうしちゃったんだよ!
「よーし。今日も気をつけて帰れよー。はい号令〜」
ホームルームが終わってしまった。みんな続々と帰る準備をして教室を出て行く。
俯いていた美希も村田さん達に促され、僕に一瞥もくれないまま教室を出て行ってしまった。
…美希、どうして…なんでなにも言ってくれないだ……
「要君、帰ろう?」
「あ、ああ。うん。」
僕も秋穂に連れられて、帰路に着く。
でも、頭の中は美希と高田のことでいっぱいだ。
「……それでね、今度…」
「………………」
「……聞いてる?要君?」
「…………うん。聞いてるよ」
ほんとは秋穂が何の話をしているかなんて全然わからない。
……美希、お願いだからなにか返信してよ。どんなことでもいいから…
「……あっ!」
ポケットの中が震えている。携帯だ。
急いでポケットから携帯を取り出し、相手先を確認する。
――美希だ。しかも電話。
「あ、あの要君……」
「ごめん!ちょっと待って!」
何か言いかけた秋穂を手で制し、通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「も、もしもし」
何だか声が震える。
『……もしもし。要?』
……ああ、美希だ。確かに美希の声だ。柔らかい、優しい声。
この声を聞いたのは、なんだかすごく久しぶりなような気がする。そんなはずないのに。
「うん。僕だよ。要だよ。」
『………………』
「美希、昨日どうしたの?なにがあったの?」
『………………』
「美希?」
『………………』
どうしたんだ?なんでなにも言ってくれないんだ?
「…もしかして、高田となにかあった?」
『…………っ!』
やっぱりか……
「なにがあったの?」
『………………』
「言いたくないなら、それでいいよ。とにかくよかった。声が聞けて」
『……………っ』
「別に体壊した、とかじゃないんだろ?だったらよかったよほんとに。」
『………………』
「………それじゃ」
『あっ!まって!』
「…ん?」
『…今日、要の家行ってもいい?』
え!?今日??
「今日って今から!?」
『うん。会いたいの……ダメ?』
……どうしよう。今日は、秋穂が家に来る。
そのために僕の隣で電車を待ってる秋穂に、今更家に帰れだなんて言えない。
秋穂は、自分を見つめる僕の視線に気づいたのか、ジッと僕の眼を見つめ返してくる。
その眼は何かを訴えているように見えたけど、なにを意図しているのかは、まるで読み取れなかった。
「僕が…美希の家に行くよ。それじゃだめかな?」
『………うん、わかった。それでもいいよ…』
よし、それなら秋穂との「勉強会」を早めに終わらせれば全然大丈夫だ。
「それじゃあまた後でね」
『…うん。また後で』
通話ボタンを押し、電話を切る。
あとは秋穂になんて言い訳するかだな……
「あ、秋穂。実は今日……」
「あっ!要君。電車きたよ?」
「ちょっ………」
僕の言葉を無視し、電車に乗り込む秋穂。
慌てて僕も電車に乗り込む。
電車の中はいつもと違ってすごく空いていた。
座席に座っている人もまばらだ。
「………………」
「………………」
秋穂と二人揃って空いている座席に座る。
なんだか微妙にお互いの距離が開いているような気がするけど、こっちの方がいいか。
「今日さ、早めに切り上げてほしいんだ」
「………………」
「ちょっと用事ができちゃってさ」
「……また美希?」
「…うん」
「そう……」
それっきり、僕らの会話はまるで途切れてしまった。
――お互いに黙り込んだまま、いつもの帰り道を並んで歩く。
「あ…見えてきた。ホラ、あの一軒家だよ」
なんとか空気を変えようと、見えてきた家を指差す。
秋穂がゆっくりと、俯いていた顔を上げる。
「あれが要君の家か…ここまではついていけなかったから、初めて見た」
「はは…さすがにここまでは無理だった?」
「ふふっ…ばれちゃうしね」
クスクスと秋穂が笑う。
よかった、これならだいぶ……あれ?
「……あれは…?」
よく見ると、家の前に誰か立っている。
徐々に近づいてみると、それがうちの学校の制服を着た女の子であることがわかった。
女の子もこちらに気づいたのか、少し早足で近づいてくる。
「要っ!」
「み、美希!」
な、なんで!?!!?
「ど、どうして?僕が行くって言ったのに…」
「えへへ、実は要の家のすぐ近くまで来てたんだ〜。で、驚かせようと思って!」
してやったり、といった顔で微笑む美希。でも……
「え、えっと……」
「?どしたの?……え?秋穂?」
僕の少し後ろで、黙って立っていた秋穂に気づいた美希の眼が、大きく見開かれる。
「こんばんわ……美希」
「え?……な、なんで?なんで秋穂がいるの?だって…ここ要の家……」
困惑した表情で僕と秋穂の顔を交互に見つめる美希。
やがてなにかに気づいたのか、顔を俯かせてしまう。
「そっか…そういうこと、なんだ……」
「み、美希?あの、なにか誤解して…」
「…………っ!!」
美希はそのまま踵を返すと、駅の方向へ走り出してしまった。
「美希!」
まずい!これは絶対追わないとやばい!
慌てて僕も美希のあとを追って駆け出そうとする。
「美希!待って!」
一歩を踏み出そうとした僕の手首に、冷たい感触が巻きつく。
「だめ!行かないで要君!」
振り向くと必死な形相の秋穂が僕の手首を両手でつかんでいた。
「ごめん……離してくれ!」
「だめ!…離さない!」
「……たのむよ、お願いだから…」
――そうだ、今ここで追わなかったらすべてが駄目になる。そんな予感がする。
「………………」
「……ごめん!秋穂!」
無理やり秋穂の手を振りほどき、そのまま駆け出す。
「要君っ!」
秋穂の追いすがるような声が聞こえる。
「ほんとにごめん!今度絶対お詫びするから!」
見えなくなりそうな美希の背中をおって、僕は夜の街の中を走り始めた。
「はぁはぁ……み、美希、足、はや、すぎ、るよ」
さっきから全速力で走っているのにまるで追いつけない。
陸上部に入ってたわけでもないだろうに、なんでこんなにはやいんだ?
夜の街を駆ける二人の男女。道行く人々が好奇の目で見つめてくる。
「くっそぉ!」
でもそんなのかまってられない。とにかく美希に追いつかないと。
身体のギアをマックスに入れ、全身全霊の力で加速を駆ける。
「くぅ…はぁはぁ…………や、やっと捕まえた」
どうにか、美希に追いつくことができた。
もう疲労困憊だ。また美希に走られたら絶対追いつけない。
「はぁ…はぁ……」
美希も肩で息をしている。でも、なんかまだ余力が残ってる感じだ。
もしかしたらわざと追いつかせてくれたのかもしれない。
「はぁ…んぐ、はぁ、み、美希、と、とりあえずどっか座ろう」
やばい、もう限界だ。このままじゃ倒れてしまう。
「…グスッ………うん。わかった」
コクリとうなずく美希。なんか鼻をすすってたような……
……もしかして泣いていたのかな。
「…はい。紅茶だけど、いい?」
「……うん。ありがと」
ベンチに座り、おずおずと缶紅茶を受け取る美希。その横に、僕も座る。
すぐ近くに公園があってよかった。この公園は大きいし、まだ人もたくさんいる。
ここなら変な輩に絡まれることもないだろう。
缶コーヒーの蓋を開け、一気に飲み干す。まだ息が上がってるような気がする。
最近、全然ジムにも通ってないし、トレーニングもしてないからこんな訛ってるのか。
走るくらいはしようかな……。
「………………」
隣に座る美希は紅茶に口をつけることもせず、黙ったまま、ずっと缶のふちを指でなぞっている。
「……はぁ」
空を見上げると、綺麗な星達が夜の暗闇いっぱいにひろがっていた。
ここのところずっとこんなかんじだ。雨が降ったり天気が悪くなることが全然ない。
…毎夜、この綺麗な星達が空に広がる。いいことだ。
「……秋穂とはなんにもないよ」
「………………」
「ウソじゃない。ただ勉強教えてもらおうと思っただけ」
「……勉強なら私が教えるよ」
まともに勉強なんか教えてくれたことないくせに。ふふっ…。
「とにかく、なんにもないから」
「…………ねえ、要」
「ん?」
「私の事、好き?一番、好き?」
…………………………
「好きだよ。一番好きだよ」
そうだ。僕の一番は美希だ。いつだって、そうだ。
そうだ……そうであるはずだ。
だから今一瞬頭をよぎった秋穂の微笑みは、たぶん、きっと、たんなる気の迷いだ。
「…私も要が一番だよ」
美希の暖かくて柔らかい手のひらが、僕の手の甲の上に重なってきた。
「…………………」
きっとそうだ……そうに、決まってる。
ゆっくり、美希の手を握り返す。
美希と高田のこと、秋穂のこと、今はそのどちらもどうでもいい。
ただ、もっと、ずっと、こうしていたい…………
――――チッ!まさか美希が家の前で待ち伏せしてるなんて!
要君の家にほとんど家族の人が来ないことは本間君と百桃お姉さんからの情報で知っていた。
だから今日、そろそろ勝負を仕掛けようと思ってたのに……
やっぱり忌々しい女だ。ことごとく私の邪魔をする…………!
「しかたないわね……あの子に動いてもらうしかないか」
携帯を取り出し、電話帳を開くと、ま行の人間を探す。……あった。
番号を表示し、通話ボタンを押す。数秒の待機音の後、標準よりすこしハスキーな声が聞こえてきた。
『…もしもし』
あらあら。やっぱり落ち込んでる。
「もしもし?私。庄田。で、決めてくれたかな?緑川さん?」
『………………』
長い沈黙。どうせ答えはきまってるくせに。
「私は別にいいんだけど、あなたはこのままでいいの?」
『………………』
「好きなんでしょ?高田君のこと」
『………………』
……あーじれったい!ほんと、昔の美希によく似てる。ま、だから大事にされるんだろうけど。
『もう少しだけ……時間をください』
…まあいいか。一応やってくれるようだし。
「わかったわ。でもあんまり時間はないわよ?」
『…はい。わかってます。』
あとは高田君がどう動くか、ね。どう動こうが私の有利になることに変わりはないけどね。
………さてさて、どうなることやら…ふふふ。 |