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冬の星空

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※管理人より
「冬の星空」は、「秋の星空」の続編に当たる作品です。
マズ先にこちらをお読みになることを強く推奨します。
また、作者様により、登場人物の関係図が作成されています。
1

『あるところに、二人の仲のいい女の子がいました。』

『二人はいつも一緒で、何をするにも、どこへいくにも一緒でした。』

『そんな二人が、同じ人を好きになるのは、ある意味必然だったのかもしれません。』

『一人の女の子が言います「私の事は気にしないで」』

『それを聞いたもう一人の女の子は言います「だけど、ほんとにそれでいいの?」』

『女の子は微笑みます「うん。でもその変わり……」』

『二人は約束をしました。とても大事な約束です。絶対にやぶってはならない約束です。』

 

『……けれど、残念なことにその約束が守られることはありませんでした。
女の子はとても悲しみ、そして決意します。』

『「だったら…だったら私だって……!!!」』

 

『こうして、物語は始まります。女の子達の約束から、すべては始まります。』

 

『悲しい物語が、始まります―――』

―――耳元で、小さな熊の目覚まし時計がうるさく鳴り響いているのが聞こえます。
「……うーん」
布団の中で身体をひねり、どうにか時計まで手をのばすことができました。
「ふぁぁ…今日も寒いなぁ」
ベッドの上で軽くのびをした後、そのまま鏡の前に立ち、制服に着替え始めます。
セーターに腕を通していると、下の階からお母さんの声が聞こえてきました。
「美穂〜!起きてるの〜?ご飯よ〜」
「は〜い!今行く〜」
……こうして、私、緑川美穂の変わり映えのない一日が、今日も始まります。

「行って来まーす!」
「はーい!気をつけてね〜。コラ!幸人!さっさと支度しなさい!」
「もううるさいな〜わかってるよぉ〜」
弟の愚痴る声を聞きながら、私はいつも通学に使っている赤い自転車に乗り込みます。
肌寒い風に吹かれながら駅に向かってペダルを踏みこんでいると、
後ろから聞きなれた声が聞こえてきました。
「おっはよー美穂!今日も寒いねぇ」
「おはよう〜涼子ちゃん。」
私の隣に自転車をつけてきたこの大きな胸と可愛らしい顔をした女の子は村田涼子。
小さい頃から同じ学校に通っていた、いわゆる幼馴染です。
「そういえばさぁ、聞いてよ〜昨日も尚人ったら……」
「はははっ……」
最近涼子ちゃんは恋人である木村君の愚痴ばかり言っています。
でも、こんなときの涼子ちゃんの顔はすごく嬉しそうなんです。
木村君がほんとに好きなんだなって事が分かります。
「それでね、……」
「うんうん……」
照れたような笑顔を浮かべながら木村君の話をする涼子ちゃん。
「そしたらさ……」
「ふんふん……」

…涼子ちゃんがうらやましいです、本当に。好きな人のことを素直に話せる涼子ちゃんが……

「……で、そっちは?」
「えっ?」
「直純のことよ〜。最近あんま会ってないらしいじゃない?」
「あ、ああ…う、うん。最近勉強で忙しくて…」
直純君……鳩山直純君は涼子ちゃん達に紹介してもらった男の子です。
いわゆる合コンっていうので知り合った私達はいつのまにか付き合うようになっていました。
でも…直純君は……
「ま、色々あるだろうけどさ。ちょっと寂しがってたよ?会ってあげたら?」
「う、うん。そう、だね…」
あいまいに笑いながら涼子ちゃんに答えます。涼子ちゃんは鳩山君と付き合いが長いので、
私達の事にもよく相談に乗ってくれます。
でも、だからこそ言えません。今の私の気持ちについては…

電車を降り、学校に近い篠崎町駅に着くと、
そこはすでに学生と通勤する人々でごった返していました。
「あ〜今日も混んでるね〜。美希達いるかなぁ?」
混雑する駅前で涼子ちゃんは美希ちゃんを探しています。
三浦美希ちゃんは私とは別のクラスなのですが、
涼子ちゃんの懇意もあって仲良くさせてもらっている友達の一人です。
美希ちゃんは可愛い子で、学校内でも目立つ優秀な子です。
私とは大違いなのにすごくよくしてもらっています。
だから…「あの人」が惹かれてしまうのも無理はないのかもしれません…
「あ!美希!いたいた!ちぃーす!」
涼子ちゃんの声につられて振り向くと、丁度改札口から美希ちゃんと…
「あの人」が並んで出てきました。
「おはよう〜ふたりとも。」
「おはよー。…ってうん?」
涼子ちゃんが驚いた表情で美希ちゃんの隣にいる「あの人」を見つめます。
「やあ。おはようふたりとも。」
静かに、私達に微笑む「あの人」。…ああ。この笑顔です。
「お、おはよう、高田君…」
声、震えてないかな?顔赤くなってないかな?
涼子ちゃんにばれてないかな?

そうです。私は、静かに優しそうな笑顔を浮かべるこの人、高田圭吾君に恋をしているのです。

…だけど………
「あれぇ〜?美希ぃ。あんたまさかついに…」
「えっ?なに?なによ?」
「とぼけちゃってまぁ…いいけどさぁ。ふふふ…」
だけど………だけど……
「お似合いよ。あんた達!」
「ちょっと!涼子!」
「あははっ照れない照れない」
…私には、わかってるんです。
高田君は……

―――高田君は、美希ちゃんの事が好きなんだってことを。

仕方のないことなのかもしれません。高田君はとてもかっこよくって、
女の子達の間でもよく話題になる人です。
美希ちゃんも負けず劣らず、いろんな人達の話題になっています。中には嫌ってる人もいるけれど…
だけど、私は美希ちゃんが好きです。
引っ込み思案な私にも美希ちゃんはちゃんと気をつかってくれます。
それに美希ちゃんや麻希ちゃんと仲良くなれたおかげで高嶺の花だった高田君とも
話すことができたんです。
美希ちゃんに彼氏はいないし、高田君にも特定の彼女はいないらしいので、
ふたりはすごくお似合いだと思います。
お似合いだと思うんですけど……でも、でも……
「どうした?美穂?」
私の横を歩く直純君が心配そうに声をかけてきました。
私達二人の前では高田君が美希ちゃんと一緒に、楽しそうに話しながら歩いています。
「あ、なんでもないよ…気にしないで」
「そっか。今怖い顔してたからさ。具合でも悪いのかと思って…」
怖い顔……そんな顔してたんでしょうか?気をつけないと…
「う、うん。だいじょぶ。」
「ん、そっか。…ところでさ、今日……」
直純君が恥ずかしそうに小声で言います。
こういうときはなんとなく、内容が予測できてしまいます。
「美穂ん家行っていい?」
…やっぱり………

「ごめんなさい…今日は弟もお母さんもいるから……」
「なんだよ〜最近、そればっかだな。前はそうでもなかったのに…」
「ごめんなさい…」
ごめんなさい。ほんとはお母さんも幸人も今夜はいないんです。だけど…
「ま、しょうがないか。」
「…………」
そういうと直純君は前を歩く高田君たちに合流してしまいました。
…私はこういう直純君が苦手でした。なにかと私の家に来たり、
私を家に誘ったりしてエッチな事をさせる直純君。
元々性に関する知識が薄かった私にはこの行動が思春期の男の子にはよくあることだと知っても、
受け入れることが難しかったのです。
こんな事するために直純君と付き合ってるんじゃないのに…そう思ったことが何度もあります。
でも涼子ちゃんのためにも直純君と仲良くしなきゃ。そう思って我慢して付き合ってきました。
……目の前では直純君も含めて、高田君が嬉しそうに美希ちゃんと笑いあっています。
心が、苦しいです。痛いです。潰れそうです。

私は、どうしたらいいんでしょう?

 

悶々とした想いを抱えながら、今日も涼子ちゃんと学校へ向かいます。
けど、今日は美希ちゃんが来ていません。
「あれ〜?あの美希どうしたのかなぁ?」
「ただの寝坊じゃないの?それとも体調崩したとか?」
「うーん。ま、いっか。あとでメール入れとこう。行こ、美穂」
「あ、う、うん」
涼子ちゃんに呼ばれ、麻希ちゃんと3人で学校に向かいます。

…なんでしょう。この感じ。すごく嫌な予感がします……

その嫌な予感は昼休み、涼子ちゃん達とお昼を取っているときに聞いた話で的中してしまいました。
「今日さ〜高田君も休みだったのよ。なんか怪しくない?」
「だよねー?しかも二人とも携帯に連絡してもなんにも返さないし」
「これはとうとう……?」
「だね!明日絶対問い詰めないと!」
涼子ちゃんと麻希ちゃんが楽しそうに話しています。そんな……まさか…
「あれ?美穂どしたの?具合でも悪い?」
私の様子に気づいたのか、涼子ちゃんが心配そうに顔を覗き込んできました。
「だ、だいじょぶ!なんでもないよ……」
まさか、こんなに早く…?
まだ涼子ちゃんがなにか言っていましたがその声がまるで聞き取れないほど、
私の心は深く沈んでいっていました。

 

放課後、涼子ちゃんとわかれ、自転車で自宅に向かう途中も二人のことが頭から離れませんでした。
結局、美希ちゃんも高田君も学校には来ず、私達になんの連絡もくれませんでした。
もしかしてあの二人……で、でもそんな………
異様な不安感が胸の中を満たしていきます。
気がつくと、いつの間にか家の前の道までたどり着いていました。
………?あれ?誰だろう……?
家の前に、私と同じ学校の制服を着た女の子が立っています。
「あの…すいません。家になにか用ですか……?」
私が呼びかけると、家の中を伺っていた女の子はゆっくりとこちらを向き始めました。
「…こんばんは。始めまして。緑川美穂さん?」
メガネをかけたショートカットの可愛らしい顔立ちをしたその子は、私と同じ学年の子のようでした。
「はい……そうですけど…あなたは?」
「私は3年の庄田秋穂。少し、あなたにお話があるんだけど……」
庄田秋穂と名乗るその女の子は、小さく会釈しながら私に薄く微笑みかけてきました。

 

――その笑顔を見た瞬間、とてつもない悪寒が背中を走っていったのが、私にはよくわかりました……

2

「いってきま〜す…」
誰もいないリビングに向けて今日も声をかける。
「…………」
何の返答もない。当たり前か。
姉さんはまだ病院だし、父さんと母さんが帰ってきているわけがない。
いつかは声が返ってくる、そう思って10年近く繰り返してきたこの行為。
「……もう無駄かな」
10年たっても、両親は仲直りする気配がまるでない。
離婚だけはしないで、って姉さんが頼んだからまだ籍は入ってるけど実質離婚してるようなものだ。
家にもほとんど帰ってこないし、帰ってきてもお互い顔を合わせないような生活をする。
前に両親が揃ったのはあの事件で僕が学校の呼び出しを食らったときだ。
あの時もお互いに僕がこうなったのはお前のせいだって罵りあってたっけ……
それからは父さんと母さんが揃ったのを見たことがない。
家にお金を入れて、あとはほっぽりだし。これじゃ姉さんの願いの意味なんてまるでない。

僕の家族は、姉さんだけだ……

 

 

いつも使っている駅目指して、すこし早めに歩を進める。
別に遅刻するわけじゃないけど、早めにいかないといけない理由があった。
「はぁ……」
吐く息が白い。秋が終わり、冬になろうとしてるんだ。いや、もうなってるか。
駅に着くと、サラリーマンや学生でほぼ満員状態になっている電車に半分無理やり入り込む。
この方向の電車は朝はこうだから嫌だ。これじゃ痴漢に間違われたりしても文句が言えない。
ぎゅうぎゅう詰めの電車がようやく動き出すと、その反動で僕はドアの近くに押し出されてしまった。
うー……もう嫌だ。はやく卒業したい…
押し付けられたドアの窓をふと見つめると、僕の首にかかっている黒い布の生地がよく見えた。
美希からプレゼントされた黒いマフラーの生地。確か、手作りだって言ってたマフラー。
そういや僕はお返しに何送ったっけ……そうだ。ネックレスだ。

初めての女の子へのプレゼントだからよくわかんなくって、姉さんにアドバイスしてもらいながら、
四苦八苦しながらようやく選んだネックレスだ。嬉しい事に、美希はずっと着けてくれている。

――美希…あれから庄田さんの事について全然聞いてこない。
向こうが遠慮してる感があるけど、それなら好都合だ。
庄田さんとの約束をやぶったら、庄田さんがみんなに僕らの関係をバラす。
美希との約束で、もし美希がみんなに言ったらそれで僕らの関係はバレる。
要するに八方塞なのだ。どうしようもない。どっちにしろ、バレる。
それは…だめだ。僕のことをクラスの、学校の皆がどう見てるかは知ってる。
しかも美希のグループの中心、鳩山は元サッカー部だ。僕に対する恨みは相当のはず。
そんな僕と美希が付き合ってるなんてしれたら…絶対いい結果になるわけがない。
美希もそのくらいわかってくれればいいのに…。庄田さんと友達になるくらいならいいじゃないか。
なんであんなに怒るんだろう。理由も教えてくれないし…。

「あれじゃどうしようもないじゃん…」
小声で一人愚痴っていると、車掌さんのアナウンスが天井のスピーカーから聞こえてきた。
『篠崎町〜篠崎町〜お出口は左側です』
やった!ようやくここから開放される!
急行のこの電車が、僕の使っている駅から出て最初に止まるのはこの篠崎町駅だ。
丁度僕の学校もここにあるので、この人の海から抜け出ることができる。
電車が停止し、ドアが開くと僕を先頭にするように一斉に駅に向かって人がなだれ出る。
「イテッ!はぁ…もういやだ」
この駅は学生、社会人共によく利用する駅なのでこうなるのは当然のことなんだけど。
「ふう……」
ようやく人ごみから開放され、駅の改札口に出ることができた。
ここで待っているだろう人物を探してあたりを見回す。
「え〜っと……」
「あっ!要君、こっちこっち!」
メガネをかけたショートカットの女の子がこっちにむかって手を振っている。
「おはよう、要君」
「お、おはよう。しょう…じゃなかった。えっと…秋穂」

秋穂が少し不機嫌な表情になる。
「今、噛んだでしょう?」
「か、噛んでないよ」
「まあ、いいけど。ちゃんと名前で呼んでくれたし」
秋穂が微笑む。ううっ…なんかこの顔を見るたびドキッとしてしまう。
「じゃ、行こう?要君」
「あ、うん」
秋穂につれられて、いつもつかっている通学路を二人並んで歩き出す。
僕らの一日が、始まった。

「そういえば昨日、ちゃんと課題終わらせた?」
「ああ、うん。終わらせたよ。秋穂のおかげで簡単にできた」
「ふ〜ん。やっぱりまじめだね、要君」
「まじめ…そうなのかなぁ」
「そうだよ、それに素直だし」
「うーん……」
「バカ正直、とも言うけどね」
「なっ!うぐっ…」
「ふふっ…」

……あの日、秋穂と友達になる約束をした日から、僕らの交流が久しぶりにはじまった。
やっぱり秋穂は昔と違ってちょっと引っ込み思案な、おとなしい子になっていた。
だけどとても聞き上手で、僕の下手な会話にも何かとうなずいたり、
いろんなリアクションを取ってくれた。
あの事件以来、美希以外の女の子とまともに話をしていない僕としてはそれはすごく助かった。
美希は何かと話しかけてくれるからいいけど、僕はあんまり自分から話を振るタイプじゃないから。
それに秋穂といるとなんだかとてもなつかしい、
くすぐったい感じがして、それがとても心地よかった。
僕らは離れていた年月を埋めるかのように、急速に仲良くなっていった。
そして今、いつのまにか名前で呼び合うような仲になっている。
ていうか名前で呼んでもいい?って言い出したのは秋穂の方なんだけど。
「…ふあぁぁ〜」
「寝不足?」
「うん、ちょっと遅くまで勉強してたからさ」
秋穂と仲良くなってから、やけに勉強がはかどるようになった。
美希並に頭がいい秋穂は、勉強の教え方もすごくうまかった。
…このまま行けば美希と同じ大学にも入れるかもしれない。

「がんばってるね〜。…美希のため?」
「え?えっと……ま、まあね」
「ふ〜ん…」
…美希と昔何があったのか、いまだに聞いていない。
何だかそれを今聞いたら、秋穂との仲が壊れてしまうような気がする。
それは嫌だった。
「んと……そうだ。昨日のさ…」
「……うん」
――秋穂と朝の通学路を歩く。美希でない女の子と、歩く。
美希としたかったこと、できないことを別の女の子としてる。
罪悪感と変な背徳感みたいなものが入り混じった奇妙な感覚が僕を包む。
…そうだ、そういえばこの前の昼休み、美希と秋穂が一緒にどこかへ出て行った。
もしかして仲直りとかしたのかな?だから美希もなんにも言わないのかな?
いやいや、だったらなにか連絡くれてもいいだろう。大体相変わらず二人は教室で話さないし。
普通に考えれば僕の話か…何話してたんだろ。う〜ん……気になる。
そういえばもどってきた秋穂の頬がちょっと赤かったような…い、いやそんなまさか――
「どうしたの?何か考え事?」
「へ?あ……」
秋穂が怪訝な表情で見つめてくる。うーむ…。このくらいならだいじょぶかな?
「あのさ、この前美希と昼休みどこか行ってたでしょ?」
「え?…ああ、うん。気づいてたんだ」
「うん、まぁ…それで、なんの話してたの?」
「………………」
秋穂が足を止め、黙って俯く。うっ、まずい!
「あっ!いや!言いたくないんだったらいいよ!うん!」
「………………」
「あはは…………」
「…………聞きたい?」
秋穂は俯いたままだ。
「えっ………うん。まぁ……」
「……その前に聞きたいんだけど、気になったのは私?それとも、美希?」
「えっ……」
「私たちが教室を出たとき、どっちが一番気になった?」

どっちって…なんでそんな事聞くんだ?
「どっちも…かな」
「ふ〜ん…」
秋穂はまた黙り込んでしまった。
「………………」
「あ、あの……」
「…………内緒っ!」
そういうや否や、急に秋穂が走り出した。
「あ、ちょっと!」
「ホラ!いそご!」
遅刻する時間でもないだろうに、秋穂はそのまま走って学校に向かっていってしまった。
やっぱりまずかったのかな………

 

なんとか秋穂に追いつき二人揃って教室に着くと、授業開始までだいぶあるというのに
すでに多くのクラスメイトが席に着いているのが見えた。
みんなおしゃべりもほどほどに友人同士で問題を出し合ったり、
お互いに教えあったり、受験生としての生活を始めている。
「お〜今日もお二人で登校ですか。うらやましいですねえ〜」
いつの間にか背後に立っていた飯田がニヤニヤしながら声をかけてきた。
「おはよう。あれ?今日も早いんだね」
「まぁな〜もう習慣づきはじめてるしさ〜」
大きなあくびをする飯田。かなり無理してる感がでてるけど、理由はわかってる。
「あ、おはよう!秋穂、山下君」
飯田の後ろからひょこっと小さな背丈の女の子が顔を覗かせてきた。
「おはよう〜由梨絵」
「おはよう。氷川さん」
……やっぱね。こういうことだろうと思った。
「ほら、飯田君!さっきの続きやるから席着いて!」
「は〜い!」
氷川さんに背中を押されながら、緩んだ表情で自分の席に向かう飯田。
ま、無理もないか。あいつがあんなに女子と仲良くしてるを見たのは久しぶりだし。
今までもあったにはあったけど、
なにかの原因で(恐らく理沙ちゃん)あいつは女子との仲が悪くなることが多かった。
今度はうまくいってほしいな…
「私達も始めようか?」
「あ、うん」
秋穂に促され、席に着く。僕は僕でこっちの方をがんばらないと。

秋穂と「友人」になってから、僕は朝早めに学校に来て、こうして勉強を教わっている。
最初は秋穂と二人だったんだけど、そこに友人の氷川さんも加わって3人体制になった。
さらにそれを見た飯田が「俺も混ぜてください。お願いします。」と懇願してきたこともあって、
いつのまにか秋穂、氷川さん、僕、飯田の4人体制の勉強会になった。
でも当然のごとく飯田の狙いは勉強なんかではなくて………
「あ、だからそこ違うってば!さっきも教えたでしょ〜?」
「ああ、そっかぁ〜ごめ〜ん。えへへ」
いつか見た気持ちの悪い笑顔を見せながら、飯田がポリポリ頭を掻く。
氷川さんも飯田の本当の目的が分かっているのかいないのか、異様な優しさで飯田に何度も注意する。
「由梨絵はね、飯田君が前から気になってたのよ」
僕の思考を読んだかのように、秋穂が問題集に目を落としながら言う。
「だからこの「勉強会」に参加したいって言ってきたのね。要君、飯田君と仲いいから」
「でも、僕がいるからって飯田が来るとは限らないんじゃ…」
「分かるわよ。飯田君の性格を考えれば。要君を一人にしておくわけないわ」
僕を一人に…?そういえば美希と「逢う」ために補習だって嘘ついてたときも
あいつやたらついてきたがってたな…
「そういう人じゃない?飯田君って」
「………………」
僕と秋穂の前で、嬉しそうに氷川さんと笑う飯田。
もしかして飯田は、僕を一人にしないようにずっと側にいてくれてたのかな…
「はい。できた。明日はここから、ここまでね」
「あ、ああ。うん。ありがとう」
秋穂からチェックを入れてもらった参考書を受け取る。
こうして毎日重要なところにチェックを入れてもらい、次の日までの課題を秋穂に出してもらう。
それを解いて次の日の朝、秋穂に採点してもらい、また次の課題を出してもらう。
間違えたところはこの朝の時間になるべくヒントをもらって、自分で夜考えてみる。
「ん〜とね、問7だけど…」
「うん」
こうして、僕は秋穂に勉強を教わっている。
この方法がいいのか悪いのか、僕にはよくわからないけど実際勉強がはかどってるんだし
正しいんだろう。
それに秋穂とこうしてコミュニケーションが取れることが僕には嬉しいことになり始めている。
美希と秋穂の関係なんて忘れてしまいそうなくらいに…

「お〜い。お前らさっさと席につけ〜始めるぞ〜」
担任の大きな声に顔を上げ、時計を見ると、もう授業開始時間になっていた。
この勉強会をやっていると時間が立つのがあっという間に感じてしまう。
「じゃ、要君、また後でね」
「うん、また後で」
秋穂の席から離れ自分の席に着く。飯田はまだ氷川さんにくっついている。
「コラッ!飯田!さっさと席につけ!…えーっと出席取るぞ〜。相川〜…」
…あれ?そういえば美希がまだ着てないような気がする。それに、高田も。
「高田〜。…ん?休みか。次、武田〜。」
高田が休むなんて珍しい。ほとんど風邪も引かない健康優良児って自分で言ってたのに。
「三浦〜。…んん?三浦も休みか。しょーがないな…」
美希も休みか…単に遅刻してるだけかな。後で、メール入れとこう。

 

ほとんど意味のない授業を受けた後の昼休み、勉強会の4人と森本達も加えた昼食が始まる。
なんだかいつのまにかすごい大御所になってしまっているような気がする。
「高田が休みか〜めずらしいよな。あいつ風邪とか引かないやつなのにさ」
「法事で休みのはずなときも学校きてたよね」
「だよな〜ほんとよくわかんねぇやつだよ。ま、あんなヤツのことより三浦さんが心配だ!
なにか大怪我とかしてたら…」
「それはないと思うけど…」
――そうだ、美希。結局学校に来なかった。どうしたんだろう…メールの返事もこないし。
「そんなに、三浦さんが心配…?」
さっきから俯いていた氷川さんが顔を上げる。
「あっ!いや!そういうわけじゃないよ〜ただクラスメイトとしてさ…」
「ふ〜ん……」
いきなり必死になった飯田が氷川さんに弁解を始める。…やっぱ理沙ちゃんは関係ないのかな。
ぎゃあぎゃあ言い合う二人の横で、黙って話を聞いていた秋穂がゆっくりと口を開く。
「きっと、二人ともなにか事情があったのよ。どう思う?本間君」
「え、ええ。そ、そう、ですね…」
秋穂に話を振られ、なぜかうろたえる武。……?どうしたんだろう?
「どうした武?具合でも悪いのか?」
「い、いえ。別になんでもありませんよ」
そう言って僕を見た武の眼は、とても大丈夫そうには見えなかった。

その後、放課後になっても美希と高田はなんの連絡もしてこなかった。
それに、なぜか武まで学校を早退してしまった。
秋穂も今日は用事があるって言って先に帰っちゃったし…風邪でもはやってるのかな?

予定がなくなってしまった僕は久しぶりに、森本と一緒に帰ることになった。
ついでに飯田も氷川さんといちゃいちゃしながらついてきた。見せつけてるのかこいつは……
けどこういうときは大抵校門には理沙ちゃんが……ってうん?あれは…
「勇気さん!」
「ん…?……ゲッ!美月姉ちゃん!!!」
かわいい白地のエプロンをつけた20代中盤くらいの綺麗な女性が校門の外に立っている。
その人は、下校する周りの生徒達の視線もまるで気にせず、仁王立ちで飯田を睨んでいた。
「どういうことですか!その女性は誰なんですか!」
「え!?えっ?!?なんで美月姉ちゃんが!!?!?」
「理沙から話は聞きました。でもまさかここまでになってるなんて……!」
ギロッと、見るものが震え上がるような迫力で氷川さんを睨む美月さん。
「ヒッ…!」
「全く……!さっ、帰りますよ勇気さん。「言い訳」はしっかり家で聞かせてもらいます!」
「あっ!ちょっと!姉さん!やめて!引っ張らないで!」
ズルズルと引きずられながら、飯田が僕達に向かってなにごとか叫ぶ。
「山下!森本!氷川さんに弁明しといてくれ!あとちゃんと家まで送って……うあああ!」
唖然としている僕らを残して、美月さんと飯田はあっという間に校門の前から消えていってしまった。
「あ、えっと…じゃあ僕はここで。氷川さんも方向同じだよね?」
「え、あ、う、うん。」
森本がまだ呆然としている氷川さんを連れて僕と逆方向へ向かおうとする。
「あ、僕もついていこうか?MOMOちゃんのこともあるだろうし」
「ううん、だいじょうぶ。なんでか知らないけど最近MOMOちゃん何もしてこないんだ。
もう僕に飽きたみたい」
そう言って丸い顔に優しい笑顔を浮かべる森本。やっぱりこういう表情の方が森本には似合う。
でもあのMOMOちゃんがそんな簡単に森本に飽きるとかあり得ないような気がするんだけど…
まぁあんな笑顔が戻ったんだ。きっと森本の言うことが正しいんだろう。
「ん、そっか…じゃあまた明日!」
「うん、また明日ね!」
「また明日ね…山下君」
手を振り、フラフラになっている氷川さんを支えながら歩く森本と別れる。
今日は一人で帰宅か…久しぶりだな。

―――朝と同じくギュウギュウ詰め状態だった電車から降り、見知った帰路を一人、歩く。
家の前まで着くと、すぐに中には入らず、まずインターホンを押す。
一回、二回、三回……
明かりがついてないんだ。誰もいないことは分かってる。でも、これも朝と同じ儀式の一環だ。
返事がないのを確認するとポケットから鍵を取り出し、玄関のドアを開ける。
そのまま真っ暗な廊下とその奥に見えるリビングに向けてゆっくりつぶやく。

「ただいま」

洗面所で手洗いを済ませるとすぐ2階にの自分の部屋にあがる。
夕飯はあとで作ればいいや。どうせ一人だし。
鞄をベッドの上に投げ、制服も脱ぎ散らかした。掃除するのも自分でやるんだし別にこれでいい。
ポケットから携帯電話を取り出す。美希からはまだなんの連絡もない。
「どうしたのかな?なにかあったのかな…」
でもなにかあったんなら舞ちゃんとか家族の人が知らせてくるはずだ。
僕の連絡先は知ってるはずだし。
美希の家に行ってみようかな…いやなんか事情があるのかもしれないし、
わざわざこんな夜に気持ち悪いとか思われるかも…
「いいやもう!明日聞こう!」
明日も学校に来ないようだったらそのときは家に行ってみよう。うん、それでいい。
何か連絡が来たらすぐに繋げるよう机に携帯電話を置き、机に向かう。

けれど結局、その夜美希からは何の連絡も来ず、僕は勉強に没頭し続けることになってしまった。

3

「今日も寒いね〜」
「ん……そうだね…」
今日も秋穂と一緒に通学路を歩く。でも、頭の中は美希の事でいっぱいだ。
昨日、美希からは連絡がなかった。もし今日も休みだったら絶対なにかあったってことだ。
もしそうなら絶対美希の家に行かないと。戸田さんや村田さんに聞くわけにはいかないし…。
「う〜ん……」
「…………また美希のこと?きっとただの風邪よ、だいじょうぶ」
「そうかな〜でもいくら連絡しても返してくれなかった…」
「………………」
「…そういえばさ、秋穂の方の用事ってなんだったの?」
「……別に、たいした用事じゃないよ」
秋穂はチラッと僕の顔を見てそう言うと、すぐまた前を向いてしまった。
「…そんなことより、もし今日放課後大丈夫なら、要君の家行ってもいいかな?」
「………え!?」
突然の要望に、思わず隣で歩く秋穂の顔を見る。
秋穂も僕の方を向いていた。図らずも丁度眼が合ってしまう。
「ん…と、なんで?」
「朝だけじゃそろそろきついでしょ?やっぱり放課後にちゃんとやったほうがいいと思うの」
いつもの通り静かな表情で秋穂が言う。
……たしかにそうだ。言ってることは実際正しいと思う。
でも、正直美希以外の女の子を家にあげるのはなんだか気が引ける。
浮気とかじゃないけど、美希と秋穂の関係を考えるとすごく後ろめたい。
「ん〜と…え〜っと……」
でもそろそろしっかり教えてもらわないとまずい。もう11月になる。
「ん〜…」
でも…………
「美希と同じ大学、行きたいんでしょ?」
………………………………
「わかった。今日は特になにもないからだいじょぶだよ」
――――そうだ。今ここで止まるわけにはいかない。
「ん。じゃあ今日放課後にね」
うん。そうだ、これでいい。勉強するだけなんだし、浮気でもなんでもない。
……あれ?でもそれなら別に僕の家じゃなくてもいいじゃないか。
「あ、秋穂。あの…」
「はぁ〜。要君家か〜。楽しみだなぁ〜。ねっ?」
嬉しそうに天を仰ぐ秋穂。
「え?ああ、うん…」
…まあ、いっか。別に。

教室に着いた僕らは、早速いつもの「勉強会」に取り掛かった。でも、今日は飯田が来ていない。
「飯田君どうしたのかな…?」
氷川さんが心配そうに飯田の席を見る。
「だいじょぶだよ。あいつのことだし。学校始まるまでには来るって」
なんとなく美月さんが関係してるような気はする。
でも別に何されるってわけでもないだろう。ただの姉弟なんだし。
「ま、飯田君の事はいいとして。昨日の課題ちゃんと解けた?」
秋穂は、特に飯田のことは気にしてないみたいだ。
「ああ。うん。ちゃんとやってきたよ」
「どれどれ……」
気を取り直して、勉強の続きに取り掛かる。
まあ飯田のことだ。どうせただ寝坊しただけとかそんなところだろう……

 

勉強を始めてしばらくすると、クラスメイト達が続々と教室に入ってきた。
僕らが学校に着いた頃にはもうすでに結構な数の生徒がいたけれど、彼らはあくまで「受験生」だ。
このクラスには就職するやつだっているし、専門学校にいくやつだっている。
それに上位大学を目指すヤツはこんな朝早くから学校で勉強するってことがあんまりない。
うちの学校が特別なだけで、頭のいいやつってのは大抵予備校とか図書室で勉強するものだ。
そんな連中に混じって、飯田と高田が揃って教室に入ってきた。
「よう、山下。今日もやってるな〜…ははは……」
なんか飯田の様子がおかしい。やけにやつれている。
「お前どうしたんだ!?昨日なにかあったの?」
「あー…まあどうでもいいじゃん。はは…」
やつれた顔のまま薄く笑い、飯田はそのまま氷川さんのところへ向かって行ってしまった。
「…飯田のやつどうしたんだろう?なあ高田?」
「………………」
高田は何も答えない。……あれ?いつもならもっと陽気に…
「高田。昨日はどうしてたんだよ。風邪か?」
「……別に。要には関係ないだろ。じゃ俺行くわ」
そう言うと、僕と目もあわせずに高田は自分の席に着いてしまった。
……なんだろう?機嫌悪いのかな今日。

そういえばいつもなら村田さんや美希と一緒に学校に来るのに今日は一人だ。
……ん!?そうだ。昨日美希と高田は同時に休んだんだ。
もしかしてそのとき二人になにかあったのか?
そうだ!なんでそんなことに気づかなかったんだ!高田は美希のことが…!
………って、でも待てよ。だからって僕に冷たくするのはなんでなんだ?
美希が僕らのことをバラしたとかか?いやだったら余計、昨日連絡がないのはおかしい。うーん…
席に着いた高田の周りに、山田や鳩山達の輪ができ始めている。
ああなると僕は高田に接触できなくなる。
どうしちゃったんだろう…そうだ、美希は……

「あ、美希おはよ〜!」
「おはよー美希。昨日どうしてたの?」
戸田さん達の声が聞こえた方へ顔を向けると、丁度美希が教室に入ってくるのが見えた。
なんだか元気がない。ずっと俯いている。
「お、おはよう。」
「ん〜?どうした〜元気ないぞ〜?いつもの美希はどうした〜?」
村田さんに頬を引っ張られる美希。でもその表情は沈んだままだ。
「どしたのよ〜?昨日高田君となにかあった?」
「えっ!な、なに言ってんの!な、なにもないよ…」
「あ・や・し・い〜素直に言え〜昨日高田君とどこ行ってたの?ん?ん?」
「だから違うって!大体高田君と会ってないし……」

――ウソだ。僕には分かる。さっきから美希はチラチラ高田のほうばかり気にしてる。
高田もなんだか美希の方を気にしているような節がある。
……やっぱりあの二人、昨日何かあったんだ…っ!

「……め君、要君!」
「えっ!…あ、ああ」
秋穂に声をかけられ慌てて我に返る。
「だいじょぶ?すごい顔してたけど……」
「うん…だいじょぶだよ……」
まさか…いやそんなこと…………
「ほんとに大丈夫ですか?山下君」
いつの間にか教室に入り、僕の側に来ていた武が声をかけてきた。
「あ…武。来てたのか。昨日どうしたんだ?具合だいじょぶか?」
「…え、ええ。もう平気です。だいじょぶです」
武はなんだか挙動不審だ。やけに秋穂を気にしてるようにも見える。
そういえば秋穂達と仲良くなってから武の様子がいつもおかしいような気がする。
…まさかこの二人もなにかあったのか?秋穂も用事があるって言ってたし。

だめだ、もうなにがなんだかわかんない………

授業中も、昼休みも、二人のことが気になってしょうがなかった。
二人とも表面上なんにもなかったかのように接してるけど、よく注意してみると分かる。
高田は僕に冷たいし、美希はそんな高田を避けてるような気がする。
なんにしろ二人になにかあったことだけは確実だ。それも、結構重大なことがあったんだ。
…もうすぐ今日の授業がすべて終わる。あとは帰りのホームルームだけだ。
放課後は秋穂が家に来るとか言ってたし、やっぱ携帯で美希に聞いてみるしかない。
「……であるからして、ん?もうこんな時間か。それじゃ今日はここまで」
初老の教師の授業終了の合図と共にクラスメイト達が席を立ち始める。
すぐにポケットから携帯を取り出し、美希にメールを送る。
「昨日どうしたの?なにかあった?」
……これでいい。あとは返信を待とう。

ところがホームルームが始まっても美希からの返信は一向に来なかった。
美希の席を盗み見てみると、俯いているだけで携帯をいじっているそぶりがまるでない。
…………くそっ!美希、どうしちゃったんだよ!
「よーし。今日も気をつけて帰れよー。はい号令〜」
ホームルームが終わってしまった。みんな続々と帰る準備をして教室を出て行く。
俯いていた美希も村田さん達に促され、僕に一瞥もくれないまま教室を出て行ってしまった。
…美希、どうして…なんでなにも言ってくれないだ……
「要君、帰ろう?」
「あ、ああ。うん。」
僕も秋穂に連れられて、帰路に着く。
でも、頭の中は美希と高田のことでいっぱいだ。
「……それでね、今度…」
「………………」
「……聞いてる?要君?」
「…………うん。聞いてるよ」
ほんとは秋穂が何の話をしているかなんて全然わからない。
……美希、お願いだからなにか返信してよ。どんなことでもいいから…
「……あっ!」
ポケットの中が震えている。携帯だ。

急いでポケットから携帯を取り出し、相手先を確認する。
――美希だ。しかも電話。
「あ、あの要君……」
「ごめん!ちょっと待って!」
何か言いかけた秋穂を手で制し、通話ボタンを押し、携帯を耳に当てる。
「も、もしもし」
何だか声が震える。
『……もしもし。要?』
……ああ、美希だ。確かに美希の声だ。柔らかい、優しい声。
この声を聞いたのは、なんだかすごく久しぶりなような気がする。そんなはずないのに。
「うん。僕だよ。要だよ。」
『………………』
「美希、昨日どうしたの?なにがあったの?」
『………………』
「美希?」
『………………』
どうしたんだ?なんでなにも言ってくれないんだ?
「…もしかして、高田となにかあった?」
『…………っ!』
やっぱりか……
「なにがあったの?」
『………………』
「言いたくないなら、それでいいよ。とにかくよかった。声が聞けて」
『……………っ』
「別に体壊した、とかじゃないんだろ?だったらよかったよほんとに。」
『………………』
「………それじゃ」
『あっ!まって!』
「…ん?」
『…今日、要の家行ってもいい?』

え!?今日??
「今日って今から!?」
『うん。会いたいの……ダメ?』
……どうしよう。今日は、秋穂が家に来る。
そのために僕の隣で電車を待ってる秋穂に、今更家に帰れだなんて言えない。
秋穂は、自分を見つめる僕の視線に気づいたのか、ジッと僕の眼を見つめ返してくる。
その眼は何かを訴えているように見えたけど、なにを意図しているのかは、まるで読み取れなかった。
「僕が…美希の家に行くよ。それじゃだめかな?」
『………うん、わかった。それでもいいよ…』
よし、それなら秋穂との「勉強会」を早めに終わらせれば全然大丈夫だ。
「それじゃあまた後でね」
『…うん。また後で』
通話ボタンを押し、電話を切る。
あとは秋穂になんて言い訳するかだな……
「あ、秋穂。実は今日……」
「あっ!要君。電車きたよ?」
「ちょっ………」
僕の言葉を無視し、電車に乗り込む秋穂。
慌てて僕も電車に乗り込む。

電車の中はいつもと違ってすごく空いていた。
座席に座っている人もまばらだ。
「………………」
「………………」
秋穂と二人揃って空いている座席に座る。
なんだか微妙にお互いの距離が開いているような気がするけど、こっちの方がいいか。
「今日さ、早めに切り上げてほしいんだ」
「………………」
「ちょっと用事ができちゃってさ」
「……また美希?」
「…うん」
「そう……」
それっきり、僕らの会話はまるで途切れてしまった。

――お互いに黙り込んだまま、いつもの帰り道を並んで歩く。
「あ…見えてきた。ホラ、あの一軒家だよ」
なんとか空気を変えようと、見えてきた家を指差す。
秋穂がゆっくりと、俯いていた顔を上げる。
「あれが要君の家か…ここまではついていけなかったから、初めて見た」
「はは…さすがにここまでは無理だった?」
「ふふっ…ばれちゃうしね」
クスクスと秋穂が笑う。
よかった、これならだいぶ……あれ?
「……あれは…?」
よく見ると、家の前に誰か立っている。
徐々に近づいてみると、それがうちの学校の制服を着た女の子であることがわかった。
女の子もこちらに気づいたのか、少し早足で近づいてくる。
「要っ!」
「み、美希!」
な、なんで!?!!?
「ど、どうして?僕が行くって言ったのに…」
「えへへ、実は要の家のすぐ近くまで来てたんだ〜。で、驚かせようと思って!」
してやったり、といった顔で微笑む美希。でも……
「え、えっと……」
「?どしたの?……え?秋穂?」
僕の少し後ろで、黙って立っていた秋穂に気づいた美希の眼が、大きく見開かれる。
「こんばんわ……美希」
「え?……な、なんで?なんで秋穂がいるの?だって…ここ要の家……」
困惑した表情で僕と秋穂の顔を交互に見つめる美希。
やがてなにかに気づいたのか、顔を俯かせてしまう。
「そっか…そういうこと、なんだ……」
「み、美希?あの、なにか誤解して…」
「…………っ!!」
美希はそのまま踵を返すと、駅の方向へ走り出してしまった。
「美希!」

まずい!これは絶対追わないとやばい!
慌てて僕も美希のあとを追って駆け出そうとする。
「美希!待って!」
一歩を踏み出そうとした僕の手首に、冷たい感触が巻きつく。
「だめ!行かないで要君!」
振り向くと必死な形相の秋穂が僕の手首を両手でつかんでいた。
「ごめん……離してくれ!」
「だめ!…離さない!」
「……たのむよ、お願いだから…」
――そうだ、今ここで追わなかったらすべてが駄目になる。そんな予感がする。
「………………」
「……ごめん!秋穂!」
無理やり秋穂の手を振りほどき、そのまま駆け出す。
「要君っ!」
秋穂の追いすがるような声が聞こえる。
「ほんとにごめん!今度絶対お詫びするから!」
見えなくなりそうな美希の背中をおって、僕は夜の街の中を走り始めた。

 

 

「はぁはぁ……み、美希、足、はや、すぎ、るよ」
さっきから全速力で走っているのにまるで追いつけない。
陸上部に入ってたわけでもないだろうに、なんでこんなにはやいんだ?
夜の街を駆ける二人の男女。道行く人々が好奇の目で見つめてくる。
「くっそぉ!」
でもそんなのかまってられない。とにかく美希に追いつかないと。
身体のギアをマックスに入れ、全身全霊の力で加速を駆ける。

「くぅ…はぁはぁ…………や、やっと捕まえた」
どうにか、美希に追いつくことができた。
もう疲労困憊だ。また美希に走られたら絶対追いつけない。
「はぁ…はぁ……」
美希も肩で息をしている。でも、なんかまだ余力が残ってる感じだ。
もしかしたらわざと追いつかせてくれたのかもしれない。

「はぁ…んぐ、はぁ、み、美希、と、とりあえずどっか座ろう」
やばい、もう限界だ。このままじゃ倒れてしまう。
「…グスッ………うん。わかった」
コクリとうなずく美希。なんか鼻をすすってたような……
……もしかして泣いていたのかな。

 

「…はい。紅茶だけど、いい?」
「……うん。ありがと」
ベンチに座り、おずおずと缶紅茶を受け取る美希。その横に、僕も座る。
すぐ近くに公園があってよかった。この公園は大きいし、まだ人もたくさんいる。
ここなら変な輩に絡まれることもないだろう。
缶コーヒーの蓋を開け、一気に飲み干す。まだ息が上がってるような気がする。
最近、全然ジムにも通ってないし、トレーニングもしてないからこんな訛ってるのか。
走るくらいはしようかな……。
「………………」
隣に座る美希は紅茶に口をつけることもせず、黙ったまま、ずっと缶のふちを指でなぞっている。
「……はぁ」
空を見上げると、綺麗な星達が夜の暗闇いっぱいにひろがっていた。
ここのところずっとこんなかんじだ。雨が降ったり天気が悪くなることが全然ない。
…毎夜、この綺麗な星達が空に広がる。いいことだ。
「……秋穂とはなんにもないよ」
「………………」
「ウソじゃない。ただ勉強教えてもらおうと思っただけ」
「……勉強なら私が教えるよ」
まともに勉強なんか教えてくれたことないくせに。ふふっ…。
「とにかく、なんにもないから」
「…………ねえ、要」
「ん?」
「私の事、好き?一番、好き?」
…………………………
「好きだよ。一番好きだよ」
そうだ。僕の一番は美希だ。いつだって、そうだ。
そうだ……そうであるはずだ。
だから今一瞬頭をよぎった秋穂の微笑みは、たぶん、きっと、たんなる気の迷いだ。
「…私も要が一番だよ」
美希の暖かくて柔らかい手のひらが、僕の手の甲の上に重なってきた。
「…………………」
きっとそうだ……そうに、決まってる。
ゆっくり、美希の手を握り返す。

美希と高田のこと、秋穂のこと、今はそのどちらもどうでもいい。
ただ、もっと、ずっと、こうしていたい…………

――――チッ!まさか美希が家の前で待ち伏せしてるなんて!
要君の家にほとんど家族の人が来ないことは本間君と百桃お姉さんからの情報で知っていた。
だから今日、そろそろ勝負を仕掛けようと思ってたのに……
やっぱり忌々しい女だ。ことごとく私の邪魔をする…………!
「しかたないわね……あの子に動いてもらうしかないか」
携帯を取り出し、電話帳を開くと、ま行の人間を探す。……あった。
番号を表示し、通話ボタンを押す。数秒の待機音の後、標準よりすこしハスキーな声が聞こえてきた。
『…もしもし』
あらあら。やっぱり落ち込んでる。
「もしもし?私。庄田。で、決めてくれたかな?緑川さん?」
『………………』
長い沈黙。どうせ答えはきまってるくせに。
「私は別にいいんだけど、あなたはこのままでいいの?」
『………………』
「好きなんでしょ?高田君のこと」
『………………』
……あーじれったい!ほんと、昔の美希によく似てる。ま、だから大事にされるんだろうけど。
『もう少しだけ……時間をください』
…まあいいか。一応やってくれるようだし。
「わかったわ。でもあんまり時間はないわよ?」
『…はい。わかってます。』

あとは高田君がどう動くか、ね。どう動こうが私の有利になることに変わりはないけどね。

………さてさて、どうなることやら…ふふふ。

4

――――あれはいつのことだったろう。…そうだ、私が小学生にあがって、すぐの事だ。
その日、私は舞にばかり構う両親とケンカして近所の公園で夜になるのをひたすら待っていた。
当時の私は、ここにいればきっと母か父が私を探しに来てくれる、そう思っていたのだ。
子供らしい、妹に対する対抗心と親に対する独占欲。
今思えばバカらしいけど、小さい頃の私には両親がこの世界のすべてだったのだ。

日が暮れ始めると、公園で遊んでいた子供たちは少しづつ親に連れられていなくなっていく。
時計の針が16時を回ると、もう公園には子供達の姿がほとんどなくなっていた。
あとは私と、砂場で遊ぶ私と同世代くらい子供達だけになった。
しばらくすると、その砂場で遊んできた子供達も、
一人を除いて全員が親に連れられて家へ帰っていってしまった。
気づけばこの広い公園内は私と、その砂場に残された一人の男の子だけになっていた。
「…………」
「…………」
私達はお互い結構近い距離にいるにも関わらず、まるで会話をしなかった。
この頃から引っ込み思案だった私には、その子に話しかける勇気がなかったのだ。
男の子は一人で砂場で遊び、私はそれを滑り台の上から眺める。
そんな状態がしばらくの間続いた。

「……ねえ、帰らないの?」
ボーっと砂場を見ていた私に、急にその子が声をかけてきた。
目線は砂に向かったままだったけど他に人はいないし、たしかにその子の声だって分かった。
「…あ、あの、えっと……」
突然声をかけられて、思わずしどろもどろになってしまった私に男の子は続けた。
「帰らないなら、遊ぼ。僕も帰らないから」
男の子は砂場から立ち上がり、私のいる滑り台のほうへ顔を向けた。
「…………っ!」
その顔を見て、私は思わず息を飲んだ。
振り向いた男の子の顔は、そこらじゅう傷だらけだったのだ。
どんな理由で、何が原因でつけられた傷なのかはわからなかったが、
それが異常なことであるって事だけは当時の私にも理解できた。

「あ、あう……」
「………………」
困惑する私を見た男の子は、何も言わずに再び砂場のほうへ顔を向け、しゃがみこんだ。
そのまま何事もなかったかのように、黙って砂をいじり始める。
「う…うう」
正直行ってすごく怖かった。もしかして私もこの子に同じ目に合わされるんじゃないかなんて思った。
でも、友達のいなかった私に、親の助言無しでこんな風に声をかけてくれる子供は初めてだった。
その事実が私の背中を強く押した。
「…あ、あの、うん。あ、遊ぶ」
男の子はチラッと私を見ると、ニッコリと笑ってうなずいた。

 

ペタペタと砂を集め、山にする。そこに穴を開けトンネルを作る。
単純な遊びだけど、二人でやる砂遊びは、いつも一人であそんでいる私にとっては、
とても素晴らしい、素敵な遊びであるように思えた。

「僕ん家、おとうさんもおかあさんもケンカしてるんだ」
砂をいじり続けながら男の子がボソッとつぶやいた。
「お姉ちゃんがいつもやめてって言うんだけど全然やめてくれないんだ」
「……うん」
男の子は私と目を合わせることもなく、言葉を続ける。
「僕もやめてっていうんだけど全然駄目で、おとうさんが邪魔だって言って僕をぶつんだ」
「………………」
「僕がぶたれると、おかあさんはもっと怒っておとうさんに悪口言うの」
「………………」
「僕、それが嫌でここにいるんだ。おとうさんにもおかあさんにも仲良くしてほしいから」
「僕がいなければ、おとうさんもおかあさんもケンカしないですむとおもうから」

言葉が見つからなかった。なんて言えばいいのかわからなかった。
慰めればいいのか、励ませばいいのか。それすらもわからなかった。
「えっと…うんと」
必死に言葉を探していると、遠くから聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「美希ちゃ〜ん!どこにいるの〜?」
「あ、ママだ!」
私を見つけた母は、駆け足でこちらに近づいてきた。
「美希ちゃん!探したのよ!駄目でしょう。だまって出掛けちゃ!」
そう言う母の声は涙声になっていた。
「ごめんなさい、ママ」
「ほんとに……無事でよかった。さ、帰りましょう。…あら?この子は?」

母がようやく気づいたかのように、男の子に声をかける。
母には男の子の顔の傷は暗くて、よく見えていないようだった。
男の子はジッと、うらやましそうに私達を見ている。
「ぼく?お母さんはどうしたの?私達と一緒に帰る?」
「…………いいです。一人で帰れます」
そう言うと、男の子は俯いて、一人で砂をいじり始めた。
「でも、もうすぐ真っ暗になっちゃうわよ?一緒にいきましょう?」
「いいんです。だいじょぶです。一人で帰れます」
男の子は私達に見向きもせず、ひたすら砂をいじっていた。
母は困ったような顔をしていたが、やがてあきらめたように私の手を引いて歩き始めた。
「…そう、それじゃあ…くれぐれも気をつけてね。美希ちゃん。行くわよ」
「う、うん」
まだ…そうだ。まだ名前を聞いていない。このままこの子と別れるのは嫌だ。
「あ、あの!」
「……なに?」
男の子はずっと砂をいじっている。それでも勇気を振り絞って声をかける。
「私、三浦美希!みうら、みき!」
「………………!」
男の子は私の言葉に顔をあげ、大声で答えた。
「僕、山下要!やました、かなめ!また遊ぼうね!」

 

―――これが私と要の本当に初めての出会い。
要は私に初めて会ったのは学年が上がって同じクラスになったときだと思ってるけど、私は覚えてる。
あの寂しそうな顔を、覚えている。
あの砂遊びを、覚えている。
あの時の胸のときめきを、ずっと覚えている………

――――なんだか今日は天気が悪い。こんな曇り空、久しぶりだ。

今日もこの駅は人でいっぱいになっている。
改札で人を探すのも一苦労だ。
「う〜ん……はぁ」
でも今日はすごく気分がいい。いや、ここ最近ずっとだ。
あの夜の要の言葉……きっとこれからも忘れない。
私が一番って言ってくれた。あの言葉にウソはないように思う。
秋穂との間になにがあったのかはわからない。でもきっとだいじょうぶ。

だいじょうぶの、はずだ。

……あの日のことも、もう忘れよう。高田君もなんにも言ってこないし。
言ってこないって事は忘れてもいいことなんだ。
そう、忘れていいこと。私達にはなんにもなかった。それでいい。
誰にも知られていないし、誰かに言う必要もない。もう過去のこと。
過去は捨てたほうがいい。いままでの経験からいってもそのほうがいい。
忘れたほうがいいんだ。私と要の未来のためにも――。

「ん〜と…あっ!いたいた。おはよ〜美穂!」
改札口のすぐ側の柱に寄りかかっていた緑川美穂に向けて、声をかける。
「あっ…おはよう。美希ちゃん……」
俯いていた顔を上げて、美穂が私に答える。
なんだか元気がない。落ち込んでるようにも見える。
「どしたの〜?元気ないぞ〜?あれ?涼子は?」
いつも美穂と一緒のはずの涼子が、今日はどこにもいない。
「涼子ちゃん、今日は勉強したいから予備校行くんだって……」
「あははは…勉強したいから、学校じゃなくて予備校へ行く、か」
なんだか涼子らしい理由だ。

勉強か……そうだ。きっと要の言うとおり、要も秋穂に勉強を教わろうと思っただけだ。
特別な意味なんてなかったはずだ。…秋穂は絶対ちがう目的だったとおもうけど。
要はそのつもりだったはず。うん。そうだ。そうに決まってる。
「そっかぁ。じゃあ行こっか、美穂」
「……うん。そう、だね…行こう」
秋穂なんかに私達の関係は壊せない。秋穂がなにしようが、要はだいじょぶだ。
絶対、だいじょぶのはずだ……

 

「……美穂、だいじょぶ?どうしたの?」
「…えっ!あっ…だ、だいじょぶだよ。だいじょうぶ……」
全然大丈夫そうじゃない。さっきからずっとこの調子だ。
私が話を振っても美穂はほとんど反応してくれない。
まるで意識がどこか別の方向へ飛んでいるかのようだ。
ボーっとしながら、ひたすら自動人形のように歩を進めている感じ。
「…ほんとに、だいじょぶだから」
私に向かって力なく微笑む美穂。
「美穂……」

緑川美穂は、私にとって本当に大事な友人だ。
涼子や麻希と違って「作った友達」じゃない。
「切りたい」と思う人間でもない。
本当の友達……要と同じ、一緒に未来を歩きたい人間。
実際、要の事以外、大抵のことはこの子に包み隠さず話をしている。
美穂が私をどう思っているのかはわからないけど、少なくとも嫌な感情は抱いていないはず。
だから私も、美穂の要望や願いは極力叶えてあげたいって思ってる。

……美穂は、昔の私と同じタイプの人間だから。
臆病で、引っ込み思案で、人に嫌われるのが怖くて、他人の顔色ばかり伺ってしまう人間。
守ってあげたい、側にいてあげたい、そう思うタイプの人。
だからこんな美穂を見るのは嫌だ。
何かあったんなら、話してほしい。力になりたい。

「…………ねえ、美希ちゃん」
美穂がピタッと足を止める。
顔は俯いたままだ。
「ん?何?やっぱり何かあったの?」
「……………………」
美穂はそのまましばらく黙ってジッとしていた。
やがて意を決したかのように顔を上げ、口を開く。
「高田君のことどう思ってる?」
……高田君?なんで今頃そんなこと…ずっと言ってきたのに。なんでもないって。
「前にも言ったでしょ?なんとも思ってないよ」
「ほんとに…?」
「うん。良い人だとは思ってるよ。すごく面白いし」
でも、私には要がいる。高田君のことはなんでもない。
なんでもない、そう、なんでも……ない、はずだ。
「…………そっか…」
そうつぶやくと、美穂はまた俯き、考え込むような仕草をして歩き出してしまった。
「ちょ…ちょっと!美穂!」
「…………………」
美穂はどんどん進んでいく。私の存在など、ないかのように。
美穂が高田君に少し惹かれていることはわかっている。
でも美穂には鳩山君って彼氏がちゃんといるし、ただの憧れなんだって思ってた。
うちの学校で、高田君に憧れている女子は少なくないから。
だけど、もしかして美穂は本当に……
「美穂、待って!」
「…………………」
なんとか追いつき、美穂の制服の裾を捕まえる。
美穂は振り向くことなく、そのまま言葉を紡ぎ始めた。
「……私、高田君の事が好き」
「…………!!」
「だから………」
美穂が振り向き私の眼を見据える。
その眼には強い意志が宿っているように見えた。
「後悔したくない!どんな結果になっても、後悔したくないの!」
そう言うと、美穂は私の手を振りほどき、そのまま学校へ向かって走りだした。
「美穂………」
……私はそんな美穂の背中を、黙って見送ることしかできなかった。

――――――さて、結果はどうなったかな。
6限後ロッカーの整理をする振りをして、帰宅準備をしている戸田達の話に耳を傾ける。
「さっき鳩山君、美穂に呼ばれたみたいなのよ。なにかあったのかな?」
「痴情のもつれか〜?おもしろそうだなぁ」
「はぁ、山田君ってほんとそういうの好きよね……美希、あんたはどう思う?」
「えっ……う、うん。ケンカでもしたのかな?…」

……美希、動揺しまくってるのみえみえよ。
あんたとあの子はすごく仲良いし、他の連中と違ってあの子の事特別に考えてる。
そりゃ気にならないわけないわよね。

しばらく戸田達の話を聞いていると、ガラっとドアが開き、鳩山君が教室に戻ってきた。
鳩山君は随分と落ち込んでいる。……どうやら予想通りの展開になったようだ。
「おっ!鳩山!どうした?なにがあった!?」
山田君が興味津々な様子で鳩山君に真っ先に話しかける。
確かに、戸田の言うとおり、山田君はこの手の話が好きそうだ。
「おいっ一体なにがあったんだよ?話してみ?」
「…………美穂が…」
「うんうん?」
「美穂が別れてくれって……他に好きなヤツがいるからって…」
「…えっ!マジで!?」
山田君の大声に、教室中の視線が集まる。
美希も呆然とした表情で、鳩山君を見つめている。
「俺どうしたらいんだ……俺、俺…」
うずくまる鳩山君。山田君たちが慰めるように鳩山君を囲み始める。
ザワザワと教室中がうるさくなっていく。
「おい!どうしたお前ら!席に着け!帰りのホームルーム始めるぞ!」
担任の大声にもざわめきは止まない。鳩山君もへたり込んだままだ。

あらあら。受験前だってのに大変ね。ほんと、ご愁傷様。
……さてさて、高田君。驚いた顔してる場合じゃないわよ?

次からはあなたにも動いてもらわないとね……

5

―――秋穂も美希も、僕をまじめな人間、素直な人間だというけど実際は違う。
ただ周りになにか言われるのが怖いだけだ。
人の言うことに素直にしたがって、まじめにやってれば文句を言われることはない。
そうやって問題から逃げ続ける、臆病な人間なんだ、僕は。
…それに真面目に生きてれば、父さんも母さんもいつか仲直りしてくれる、そう思っていたから。

でも、あの時、美希のために先輩の所に走ったときは違った。
周りの人間の評価なんてどうでもよかった。
ただ、美希のことだけ考えてた。そのときはそれが正しいことなんだって思った。
だから今のこういう僕の境遇には何の後悔もない。
僕のことが原因で父と母がケンカしても、そのときはどうでもよかった。
あの時の僕には美希が世界のすべてだったんだ………

 

「あ〜またやってるよ」
久しぶりに帰宅した姉さんが、ソファにねっころがりながら悪態をつく。
姉さんはさっきからずっとゴロゴロしながらテレビを見ている。
「ん〜?」
洗い物をしていた手を止め台所から顔を出し、テレビ画面を覗く。
画面上ではたくさんのフラッシュにたかれながら、あるタレントが記者会見を開いていた。
名前はなんだったか…確かすごく人気のある人だったはずだ。
こっからじゃあ名前も見えないし、音声もよく聞こえない。
こういうことに疎いと困るな、ほんと。
「こいつさ〜前も離婚するとかなんかで会見開いてなかった?うんざりするわね〜」
姉さんの顔もソファに隠れてよく見えない。
テーブルの上に空き缶が散乱してる所を見るに、たぶん、酔ってる。
「こういう人気者とか、自分が優秀だって理解してるやつってさ、
自分が中心じゃないと納得しないのよね」
「……どゆこと?」
「悪者になりたがらないのよ。なにかあると間接的にだけど、うまく相手のせいにするの」
「そういうやつは本物の人気者じゃないんだけどね。金メッキで作られてるようなもんよ。
ようするに、ただ自分のプライドが大事なだけの小物ね」
モゾモゾと動きながら、姉さんは続ける。
「自分は常に選ぶ側!選ばれるのなんてたくさん!なーんておもってんじゃないの〜?」

「……それって母さんのこと?」
ピクッと、姉さんが反応したのが分かった。
「…まあね、それもあるけど」
「………………」
母さんはいつも言ってた。「父さんとは世界が違う」って。
お嬢様だった母さんと、成り上がりで出世した父さん。
二人はお見合いをして、周りの色々な思惑によって結婚した。
いろんなことがあったんだろう。きっと僕等に言えない様な、なにかが。
「…でもほんとにあくどいのって、こういうのを利用する人間よね」
話題を変えるかのように、姉さんは話を続け始めた。
「こういうのを電波で流すテレビ、話題にする事務所の人間、みんなそう」
「視聴率を稼いで、話題を増やして、お金にする。あ〜やだやだ」
本当にあくどい人間……
裏でなにかをする人間、誰かを利用する人間、か。
「…じゃあ義之さんは、どうなの?」
義之さんっ、ていうのは姉さんの恋人だ。何度か家にも来たことがある。
強面だけど、暖かくて、優しい人だった。
「義之?なんで義之が出てくるのよ?」
「義之さんは雑誌記者だろ?姉さんがそういう考えなら「世界」の違う人間ってことじゃない?」
「……どうなのかな。わからない」
姉さんがソファの中で、寝返りをうったのが分かった。
「あんたに偉そうな事言ったけどさ、私にも分からないの」
ソファに埋もれて、相変わらず姉さんの顔は見えない。
「でも向こうは未来が一緒だって思ってるんじゃない?じゃなきゃプロポーズなんてしないでしょ?」
……え?
「姉さん結婚するの!?」
「まあ…ね」
「そっか……おめでとう!」
「……ありがと」
姉さんの顔はまだ見えない。だけどきっと微笑んでる。それだけは、わかった。

姉さんがいなくなる。僕を守ってくれた姉さんがいなくなる。
それは当然のことだ。僕と姉さんの未来は違うものなんだから。
じゃあ僕の未来はどこだ?誰と世界が重なるんだ?

…僕の未来は、だれと重なっていくんだろう。
美希か? それとも…秋穂か……?

 

―――――今日はほんとに天気が悪い。昨日よりずっと曇ってる。
相変わらずこの駅は人でいっぱいだ。人を探すのも一苦労する。
秋穂は目立たないから、余計探すのが難しい。
改札口を出て、キョロキョロと学生の群れを見回していると、
一人の女の子が、群れの中から僕の前に飛び出してきた。
「おはよう!要君!」
「え…?おはよう……?」
なんだ…?誰だこの子は?
いや、やけに元気に声をかけてきたこの女の子を、僕は確かに知っている。
でもその子はこんなに元気にあいさつしないし、何よりメガネをかけているはずだ。
「そんなに驚かなくてもいいじゃない。ただコンタクトにしただけよ?」
静かに微笑む女の子。そうだ、僕はこの微笑みを知ってる。
「あ、ああ。あき、ほ…おはよう」
びっくりした。
メガネを外しただけなのに、秋穂の印象は全然違う。
いやそれだけじゃない。細かく制服の着こなしや、化粧も変えている。
髪型だって少し野暮ったい感じだったのが、今は明るい感じに整っている。
それにこうして見るとやっぱり秋穂は可愛い。美希や戸田さん達に勝るとも劣らない。
今みたいな明るさがあるなら、きっと男にもモテる。
「あ……でも、なんで?」
「う〜ん。こっちの方が昔の私みたいかなっ、て思って」
なるほど。確かにそうだ。……ん?
「秋穂は昔からメガネかけてたじゃないか」
「えっ?…あ〜そうだったね。あははっ!」
そう笑うと、秋穂は僕の背後に回り、グイグイと背中を押してきた。
「ホラホラ!いこいこ!」
「ちょ…ちょっと、押さないで!」
……ほんとに、別人みたいだ。

暗い空の下、いつものように秋穂と並んで通学路を歩く。
でも、いつもと違ってなんだかドキマギする。
横にいるのは確かに秋穂のはずなのに、全然違う人間と歩いてる感じだ。
「え、えっと、コ、コンタクトって今の季節乾いたりしないの?」
なんでかしらないけど声が震える。
いや理由は分かってる。緊張してるんだ、僕は。
「ん〜だいじょぶだよ。そろそろ雨が降るだろうから」
空を見上げ、手をかざす秋穂。僕もつられて顔を上げる。
たしかにすごい曇り空だ。今にも雨が降り出しそうな感じだ。
「まあ、今はだいじょぶだよ。さ、いこいこ」
僕を引きつれ、秋穂が歩き出す。
なんだか顔がにやけてしまう。
こんな暗い空なのに、気分がすがすがしい…

あの日の夜のことを、秋穂は特に言及してこなかった。
特に何事もなかったかのように毎日振舞い続けている。
僕も自分から何か言うのは気が引けて、そのままにしておいた。
何も言わないって事は、きっとそれでいいんだ。
きっと……それでいいんだ。

…だけどこの急な秋穂の変化は、やっぱりあの夜が原因になってるんじゃないだろうか。
僕の前を歩く小さな秋穂の背中は、そう言ってるように見える。
たんなる僕の自意識過剰なのかもしれないけれど…

「…実はね」
ピタッと、急に秋穂の歩みが止まった。
後ろをついていっている僕も、それで歩くのを止めざるをえなかった。
「コンタクトにしたのには、他にも理由があるの」
秋穂は振り向くことなく、言葉を続ける。
「そろそろ教えてあげようと思って。要君の知りたいこと、知らないこと、全部」

6

…なんだって?
「えっ?今なんて……」
「そろそろ『終わり』だから。要君にも知っておいてもらいたいの」
ゆっくりと、こちらを向く秋穂。
その顔には今までの秋穂と同じ、静かで穏やかな表情が浮かんでいた。
見慣れてるはずの表情なのに、なんだか今日はすごく恐ろしい表情に見える。
「あ、秋穂……」
そんな僕の感情など無視するかのように、秋穂は語り始める。
「その前に、ひとつ聞きたいんだけど、要君、なんであの事件をおこしたの?」
あの事件…?ああ、あれか……
「あ、あれは先輩が……美希のことを…」
そうだ、だから僕は……
秋穂はジッと、静かに僕を見つめている。
「やっぱりね……じゃあその後は?」
「え!?」
「その後。その後のことについてどう思う?」
その後?その後って…僕がハブられものになったってことか?
「僕はみんなの嫌われ者になって、先輩達は試合に出られなくなった」
「そうじゃないよ。周りのみんなのこと」
………?みんな?僕をハブいて、それで…
「えっと……」
「おかしいって思わなかったの?だれもあなたと先輩の噂話をしなかったのよ?」
「ええ?!そりゃ僕のことなんて…」
「あの噂好きの連中が?美希のことはあんなに話題にしたのに?」
「だから、僕のことなんて……」
「要君が美希の事で先輩に殴りかかったんなら、余計噂にするでしょう。普通は」
…んん?何が言いたいんだ?
「それだけじゃない。先輩達も何も言わなかった。ただのケンカだったってことで済ませた」
えっと………
「しかも誰も要君が美希の事好きだって知らない。これっておかしいでしょ?」

…おかしいのか?たしかにおかしいような気がする。
「要君が誰にも言わないのは分かるよ。でも先輩達も何も言わなかったよね?」
「だから要君は、ただサッカー部に迷惑をかけた最低なやつって周りに認識されて、
美希はこの件にはなんの関係もない人間って事になった」
「なんでかって?答えは簡単。それが『真実』だからよ」
…えっ?
「良治先輩には美希を弄んだ、なんて噂が立ったのに美希には立たなかった」
「美希には好きな人ができたとか、そんな噂だけ。決してマイナスの噂が立たない」
そ、それはきっと………
「美希が人気者だったから…」
「良治先輩も人気者だったでしょう?美希よりも、ずっとね」
……………………………
「自分にだけ嫌な噂が立って、しかも一方的に振られて、
振った美希の方はまるで悲劇のヒロイン。そりゃイライラするよねぇ?」
そんな…
「でも要君も思い込みが激しいよね〜?先輩に言われたこと、美希本人から聞いたことある?」
それじゃあ僕は……
「まあ美希と付き合えたし、そんなことどうでもよかったのかな?」
………………………
「素直で一途なのは感心だけど、そんなんだからすぐだまされるんだよ。
ま、周りの連中の方がよっぽどバカだとはおもうけどね」
クスクス笑う、秋穂。
いつもは見てて可愛いって思うのに、今はなんだか不快な気持ちになる。
「まあ良治先輩もね。自分はいつも選ぶ側で、周りの人間は選ばれる側だったのに、今度は逆」
「しかも「もういらないから、邪魔」なんて言われて振られたんじゃね〜?」
…えっ!!なんでそこまで!?
「な、なんでそんなこと秋穂が知ってるの?」
「そりゃ、知ってるわよ。私もソコにいたもの」
しれっとした顔でそう言う秋穂。
その表情には、見たこともないような冷たさが漂っている。
男1女2の修羅場……女2…まさか………

「秋穂、君はまさか…!」
「待って」
言いかけた僕を手で制し、チラッと腕時計を見る秋穂。
「今日はこれでおしまい。そろそろ行かないと間に合わないよ?いそごっ!」
そう言うと、ニッコリと、先ほどまでとうって変わって不気味な笑顔を浮かべる。

「ま、待ってくれ!まだ…」
「あっ!そうそう」
秋穂はまたしても急に足を止め、くるっと振り向いた。
「これこれ。忘れてた。渡しておかないとね」
ゴソゴソと鞄をあさり、なにかを探しはじめる秋穂。
やがてなにかを見つけたのか、ゆっくりと鞄の中から手を出し始める。
「はい、これ。要君の知らない美希が写ってるよ」
微笑みながら、僕に向かって茶色い小封筒を差し出す。
「これね。髪のすごく長い小柄な女の人が要君に渡してって。私にも同じのくれたんだけどね」
髪のすごく長い…?まさかMOMOちゃんが?でも、なんで??
「僕の知らない…美希?」
少し震える手で、封筒を受け取る。
なんだろう…すごく嫌な予感がする。
「それじゃ、また後で!先に行くね〜」
「あっ…!」
声をかける間もなく、秋穂は学校へ向かって走っていってしまった。

取り残された僕の頭上に冷たい何かが、ポタリ、ポタリと少しずつ降ってきた。
雨だ。なんでこんなタイミングで降ってくるんだ?これじゃ余計この封筒を開ける気持ちがなくなる。
「なんだ……なにがはいってるんだ?」
僕の知らない美希が写ってるって、秋穂は言っていた。
封筒の形からしても、写真だってわかる。でも……
いや、だめだ。開けてみないことにはやっぱりなんにも始まらない。
小さく決心を固め、震える手先で、ゆっくりと封筒の封を破る。
封筒を少し揺すると、中から何枚かの写真が出てきた。
一枚、一枚、しっかりと中身を確認していく。

…ああ、最近のカメラってこんなに綺麗に撮れるもんなのか
あれ?これってデジカメだよな?いやーほんとに綺麗だ。暗いのによく撮れてる。
でもなんだろう。この二人どこかで見たことあるよなー。
あっ!そうだ。美希と高田だ。ははっこの二人やっぱ絵になるなぁ…

―――ほんと絵になってるよ。まさにドラマのキスシーンそのものだ。

…なんだよこれ。なんなんだよ…なんで……なんでだよ!!!

「なんなんだよ!!これはっ!!!」

――――ちょっとわざとらしすぎたかな。
でもこのくらいのインパクトがあったほうが要君の印象に残りやすいだろう。

スピードを緩め、少しずつ、「走り」を「歩み」に変えていく。
そのまま少し乱れてしまった呼吸を整え、一息つく。
「ふう〜…」
鞄の中から手鏡を取り出し、自分の姿を確認する。
鏡の中に映った女の子は、無表情で私の顔を見つめている。
…これが私か。自分でもびっくりだ。そりゃ要君も驚くよね。
じっくりと鏡を見つめ、指先で少し前髪をとかす。

昨日美容院に行っておいて正解だった。この髪型にするのは久しぶりだ。
コンタクトをしたのも中学の時以来だ。おかげで朝少し手間取ってしまった。
そういえばここまできちんとメイクをすることも、久しくなかった気がする。
制服だって、こんなにはだけた感じで着るのは本当に久々だ。

立ち止まったままの私の横を、多くの生徒達が通り過ぎていく。
皆振り返り、私の顔を覗くような動作をしてきた。
……人間なんてこんなものだ。変わろうと思えばすぐにでも変われる。
たとえ地味で目立たない生徒でも少し勇気を持って外面を変えればすぐ注目の的になる。
私にはそれがよく分かる。周りの評価ばかり気にしていた私には……
…美希、あんたにもそれはよく分かってるよね?
私達はお互い金メッキなのよ。
違うのはそれが性格からくるものか、それとも計算からくるものなのか、それだけ。
メッキはいつか剥がれるの。必ず、剥がれる…

とにかく、これで準備は整った。
昨日の鳩山君の様子を見ると、多分今日あたり緑川が高田君に告白する。
当然、高田君は断る。問題はそこからだ。
緑川が私の思ったとおりの人間だとしたら、私の話とあの写真を見た後ならたぶん……

ポタリ、ポタリと水滴が頭上から降ってきた。雨だ。
天気予報を見る限り夕方から大雨になるはずだ。置き傘もあるし、帰りは平気だと思うけど。
でも要君は平気かな。いや、今日は学校に来ないかもしれない。
あそこまでいっぺんに色々あったんじゃこの時期の学校になんて行く気にならないだろう。
――でも、私は学校へ行かなくては。
鞄に手鏡をしまい、学校へ向けて、再び一歩を踏み出す。

これから先の、未来への一歩を。

7

…なんだって?
「えっ?今なんて……」
「そろそろ『終わり』だから。要君にも知っておいてもらいたいの」
ゆっくりと、こちらを向く秋穂。
その顔には今までの秋穂と同じ、静かで穏やかな表情が浮かんでいた。
見慣れてるはずの表情なのに、なんだか今日はすごく恐ろしい表情に見える。
「あ、秋穂……」
そんな僕の感情など無視するかのように、秋穂は語り始める。
「その前に、ひとつ聞きたいんだけど、要君、なんであの事件をおこしたの?」
あの事件…?ああ、あれか……
「あ、あれは先輩が……美希のことを…」
そうだ、だから僕は……
秋穂はジッと、静かに僕を見つめている。
「やっぱりね……じゃあその後は?」
「え!?」
「その後。その後のことについてどう思う?」
その後?その後って…僕がハブられものになったってことか?
「僕はみんなの嫌われ者になって、先輩達は試合に出られなくなった」
「そうじゃないよ。周りのみんなのこと」
………?みんな?僕をハブいて、それで…
「えっと……」
「おかしいって思わなかったの?だれもあなたと先輩の噂話をしなかったのよ?」
「ええ?!そりゃ僕のことなんて…」
「あの噂好きの連中が?美希のことはあんなに話題にしたのに?」
「だから、僕のことなんて……」
「要君が美希の事で先輩に殴りかかったんなら、余計噂にするでしょう。普通は」
…んん?何が言いたいんだ?
「それだけじゃない。先輩達も何も言わなかった。ただのケンカだったってことで済ませた」
えっと………
「しかも誰も要君が美希の事好きだって知らない。これっておかしいでしょ?」

…おかしいのか?たしかにおかしいような気がする。
「要君が誰にも言わないのは分かるよ。でも先輩達も何も言わなかったよね?」
「だから要君は、ただサッカー部に迷惑をかけた最低なやつって周りに認識されて、
美希はこの件にはなんの関係もない人間って事になった」
「なんでかって?答えは簡単。それが『真実』だからよ」
…えっ?
「良治先輩には美希を弄んだ、なんて噂が立ったのに美希には立たなかった」
「美希には好きな人ができたとか、そんな噂だけ。決してマイナスの噂が立たない」
そ、それはきっと………
「美希が人気者だったから…」
「良治先輩も人気者だったでしょう?美希よりも、ずっとね」
……………………………
「自分にだけ嫌な噂が立って、しかも一方的に振られて、
振った美希の方はまるで悲劇のヒロイン。そりゃイライラするよねぇ?」
そんな…
「でも要君も思い込みが激しいよね〜?先輩に言われたこと、美希本人から聞いたことある?」
それじゃあ僕は……
「まあ美希と付き合えたし、そんなことどうでもよかったのかな?」
………………………
「素直で一途なのは感心だけど、そんなんだからすぐだまされるんだよ。
ま、周りの連中の方がよっぽどバカだとはおもうけどね」
クスクス笑う、秋穂。
いつもは見てて可愛いって思うのに、今はなんだか不快な気持ちになる。
「まあ良治先輩もね。自分はいつも選ぶ側で、周りの人間は選ばれる側だったのに、今度は逆」
「しかも「もういらないから、邪魔」なんて言われて振られたんじゃね〜?」
…えっ!!なんでそこまで!?
「な、なんでそんなこと秋穂が知ってるの?」
「そりゃ、知ってるわよ。私もソコにいたもの」
しれっとした顔でそう言う秋穂。
その表情には、見たこともないような冷たさが漂っている。
男1女2の修羅場……女2…まさか………

「秋穂、君はまさか…!」
「待って」
言いかけた僕を手で制し、チラッと腕時計を見る秋穂。
「今日はこれでおしまい。そろそろ行かないと間に合わないよ?いそごっ!」
そう言うと、ニッコリと、先ほどまでとうって変わって不気味な笑顔を浮かべる。

「ま、待ってくれ!まだ…」
「あっ!そうそう」
秋穂はまたしても急に足を止め、くるっと振り向いた。
「これこれ。忘れてた。渡しておかないとね」
ゴソゴソと鞄をあさり、なにかを探しはじめる秋穂。
やがてなにかを見つけたのか、ゆっくりと鞄の中から手を出し始める。
「はい、これ。要君の知らない美希が写ってるよ」
微笑みながら、僕に向かって茶色い小封筒を差し出す。
「これね。髪のすごく長い小柄な女の人が要君に渡してって。私にも同じのくれたんだけどね」
髪のすごく長い…?まさかMOMOちゃんが?でも、なんで??
「僕の知らない…美希?」
少し震える手で、封筒を受け取る。
なんだろう…すごく嫌な予感がする。
「それじゃ、また後で!先に行くね〜」
「あっ…!」
声をかける間もなく、秋穂は学校へ向かって走っていってしまった。

取り残された僕の頭上に冷たい何かが、ポタリ、ポタリと少しずつ降ってきた。
雨だ。なんでこんなタイミングで降ってくるんだ?これじゃ余計この封筒を開ける気持ちがなくなる。
「なんだ……なにがはいってるんだ?」
僕の知らない美希が写ってるって、秋穂は言っていた。
封筒の形からしても、写真だってわかる。でも……
いや、だめだ。開けてみないことにはやっぱりなんにも始まらない。
小さく決心を固め、震える手先で、ゆっくりと封筒の封を破る。
封筒を少し揺すると、中から何枚かの写真が出てきた。
一枚、一枚、しっかりと中身を確認していく。

…ああ、最近のカメラってこんなに綺麗に撮れるもんなのか
あれ?これってデジカメだよな?いやーほんとに綺麗だ。暗いのによく撮れてる。
でもなんだろう。この二人どこかで見たことあるよなー。
あっ!そうだ。美希と高田だ。ははっこの二人やっぱ絵になるなぁ…

―――ほんと絵になってるよ。まさにドラマのキスシーンそのものだ。

…なんだよこれ。なんなんだよ…なんで……なんでだよ!!!

「なんなんだよ!!これはっ!!!」

――――ちょっとわざとらしすぎたかな。
でもこのくらいのインパクトがあったほうが要君の印象に残りやすいだろう。

スピードを緩め、少しずつ、「走り」を「歩み」に変えていく。
そのまま少し乱れてしまった呼吸を整え、一息つく。
「ふう〜…」
鞄の中から手鏡を取り出し、自分の姿を確認する。
鏡の中に映った女の子は、無表情で私の顔を見つめている。
…これが私か。自分でもびっくりだ。そりゃ要君も驚くよね。
じっくりと鏡を見つめ、指先で少し前髪をとかす。

昨日美容院に行っておいて正解だった。この髪型にするのは久しぶりだ。
コンタクトをしたのも中学の時以来だ。おかげで朝少し手間取ってしまった。
そういえばここまできちんとメイクをすることも、久しくなかった気がする。
制服だって、こんなにはだけた感じで着るのは本当に久々だ。

立ち止まったままの私の横を、多くの生徒達が通り過ぎていく。
皆振り返り、私の顔を覗くような動作をしてきた。
……人間なんてこんなものだ。変わろうと思えばすぐにでも変われる。
たとえ地味で目立たない生徒でも少し勇気を持って外面を変えればすぐ注目の的になる。
私にはそれがよく分かる。周りの評価ばかり気にしていた私には……
…美希、あんたにもそれはよく分かってるよね?
私達はお互い金メッキなのよ。
違うのはそれが性格からくるものか、それとも計算からくるものなのか、それだけ。
メッキはいつか剥がれるの。必ず、剥がれる…

とにかく、これで準備は整った。
昨日の鳩山君の様子を見ると、多分今日あたり緑川が高田君に告白する。
当然、高田君は断る。問題はそこからだ。
緑川が私の思ったとおりの人間だとしたら、私の話とあの写真を見た後ならたぶん……

ポタリ、ポタリと水滴が頭上から降ってきた。雨だ。
天気予報を見る限り夕方から大雨になるはずだ。置き傘もあるし、帰りは平気だと思うけど。
でも要君は平気かな。いや、今日は学校に来ないかもしれない。
あそこまでいっぺんに色々あったんじゃこの時期の学校になんて行く気にならないだろう。
――でも、私は学校へ行かなくては。
鞄に手鏡をしまい、学校へ向けて、再び一歩を踏み出す。

これから先の、未来への一歩を。

8

窓の外を覗くと、大勢の生徒達が大急ぎで校舎に入ってくるのが見えた。
今日は早めにきておいてよかった。
予報じゃ夕方から大雨になるって話だったのに、この時間から雨は降り出している。
時計の針は8時10分を回ったばかりだというのに。ま、あんまり予報なんてあてにならないか。
「美希ぃ〜ここ教えて〜」
「…はいはい」
めんどくさいなぁ。もう。

昨日の鳩山君の話が本当かどうか、私はすぐ美穂に確認をとった。
美穂は、何も言わなかった。
ただ、相変わらずその表情には何か強い意志が宿っているように見えた。
高田君が関係しているのは間違いないと思う。でも……
「でも、美穂どうしたのかな?やっぱ学校来づらいのかな?」
心配そうな表情をしながら参考書を読み込む涼子。
「うん……そうだね」
鳩山君があれだけ落ち込むって事は突然の宣言だったんだろう。
当然涼子も何も知らなかったようで、夜電話で確認を取ったときにはひどい驚き様だった。
「直純も全然元気ないし……あ、美希!ここも教えて!」
「どれどれ…」
今日の朝、美穂は駅に来なかった。
電話も繋がらない。でも涼子のところには遅れて行くってメールが来たらしい。
仕方ない。学校には来るらしいし、休み時間にでも様子を見に行こう。

涼子に勉強を教えながら、朝のホームルームが始まるのを待つ。
時計の針が20分を回る頃には、まだ着ていなかったクラスメイト達が教室になだれ込んできた。

…そういえば、今日はまだ要が来ていない。
いつもは秋穂達と一緒にもっと早くから教室で勉強しているはずなのに。
要にも何かあったのかな……後でメールしておこう。

続々とクラスメイト達が教室に入ってくる。
そして最後の一人が入ってきたとき、急に教室中がざわめいた。

「誰あれ??」
「美人〜!あれって庄田さん?」
「うっそ!マジかよ!」
ザワザワと教室中が騒がしくなっていく。
その大元であるはずの美少女は、周りの声など気にしないかのように静かに席に着く。
私と涼子達も周りの声につられて、ノートに走らせていたペンを落としてしまった。
「うそ…あれ、庄田?」
「……………………」
…そうだ間違いない。秋穂だ。
しかもあれは私がよく知っている昔の秋穂だ。
元気で明るくて、自信に満ちていて。
私が羨ましくて仕方がなかった女の子の姿そのものだ。
それが再び、目の前にあわられた。
「ね、ねえ美希。あれって……」
「………………」
なんで…どうして今頃……
「ねえってば!美希!」
「………………」
周りのざわめきも、涼子の声も次第に聞き取れなくなっていく。
教室に入ってきたはず担任の叱責の声も、全く聞き取れない。

そんな…また戻ってきたの?なんで?どうして……
過去が私に絡み付いてくる。
「あの秋穂」が戻ってきたんだ……

結局、要は学校に来なかった。メールの返信も全然ない。
どうしてだろう……でも、今は他にも気になることが多すぎる。

うちのクラスは朝から秋穂の話題で持ちきりになった。
もう何人かのクラスメイト達は秋穂の席を囲み始めている。
現金な連中だ。ついこの前まで見向きもしなかったくせに。
…まあ、それはよくわかる。私の時もそうだったから。
それより問題は、なんでこの時期に秋穂がまたこんなに変わったのかだ。
あの夜、秋穂が要の家に行った理由は大体予想がついている。
全部話すつもりだったんだろう。私と秋穂の事。
それだけじゃない。多分その後要を……
…でも要は断っただろうし、「あの話」を聞いても多分信じない。
だからか…?こうやって揺さぶりをかけるつもりなのか?昔の私の再現をして…
でもその肝心の要は学校を休んだし…。
……ちがう!そうだ!要と秋穂は一緒に登校してるんだ!
きっと要と朝なにかあったんだ!だから要は学校にこない!
くそっ!秋穂め!なにしたんだ!私の要に!
どうしよう。携帯も繋がらないし、放課後、家に行ってみるしか…!
「……き、美希!美希ってば!」
「…えっ!」
考え込んでいた私の肩を、涼子が揺さぶってきた。
はっとなって俯いていた顔をあげる。
涼子はとても心配した表情で、私の顔を覗き込んでいる。
「美希、だいじょぶ?……やっぱ庄田のこと?」
「……う、うん」
「やっぱり…。…こんなときに悪いんだけどさ、美穂が話があるって…」
チラッとドアの方を見る涼子。
ザワつく教室の外で、小柄な三つ編みの女の子がポツンっと立っていた。
「あっ…美穂」
席から立ち上がり、教室の外へ向かう。なんだか足が重い…。
美穂は私よりだいぶ背の低いのでこうやって向かい合うと少し見下ろす形になってしまう。
「えっと……あの、美穂?」
「…中庭に行こう。美希ちゃん。そこで話したいこと、あるから…」
そう言うと、美穂は私と目を合わせることもなく、中庭に向かっていってしまう。
「美穂!」
心配そうに私達を見守る涼子を尻目に、私も美穂の後を追いかけることになった。

「…………」
「美穂…」
中庭の入り口で再び私達は相対した。美穂の顔は俯いていてよく見えない。
冬の冷たい風と雨が、私達に吹き付けてくる。
ここは入り口だから屋根があるけど、雨は少しずつ、私達を濡らしていく。
長い沈黙の時間が流れる。
「…………」
「…………」
「…さっきね」
「…うん」
ようやく口を開き始めた美穂が、ゆっくりと顔を上げる。
その顔は、涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「高田君に好きだって、告白したの。そしたら……」
嗚咽を上げながら、なんとか言葉を紡いでいく美穂。
なんだか痛々しい。止めさせたい。でも…
「うん……」
「そしたら……好きな人がいるからって。だからダメだって」
「…………」
「…それって、美希ちゃんのことだよね?」
「…………」
「…うん、分かってた。知ってたよ。…付き合ってるんだもんね。二人とも」
「……えっ?」
「でも、どうしてもあきらめられなくて…ごめんね」
えっ!?ええ!!なんでそうなるの???
「美穂!それは…」
「全部知ってるの!!!」
「………っ!!」
うるさく叩きつける雨音さえかき消すような叫び声が、中庭に響いた。
美穂のこんな声、聞いたことない。
「知ってるの…あの日、二人で学校休んでなにしてたのか、全部…」
消えいくような、か細い声で美穂が言う。
「二人でキスしてたのも、知ってる…」

…え?
「な、なんで知って……っ!」
しまった!
慌てて口を両手でふさぐ。でも、もう遅い。
「やっぱり…!」
美穂が恨めしそうな眼で私を睨む。
やめて美穂、そんな眼で見ないで……
あなたにだけはそんな眼で見て欲しくない…!
「隠してたんだね。ずっと…」
「ち、ちがうの!私は…!!」
私には、要が!!
「知ってるよ。山下君、だっけ?その人のことも知ってる!」
……え!?なんで…要の事まで??
困惑した表情の私に向かって、美穂は薄く微笑みかけてきた。
どこかで見た表情…。そうだ、秋穂の表情にそっくりだ。
「でもちがうよね?本当は高田君が好きなんだよね?山下君ってみんなから嫌われてるもんね?」
美穂の目尻から、ポロポロと涙があふれてくる。
「美希ちゃんそんな人じゃないよね?私知ってるよ。優しい人だもん」
一歩一歩、美穂が私に近づいてくる。
「私なんかにすごく優しくしてくれた…だから信じてる。信じてるから」
違う。違うの美穂。私は…私は!!
「高田君のこと、よろしくね。美希ちゃん……」
涙をぬぐい、私の横を走りぬける美穂。
その瞬間、私の耳元で一言、つぶやいた。
「裏切ったら、許さない…!!」

 

なんで…こうなるんだろう。私のせいか。全部。
昔の秋穂が戻ってきて、今またここで、昔の秋穂を見た。
私は、どうすればいいんだろう…………

――――教室中がやかましい。全く現金な連中だ。
私の周りは、手のひらを返したように私に群がるバカな男達であふれてしまった。
やれやれ。相手をするのも疲れる。それにこれじゃあ由梨絵や飯田君達と話せない。
「おい!お前らいい加減にしろ!もうすぐ卒業だぞ!席つけコラ!」
担任の大声によって、ようやくバカ共が散っていった。
この担任は特に私に言及してこなかったな。成績がよければなにしてもいいってことか。
「よーし帰りのホームルーム始めるぞ〜」

結局、要君は学校を休んだ。まあそうだよね。
美希は緑川に呼ばれて話をされたのかさっきから落ち込んだままだ。
懸命に村田や戸田が話しかけてるけど、全然反応がないみたい。
……ざまあみろ。ふふっ。
高田君はどうだろう。今日は特になにもしていなかったが。
チッ!さっさと動いてよね。もうちょっとなんだから。

「よ〜し。今日はこれで…ん?そういや鳩山はどうした?」
担任が今更のようにクラス中に問いかける。
そういえばさっきいなくなってたな。…まあ予想はつくけどさ。
「まーったく。あいつは…」
その時、担任の呆れ声に答えるかのように、ガラッと教室のドアが開いた。
クラス中の視線がドアから入ってきた鳩山君に集まる。
「おい、鳩山!おまえどこいって…」
「……高田。どういうことだよ」
鳩山君は担任の声を無視し、そのまま高田君の席へ一直線に向かう
「コラ!鳩山!」
「…………」
高田君の席の前で、無言で高田君を睨みつける鳩山君。
高田君も、黙ってジッと鳩山君を見つめている。
「お前、美穂に告られたんだろ?」
「……………」
「なんで断った?」
「………………」
「おいこら!鳩山!」
「なんで断ったかって聞いてんだよ!!」

そのまま、高田君の襟元をつかみあげる鳩山君。
「きゃああ!!」
「おい!やめろって直純!」
「ちょっと!直純!」
「やめろ!鳩山!」
ザワザワと、教室中が一気にうるさくなる。
担任もなにがおこったのか理解し切れていないようだ。
「なんとか言えよ!おい!」
そんな鳩山君の激昂にも高田君はなんの反応もしめさない。
そのまま顔を動かし、私の方へ視線を向ける。
…そう、それでいいわ。さあ言いなさい。
「………俺さ」
「ああ!?」
「好きな人いるから」
「…!?だれだよ!」
「………………」
高田君は無表情で鳩山君を見つめ返し、ゆっくりと口を開く。

「三浦さん。三浦美希さん。俺、三浦さんのことが好きなんだ」

 

 

………ふふふ。あははははははは!!!!!
さあさあ、美希どうするの?教室中に知れちゃったわよ?
こんな事明日要君が知ったらどう思うかしら?
いや…関係ないか。もうあの写真見た時点で要君がなにするかってくらいわかる。
そうなればあとは要君を……ふふふふ。
とうとう手に入るわ。ずっと欲しかったもの。

「山下要」が。

9

携帯の液晶が点滅してる。メールだ。でも、確認する気が起きない。
まだ頭の中が混乱している。もうどうすればいいのかわからない。
昨日はあのまま学校から帰ってきてしまった。あんな状態で学校へなんて行けない。
もうぐちゃぐちゃだ。なにがなんだかわからない…わからないよ、美希。

コンコンっと部屋の扉をノックする音が聞こえる。
…だめだ。布団から顔を出すのも、返事をするのもめんどうだ。
「ちょっと要!学校いきなさい!遅刻するわよ!」
扉の向こうから姉さんのくぐもった声が聞こえる。
なんでこういうときに家に帰ってきてるんだよ。さっさと行ってくれ。
「……もう!私もう出るから、ちゃんと戸締りしていくのよ!わかった!?」
「…………うん。わかった。いってらっしゃい」
「…ったく!行ってきます!」
乱暴な音を響かせながら姉さんが階段を下りていく。
そのまま玄関のドアを開け、家を出て行ったようだ。
「……はぁ、もう!」
ガバッと布団をめくり上げ、勢いを持ってベッドから降りる。
もうしょうがない。こうなったら学校へ行って、秋穂から話を聞いてやる!

 

―――今日もまだ雨が降ってる。というより昨日より激しくなってる。
雨のせいなのか電車の中はいつもよりギュウギュウ詰めの状態になっていた。
今の気分であの電車は正直、めちゃくちゃきつかった。まだ気分がイラついてる。
ようやく降りた駅前もこの人ごみだ。ふざけてるにもほどがある。
「くそっ!人多すぎるんだよ、ここは!」
睨みつけるように、周囲の人間を見回す。
みんな僕と眼が合うとすぐに目をそらしてしまう。なんなんだよまったく!
「か〜なめ君!」
「あっ!?」
癇に障るほど元気な声に振り向くと、秋穂がニコニコ笑いながら立っていた。
「どしたの〜?イライラしてるね?昨日休んじゃったし、だいじょぶ?」
「……だれのせいだと思ってるんだよ」
ニコニコしていた秋穂の眼が、とたんに鋭くなる。
「自分のせいでしょ」
「…………っ!」
「…まあいいや。いこいこ!」
昨日のような不気味な笑顔を浮かべて、秋穂が歩き出す。
「…ああ」
くそっ。しょうがない。登校中に聞いてみるしかないか。

傘を差し、二人で並んで通学路を歩いていく。
何でかしらないけど、さっきから周りの人達が僕達を見つめてきている気がする。
今の気分でこういうことされるとさらにイラつく。見世物じゃないんだぞ全く!
「なんか皆やたらと僕らのこと見てない?」
「…ん〜なんでかな?なんでだとおもう?」
秋穂は少し微笑みながら僕を見上げてきた。
こっちが質問してるのに………なるほど、そういうことか。
「秋穂か」
この周りのやつらは秋穂を見ているのだ。
たしかに秋穂はすごく変わった。綺麗になった。
前までは秋穂と僕が歩いてても見向きもしなかったくせに……
そんなんだから噂に踊らされるんだよ。バカばっかりだ。
…いや、ほんとのバカは、僕だな。
「ねえ……教えてほしいんだ、昨日の続き」
「…………まだ、だめ」
くるくる傘の取っ手を回しながらそっぽを向く秋穂。
「なんで?昨日は話してくれたじゃないか」
「だから、まだだめなの。学校着いたら教えてあげるよ」
……だったら別に今でもいいじゃないか。
仕方ない。こうなったら、一番気になることだけでも聞いておかなくちゃ。
一番聞きたくないことでも、あるけれど。
「じゃあひとつだけ。ひとつだけ教えて欲しいんだ」
「……なに?」
たのむ。ウソだって言ってくれ。
「あの写真。アレって本物?」
「……………………」
秋穂は少し考え込むような仕草をしていたが、
やがて僕のほうへ顔を向けると、飛び切りの笑顔で微笑んだ。
「もちろん。本物だよ!」

……ああ、やっぱりか。ちくしょう。

「おはよー秋穂、山下君」
「ちーっす。庄田さん。おい!山下!昨日なんで休んだんだよ!」
教室に入った僕らを、いつもの二人が出迎える。
「おはよー。由梨絵、飯田君」
「…ああ、おはよう」
今日は飯田と氷川さんだけじゃない。
教室に入ったとき、多くのクラスメイトが僕達に注目してきた。
いや、違うか。「僕達」じゃない。秋穂に注目してたんだ。
「お、おはよう。庄田さん」
「よ、よう。庄田」
秋穂と話をしていた所を一度も見たことのないようなやつらが、僕達の周りに集まってきた。
そのまま僕と飯田達を押しのけ、秋穂に群がる。
…なんだよ、こいつら。
「イテッ!んだよ全く〜昨日からいきなりこれだもんなぁ」
「仕方ないよ。秋穂は元々かわいい娘だったから」
「…ま、そうだよな。こうなっちゃうのもしょうがないか」
顔を見合わせ、苦笑しながら席に着く飯田と氷川さん。
僕もフラフラと二人についていき、椅子に座る。
「つーかさぁお前マジ昨日どうしたんだよ?大変だったんだぜ?」
「そうそう!秋穂の事もあったけど、放課後もっと大変なことがあったの!」
氷川さんが興奮したように身を乗り出す。
「………………」
はっきりいって興味がない。今の僕の状況に比べればどうせたいしたことじゃないんだろう。
誰かが死んだとかなら家の電話が鳴るはずだし、第一、そんな様子じゃない。
…まあくだらないことだろうけど、一応聞いておくか。
「……なに?何があったの?」
氷川さんが手を口に添え、含み笑いを浮かべる
「ふっふっふ……実はねぇ高田君と三浦さんが……」
…なに?美希と高田?
「まあ高田がなんとなく三浦さんの事気にしてんのは知ってたけどな〜」
飯田がニヤニヤと笑う。……なんだ?
「実はあの二人ねぇ……」
「山下、実はな、あの二人…」
二人の声が揃う。
……………??なんだ?なんなんだよ?

「「付き合ってたんだよ、三浦さんと高田君」」

「………は?」

…は?なんだって?なんだよ、どういうことだよ?
「まあ正確にはまだわかんねえんだけどな」
「でも三浦さん否定しなかったよね〜」
え?どうなってんだ……?
「昨日の放課後ね〜、高田君が……」
「…おっ!噂をすれば!」
「…え!?あっ!ほんとだ!」
飯田と氷川さんが同時にドアに視線を向ける。
開きっ放しのドアから、ゾロゾロと多くの男女が教室に入ってきた。
その中にはひときわ目立つモデルのような男と、見知った可愛らしい顔をした女の子がいた。
美希と高田だ。二人とも村田さんや山田達に混じって、楽しそうに話をしている。
…なんで?なんであんな仲良さそうにくっついてんだよ!?
「やっぱ絵になるよなーあの二人」
「だねー。美男美女って感じ?あれじゃ納得するしかないよねー」
「………………」
美希と高田は僕達には目もくれず、村田さん達と席に着く。
そのまま寄り添いながら、一緒に参考書を開き始める。
なんだ、あれ?どういうことだ??なにが、どうなってんだ?
「…はぁ。まあ俺らには関係ないな。あいつらで勝手に幸せになってくれっ感じだ」
「そうだね。私達は私達でがんばらないとね!」
目を合わせ、互いに微笑みながらノートを開く氷川さんと飯田。
この二人もいつのまにこんなに仲良くなったんだ。大体飯田は高田に嫉妬しまくってたのに。
…なんだよ。わけわかんないよ。この二人も、秋穂も、高田も、美希も。
多くの人間に囲まれる秋穂。二人で楽しそうに勉強し始める氷川さんと飯田。
まるで本物の恋人のように振舞う、高田と美希……

なんだよ……なんなんだよ!!

「え〜。であるからして、この時代の背景には…」
教壇の上で、老教師がもう僕らには必要のない知識を無駄に語り続けている。

くそったれ。よく見ろ!だれも聞いてないだろ!こんなことなら自習させろ!
…いや、そんなことよりさっさと終わらせろ!やらなきゃいけないことがあるんだよ!

指先で机を叩きながら、時が過ぎるのをひたすら待つ。
教室の時計の針は、もうすぐ12時を回るところだった。
「え〜でありまして…おや?もうこんな時間ですか。では今日はここまで」
教師の声を待っていたかのように、授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「きり〜つ。礼〜」
クラス委員が立ち上がり、号令をかける。
号令が終わると、クラスメイト達が一斉に各グループに別れ始める。
ザワザワと教室中が騒がしくなっていく。
昼休みの、始まりだ。
「山下〜飯いこ…」
「悪い。今日は無理だ」
昼の誘いをしてきた飯田を押しのけ、高田の下へ足を向ける。
高田は美希や村田さん達とともに教室を出ようとしていた。
村田さんの楽しそうな笑い声が聞こえる。
「今日どうする〜?雨降ってるし、教室にしよっか?」
「学食でもいいんじゃない?ねえ美希?」
「えっ…う、うん。いいね!たまには」
乾いたような笑顔を浮かべる美希。
なんだよ、その表情。
机の群れをかき分けながら、久しく話をしていなかった背中に向けて、声をかける。
「高田!」
「んっ?………なんだ、要か」
高田は背中越しに振り向き、冷たい眼で僕を見つめてきた。
美希も僕に気づいたのか、目を丸くして固まっている。
周りにいた戸田さん達も僕に気づき、顔を向ける。
「なに…こいつ?」
「なによ、なんか用?山下」
戸田さんと村田さんが軽蔑と侮蔑のまじった眼で睨みつけてくる。
もう慣れた目つきだ。どうでもいい。
「高田に話がある。どいてくれ」
「はぁ!?急になんなのよあんた!意味わかんな…」
「ああ、いいよ。俺も要に用があるから」
つっかかりかけた村田さんを手で押し止め、うなずく高田。
「……ついてこい」
高田に背を向け、教室を出る。
村田さんがまだ僕に向かって何か言っている。知ったことじゃないけど。
「かな…山下、君……」
小さく、つぶやくように、美希が声をかけてきた。

…でもまずは高田からだ。あの写真のこと、この状況のこと。
どんなことをしてでも聞いてやる…!!

10

屋上へと続く階段の踊り場。
雨空の下、ここは学校の中でもひときわ暗い場所だ。
いつもは屋上で昼を取るために、ここは多くの学生で賑わう。
でもこの天気でこんなとこにきているやつは一人もいないようだ。
近いのか、遠いのか。微妙な距離を取りながら、僕と高田はここで相対した。
「ここなら、だいじょぶだな」
「……………………」
高田は先ほどからずっとこの調子だ。
僕と目を合わせることもなく、すました顔で屋上へのドアを見つめている。
ばかにしてるのか。くそっ。
「どうなってんだよ。三浦さんとなにがあったんだ」
「……………………」
「なんとか言えよ!」
高田の視線がドアから離れ、ゆっくり僕のほうへと向かってくる。
「……別に要には関係ないだろ?三浦さんとなんの関係もないんだし」
「え?…あっ!!!」
しまった。そうだった。高田は僕らのこと知らないんだ。
なにやってるんだ僕は!あの写真で頭に血が上りすぎたんだ。
先に美希を問いただすのが普通だろ!僕のバカ!
「あっ、いや、……ははは。そ、そうだよな。な、何言ってんだろうな僕、あはは」
無理やり笑顔を作り、頭をかく。
頭の中が真っ白だ。どうしよう。
そんな僕を見て高田は、さも呆れたかのようにため息をついた。
「はぁ、バカだな要は。全部知ってるよ。じゃなきゃこんな誘い乗るわけないだろ」
頭をかく手が、止まる。無理やり作った笑顔が引き攣る。
血の気が徐々に引いていく。胸の鼓動が、激しくなっている。
「あ、あの…い、いつから?いつから知ってたんだ?」
「そんなことどうでもいいだろ。安心しなよ。誰にも言ってないから」
再び高田の視線がドアへと向く。それきり、また黙り込む。
「……そっか」
僕も思わず眼を逸らしてしまった。
全部ばれてたのか。そうか。
……でも、だったら知っててあんなことしたんだな。
そう理解した途端、沈静しかけていた怒りが再び湧き上がってくる。

「だったら……だったら余計聞かなくっちゃな」
「………………」
逸らしていた眼を、再び高田に向ける。
高田もまた、視線を僕に戻す。
二人の視線が交錯する。
「どういうことなんだよ。二人で学校休んでなにやってたんだ!」
開いていた両の手のひらが少しずつ握られていく。
「美希になにしたんだ!?今の状況はいったいなんなんだよ!」
左足を一歩、高田に向けて踏み出す。
「……………………」
高田は何も言わず、ただ黙って僕を見つめる。
「言え。早く言えよ!」
「………………」
「おい!」
「…………はぁ」
高田が再びため息をつく。
今度こそ、本当に呆れている感じだ。
「自分のことは棚に上げて、よくそんな事言えるよな」
茶色がかった前髪をかきあげながら、鋭く僕を睨む。
「お前だって、約束やぶって庄田さんと仲良くしてるじゃないか」
「なに!?」
約束まで知ってるのかよ。誰が教えたんだ?美希か?
「…まあいいや。教えてやるよ」
両手をズボンのポケットに入れ、俯く高田。
やがてゆっくり顔を上げ始め、再び冷たい眼で僕を睨みながら、口を開く。
「デートしたよ。いろんなとこへ行って、ふたりで遊んだ」
「……なんだと?」
「そのあとさ……」
天井を見上げながら、高田が続けた。

「キスしたよ。二人で。公園でさ」

「……………」
頭が回らない。写真を見たときからこうなる覚悟はしてたはずなのに。
ここがどこなのか。自分が誰なのか。それすら一瞬わからなくなってしまった。
ただ、胸の鼓動が異様に早くなっているのだけは理解できた。
「わかっててやったんだな?」
「ああ」
「僕らが付き合ってること知ってて?」
「…正確には違うけど、まあ似たようなもんだな」
「………そっか」
もう、だめだ。壊れる。なにかが壊れそうになってる。
何十にも張り巡らされた網が、千切れそうになってる。
「おまえは…おまえは……!!」
胸が苦しい。心臓が針に刺されたかのように鋭く痛む。
黒い憎しみと怒りが、僕の心を支配していく。
心が、潰される。
だめだ。

「高田ぁ!!!」

気づけば、僕は高田に向かって駆け出していた。
間合いに入り、左足を強く踏み込む。
拳を握り締め、腰を回し、右腕を振り上げる。
いつもはサンドバックを相手に、時には人間を相手に、何発も打ち込んだパンチ。
でも高田は完全な素人だ。こんなもの食らったらひとたまりもない。
…やめろ、要。だめだ。振りぬくな。
これじゃあの時と同じだ。また同じことが起きる。
理性が僕の身体を止めようとする。でも、感情がそれを許さない。
高田の異様に整った顔に向けて、鍛え上げられた拳が振りぬかれる。
もう止められない、当たる――

……あれ?なんだ?感触がない。
いつもは拳に残る生々しい感触と痛みが今日はない。
変わりに鋭く研ぎ澄まされた別の痛みが、僕の下腹部に走る。
「ぐはぁっ!」
痛みに耐え切れず、その場にうずくまる。
うずくまった僕の目の前に、長い足が残影を残しながら迫ってきた。
やばい。蹴りが来る。
咄嗟に両腕を顔の前で交差させる。
体重の乗った重い衝撃が、僕を襲う。
「うぐっ!」
確かに踏ん張って防御したのに、身体が踊り場の壁に叩きつけられてしまった。
腹部と背中に走る痛みが、僕を再びうずくまらせる。
「げほっ…げほっ……」
簡単に避けられた。かすりもしなかった。そんな……
「ふん…要、お前最近ジム言ってないだろ。あんなんじゃ、俺でも避けられる」
高田の吐き捨てるような声が聞こえる。
だけど痛くて顔を上げることも、反論することもできない。
「なにやってんだよ、お前!ずっと通ってたジムやめて。
三浦さんのためだろ?なのにこれじゃ本末転倒だ!」
…なんだよ。
「三浦さん、デートするの久しぶりだって言ってた。お前の約束のせいであんな思いさせてんだぞ!」
仕方ないだろ。あれは美希を守るために……いや、でもその原因は僕か。
しかもそれが美希に仕組まれたものだったなんて…なんてこった。
「おまけにその約束も自分から破って。お前なんなんだよ!」
…うるさい。お前に何が分かるんだよ。
しょうがないだろ、ああしなきゃ秋穂が皆にバラしてたんだ。仕方なかったんだ。
「お前、色々自分に言い訳してるみたいだけど、ほんとは庄田さんと仲良くしたかっただけだろ」
「夜は三浦さんとセックスして、昼は庄田さんと恋人気取りか。いいご身分だよな」
なんだよ、なんなんだよ……!!
全部僕のせいかよ。僕が全部悪いのかよ!!
「三浦さんがどんな気持ちでいたかなんて考えもしなかったんだろ」
考えてたさ。だからこそだったのに。
ずっと、美希のこと考えてたのに……なんで。

「三浦さんは昨日俺が告白しても何にも言わなかった。…お前はどうなんだよ」
告白…そうか、今日のあれはそういうことか。
でも、僕?僕がなんだよ?
「庄田さんのこと、好きなんだろ?分かってんだよ」
……?僕が、秋穂を?何言ってんだこいつ。
徐々に痛みが引いてきた。今なら顔を上げるくらいはできる。
這い蹲りながらなんとか高田を見上げ、ありったけの敵意をこめて睨みつける。
高田も、僕を冷たく見下ろしてきていた。
「ふざ…けんな!ゴホッゴホッ……人の気持ちを勝手に測りやがって…!」
「だったらもう庄田さんと話すな。口も利くな。目もあわせるな。それぐらいできるよな?」
強い怒気のはらんだ眼で、僕を睨む高田。
ふざけんな。できたらやってるよ。何も知らない癖して偉そうな事言うな!
僕だって好きで秋穂と…好きで、秋穂と……
…ほんとにそうなのか?ほんとにそう言えるのか?今、無理やり秋穂との関係を絶てるか?
………無理だ。今の僕には、無理だ。秋穂は大事な友達で、美希とも深い関係があるんだ。
そうだ。大事な友達。大事な…友、達。それだけの……はず、だ。
「……………………」
「やっぱりな」
言葉が出ない。何か言い返さなきゃ。
頭の中にいくつも言葉は浮かんでるのに、それが出てこない。
秋穂は、秋穂は……僕の………………

「要!高田君!」

睨み合っていた僕らの視線が、ほぼ同時に階段下に移る。
息を切らせながら、綺麗なセミロングの女の子が階段を上ってこようとしていた。
「三浦さん…」
「…美希」
美希は困惑した表情でしばらく僕と高田を交互に見つめていた。
やがて僕の状態に気がついたのか、すごいスピードで階段を駆け上がってきた。
「ひどいよ、高田君!なんでここまでするのよ!」
うずくまった僕を抱きしめながら、美希が叫ぶ。
「こんなの…こんなのって、ないよ。ひどいよ……」

美希の透き通った綺麗な瞳が、潤んでいく。
「要、だいじょぶ…?」
そっと、僕の頬に細い指を添える美希。
その瞬間、頭の中にあの写真の光景がフラッシュバックしてきた。
「やめてくれ!!」
「きゃっ!」
気づいたときにはもう美希を突き飛ばしていた。
美希は呆然としながら、尻餅をつき、僕を見つめている。
なにしてるんだ。僕は。なにを……
美希と眼を合わせることができない。
今、眼が合ったらとんでもないことを口にしてしまうような気がする。
「……ほっといてくれ」
そう言うのが精一杯だった。これ以上はもう何も言えない。
「要……」
「…いいよ。三浦さん。行こう。要、俺の言った事、よく考えるんだな」
黙って僕らの様子を見ていた高田が、僕に背を向けて階段を下り始める。
美希はまだ僕に触れようとしていたが、僕の様子を見ると、
あきらめたように肩を落とし、立ち上がった。
「後で絶対連絡するから。絶対、絶対するから!」
そう言いながら、何度も僕のほうを振り返り、高田と階段を下りていく。

うずくまった僕一人だけが、この暗い踊り場に残された。
下の階からは、大勢の学生達の楽しそうな話し声が聞こえる。
きっとみんなお昼を楽しんでいるんだろう。友達と一緒に。恋人、と一緒に。
そういえば、お腹がすいたな。
最近夜会ってないから、美希の弁当食べられないんだよな。
美希の料理は味濃いから、結構お昼には丁度いいんだけどな。はははっ……

 

「……ちくしょう」

―――ゆっくりと立ち上がり、制服についたホコリを掃う。
まだ背中と腹が痛い。でも行かなきゃ。授業が始まってしまう。
手すりにつかまりながら、おぼつかない足取りで階段を下りる。
「あ…山下君!」
「…………?」
あと数段で階段を下りきると思ったところで、
階段の影からメガネをかけた細い男が声をかけてきた。
「武か…?なに?」
「や、山下君……もしかして、今…」
武の眼が怯えている。ああ、そうか。
「武、情報通もほどほどにしとけよ」
固まっている武の肩を叩き、そのまま横を通り過ぎる。
世の中知らないほうがいいことの方が多いんだよ。
いつか、酷い目にあっちゃうぞ。今の僕みたいにさ。
「あっ!ち、ちがうんです!山下君、君に教えなきゃいけないことが……!!」
はっとなって振り返り、僕の肩をつかむ武。
すると今度はその姿勢のまま、目線を前にして固まってしまう。
「あ……ああ」
「……?どした?」
僕も前を向き、武の視線の先を追う。
その視線の先には、腕を組み廊下の壁によりかかっている綺麗なショートカットの女の子がいた。
「予想通りだったでしょ?要君」
その子は僕の様子を見て、得意げに鼻をならした。
「…………そうだね」
そうだ。ほんとに、最悪だ。
「……何か用?」
壁によりかかったまま、秋穂が静かに微笑む。
「今朝行ったでしょ?学校に着いたら教えるって」
……ああ、そんな事も言ってたな。
でも今は何も聞くに気になれない。何にも聞きたくない。
誰の声も、聞きたくない…………

「悪いけど、今は……」
「分かってるよ。だから放課後」
手を後ろで組みながら、秋穂が近づいてくる。
そのまま僕の目の前まで来ると、顔を近づけ、耳元でささやく。
フワリと、どこかで嗅いだことのある優しい匂いがしてきた。
「私の家、来て。そこで全部教えてあげる」
…秋穂の家。女の子の家。美希以外の女の子の家……
「それは………」
「前に言ったよね?お詫びしてくれるって」
悪戯っぽい眼で、僕を見つめる秋穂。
この眼も、どこかで見たことがある。
「…ああ。わかったよ」
秋穂の眼を見つめ返し、うなずく。
別にいいか。話を聞くだけだし。
「ん。じゃ決まりね。さ、教室もどろ?」
そう言うと、秋穂は微笑みながら僕の手を取り、教室へ向けて歩き出した。
なんとなく抵抗する気がうせてしまった僕も、なすがまま一緒に廊下を歩く。
もういいや。どうにでもなれ。
「…あっ!山下君!」
後ろで武が僕を大声で呼んでいる。でもいいや。
どうせどうでもいいことだろう。もうどうでもいい。

 

もう、なにもかもめんどうだ………

To be continued.....

 

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