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かちかち山



1

その年の収穫を終わらせた田舎の風景は、全体的にセピア色がかっている。
穂を刈り取られた田園には規則正しく株が整列し、土手周りの草木は枯れるか黄色く色あせている。
田園の中心にぽつりぽつりと点在する集落のほうでも、機械から発せられる風によって吹き付けられ、
溝に溜まった籾殻がアスファルトを黄土色に彩っていた。
この時期には、家々の車庫は作業場に変わる。絶え間なく聞こえる乾燥機の音や、
作業着を真っ黒に汚して農具を整備する父親の姿は、
子供たちに漫画に登場する秘密工場を連想させた。
小さな集落の片隅にある、錆び色のトタン屋根の作業場の中には、若い男がただ一人、
作業着を泥と油まみれにして乾燥機の計器をいじっている。
背の高い、しまった、見るからに頑強そうな体格で、
いかにも昔ながらの田舎の大将とでもいうような男である。

作業場の外から呼ぶ声が聞こえた。
「あなた、今日はそのあたりで切り上げたら?もう晩ご飯出来てるわよ。
今日のおかずはうさぎちゃんが頂いてきた秋茄子を使った、あなたの好きなカレーなんだから。」
若い男はなおもボタンに手を這わせ、汗を拭った目元でメーターを睨みつけながら妻の言葉に答えた。
「ああ。もうそろそろ終わる。今、すぐ戻るからな。終わったら風呂入るから、準備しといてくれ。」
それから、彼は工具や掃除道具をいつもの場所に戻し、作業場の外へ出てシャッターを下ろした。
ついこの間取り替えたばかりの染み一つ無いクリーム色の新品だ。
作業着のあちこちを叩いてゴミを落としながら、我が家の玄関まで近づいたときに、
隣の家の敷地から、突然、恐ろしい叫び声が上がった。
「たぬきか……。」
背筋がぞっとする戦慄、心臓を刺される痛さを感ずるような絶叫が、
ごうごうと唸る乾燥機の音に紛れる。
ぱたぱたとスリッパを鳴らしながら男を迎えた女は、目をひそめて呟く。
「お隣のたぬきさん。この間も病院でやらかしたそうよ。
家の人たちも大変ね……いい年頃の一人娘が、きちがいだなんて。」
やるせない顔つきで外を眺めていた男が、咎めるような目つきをして女に向き直った。
「おい……。」
「……ごめんなさい。あの人はあなたの幼馴染だったわね。」
妻の返答に満足したのか、男は再び外へ目線をやって、
ため息を吐きながら胸ポケットから煙草を取り出し、無精ひげが目立つ口に咥えて火を付けた。
「たぬきのやつは昔は大人しい子だったのに、どうしてああなっちまったんだか……。」
一仕事終えた後の一服は、いつものように泥の味がした。
たぬきとは、男の幼馴染のあだ名である。
男はこの少女と小さなころから共にこの田舎で暮らしてきた。
うさぎというあだ名の男の妹との三人一緒になって、今はもう廃校となった小学校へ通い、
寂れた集落を声を上げて駆け回り、大人たちに内緒の遊びと称し、
他愛の無い悪戯をして怒られたものだ。
男は十八になって上京したが、数年前に両親が不慮の事故で亡くなったことで、
長男である彼は古い農家の跡を次ぐために村へ戻ることになる。
妻は都会にいた頃に知り合い、結婚を前提に付き合っていた女性で、
男が田舎へ帰ることを期に、ちょうどいい頃合いだということで籍を入れた。
そうして懐かしき故郷に帰ってきたときに、男は気狂いとなった幼馴染みと再会したのだった。

ある日の昼間、男が仕事をひと段落させていつもするように作業場の外で一服していると、
隣の塀の奥にいつもは見慣れない白い寝巻きの姿が見えた。
腰ほどの高さがあるコケの生えた煉瓦の向こうの、
遠くを覗き込むようにひょこひょこと上下させている日に焼けてない真っ白な顔を確認すると、
男は二カリと中年親父のような笑みを浮かべた。
「ようたぬき、今日は調子がいいのか?」
「……。」
透き通るような肌をした、整った顔立ちの女性は、男が気安そうに声をかけても、
黙ったまま、寝ぼけたような半開きの目で男の姿を眺め続けていた。
男はそれを気にしたふうでもなく、言葉を続ける。
「ああ、俺か?ちょうど今あらかた終わって、一休みしてるんだわ。
どうだ、お前も一緒に休憩するか?」
「……いいの?」
幼馴染の突然の誘いにたぬきは顔を俯かせて、上目遣いに、
機嫌を伺うような仕草でぼそぼそと尋ねた。
男はたぬきの言葉を聞くと、彼女の耳に顔を近づけ、声を潜めて、
悪戯っ子が内緒話をするようにつぶやく。
「大丈夫だって。五月蝿いヨメも買い物行ってて今居ねえから。
……ちょっと待ってろ、家ん中から菓子でも取ってくる。」
「……。」
たぬきの返事も聞かず男は家へと走り去っていき、彼女はそれを不快に思うでもなく、
心配そうな顔つきのまま佇んでいた。

「なあ、うさぎ。この間買ってきた菓子の場所しらねえか?」
「ちょ、ちょっと兄さん!作業着のまま部屋に入らないでっていつも言ってるじゃない!」
椅子に座ってパソコンと睨み合っていたうさぎが、男の姿を見て金切り声を上げる。
仕事の最中だったのだろう、モニターには株式やなにやらの情報が表示されていた。
男は妹の咎めに悪びれる様子も見せずに、繰り返し宝の在処を尋ねる。
「細かいことは気にすんなって、ほら、この前お前が町行ったとき、
なんとか屋とかいうところの菓子買ってきただろ?どこに仕舞ったかわかるか?」
「まったく……。」
うさぎはこめかみを押さえて兄の無神経さを嘆いた。彼女の兄は昔からこうだった。
自分ひとりで勝手に納得して話を進める性格で、
都会にいた頃は銀行に勤めていたとはとても思えない。
兄の無精ひげを生やした端正な顔立ちをじっと眺めていると、うさぎの顔面に血が集まり、
ぽうっと赤くなり始めてくる。
だが、それがいい、と愛しい兄の姿から目をそらしつつ、うさぎは心の中でうわごとのように呟いた。
「あのクッキーは台所の棚の、上から二番目に入ってるわ……だけどどうしたの?
いきなり来てお菓子が食べたいだなんて。」
「ああ、た……。」
たぬきのやつが、と男は続けようとして、止めた。
常日頃からここの集落の住人は幼馴染のたぬきに対して、腫れ物に触れるような態度で接している。
心の病に蝕まれている年頃の女性は、地方の部落という、
ある種の家族にも等しい結びつきにある人間たちにとっては厄介者でしかないのだ。
そしてそれは、目の前にいる男の妹にも当てはまる。
竹馬の友ともいえるたぬきに対して薄情なことだ、とも思ったが、男は数年の都会生活で、
人間とはそういうものだと納得できるくらいには割り切れていた。
竹馬の友という言葉自体、悪意が含まれているものだしな、と男は自分に言い聞かせる。
「いや、なに。ちょいと小腹が減っちまってな。」
「なら、私が何か作ろっか?」
「悪いって。仕事中のお前にそんな手間かけさせられねえよ。」
「そう……じゃあ、私は仕事に戻るから、何かあったらちゃんと言ってね、兄さん。
この前聞いたんだけれど、助次郎さんのところのお爺さん、
機械に指を挟まれて大怪我したそうだから、兄さんも気をつけなきゃ駄目よ?」
はいはい、と手をひらひらさせながら男は言い、うさぎの部屋を出た。

たぬきと並んで塀の上に腰掛け、秋晴れの青空を見上げながら、男は独り言のように呟く。
「この辺りもガキの頃に比べると随分と変わっちまったな……」
「……。」
たぬきは答えないが、気にせず男は続ける。
「なあ、あそこの三次郎さん家、新築したんだってな、三年くらい前に……。」
「……。」
「昔よく行ったな、俺と、お前と、うさぎの三人で。
俺が木に登ってよ、柿を落として、それをお前とうさぎが拾って、皆で食ったよな……。」
「……。」
「で、その後あそこん家の爺さんに、三人とも拳骨落とされたんだっけ……。」
「……。」
「あの柿の木も、古い家といっしょに切り倒されちまったみたいだな……。」
「……。」
「……うまいか?」
「……。」
たぬきは黙ったままこくりと頷いて、肯定を示す返事を返す。
男にその仕草は見えなかったが、雰囲気で感じ取ったのか、たぬきのほうを向いて、
手に持っていた菓子を差し出しながら言う。
「ほら、俺のぶんもやるよ。」
「……。」
「そろそろ仕事を再開しねえと、帰ってきたヨメにどやされちまう。」
男はほとんど手付かずのクッキーの包みをたぬきの手に握らせ、
煙草をもみ消し、立ち上がってぱんぱんとズボンを叩いた。
彼が二三歩歩き出しても、たぬきは何も話さずに、顔を下げて手元の包みを眺めたままでいる。
県道を走るダンプカーと、乱暴に空気を吐き出す乾燥機の音だけが響いていた。
男は数メートルほど進んで立ち止まると、片手を上げて、幼馴染に声をかける。
「またな、たぬき。」
「……うん。」

2007/09/29 To be continued.....

 

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