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Passion fruits



1

 俺がまだ小さかった頃、偶然に妹の日記帳を見てしまった事がある。

 その日は家族で大掃除をしていて、年一つ離れた妹の希(のぞみ)と同じ部屋だった俺は、
  希が別の場所を掃除している間、一冊のノートを発見した。
  どうせ授業で使う教科別のノートだろうと、手に取りさっさと机に戻そうとしたが、
「こくご」「さんすう」「りか」「しゃかい」と、他のノートにはしっかりマジックで
  教科名が書かれているのに対し、この見た感じ使い古された風なノートには、
  教科どころか名前すら書いてなかったのだ。

 まるで、誰にも知られたくない秘密が記されているかのように。

 ただ未使用なだけかもしれない。でも、そうでないかもしれない。
  子供心に興味が沸いた俺は、おそるおそる表紙をめくってみた。
  一体どんな内容がその中にあるのだろうと。

「○月×日 今日は良いてんきでした。おにわのアサガオもげんきいっぱいです。
  となりでこーくんもわらってます。だからわたしもにこにこです。」

「○月×日 雨がざーざーふってました。がっこうはおやすみになって、
  とくになにもありませんでした。おしまい」

「○月×日 こーくんがわたしのハンバーグをたべてしまいました。
  おとうさんはおこってこーくんをぶって、こーくんがエンエンないちゃって、
  それみてわたしもないちゃいました。」

 そこまで読んで、小さかった俺はすぐに興味を無くしてしまった。
  てっきり正義のヒーローの正体だとか、悪の秘密基地だとか、
  宝物の隠し場所なんかが書かれているのだとばかり思っていて、
  開けてみればごく普通の日記だったのである。
  勝手に人の物を見ておいてなんだが、当時はなんだ、とがっかりしたものだ。
  他のページをパラパラとめくってみても、目当てのものは無く、
  ずらっとその日の出来事が書かれているだけ。
  仕方が無いのでノートを閉じると、元の掃除中である乱雑なスペースへこっそりと戻しておいた。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 ………で、今。高2になった俺の目の前には、あの時と同じく無題無記名のノートが一冊。

「ぬぅ、装丁まで同じとは見上げた初志貫徹っぷり」

 思わず感嘆の声を上げる。妹の部屋で。

「木を隠すなら森の中…しかし最初から分かってるなら意味は無いな」

 肘をつく机の上には、同じ柄の「国語」「数機廖嵎理」「化学」などなど、
  各教科のノートがずらりと並んである。何も書かれていないのは手に持っている一冊だけ。
  一見予備とも思えるそのノートは、おそらく妹の日記帳。

 いっそのこと「世界史」とでも書いておけば、絶対手に取らないと思うんだが…。

 世界史と題された日記帳。壮大だなオイ。

 まあ、そんなどうでもいい思考はさておき。

「……気になるじゃないのさ」

 希は、まだ部活から帰って来ない。
  お互い部屋を別々に分けてから八年、高校に入ってからはあまり入る事の無かった妹の部屋。
  貸してた本を取りに来なければ、こうして探索作業に耽ることも出来なかっただろう。

 面白半分、ネタ半分。

 昔と違って、今や俺の興味は日記そのものに向けられている。

「これで何も書いてなかったりしたら一人上手もいいとこだな俺」

 思わず苦笑。しかし好奇心旺盛な兄としては、この機会を見過ごすわけには行かないわけで。
  そう、本棚から机へ視界がスライドしてしまったが運の尽き。後は心行くまま気の向くままに。
  もしも中二頃に見つけていたら、ファンシーなポエムでも読む事が出来ただろうか。
  いや、ひょっとしたらまだ現役の妖精さん日記が見れるかもしれない。
  そう考えると顔がニヤける。こう、嫌な感じに。

「どれ、それじゃひとつ見てみるか」

 あの俺の後ろをぴょこぴょこ付いてくる小動物的かつ甘えたがりの駄目妹が、
  どんな面白い事を書いているのか。もしくはまた脳天気であっぱらぱーな内容なのか。
  ノートを開く。ページをめくる。

 ……
  ………
  …………

「……予備かよッ!!」

 表紙・裏表紙はもちろん、ノートは最初から最後まで全面真っ白だった。

「まさか炙り出しじゃないだろうな…?」

 いつの間にそんな忍者みたいな真似をと思いつつ、試しにライターの火を当ててみる。
  何度やっても字は出ずにそのまま数ページほど燃えた。
  悔しいので日にかざしてみたり、虫眼鏡でパスポートの中から「JAPAN」の五文字を
  探すがごとくじっくりと見てみたが、やはりページには何も書かれてはいなかった。

 何やら無性に敗北感を覚える。いっそ落書きしてやろうかと思ったそのとき、

「ちぃ! 帰って来たか」

 玄関の方からドアの開く音と「ただいまー」という声が聞こえてくる。
  そのまま廊下を歩き、自分の部屋に向かうべく、トントンと階段を上ってくる気配。

 仕方ない、ここは撤退あるのみよ。

 速やかにノート等の処理を済ませ、希が階段から顔を見せる前に、
  逆にこちらから爽やかスマイルでもって出迎える。

「やあ、おかえり」
「ただいまこーくん、お母さん達は?」
「今日も仕事で帰れないってさ」

 言って、部屋へ戻ろうとするところで、

「あっ、こーくんこーくん」

 唐突に希に呼び止められる。

「何?」
「あとでそっちの部屋行っていい? 部活で作ったクッキーがあるの」
「いいね、ありがたく頂こう」

 一緒に食べよ? と目で訴える希に対し、軽く頷く。そういえばもうじき小腹の空いてくる時間だ。

「うんっ! お茶も入れてくるから待っててね」

 嬉しそうに部屋へ戻っていく。その後ろ姿を見ながら俺はふと、あるアイディアが浮かんだ。
  すでに部屋に入り鞄を置いているだろう希に声をかける。

「あー…希」
「なにー?」
「俺まだレポート終わってないから、三十分くらい待っててくんない?」
「わかったー」

 何も知らない様子で出された提案を了承する希。相変わらず疑う事を覚えん奴よ。
  その声を最後まで聞かず、俺は急いで自分の部屋のドアを開けて、
  適当な未使用のノートを速やかに机の上に引っ張り出した。
  手にはマジック。他にもシャーペンと消しゴムも忘れない。

 キュッ、キュキュー

 素早く、しかし丁寧に題を書く。「Diary」。流石にこの年で読めないって事は無いだろう。
  制限時間は三十分。だがそれだけあれば問題ない。

「舐めよってからに……目にもの見せてくれるわ妹よ」

 別に向こうは何もしてないというか、ぶっちゃけ俺の勘違いだが。
  そんなものは兄のプライドの前には些細なものに過ぎん。
  だって悔しいじゃないの。こう、兄的に。
  ゆえに、そんな偉大なる兄の面子を保つ為ならば、
  こんなアホらしい行為の一つもやってのけるのだ。

 マジックからシャーペンに持ち替える。最初のページに踊るように文章が書き込まれていく。

「「◇月◇日 今日は――――」

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「んー…」

 台所の食器棚からお盆を取り出し、そこへ調理部で焼いたクッキーの皿と、
  入れたてのお茶…こーくんはコーヒーや紅茶よりも日本茶が好きみたい…を、
  お気に入りの湯飲み二つと一緒にのっける。
  居間の時計は、さっき上の廊下で約束してからぴったり三十分経ってた。

「もう、行ってもいいよね…?」

 お茶がぬるくなっちゃったらもったいないし。
  わたしはお盆を持つと、二階のこーくんの部屋へ向かって階段を上り始めた。

 こーくんはわたしの一つ上のお兄ちゃんだ。

 中学生になってから、お父さんとお母さんは仕事が忙しくてお家を空けることが多くなったけど、
  その代わりにこーくんがわたしの面倒を見てくれた。
  いじわるでわりと面倒くさがりのこーくん。
  でも、わたしが料理を覚えるまではちゃんと毎日二人のごはんを作ってくれる。
  お洗濯だって、わたしがパンツを洗われるのを恥ずかしがって自分でやるようになるまでは、
  こーくんがやってくれていた。
  小学生の頃はお風呂も一緒に入って、わたしにシャンプーかけたり身体を洗ってくれたりもした。
  夜になって、さびしくてこーくんと一緒の布団で眠るのは……今でもときどきやってる。
  最近はおねがいしても断られるけど、こーくんが疲れて寝ちゃったりしてるときに、
  こっそり布団に潜り込んでぎゅーって抱きつくと、こーくんの匂いがわたしに染み付いて、
  すごく安心できる。

 普段はふざけあったりからかったりして、たまにはいじめられて泣かされそうになるけど、
  でもでも、ほんとはわたしのことをとっても大事にしてくれてるこーくん。
  家事を教わりたいと言ったら、「お前にできるかあ?」なんて笑いながら、
  でもとっても丁寧に教えてくれた。
  冬に風邪を引いたときは、学校が終わったらすぐに帰ってきてくれて、
  あれこれお説教しながらそれでも優しくわたしのお世話をしてくれた。
  こーくんの手作りのおかゆ、頼んだら少し嫌そうな顔をしたけど、
  ちゃんとふーふーして食べさせてくれた。
  こーくんの息のかかったおかゆ。食べながらドキドキし過ぎてまた熱が上がっちゃった。

「こーくんこーくん、もう入っていいー?」
「おお、悪いな。こっちもさっき終わったとこだ」

 ドア越しに「んー」って気だるそうな、背筋を伸ばす声が聞こえてくる。
  よかった、タイミングばっちりだったみたいだ。

「それじゃ、お邪魔しまーす」
「いつも勝手に入ってくるくせによく言う」

「い、いつもじゃないよ。ちゃんとノックしてるもん」
「まあいい、それよか早く食べよう。頭動かしてたら甘い物食べたくなってきた」
「うんっ! まってて、今お茶注ぐから…」

 それから、こーくんとわたしは二人でクッキーをおいしく食べた。
  がんばって作った、チョコとバニラを市松模様に分けたクッキーを、
  お茶をすすりながらこーくんが「けっこう美味いのな」って褒めてくれる。
  それだけでわたしは幸せな気分になった。

「たくさんあるから、いっぱい食べてね♪」
「ああ、と……いかん、その前にちょっとトイレ。少し茶を飲み過ぎたかも…腹下した」

 苦い顔をして立ち上がるこーくん。たしかにお茶にはそういう作用もあるっていうけど、
  もっとこう、女の子の前なんだから、もう少し気を使ってもいい気がする。

「妹相手に気ぃ使ってどうするよ」
「なっなんで考えてることわかるのっ」
「顔見りゃわかる。お前はそういうのがわかりやすい」

 おかげでいじり甲斐がある、そう言ってこーくんは部屋を出て行った。

 ……そんなにわかりやすいかな、わたし。

 友達からもよく言われる言葉だ。
  だからいっつもトランプとかで負けちゃうのかな。
  ポーカーとかババ抜きだとか、こーくんは大体ニヤニヤ笑っててちっとも考えが読めない。
  それで毎回わたしがババを引かされるんだ。

「むー…なんか面白くない」

 バフッ、と手元のクッションを抱え込む。
  言われた通りのむっつり顔のまま、わたしは閉められたドアをじっと睨んだ。

 どうにかしてこーくんを驚かせたりできないだろうか。

 わたしに騙されて、いかにもしてやられた、って感じの顔をさせてみたい。
  今までに何度も試してはみたことなんだけど、いじわるでそういうことに関して鋭いこーくんは、
  すぐに見抜いて逆にわたしがびっくりさせられちゃうのである。
  たとえば、いじめられた仕返しに、夕ご飯のときこーくんの麦茶にこっそり
  醤油を入れておいたとき。
  目を放した隙に、いつの間にかわたしとこーくんのコップがすり替わってたのに気付いたのは、
  醤油の苦味にわたしがむせ込んだあとだったり。

「う…思い出しただけで苦い」

 それを見てこーくん、「俺をハメようなんて十年早い」って大笑いしてたっけ。

 あのときの悔しさもまとめて晴らすため、
  わたしはこーくんの部屋に使えそうなものはないか探してみる。
  なにか、こーくんが恥ずかしがったり悔しがったりするようなもの。

「自作の詩集だとかあったら、きっとこーくんも一発だよね」

 机に向かってポエム作りに熱中して、うっかり朗読なんか始めちゃうこーくん。
 
  …ちょっと、家族としての付き合い方を考えそうになる。

「うう…それはそれでイヤかも。……あ」

 机に整理されてある本とかノートなんかを一つ一つ手に取って確認してると、
  そのうちの一冊がわたしの目に入った。なんでもないただの大学ノートの表紙に、
  マジックできれいに書かれた「Diary」の五文字。

 こーくんの、日記だ。

「ほんとにあった…」

 なんだか妙に緊張してくる。
  詩集じゃなかったけど、まさかこーくんが日記を付けているなんて。
  どう見てもそんなのめんどくさい、って、そのまま寝ちゃいそうな感じなのに。
  そんな、そんなこーくんが、日記。

 ドクン、ドクン…

「あ、う……ええっと」

 胸のあたりがドキドキしてきた。落ち着かない。
  こーくんがどこかに隠れてないか、まわりをキョロキョロ見回す。
  どこにもいない。きっとまだトイレの中だ。

 …………見ても、いいよね?

「ここ、こーくん、だって…わた、わたしの見たこと、あるもん。お、おたがいさま、だよね…」

 あのときは小学生だったけど。

 上手く舌が回ってくれない。口から出た言い訳もカミカミになる。
  こんなの、中学生の頃にこっそり忍び込んだこーくんの部屋の隅から、
  Hな本を見つけたとき以来だ。

 トイレから帰って来ないうちに、早く見ちゃわないと。

 覚悟を決めて、わたしは日記の表紙をめくった。

「◇月◇日 今日は良い一日だった。放課後に生徒会室で資料を片付けてたら、
  書記の一瀬(いちのせ)と雑談で盛り上がって、結構良い感じの雰囲気になった。
  どれぐらい良いかっていうと、勢いでこんな日記を始めてみるくらいだ。
  いつもは口数の極端に少ない一瀬も、意外とノリ良くこっちの話題に乗ってくれて、
  案外話しやすい奴 だという事がわかった。
  ただ雑務をこなすってだけじゃ退屈だったし、
  これからもちょくちょく話し相手になってもらおう。」

 なんだか考えてたよりも丁寧に日記が書かれてる。
  こーくんのことだから一行二行だと思ってたけど。
  でも、それ以上に気になったのは。

「◇月◇日 雨が降って体育が室内の男女混合でバレーをする事になった。
  男子一同、俄然やる気を出していたのだが、顔面不如意な運動音痴ことO宮が、
  ここぞとばかりに張り切る様は、さながら諸行無常を感じざるを得ない。世の中顔だ。顔。」

「◇月◇日 会長に押し付けられた雑務をするべく生徒会室へ来たら、今日も一瀬がいた。
  どうやらこいつも雑用係としてほぼ毎日頑張っているらしい。健気な事だ。
  俺も内申目当てに頑張ろう。今日は何と向こうから話しかけてきた。
  これまでは「ええ」だの「はい」だのしか言わず、あとは事務的な会話のみだったのに、
  これは大きな進歩だ。」

「◇月◇日 我らがB組のハート様ことT下が、隣のクラスの女子に告白。
  2秒でフラれた。罰ゲームではなく本気の告白だっただけに、どうにも救えない有様だ。
  性格は良い奴なんだけどな。顔と身体がハート様じゃしょうがない、デブ専なんてのは都市伝説だ。
  家に帰ると、珍しく希が将棋で勝負を挑んできた。さっきまでテレビで名人戦を見てた影響だろう。
  飛車角落ちで負かしたら、向こう一週間の夕飯を引き受けるというので全力で負かしてやった。
  兄より優れた妹などいねぇ。」

「◇月◇日 放課後、今日も生徒会室で一瀬と雑務三昧。
  何となく企業「8:2の法則」が頭に浮かんでくる。
  俺らは二割の働きアリかと思えなくもないこの現状。
  実際のアリは八割が真面目だというのに。ひたすら他の役員どもが憎い。
  入りたての頃も思ってたが、こいつはやはり仕事の出来る奴だ。
  こっちの割とアバウトな要求にもすぐに対応してくれるので、
  一緒に仕事をする側としては大変やりやすい。
  そこんとこの要領の良さを、うちの妹にも分けてやりたいものだ。」

 ……だれだろう、この「一瀬」さんって。

 大体、二日に一度ぐらいに、「一瀬」っていう人の名前が出てくる。それも、ちょっと仲良さそう。
  文の内容から見て、多分、女の子なんじゃないかと思う。

 こーくんの日記に、たくさん出てくる、仲の良い、女の子。

「……うー」

 なんか、ヤな感じ。
  別に、こーくんだって好きな人ぐらいいるだろうし、いなくても興味ぐらい持つと思う。
  それに、ほんとはそんなんじゃなくって、ただの仲の良い後輩ってだけなのかもしれない。

 ページをめくる。
  日付は一番新しい、昨日の出来事。

「◇月◇日 一瀬と付き合う事になった。

 目に入ったのは、そこまで。続きを読まずにノートを閉じる。

「…………」

 きゅん、て、胸が苦しくなる。
  今までずっと一緒にいたこーくんが、いきなり遠くへ離れて行っちゃうみたいな感覚。

「……だ…だいじょう、ぶ。こーくんだって、男の人なんだもん。そりゃ、そうだよ…」

 声が震えるのがはっきりわかる。
  どうしてここまで不安な気持ちになるのか、ちっともわからないよ。

 ジャー…

 ドアの向こうから、トイレの水を流す音が聞こえてくる。
  はっ早く、こーくんが帰ってくる前に、元に戻さなきゃ…。

 ガチャッ

「悪いな、茶が冷めちゃったか?」
「う、ううんっ。全然平気だよ」

 そのあと食べたクッキーとお茶の味は、よくわからなかった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 …おかしいな。

 客の居なくなった部屋で一人、腕組みして首を傾げる。
  皿一杯に盛られていたクッキーを平らげると、希はそれ以上長居しようとはせず、
  そそくさと部屋へ戻って行った。いつもならその後もまったりと
  どうでもいい会話をするところなのだが。
  ……というか、

「ちゃんと読んだよな? あれ?」

 視線の先には、先ほどの意趣返しのようにノートに紛れ込ませた日記。製作時間二十八分。
  そのやたら青春臭い内容が書かれた最新の日付のすぐ下には小さく、
「以上、フィクションです」の一言。

 ちょっとしたお茶目なジョークである。

 確かに俺は学校の生徒会副会長で、放課後はよく書記の一瀬という後輩と
  生徒会の雑務なんぞをやってたりするが、あいつとの関係はいたってドライだ。
  日記序盤の方に書いてあるやり取りで概ね正しい。
  が、それだけだと何の面白味も無いので、所々に脚色を入れて最終的には告白までさせるという
  荒業をしてみた。冴えない兄だと思ってたのにいつの間にそんなモテ路線!?
  と動揺を誘ったところでオチを持ってくる作戦だったのだが、
  ひょっとしたら不発に終わったんだろうか?
  今日読んでなくても、機会を狙って読ませようと思っていたが。
  いかん、何だかスベった空気がプンプンする。

「いや、一応ノートを開いた痕跡はあるんだよな」

 偽の日記帳を開く。
  念の為にノートの最初のページに、こっそり挟んでおいた髪の毛が無くなっている事から考えて、
  おそらくはこれをきちんと見たはずなのである。
  だというのに、何故かターゲットたる希はまったくのノーリアクション。

 もしや見ておいて敢えて無反応という高度な反撃か!?

「や、でもあいつだしなぁ」

 出来なさそうである。
  その後、夕飯のときも希はどことなくよそよそしい態度で、
  布団に入って寝るときも理由はわからないままだった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 次の日、携帯のアラームで目を覚まし、簡単な朝食を済まして歯を磨き、一通り身だしなみを整え、
  いつも通りに門限から少し早めの時間に登校する。
  希は、運動系の部活にある朝練や、俺のように生徒会等、
  面倒な委員の仕事があるわけではないので、大体は俺が朝食を食べ終える頃に、
  のそのそと二階から降りてくる。
  ただ、昨日から引き続いて、今朝もあまり俺と目を合わそうとはしなかった。
  そのくせ、俺の視界から外れるとこちらをじぃっと監視しているような気配を感じる。

「なあ、どうかしたか?」
「ひぇっ!? …なっ、なんでもないっ! なんでもないから!」
「ふーん」

 前に向き直る。と見せかけてさらにくるりと振り返る。

「わぁ!?」
「何見てんのよ」
「みみみ見てないよっ! もう、いいから早く行きなよっ!」

 本当に見てやがった。何をしてるんだコイツは。
  ひょっとしたら、昨日俺がやったイタズラが関係してるのかもしれないと、
  本人に尋ねてみたくなったが、この様子だとまともに取り合ってくれるか微妙だ。

「あ、そ…んじゃ、先行くからな。ちゃんと鍵は閉めておくように」
「う、うん。行ってらっしゃい」

 希の態度が気にはなるが、どうせそう深い意味はないだろうと結論付け、俺は家を出た。

 

「よう、お互い苦労するな」
「菅田先輩…どうも。今日は早いですね」

 HR終了のチャイムが鳴り、家へと帰宅する生徒と、グラウンドで部活を行う運動部やその他、
  学校へ残る者達に分かれる時間、放課後。
  校舎の最上階に位置する生徒会室の窓から見下ろす景色には、
  そんな生徒達の姿があちらこちらに映っている。
  その生徒会室の備品として置かれている長テーブルの端、どっさりと積まれた
  各方面からの依頼書やら報告書やらを、一人黙々と片付けている女子に声をかけた。

「何か、いつも先を越されてる気がするが、…チャイムと同時にダッシュでもしてるんか」
「していません」

 彼女が、昨日の捏造日記に出てきた、生徒会書記であり、俺の後輩の一瀬秋子(いちのせあきこ)
  その人である。

「一年の教室は三階で、先輩は二階から来たんですから、単純な位置関係の問題です」
「まあ、そうだが」

 それも考慮して、わざわざ今日は急いでここまで来たんだが、…くそ、何か負けた気分だ。

「今日は野球部から予算向上の申請と、新聞部・放送部合同の企画についての意見書が出てます」

 あっさりと会話を打ち切ると、一瀬は資料を片手に、軽く髪をかき上げながら
  至って事務的な口調で報告する。
  平均よりほんの少し高めの背に、平均を大きく突き放した美貌。見た目に重過ぎないよう梳いた、
  背中まで届く長い黒髪は、そのまま彼女のイメージにぴたりと当てはまっていた。
  傍から見れば冷静沈着、寡黙なドライガールだが、これでも話は打てば返すし、
  割と冗談も通じるのである。
  それでも他人に対し基本的には固い感じだが、そこは味と思えば問題無い。
  むしろ最初はそれでも、多少懐いてくれてるだろう今の状態は、一男子として、
  多少の達成感と優越感を覚えるというものだ。

「あー、野球部ねー…あそこは他の部費食い潰してる連中とは違って結構頑張ってる方だし、
  今年は大会出場もありえそうだから、くれてやっても特に問題は無いな」
「ちなみに、向こうの予算上乗せ要求額は――」
「…そりゃ高い、半分にしといてくれ」
「わかりました」

 そして、容姿や性格に加えて、仕事の優秀さにおいてもまた、
  面倒な事務作業をする上で俺の大きな救いになっている。
  実は俺にベタ惚れだったとか、アホな展開は抜きに、その点は実際にあの日記に書いた通りだ。
  指示を出さなくてもちゃっちゃと片付けてくれるし、
  難題を押し付けてもそれほど苦も無くこなしてしまう大変有能なガールだ。
  これでも自称・出来る男の俺だが、今や彼女の助け無しに、
  この腐敗しきった生徒会の仕事を捌き切る事は出来ないだろう。
  他の役員達がほとんど仕事を放ったらかしているのも、あるいはこうして、
  たった二人でも生徒会を回せてしまえているからなのかもしれない。
  事実、生徒会長は顔と愛想だけ良いただのアイドルで、
  成績は優れていても実務にそれが伴わないタイプだ。
  それでもプライドだけは人一倍高く、たまに顔を出せばこっちのやる事にあれこれと
  口を出してくるのだから、質の悪い事この上無い。
  残りの会計、書記補佐らも、それに感化されてか会長に取り入って
  一緒にサボタージュを決め込む始末。
  生徒会の執り行う会議や、生徒集会等のイベントでしか顔を合わせないこいつらは、
  内申報告のときにでも手痛い目に遭わせてやろうと思う。
  で、そういった経緯の元、俺と一瀬の二人で、日夜こうした書類、
  ときとして直談判しに来る生徒等と格闘しているのだが……。

「ったく、肩が凝るったらありゃしない…」
「先輩、こちらの申請書にも許可印をお願いします」

 この学校、意外にも生徒達にやる気のあるものが多く、それ自体は個人的にも
  歓迎すべき事なのだが、それにより必然的に生徒会も忙しくなってしまうのがネックである。
  というか、どうしてうちの生徒会に限ってやる気の無い奴が多いんだ。
  どっか謎の組織だとか、闇の生徒会とかの陰謀じゃないだろうな。
  闇とか裏って付けりゃ何でも片付くと思うなよ畜生め。

「ああ、そこ置いといて、とりあえずそれで今日は最後にしておくか。後は各自自宅にて、って事で」

 じき下校時間を過ぎる時計を見て、書類に判を押しながら、活動終了の目処を立てた。
  一瀬は、わかりました、と一言。残りの書類に目を通していく。

「…うし。終わり、っと。そっちは?」
「片付け終わりました」
「よし、んじゃ出るか。帰り際に職員室寄ってくけど、どうする?」
「お供します」

 鞄を持って帰る準備を終えた一瀬が、迷い無く答える。

「いいね、その台詞」

 まるで秘書か侍女でも従えてるような錯覚から、つい口元がにやけた。
  生徒会室の鍵を閉め、ほぼ無人の廊下を歩く。

「先輩は、そういった類の趣味をお持ちですか」
「ぼかぁね、一瀬君。男子たるもの、偏った趣味の一つや…五つほどあっても良いと思うんだ」
「つまり、持ってるんですね」
「……うん」

 だって男の子だもの。

「では、ご主人様と旦那様では、どちらが良いですか?」
「それは一概には言えないな」

 こほん、と堰を一つ。
  そのお題は少し難しいものがある。

「ご主人様と言えば所謂メイドの専売特許的なものがあるが、旦那様という呼び方だと和服の侍女や、
  変化球で新妻の殺し文句にも使える。評価はほぼ五分だが、それを言う側にも」
「先輩」
「スンマセン自分調子乗ってました」

 言葉を途中で遮られる。無表情に言われると怖さと妙な期待が半々……半々?
  横を歩く一瀬が、前を向いたまま、心なしか頬を染めた。

「…で、では質問を変えます、私が先輩に言う場合はどちらが良いですか?」
「なに? そりゃお前………………………ぬぅ、両方捨てがたい」
「……………」

 あ、何か視線が。視線が刺さる。「あんま恥かかすなやオニイチャン」て視線が
  今まさに俺に突き刺さってらっしゃる。

「というか、それはアレかね。リクエストすれば言ってく」
「いえ、言ってみただけです」

 ちょいマテや嬢ちゃん。

 理不尽な。俺の性癖を暴いた挙句に逆切れ目線浴びせるとはどういう了見だ。
  いや、まあ性癖はこっちが勝手に暴露したんだけれども。
  いつの間にか顔が元の無表情に戻ってやがるし。

「待て、したら今の思わせ」
「期待しましたか? 残念ながら演技です」
「貴様男心を何とこころ」
「ません」

 喋らせろ。ていうか俺の心を読むんじゃねぇ。

「先輩とのやり取りも、そろそろ慣れてきましたので」
「言ってくれるじゃないの」
「ええ、喩えるなら先輩はキウイのような感じです」

 キウイとな。

 それは喜べば良いのか、怒れば良いのか。
  えらく唐突にフルーツ宣言された俺は、正直今までどちらかと言えば大人しめなタイプとばかり
  思っていたこの後輩の、割とおいしい性格してたという実際のギャップに不覚にも多少動揺した。
  前述のプロフィールにも「やっぱしちょっと茶目っ気が強かったです」と追記せざるを得まい。

「して、その心は?」

 折角だから、そんな微妙に味のある喩えにした理由を聞いておこう。

「一見雑ですが、中身は綺麗です」

 俺の方へ振り向き、微笑を浮かべながらそう言った。
  ……いい味出すなあ、この娘。

「訂正しれ、ぱっと見も美しいぞ俺は」
「そういう所が、先輩の内面の美徳なんだと思います」
「やめて、褒め殺しはやめて。めちゃ有効だから」

 俺ってばナルシーな人だから。

 常識的に考えて、可愛い娘に褒められ煽てられて悪い気のする人間はかなりの少数派だろう。
  美人局の被害に遭う世の男性諸君の気持ちも、今ならば少しわかってやれそうだ。
  それよか、こんないい笑顔の一瀬を見るのはおそらく初めての事なんじゃなかろうか。
  忠実だった飼い犬に背後からうっかり甘噛みされたような気分で、
  こうして後輩に手玉に取られるのは悔しいが、
  自分への親しみが形となって表れたようで嬉しくもあった。

「それでは先輩、残った用件をさっさと済ませてしまいましょう」

 ずいっと、一瀬が一歩前へ出ていつの間にか到着していたらしい職員室のドアに手をかける。
  会話の方に頭がいって忘れかけていたが、そういえばここに寄らないといけないんだったな。
  失礼しますの一言とともにドアを開き、俺は彼女を横に従え職員室へ足を踏み入れる。
  一瀬秋子という後輩の事が、今までよりも近くに感じた日の事だった。

――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 

「やめて、褒め殺しはやめて。めちゃ有効だから」

 先輩。その表情は反則ですよ。

 菅田光(すがた ひかる)先輩。私の横を歩きながらむず痒そうに身体を捩るこの人は、
  最近になって確信した事ですが、素直に好意をぶつけられるのに弱いようです。
  普段は少し軽めというか、ノリの良い感じでこちらの皮肉や不満ものらりくらりとかわすのですが、
  今みたいに自分の事を褒められると一瞬本当に照れたような顔をします。
  その後すぐに持ち直してしまい、あまり長々と見れるわけではありません。
  ですが、あの表情は演技やその場凌ぎのものではないはずで、
  先輩のそんな新しい一面は私の心をいっそう釘付けにしました。

 ああ、先輩。光先輩。
  生徒会役員の初顔合わせを終えて最初の仕事をする為に生徒会室へ集まったあの日。
  あの理事長の孫だの何だのと選挙の際にのたまっていた見るに器量の無さそうな生徒会長と、
  そのおこぼれに預かろうという腰巾着の会計・書記補佐達。
  私に品も芸も無い誘い文句を吐き、あまつさえ自分達の身の程も弁えずに先輩を貶し誹り罵倒して、
  そんな多対一の状況でさえ逆に先輩に言い負かされたあの低能達は、
  聞くも惨めな捨て台詞と共に出て行き、ものの五分もしない内に室内には
  私と先輩しか居なくなってしまいましたね。

 あのとき、あまりにも下らない人間を見た気分の悪さにいっそ一人ずつ精神的に追い詰めて
  いってやろうかと思っていた私ですが、口先一つでものの見事にその場で三人を撃退した副会長の、
  静かな自信と気迫に満ちた姿へとすぐに興味の対象がシフトしました。

 何と言いますか、所謂大物っぽい雰囲気を漂わせていたんです。

 総会屋さんとか、その道の親分格のような黒幕オーラをちらつかせる先輩の薄笑いは、
  言葉にしづらい凄みや迫力があります。正直少し怖いです。

 ですが、それが「良い」と、そう私は思いました。

 直感的に、電撃的に。
  この人は自分よりも格上の人間なのだと思ったんです。

「それでは先輩、残った用件をさっさと済ませてしまいましょう」

 曲がり角の向こうに職員室が見えてくると、私は足を速めて、先輩の前へ出て扉を開けてあげます。
こうしていると、何やらまるで本当に先輩の秘書にでもなった気がして、
  無意識の内についつい口元が緩んでしまいました。

「おう。……失礼します」

 頭を下げた状態なので先輩は私の表情に気付く事無く、
  そのまま挨拶と共に職員室の中へと入って行きました。当然、私も後に続きます。

「おっ。菅田と一瀬か、どうしたんだ?」
「はい、運動部の予算についてなのですが…」

 担当の教師に鞄から数枚の書類を取り出して見せ、その場で何事か話を進める先輩。
  そこに見えるのは、普段の場を和ませる軽薄さを潜めた真剣な眼差し。
  会長達を生徒会室から追い出した際。口論には多少の自負を持っていた私でしたが、
  あの時に先輩が見せた、ともすれば今すぐにでも刃物を持って切りかからんばかりに
  ギラついた視線を直に浴びながらでは、殆ど上手く喋れる気はしませんでした。
  もっとも、今は別の意味で上手に先輩と話せている自信が持てませんが。
  もしも私があと一年早く、あるいは先輩があと一年遅く生まれていてくれたならば。
  その分だけ二人の出会いは早まったに違いない、
  そう考えると自分の親が少しだけ恨めしく思えてきます。でも、そう。
  今回はそれでも良いでしょう。
  だって、逆に言えばそれはたったの一年の誤差で済んだという事なのですから。
  大事なのは光先輩と出会い、私との間に関係が生まれたという事実。
  ですから、たとえ同じクラスや学年でなくとも、ほら、今はもうこれだけ話せるようになれました。

「……ん、こんなもんか。しかし助かるよ。
  お前らのおかげで最近はこっちも色々と融通が利くようになってきたからなあ」
「いえ。こちらこそ、ありがとうございました」

 距離は近過ぎず、けれど決して遠くない。
  今は生徒会でしか繋がらない私と先輩の関係も、きっとよりプライベートなものへと変えていける。
  そんな確信があります。
  書類を再び鞄の中に仕舞い、話していた教師に一礼をした先輩がこちらへと向かって来ました。
  持ち前の鋭角的なイメージの顔付きに、そうした仕草の一つ一つが様になっており、
  何と言いましょうか。先輩の行う動作に一々惚れ直してしまいそうです。

「お待たせ」
「はい。…失礼しました」

 最後に私が先生方に会釈をして、職員室の扉を閉じました。

「お疲れさん。また明日な」
「ええ」

 辺りを覆うのは薄い夕焼け。下駄箱で靴を履き替え、校門を出た所で別れの挨拶をすると、
  光先輩は私とは逆の方向へと歩いて行きます。
  いつもそのまま振り返らずに帰る先輩は、私が後姿を見つめる数秒間に気付きません。
  いつか小さく手を振る私に気付いたとき、あの人は手を振り返してくれるでしょうか。

 多分、振り返してくれるでしょう。

「…また明日」

 そのときは、きっと笑顔で。

2007/09/25 完結?

 

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