蒼い秋空の下、レースがはじまった。
グレイ・クリフではコースの長さから最初に三週した者が勝者となる。
スタート直後のストレートで順位が変動することは少ない。
どのスキッダーもコーナーが勝負どころだと分かっている。
そして最初のコーナーに差し掛かる。
まるで事前に打ち合わせたようにワイバーンたちは皆翼を僅かに折り、
胴体を傾かせ急降下してゆく。
山の絶壁がどんどん迫る。頬に当たる風が強くなる。
地上の木々が大きくなり死という概念が現実味を帯びてくる。
低すぎない高度で手綱を引き絞り、ワイバーンに高度を上げろと指示をだす。
「……っ」
見上げると、四位にいたワイバーンが俺の正面上を飛んでいた。
早くも四位に脱落。
なぜだ。今のコーナーでミスはなかったはず。
直線になり、どのワイバーンも高度を稼ごうと大きく羽ばたく。
大丈夫。四位との開きは微々たるもの。次のコーナーで追い抜ける。
一位も二位もまだ近い。
すぐに次の曲がり角。
最初のコーナーと同じように山腹に沿うように降下する。
今度はスピードをつけるため、少し角度を急にする。
コーナーの出口付近で三位のワイバーンを抜く。
これで三位復帰。と思ったら後ろからきた別のワイバーンに直線で
高度を上げている最中に抜かれる。結果、変わらず四位。
悔しくも今のところ、いつも通りの展開だ。何も失敗をしていないのに抜かれる。
抜き返したと思ったら他のワイバーンに順位を奪われている。
コーナーを抜けるたびに順位が少しずつ低くなっていく。
気づくとアザラスの青いワイバーンにまで抜かれ、七位。
吹き付ける風の中でも自分の歯軋りが聞こえてきそうだ。
しかし、色鮮やかなワイバーンの群れの向こうに『牙』が見えてきた。
ほぼ直角に近い傾斜。山というよりは絶壁、岩の城壁にちかい。
生える木々は少なく灰色の岩肌が続いている。
その名の通り、獣の牙のようである。
焦りが消え、自信が溢れてくる。静かな高揚感で思考が晴れてくる。
大丈夫だ。相棒の調子も良い。やれる。
ワイバーンが羽ばたき、身体が上下するたびに『牙』が近づいてくる。
既に横手にはグレイ・クリフ山と『牙』を繋ぐ山稜が続いている。
山が途切れる時。そこが勝負だ。
先頭のワイバーンが急旋回を切る。
後続のワイバーンたちも胴体を真横に倒しながら『牙』を回ろうとする。
俺はアズールにそのまま速度を維持させる。
旋回するため減速していたアザラスを一時的に抜く。
この時、視界の端にあった灰色の岩肌が地平線ととって代る。
「今だ!」
俺は握っていた手綱の片方だけ斜め下に引っ張り、両足で相棒の胴体にしがみつく。
アズールの身体が真横に傾く。ここまでは普通だ。
だが、俺は手綱を引っ張り続ける。
相棒は身体全体を捻り、天地がひっくり返る。
背面で飛んでいる状態となった瞬間、今度は手綱を両方、力の限り手元に引く。
アズールの鋭い顎が大地に向けられる。
風の音が変わる。
唸りから咆哮へ。頬に当たる山風はアズールごと殴り飛ばそうとする暴風へ。
地上の緑がかつてない勢いで迫り、胃が何者かに握られる感覚を味わう。
歯を食いしばり、手綱を引き続ける。
激突するかと思われた地面が緩やかに遠ざかる。
水平飛行に戻り、顔を上げれば目の前にはワイバーンが二頭のみ。
口元が緩む。一気に三位だ。
先頭の二頭は旋回時に失った速度を必死に回復している。
対してこちらは垂直落下で得た速度がまだ残っている。
俺は『牙』のあとに続く直線で難なく二位のスキッダーと一位のティオーナをごぼう抜きにする。
ついに一位。もしかしたら今回は勝てるという希望が生まれる。
幼い頃観た憧れのスキッダーの活躍が脳裏に浮かぶ。
はじめて忍び込んだ貴族の観客席。
そこから見上げた先には『牙』で一位を華麗に奪うスキッダーがいた。
その時、披露した技が今の『スプリット』である。
『牙』の周りを旋回するのではなく、背面飛行から輪を描くように急降下する。
一つ間違えば地面に墜落。角度を誤れば『牙』の山腹に激突。自殺行為に等しい機動だ。
しかし、成功すれば最下位だろうとトップに立てる。
俺は『スプリット』を見た瞬間からスキッダーになりたいと決心した。
そして『スプリット』は素人の俺にスポンサーを与え、夢を与えた。
今回は勝利をももたらしてくれるかもしれない。
前には誰もいない蒼い天空、灰色の山、緑の大地。スキッダーなら誰もが欲する光景だ。
今度こそは勝てる。俺は次のコーナーが迫るのを見ながらそう信じていた。
だが夢が覚めるように、あるいは美酒の酔いが薄れるように勝利の幻想は、そこで終わった。
後はいつも通りだった。
一周目で奪った一位の座は曲がり角の度、遠くなっていった。
毎回『牙』で奪い返すも、後に続くコーナーで失う。
本当にいつも通りの展開だった。
終わってみれば散々な結果だった。
11位中6位。先週と変わらず。
一位はなんとティオーナだった。
新人、しかもグレイ・クリフ山での出場ははじめてだというのにいきなりの優勝。
酒場での話題はしばらく彼女が独占しそうである。
だが俺はその逆の意味でスポンサーたちの話題を独占しそうだ。
これで何度目の敗北だろう。いよいよもって深刻な状況である。
近日中にスポンサーから解雇宣言されてもおかしくはない。
そんな俺でもミリアちゃんは竜場に戻るなり笑顔で出迎えてくれた。
俺が悔しさの余り兜を地面に叩きつけ、喚き散らさなかったのはひとえに彼女のおかげだろう。
彼女は六位だった俺を優勝したかのように扱ってくれた。
気を遣われているようで一瞬苛立ったが、すぐに落ち着いた。
何が気に食わなくてイラついている?しっかりしろ、と己に言い聞かせる。
イラついているのは自分のせいであって、彼女は何も悪いことはしていない。
いじけていた俺を心配してか、ミリアちゃんに片付けも自分一人でやるから
休んでいてくれと言われた。
これは流石に断った。
負けた上に女の子に片付けを全て押しつけたとあっては男として失格だ。
「じゃあ水汲み用のバケツを倉庫から取ってきてくれます?」
「ああ、分かった」
それでも簡単な仕事を頼んでくれるミリアちゃん。
彼女の厚意に応えるためにも今は残った仕事を終わらせるのが先だ。
アズールの世話を彼女に任せ、俺は急いでバケツを取りにいった。
竜場から洞窟内の通路を右に曲がったところに倉庫がある。
主にワイバーンを世話するための器具が保管してある場所だ。
俺は整理された室内から難無くバケツを見つけ、部屋を後にした。
竜場に戻ろうと通路を歩いていると今日のレースの勝者、ティオーナに出くわした。
既に着替え終わっているようだ。
腰に護身用の短剣を帯び、男物の革のズボンと白いシャツという出で立ちだ。
挨拶しようかとも考えたが先日のアザラスの件もある。
特に俺は平民だ。プライドの高い彼女からすれば媚を売っているように思われるかもしれない。
簡単な礼だけして通ろうとした時。
「おい、おまえ」
予想に反して声をかけられた。
「ん?なんだ――」
ティオーナの鋭い眼がさらに細められる。
「――ですか?」
「ふん、まあいい……聞きたいことがある」
心の中で密かにホッとする。
ついアザラスたちと話す時と同じように対応するところだった。
慣れとは本当に恐ろしい。
「おまえが『牙』でみせた技。何処で覚えた?」
珍しい質問だ。
スキッダーが知っている特徴的な空中機動や技はコーチや師範から習う。
あるいは俺のようにライバルたちの飛び方を研究して盗む。
ファンからの質問ならともかく、答えを知っていそうなスキッダーからというのは意外である。
「どうして気になるのですか?」
「私の質問に答えよ」
緑色の瞳は貫くように冷たく俺を捉えている。
「……あれは昔憧れていたスキッダーの技を再現してみたものです」
「なんだと?」
「簡単に言うと見様見真似ですよ」
もっとも、レースで使えるようになったのは何度も死に掛けながら練習した結果だ。
「その技は元々どのスキッダーのものだ?」
「疾風のドノテと名乗っていました。もちろん偽名ですが。それ以上は知りません」
『スプリット』は凄い技かもしれないが、
編み出したスキッダー本人は平凡に毛が生えた程度だった。
レースにはたまに勝っていたが王都リーグに推薦されるほどでもなかった。
如何なる時も兜をかぶり、明らかに嘘くさい偽名を名乗っていた。
今考えると俺も随分と変わったスキッダーに憧れていたものだ。
「嘘を申すな」
突然ティオーナの顔から冷淡さが消え、怒気が露になる。
「はい?」
「私を小娘だと思って馬鹿にしているのか!」
「い、いや本当ですって。それに嘘をつく理由がありません」
ある程度何か気に食わないことを言って怒鳴られるのは覚悟していた。
しかし、何でよりにもよって他愛のない会話でホラ吹き呼ばわりされるのか。
大体なぜ怒る必要がある?
「ならば正直に言え。そのドノテというのは何者で、本当はどうやってあの技を習得したのだ?」
「ですから何度も言っているように偽名以外のことは知りませんし、
技の方はただの真似事ですって!」
「まだ言うか。ならば」
鉄の擦れる音と共に彼女は短剣を抜く。
「ちょ、ちょっと」
喉元に伝わる冷たい感触。
「話す気になったか?」
「本当ですよ!それに何で俺の技なんかに興味があるんですか?」
「おまえには関係ない」
まるで敵兵でも尋問するかのような口の利き方。
つまり彼女は『スプリット』の秘密が知りたいのだろうか。
だとしたら随分と捻じ曲がった根性をしている。
自分の観察眼で他人の技を盗むならともかく、脅迫紛いの行為をして手に入れるのは卑怯だ。
俺は我慢の限界にきていた。負け続けで頭が茹で上がっていたのもある。
「……いい加減にして下さいよ」
自分が何を言っているのか考えるより先に口が動いていた。
「なに?」
「いきなり剣で脅して。こんなことをして恥ずかしいとは思わないんですか?」
「平民が――」
「平民だろうが貴族だろうが関係ありません。ここまでこき下ろされたら誰だって怒ります!」
ここは大人しくしているのが賢いやり方なのだろうが、俺にもプライドというものがある。
「それとも何ですか?貴族は平民に何をしても良いと?名誉は平民相手には適応しないと?」
「黙れ!」
彼女は短剣を俺の喉元に押し付ける。皮膚が僅かに裂け、血が一筋だけ流れ落ちる。
「ほう?ここで俺を斬って捨てますか?どうぞ。やってみて下さい」
スキッダーは死と隣合わせの職業だ。
喉元に刃物など、急降下する時の恐怖に比べればどうということはない。
「くっ」
貴族といえども年頃の娘だ。自らの手で人を傷つけるのには抵抗があるのだろう。
短剣に込められた力が少しだけ抜ける。
「とにかく仕事がまだ残っておりますので之にて失礼します」
俺は短剣を手で払い、歩き出した。
「ま、ま、待て!話はまだ終わっていない」
彼女は俺の服の袖を掴みながら引きとめようとする。
「あの技をモノにしたいのなら御自分で観察してください。俺もそうして己が技としました。では」
嫌みたっぷりにエリシアさん直伝の宮廷式のお辞儀をする。
ティオーナは平民が宮廷式のお辞儀を知っているのがよほど驚きなのか、呆気にとられていた。
そんな彼女を背に、俺は洋々と竜場へ戻っていった。 |