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Bloody Mary the last order



1 『prologue』
 このお話はBloodyMaryの三つ目のお話に当たります。
例によって初見の方を度外視して書いてしまっているので、
先に1st2ndcontainerをお読みいただくことをお勧めします。
なお、その上でもし「気に入った」という奇特な方がいらっしゃいましたら、
ぶらっでぃ☆まりぃ』にも目を通してもらえると後々いいことがあるかもしれません。

 

 

 人というのは他者と切り離して生活しない限り、どうあっても思う様生きるなんてことはできない。
人間は生きていく過程で常に必ず何かと折り合いをつけて妥協している。
それがたとえ貧困に喘ぐ者であっても、富める者であっても。
――大陸指折りの大国を統べる、一国の主であったとしても、だ。

 正直に言えば、自分の立場に絡み付くしがらみにウンザリしていた。
政略結婚で娶った妻にも。僕を心の底から憎んでいる弟にも。
神でも崇めるかのような眼で見つめてくる民たちにも。
日々生きることで精一杯な人たちから見れば、贅沢な悩みだと言うだろう。いや、自分でもそう思う。
それでも――唯一安らげるのは、"彼女"の存在だけ。そう思っていた。

 だから彼女をダシに、それらを切り捨てた。
何より一番大切だから……そう言っておきながら、その実は彼女を利用しただけなのだ。
ただ、自分が国を束ねる重責から逃げたかっただけなのだ。

 そうやって皇帝の座から逃げ出して、初めて気付いた大切なもの。
あれだけ嫌がっていたしがらみの中にこそあった、その大切なものを捨ててしまったことに
僕は後悔した。

だけどもう一度拾いに戻るためには、かつて最も大切だと言った彼女を置き去りにしなければならず。
かと言って一旦気付いてしまった大切なものを、そのまま捨て置くことも到底できず。

 だからこれは、どちらも捨てたくないと欲張った結果なのだ。

 

 

 

 霞む視界。ぼんやりした頭に響く馬の蹄の音。
体温は既に自覚できるほどにまで下がっているというのに、
脇腹だけはまだ依然として燃えるように熱い。

「はぁ…っ。はぁ…っ」

 滴る冷や汗を拭う。
馬の背で揺らされる度に傷口に響き、その都度激痛が全身を襲う。

「そろそろ……国境か……」

 そう呟くと、一瞬だけ気が抜けて危うく失神してしまいそうになった。
脇腹に手を当てる。一際強い痛みが脳髄を駆け抜けて青年は目を細めた。

その痛みを引き金にして、泣いている少女の顔が脳裡に浮かぶ。
瞬間的に来た道を引き返したくなったが、ぐっと手綱を握って振り返るのを堪えた。

(戻って何の意味がある?どっちに行ったって裏切り者のくせに)

「あ……?」
  地平の向こう。
かすかに見え始めた建物を目にして彼は弱々しく声を上げた。

 

 

 

 

 大陸の勢力を二分する、北の北方大教国と南のグレイル帝国。
その大国同士が戦争を始めて早三年が過ぎた。
当初は帝国が優勢だったこの戦争も、今や帝都にまで敵軍の手が伸びようとしていた。

 そんな中、帝国側に立ちこれまで何度も国を助けてきた一人の傭兵が、
辺境の駐屯地でひとり酒を煽っている。
その男はまだ二十歳前後だったが、体格の大きさと強面のせいで
実年齢より上に見られることが間々あった。
だが屈強なその肉体に反して、今の彼の瞳はあたかも死人のように濁っている。

「…んぐ……」
  生気の宿らない瞳で酒を喉に流し込む。
男は、本来ならば国に貢献した人物として称えられるべき者だった。
だが今の彼の表情にその頃の面影は少ない。

 グレイル帝国、北西の国境駐留警備。
帝都の貴族連中に煙たがられ、追い出されるようにそこの警備を任されたのが彼の部隊だ。
大してすることもなく、ただ苛立つ毎日。戦争中にも関わらず戦いに駆り出されないのは、
男にとってこの上ない屈辱だった。
本当の戦火はもっと東なのだ。

 敗戦寸前でも己の兵力を――傭兵とはいえ―――遊ばせておくってことは、
よっぽどオレたちを帝都に呼び戻したくないらしい。
ただでさえ皇帝不在で国が不安定だと言うのに……あいつらは自分の国が蹂躙されることに
なってもいいのか?

 募る苛立ちを抑えきれず、男は八つ当たりするように空になった杯を机に叩きつけた。

「…くそったれが」

 『剣帝』とまで謳われ、先頭に立って国を率いていた皇帝が行方を眩ませておよそ一年。
  兵士たちの士気の源になっていた彼を失い、戦争は敗退の一途を辿っている。
国を統率する為政者とはいえ、たった一人の人間がいなくなるだけでこうも見事に
戦況が逆転するとはあまり考えられない事態だが、
これには別の、もうひとつの理由がある。
  皇弟を始めとする一部の貴族連中が、皇帝不在に託けて自分の国を食い物にしているのだ。
それでは勝てる戦いも勝てないというものだろう。
それに皇帝が姿を消したせいで皇妃の気が触れてしまったことが事態を更に悪化させている。
…帝国が滅ぶのは時間の問題だ。

「何処行ったんだよ…お前は」
  呟くように、消えた戦友に問いかける男。

 ただの一傭兵だった彼を引き抜き、自分の傍らに置いて共に戦うように言ったのが皇帝だった。
傭兵と皇帝。身分こそ大きく違うが、幾多の戦いを重ね二人は親友と呼べるまでの間柄になっていた。

 その皇帝が行方不明になったのは戦場ではない。…城内なのだ。
戦場であれば人知れず命を落とした可能性も考えられるが、
帝都の…しかも城内で行方を眩ませたのは不可解すぎる。
しかもあれほどの男が、安易に暗殺なり誘拐なりされたとは考えられない。

……とすれば不慮の事故か、自分の意志で蒸発したか。
最後に目撃されたのが城内だとすると、後者の可能性の方が遥かに高い。

―――なら、何故オレに一言も言わなかった。
  男はもう何度脳裡に浮かべたか知れない問いを、戦友に投げかける。

「ふぅ……」
  これも今日何度ついたか解らない溜息。
もはや男にできることなど何もなかった。

皇帝が消えたせいで既に帝国は虫の息だ。

……このまま、帝国が滅ぶまで此処で腐っているんだろうか。
僻地に飛ばされてから既に半年以上が経ち、男はすっかり意気消沈していた。
沈んだ気分をアルコールで誤魔化そうと、再び杯に酒を注いでいたとき。

「隊長ッ!!」

 部下のひとりが血相を変えて部屋に飛び込んできた。
その騒々しさにも大して驚かず面倒くさそうに一瞥する男。

「あん?なんだよ」
「そ、それが……それが……」
  かなり興奮しているらしく、部下は言葉を何度も詰まらせる。
その様子を黙って見ていた男は鬱陶しげにチッと小さく舌打ちしてから「早く言え」と急かした。

「陛下が――――皇帝陛下が見つかりました!!」

「………ハァ?」
  あまりに突飛な部下の発言に一時的に思考が固まる。だが、それも一瞬。
次の瞬間には冷や水でも浴びせられたかのように椅子を蹴飛ばしていた。
一人の青年が別の部下の肩を借りて部屋に現れたからだ。
脇腹を庇うようにして姿を見せたその青年。
多少顔色は悪かったが、間違いなく一年前に行方知れずになったグレイル帝国の皇帝だった。

「ガラハドッ!?」
  部下を押しのけて、土気色した青年の肩を担ぐ。
「テメェ、今まで何処に居やがったんだよ!
戦時中だってときにフラッと消えやがって――いや、今はンなことよりも……」
  彼に訊きたいことが山ほどあった。だが、青年が脇腹に負っている傷を見て男は口を噤む。
頭を切り替えてすぐに診療所に足を向けようとした刹那。
「待った……ベイリン。
手当ては要らない。それよりも――」
  やっと青年の口を開かせた言葉は、とても正気の沙汰とは思えないものだった。

「バカかッ、さっさと手当てを………って…おい、これ…」
  青年を叱責しながら担ぎ直した拍子に、彼の怪我の不自然さに気付いた。
「この傷、いつのだ…?なんで今まで放ったらかしにしていた!?」
  真っ赤になった彼の衣服に触れても自分には全く血が付いていない。
衣服に付着している血は、表面的には大部分が既に固まっている。
負傷してからどれだけ時間が経っているかを想像して、男はゾッとした。

「いいんだ……これは。
……気軽に塞いでいい傷じゃない」
  息も絶え絶えで男にそう答える青年。
怪我自体はそれほど大したものではなかったが、手当てせずに放置していたことで
青年の体力を根こそぎ奪っていた。

「それよりベイリン。
済まないが、馬車を用意してくれ。帝都まで戻りたい」
「ざけんなっ!だから手当てが先だろうがッ!」
  青年の無謀な申し出に、彼が手負いなのも忘れて怒鳴り声を上げた。

「…時間が惜しいんだ。もう帝都のそばまで前線が下がってるって聞いたぞ?
議論している暇なんてない」
  死に体の身体にも関わらず、鋭い瞳で男に訴えかける。
彼が頑固者であることを知っていた男はその眼を見て説得を諦め、
「くそ」と悪態をついてから部下に馬車を用意するように命じた。

「…ありがとう」
「但し、馬車の中で手当てを受けさせるからな。それが条件だ」
  自分を担ぎ上げる男を見ながら、青年はフッと力なく笑った。

 

「…だけどよ、その傷。誰に付けられたんだ?」
  男が青年に問う。
男の知る限りでは、青年を手負いにさせるほどの人物に心当たりがなかった。
いかに過酷な戦場であろうと、彼がかすり傷すら負うことはなかった。
だからこそ『剣帝』と呼ばれているのだ。
敵国のどんな名将をも一太刀で屠ってきた青年を傷つけることができる者など、
この世には存在しないと数分前まで確信していたのに。
男は不思議でたまらなかった。

「ははっ……剣を握ったこともない、ただの侍女だよ」
  青年が掠れた声で答える。
肩越しに青年の顔を覗くと、彼は少し淋しげな表情をしていた。

「本当に、戦い方なんて何も知らない……ただの女の子だよ……」

 男は、自嘲気味に笑う青年の言葉に耳を傾けながら。
皇帝と同時期に姿を消した、使用人の少女の名を思い出そうとしていた。

 

 

 こののち。
落城寸前だった帝国は、皇帝が帝都に戻ってから約半年で敵国の猛攻を退け。
両国の痛み分けで戦争は終結することになる。

―――――――――そして、時が流れて………


第1話

 流れ行く景色を見つめ呟く。

「そろそろ帝都が見えてきてもいい頃だな…」

 ウィルは馬車の小窓を覗きながら独りごちた。
遥か向こうに見える林と地平の先まで続く青々とした平野。
その青を鮮やかに照らす空は、これまた底抜けに蒼い。
そんな風景がずっと続いているが、未だ帝都らしき輪郭を確認することはできなかった。

 ウィルは今、オークニーを離れ帝都へ続く馬車の中で揺られている。
オークニーから帝国へは定期便も出ているのだが、彼が現在利用しているのは
アシュリーに頼んで紹介してもらった馬車だ。
少しでも早く帝都に行きたかった彼は定期便には乗らず、
ある程度融通が利くオークニー領主御用達の高速馬車に依頼したのだ。

「んふふ〜」

 すりすり。

 グレイル帝国。
大陸の三分の一を領有し、建国以来、北部に位置する北方大教国と
頻繁に戦争を繰り返してきた大国だ。
…故に、帝国の歴史は有史から現在に至るその全てが血に塗れていると言っても過言ではない。
だが、ここから見える景色は穏やかそのもの。
とても周りの国を震え上がらせる強国の領土とは思えない。
此処二十年近くは争い事がなかったせいか、それとも元来この辺りはそういう場所なのか。
真相は不明だが、少なくともウィルにとってはかつての故郷を連想させるくらいに平和な風景だった。

「にゃ〜」

 すりすり。

 馬車を走らせること早十日。
御者にはかなりの無理を言って帝都までの道を急いでもらっている。
危うく馬を二頭潰しかけたのは気の毒だったが、その甲斐あって今日中には帝都に着きそうだ。

「ウィリアムぅ〜」

 すりすり。

「………あのですね、姫様」

 はぁ、と肩を落として一拍。
  さっきから腕に頬擦りしている少女の存在に、彼はとうとう耐えかねて眉間に手を当てた。
「これは遠足でも旅行でもないんですからね。そこんところ解ってます?」
「ウィリアム、堅苦しいのは言いっこなしじゃ。ほれほれ、もっと近ぅ寄れ」

……駄目だこりゃ。
  ウィルは項垂れながら、マリベルを引き離すのは無理だと潔く諦めた。

「まったく、もう…」

「せっかくマリィがいないのじゃ。もっとイチャイチャしても良かろう?」
「その団長から『二人きりでイチャイチャしない』ことを条件に同行を許してもらったのを
忘れてませんか?」

 ぺたぺたと体を触りまくるマリベル王女殿下を諌めながら、もう一度車窓から外に目をやった。
後ろに流れていく景色の速さを考えれば、相当速いスピードで帝都に向かっているのはよく解る。
それでもなぜかウィルは一抹の不安を禁じえなかった。

「姫様。本当にシャロンちゃんの故郷って帝都なんですか?」
  既に此処まで来ておいて何を今さら……という気がしないでもないが、
念のためウィルは尋ねてみた。
いや、確認というよりはむしろ自分の不安な気分を和らげたいという思いが多分に含まれている。
「むっ…。わらわの言葉が信用ならぬか?」
「そういうわけじゃないんですけど…」
  マリベルの責める視線から逃れるように他所に目を向ける。

 マリベル王女を信用していないわけではないが――
ウィルは"あの"シャロンちゃんが自分の出生について簡単に口を開くとは思えなかった。
彼女とは入団直後の訓練騎士時代に一ヶ月と少し、
そして王国を出てからの半年くらいの付き合いだが。
  ウィルはシャロンの素性について殆ど何も知らなかった。
解っているのは彼女の類稀なスキル――旅慣れしている、ナイフの扱いに覚えがある――
等から、侍女をやる以前に別の生業をしていたのではないかと推測できるくらいなのだ。
  彼女自身あまり話したがらないことや、偽名を使っていることを考えると
きっと後ろ暗い過去でも持っているのだろう。
そういう気持ちは痛いほどよく知っているウィルだからこそ、深く追求することもしなかったのだが。

「…まだ、シャロンと知り合って間もない頃の話なのじゃがな」
  昔を思い出すように。
流れる景色に眼をやりながらマリベルが口を開いた。

「帝国のロラン家から書簡が届いたことがあったのじゃ。
と言ってもまぁ、内容は何の他愛も無い、戦時中の援助物資に関することじゃったのじゃが……」

 そのときの光景が余程不可解だったのだろうか。マリベルは僅かに眉を顰めた。

「あのときのシャロンの顔はよく覚えておる。
おぬしも知っている通り、いつもはピクリとも変わらないあやつの表情が、
みるみるうちに真っ青になっておった。
わらわはただロラン家から手紙が来たとしか言っておらぬのに、じゃぞ?」

「…ロラン家と面識でもあるんでしょうか」
  そうだとするなら、恐らく只事ではない。
――あのシャロンちゃんが名前を聞くだけで血の気を引かせるほどなんて。
  ウィルはこれまで見てきたあらゆる限りの彼女の表情を思い出してみたが、
多少驚いているのがせいぜいで血の気が引くほど引き攣った顔には見覚えがなかった。

「まぁ、細かい部分はわらわにも解らぬのじゃがな。
ともかく、そのときにシャロンを問い詰めたら
『自分は帝都の生まれだから、懐かしい名前を聞いて驚いた』と答えよった。
あの顔はロラン家との関係を誤魔化すのに精一杯で思わず生まれ故郷まで口走ってしまった…
という感じじゃな」

「やっぱり――先週届いた、俺宛ての手紙と関係あるのかもしれませんね……」
  ロラン家から届いた依頼書。
あの手紙には仕事の内容については殆ど触れられてなかった。
その手紙を見たときのシャロンは、さして気に留めるほどの変化はなかったとウィルは記憶している。

 シャロンが姿を消したのはそれから数日経った頃だ。
マリベルの察しの通り、シャロンが帝都に居た頃にロラン家と関わっていたとするなら。
やはり、マーガレット=ロランなる人物から来た手紙が何らかの原因になっている
と考えるのが自然と言えよう。

「…ロラン家で使用人やってた……とかだけじゃなさそうだな、いくらなんでも」
  シャロンのナイフ捌きを思い出し、嘆息。

「――何を問いただすにしても、先ずはシャロンを捜し出さねば始まらぬな」
  シャロンが残していった置手紙を取り出して、マリベルはひとり呟いた。
ウィルたちの中では一番付き合いが長いせいか、心配しているのが表情からも容易く読み取れる。

 

 

 さて。
このあたりでなぜウィルたちが帝都に向かっているのか、
現在に至るまでの経緯を説明せねばなるまい。
事の始まりは十日前。アシュリーが催した、あの悪名高いミス・オークニー・コンテストから
数日が過ぎた頃のことだ。

 

「ウィリアムッ!起きよッ、ウィリアム!!」

 マリベルの叫ぶ声で覚醒する。
騒がしい起こされ方ではあったが、ウィルにとってはいつもの日常だ。
ただこの日は少しばかり勝手が違っていた。

「ウィリアム、頼む!起きてくれ!」
  やや必死なマリベル王女の声色で、ウィルは飛び跳ねるように目覚めた。

「なっ、なんなんですっ!?」
  キョロキョロと周りを見わたしながら、脇に置いてあった一対の剣を引っ掴む。
怒号で目覚めることはウィルにとっては戦争で慣れっこだったのだが。
同時にそういうときは決まって敵襲によるものだったから、
習慣のせいか目が覚めたウィルは異様な興奮状態だった。
  家の中に賊でも入り込んだのか、と視線を尖らせながらいつでも戦いになってもいいように
周囲の気配に気をやっていた。

「シャロンがっ、シャロンがっ…!」
  その彼の胸元へ、言葉を詰まらせながらすがり付いてくるマリベル。
彼女のその只ならぬ形相にウィルは戦慄した。

―――まさか。
  まさか、シャロンちゃんが……。

「――実家に帰りおったッ!!」

「…………………は?」

 かしゃん、と。
ウィルは握っていた剣を取り落とした。

 

――――――…………

 

「……で。姫様が起きたときにはその手紙を置いて姿を消してたと。そういうことなんですね?」

 とりあえずコーヒーを飲んで一端奮起していた感情を落ち着けてから。
マリベルたちから一部始終の話を聞いたウィルが、二人の顔を交互に見て確認する。

「私も今起きてきたばかりなので詳しいことは解らないんですけど……」
  ウィルが叩き起こされる少し前に、既に起床していたというマリィも
未だよく状況を把握していないらしい。
だからこうして朝食も作らず珈琲だけでテーブルを囲んでいるわけなのだが。
  置手紙を見つけたマリベルが最初に騒ぎ立てたせいで余計に場が混乱してしまった。

「とりあえずその手紙、見せてもらえますか?」
  ウィルはマリベルが握っている便箋を指差して、話を切り出した。
余程強く握っていたらしく、その手紙はもうマリベルの手の中でくしゃくしゃになっている。

「う、うむ」
  そう頷いてシャロンが残していったという置手紙を差し出すマリベル。
 
「……えぇと……」
  この上なく悪い目覚めで頭をポリポリ掻きながら、受け取った手紙に目を通した。

 

『拝啓、麗しきウィリアム様とその愛人様方へ。
  少し所用を思い出しましたので、暫く実家の方へ帰らせていただきます。
二月もすれば戻ってこられると思いますので、どうかご心配なさらぬよう。
                                      敬具。
    追伸。
   実家に帰る理由は、御二方が夜な夜な盛り声を上げて眠れないからというわけでは
   御座いませんので悪しからず。』

――う〜む。
  一通り手紙を読んだウィルはどうしたものかと首を捻っていた。
相変わらず達筆だなぁとか、文脈の要所要所で皮肉が混じってるのが実に彼女らしいだとか、
そんなことは置いといて。

「突然実家に帰るって……どういうことなんだろう。
俺たちに一言も言わないで、敢えてわざわざ手紙を残すなんて……」
  シャロンはあまり多くを語らない性格ではあったが、
こういう大事なことを黙っているほど無口というわけでもない。
むしろ、こ重要なことを話忘れるのはマリィの方が多い。
シャロンは彼らの顔ぶれの中では最もしっかりした人物であったはずだ。
喉の奥に小骨が刺さったような違和感を感じて、ウィルは顎に手を当てた。

「なにかシャロンさんに変わった様子はなかったんですか?」
「いえ、特には――――あ」
  横から手紙の文章を覗き込んでいたマリィの問いに、ウィルは小さく声を上げてから内心
「しまった」と思った。

「……?」
「あ、いえ。なんでもありません」

 船上での突然のキス。不意にその時の光景が脳裡に浮かんだ。

『それでしたら―――――お言葉に甘えて…』

 危うく紅潮しそうになったが、すぐに別のことを頭に思い浮かべて
マリィたちに悟られるのだけは避けた。

(次の日にはもういつもどおりのシャロンちゃんだったし………
あのキスと今回の一件は関係ないと思うんだけどなぁ…)

 
「心配ですね。俺たちの考えすぎならいいんですが……一応追いかけた方がよくありませんか?」
「…あやつは元から己のことは話さないタチじゃったからな……」
「子供じゃないんですから、過度の心配は余計に話をややこしくするだけですよ」

 めいめい思ったことを口にする。

 少しでも心当たりがあれば多少なりとも安心できたのだろうが。
四人の中では最も落ち着いている人物であったシャロンには、今まで目立った奇行もなかった。
オークニーの住人からも『何でも屋"ハーレム"の唯一の良心』と言われていたほどだ。

それ故に今回の一件は三人――特にマリベルにとっては酷く違和感を感じる行動に映るのだろう。
酷く心配げなマリベルの表情を垣間見たウィルは心を痛めた。

「……姫様…」

「やっぱり五月蝿い盛り声というのはマリィの方だと思うのじゃが、そこんとこどうじゃろう?」
「なっ…!?そ、そそ、それはあなたの方でしょう!」

「……そっちの心配ですか」
  いつものようにいがみ合い始める二人を他所に、
ウィルはシャロンの助け舟がないことを心細く思っていた。

「実家……ねぇ。
俺はてっきりシャロンちゃんは根無し草だと思ってたんですけど」

 王都を出てから此処――オークニーまでの旅路の際、
頼もしいくらい旅慣れた彼女の一挙一投足を脳裡に浮かべる。
どう考えたって侍女をやる前はあちこち旅して回ってたに違いない。
  失礼な話ではあるが、シャロンにも帰る家はないのだろうとウィルは予想していた。

「そもそも、シャロンさんの実家ってどこなんですか?」
  マリィの素朴な質問。
まぁ当然の疑問だろう。
だが、当のウィルは完全に失念していたらしく、顎に手を当てたまま固まった。

「あー……えーと……」
  いくら記憶を掘り起こそうとも答えられるはずがない。
シャロンについての生い立ちは全くといっていいほど聞かされてないのだ。
ウィルが知っているのは、せいぜい本名がマリアンヌだったということくらいのはずだ。

「ああ、それなら…」
  と、横でマリベルが口を開く。

「シャロンの生まれ故郷なら、グレイル帝国の帝都じゃぞ」
  自らの記憶を辿るように目線を上に向けて、軽く頷いてからそう言った。

「へぇ……帝都出身なんですか。意外に都会生まれなん………ってちょっと!?」
  初めて聞いたとウィルは納得していたが、直後にいきなりマリベルに詰め寄る。
その形相にちょっとだけ王女様はたじろいだ。

「なっなんじゃ!?」
「なんじゃ、じゃないですよ!忘れたんですか!以前うち宛てに来たロラン家の手紙!
どう考えたってあれが原因じゃないですか!」

 グレイル帝国の大貴族ロラン家。
帝国のトップクラスの貴族ならその邸宅も帝都にあるはずだ。
シャロンの置手紙の文面を信じるなら、
ロラン家のあの手紙が何らかの引き金になっている可能性は充分にある。
――思えば、あの手紙の中身についても不審な点が間々あった。

 僅かな――見方を変えれば過剰な心配だとも言える――
胸のあたりが詰まるような、ざわざわした不快感。

「………」
「ウィル?」

 ガタッと椅子を揺らす勢いで突然席を立ち、旅支度を始めたウィル。
モーニングコーヒー片手にそれをポカンと眺めながら、マリィが尋ねた。

「俺、とりあえず彼女を追いかけます。
取り越し苦労ならいいんですけど、どうもキナ臭い匂いがプンプンする」

 とりあえず最低限必要そうな荷物だけまとめながら、静かに問いに答えた。

「シャロンちゃんのナイフの腕前。内容が不明瞭な国外貴族からの依頼状。
……で、その後に消えた帝都出身のシャロンちゃん。
状況から言ってあからさまに怪しい」

「ちょ、ちょっと待ってください!今から行くんですか!?」

「早ければ早い程いいに決まってるじゃないですか。
運が良ければ帝都に着く前にシャロンちゃんとバッタリ会えるかも知れませんし」

 かつての経験からか。
『後手に回ったせいで取り返しのつかない事態になってからでは遅い』なんてことは
今まで何度も味わってきた。
アリマテアの一連の騒動、ベイリン傭兵旅団の壊滅――それらを脳裡に思い返していた彼にとって、
日和見にシャロンの帰り待つ選択は到底できなかった。

「そ、そんな……いきなり……。
……帝都までの足の用意とかどうするんです…?
それによしんば目的地についてもシャロンさんが何処で何してるか、全く手がかりないんですよ?
まさかあの広い帝都を虱潰しに探すつもり……なんてことはないですよね?」
  マリィは荷物をまとめているウィルにくっ付いて回り、なんとか引きとめようと捲くし立てた。

「それは道中で考えます。
帝都中の貴族の邸宅を回って、新しく雇われたメイドがいないか訊いてまわってもいい。
後ろ暗い仕事をしてるなら情報屋に金を積めばいずれは接触できます。
何かしら方法はありますよ――どっちにしても帝都に行かないことには始まりません」

 最後に一対の剣が収められた鉄鞘を腰に挿して、

「馬ならアシュリーに頼めば用意してくれるでしょう。
……後が怖いですけど」

 あのトラブルメーカーを地で行く彼女に貸しを作るのは、いささか不安を感じるが……と、
最後に苦い顔で笑った。

「まぁともかく。すぐに出発します。
幸いシャロンちゃんが此処を出たのは夜明け頃でしょうし、急げばすぐに追いつくかも知れない」

「うぅ……」
  もはやこれ以上の説得は無意味と解っていても、マリィには納得がいかないらしく、
なんとかそれらしい言い訳が思い浮かばないか唸り声を出していた。

「ウィリアム」
「…はい?」
  そのマリィの横で、すくっとマリベルが起立。
普段はあまり見せることのない真面目な表情だった。

「わらわも行くぞ。シャロンには普段から世話になっておるしな」
  きゅっ、とその小さな唇を硬く結んでウィルに歩み寄る。
その足取りもしっかりしていた。

 マリベルはこの中で一番シャロンと付き合いが長い。
ウィルが『王の盾』になるずっと前から侍女として傍に置いていたのだ。
一際彼女の身を案じるのは当然だろう。

「それに、シャロンが居なければマリィを亡き者にするけいか……んんっ…いや何でもない」
「私を、何です?」
「別に」
  コホンと咳払いをしてマリィの視線から目を反らした。
訂正。マリベル王女は自分のことしか考えてない悪女です。間違いなく。

「――わかりました。
でも勝手な行動はしないって約束できますね?」

「うむ。心得ておる。今は有事じゃからな、余計なことはせん」

 マリィをどうこうする計画とやらはともかく。
マリベルがシャロンを心配しているのは嘘偽りのない事実だろう。
それを見越して、多少危険な旅路になる可能性があろうともウィルは
マリベルの同行をあっさり許可したのだ。

 とととっ、と駆け足で自分の荷物を取りに行くマリベルを尻目に。

「……もうっ!」
  わざとらしい溜息と共にマリィの口から不満が漏れる。
  笑顔で支度を始めたマリベルの様子を暫く眺めていた彼女は、
ウィルにアピールするように大仰に肩を落としてみせた。
「……団長?」

「私だけ残っても仕方ありません。シャロンさん探し、私も手伝います。
姫様ひとりだけを同行させるなんてとても容認できませんし。
それに……もし荒事になれば"戦姫"の力が必要でしょう?」
  もう腹を括った様子で、腰に下げていた剣の柄をぽんぽんと叩く。

「……いいんですか?」
「独りで此処に残れって言う方が私には拷問なんですっ!」
  さっきからずっと不機嫌そうだったものだから、おっかなびっくりにウィルが尋ねると
益々機嫌を損ねた様子で頬を膨らませた。

「いや……えと、すいません……」
  結局全員で出立することになったな……と思いながら、頬を掻く。
 
「それじゃあ、俺と一緒に来てください。団長」

「あ……」
  ちょっと真剣な顔でそう言っただけ。
それだけのことなのに、厳しかったマリィの表情は僅かに緩んだ。
彼女のウィルに対する心酔っぷりが凄まじい故か、それとも割と安上がりな性格なのか。

「も、も……勿論です、私はウィルの傍にいると決めてますから。
王国を去ったあの日からそうずっと――」
  自分でもそれは気付いてるらしい。
すぐに厳しい表情を取り繕うが、言葉を口にする度、にへらにへらと顔が綻んでいる。
マリィのそんな百面相を少し不気味に感じていたウィルも、少し引き攣った顔をしていたが。

 どう彼女に返答すべきか逡巡していたウィルの元へ、
助け舟―――否、さらに場を混乱させる元凶が扉を叩いた。

「ちょっと!マリィさん!」

 さっそく怒声。この声は彼女しかない。
その声にウィルたちが反応する前に。

 バタンッ!
…と、玄関扉を蹴破りかねない勢いで、かのトラブルメーカーが勇み足で住居侵入。
大層ご立腹の様子で、肩を怒らせ鼻息も荒い。
三人の今の状況を大して確認もせず、アシュリーは更に捲くし立てた。

「初日から遅刻するなんてイイ度胸ですね!今日はもうノーギャラで働いて……もらい、ます…?」

 そこまで口にして、やっと気が付いたらしい。
荷造りしているウィルたちそれぞれの顔を暫く眺めると、ぱちぱちと数回瞼を瞬かせた。

「「「………」」」

 (わぁ。いつも嫌なタイミングで沸いて出てくるなぁ、この人。)
  旅支度を始めている三人の光景を把握できずに固まっているアシュリー嬢を見つめつつ。
彼女にどこから説明しようか、などと考えていた――――

 

 

 

 ……と、まぁちょっとした紆余曲折がありながらも。
すんなりとアシュリーから馬を手配してもらえ、
その日のうちにオークニーを発つことができたわけだが。
さすがに帝都は遠く、あれから十日が経っても未だにこうして馬車の中で揺られているのである。

「ぷっ……くくっ……」

 ずっと外の景色を眺めていたウィルは、隣から漏れる堪え笑いに眉根を顰めた。
「……いきなり思い出し笑いなんてしないでください……不気味すぎます」
「ふっ……ふふっ……いや、すまぬ。
別れ際のときのマリィの顔を思い出してな……あのときのアヤツの顔と言ったら……
くくくっ……これが笑わずに……」

 とうとう腹を抱えだしたマリベル王女を呆れたような目で見つめ、嘆息。
そして。

「あんまり団長をイジメないでください。
あの人が本当にキレたら俺にだって止められないんですからね」
  と言ってマリベルを諌めたが、マリベルの笑い声が収まることはなかった。
はぁ、とウィルが漏らす溜息はマリベルの堪え笑いに掻き消えていた。

 そろそろお気づきの方もおられるだろう。
アシュリーが紹介してくれた、この馬車。
御者を除いて同乗しているのはウィルとマリベルの二人だけで、某騎士団長殿の姿がないのだ。
  実を言うと、マリィはアシュリーの意向でウィルたちとの同行を許されなかった。
ミス・オークニー・コンテストで優勝していた彼女は、
ミスオークニーとして通商組合に暫く従事しなければならないらしい。
マリィ自身はどうやらバックレるつもりだったようだが、
アシュリーが「馬車を紹介する代わりにマリィは置いて行く」という条件を提示してきたために、
やむなく彼女はオークニーに残ることになったのだ。

 無論、マリィは「嫌だ」と連呼しながら剣を振り回していたが、
ウィルが長い長〜い時間を掛けて説得したおかげでなんとか首を縦に振ってくれた。

「大丈夫かな……団長」
  出立したとき、振り返るといつまでも半べそで見送っていたマリィを思い出す。
自活能力が激しく怪しい彼女を独り置いてきたのはマズかったか――
などと今さらながらに不安を禁じえなかった。

「おぬし……いくらなんでもマリィを子供扱いしすぎではないか?」
  今度はマリベルがウィルを呆れた顔で見ていた。

 実のところ、マリィを同行させられなかった理由はもうひとつあるのだが。
そのことについては追々説明することにしよう。

 

 ともあれ、大した策もなくシャロンを連れ戻しに来た二人ではあったのだが。
ウィルは内心で帝都に着くまでの間にシャロンに出会えるのではないかと期待していた。

 というのもオークニーから帝都へ続く、この一本の街道。
物流のために整備されたこの道は、単に往来するだけにしても非常に便利な道だ。
二つの街を行き来する人間は先ずここを通っていると言っても過言ではない。

 だが。
これだけの急ぎ足で踏破した道のりにシャロンがいなかったということは、
彼女はきっとこの道を利用しなかったのだろう。
ウィルたちよりも早く帝都に着いたとは考えにくい。
それこそ、夜通し馬を走らせていなければならないからだ。

(ただ……シャロンちゃんの場合、その辺のツテがありそうだから怖いんだよなぁ)

 どこで培った能力なのか解らないが、彼女は情報網を張る速度が異様なほど速い。
オークニーで何でも屋を開いてからこっち、彼女のコネのおかげで解決した依頼は星の数ほどある。
しかもウィルたちと同じく初めて来た街で、しかも二ヶ月と経たないうちから……だ。
  その度にウィルは彼女の(裏の?)顔の広さに驚かされたものだ。
もし仮に彼女が街道を行くよりも早く帝都に着く手段を知っていたとしても、何ら不思議ではない。

 とにかく状況がどうあろうと、もはや帝都の中で彼女を探すしか手はない。
いくらか手段を考えておかなければならないだろう。

「マーガレット・ロラン―――か」

 やはり、一番有力な手がかりはこの手紙の差出人だ。
依頼の手紙を利用して、彼女に探りを入れてみるのも悪くないかもしれない。
……少々危険かもしれないが。

(でも――例の手紙が海の藻屑になったのが悔やまれる……うぅ…)

 帆船で食事したあの夜、漆黒の海中に消えていった依頼の手紙を思い出して
ウィルは大いに頭を抱えた。
あの手紙がなければ自分がオークニーのウィリアム・ケノビラックだと証明できない。
なんとか身なりだけで判ってくれれば良いのだが……と。

「ウィリアム、ウィリアム」

 『どうしたものか』と考えていたウィルの袖を、忙しなく引っ張るマリベル。
どうやらこちらはそれほど重荷を感じていないようで、
シャロンを心配しているのとは別腹にしてこの旅を楽しんでいるらしい。
なんというか……箱入りのお姫様だった割にこういうところは妙に逞しい。

「なんですか、もう……」
「ほら!あれ、あれ」

 ぐずる子供をあやすような顔で返答するウィル。
そんな彼の態度も気にせず、マリベルはしきりに窓の外を指差した。

「あれ…?」
  彼女に言われるまま、渋々と小窓から覗いてみる。

 その小さな窓枠の向こう。
遠くからでもはっきりと解る高い城壁が、街道の果てに聳えていた。
まだ見えるのはおぼろげな輪郭だけであるが、あれほど高い城壁は帝国にひとつしかない。

―――帝都。
この大陸で双璧を成す大国、グレイル帝国の首都だ。

「やっと……着きましたね」

 引き締めた顔でウィルが呟く。
――何事もなければいいが。
  そう懸念する彼をせせら笑うように、先刻まで青かった空は少しずつ翳り始めていた。

2007/10/21 To be continued.....

 

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