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 オォォォォォォォォォォォォオ

「そうだ、このまま押し切れぇぇ!」
「くぁぁ……っ!?」
「何のこれしき! おい、各地の警備を早く回すんだ!!」
「現在召集を掛けておりますが、そこにも反乱軍が!」
「止まるな! 突き進むんだ!!」

 槍を振るうジウ国の正規軍、それを迎え撃つ反乱軍に雇われの剣士達、ひたすら響き渡る怒号。
  潜入から約二ヶ月。デコーズ邸付近の王都を始めとしたジウ本国領土は、伯爵が各地の貴族に
声を掛け集めた反乱軍と、その目と鼻の先にある王城からやって来た討伐軍とによって、
今まさに激しい戦闘の最中にあった。
  争いの理由は単純で、暗示とそれを使いこなす巧みな話術により次々と国内での勢いを強めていった
デコーズに対し、王は呼び出しをしてこれ以上の増長を止めさせようとする。
が、デコース伯爵はそれに面従腹背の構えを取り続けていた。
  王は圧政に伴う権利欲求のみに醜く固執して、徒に国の治安を悪化させる暴君。
今もう一歩という所まで進んだ、ジウの特性を最大限に引き出す自らの理想の実現化に際し、
最も邪魔な存在である。
  既に多大な国内で権限を持つデコーズは、これを出世街道における最後の踏み台と考え、
甘い汁を吸うだけで自分に従う気の無い古参達をも纏めて一掃するべく、
長らく企て続けていたクーデターをついに実行したのだ。

「老いぼれ共の時代はここまでだ、我々が真のジウを完成させる!!」
「「うぉぉぉぉぉぉぉぉお!!」」

 本陣である伯爵邸にて、檄を飛ばし味方を鼓舞するデコーズ。互いの喉元が至近距離にある
この戦い、先手を打って一時的に主導権を握っているものの、数で勝る相手との戦力差は五分。
  ここから僅かでも流れが不利な方向へ傾けば、反乱軍の敗北は必至。
それ故、戦闘の最前線である王都は、序盤からまさしく阿鼻叫喚の様相を呈していた。

 王率いる主力との分断を図れればと思っていたが、
まさかデコーズが既にここまで単独で手を回していたとはな。

「なっ、貴様いった」

 ザシュッ

 その最前線。市民達の大半から協力を得て、反乱軍は地形の援護を活かした急襲や不意打ちを
繰り返している中、私も今、兵士の首をまた一つ切り落とす。
  全ての国民を対象とした恐怖政治を旨とする国王とは比較的異なり、
伯爵が掲げたのは下級市民達に対してもある程度の権利と自由を与えるという公約。
実際は奴隷制度の劇的な撤回が成される訳では無いが、両者の争いが起きた今、
少しでも自分達に利益の保証がある方へと市民は従うもの。

 見所のある奴だ。

 暗示の強制力はあくまで補助的なもの、例え魔力が無かろうと、
この男はいずれ同じ道程を辿っていたに違いない。キルキアへ渡り魔法を習得する前の自分と、
どこかしら通ずるものがある。
  ただの奴隷産地と歓楽国としてではなく、ゆくゆくは他の近い分野への発展を促し
大国を目指さんとする姿勢に、私は統治者たるに相応しい才覚を見た。

「「ワァァァァァァァ」」

 しかし、と、周囲を見渡す。
  国王側もいよいよ手段を選ばなくなったか、街のあちらこちらから火の手が回り始め、
堪らず市民達が家を捨てて安全な場所を求め逃げて行く。

 …この状況下、未だ王城を制圧出来ていないとなると、戦運びの方はそう上手くないか。

 何せ拠点の位置が位置なだけに、仕掛けるからには一瞬で勝負を付けなければならないこの作戦。
協力者達への根回しは及第点だったのだが、戦い始めてからどうにもテンポが悪い。
  同じ条件で私が指揮を執るならば、既に国王の首級を揚げていても良さそうな時間。
ところが、反乱軍は市街地の協力を得られなくなる中、徐々に敵との兵力差が効き始め、
今や侵攻のペースが停滞してしまっている。

 もっとも、本人にして見れば些か予想外の展開になるからな。
不意のアクシデントに対する対処がなっていないとも取れる。

「死ねぇい、反逆者共めっ!」
「手こずらせやがって! この!!」

 ドスッ、ドスッ!

「ぐふっ……む、無念…」

 追い詰められた何人かの反乱軍兵士が、騎兵隊の槍に貫かれて無残に命を散らした。

「絶対に退くな! 押し返されたら全員死ぬぞ!!」
「ち、畜生! なんだってこんなことに…城へ行った奴らはどうしたんだよぉ!?」

 少しづつ不利になっていく戦場に絶望しながら、兵士の一人がそんな事を叫ぶ。
問いに応える声は無く、代わりに鋭い刃が彼を襲った。
  今回のクーデターにおいて先手必勝を期すべく、王の首を求め城へと先駆けて行った
反乱軍の突撃部隊。デコーズが自ら選び抜いた精鋭のみで編成され、
おそらくはその第一矢で鮮やかに勝利を手にする筈だった男達。
  彼等の死を覚悟した奇襲攻撃は、彼我の距離を考えても非常に有効な戦法であり、
あの伯爵が満を持して行うだけあって、王城へと侵入する経路の確保や隙を作る為の陽動等、
事を成す為に必要な準備も万全である。
  しかし、それにも拘らず決死隊の急襲は直前で失敗。城内を混乱させて
一時的に戦の主導権を握ったものの、目的である国王の命をその場で奪う事は出来なかった。

「態勢は立て直った、ここからが我らの反撃だぞ!」
「そらそら! さっきまでの勢いはどうした!!」

 さて、では何故それ程に念入りな手順を踏んで行った奇襲は不発に終わったのか。

 ズシャ、ドスッ

「げはぁ!?」
「くぅぅぅ、そんなバカな…」
「国王様に逆らおうとする不逞の輩共めが、成敗してくれる!」

 簡単な話である。選抜隊に入った私が、直前にその内容を向こうへ知らせたからだ。

 兵が殺到する城内を抜け出すのは少々骨を折ったが、お蔭で戦況は良い具合になっているな…。

 他の指揮官もそれなりに頑張ってはいるが、軍人はまだしも傭兵達は士気の低下が見られる。
逆に国王軍は調子に乗り始め、双方の均衡が崩れるのも間も無くだろう、
中には早速引き返す者までもが現れ始めたのを、私は王城付近の衛兵に紛れて眺めていた。

 ……そろそろか。

 黙っていても成功していただろう、デコーズ伯爵のクーデター。
しかし、その結果が圧勝ではこちらに然したる利益が生まれず、
反乱軍がそのまま新しいジウの正規軍に取って代わるのみ。
  ならばここは、敢えて妨害による混戦化で互いの被害を増やし、
ひいては反乱軍の総大将であるデコーズを危機に追いやる。
やり過ぎれば即敗北してしまうので、場面を見ては王国軍に対してもゴース隊と闇商達の手を借り、
秘密裏に撹乱や足止めといった時間稼ぎをした。

「はーっはっは! 国王陛下万歳!!」
「虫けらが、どけどけぇ!!」
「くそっ、もう駄目なのか……!」

 そして、王国軍がいよいよ反乱軍を圧倒し出した今この時こそ、

「第一陣用意…てぇーー!!」

 ヒュンヒュンヒュンヒュン!

「ぐぁっ」
「な、なんだ、横から…ぅぐ!?」
「! ジウの旗ではないぞ、…あれは一体どこの軍だ!?」

 来たな。……良いタイミングだ、ユエ。

「第二陣用意…てぇーー!!」

 突如として横合いから放たれた矢の雨によって、次々と倒れていく王国軍。
その光景にしばし呆然としていた兵士達が、飛んで来た方向へと視線をやる。

「しかと聞きなさい皆の衆、我が名は比良坂国が女王比良坂夕重!
  これより、貴方達を残らず冥土へ案内する者です!!」
「第三陣用意…てぇーー!!」

 ヒュンヒュンヒュンヒュン!

「なにぃ!? く、ぬぁっ!」
「ヒラサカ軍だと? 最近こっちへ攻め込んで来た奴らが、いつの間に…ちぃ!!
  この大事な時に、植民地の連中は何をしていたんだ!?」
「前線部隊、ほぼ壊滅です! 隊長、ここは一旦…ぅっ!!」

 王国軍が慌てて周囲へ展開しようとするも、間断無く撃ち込まれる矢をもろに受け、
全く対応出来ないまま一掃されていく。

「今だ、敵は浮き足立っているぞ! 全軍突撃ぃーー!!」
「「うぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉお」」

「くそくそくそっ!! ぐぁぁぁぁぁ!!」

 弓兵隊による三段構えの斉射を浴びせ掛けた直後、突撃槍を構えた部隊を率いて、
今度は別の指揮官が高々と号令を上げ、黒い甲冑を身に纏ったヒラサカ兵達が雄叫びを伴って
敵陣へ殺到する。

「第一軍団は敵の殲滅、第二軍団は援護射撃、及び街の消火と市民の救助を!」
「はっ!!」

 クーデターが起きる少し前、事が発覚するのはほぼ同時という絶妙のタイミングで
攻め込んで来たヒラサカ軍。大将に戦術と知略の女王ユエを置き、
障害物である小国植民地を迅雷の如く突き抜け、この地へ馳せ参じた兵およそ総力の七割。
  それでも数では敵軍に劣れど、向こうは未だ各地へ分散している上、
個の質でこちらが勝っているのは明らかである。列島制覇を成し遂げた者達から代表して来た
歴戦の兵は、リザニアの正規軍が相手としても、決して遅れを取りはしない。

「守れぇ! 城だけは何としてでも死守するの…げふっ!!」
「どうした、ジウとはこの程度か!」
「我らの実力、とくと思い知らせてやれっ!!」

 デコーズ本人のみの力で王都を制圧し、ジウの全権を取らせるのではない。両者の疲弊した横から
ヒラサカ軍が漁夫の利を得てジウを占拠、その後の国王の後釜として、
こちらが主導する形でデコーズを据えてやるのだ。
  あの伯爵は、有能であるが故にただで従う性質の男ではない。
だからこそ、ここで必要なのが絶対に
こちらへ従わざるを得ないだけの理由となる。
  当初の目安より好機へ傾いていた本国の情勢において、この方法こそがヒラサカにとっての最善手。
滞在していた伯爵邸でその筋書きが見えた瞬間、私はすぐにゴースへ合図を送った。
  結果は見ての通り。市街地の被害だけがネックとなったものの、
これ以上無いと言える程見事に連中を手玉に取る事が出来たと言えよう。

 さて、一つ大きな恩を売りに行くか。

 残るは詰めの一手のみ。見知らぬ新手の敵を迎え撃たんと、血相を変えて飛び出していく
残留兵達に逆行し、私は踵を返して手薄となった城内へ再び駆けて行く。

 

 案の定、ジウ城内は殆ど空と言っても差し支えない位に兵が出払っていた。

「ええい、…邪魔なデコーズの奴めをこれでようやく排除してやれると思ったら、
今度はどこの国とも知れぬ軍勢だと…? 冗談ではないっ!
  わしの、わしのだ…この国は土地から民まで、全部わしだけの物……!
  だれだ! 今入って来たのは誰だ、答えい!! くそぅ、番兵はどうしたぁ!!」
「陛下、お下がり下さい! ここは我らが食い止めます!」

 申し訳程度に残った兵士達を切り伏せて玉座に向かえば、そこには半狂乱となっている
一人の肥え太った男が居た。側近に言われ城の奥へと逃げようとしているあの者こそが、
ジウの国王でまず間違いはないだろう。

「これまで散々贅を尽くしてきたのだ、死んだとて一片の悔いも有るまい、愚かな王よ。
お前の最後の役目として、ここで私の糧となるがいい」
「黙れ! 陛下を愚弄するその口、この場で叩き切ってくれる!!
  ……陛下!? いつまで呆けておられるのです! 早くお逃げ下さ」

 ザシュッ

 言葉は最後まで紡がれる事なく、鮮やかな一刀のもとに盛大な血飛沫を上げ側近の首が飛んだ。
相手の気を逸らす口上を述べていた私は、その様子を少し離れた位置から
ただ見ていただけに過ぎない。
  すたすたと、今し方切り落としたばかりの首を拾いに行く人影。
その腕には、既にジウ王の首が抱えられていた。

「良くやった、タルワール。そっちの首は必要無い、行くぞ」
「…うん」

 たったった

 片手でどう持つか考えた末、髪を掴もうと屈み掛けていた少女、タルワールが、
側近の生首から離れてこちらへ駆け寄って来る。国王の首を抱えている腕と反対の手には、
木目模様の浮かんだ美しい剣がしっかりと握られていた。

「……」

 じ……

 半歩前に出てから駆け足を止め、歩く速度を同じくしたタルワールは何も語らず、
その瞳だけがずっとこちらに向いている。
ユエやアリア、リィス隊長辺りもさり気ない風を装って時折送ってくる、
所謂”もっと褒めて”と言うニュアンスの込められた目線。

「ああ、偉い偉い。頑張ったな」

 くしゃくしゃ

 小さく溜息を吐きながら、前を行く小さな頭を掴んで数回撫でてやった。終結間近とは言え、
戦闘中にそんな要求をするのも考え物だが、今回は一応初めての手柄と言う事で大目に見ておこう。

「…ん」

 変化に乏しい表情からは中々読み取り難いものの、漏れた吐息には微かな満足と喜色が窺えた。
妙に懐かれてしまった感が否めないが、この程度の褒美で済むのならば全く拾い得なものである。

 何よりあの戦闘力、…連れて来させて正解だったな。

 城内潜入の特攻任務を失敗させた後、ゴース隊とは別に単独で戦闘妨害を続ける
私のサポート役として、例の宿から所定の位置へと闇商に頼みタルワールを待機させていたのだ。
国王軍と反乱軍の撹乱をする傍らに、留守になりがちな背後を周囲の敵から守らせるだけでも、
役割を分担する事によってこちらの仕事が大分やり易くなった。
  ウォレスを始めとする他の剣闘士達の力量は並の兵士を凌ぐが、
タルワールは護衛としてなら彼等が三、四人集まるより役に立つ。
ゴースは戦闘も然る事ながら情報収集等の技術が飛び抜けているので、
必然的に別行動での補佐役となってしまう為、彼女こそが私のもう一本の護身刀として、
常に手元へ置いて刃を光らせる事になるだろう。

「おお、殿! ご無事でしたか!」

 城の裏口を出た所で、おそらく列島からの古参であろうヒラサカ兵と鉢合わせる。
最初に私へ焦点を当てていた視線が、
背後で抜き身の剣を持つタルワールへと移った途端ぎょっとした。

「安心しろ、私の護衛だ。ところで、ここまでヒラサカの兵が居ると言う事は、
既に王都の敵は粗方始末が付いたのか?」
「はっ、後はジウ王を討ち取りこの城に我らの旗を上げるのみです!」
「そうか、……タルワール」

 姿勢を正した兵士の戦況報告を聞き終えると、私は後ろに立ち止まっている少女から
国王の生首を寄越す様に手招きし、それをおもむろに男の方へ見せてやった。

「これは、…まさか!」
「一番乗りの褒美だ、お前が今からこれを持って戦を終わらせてこい。私は別の用があるんでな」
「は、ははっ! 有り難き幸せ!!」

 困惑から驚愕、次いで興奮と歓喜へと変わる表情。王の首を受け取った兵士は大きく頭を下げると、
喜び勇んで来た道を戻って行った。

 まあ、とりあえずはこんなものだろう。

 あれも大事な交渉材料の一つには違いなく、自分で持って行っても別段構いはしないのだが、
私が大将首を取ったところでこれ以上出世する訳でもない。
むしろ、これからユエに戦後交渉を頼む相手であるデコーズに私とヒラサカの関係を知られては
困るので、あの兵士も丁度良い所に現れたと言える。

 後はヒラサカ本陣まで行き、ユエに詳しい経緯と、
デコーズを含めた反乱軍の処分について伝えるだけか。

 念の為、暗示の簡単な対処法も教えておいた方が良いだろう。
この状況では幾ら魔力の補助を得た話術を用いたとて効きはしないだろうが、
土壇場で事態がまずい方向へ転んでしまっては面白くない。
  以降の直接交渉は自分でするつもりだが、顔を知られている以上、
最初にこちらへ引き込むには別の人間が相手をする必要がある。
奴にタネ明かしをしてやるのは、そうしてヒラサカへの逃げ道を全て塞ぎ、
私を裏切れなくなってからだ。

「お前を連れて、脅しの種にしてやるのも悪くないな」
「……?」

 横に立つタルワールが、意味を量りかねて小首を傾げる。
かつての闘技場の花形役者が自分の眼前に得物を持って現れれば、
果たしてあの伯爵はどのような反応を見せるだろうか。

 あるいは、度胸試しをするには誂え向きかも知れん。

 そんな事を考えながら、新たな二本目の懐刀を侍らせ、私はヒラサカ軍本陣へと足を進めて行った。

12

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「………もし、サンドロ様?」
「何だユエ、今書状の文面を考えてるからあまり声を掛けないでくれ」

 国王、伯爵間での確執を元に起きたクーデター、それを利用したヒラサカによるジウの
侵略終了から間も無く。戦後処理も滞りなく済み吸収した旧ジウ領の城内に置かれた、私の私室。
  今後のジウ統治についての相談という建前の下、何故ウォーレーン城の様に自分と同室でないのか、
と憤って入って来たユエは、机に向かい他方への報告文を書いている私とは別に、
室内に居た先客の姿を目にしてその場で若干硬直した。

「その娘、…ええ、護衛のタルワールでしたか。………そこで一体、何をしているのですか?」
「……」

 名前を呼ばれ、私のベッドの上で一人寝そべり寛いでいたタルワールがぴくりと反応するが、
声が自分ではなくこちらへ宛てたものだとわかり頭を再び枕に沈める。
じきに軽く頬擦りをし始めたそれは、勿論私の普段使っている物。
  その光景を視界の端に捉えたか、背後で微かに息を飲む音がする。

 …デジャヴだな。

「部屋は用意してあるが、こいつには一応ここへ自由に出入りする許可を出してある。
邪魔になるので寝る時などは帰ってもらうがな」

 椅子をずらし、ユエの方へと振り返ってそう言った。
もっとも、離れてしまっては護衛の意味が無いので部屋割りはここのすぐ隣、
有事に備え何時でも呼び出せるようになっているのだが。

「………あ、あら……そう、なのですか。それは良かったですわね、貴女」
「……」

 こくこく

 今度は自分に向けられた言葉と判断して、タルワールが無言のまま二度頷く。
大きめに広げた扇子で口元を隠し、何とか余裕の態度を保っているものの、
それに対してユエが今どの様な表情をしているかは想像に難くない。

「では申し訳有りませんが、サンドロ様はこれからわたくしと大事なお話を
しなければなりませんので、その間は少し席を外して下さいな?」
「……」

 ちらり

「そう言うことだ、少し外で訓練でもしてこい。こっちは大丈夫だから」
「…うん」

 一瞬こちらへと指示を仰いだ護衛の少女は、私が促すと素直にベッドから降り、
そのままユエの横をすり抜けてぺたぺたと退室して行った。

 ……良し、合格。

 内心で、深く満足の笑みを浮かべる。それから足音がしなくなり、
タルワールの気配も完全に消えるまでたっぷりと待ち、

「………ずるい」
「まあ一つ落ち着けユ」
「ず〜〜る〜〜い〜〜〜!!!」

 大人としての体裁を取っていたユエが、とうとう爆発した。

「ずるいずるいずるいずるい! なんであの娘が良くてわたくしが駄目なの!?
  ずっと会えなかったのに! 用が無ければ部屋に入れもしないのにっ!!」

 ばたばたばたっ

 これはまた、いきなり飛ばしてるな…。

 持っていた扇子をいきなりこちらに投げ付け、近くの手頃な家具を、手当たり次第に掴んで
振り回しては落としていく。これ程の子供っぽい荒れ様は、列島時代からも久しく目にしていない。
  だがそれは、過去の行いを省みた自制心の裏返しとも取れる。もし一昔前までのユエであったなら、
あの場か、あるいは私が知らせた時点で即座にタルワールを始末しに掛かった筈だ。

「ばかばかばかぁ! ちょっと許してあげたらいつの間にかすぐに別の女を連れて来て!
  おまけに部屋を自由に出入りなんて!! 信じられない、久景様の浮気者っ!!」

 ポカ、ポカポカポカッ!

 当たる物が無くなったユエが私の胸に飛び込み押し倒して、しかし力はわざと弱めに抑えて
叩いてくる。本気で私を怒らせ、自分の存在が無視されるのを恐れるが為の手加減。

「うぅ、うっうぅ……」

 ともすれば打算的にも思える姿はその実、かつて私が彼女に願って止まなかった理想の形。
例え表面上のみだとしても、聞き分けの良い女をきっちり演じてくれれば構わないのだ。

「な、なんでっ! ぐずっ…、どうじでぇ!? いつも、いつも!!」

 胸中の不満をここぞとばかりにぶつけてくるユエは、既に顔も声も涙でボロボロの有様。
  そうと考えれば、ようやくこちらの思いに応える成長を見せてくれた彼女に対し、
仄かな感慨深さと愛しさが湧き上がってくる。

「……ぁっ」
「以前の様に暴走したら今度こそ離れるつもりだったが、良く我慢出来たな、ユエ」

 だから、在りし日の様にユエを、自らの両手でそっと抱き締めてやった。

「……たっ…ためしてた…の、ですか?」
「ああ、前よりちゃんと大人になってて安心した。これなら例え他に女官を置くとしても
問題は無いだろう。」
「ぅっ…ふぇ、ふぇええぇぇえん!! ばか! ひとでなし!!」

 慈しむよう、労うようにと頭や背中を優しく撫でさすってやる。私の膝の上で幼児に戻った風に、
恥も外聞も無く泣き喚く彼女を抱え、そうして心の中に浮かぶ達成感。
  公を濁さずスマートに、向こうから離れられなくさせ、自らの掌で望むままに支配する快楽が
ここにある。
  今までも度々、様々な形で折り合いを付けてきた。脳裏の奥底に根付く、
他者を従わせたい思いから来る子供じみた征服欲。

「そう言うな、折角頑張ってくれたんだ。たまにはお前の好きな事をしてやろう」
「ぇえぇ……ふぇ、ぇえ? …え?」

 気紛れに放ったそのたった一言で、戸惑いながらもやはりぴたりと泣き止むユエ。
そんな人間の持つ現金な本能が、私は堪らなく好きだった。

「うっく……ほんとうですかぁ? うそでは、ないですよね?」
「私に出来る限りは付き合ってやる」
「〜〜〜〜〜」

 同じ涙でも、先程までと打って変わった喜びも露わな表情で、ユエはいきなりこちらの唇に
吸い付いてくる。背に回された両腕は締め付けも全力になって、
何があっても離さないと言わんばかり。

 こればかりは、多分死ぬまで止められそうも無いな。

 

 如かして、その日の夜。私の部屋にて。

「は〜い、旦那様の大好きなお刺身ですよ、あ〜〜ん♪」
「……あーーん」

 ひょい、ぱく

「こちらの煮物も自信作です。はい、あ〜〜ん♪」
「……あーーん」

 ひょい、ぱく、ひょい、ぱく

 今、私は心の底から戦慄していた。問題点は色々とあるが、何が一番恐ろしいかと言えば、

 子供相手にするならまだしも、いい歳した男が間抜けに口を広げてあーん、て……。

 何たる屈辱。こんな事をしている自分が少し信じられない。
  あの後、ユエが私に一通り甘え倒してから最後の締めにふと呟いたのが、
今晩の食事をここで共でしよう、という願い出。
  丁度気を良くしていた私は特に考えもせず、どうせ列島に居た頃と変わらない、
いつも通りの食卓に違いないと、二つ返事で了承。
  思えばそこでもう少し具体的に聞いておけば良かったのだろう。…そう、主に料理の食べ方等を。

「はい旦那様、あ〜〜ん♪」

 ひょい

「なあユエ、私が悪かった。悪かったからこれだけはも……あーーん」

 ぱく

 隣に座るユエが甘い声を出しながら、炊いた米を箸で摘まみこちらへ寄せる。
いい加減精神が限界を迎える頃合、いよいよ私が許しを請おうとするが、
口元までやって来た食べ物とその場の空気を前に、律儀にもつい飯事に付き合ってしまう。
  見事に純和風で揃えられた料理でテーブルを覆い、私とユエ、二人きりの晩餐。

「……」

 と、少なくともユエはそう認識している筈。おそらく今の彼女には、
目の前で俄かに敵意を醸し出す少女の姿すら、路傍の石程度にも思っていない。

「なに…してるの」

 ドアを開け立ち尽くすタルワールの表情は、化石の如く動かないまま。例えるならば、
夕飯時に家へ戻ると父親が愛人と仲睦まじくしている現場を目撃した娘のする様な、そんな顔だった。

「食事だ。多少、家庭的な、……ぱく」
「どうでしょう? 御口に合いましたか?」
「ああ、美味い」

 開き直ったか、闖入者の存在を一顧だにしないユエに料理を食べさせられながら、
私はどうしたものかと考える。

「……アレク」

 常の無表情とは微妙に意味合いの異なる、言わば硬直に似た状態。
極僅かに開かれた瞳から窺える感情を表すなら、動揺か驚愕のどちらかだろう。

 この時間まで帰って来なかったというと、ゴースがまた気を利かせたか。

 いっそ勢いに任せ、一息に終わらせていれば鉢合わせる事も無かったに違いない。
もっとも、そもそもこの食事の主導権がユエにあるので、
急ごうにも急げないのが現状ではあるのだが。

「まだなら、お前も食べるか?」
「……」

 こくり

 駄目元で誘ってみると、意外にもタルワールは頷き食卓に着いた。
ゴースが足止めしてくれていたのなら、てっきり何処か穴場の料理店にでも連れていたのでは
と思っていたが。

 とすん

 ………げ。

 自らの手前にある椅子を悉く無視し、わざわざテーブルをぐるりと回って、私の隣へ。

「…………あら」

 そこで、ようやくタルワールに気付いたと言わんばかりの態度で、それまで機嫌良く
箸を運んでいたユエが動きを止め、こちらを見つめる。
それに対し、さり気ない目配せで謝罪の意と、流れに合わせてくれるよう頼んだが。

「あら、まあ……うふふ」
「……」

 これは、絶対に通じてないだろ―――

 左右から私を挟み、方や不気味な微笑を浮かべたユエ、方や強張ったままな表情のタルワール。
二人の視線が肉眼で捉えられないものを伴い、しばし空中でぶつかり合う。

「…おい、おい。ユエ、タルワール」
「…………」
「…………」

 聞いちゃいない。

 結果オーライ、とは言えんだろうな。…私もまだまだか。

 今回は、調子に乗って少しばかりサービスが過ぎた。
  いつ如何なる時であろうとも、金と女に油断してはならない。
自らの些細な失敗を通じ、過去に得た教訓を改めて心に刻む。

「もう良いなら勝手に食べるぞ、私は」

13

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 夕陽に照らされ、暮れなずむ王都に聳えるジウ改め、ヒラサカ国本城。

「ウォーレーン地方にリザニアからの使者が来たようだ」

 来たか、…予想より少し遅かったな。

 先の騒乱でヒラサカの手に落ち、女王直々に国が誇る辣腕宰相に任命されて一月半。
執務室にて部下数人と書類の処理を行っているデコーズが、判を押しながらそう言った。

「向こうの話では君に用らしいが、今度は何をしでかしたのかね?」
「以前の所属がリザニアだった。それだけだ」
「ほう……独立した、という事か」

 素知らぬ顔で答える私に対し、おおよそそんな所だろうと思ったよ、と、デコーズ。

「しかしまあ、君も大概その手のやり口が好みだな。全く恐れ入る」
「意味の無い犠牲は国を弱らせる。血を流すだけが戦ではないだろう」
「確かに、それは同意せざるを得まい」

 忙しなく書類を捌く両手とは裏腹に、彼の顔は至って涼しげだ。
私が見込んだだけあって、戦後処理による連日の労働を物ともしない余裕振りである。

「さて、それで結局どうするかね」
「行って来よう。まだ時間は掛かるが、ここの復興はお前とユエが居ればとりあえず回る」
「なるほど、では出掛ける前に女王陛下への許可は君自身が取ってくれたまえ。
我輩や他の者が言ったところで、聞く耳など持つまい」

 自国の足場を固めるまでの間は、警戒は怠らずとも、他方への侵攻もしばらくは控えた方が良い。
ウォーレーンの様子見も兼ねて、今が時期的にも安定している。

「わかった。……ところで、用とは具体的に何だ」

 相変わらず目線を書類に走らせているデコーズに、私はそう尋ねた。
あちらも子供の使いという訳でもなし、それぐらいは聞き及んでいるだろう。

「同盟の誘い、との事だ。…が、事情を聞いた限りでは君を指名する辺り」

 言葉通りに受け取るのは如何なものか、口にせずともそう言っているのがわかる。

「くれぐれも気を付けたまえよ」
「ああ」

 そんな短いやり取りを終えると、私は使者の待つウォーレーンへ向かうべく、執務室を後にした。

 

「お待ちしてました、アレクサンドロ殿」

 こいつか…。

 準備を整え、ジウ地方から馬を飛ばして約四日。城の応接間で私を待っていたのは、
リザニアの外交官の一人、ハーマイン。
  エイブル将軍率いる軍においても時に参謀役として働き、武力優先なリザニアの将兵には
珍しい頭脳担当の男。イスト、イストリア属国化の際にも各種手続きを手伝う為に現れたりと、
記憶に残っているのは専ら各地を奔走する姿だった。

「最後に会ったのは、あなたがあの方へ報告をしに行った帰りでしょうか」
「そうだな」

 再度軽い会釈をしてくる相手に、こちらも愛想程度に付き合う。
  ここの城主を任せていたツガワに頼んだお蔭で、辺りに他の人間の気配は無い。
室内には私と護衛に連れて来たタルワール、そして目の前のハーマインのみ。

「話を聞いてここに居るものだとばかり思っていたのですが、ご足労頂き申し訳ありません」
「前置きはその辺で良い、用件を言ってくれ」
「……わかりました」

 互いに世間話をしに来たわけではない。挨拶を続けようとするハーマインに対して先を促すと、
向こうも折り込み済みなのだろう、入室時からの真剣な面持ちのまま一つ頷く。

 さて、一体何を言いに来たのか。

「アレクサンドロ殿、リザニアへ戻るつもりはありませんか?」

 彼の口から出た台詞は、私が予想していた幾つかの内容に当て嵌まるものだった。

「無いな。少なくとも、この場で戻るのは有り得ない」
「それは我々の敵に回ると、そういう事でしょうか」

 敵、その単語一つで、どちらからともなく不穏な雰囲気が漂う。

「現段階ではそれも無い。例え今リザニアへ攻め込んだ所で、特に旨味があるとは思わん」
「つまり、いずれは攻め込むと?」
「あの将軍に隙が出来ればの話だが、どうだかな。逆にこちらへと攻め込むならば、
迷わず剣を執らせてもらおう。
  ……要するに、以前のウォーレーンと概ね変わらない、不可侵状態だ」

 問い掛けに対して、半分本音で答える。
  そんな私の返事もとっくにお見通しなのだろう、ハーマインはやはりといった表情で、
ソファに浅く掛けていた腰をゆっくり据え直した。

「仕方がありませんね。それでは当初の目的通り、改めて同盟の申込をさせて頂きましょう
  まず内容についてですが…」
「…ちょっと待て」

 さり気なく発せられた言葉に違和感を覚え、咄嗟に続きを遮る。……当初の目的?
「聞くが、さっきの話はお前の独断か」
「はい」

 真顔のまま、将軍の指示を受けてやって来た筈の使者は、はっきりとそう答えた。
  命令違反。与えられた職務は意にそぐわぬものでも忠実に実行する、
ともすれば私の体裁用の外面よりも地で生真面目なこの男が。

「…話術の一環として、とうとうジョークを覚えたか」
「冗談を口にした覚えはありませんし、覚えようと思っても、あれだけは未だに理解出来ません」

 だろうな。

 その驚くほどの生真面目さ故に、言葉遊びはともかく、軽口や冗談の類が全く通じないのも
また確かな話。一切余分の無い理路整然とした交渉が売りなだけあって、ハーマイン本人もまた、
遊び心を何処かへ置き忘れた様に融通の利かない性格と認識している。

「考えてみれば、普段からいきなり本題に入っていたお前が、
あれだけ前置きをしたというのも珍しい。…どういう風の吹き回しだ?」
「国内、特に西側での情勢が芳しくありません。
要であるエイブル将軍に、以前の様な活力が失われてしまいました」

 唐突に。

「あなたのせいです」

 ハーマインが、硬質な声でそう言った。

「おいおい」

 他国の将に自らの弱みを晒す様な発言をするのも驚きだが、その内容もまた衝撃的である。
リィス隊長等ならいざ知らず、よりにもよってあの将軍がやる気を失っている、と。

 ………ほう。

 センスの欠片も無い、冗談にもならない戯言だとしたらまだ聞き流す事も出来た。
  しかし、反射的に覗き込んだハーマインの目、その瞳の奥底には、どんな嘘の思念も感じ取れない。
視線を通じて心を読んだ私にとって、それは何よりも決定的な事実を意味していた。

 将軍が演技をしていて、こいつが真に受けたのだとしたら話は別だが。

 そんな事をするメリットがそもそも無い。

「幸い、今はどうにか落ち着きを取り戻しています。とは言え、本調子には程遠い状態ですが」
「それがどうした。まさか私を情で釣ろうとなどと思ってるわけではないだろう」
「将軍にそのつもりは無いようです。プライドの高い人ですから」

 まるで、自分はその限りではないと言わんばかりの口調。

 …ああ、成る程。

 強い意志を込め、真っ直ぐにこちらを見据えるハーマインの目。
私の思考は、そこでようやく一つの結論に至った。

「つまり、提案者はお前。今日までの間は、渋る爺さんを説得する準備期間だった訳か」
「そうなります」

 白々しい態度で頷く外交官。……面白い。

「意外だな。もう少し固い奴と思っていたが」
「時と場合によるかと。あなたのような相手ならば、特に」

 どんな事を喋ったのか、このとんだ食わせ者のせいで、
爺は既にヒラサカへの戦意を殆ど失いかけているらしい。

「同盟を結びましょう、アレクサンドロ殿。大陸を自分の手にする為に動いているあなたにとって、
決して損は無い条件を用意します」

 ソファから立ち上がり、こちらへ向かって、そっと片手を差し出すハーマイン。

「エイブル将軍が同じ理由で居るとしてもか」
「先の事など、誰にも分かりはしません。それならば、現状において、
より有利な方向へ運ぶべきだと思います」
「リザニアとヒラサカ、双方が凌ぎを削るのは無益だと?」
「わたしには、あなたが裏切った最初からそう示唆しているように見えました」

 不意に、喉から笑いが零れる。

「わかるか、お前も」
「あの方と比べても、あなたは大分捻くれてます。…今のリザニアは、あなたの的になりますか?」

 いいや、射程にはまだ遠いさ。

「くくっ…」

 仕掛けた見えざる罠を察知して、己が身と共に釘を刺す。流石は知将といったところか。

 隙あらば取り込んでやろうと思っていたのだがな…。

 他の邪魔者を排除したければ、互いに協力する価値がある。内々に仕込んだ手を尽くして、もっと
切羽詰まらせてから持ち掛けてやるつもりだったが、やはりそこまで甘くはない。

「……?」

 首を小さく傾げ、横に立ったきり、さっぱり話の流れに付いて行けてない様子のタルワール。
  キルキア大陸統一同盟。ハーマインの提示した矛盾を孕む題に、
私は言葉ではなく、笑みと握手を以って返した。

14

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「―――以上だ。リザニア王の印は既に押されてある。後はお前の認可を貰うだけだが」
「……以上、って久景様」

 旧ジウ、改築を終えて今や完全にヒラサカ城とその名を変えた、城内の王室にて。
私からウォーレーンでのハーマインとの取引の報告と、同盟の誓約証を受け取ったユエが、いつもの余裕を失った表
情で信じられないという風にこちらを窺う。

「御言葉ですが…一体、何をお考えなのですか?」

 その呟きに、浮いた感情は全く無い。ただ単純に、自分の前に座っている人間の言っている事が
理解出来ない、納得が行かないといった、不信感を露わにした瞳。
  理由は、言うまでも無くキルキア大陸統一同盟について。

 ”リザニア国、ヒラサカ国間での物資流通、及び軍事面での相互支援。
並びに、両国の領土侵略の禁止。尚、期限は現在暫定的に、キルキア大陸において両国以外の国家が
全て無くなるまでとする”

 とどのつまりが、手を取り合って仲良く大陸を支配しましょう、と言う内容。
  他の国を残さず滅ぼした後に互いをどうするか、それについては何も記されてはいない。
改めて敵対するも、同盟関係を続けるも本人達の考え一つとなっているが、

「こんな、みすみす敵に塩を送る様な同盟。こちらへ攻め入れる程に、リザニアの情勢が予想よりも
出来上がっているならばこそ、一時的な和睦としてこの案も認められます。ですが、これはその逆。
放っておけば自ずと崩れてくれるかもしれない強敵の手助けをするなど、
わたくしには正気とは思えません」
「………」
「焦らずとも、我々は既に正面から他国へ侵略を行えるだけの力を有しております。
多少なり時間を掛けさえすれば、たとえリザニア級の国家がこの先あったとして、
然したる障害にならないだけの軍へ成長する見込みが十分あるのです。
  だと言うのに……久景様は、リザニアへと再び降るおつもりなのですか?」

 もう一度、真剣な眼差しで見つめてくる。大局の流れを決して見誤らぬその目が、
今この状態で同盟を結んだ場合のヒラサカ、ひいては私の行く末を雄弁に語っていた。
  自分の仕える主として信頼しているからこそ、内心の戸惑いをあえて隠そうとはせず、
そう口にしたユエ。そんな部下としての彼女は、やはり心強い存在と言えるだろう。

「…列島の頃は、そこまで後の事を考える余裕も無かった。何せあの頃のあそこは
ここより余程切迫していた上、私も口にこそしなかったが、自分が世界で一番優れているなどと言う
壮大な勘違いをしていたからな」
「久景様?」
「折角の機会だ、お前にははっきり聞いて置いて欲しい」

 机を挟んで真向かいに居るユエに、私も視線を合わせる。
  遍く人民の頂点に立つ者は唯一でなければならない。人の上に立つからには、
頂点は相応しい器を持った者でなければならない。

「私は支配者になりたいと思っている。何故だかわかるか?」
「そうした願望が自分にはあるからだと、以前に直接お聞きしました」

 突然の問い掛けに対して、もう随分前になされただろう会話の内容を忘れずに取り出すユエ。
確かに、たまたま機嫌が良かった時にそんな事を話した記憶がある。

「だが、理由はそれだけでは無い。侵略したい、征服したいと思うからには、
そこに私個人の理想へ変えようとする意思がある。付け加えて、私は完璧主義者だ」

 理想水準を満たせないものは自分で矯正し、納得の出来る秩序と完成度を求める。
周囲との関係や人材の教育もまた然り。
  それは、例えばこれまで習得した数々の技術であったり。リザニア所属時における、
本来征服とは縁の遠い筈の様々な行動であったり。―――あるいは、列島や大陸の支配であったり。
  無秩序の中にも秩序を見出す。不完全なものがあれば穴埋めをする。
満足の行く結果を出そうとあらゆる努力を惜しまず費やし、そうして常に成果を上げ続けた。

「エイブル将軍が私を必要としていた様に、私の中でのキルキアの治世にしても、エイブル将軍と、
リザニア国という優れた素材が必要となっている」

 全力で私と戦い勝利した人物なのだ。求める水準に見合わぬ筈も無い。
  さりとて、支配欲求のもう半分。完全に理屈ではない感情の部分が、
人に従うのを決して良しとしないのもまた揺るがぬ事実。

 そこだけが、未だ割り切れないでいる。

 完璧さを求める為に征服をする。征服をする為に完璧さを求める。
  どちらかが元となっているのではない。この二つが並立している事こそが、
私が大陸制覇を目指す原動力。キルキア全土を制圧していく事も。その後にある支配も。
全ては目的であり、手段なのだ。

「リザニアは他の国よりも優れている。軍事面ではなく、単純に国が豊かという意味でだ。
王は良き政治を行えるだけの器量と人望を併せ持ち、文官連中さえもう少しまともな人材が増えれば
文句は無いだろう。
  正直、あの国による支配であれば、私も特に不満は無い」
「! それは……ですが、ならばなぜ貴方様は、わたくしにヒラサカを立ち上げさせたのですか」

 書状を机に置き、ユエがそう申し立てる。
  不満が無いならそのままリザニアに居れば良い。言ってくれさえすれば、自分達もわざわざこんな
まどろっこしい事はせず、素直にリザニア内における私の軍団としてあったのに。
言葉の端から、そうした意味合いがありありと読み取れた。
  私の視線はこちらを見るユエを外れ、再び机の上に置かれた紙へと移る。

「その通りだ。実際その同盟を結んでしまえば、ヒラサカとリザニアは事実上の合併をする様なもの。
最初からそうしておけば良かったと言うお前の考えももっともだろう。
だから、言うなればこれは問題の先送りという事になる」

 無論、本当に合わさったわけではない。例えその間に互いが何らかの危機にあったとしても、
そこを好機と見限り裏切ってしまえばそれまで。
  これだけは断言出来るが、私やハーマインの様な人間は自らの利から離れれば時期を計って
必ず相手を切る。手段は場合により様々だが、その目的で動いた時には、
相手はまず間違いなく逃れられない状況にある筈だろう。
信頼と同じだけの警戒によって、薄皮一枚の協力関係は成り立つ。

 ……が、それでもまだ甘い。

「最終的には、あの将軍に全て譲るおつもりなのですか? 大陸東半分を御自分で担当して。
この同盟は、貴方様の決心を付ける為の準備期間だと…」
「それが半分…いや、四分の一くらいか。残りは逆に、リザニアを上手く利用して、
直接の衝突を避けながらヒラサカへと」
「出来るのですか?」

 欺瞞を見透かさんと細められた瞳。

「久景様。貴方様はこんな手段でリザニアを奪えると、本当に御思いなのですか?」
「急ぐなら、この方法以外を取るわけには行かない」

 ならば何故、急ごうとするのですか?
  口に出さずとも、彼女の頭には既に答えが浮かんでいただろう。

「久景様は、変わられました。絡め手を使う事はあっても、
昔はもっと強引に全てを支配して来ましたのに」
「自覚している」

 中途半端。ここに来て、リザニアに対する私の態度はまさしくその一言に尽きる。
  認めてはいても、付こうとはしない。奪うつもりはあるが、拘り過ぎ。

「わたくしは、何があっても貴方様に付き従います」

 そう言ったユエが、誓約証へとペンを走らせた。これで、今ここにヒラサカとリザニアの同盟は
締結された事になる。一人の男の甘さによって。

「いつか決断する日が来た時、どの様に振舞ってもわたくしは構いません」

 徐に立ち上がり、私の背後へと回る。書状を手に持ったまま、ユエは後ろから
そっとこちらの頭を抱き寄せた。暖かな感触が伝わってくるそれは、私が彼女をあやすときに、
膝枕の次に良く使っていた方法。

「ああ」

 未だに迷っている。決定的な一打を放つ事を。

「済まない、迷惑を掛ける」
「大丈夫です。貴方様の御傍に居られればそれで」

 征服者として、私はおそらく劣化しているのだ。

2007/09/16 To be continued.....

 

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