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あかね(仮)



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「亮(あきら)くんの家に、遊びに行きたいな」
夕焼けを背負う僕の彼女が、恥ずかしそうに上擦った声で言った。僕はドキリとして、
「そ、それはちょっとまずいんじゃないかな」
慌てて首を振りつつ、そう答えた。あからさまな動揺を隠しきれていない自分が、我ながら情けない。
そんな僕をいぶかしげに見ていた彼女は、ゆっくりと体を反らして、
それから真っ直ぐ僕を睨みつけた。
「亮くん、いつもそれよね」
溜め息をつきつつ、どこか呆れたような、
それでいてがっかりしたような顔の僕の彼女は、さらに話を続ける。
「だって、私が亮くんのお家に行きたいって行っても、亮くんいつも断るじゃない?
何か、私に言えない事情でもあるのかしら」
心臓が鷲掴みされたかと思う。彼女の表現は、的のど真ん中を射止められはしなかったが、
決して外したわけではなく、確実に僕の動揺を誘う。
思えば、彼女が僕の家に来たいと言ったのは何度目だろう。多分、一度や二度ではなかったはずだ。
その幾度かを、僕はお茶を濁してなんとか誤魔化していた。
そんな煮えきらない僕の態度に痺をきらした彼女の、そういった心境は分からないでもない。
しかし、それでもやはり駄目だ。
「ごめん」
僕にはそれしか言えない。
「ねぇ、どうして駄目なの?理由を教えてよ。
言っとくけど、今日は理由を教えてくれるまで帰らないからね」
彼女の目はすわっていた。強い意思のこもった瞳が、僕を真っ直ぐにらんでいる。
それが彼女の絶対に退かないという意思表示だ。
僕は思わず溜め息を漏らした。
こういう目をを彼女がした時、自分が納得するまで絶対に僕を解放しない。
彼女と付き合ってまだ二週間程度だが、彼女のその習性は存分に理解していた。
しかし、かと言って僕には彼女を納得させるに十分な理論を持ちあわせていないのである。
仮に本当の理由を話したところで、彼女は納得してくれないだろう。
むしろ、嘘だと疑うような気がする。それほど、僕が彼女の来訪を断わる理由は陳腐に聞こえるのだ。
もっとも、それは僕にとっては重大な悩みであるのだが。

僕が返事に窮して視線を泳がせていると、いきなり腕をグイッと引っ張られた。
見ると、彼女が僕の腕に自分の腕を絡ませていて、
僕と目が合うと、してやったりとでも言わんばかりに、ニィと目を細めた。
その確信犯的な笑みを前に、僕は彼女を説得するのを諦めた。
多分、何を言っても彼女は聞かないだろうと確信したのだ。
そして同時に、僕は彼女との破局も確信していた。

 

出来るだけ物音を立てないように、玄関のドアを開ける。
自分の家に帰ってきただけなのに、神経を刷り減らすような緊張のもと、
スパイのような静けさで僕は中を見渡した。
誰もいない。
全身に絡み付いた緊張が、一瞬だけ緩む。しかし、油断してはならない。
今日の僕の任務は、誰にも気付かれずに彼女を僕の部屋までエスコートする事だ。
そう気を取り直し、再び緊張の糸をはりつめさせる。足を玄関の中に踏み入れる。
そのとき、
「おじゃましまーす!!」
びっくりするくらいの大声に、僕の心臓は止まりかけた。
僕は慌てて振り返り、大声を出した彼女に静かにするようにと、
唇の前に人指し指を当てるポーズをする。
しかし、彼女は意味が分からないといった顔で、
「何で亮くんこそこそしてるの?自分のお家でしょ?もっと堂々とすればいいじゃない」
と、呑気な事を言いやがる。しかも、結構な大声で。
馬鹿野郎っ!!それが出来ないから静かにしろっつってんだっ!!
とはもちろん言えず、僕は哀願するように両手を頭の前に擦りつけて、出来る限り静かな声で言った。
「いや、そうだけどさ。色々事情があるんだよ。な、頼む、静かにしてくれ。このとぉーり」
僕は恥も外聞も捨てて、弧食のように両手を擦る。
その僕の必死さが何とか彼女にも伝わったようで、彼女はわざとらしく肩をすくめつつ、
溜め息と共に言葉を吐き出した。
「分かったわよ」

僕はホッと胸を撫で下ろした。そして、僕は彼女から家の中に視線を移し、注意深く様子を確認する。
人の気配のない廊下はシーンと静まり返っていた。よし、まだ気付かれていない。
しかし、あれだけの大声を出しても気付かれていないって言うのは、
もはや奇跡と言ってもいいのではなかろうか。
もしかしたら、本当になんとかなるかもしれない。そんな希望から、心の中に一筋の光がさしこんだ。
その希望の光が消えてしまう前に、僕は彼女に再び向き直り、
出来るだけ静かにするよう最後の念を押そうとした、そのとき、
「……お兄ちゃん……?」
心臓が止まった。もちろんそれは単なる比喩なのだが、あながち比喩だけというわけでもなく、
目の前の彼女が、驚いたように顔をしかめたので、
きっと僕はとてつもなく変な顔をしていたんだろうなぁ、と悠長な事を考える余裕があった。
まるで、自分を上から見ている感覚。いわゆる幽体離脱ってやつだ。
「おかえりっ!!お兄ちゃん」
明るく元気なその声に、僕の精神が体の中に再び潜り込んでいき、僕は我に返った。
途端に背中から、タラタラと健康に悪そうな脂汗が滴り落ちる。
僕は、油の切れたロボットのようなぎこちない動きで、
僕をお兄ちゃんと呼ぶ子の方に、肩越しに振り返る。
玄関の上がり端に、少女が立っていた。
大きな瞳は爛々と輝き、形のよい眉がそれを縁取っていて、どこか活発な印象を抱く。
綺麗な曲線を描く低くとも整った鼻、その真下にあるクローバーのように小さく、
形のいい唇が全体の印象をグッと引き締めている。
活発そうな美少女である。
しかし少女の肌は、病的なまでに白く、体の線も細すぎて、顔から受ける活発な印象とは相反して、
まるでもやしのように頼りない。
そして、何より目に付くのが、顔に巻かれた包帯だった。
小さな頭の右手の方から、鼻を避けて斜めにくるりと巻き付けたそれは、
少女の左目周辺をすっぽりと覆い隠し、そこだけが肌の色とは違う、どこか清潔な白さを放っていた。
「後ろにいる人、お兄ちゃんの彼女さん?」

少女が、いきなり口を開いた。ニッコリと無邪気な笑顔を装う少女に、
僕は身を固くして、恐る恐る頷いた。
「やっぱりね。どうも初めまして。亮の妹の茜です」
美少女、茜は僕の後ろにいる彼女に向き直り、礼儀正しく頭を下げた。
「あっ、どうも。亮くんとお付き合いさせて頂いている高瀬歩美です」
僕の彼女は、妹の礼節に恐縮した様子であった。
その証拠に、彼女の表情からは、緊張の固さと堅苦しさへの戸惑いをすくい取る事が出来た。
一方の僕は、彼女達のやりとりに戦戦恐恐していた。
「もうっ!!お兄ちゃん、何ボケッとしてんのっ!!
早く彼女さんをお部屋に案内してあげなさいよっ!!」
僕の方を向いて、茜は眉を少しだけ吊り上げ、そう言った。
それから茜は、すぐに僕の彼女の方に向き直り、困ったように眉を寄せて、
「ごめんなさい、ちっとも気のきかない兄で。さ、どうぞ、遠慮せずにお上がり下さい。
すぐに、お茶をお持ちしますから」
それから、茜はトタトタと僕に駆け寄ってきて、脇腹を小付きながら、
わざと彼女にも聞こえるように、
「お兄ちゃん、お持ち帰りなんて、やるねぇ」
と、ニヤニヤと下世話に頬を綻ばせた。僕の彼女が、あっと恥ずかしそうな声をあげる
多分、僕の彼女の位置からは、僕が陰になって茜の表情を伺い知る事はできなかっただろう。
いや、もし見えていたとしても、
何ら不思議には思わなかったかもしれない。
だけど、僕には分かった。
茜の目は、笑っていなかった。

2007/07/08 To be continued.....

 

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