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淑女協定



Appendix 明日

「明日ね」
そう言ってうちに帰った私は、ヒールを脱ぎ捨て、リビングのソファの上に倒れこんだ。
1日おきにしか家には帰らないのに何故か今日は帰ってきてしまった。
会うつもりはなかったのだ。
「今日じゃなけりゃ明日だろ」
そう言ったわたしの彼は、昨日ここの玄関から一緒にでていった彼は、隣のうちに帰っていった。
今日、わたしの彼は世界中どこを探してもいない。彼のドッペルゲンガーが隣にいるだけ。
明日になれば私に惜しみない愛を注いでくれるのに、昨日あんなに愛し合ったのに、
今日わたしがどんなに泣いてすがっても抱いてくれないんだ。
明日、彼女がどんなに泣いてすがってもわたしが彼を抱かせてあげないように。
その残酷な事実が、胸の中で嵐となって吹き荒れる。
一日おきの恋人。馬鹿げた協定。あの時、彼がわたしから去ろうとしていたから?
  そうよ、彼のいない人生なんて考えられない。去って、捨てられて、辛い思いをするのは嫌。
わたしは彼の傍にずっといたいの。
たとえそれが人生の半分でもいい。
残りの人生なんて捨ててやるわ!
たまらない。
許さない。
殺したい。
死にたい。
暴れたい。
犯したい。
こんな世界なくなればいい! 今日の世界は、でたらめで、醜く、汚い。だめ、それじゃだめ。
それでは甘く、美しく、ふるえるような明日の世界がなくなってしまうということ。
あんな女死んでしまえばいい! 今日のあいつは、わたしから彼をとりあげるただの邪魔者。
だめ、それじゃだめ。
それでは明日の、みじめで、何の才能もない、嫉妬の炎で身を焦がすあいつを想像して
絶頂にいけないではないか。
ああ、今日なんて終わってしまって、はやく、はやく明日になればいいのに。
東のほうにいけば早く太陽がのぼるかな。ここじゃない、どこかへいきたい。
外にでて、下にいこうとしても、見えるのは1202号室の扉。
あれから彼は、一体なにをしてるんだろうか。
知りたい。知りたくないのに、知りたい。知れば必ず後悔するのに、知りたい。
わたし以外の女にどんな話をするのだろうか。どんなものを食べているんだろうか。
どんな顔をして……
扉に耳をあてる。そんなことをして何になるというのだ。わかっている。
こうやって数え切れない夜を過ごしているから。
そしていつも、扉の冷たさが耳から伝わりやがて心臓まで届く。
寝よう。彼の匂いが残るシーツにくるまって眠るのだ。
明日になれば、彼に会える。わたしだけに笑ってくれる。
やさしく頭をなでてくれる。体が壊れるくらい抱いてくれる。
それだけを夢みて、今日という日を呪いながら眠るのだ。
そうやってわたしは残酷な夜をやり過ごしてきたのだから。

中途半端に眠ってしまったので、目が覚めてしまった。明日には、なってない。
次の日の朝、彼が家の玄関をでたら交代するという取り決め。
今起きても冷たい夜が続いているだけ。
だめだ、気になってしまう。
隣が。
どうなっているか。
覗きたい。
聞きたい。
暴きたい。
耳を壁にあてるだけじゃだめだ。コップ。
そうだ、コップを壁にあてればいいとどっかで読んだ。
キッチンから持ってきたグラスを使い、耳をそばだてる。
「あ、ああああ、ふあああ」
突きつけられる事実。今まで頭で理解しようとがんばってできないこと。
彼はわたしといない時に、他の女を抱いている。
「い、い、いいいいいっ」
歓喜の声が、だんだん大きくなっている。いいなあ。彼に抱かれてるんだ。
右手はコップをもってるから、左指をなめる。
彼の指だと思う。言い聞かせる。そっと秘所の中で一番敏感な芽を摘む。
「ぁ」わたしの指は彼の指だ。
「きてっ、きてっ、あ、いいいい」
せっかく気分が盛り上がってるのに邪魔するな!
  わたしは手近にあった目覚まし時計を隣室の壁に向かって投げつける。
ドンっと音がして隣は静かになった。もう一度集中する。
コップを放り投げ、右手で自分の胸を揉む。これも彼の指。
彼はわたしの乳首をはじくように扱うのが好きだ。彼の指…
「だめ、だめ、いっちゃう、いっちゃうううう」
コップなんか使わなくてもはっきり届く女の声。
それは、どんなにがんばってもわたしの指は彼の指ではないということをわからせたし、
どんなに彼の匂いにくるまれようとも彼の体温を感じられないということもわからせた。
でも、でも、もう少しで、あと少しでイけそうな……
  涙がでてきてもかまわず芽を摘み、胸を揉みしだく。

わたしはようやく訪れた明日がくるまでずっと絶頂にたどり着けないオナニーをしていた。

2007/06/16 完結

 

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