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彼女の目はつぶら



1

「……こえてたら…を……て。
聞こえるかい?聞こえて…手を握って。」

ふと起きたらなんだか体はダルくて、起きてるのに目の前は真っ暗で、
聞こえてくるのは「あの人」の声だけだった。
聞こえてたら手を握って、って言ってる。ダイジョウブ、聞こえてるよ?
だから、あたしはゆっくり手を握る。「あの人」の手を傷つけないようにゆっくりと。

「あ!!聞こえてるんだね!もう一度、握って!」
「あの人」がとても嬉しそうだから、あたしはもちろんもう一回握る。

「僕の声が聞こえてるんだね!?ちゃんと起きてるんだね!?」
「うん…おきてるよ。」
ゆっくりと言葉に出す。
なんだかダルいから、いつものように元気に「あの人」に答えることができなかった。
「良かった…良かった…!教授、成功しましたね!!」
「こうもあっさり成功するとは、自分でも信じられんよ。」
「滅多なことを言わないでください、教授。僕は必ず成功すると思っていました。」
「それはただの願望だろう。それとも言い訳か?
拒否反応も『しょうとつ』も起こる可能性はまだ十分にあるんだぞ。」
「それを、『彼女』の前で言わないでください、教授。」

「あの人」と知らない人の声が聞こえてくる。何を話しているのかは、ムズかしくてよくわからない。
ただ耳を通りすぎていくだけ。でも「あの人」の声だからそれでもいい。

「聞こえてるよね?君がこうして起きてくれて、僕は本当に嬉しい。
君は、君の名前は?名前は言えるかい?」
名前?私の?私は…水崎環(みずさきたまき)。

自分の名前を頭の中で唱えると、少しだけ頭がクリアーになってきた気がする。
途端、私が置かれている状況が気になりだした。
相変わらず目の前は暗くて、全身が虚脱感に襲われている。
でも、自分がベッドのようなところに寝ていることとか、だるさの中にもチクリとした不快感、
つまり腕や足に何かを差し込まれているような感覚があること、
目の前の暗闇は、私の目が見えなくなったとか
この場所が真夜中の真っ暗闇だからというわけではなく、
私が何か柔らかい布で目隠しをされているんだということとか、色んなことに気づきだした。
普通に考えたらここは…病院だと思う。私は、何か大怪我をしたんだろうな。
大怪我?大怪我。そうだ!私は、ここでこうして起きる前、飛び出してきた車が、
横から、私は気づいたら飛んでて、地面が視界を覆いつくしていて…!!

「どうしたの?まだ、喋るのはつらいかい?無理はしなくてもいいんだ。」

「あの人」の声が聞こえてきて、あたしはこわいことを思い出すのをやめた。
こわいことなんて考えたって仕方がない。それより、「あの人」がいってるよ。
あたしに名前を言えって。あたしの名前は、そう。
みずさきたまき。
え?
みずさき、たまき?あれ?何でだろう。あたしそんな名前だったっけ?
「あの人」はいつもあたしをそう呼んでくれていたっけ?

「…やっぱり、まだ無理みたいだね。ゆっくり、ゆっくりでいいよ。
君が思い出せた時に言えばいい。僕からは、君の名前は言えないから。
なんて呼んであげたらいいのか、分からないからね…。」

「あの人」が困っているのが分かった。困らせるのは良くない。あたしがつらいから。
でも、どうしてもみずさきたまきという言葉が言えなかった。
私は確かに水崎環なんだけど、どうしてもしっくりこない。
だから、「あの人」に代わりに呼んでもらおう。

「…よ…んで?あなたが呼んでくれるなら…なんでも、いいから。」

「   分かった。呼ぶよ?…黒。」
黒、くろ、クロ…。
若い先生(らしき人。多分ここは病院だから)が呼んだその名前は、なぜか私の心に染み込んだ。
私はそんな名前、っていうか単なる色で呼ばれたことなんてなかったはずだし、
小中高とそんなあだ名付けられたこともなかったはずなんだけど。
何故か今すぐ走り出したいくらいに喜んでいた。
病院のベッドの上でそんな風に気持ちだけがはしゃいでいる。
おかしい。変だ。体の違和感は消えていないしそもそもまともに動かせない。
だけど、あたしはその時確かにうれしかった。

 

私が次に目を覚ました時には、世界は明るさを取り戻していた。
別にどっかの誰かが光の玉を使ったとかそういうわけではなく、
単に目隠しが外されていたから見えた、というそれだけのこと。
久しぶりに私の目に差し込んでくる太陽がまぶしくて、
それで窓から光が差し込んできてるってことに気が付いた。
まだちょっとだるい首をふっと窓と反対側に向けると、
昔お父さんが入院した時にも見た普通の病室のドアが見える。
もぞもぞと体を動かすと、私は真っ白のシーツをかけられたベッドの中にいることが分かった。
間違えようがない。こりゃ病室だ。
「いたたたたた」
体を動かしていたら、腕が鈍痛に襲われた。あー、点滴が刺さってたんだ。
それが動かした拍子に擦れて痛かったんだな。
「うん、こりゃ間違いなく私は入院患者だな。」
改めて、言葉に出して今の自分を確認してみた。
私、水崎環19歳の短いような長いような人生の中でも、
こんな経験はなかったのでちょっと面食らっていた。
目が覚めたら突然入院状態って。私の身に何が起こってるんだろう。
この清潔で安心感ある(私はまだ安心できてないけど、一応比喩で)病室の雰囲気からして、
どこかの怪しい男とか教団とかに連れ去られて監禁されてるとかそういうことは無さそうだ。
あの緑色のドアを開けて入ってくるのは、多分優しい看護婦さんとか優しい先生とかそういう人種だ。
そう思いたい。

…先生?そうだ、私が起きたのはこれが最初じゃない!
唐突に、忘れていたことを思い出して、心臓がバクバクと高鳴るのを感じる。
そうだ、私を起こしてくれた若い男の人の声と何だか偉そうなおっさんの声を覚えている。
聞こえてたら手を握れとか何とか、
いかにも意識を失って大変なことになってましたって感じがする邂逅を果たしたんだよ、うん。
やっぱり私は大変な事故に巻き込まれて、ここに担ぎ込まれてるんだと思う。
「そっかー。まいったなー。」
考えたことを正直に言ってみた。ちくしょう。誰か反応してよ。
不安になるでしょ、何の説明もなしにほっとかれたら。
このまま、この明るすぎる日差しに照らされながら不安な時間を過ごさなければいけないのだろうか?

少しずつ襲い掛かってきそうになる恐怖をどうにかしようとする前に、
緑色のドアからこんこん、と軽いノックの音が聞こえた。
「は、はひ!?」
はい、と言おうと思ったんだけど、あまりに突然だったので噛んでしまった。
そのまま、ガラガラとドアが開けられる。

開けたのは、背が高くて短い髪の綺麗な男の人。
綺麗、っていうのは顔もそうだけど良く見たら白衣だったのでそう思ったのかもしれない。
あたしは、知っている人が部屋に入ってきたので途端に安心した。
…「知っている人」?私、この人知ってたっけ?
「おはよう、黒。いい朝だね。」
「お、おはようございます。」
その先生らしき人がこれぞ朝、って感じの爽やかな挨拶をしてきた。
ああ、この声、あの時の先生だ。最初に私が起きたときの。
それで、知っている人だと思ったのかな?
顔が何となく男優の大沢た○おに似てるから、何となく知ってる気になったとか、
そんな理由かもしれない。
とにかく私は安心したので、その辺の軽い疑問はどうでも良くなっていた。
先生はそのまますたすたと私のベッドの横にまで歩いてくる。
それでそのままごく自然に、私の頭をなで始めた。
「黒、今日も調子はいいかい?ご飯は食べられそうかな?」
わしゃわしゃと、ちょっと強すぎない?と思うくらいなでてくれる。
最近の病院って、こんなサービスまでしてくれるのかな…小児病棟とかじゃないよね、ここ。
私は小さい方だけど、子ども料金で電車に乗るとかそんなロリ的な真似したことないし…。
「あ、あの、先生、それってちょっと、照れるんですけど…。」
「うん?珍しいね、黒がそんなこと言うなんて。」
先生は気にせず大きな手で私の黒髪をかき乱す。ううううう。嬉しいけどどうなの、これ。
それに、何で私のことを『黒』なんてそんな情緒もへったくれもない名前で呼ぶのかな、この人。
「せ、先生先生。私、水崎です。事故った時に学生証とかは入ってませんでした?」
どういう状況でここに入ったか良く分からないけど、
この人は多分悪意でやってるんじゃなく、何かの手違いなんだろうから訂正しておいた。
「え?」
先生の手が止まる。目を見開いき、口を開けっ放しにして私のほうを見ている。
何か驚くようなことを言っただろうか、私。もしかして手術患者を取り違えたとか?
「君は、黒じゃなくて、水崎さん、なんですか?」
数秒して、先生が一言一言を噛んで含めるようにゆっくりと、私に確認してくる。
「はい。そうです。」
私ははっきりと答える。先生は綺麗な顔がちょっとアホっぽくなるほど呆然としていた。
ああ、やっぱり何か、重大なミスをしたんだろうか?私の体、大丈夫なのかな?
不安になる。でもその前に、やっぱりもうちょっとなでられておけばよかったかな、とも思った。
あたしはなでられるのが大好きだから。特にこの人に。

2

「ふんふんふふんふん、んっふんっふ♪」
陽気に鼻歌を奏でながら、人のあんまり歩いていない廊下を歩く。
ここはこの大学病院の中でも重症の人しか入れられてない区画らしくて、
元々私のように元気に歩き回るような人はいないから。
夕暮れが差し込みだした寂しげな廊下で、ただただ私の鼻歌だけが響く。
時々すれ違う看護士さんがジト目で睨んでくる。すいませんうるさくて。
でもヒトって楽しい時には自然とメロディがこぼれちゃうんです。

「今会いにいくからね!かっちゃん!」
私は(気持ち小声で)宣言してから、ちょうどよくこの階に着いてたエレベーターに乗る。

かっちゃん、というのは、私が目覚めた時に最初に会った若い先生のこと。
北克己(きたかつみ)、という名前なので、私が勝手にかっちゃんと呼んでる。
目下、私が一番気にしている存在。
優しいとかイケメンとか若いのに准教授とかイケメンとか目覚めてから一番最初にあった人とか
病院という実は狭い生活範囲の中で一番頼れる人とかイケメンとか、
色々理由を挙げようと思えば挙げられるけど、
でも、そもそも会ったときからどこかで会ったことがあるような、
そこにいてくれるだけで安心感を与えてくれる人だった。
ううん。あたしはあの人にあったことがある。そういう確信がある。
あ、そうそう、気になるといえば、あの後「何で私を黒って呼んだんですか?」って聞いてみても、
かっちゃんは顔を引きつらせて笑うだけで答えてはくれなかった。
気になるけど、もしも患者取り違えとかがあったとしても、
私は元気なわけだし、困ってるのは取り違えられた『黒さん』の方だから、別にいいかとも思ってる。
あ、でも、もし子宮とかそういうの取っ払われてたりしたら。
「そのときは、かっちゃんに責任とってもらおう!」
と、叫んだところでチーンという音がして、私を乗せた箱が開いた。
准教授室まで、軽やかなステップで進んだ。
こないだまで病人だったのに、何でこんなに体軽いんだろう?
ふとした疑問が頭をよぎりつつも、目指す部屋の扉を躊躇なく開いた。

「やっほー!かっちゃん!遊びに来た…」
全部言い切る前に固まっちゃったのは、部屋にかっちゃんだけでなく別の女がいたから。
別に見てはいけないシーンというわけじゃないけど、いる人間が問題だった。
「水崎さん、せめてノックをしてから入ってください。常識というものがないんですか?」
嫌な匂いと聞きたくない人の声。あたしは気が滅入りそうになった。
女は目を吊り上げて私を叱る。ただでさえ細いっちゅーのに、線になっちゃってるよ?
私を叱るこの気の短い女は、看護婦の1人。名前は…なんだっけ?忘れた。ってか覚える気なかった。

かっちゃんの横に座って何かを話してた風なんで、多分仕事の話をしてたんだろう。
「まぁまぁ、堂島くん。水崎さんがそれだけ元気になったってことでもあるし。」
「先生は甘すぎます!患者は神様でも何でもないんですから!」
かっちゃんがかばってくれた。優しいなぁ、と思ってると、
堂島はかっちゃんの膝に手をかけて詰め寄り、非難を始めた。
あんたそれ、間違いなくかっちゃんに詰め寄る方が目的でしょ。
「ちょ、ちょっと堂島くん、近いよ。」
「黙って聞いてください、先生。私は貴方に対して言いたいことがいっぱいあるんです。
そもそも、私は先生のことをですね」
堂島は何か不穏なことを言いかけてる。
ピーンと来たあたしは、ツカツカと二人の方に近寄って、かっちゃんの腕を手にとって、噛んだ。
「あいたたたたたた!?み、水崎さん!?」
「な!なにやってんのよあんたーーーーー!!!」
かっちゃんは突然のことに慌て、堂島は顔を真っ赤にして立ち上がる。
「何やってんのって?見たら分かるでしょ。かっちゃんを噛んでるの。」
とはいえない。何せ、口ふさがってるからね。どっかの三刀流の剣士みたいなマネはできません。
「水崎さん、は、離してくれないかな?痛いんだけど。」
ごめんね、かっちゃん。
二人の会話を中断させたくて、堂島に近寄られてちょっと顔を赤くしてたかっちゃんにも
ちょっぴり腹が立ってて、
何よりあたしは堂島の体に口をつけるなんてまっぴらごめんだし、ってわけでかっちゃんを噛んだの。
それに今は、あたしは貴方を噛んだままでいたいから。
「先生どいて!鎮静剤投与します!」
堂島はいつの間にか何かのビンを手にして、投げる寸前というモーションに入ってた。
確かに、『投与』って投げて与えるって書くけどさ、ホントに投げちゃまずいんじゃない?
「ど、堂島くん!!君も落ち着くんだ!とりあえず鎮静剤の使い方違うから!!!」
「いいえ、これが一番良く効く使い方なんです!!」
さらに慌てふためくかっちゃんと、殺気を漂わせる堂島と、
慌てたかっちゃんもかわいくていいな、と思う私。
部屋は正に混沌、って感じで、私はちょっと楽しくなっていた。

「おう先生!!邪魔するぜー!!」

大騒ぎになっていた部屋を、モーゼのように切り開いたのは、
私の良く知っている無遠慮で野太い声だった。
ノックもなしに扉を開いたその声の男が、ずいっと入ってくる。
間違えるはずもない、この男は。

「ヤ○ザーーーーー!?こ、この病院に何をしに来た!?」
混乱極まった堂島が、鎮静剤を投与する対象を部屋に入ってきた男に変えて、投げて与えようとする。
「ちょっとまった堂島くん!この人は○クザじゃなくて、」
「私のお父さん。」
かっちゃんの言葉に続けて、私が真実を伝えた。
堂島は、投げモーションのまま、ピシッと固まった。

 

「がっはっは!まぁしょうがねぇかなぁ!俺ぁこういう風貌だからよぉ!!」
笑いながら、父さんは自分の膝をバンバンと叩く。
流石に人の父親をヤのつく職業の人と間違えたことは申し訳なかったのか、
堂島はそそくさと部屋を出て行った。
なので、私、かっちゃん、父さんの三人で、准教授室で椅子に座って話し合うことになった。
私も仕方ないと思うんだけどね?プラスチック工場で長年結構真面目に働いてきた父さんは、
一度機械に指を挟まれて、小指がなかったりするしさ。髭も濃いし顔もいかついし。
服も、一体どこで買ってくるのかいつも不思議な紫のスーツだし。
院内のパジャマの私や普通の白衣のかっちゃんは病院にマッチしてるけど、
父さんは明らかにミスマッチ。よくここに来るまでに通報されなかったなー。
「申し訳ありません、うちの看護士がとんだ間違いを。」
「いいんだよ、先生!この病院には感謝してるからよぉ!
なんたって、なぁ!お前がこうして、起きてるんだもんな!!」
言いながら、父さんは私の方を向いて、がばっと体を抱く。その太い腕で。
「たまきーーーーーーー!!!おとうさん、ずーっと心配してたんだぞーーー!!」
ゆさゆさと体を揺らしながら父さんは叫ぶ。ちょっと泣き声になってる?
でもそれも、しょうがないよね。なにせ、私は。
「一年も目を覚まさねぇからよぉ…俺ぁもう…
ぐすっ、お前は二度と起き上がらねぇんじゃないかとよ…!!」
そう、一年間も、ずーっと意識不明だったのだから。

「まったく、信じられねぇぜ!!つい1時間前にお前が起きた、って聞いた時は、
心臓が止まるほど驚いた。
こうしてお前の声がもう一度聞けるなんて、神様ってやつぁいるもんだなぁ!」
私の状態についてかっちゃんが説明した後も、相変わらず父さんは感動しながら喋り続けていた。
それだけ私を心配し続けてくれたことが分かるから、嫌じゃないけど、ちょっとウザいかな。
それより、ちょっと気になることがあった。つい1時間前?
私がちゃんと起きたのは3日前だったと思うんだけど?
軽い疑問をかっちゃんに訪ねてみると、
「ああそれはね、君が安定して覚醒していられるかどうかは分からなかったから。
お父さんをぬか喜びさせるわけにはいかないだろう?」
と説明してくれた。
私がちょっとでも目を覚ましたら、普通すぐに家族に連絡するもんなんじゃないのかな?
でもまぁ、かっちゃんが言うんだから仕方ないよね、と、あたしは納得した。
「どうでもいいぜそんなこたぁ。とにかくお前が目を覚ましてるってのが一番だからな!」
がっはっは、と父さんが笑う。うん、そうだよね。

「だがよ、俺もな、一つだけ気になることがあるんだけどよ。」
父さんが、指の欠けた手を自分の顎にかけて考え込むポーズをする。
「一年も目を覚まさなかった環が目を覚ましたってことはよ。
先生はもしかして、環のクローンを作って治してくれた、ってことかい?」

クローン。
父さんが突然出したその言葉に、何故か私の心臓は大きく反応した。
どくんどくんと高鳴っている。クローン?
「俺ぁ聞いたんだよ。どうしても治らない怪我や病気を治すには、
そいつのクローンを作って患者に移植すりゃあいい、ってよ。
別に俺ぁどういう方法で環が治ろうがかまわねぇんだが、先生、そこんとこどうなんだ?」
父さんを見ていた私は、すぐ横にいるかっちゃんの方にゆっくりと顔を向ける。
そうなの、かっちゃん?
私が固唾を飲んで見守っていると、かっちゃんは断言した。
「違います。」
と。

患者のクローンを作って、失った部分や使えなくなった臓器を移植する。
誰でも考えついて、拒否反応も起こらない、でも人としてどうかと思うこの方法は、
今では結構当たり前に使われている、らしい。
らしいというのは、噂には聞いても表には出てこないから。
どっかのマッドな教授が実行して発表した後、できるんだということははっきりしたけど、
そんなこと流石に国が許すわけないから、誰も「私も同じことをしました」とは言い出さなかった。
でも、できるとなったらしちゃうのが人のサガ。
お金を積んでクローンを作ろうとする人たちは、多いらしい。
私も、飛び出してきた車に轢かれて頭を打つ、というすごく普通の事故で眠ったままになる前に、
そういう方法があるんだということくらいは知っていた。
だから、私のクローンがいても、そこまでびっくりはしないと、思う。
「確かに環さんは脳にダメージを負っていて、
普通の治療では治る見込みはかなり薄い患者さんでした。
でも、こうして目覚めているのは環さん自身の力です。
低いといっても可能性はゼロじゃありませんでした。」
かっちゃんはクローンという方法を使ったことを強く否定する。
「いいんだぜ、先生。使ったとしてもよ。大事なのはここに環がいることだ。
あ、先生、もしや俺のナリから病院を脅すつもりじゃないかと思ってねぇだろうな?
やめてくれよ、先生。俺ぁ穏やかな人間なんだから。」
だっはっは、と笑い続ける父さん。
父さん、穏やかに思われたいならファッションセンスを変える必要はありそうだよ?
「いえ、お父さん。本当にやってないんです。
方法とか人道的なことはこの際否定しません。実際に行っている例は僕も知ってますからね。
でも環さん、水崎さんの場合ではもう一つ問題があります。
はっきり言いましょう。お金です。」
身も蓋もないことを、かっちゃんは真顔で語りだす。
「クローン作りには莫大な費用がかかります。
卵子提供者と保管管理、母体になってくれる人を探す、
その人に何度も施術を行い、さらにクローンが育つまでの費用を負担する。
それを隠しておくための場所。見つかれば補助金がなくなるという危険もある。
大学病院もイメージほど安泰なわけではないんです。
お金はかかる、名誉も得られない、それどころか世間や上から非難される。
そんな方法を取るためには、それ相応の代価が必要です。
大変失礼ですが、水崎さん。あなたの資産状況では、それだけのお金は。」
「払えない、わなぁ。」
ははは、と心なしか力がなくなった笑いで、お父さんは答えた。

「俺もよ、本当はそういう手段を取ろうかと思ったんだぜ?
だから、身を粉にしてこの一年働いてきた。環を治すためなら、何だってしようと思ったよ。」
グッとくること、突然言い出さないでよ、父さん。私まで泣きそうになるでしょ?
「でもま、足りなかった、っつーかなんつーか。
他の病院の医者に聞いたら、こんなはした金じゃ無理だって言われちまった!だはは!」
ガクッとくることを言い出さないでよ、父さん。感動した私が馬鹿みたいでしょ?
あはは、とかっちゃんも付き合いで笑う。いいよ、かっちゃん。この人ほっといても。
「あ、じゃあよぉじゃあよぉ!」
父さんが何かを閃いたー!って顔してる。あ、この顔は。
「親切なのは今だけで、俺あてに馬鹿高い請求書が送られてくるとか!」
「送りません。流石にそんな危ない商売するほどには困ってません。」
あーあ、悪ノリしだしちゃった。じゃあ、私ものっちゃおう、っと。
はいはーい!と小学一年生ばりに手を挙げて、指名される前にずばりと言った。
「じゃあ、私があんまりかわいいから治してソープに売るつもりだとか!」
「相場は詳しくは知らないが、多分そういうところに売った代価より
クローン製作費の方が高いだろうね。」
ちぇっ、かわいい、ってところに反応してよぉ。
「あれだろ、環をクローンの実験台にして学会に発表してとか!」
「クローン技術自体も、それを人に移植する実験も、方法としては既に確立されたものです。
今更僕が症例を挙げようと、何の論文も書けませんよ。」
「私は何か特殊な抗体とかそういうの持ってて培養したかった!」
「それは多分、君が目覚めなくても行えるね。」
「じゃあ昔俺が先生の命の危機を救ったことがあって、その恩を感じてってぇのはどうよ!?」
「恐れ入りますが、私と水崎さんは環さんが眠ってしまってからの知り合いです。」
「だよなぁ、先生みたいな白い巨塔に住んでる人と俺とじゃ、接点ねぇよなぁ。」
父さん、それある意味合ってるけどなんか違うよ?
呆れ顔になりだすかっちゃんと、楽しくなってきた私たち。
「じゃあ、じゃあ…」
必死で考える私。真実はいつもひとつ。よーし、これだ!
「もしかして、もしかするとだよ?かっちゃんにはすごく好きな人がいました。
でもその人は病気や怪我で体がほとんどなくなっちゃって…
その人にどうしても生きてもらいたかったかっちゃんは、残った部分を私に移植したとか?」
「…ロマンチックな妄想、と言えばいいのかな。良くそんなこと思いつくね?
残念だけど、そんなことしようとしても拒否反応が起こって死んでしまうだけだよ。
特に脳なんてデリケートなところに、
まったく違う遺伝子を持った他の人の脳を移植するなんてことは、不可能だ。」

その後もあれこれと考えたけど、かっちゃんの鉄壁を崩すことはできなかった。
ま、元々かっちゃんを疑う理由もないんだけどね?気になったのは、私の胸の鼓動だけ。
ただそれだけだから。
「納得してもらえましたか?
とにかく、娘さん、環さんは、自分の力で起き上がったんです。」
机に手を置いて、かっちゃんが静かに結論づけた。
納得した父さんは、静かに席を離れ…なかった。立ち上がると、がしっとかっちゃんの左腕を掴む。
「な、何でしょう?水崎さん。」
「難しい話は、まぁどうでもいいのよ先生。とにかく俺ぁうれしいんだ!
いっちょ飲みに行こうぜ、先生!」
二カッと笑う父さん。
今までの私なら父さんがはしゃぐのを止めてただろうけど、
その日のあたしは、かっちゃんと一緒に楽しく騒ぎたかった。
立ち上がって、あたしもかっちゃんの右腕を掴む。
「な!?環さん!?」
「いこ!かっちゃん!」
「がっはっは、環ぃ、お前分かるようになったなぁ!!」
親子の強み、息のあったテンポで、かっちゃんを抱えたままずんずん歩く。
「僕にはまだ仕事が。何より環さんは患者で!もしもーし!!??」
細かいことはどうでもいいじゃない。楽しもうよぉ。かっちゃん。

3

「あー、やっぱ一年じゃ全然変わってないなー!」
浦島太郎になり損ねたのはちょっと残念だったような気もしないでもない。
一年ぶり(のはず。眠っていたからあんまり実感ないけど)の大学はあまり変化がなかった。
初夏の暑さを感じつつ、無駄に広い構内を歩く。
「あ、この猫まだいたんだ。」
いつもお弁当の残りを上げていた猫が、ベンチの上にいた。
「おいでおいで。あれ?おーい。」
呼んでも、その子は寄ってきてくれなかった。
流石に私のこと忘れてるのかな?変なことで、時間の経過を感じた気がする。

起き上がった後の私は、一通りの検査を受けた後は特にリハビリをすることもなく。
あれよあれよという間に退院の準備をすることになった。
かっちゃんの部屋を訪れたり、父さんと一緒にかっちゃんを飲み屋に連れてったり、
売店で数時間立ち読みしてたりしたわけで、
私の体に異常その他がないことは誰の眼から見てもはっきりとしていた。
愛しい人と離れ離れになるのは悲しいけど、
どの道うちの大学とかっちゃんの病院は学部違いでしかないので
何かにつけて突入しに行くのは簡単だし。
無軌道な父さんをほっぽいて、これ以上家が滅茶苦茶になるのも悲しいので、
私は大人しく、晴れてシャバに戻ることにしたのでありました。

そんなわけで私はこうして学業の場に戻ってきたわけだけど、
張り切って家を出たから、二時限目の始まりまではまだ時間がある。
中途半端な時間のせいで、人もまばらだ。
暇が出来ちゃったな、と思いながら、眠気覚ましに背伸びをする。
「んー…」
「ああー!!せんぱーい!!」
後ろから大きな声が聞こえてきて、ふと振り向くと、
たったっ、と小気味いい駆け足で良く知った顔の男の子が近づいてくる。
「おお、正太郎くん。」
「先輩!治ったんですね!!よかったーーー!!ずっと心配してたんですよ!
お見舞いに行っても先輩は眠り続けてるだけで、
このまま二度と目を覚ましてくれないんじゃないかって!」

彼の名前は鹿島正太郎くん。研究室のかわいい後輩だ。
背は平均よりは低めって感じだけど、体育会系で結構鍛えてるので小鹿のように機敏な動きを見せる。
その正太郎くんは今、私の腕をとりぶんぶん振り回している
元気な子だなぁ。前からそうだったけど、今は感動のせいか目を潤ませながら必死で語ってくる。
「ごめんね、心配かけて。バタバタしてて、みんなに連絡すること忘れてたよ。」
「いいんですよ。そんなこと!」
正太郎くんは否定してくれたけど、本当にひどいことをしたと思ってる。
私のことを心配してくれた人が何人もいるっていうのはありがたいことだ。
ちゃんと連絡しておかなくちゃ、と思う。
「私の入院中何があったかとかいろいろ聞きたいし、研究室で話そっか?」
「そうですね。みんな先輩の顔みたいと思いますし。」
振り回していた私の手を離して、正太郎くんは研究棟に向かいだす。
私も付いていこうとしていたけど、突然、彼の足が止まった。
「そういえば…僕はもう3年なんですけど、先輩はどうなるんッスか?」
申し訳なさそうに顔をしかめて、聞いてくる。
「うーん、休学扱いになるのかな?単位は多めにとってたんだけどね。
その辺はこれから聞きに行くよ。」
「そうですか。何事もなく済んだらいいですね。」
「うん。あ、素子ちゃんだ。」
「え?ああ、本当だ。」
正太郎くんの後ろから、同じく後輩の桐絵素子ちゃんが歩いてくるのが見える。
いまどき珍しい正統派おかっぱのかわいくてちっちゃくて大人しい子。
実は目の前にいる正太郎くんの彼女なのだ。二人でいちゃいちゃしているところを良く見かけていた。
身長的にもぴったりって感じのかわいいカップルで、見ていて微笑ましくなる。

が、今日のあたしは何故か二人にいたずらしてやりたい気分になっていた。
かわいい素子ちゃんには、たった一つだけ欠点があるのだ。
人なら誰しでも持つ『ある感情』があまりに大きすぎるという欠点が。

あたしの目の前に、その起爆装置はある。今にも彼女の元に走り寄っていきそうな正太郎くん。
その後ろ姿に、あたしは突進して、抱きつく。
「ごめんね正くん、1年も待たせちゃって。あたしがいない間、寂しかったよね?
『素子の貧乳じゃ満足できないんだ』ってあたしの胸にむしゃぶりついてきてたもんね。
これからは、ずっと堪能させてあげるからねっ。」
「せせせせせせ先輩ッ?急に何をッ!?」
はがいじめに近い感じで抱きついてる彼の体が、猛烈な勢いでばたばたと暴れだす。
ぎゅうっと胸を押し付けるようにさらに抱きしめて、ちらっと素子ちゃんの方を見ると。
想像したとおりの顔が、そこにあった。
くわっと目を見開き、あたし達の方を凝視している彼女。
口元はぐっと閉じられているが、手はプルプルと震えだしている。

そう。彼女は、とてもとても嫉妬深いのだ。

「違うんだ素子!これはいわゆる誤解で!先輩は事故が脳で!僕の人生に一転の曇りも!」
その表情を見た正太郎くんは、全力で今の状況を否定する言葉を投げかけている。
全力の余り内容が支離滅裂になってきちゃってるけど。
当然そんな言い訳は彼女には通用しない。
彼女はあたし達の方を睨んだまま、かばんに手を突っ込んで、中から…
裁縫バサミを取り出した。何でそんなもの持ってるかという疑問は尽きないが、
それよりも!さぁ、勝負はここから、レディ、ファイト!
「逃げましょうダーリン!怖い般若からの愛の逃避行よーーー!!」
「何でこんなことになるんだーーーーー!?」
あたしは正太郎くんの手を握り、素子ちゃんとは逆の方向に逃げ出す。
ちらっと振り返ると、素子ちゃんは当然追いかけてきていた。
走ることをせずに、凄まじい速さで足を動かして「歩いてくる」。ほとばしる殺気。
こうして、追いつかれたら殺される、スリル満点のおいかけっこが始まったのだった。

「わーどいてどいてどいて!あ、お久しぶりです教授ー」
「はぁ、はぁ、先輩!逃げても無理ですって!ふっ、ふっ、い、今なら土下座すれば素子も許して」
「いやー無理でしょ。後ろ見て。」
「も、もとこー!!??包丁なんてどこから!!??」

「せ、せんぴゃい…も、もう、げふっ、無、理」
「頑張って!追いつかれたら死ぬよ!ほら足にエアーサロンパスしたげるから」
「冷て、って、こん、な、もん、ど、どこから」
「さっき柔道部の部室を駆け抜けた時に拾った。やべっ!前方に敵(素子)!」
「うわぁぁぁぁぁぁぁ!!」

「ふー、何とかまいたのかな?」
見上げると、お日様は真上に来ている。一体何時間逃げ回ったことになるんだろう?
3時間、ってとこかな?それだけ走った割には、私はあまり疲れていなかった。
フェンスから身を乗り出して、辺りを見渡す。
研究棟の屋上から見える風景の中には、追跡者の姿はない。
少し安心して振り返ると、正太郎くんが大の字になってぶっ倒れていた。
「おかしい…だろ…なんで陸上やってた俺がこうで…
ぜえ、ぜぇ、先輩は、息も切らして…ないんスか…」
息も切れ切れに、文句を言ってくる。
確かに、変だなぁ。私はこんな体力派じゃなかった気がする?
少し考えてみる。が、吹き抜ける風が気持ちよくて、すぐにどうでも良くなった。

「あー!ひどい目に会ったっ!!」
正太郎くんが、だんっと勢いをつけて立ち上がる。流石、鍛えられてる心肺機能。
もう復活したみたいだ。
「ごめんねー。なんかちょっといたずらしたくなっちゃって。」
「なっちゃって、じゃないッスよ…先輩、ちょっと性格変わりました?」
「うん?そうかな?」
フェンスに背中をあずけて、もう一回考えてみる。私は、変わったんだろうか。
「昔は、素子ほどじゃなかったけど、どっちかというとあんまり喋らない、
大人しい人だったように思うんスけどね。
こんないたずらして楽しんじゃうようなタイプじゃなかったような。」
「そうだったかな。昔の私がどうだったかって、うまく思い出せないんだよね。」
そう、オモイダセナイ。
1人で本を読んでる方が好きな私もいるし、
あの人と一緒に走り回っているのが楽しいあたしもいるような気がする。
考えると頭の奥の方が痛くなってきそうなので、無理やり話題を変えることにした。
「でもさ、君も結構楽しんでたでしょ?」
「うーん、まぁ、ちょっとだけは。
あんなに必死になってくれるってことは、それだけ俺のこと好きでいてくれてるってことですし。」
言いながら、すたすたと私の隣まで歩いてきて、がしゃんとフェンスにもたれかかる。
「でもさ、ちょっと怖くない?あれじゃ本当に浮気した時には必ず殺されるよ?
必ず殺すと書いて必殺。絶対生き残れない。」
「俺は浮気なんかしません。死ぬまで素子一筋です!」
下を歩く人たちに宣言するように、叫ぶ。おいおい、かっこいいな。
「おー、愛してるねー♪」
「ま、まぁ、愛してますよ?あいつになら、例え殺されたって」

がちゃんがしゃーん

彼の愛の深さを語る言葉は、突然の轟音で中断された。
驚いて振り返ると、そこには、素子ちゃんが立っていた。
ヤバい!殺される!?前門の鬼、後門の青空。殺されるか、飛び降りるかしか選択肢がないかも。
私が(おそらく横に立っている彼も)死を覚悟していると、
素子ちゃんはつっと一筋涙を流して、私たちの方に突進してきた。
どーんと正太郎君にぶつかって、フェンスに二人が突っ込む。
ああ、そのまま彼を突き落とすつもりなのかな、と思っていたら。

「正太郎君…私のこと愛してるって、ほんと?」
「あ、ああ。神にでも仏にでもアッラーにでも誓って、本当だ!」
「嬉しい…。」
「ごめんな素子、変な誤解させちゃって。俺が好きなのは、お前だけだから。」
「…うん…私も…。」

と、思いがけずすっごいラブラブした会話をしだした。
あっけに取られて見ている私の前で、サイズぴったりの二人は抱き合ってちゅーまでしやがりだした。

何でこんな状況になってるかっていうと、
多分さっきの正太郎君の愛の宣告を素子ちゃんも聞いてたんだろうな、
と1人で納得する。何にせよ、命の危機が去ってよかった。
それにしても、ラブラブしてるなー。羨ましい。
このまま二人で文字通りアオカンに突入しちゃったりするのだろうか?
いいなぁ。私も、かっちゃんとあんな関係にいつかなりたいと思う。
そう思い立ったら、何だか無性にあの人に会いたくなってきた。
バカップルをこれ以上見るのも午後の講義に出るのも切り上げて、医学部にでも行きますか!
そうして、二人から離れていこうとして。
私は見つけてしまった。さっきの轟音の正体を。

床に無造作に落ちている、大木でも切り倒せそうな斧と、ごっついチェーンソー。

正太郎くんの真実の愛を聞いて、素子ちゃんがとっさに落とした武器。
彼女は、これを片手に一つずつ持ってたの?
ゴクッ。唾を飲み込んで思わず素子ちゃんたちの方を振り返ると、
彼女は舌を恋人と絡ませながら、目だけを私の方に向けた。
言葉を発さなくても伝わる、「次やったらバラバラの肉塊にするぞ」という、意思。

人間って怖いんだよ、だから、あんまり無茶なことはするな、あたし。
私は、自分で自分にそう忠告していた。

2007/06/20 To be continued.....

 

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