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1/8スケールのHeart→Hate



1

 人間と言うヤツは幸せが身近すぎると其の事を忘れてしまったりするもの。
  その例は正に私――稲峰 柚納(いなみね ゆな)の直ぐ側にもあった。 

 あの女――小山 素豆子(こやま すずこ)は自分がどれだけ幸せかって事に気付いているのだろうか。
  私が大好きな市沢 熱矢(いちさわ あつや)先輩を独り占めにしてるくせに。
  幼馴染なのを、惚れた弱みに付け込んでのイイことに好き放題

 熱矢先輩にとって私は只の趣味が同じなだけの後輩。悲しいけど其の事を私は十分に認識している。
  それでも私には十分だった。
  私は模型を――プラモデルを弄るのが何より好きだった。
  女としてはかなり珍しい趣味で、お陰で同性で趣味の合う友達は一人も居ない。
  それなら男の子は、と言うと確かに昔は何人か居た。
  でも皆大体其のシリーズのアニメが終わると興味を失うようなそんなコばかり。
  そして興味を失うと未だ好きで居続けてる私の方が逆におかしいかのような目で見る。

 でも先輩だけは違った。本当にプラモデルの事が好きで、当然同じ趣味の私を決して笑ったりはせず、
それどころか私の真剣さを褒めてくれた。
  そして私の先輩に対する思いは同士としての親近感や尊敬を越えやがて恋心へと変わっていった。
  でも其の事を先輩は知らない。 私が打ち明けてないし打ち明けるつもりも無いから。
  打ち明けてこの関係が壊れるのが怖かったから。

 ある日の事私は先輩に話し掛けた
「遂に明日発売ですね」と
  そう、明日は新作プラモの、それも熱矢先輩が物凄く発売を心待ちしてたキットの発売日。
  だけど、次の瞬間先輩の顔に寂しそうな笑顔が浮かぶ。
「うん、そうなんだけど金欠で買えなくなっちまった……」
「え? だ、だって先輩」
  そう。この日のために貯金してたはず。金銭感覚も計画性もシッカリしてる先輩にはありえない事。
  私の疑問を察したように熱矢先輩は口を開く。
「この間のデートで結構散財しちまってさ……。 映画代二人分は結構痛かったから」
  デート……。 あの女とのか。
「そうですか。 楽しかったですか?」
  そう訊くと熱矢せんぱいはチョット困ったような気まずそうな表情で口を開く。
「正直ホラー苦手だから」
  怒りが込み上げて来た。 私は知っている。 悔しいけれど先輩がどれだけあの女を想っているか。
  そしてあの女がほれた弱みに付け込み好き放題してるのを。

「あ、でもデートそのものは楽しかったんだ」
  私の顔に険が浮かんだのを感じ取ったのか先輩は慌てて口を開く。
「それにサ、今回買えなくって次があるしさ」
  そう言って先輩は微笑んだ。
「あ、いえ……あの、その」
  しまったと思った。 只でさえ先輩はあの女のことで気を遣ってるのに私に対してまで。
「じゃ、じゃぁ先輩。 私の一緒に作りませんか?」
「え? 良いの?」
「ハイ。 二人で作ったほうが早く完成しますし。 それに先輩も一度キットに触れておいたほうが
自分の購入するまでに改造のイメージとか組み立てられるでしょ?」

2

 そして翌日。
「お邪魔しまーす」
「よく来てくれた。 そんな緊張しなくていいから。 遠慮せず上がってくれ」
  ここは熱矢先輩の家。
  先日の私が出した提案で今日は先輩の家で一緒にプラモデルを作ることになってたのだ。

「早速作り始めますか?」
  私は手にした紙袋に視線を注ぐ熱矢先輩の顔を見ながら言った。
「え? いや、まぁ……」
  私の言葉に先輩は照れ臭そうな笑顔をしながら頭をかいた。
  本当に心の底からプラモデルが好きなのが感じられる純粋な笑顔。
  女の子を家に上げることよりプラモデルの事で一杯、そんな笑顔。
  私が大好きで、でも反面チョット寂しい気持ちにさせる笑顔。
  だってとりもなおさず私を女と意識していない証拠なのだから……。
  でもそれで良い。 今日の事は最初から其の事を折込済みなのだから。
「ま、確かに本音を言えば直ぐにでも組始めたいけどいきなりってのもな。
とりあえず茶煎れてくるから。 それで人心地ついてくれ。
それから始めようか」

 それから数十分後。 私と熱矢先輩はプラモデル作りに熱中してた。
  年頃の男女が部屋で二人っきりだってのに全くと言っていいほど色気の無い展開。
  でもいいの。
  だってプラモデルを組み立ててる時の真剣な眼差しの先輩の貌を間近で見られるんだから。
  こんな真剣な貌、あの女も見たことが無いような貌を。
  そして私は其の事にささやかながらも優越感に浸っていた。

 それから――。
「今日は本当にありがとうな」
  日も大分傾きかえた頃私は熱矢先輩に送られ帰路に付いていた。
  あれからプラモデルを完成し終えた後も、ドコを改造したほうがいい、とか
どんな色で塗ったら似合うか、とか完成したプラモデルを手に日が暮れるまで語りあった。
  そして今、もう暗いからとわざわざこうして送ってくれたのだ。

 家に帰りつき自室に戻った私は今日一緒に組み上げたプラモデルを取り出す。
  手にとって眺めると今日の楽しかった記憶が鮮明に蘇ってくる。
  本当に楽しかった。 大好きなヒトと共通の趣味で共通の時間を満喫できて――。
  これで先輩と私が恋人同士だったらもっと楽しいだろうに。
  そこまで考えると少し寂しい気持になる。
  ……そんなの虚しい願望でしかない、と。

 やめよう、分かってる事じゃない。叶わない願望だって。
  先輩がどれだけあの女のことを想ってるか。
  私と熱矢先輩との間柄は単なる同好の士でしかないが、でもそれなりに付き合いは深いんだ。
  だから、先輩があの女と別れて私を選ぶなんて無い事を分かっているから……。

  /      /      /      /

「ねぇアッくん。 昨日一人で帰って何してたの?」
  アタシ――小山素豆子は、アッくん――幼馴染にして恋人の市沢熱矢に問い掛けた。
  アタシとアッくんとは小学校の頃からの縁で高校に入ってからは男女の交際にまで到った仲。
  でもアタシが部活をしてるのに対しアッくんは帰宅部なので放課後は別々の事も多い。
  だからいつもって訳じゃないけど今日は何故か昨日の事が気になって聞いてみた。
「昨日? ああ、稲峰がうちに遊びにきてたんだ」
  そして返ってきた答えに声にアタシは思わず声を上げる。
「う、うちに……って、アッくん! アタシと言うものがありながら他の女を家に上げるなんて
どういうつもり?!」
「おいおい、何勘繰ってるんだよスズ。 一緒にプラモデル作っただけで何にも無ぇって」
  当たり前だ。 アッくんがあんなシンナー臭いプラモ女になびくわけが無い。
  趣味が同じだからと言うだけでアッくんに付き纏う鬱陶しい後輩。
  こんな風にあっさり話す時点で十分其の事はうかがえる。
  でも――
「プラモデル一緒に作ってたぁ?! 何でそんな事一緒にする必要があるのよ?!」
  恋人が自分以外の女と一緒にいるのを黙って見過ごせるほどアタシは人間出来てはいない。
  ――否。 恋人が他の女と一緒にいて気にならない女などいようか。

「いや、だって俺のじゃなくてあいつのプラモで……」
「何?! プラモに釣られて上げたって言うの?! だったらプラモなんか止めなさいよ!
昔っから言ってるじゃない! いい年してプラモなんかやってないで卒業しなさいって!」
  アタシはアッくんの言葉を遮り叫んだ。
「そう言うなよ。 俺の数少ない趣味なんだから」
  そんな事幼い頃からの付き合いなんだからイヤって程知ってる。

「アッくん! アタシ達来年受験生なんだよ?! プラモなんかに構っていて
アタシと同じ大学いけると思ってるの?!」
「未だ来年の話だろ? 少しは控えるから何も完全に止めなくても……」
「そんなに止めたくないわけ?! だったらイイわよ。 好きなだけ続けなさいよ。
その代わりアタシとアッくんはコレっきりね」
「な?! ちょ、チョット待ってくれよスズ。 そんな……別かれるなんて」
  こうは言ったがアッくんと別かれる気なんて毛頭無い。
「だったら言うとおりプラモデルなんかやめなさい」
「わ、分かったよ……」
  そう。 アタシがアッくんと別かれる気が無いように、
アッくんがアタシと別かれるなんてありえないから。

「本当に分かってるの? じゃぁキッパリ止めたって証明する為
今までのプラモデルも全部捨てて」
「そ、そんな……」
「出来ないの?」
  ちょっと可哀相な気がしないでもないが良い機会だ。
「わ、分かったよ……」
「本当に? じゃぁ今度確認しにあんたの家行くからね。 本当に捨てたかどうか!
分かった?!」
  長年の付き合いだけどアッくんのこの趣味だけはどうしても許容できなかったから。
  アッくんは気付いていないみたいだけど、プラモなんかやってるせいで
アッくんをオタク呼ばわりしてバカにしてるやからは多い。
  自分の恋人がそんな風に呼ばれてるのなんてはっきり言って気分悪い。
  だからこの機会にきっぱり止めさせ足を洗わせよう。
  そうだ、それでこの機会にアタシの部に入部してもらおう。
  プラモなんかに時間廻すよりアタシと部活で同じ時間を過ごした方がアッくんにとっても
其の方が良いに決まってるんだから。

  /      /      /      /

「おーい、稲峰」
「あ、こんにちは先輩」
「今日の放課後って時間空いてるか?」
「えぇ、OKですけど」
  部活もやってないし塾にも通っていない私は当然放課後は空いてるのでOKした。
「そうか、じゃァチョット付き合ってくれるか? 大事な話があるんだ」
「はい、分かりました。 じゃァ放課後に」
  何だろう熱矢先輩、大事な話って……ま、まさか私と付き合ってくれるとか……!
  今までだって結構仲良かったし、この間なんか家に上げてもらって一緒にプラモデル――
って、そんな訳無いか……。
  私はそう思い溜息をついた。
  虚しい願望だと分かっていてもつい妄想してしまう。
  正味の話多分プラモデルがらみの話だろう。 それが私と熱矢先輩との繋ぐ仲なんだから。
  まぁいいか。 いつもの事だし。 それに確かに私が恋人になれなくても、でもその代わり
きっと恋人のあの女も見たこと無いような熱矢先輩のあんな貌を見れるんだから。
  ――とっても楽しそうで真剣で真っ直ぐな表情を。

 そして放課後。 私は熱矢先輩に連れられ某ファーストフード店にきてた。
「悪いな時間とらせて」
「いえ、お気になさらないで下さい。 ところでお話って何ですか?」
「あぁ、実はプラモデル続けられなくなっちまって……」
  其の言葉に私は愕然とした。
「そ、そんな……どうし……」
  だって熱矢先輩がどれだけプラモデルを好きか知ってる私には到底理解できなかった。
  そして、何よりそうなると私と熱矢先輩との縁が、繋がりが消えてしまうから。

「スズに……彼女にな、止めろって言われて……」
「そ、そんな……。 か、彼女に言われたぐらいで止めちゃうんですか?!」
「アイツ今までも俺がプラモデル続ける事にいい顔してなかったし、それに今回は
止めなきゃ交際もコレまでだとまで言われちまったから」
  だったらそんな分からず屋な彼女となんか別かれちゃえばいいじゃないですか!
  そう言いたかった。 でも言えなかった。
  そんな事出来ないのは先輩の顔を見れば十分察する事が出来たから。
  悔しかった。 先輩にこんな辛い決断を、貌をさせるあの女が。 そして妬ましかった。
  あの女がこんな強引な決断をさせられるほどに熱矢先輩の心を掴んでる事が。

「それで……止めたのを証明する為今まで作った分も捨てろって言われちまって……」
「な……?!」
  其の言葉に私は血液が逆流して頭の血管がブチ切れるかと思えるほどの怒りを覚えた。
  今まで何度も熱矢先輩の作ったプラモデルを見せてもらった事がある。
  どれも心を尽くして作りこまれ、熱矢先輩にとってはかけがえの無い宝物なのが伺えた品々。
  それを、捨てろだなんて……。
「稲峰……? な、泣いているのか?」
  気付けば私の両目からはぽろぽろ涙が零れ始めていた。
「だ、だって……知ってるから……。 先輩が今まで作ったプラモデルを
どれだけ大事にしてるか知ってますから……」
  そして涙が伝う私の頬にそっと柔らかいものが触れた。熱矢先輩がハンカチを当ててくれたのだ。

「ありがとうな、稲峰。 そんなお前にだから頼みたい事があるんだ。
今まで作ったヤツ、貰ってくれないか?」
「え……?」
「やっぱ、どれも思い入れがあるから捨てるのは忍びなくって。ネットで売ろうかもとも思ったけど
でも所詮素人作品だし。
それにどこの誰とも分からない相手に渡すよりは気心の知れたヤツに貰って欲しいし……。
あ、イヤなら断わってもいいんだぞ。 それに数も結構あるから全部じゃなくても……」
「い、いえ! 全部引き取らせて頂きます」
  私がそう言うと熱矢先輩はほっとしたように笑って「ありがとう」と言ってくれた。

 コレで熱矢先輩との縁も繋がりも消えてしまうのだろう。
  其の事は物凄く悲しいし辛いけれど、でも最後に熱矢先輩の力になれた。
  そして譲り受けたプラモデルを想い出に胸に刻んでいこう。

 数日後――日曜日。 熱矢先輩はダンボール箱を抱えて私の家の前にきてくれた。
  中には先輩が今まで作った数々のプラモデル。どれも丁寧に箱に詰められ間に緩衝材も詰められ、
其の事からも品々に込められた熱矢先輩の思いが伝わってくる。
「すまないな稲峰。 何だか沢山押し付けちまって」
「いえ、そんな事無いです。 先輩が大事にしてきた品々大切にしますね」
  そして受け取る。
「大丈夫か? 重くないか?」
「ありがとうございます。 大丈夫です」
  確かに思ったよりあるみたいだけど、でもそれは単純な目方とかじゃなくて、
きっと熱矢先輩の思いも詰まってるから。
  本当にコレで終わってしまうんだ。 だったら、言ってしまおうか。
  今まで胸に秘めてきた熱矢先輩への想い。
  同好の士としてだけじゃなく、先輩後輩の間柄だけじゃなく、異性として好きだと言う事を。

 ……いや、止めておこう。
  折角このまま綺麗な想い出のまま終われるのだから余計なこと言っちゃ駄目だ。

  /      /      /      /

「アッくん! 何やってるのよこんな所で」
  日曜日買い物に出かけていたアタシはある家の前でアッくんが例の鬱陶しい後輩に
何か渡してるところを見つけて声をかけた。
  あたしの声に気付いた後輩の女は途端に気まずそうな顔をする。
「よう、スズ。 今まで作ったプラモデルを稲峰に引き取ってもらう事にしたんだ」
「ハァ?! 何それ。 アタシは捨てろって言わなかった?!」
「いや、そうだけど手放す事には変わりないからいいだろ?」
「駄目よ!!」
  手放す事には変わりない? 冗談じゃない。
  アッくんが今まで持ってたものをよりによってこの女になんて!
「駄目よ! そんな未練がましいやり方。 捨てるの以外認めないわ!」
「で、でも……」
「コレだけ言っても分からないの?! だったら……」
「お、おいスズ。 い、一体何す……」
  アタシはダンボール箱に手を突っ込み無造作に一体のプラモをつかみ出すと地面に叩きつけた。
「な、何するんだよ?!」
「何度も同じ事言わせないで! 捨てろって言ったのに聞かないアッくんが悪いんでしょ?!
何よ其の顔。 じゃぁアタシと別れる?! 言ったわよね?!
どうしてもプラモ続けたいんならアタシとアッくんとはこれっきり、だって」
  返事は無い。 アッくんは俯き叩きつけられ壊れたプラモを見つめていた。
「ふん、暫らくそうして頭冷やしてなさい。 それでちゃんと全部捨てなさいよ。 分かった?!」
  私は踵を返しその場を立ち去った。

 久しぶりにアッくんと喧嘩しちゃったな。 まぁ良っか。
  どうせ直ぐアッくんの方から謝りに来るだろう。
  幼い頃からの付き合いだ。 時に何度も喧嘩だってしてきた。
  でも其の度あとでアッくんの方から謝りにきて、それをアタシが許して仲直りして、
そうやってアタシ達は幼馴染として、そして恋人同士として付き合ってきたんだ。
  そしてアタシは家に帰りつくと携帯が鳴るのを待った。

 しかし幾ら待っても携帯は鳴らなかった。
  おかしい。 どう言う事よ?
  いつもだったら直ぐにでもアッくんは電話掛けてきてゴメンナサイって必死で謝ってくるのに。
  おかげで気になって何も手がつかないじゃない!
  ああ、イライラする! 早く掛けてきなさいよ!
  謝罪なんてのは時間が立てばたつほど効果は薄れるんだから!

 そしてアッくんの電話を待ち続けながら寝るのが遅くなってしまったアタシは寝不足で朝を迎えた。

3

  /      /      /      /

 目の前で起こった出来事に私は怒りを通り越して放心していた。
  あの女、熱矢先輩に対しそこまでやるなんて……!
  込み上げてくる怒りで頭の中が真っ白になりそうになる。
  そんな私は熱矢先輩の姿に現実に引き戻される。
  しゃがみこみ、あの女に壊されバラバラになったプラモデルを拾い集める熱矢先輩の姿。
  私もダンボールをそっと置き一緒にしゃがみこんで拾い始めた。
  その時地面に黒い染みが見えた。 見れば熱矢先輩の目から涙が零れ始めていた。
  私はポケットからハンカチを取り出し先輩の頬に当てた。
「ありがとう……。 ゴメンな稲峰、嫌な……所、見せちまって……」
  そう言った熱矢先輩の声はかすれ、震えていた。
「いえ……、気にしないで下さい。 それより、どうするんですか……?」
  バラバラに壊れたプラモデルを拾い終えた後も熱矢先輩はしゃがみこんで黙りこんだままだった。

「先輩、あのヒトと付き合ってて幸せですか?」
「スズも……アイツも性格キツい所もあるけど、でも良い所もあるんだ。それに気心も知れてるし。
だからやっぱり俺、アイツとは別かれられ……」
「結局付き合い続けるんですか?でも、先輩の趣味に対し全く理解示してくれてませんよ。
上から高圧的に命令するみたいな口調で、とても対等には見えないです。
そんな対等とは言えない関係が恋人同士の関係って言えるんですか?
そんなヒトと付き合って先輩が幸せだとはとても思えないんです。
いえ、実際幸せそうになんて見えません。だって幸せな人がそんな辛そうな顔する訳がないですから。
だから……」
  私は途中で言葉を切った。 
  私は先輩にとって趣味が同じだけの後輩に過ぎない。
  そんな私がこれ以上口を挟むのは差し出がましいんじゃ……。
  でも、やっぱり言わずにいられず再び私は口を開いた。
「先輩あのヒトとは別れたほうが良いと思うんです」
  ……何を言ってるんだろう私は。
  幾らあの女が非道い女だと言っても、でも悔しい事にそんな非道い女に熱矢先輩は惚れてるんだ。
  私なんかが何を言ったってしょうがない事だって分かってる。 けど……。

「これは……俺とアイツとの問題なんだ。 悪いけど放っておいてくれないか」
  そう。 本来なら只の同好の士で後輩にしか過ぎない私の口出しすべき事じゃない。
  だけど――。
「放ってなんか……置けません。 先輩が辛そうにしてると私まで辛いんです」
  気付けば私の瞳からも涙が滲み始めていた。
「稲峰……。 ありがとう、やっぱりお前良いヤツだな。
同じ趣味の仲間の俺の事こんなに気遣ってくれて」
  そして、其の涙が私の心の堰をも押し流してしまったのだろうか。
「確かに私、先輩の事同好の士として尊敬の念も親近感も持ってます。
でも、それだけじゃないんです」
  今まで封印してきた気持が溢れ出す。 そして――
「先輩の事が……好き……なんです」
  ……ついに言ってしまった。
  ずっと胸にしまっておくつもりだった私の本心。

「え……?」
  暫しの沈黙の後熱矢先輩は驚いた表情を見せる。
「先輩の事を同好の士としての親近感だとか、先輩としての尊敬だとかだけじゃなく、
一人の男性として好きなんです!」
  一度気持を口にしてしまえばもう止まれなかった
「先輩。 先輩とあの人が一緒のままじゃどう考えても先輩にとって幸せとは思えないんです。
だから別かれるべきなんです。 先輩の為にも。 でもそれで私と付き合ってくれとは言いません」
  いや、本音を言えば勿論付き合って欲しい。 でも、そう言い切ることが出来なかった。
  だって――。
「だって私なんか地味だし、背は低いし、胸だって薄いし、髪だってあのヒトみたいな
先輩好みのロングヘアじゃなくて男の子みたいに短いし……」
  とても先輩と釣り合いが取れるとは、あの女以上に先輩を惹きつける自信がもてなかったから……。
  それに今大事なのは私の願望じゃない。 大事なのは熱矢先輩の幸せ。
  だから――
「だから私と、とは言いませんから……。 でも付き合うならあの人じゃなくて、
せめて同じ趣味とまでいかなくても先輩の趣味を笑って許容できるヒトと付き合ってください。
もう……これ以上先輩のそんな辛そうな顔見たくないんです!」
  気付けば私は溢れる涙を拭いもせず感情のままに言い尽くしていた。

「ごめんなさい……。 感情のままに好き勝手言っちゃって」
  私はしゃがみこみ熱矢先輩のプラモデルの入ったダンボールを持ち上げる。
「とりあえずコレは私が大事に預かっておきます。 だから……ゆっくり考えてください。
本当にこれ以上あのヒトと付き合い続けるのか。 ようく考えてください。
それでもやっぱりあの人と付き合う事を選ぶというのなら……、その時はもう私は何も言いません。
先……輩が、プラモ……デル、を捨て……る事……を決め……たと……して……も……」
  私は先輩に背を向けそのまま逃げる様に家へ駆け込んだ。

 部屋に戻った私は熱矢先輩のプラモデルの入った箱をそっと床に置くとベッドに身を投げた。
  場の流れとは言え結果的に告白してしまった。
  本心の全て、とまではいかないが心の中に仕舞いこんでおく筈だった心の内を明かしてしまった。
  そして言ってしまった事を後悔……してるのかどうなのか――。
  私が言った言葉は正しかったのか間違ってたのか――。
  今の私は酷く精神的に疲れて、それすら分からない状態だった。
  頭もゴチャゴチャしてて混乱してきた。 私のした事は本当に正しかったのだろうか。
  あの時は自分の言ってることは間違ってなんかいないと思ってたけど……。

  /      /      /      /

「まさか稲峰のヤツが俺のことをそんな風に思っててくれたなんて……」
  家に帰ってから俺は今日一日、いやここ数日あったことを思い返していた。
  稲峰を家に招いて一緒にプラモデルを作ったこと。
  はっきり言って楽しかった。当然だ。同じ趣味で気が合うやつと共通の趣味の時間を過ごせたんだ。
  でも、そこにアイツを女の子として意識した気持は無かった。
  俺にとって"女"は昔っからスズだけだったんだから。
  だから高校入学を気に思い切ってスズに告白してそれでOKもらえた時は本当に嬉しかった。
  でも、反面恋人同士になってもそれでも俺の趣味を受け入れてくれなかったのは悲しかった。
  受け入れてくれるどころか恋人同士になったんだからコレを機に止めろとまで言われて……。
  それを頼み込んで続けてたけど、でもとうとう最後通告されちまって……。
  そんな辛い思いさせられても、それでも別かれる気にはなれなくて……。
  それはやっぱりスズが気心が知れた幼馴染で、初恋の相手で、初めて付き合った彼女で……。

 俺は携帯を取り出す。 スズとは恋人同士になる前――幼馴染の頃から喧嘩だって何度かしてた。
  でも其の度に俺から謝まってスズに許してもらって、それで仲直りしてきたんだ。
  だから――。

 だがスズに電話をかけようとした手が止まる。
  本当にそうまでして恋人関係を続ける意味があるんだろうか?
  ふいに稲峰に言われた言葉がよみがえる。
<先輩、あのヒトと付き合ってて幸せですか?>
<そんな対等とは言えない関係が恋人同士の関係って言えるんですか?>
<だって幸せな人がそんな辛そうな顔する訳がないですから>
  確かにこんな思いしてまで交際を続ける意味があるんだろうか。

 それに……そんな俺の辛い気持を稲峰は自分のことのように悲しんでくれてた。
  俺だけじゃなく、俺のことを心配してくれるヤツまで辛い気持にさせてまで……。
  そして稲峰は言ってくれた。 俺の事が好きだと。
  でも決して其の気持を押し付けたりなんかしてこなくて。
  その事をアイツは自分に女としての魅力が無いからだといってたが、でも改めて思い返してみれば
決してあいつ自身がそう卑下してるほどじゃない。
  だからあれは本当に卑下してとかじゃなくって俺のことを気遣ってくれての事なんだろう。
  そりゃ俺の好みのタイプは背は俺よりほんの少しだけ低くて、胸も結構ボリュームがあって、
艶やかで長い黒髪が似合う凛とした眼差しの器量良しの――、そう、スズの容姿そのまんまだ。
  だから稲峰は正にスズのそれとは正反対だけど、でも改めてみれば美人といえなくも無いが
どっちかと言えば可愛いという形容詞がよく似合う――。
  そう、確かに可愛くはあるけど、でも短い髪型や趣味のせいもあるが、何て言うか弟みたいな、
そんな感じの親しみや親近感だったし。
  そう言う意味では確かに女と意識した事は無かったけど、でも――。
(アイツ泣いてたよな。 いや、泣いてくれたんだよな。 俺の為に……)

 考えてみれば俺のプラモデルの趣味、スズには否定されてばっかりで其のたびに凹んだりもして、
でもそんな時稲峰の言葉に、一緒の趣味のやつがいるって事に慰められ励まされたんだよな。
  アイツの事を女として好きかどうかなんて分からない。 けど――。
  大事な、かけがえの無い仲間であり友達――そう言う存在だってのはハッキリ言える。

 そうだ。 女としてどう思ってるか、それは分からないし、大事なのはそこじゃない。
  一人の人間としてアイツ――稲峰柚納の事を俺は好きだ。
  そんなアイツにまで辛い思いさせてるんだ。 今のこの状況が。 だから――
  このままで良い訳が無い。

 そして俺は開いた携帯を閉じて仕舞った。

  /      /      /      /

「最悪……」
  学校へ向かう路、アタシは寝不足で重たい瞼を擦りながら呟く。
  アッくんってばどういうつもりよ。
  昨日夜遅くまで待ってたって言うのに結局電話よこさないなんて!
  今日会ったらタップリ文句言ってやるんだから!
  アタシを寝不足にさせたんだ! 今度は映画おごるくらいじゃ済ませないんだから。
  そんな事考えながら歩いていたら前方にアッくんの背中を見つけた。
「アッくん!!」
  そして私は其の背中に向かって声をかけた。
  感情が昂ぶってたせいか思わず大きな声が出てしまった。
  だがアッくんはアタシの声に驚くでもなくゆっくりと振りむいた。
「おはよう、スズ」
  そしていつもと同じ調子で口を開いた。
  其のあまりに何でもない様子にアタシは一瞬呆気にとられたが、直ぐ気を取り直して口を開く。
「おはよう、じゃないでしょ! アタシに何か言う事があるんじゃないの?!」
「何か、って何だよ」
「すっとぼけないでよ! 昨日アタシとの約束破ってプラモ捨てなかったでしょ!?
其の事で言わなきゃいけない事があるんじゃないの?!」
  アタシは寝不足の不機嫌さもあってか声を荒げた。

「なぁ、スズ。 どうしてもプラモデル捨てなきゃ駄目か?」
「何度も同じ事言わせないでヨ! 駄目に決まってるじゃない!
それに言ったでしょ?! それが出来ないならアタシとアッくんとは――」
「これまでだ、って言うんだろ?」
「そうよ! それで良いの?!」
  そう言ってあたしは睨んだ。
  そうよ。 いくらプラモが好きだって言っても諦めなきゃアタシとの仲も終り、って
そう言われてアッくん断われる?
  断われないでしょ? だったらサッサト諦めて謝ってアタシの言う通りにしなさいよ!
「そう……か。 解かったよ」
「ふん。 やっと解かってくれたみたいね」
  そうよ。 所詮それしか選択肢は無いんだから。

「解かったよ。 お前がどうしても俺の趣味が駄目って言うんなら……俺たち一度距離を置こう」
「え……?」
  予想外の返答にアタシは一瞬何を言われたか分からなかった。
「ア、アッくん……? い、今何て……? ア、アタシの聞き間違いかな?
きょ、距離を置こう、って……そ、それってどういう意味……?
ま、まるでお別れの、言葉みた……い……」
  そして問い返そうとするも声帯に力が入らない。
  そんなアタシとは対照的な落ち着いた口調のアッくんの声が耳に届く。
「そういう、意味になるのかな……」
「ア、アッくん! じ、自分が何言ってるのか解かってるの?!
ア、ア、アタシとわ、別……れ……」
  アッくんがアタシと別かれる? そ、そんな事……、そんな事ある訳が……。

「ア、アッくんはア、アタシの事がす、好きじゃ……ないの?!」
「好きだよ。 小さい頃からずっと。 そして今でも……」
「だ、だったら何で……!」
「好きだからこそ……だよ。 今までの俺ってお前の事――お前の機嫌や顔色気にして……。
でもそんな関係正しい付き合いだなんて言えないよ。 だから決めたんだ。
そんな状態で関係続けてたら、其の内俺達はきっと駄目になっちまう。 
若しかしたらお前の事も嫌いになってしまうかもしれない。
そうならない為にも一度距離を置こう。 もう一度幼馴染から、友達からやり直そう、って」
「そ、そんな……、そんなの……」
「だから……、じゃぁ……な」
  そしてアッくんは背を向けると足早に去るように学校に向かっていってしまった。

「そ、そんな……、う、嘘……。 ア、アッくんが……」
  膝から力が抜ける。 振らつく足取りでかろうじて近くの堀に手を付き体を支える。
  知らないうちに両の瞳からは涙が溢れ始めていた。
  確かに言う事聞いてくれなきゃこれまで、ってそう言ったのはアタシよ。
  でも……、でも……ほ、本気で別れるつもりなんてコレっぽっちも無かったのに……!
  だ、だって……だってアタシだってアッくんの事誰よりも好きなんだから……!
  小さい頃からアタシがどんな無茶を、癇癪を起こしたって受け止めてくれてたアッくん。
  そんなアッくんが幼い頃から今に到るまでずっとずっと大好きだった。
  中学の頃には頭の中はアッくんの事で一杯で告白してくれる日を夢見ていた。
  だから其の頃結構告白とかも受けてたけど、でも心が揺れた事なんて一度だって無かった。
  だから高校入学を機にアッくんから告白してくれた時跳び上がるほど嬉しかった。
  そして始まった恋人同士としての交際の日々。
  かけがえの無い幸せな日々は何時までも続くと信じていた、のに――。

「あ、ああああ…………っっ!!」
  胸から込み上げてくる押さえ切れない悲しみにアタシは嗚咽を堪えられなかった。

4

  /      /      /      /

「先輩……、結局どうしたんだろ」
  学校で私は昨日の事が気になって仕方が無かった。
  思い切って熱矢先輩に聞いてみようか……。 でも――。
  でも若し最悪の答えが返ってきてしまったら……。
  結局あの女のことを諦められなくて、それであの女の言う通りにしてしまったら……。
  そう思うととても怖くて聞けなかった。
  それに……仕舞っておくつもりだった気持を伝えてしまった。 中途半端にだけど……。
  果たしてそれが良かったのか悪かったのか。
  そんな事考えながら時間は流れていく。

 放課後、靴を履き替えてた私は動きを止めた。
「稲峰」
  背後から私を呼ぶ声の主。 振り向かなくても分かる。 だって――
  その声の主は私が誰よりも好きな人なんだから。
「熱矢先輩……」
「今から帰るところか?」
「ハ、ハイ……」
  私は俯きながら答えた。
  昨日あんな告白をしてしまったせいか熱矢先輩の顔がまともに見れない。

「じゃぁ、今日この後付き合ってくれるか?」
「え……?」
「頼む。 どうしても伝えておきたい事があるんだ」
「わ、分かりました」
  私は戸惑いを隠せないまま答え、そして熱矢先輩と一緒に学校を後にした。

「昨日はすまなかったな。 色々騒がせてしまって」
「い、いえ……気にしないで下さい。 わ、私も色々勝手な事言っちゃいましたし……」
  私は熱矢先輩に連れられある喫茶店に来てた。
  たまに熱矢先輩と帰りに寄り道したりする時は何時もファーストフード店なのに――。
  場所がいつもと違うせいか何だか畏まった感じすらする。
「いや、いいんだ。 気にしないでくれ。 それより今回の事の顛末お前にも聞いて欲しいんだ」
  そう言った熱矢先輩の真剣な面持ちに私は居住まいをただし息を飲んだ。
  正直怖い思いもある。 若し私が想像しうる最悪の答えだったらと思うと逃げ出したいくらい。
  だけど熱矢先輩がこんなに真剣な貌で私に向き合ってくれてる以上逃げるなんて出来ない。
  そして、私は覚悟を決め面を上げた。

「俺……プラモデル、止めないで続ける事にしたから」
「え……? ほ、本当ですか?!」
  私は身を乗り出さんばかりに叫んでしまった。
  そして周囲の視線に気付きそそくさと座りなおす。
  しまった……。 思わず場所柄も弁えず大きな声を出してしまって……。
  でも……その事に対する羞恥心より私の心の中は安堵感の方が大きかった。
  そして私は確認するようにもう一度尋ねる。
「本当に……、本当にやめないで続けるんですね……?」
  私がそう聞くと熱矢先輩は笑顔で応えてくれた。
  良かった……。
  熱矢先輩がプラモデルを捨てなくて――自分自身を傷つけるような選択をしなくて。

 ――あ、そうだ。 と、言う事は……。
「先輩。 じゃ、じゃぁ、その……あのヒトとは……」
  い、いや早とちりは良くない。 若しかしたらあの女が熱矢先輩の趣味を認め……。
  いや、それも考えにくい。 あそこまで身勝手で我儘なあの女が折れるなんて……。
  でも、悔しい事にそんな女に熱矢先輩は惚れてる。
  そんな熱矢先輩が……。

 私が聞くべきかどうすべきか口ごもってると熱矢先輩が口を開く。
「スズとは……結論だけ言えば別れた……、って事になるのかな」
  ――別かれた。 其の言葉に私の胸の内は大きく脈打ち揺れた。
  それは私が望みつつも反面諦めてた事だから。
  でも――。言葉の語尾が気になった。
  一体どういう……。 そんな事考えてると熱矢先輩が再び口を開く。

「一度お互い距離を置いてみることにしたんだ。でもな……それは嫌いになったから、じゃないんだ。
むしろ……スズの事は今でも好きだ。 お笑い種だよな。 あんな仕打ちされたってのに……。
それでも未だ好きだなんて未練がましくてカッコ悪いよな……」
「い、いえそんな事無いです!」
  私は思わず叫んでしまった。
「熱矢先輩があのヒトと別れを切り出すのって物凄く勇気がいることだったっての解かります。
その事に逃げずにちゃんと向かっていったんでしょ?! むしろ立派です!
全然かっこ悪くなんか無いです!」
  そして思わずまくし立ててしまった。

「ありがとうな……稲峰。 それと……ごめんな」
  え? ――ごめん、ってどう言う意味?
「さっきも言ったように未だに俺はスズの事が好きだ。そんな話を、その……俺のことを……、
って言ってくれたお前に言うなんて……」
「い、いえ……! そ、そんな気にしないで下さい! わ、分かってますから……。
先輩ががあの人……の事、そんな簡単に諦められない、って……」
  言いながら辛くなってくる。
  分かりきってる事とは言え熱矢先輩の口からあの女の事好きだって聞くのは……。

「ゴメン……。 でもな、お前の事も別の意味で……好きなんだ」
「え……?」
「お前とプラモデルのこと話したり、このあいだみたいに一緒に作ったり、すごく楽しかった。
だから……これからも親友として……」
「ありがとうございます。 先輩」
  私は熱矢先輩が言い終わるより先に口を開いた。 そして続ける。
「私も先輩と一緒にお話してる時すごく楽しいですから」
  そして私が言い終わると熱矢先輩はホッとしたように微笑んでくれた。

 ――親友。 そう言ってもらえて嬉しく無いわけじゃないけど……。
  だけど親友で満足出来るかと言われれば、本音はもっと親しくなりたい。
  でもね――今はこれでいいの。 ううん、コレで満足しなきゃいけない。
  "親友として"とは言え熱矢先輩は"好き"だと言ってくれたんだ。
  欲張りすぎちゃいけない。 其の事を私は誰よりも良く知ってるから。
  欲張り、慢心し、そして大事なものを失った例を知ってるのだから――あの女の様に。
  そう。 私は知っている。 だから同じ徹を踏みはしない
  だから――今はコレで十分満足できる。

 今は――、ね。

 そして私は口を開く。
「こちらこそこれからも良き仲間で、親友でいてください、先輩」

5

  /      /      /      /

 今朝の目覚めは昨日にもまして、いや今まで生きてきた中で最悪と言えるほど。
  昨日の事が悪い夢のように思えてならない。
  <一度距離をおこう>
  昨日アッくんから言われた言葉が脳裏に蘇がえるたびに胸に引き裂かれるような痛みが疾る。
  実は昨日一日の間にあったことが全て夢だったんじゃないか――そうだったら良いのに……。
  そんな現実逃避的な考えすら浮かぶ。
  でも、テレビや新聞の日付が告げる日時が無残にも突きつけてくる。
  昨日の出来事が悪い夢などではなく現実だと――。

 そんな精神状態だから朝食もロクに喉を通らず力の入らない体を引き摺るように学校へ向かう。
  結局昨日も朝会ったっきり学校でも終わった後も会っていない。
  このまま歩みを進めれば途中の路でアッくんに出会うだろうけど、でも……。
  正直このまま会うのが気不味いを通り越して怖い。
  アタシはアッくんにどんな顔して会えばいいの……。
  このまま引き返して学校を休んでしまいたいぐらい……。
  そんな事考えながら歩いてたアタシは――。

「スズ! おい大丈夫か?!
  考えながら歩いてたアタシは強く腕をつかまれた感触と其の声に現実に引き戻された。
「気をつけろよ。 お前今赤信号なのに渡ろうとしてたぞ」
「アッくん……。 私の事心配してくれるの……?」
  アタシは声の主――アッくんの顔を見ながら口を開いた。
「当たり前だろ?」
  そう言ってアッくんはアタシに優しく微笑みかけてくれた。
  昔から変わらない優しい笑顔で……。
  そうよアッくんはいつだってアタシのことを見つめてくれた。 何時だって心配してくれてた。
  今だってこうして優しい言葉を掛けてくれる。
  そうよ。 って事はやっぱり昨日のは何かの間違い――。
「心配するのは当たり前じゃないか。 だってお前は――」
  そうよ。 アタシはアッくんにとって最愛の彼女――。
「――お前は俺の大切な幼馴染じゃないか」

 ――え? い、今なんて? た、確かにアタシ達は幼馴染で……、で、でもそれ以上に恋人同士……。

「あ、ホラ信号青になったぜ。さっさと渡っちまおうぜ。もたもたしてるとまた赤になっちまう」
  そう言ってアッくんに私は背中を軽く叩かれ促され横断歩道を渡った。
  その時いつもだったら手を握って引いてくれるのに、でも――。
「じゃぁな。 もう横断歩道でボーっとなんかするなよ?」
  そしてアッくんは手をひらひら振りながら行ってしまった。
  ――結局其の手はアタシのてを握ってくれる事なく――

 <――幼馴染じゃないか>
  や、やっぱり昨日のあれは悪夢なんかじゃなく現実……。
  アッくんにとってアタシはもう本当に……

 彼女じゃなくなってしまったんだ――。

  /      /      /      /

「すぅー……っ、はぁーー……」
  時間は昼休み。 今私は熱矢先輩の教室の前にいる。
  其の目的は一つ。 お昼をご一緒させてもらおうと。
  正直言うと以前にもこうして何度も教室の前まで来た事があった。
  だけど切り出せなかった。 何故なら熱矢先輩の隣にはいつもあの女がいたから……。

 でも、今熱矢先輩の隣にあの女はいない、筈――。
  だから、思い切って今度こそ誘おう。 そして言うんだ。
  ――先輩、若しよろしければお昼ご一緒させてもらっても良いですか? って。

 私は面を上げ扉を見つめる。 何も難しい事は無い。
  扉を開けて、そしたら次に熱矢先輩の姿を見つけて、それで話し掛ければいいんだ。
  そして私は意を決して扉に手を伸ばそうと、其の瞬間……。

「よう。 誰かと思えば稲峰じゃないか」
  私が手を掛けるより先に扉が開きそして現れ口を開いたのは熱矢先輩だった。
  不意を疲れた形の私は思わずその場で硬直してしまった。
「あ、は、はい……! あ、あの、せ、せ、せ……!」
  ど、どうしよう。 あんなに何度も心の中で反芻した言葉なのに出てこない。
  心臓の鼓動だけが私の意思に反してドンドン早まっていく。
  言わなきゃ。 言わなきゃ。 言わなきゃ。 言わなきゃ。 言わなきゃ。 言わな……。
  そう思いながらも言葉が出てこず固まってると――。

「こんな時間にって事は、若しかして昼飯に誘いにきてくれたのか?」
  私は熱矢先輩の言葉に只無言でぶんぶんと首を縦に振った。
「そうか。 じゃぁ天気も良いことだし屋上にでも行こうか?」
「は、はい! よ、喜んでご一緒させて頂きます!」
  熱矢先輩の言葉に私は反射的に答え――しかしその声は緊張と驚きと喜びで、
多分ひっくり返ってたと思う。
  普段なら恥かしさで卒倒してしまいそうだったけど、
でも私の心の中はそれ以上に嬉しさで一杯だった。

 熱矢先輩の後をついて歩く私の胸は喜びと期待で満たされていた。
  ああ、良かった。 やっぱり勇気を振り絞って誘いに行ってよかった。
  高鳴る鼓動に任せ軽やかにスキップでもしたいぐらい。
  でも抑えなきゃ。 あんまりあからさまにはしゃいだらおかしいしみっともないもんね。

 そして屋上に到着してのランチタイム。
  夢にまで見た大好きなヒトと二人で一緒に食べるお昼は予想通り楽しかった。 けど――。
  なんだろう?
  楽しそうに私の話に相手してくれる熱矢先輩だけど何か隠してるような、或いは――。

「熱矢先輩。 何か隠してませんか? いえ、何か話したいことが有るんじゃないですか?
あ、いえ私の勘違いだったらスミマセン」
  私がそう言うと熱矢先輩の顔は驚きに、そして微笑みに。
  でも其の微笑みはどこかすまなさそうなものだった。

「勘が良いんだな……。 うん、実は話したいことが……いや、やっぱりいい――」
「あのヒトの事だからですか?」
  私がそう言うと熱矢先輩は驚いた貌をみせた。
「……本当に勘が良いんだな。 うん、お前の考えてる通りなんだけど、その……」
「私の事を気にしてくれてるのなら、大丈夫です。 確かに先日あんな告白しちゃいましたが、
でも本当に付き合って欲しいとかそんなつもりは全然有りませんから。
強がりとかそんなんじゃなくて今のままの同好の士としての関係が心地良いんです。
だから本当に気にしないで下さい」
  そう言って私は笑って見せた。

 ――今言った言葉、勿論本心ではなく、さりとて全て嘘ってわけでもない。
  確かに本心じゃ恋人同士になれたらとも思うけど、でも今の関係が心地良いのもまた事実。
  恋人同士の関係を望み、告白し、迫って、それで今の関係を失ってしまっては元も子もないから。

「ですから、若しよければ話してください。ただ話すだけでも楽になれる場合もあります。
もっとも私なんかじゃ相談相手として不足かもしれませんけど……」
「いや、そんなことないよ。 じゃぁ……聞いてもらってもいいか?
愚痴みたいで聞き苦しいと思うけど……」
「はい! 私なんかでよければ! あ、勿論ココで聞いたことは決して他言はしませんから」
  そう言って私が微笑みかけると熱矢先輩も連られるように、安心したように微笑んでくれた。

 そして熱矢先輩は話してくれた。
  あの女と恋人同士という関係を清算したものの、それでも未だ心の中に未練が残っていること。
  平静を装って距離を保って話したものの、本心では和解を持ち出したくなる気持を抑えてる事。
  コレでよかったのだろうかと本当は弱気な事――。

 正直言えば熱矢先輩の心の中に未だあの女が住み続けてる事は気分のいいものじゃ無い。
  熱矢先輩が必死で距離を保とうとしつつも未だあの女を気にしてるのも正直妬ける。
  でもココで私がすべき事は間違っても其の事に対する不快感や嫉妬を露わにする事じゃない。
  熱矢先輩の話に真摯に耳を傾け、そして熱矢先輩の心を楽にしてあげる事。
  熱矢先輩にはいつも笑顔でいて欲しいし、そのために私は出来る限りの事をしたかったから。
  そう。 私はあの女とは違うのだから――。

 そして一通り話し終わった頃には熱矢先輩はどこかすっきりした貌をしてた。
  その貌を見て私は確信できる。
  私のしてる事は決して間違っていないんだと――。

6

  /      /      /      /

「あんたねぇ……、いい加減泣き止みなさいよ。 昨日は抜け殻みたいで、
今日は今日で泣きっぱなしで」
「だって……アッくんが、アッくんがぁ……!」
  学校での休み時間アタシは泣き通しだった。
  アッくんに別れを突きつけられた事が辛くて……。
  そしてそんなアタシの泣き言に向かい合ってくれてるのは中学以来の親友の葛原千恵ちゃん
「だったらサッサト仲直りしなさいよ」
「アタシだってしたいわよ! でもどうやったらいいの分かんないんだもの!!
だって今まで喧嘩した時だってアッくんから謝ってくれて仲直りばっかりだったし……」
  そう、今までアタシから謝った事は無かったのだ。
  だから、本当にどうしていいか分からないの……。

 そんなアタシの言葉に千恵ちゃんは溜息をついて口を開く。
「んなもの一言『ゴメンナサイ』って謝りゃ済むじゃないのよ」
「謝る……? それってアッくんの趣味を認めろってこと……?
駄目よ! そんなの駄目!」
「プラモぐらい好きに作らせて上げりゃいいじゃないのよ……」
「プラモぐらい?! 千恵ちゃんは他人事だからそんな事言えるのよ!
プラモなんてガキやオタクのやることじゃない!
彼氏がそんな事やってるのなんて許せるわけ無いじゃない!」 
「それで彼氏がオタクなのが許せない、ってか。 それでそれが許せないばっかりに素豆子、
アンタは彼氏と破局に終わってもいいわけだ」
「破局になってよいわけが無いじゃない!」
「だったら、さっきも言ったように謝っちゃいなさい」
「でも……」
「あぁ、もう! でもじゃない! このまま破局で終わりたくないんでしょ?!
だったら四の五の考えずに『ゴメンナサイ』って謝って来い! 解かった?!」

 そして授業を挟んで次の休み時間、アタシは千恵ちゃんに発破をかけられた事もあって
アッくんの教室前に来てた。
  中学の頃から千恵ちゃんはいつもアタシの相談に乗ってくれたし力になってくれた。
  裏表が無くて歯に衣着せぬ物言いで、そのせいで衝突した事もあるけど、
でもそんな所もまた魅力な大切な親友。
  だからとりあえずはそんな千恵ちゃんの言う通りにしてみよう。

「スズ?」
  扉を前にそんな事考えていたらアッくんが扉を開け目の前に立っていた。
「ア、アッくん、あ、あのね……」
  言うんだ、言わなきゃ。 『ゴメンナサイ』って。
  本音を言えば謝る事に抵抗が無いわけじゃないけど、
でもそうしなければ方向はもっと悪くなってしまう。
  だから千恵ちゃんが言ってたように四の五の言わず謝ろう。
「アッくん。 その、ゴ、ゴ、ゴ……」
  それなのに『ゴメンナサイ』の一言が喉に引っ掛かってるみたいに出てこなくって……。
「ゴハン一緒に食べない?!」
  ……って何言ってるのよアタシィィィ?!
「ゴハン、って昼飯に誘いにきてくれたのか? ありがとうな。 じゃぁ昼休みに、
そうだな屋上で良いか?」
  でも返ってきた言葉に私は胸を撫で下ろす。
「う、うん。 じゃぁお昼に屋上でね」

 

「――で、それってよーするにちゃんと謝ってこなかったってことよね?」
「う、うん。 まぁそうなんだけど……。 ってそんな風に溜息付かないでよぉ」
「溜息も出るわよ。 あんた本当に彼と仲直りする気あるの?」
「あるわよ! だ、だからねお昼食べる時に今度こそちゃんと言うの!『ゴメンナサイ』って」
「はいはい。 じゃぁ頑張ってきてね」

 そしてお昼時私は約束どおり屋上へ向かうと――
「ア、アッくん! ど、どう言う事よ?!」
  私が思わず声を荒げてしまったのは、そこにアッくんだけじゃなくあの例鬱陶しい後輩もいたから。
「どういう、ってメシは皆で食ったほうが美味いだろうからさ。
それに今日は元から稲峰と一緒に喰う約束だったし」
「皆で、ってそれは時と場合と相手によりけりでしょ?!
アタシはアッくんと二人っきりで食べたかったのよ!
だからこの子はジャマなの! 帰ってもらってよ!」
「スズ! 言いすぎだぞ!」
「言い過ぎじゃないわよ! 二人っきりでって思うのも望むのも当然でしょ!
だってアタシ達は――」
「幼馴染だろ」
  遮るように言い放たれたアッくんの言葉にアタシは言葉を失った。
「幼馴染同士でそこまで言われる筋合いは無いはずだぞ」
  ――幼馴染。其の言葉が否応なく胸に突き刺さる。
アタシとはもう恋人同士じゃないんだと。 そう突きつけられた其の言葉に胸が痛くなる。

「……ズ、おいスズ」
「……え? あ……」
  消沈し放心しかかってたアタシはアッくんの言葉に引き戻される。
「悪い。 チョット言い方がキツかった」
「あ、ううん。 アタシの方こそ……」
  確かにアタシはアッくんにとっての彼女じゃなくなってしまったけど、
でもこうして気に掛けてくれる。
  そうだ。 確かに恋人関係の解消を告げられたけど、でも嫌われたわけじゃない、んだよね?
  だから……、そう、だからこそ今のうちに謝ればきっと取り返しがつく。
  うん、『ゴメンナサイ』って謝ろう。

「じゃぁ気を取り直して三人でメシにしようぜ」
  アッくんの言葉に頷きアタシは頷き座ってお弁当を広げようと――え? 三人?
「三人って、この女もアタシ達とお昼ご飯を一緒にとるってこと?!」
「あぁ、さっきも言ったろ? あと、この女、なんて言い方するなよ。お前は俺の大切な幼馴染だが、
稲峰だって俺にとって同じく大切な後輩で親友なんだ」
「同じ?! 同じじゃないわよ! 同じにしないでよ! アタシとそんなウザい後輩を!」
「スズ! だからそんな言い方止めろ」
「だって! だって、だって、さっきも言ったようにアタシは二人っきりがいいの!」
  アタシは思わず感情のままに叫んでしまった。

「わかったよ……」
  暫しの沈黙の後アッくんは口を開いた。
「わかったよスズ。 じゃぁもう三人で食おう何て言わないよ」
  そう言ってアッくんは立ち上がりあの後輩の手を引いて――。
「じゃあなスズ。 わざわざ来てもらったのに悪かったな」
「え? ちょ、ちょっとアッくん……」
  しまった……! あ、アタシは何てことを……。
  後悔の気持がこみ上げ膝から力が抜けていく。 追いすがろうとするも力が入らず……。
「ああぁぁぁぁぁ……!!」
  一人残されたアタシの口からは只々悔恨の嗚咽だけが零れた。

  /      /      /      /

 言ってくれるわ、あの女……! 人のことジャマとか、ウザいとか……!
  挙句、同じにしないでェ?!
  コッチこそアンタみたいに我儘で思いやりに欠ける女なんかと一緒にされたくないわよ!
  でもそんな事は口に出さない。 そんなこと言ったら先輩が悲しむから。
  悔しいけどあの女と先輩の仲の深さは知ってるから。
  でも私の胸中にあったのはあの女に対する不快感だけじゃなく――
  そう、熱矢先輩があの女の無神経な罵倒からは私を庇ってくれた。
  あの女を咎めてくれた時は、口には出さないけど胸がすく思いすらあった。
  私の手を引いてくれた時はドキッとしたし、胸の鼓動の高鳴りは未だ収まりきっていないまま。
  それに、それってば、つまり……私を……。
  そう思いながら熱矢先輩の顔を見ると――

「せ、先輩?! だ、大丈夫ですか?!」
  私は思わず声を上げてしまった。 だって熱矢先輩は今にも泣き出しそうな顔をしてたから。
「ごめんな、稲峰……。 お前にも嫌な思いさせちまって……」
「い、いえ気になさらないで下さい。私なら大丈夫ですから。それより……、いえ、何でも……」
  聞きたかった。 何であの女と私とを一緒にお昼をだなんて思ったのか。
  でもこんな沈んだ貌の先輩にそんな事訊いて良いものか……。
「スズに……分かって欲しかったんだ。 三人で一緒に食えば、俺と稲峰の姿を見れば……。
そうすれば……俺がどれだけプラモデルを好きかって事も、そして其の事を分かり合ええたら、
楽しさを共有出来きたら……、そう言ったことをスズにも分かってもらおうと思ったのに……。
それなのに……結果はこんな事になっちまって、お前にまで嫌な思いさせちまって……
ゴメン……」
「い、いえ本当に私なら大丈夫ですから……」
  そういう……事でしたか……。
  やっぱり先輩はあの女と仲直りしたいんだ……。
  あの女が先輩の幼……馴染だから。 初恋……の相手だから。 重ねてきた年月があるから……。

 ――妬ましい――!

 熱矢先輩にあれだけの仕打ちをしでかしときながら、それなのに未だ心を占めてるなんて……!

「稲峰……本当にゴメン」
「え……? あ……!」
  熱矢先輩の声に現実に引き戻される。 しまった、感情が面に出てしまってた。
  そのせいで、熱矢先輩にまた心配掛けさせてしまった。
「あ……、だ、大丈夫です! 本当全然気にしてませんから!」
  あの女のせいで心を痛めてる熱矢先輩に私まで負担掛けるような真似してどうするのよ。
「お腹空いてたからこんな貌になっちゃってただけです」
  私はおどけて両手の人差指で目の端を吊り上げて見せた。
  そんな私の仕草に熱矢先輩の顔からくすりと笑みが零れる。
「そういや、メシ喰おうとしてた所だったんだよな」
「ハイ。 じゃぁ場所は、中庭にします? あそこも日当たり良くて気持ちイイですし」
  私がそう言って笑いかけると熱矢先輩も微笑を返してくれた。

 妬ましい気持も、不満も、苛立ちも、確かに心の中にはあるけど……。
  でも今はこの現状のままで満足しておこう。
  熱矢先輩が私の微笑みに応えてくれる。
  熱矢先輩が微笑んでくれる――それだけで私は十分幸せを感じられるのだから。

7

  /      /      /      /

「…………バカか、アンタは?」
「うぅ……知恵ちゃん。 そんなズバッと言わなくたって……」
  アッくんとお昼を一緒にする事も仲直りも出来ず意気消沈して仕方なく教室に戻ると、
アタシの耳に入ってきたのは知恵ちゃんの歯に衣着せぬ手痛い言葉だった。
「言いたくもなるわよ。 謝りに行って仲直りするどころか逆切れして戻ってくるなんて、
呆れてものも言えないわよ!」
「だ、だって……だって……アタシは二人っきりで食べたかったのに……」
「いーじゃんよカレシ君の、あ、振られたから元カレ君か? の、友達の一人や二人増えたって」
「だから! その友達が問題なのよ! よりによってアタシが認めたくないアッくんの趣味の――
プラモ仲間の! そんなコと一緒だなんて!」
  アタシは思わず檄昂して叫んだ。

「何? よーするにアンタ、その元カレの友達に対し嫉妬してるわけ?」
  そんなアタシの言葉に千恵ちゃんは溜息をつき口を開いた。
  アタシは千恵ちゃんの其の言葉に一瞬呆気に取られ、そして思わず声を上げる。
「はぁ?! 嫉妬?! バカ言わないでよ!
嫉妬ってのは驚異とか、じゃなきゃ羨ましいって感じさせるような相手に感じるものでしょ?!
あんな色気も無いようなチビガキに嫉妬なんてするわけないでしょ!
アッくんにプラモをやめて欲しいアタシが、プラモの事で仲良く話してるの羨ましがる訳ないでしょ!
アッくんだってあんなガキ、趣味が一緒だから一緒にいるだけなんだから!」
「って言うかさぁ、アンタ忘れてない? アンタが其の趣味を認めてあげられなかったのが原因で
こうなったって言う事」
  感情的に口を開いたアタシとは対照的に千恵ちゃんは淡々とした口調で口を開く。

「う……。 そ、そりゃそうなんだけどさぁ……」
「って言うかさぁ、あんた等は付き合ってる頃から色々問題抱えていたようにも見えたけど?」
「問題?問題って何よ?!アタシは何時だってアッくんの事大好きで、アッくんの事考えて……」
「そう言ってる割にはいつもデート代は彼氏持ちじゃなかったっけ?」
「そんなの当然でしょ。 普通デートって言ったら彼氏が持つのがデフォでしょうが。
男の子の立場から言ったって自分が持つ事で男の子としての面目を保てるんだし。
それにアタシらは女の子はオシャレにファッションにお金がかかるんだから」
「まぁ……あながち間違ってるとは言わないけどさぁ……」
「でしょ? それにアッくんお金持ってたってどうせプラモにつぎ込んじゃうんだし、
デート代に注ぎ込んだ方がよっぽど有意義よ」
  そうよ。 アタシは何時だってアッくんの為に綺麗なカノジョでいようと頑張ってたんだから。
  その為にお金だってかけてきたんだからデート代ぐらい――。

「あのね……。で、その彼氏持ちでアンタらがしてたデートだけどさぁ、いつも映画だったっけ?」
「そ、映画。 で、大体がホラー」
「そういや何時もホラー映画チェックしてたわね。 アンタと彼氏のどっちの趣味よ?」
「えっと強いて言えばアタシ?」
「何、其の強いて言えばってのと語尾のクエスチョンマークは」
「えーとね、ぶっちゃけアッくんホラー嫌いだしアタシもあんまし好きじゃないんだけどね」
  アタシが応えると千恵ちゃんはあからさまに疑問の表情を浮かべる。
「は? だったらなんで」
「えー、だってホラーだと遠慮なく手ぇ握ったり抱きついたり出来るし。
あとね、アッくん物凄い怖がりなのに一生懸命怖いの我慢しててね、
そんなアッくんの一生懸命さが可愛いって言うか愛しいって言うか、そんな顔が好きなの」
  言いながらアタシの脳裏にアッくんの顔がよみがえる。
  アタシの為に一生懸命になってくれる大好きなアッくん。

「素豆子……ちなみに訊くけど映画の選択、元カレ君にさせてあげたことある?」
「ないわよ。 だってアッくんに任せたら子供っぽいのやマニアックなのばっかなんだもん」
  アッくんプラモばっかやってるから当然そのプラモの基になってるアニメとか、
そんな感じのばっか選ぼうとするんだもの。
  そう言うのもひっくるめてプラモなんかやめて欲しかったのよね。
  アタシがそんな事考えながら応えると千恵ちゃんは突然黙って手招きをした。
「何? 千恵ちゃ……」
  アタシは身を乗り出すとアタシの目の前、正確にはアタシのおでこの前辺りに
親指と中指で輪ッカを作った千恵ちゃんの手が――
  次の瞬間頭蓋骨に響きそうな程の痛烈な痛みが突き抜け目の前に星が弾けた。
「?! い、いったぁ〜〜〜〜!!?」
  アタシは額に強烈なデコピンをお見舞いされたのだ。
「ち、千恵ちゃん! 何……」
「やかましい! 何よその傲慢な付き合い方は?! 趣味を認めてやらないだけじゃなくって
そんな真似までしてたのかアンタは?! それじゃ振られて当たり前だ!」

「振られ……そうだ、アタシはアッくんに振られ……」
  今更ながらまた振られたショックが蘇ってきて、また涙が……
「黙れ! 泣くな鬱陶しい! って言うかいい加減自業自得だって自覚してんのか?!
本当にやり直したいと思ってるのか!」
  勿論やり直したいに決まってる。
「あ、あるわよぅ……。 だから、また明日にでも謝まりに……」
「本当にちゃんと謝れるの?ついでに仲直りの意味も込めて誠意の一つも見せてきたら?
例えば、映画とかに誘うとか」
「え、それってデートってこと? でも、未だ絶縁されたままなのに……」
  ――デート。 勿論したいに決まっている。
  でもより戻したわけでもないのにデートに誘う資格なんて……。
「深く考えるんじゃないの。 元から幼馴染同士だったんでしょ?
付き合う前だって映画ぐらい一緒に行ったんでしょ?」
「うん……、まぁ。分かった。じゃぁ仲直りの手始めに一緒に映画行こうって誘ってみる」
  そうだね。 恋人とかそうじゃないとか、そんな風に細かく考えないで誘ってみようかな……。

「あと、一応言っておくけど映画代はアンタが持って上げるのよ?」
「え?」
「何、アンタから仲直りお願いするんだから当たり前でしょ?」
「でも今月は他に欲しいのが……」
「アンタ!本当に状況分かってるの?!それに今までだって彼氏がそう言う思いしてたのよ?!」
「わ、分かったわよ……」
  アタシはしぶしぶながらも頷く。 でも確かにコチラから歩み寄るんだからそれもそうか……。
「勿論映画の選択は元カレ君にさせてあげるのよ?」
「えー? でもそうしたらさっきも言ったけど、オタ……」
「アンタ……、本当に分かってる?」
「わ、分かったわよぅ……。 じゃぁ次の休み時間にでも……」
「待って。 アンタそれじゃまた空回りしそうだからメールにしな」
「え、でもこういう大事な事はメールより口で直接伝えた方が……」
「確かにそれが正論だけどね。 でもアンタ今までそれで散々失敗してたじゃない。
だから、今ココでメールしな」
  確かに、そうかもしれない。
  アッくんに振られたあの日から何度も口頭で言おうといつも失敗してた。
  アッくんを目の前にすると気持がはやり空回りしてしまうから――。
「うん、分かった」
  そして私は携帯を取り出しメールを打ち始めた。

8

  /      /      /      /

 このあいだのスズと映画――に行ったのは別れる前に最後にデートして以来だ。
付き合ってた頃のデートは……そりゃ大好きな女の子とのデートだ。 楽しくないわけが無い。
俺の為にとメイ一杯オシャレしてくれるスズはとっても可愛かった。
そんなスズと一緒に街中を手を繋いで色んな店を回ったりご飯を食べたりと当然楽しかった。
でもデート代全て俺持ちだったし――まぁデート代を男が持つのは当たり前かもしれないが、
だけど本音で言えば正直キツかった。
デート代の出費のお陰で限定発売のキットの購入を泣く泣く見送った時だってあったし……。

 其の割りに見る映画は俺に選ばせて貰えず、まぁ好みが違うんだから仕方ないけど……。
おまけに俺が苦手なホラーとかばっかで……。
でも見てる間中抱きついてきてもらえたりしたのは結構役得だったかな。
それでもどうせ一緒に見るなら俺が見たい映画を一緒に見たかった。
そう。 スズとのデートはいつも楽しいながらも、でもいつも心のどこかで不満があった。
尤も其の不満を口に出せなかった俺も悪かったが……。
それにデートの楽しさの方が不満を補って余りあると思ってたから。
でも……やっぱり心の底では納得してなかったんだな、俺は。

 だから、このあいだの映画の――デートに誘ってくれた時は嬉しかったな。
何せスズの方から映画代も持つと言ってくれて、おまけに映画も選ばせてくれた。
スズが俺に対し譲歩してくれた。 気遣ってくれた。
そして何より、見たい映画を、それも好きなコと見れる。
それがとても嬉しかった。
付き合ってた頃からは考えられない事だった。
暫らく距離を置いた事で色々とあいつも考えてくれたってことなんだろうな。
と、言う事はやっぱり一旦距離を置いて正解だったのかも。

 正直、恋人と言う間柄を解消した後は寂しかったり後悔の気持に襲われたりもした。
だけどそれを切っ掛けにスズも色々考えてくれたんだよな。
うん、結果オーライ。だからこのデートを切っ掛けによりを戻そうと切り出そうかもとも思った。
だけど、出来なかった。 しなかった。
確かに今回のデート、スズは譲歩してくれた。
でも――。

 映画を見終わって、その後ランチタイムで映画の感想とかの話題で盛り上がれると期待して、
でも其の期待通りにはいかなかった。
映画を見た後の興奮そのままに話すのは俺だけで、スズの口から感想とかが出る事は殆ど無かった。
そりゃ相槌とかは打ってくれたけど、でも無理して付き合ってくれてるみたいで
それに気付いてしまうとむしろ寂しい気持になってしまった。
そう。 スズは確かに譲歩はしてくれたけど、でも理解してくれたわけじゃないんだよな。
だから当初はスズに模型店にも付き合ってもらうつもりだったんだけど止めた。
きっと……不満な気持にさせてしまうから。

 でも誘ってくれたのにそんな思い口には勿論、顔にだって出せない。
だからあいつの前では最後まで笑顔で振舞って見せた。
デートの残り時間もあいつの好きなように過ごした。
まぁお陰でスズも其の後はずっと笑顔でいてくれて満足してくれたみたいだ。
折角誘ってくれたんだ。 誘ってくれた本人に不快な思いはなるべくさせたくないから。
それが誘ってくれた事への礼にもなるから。

でも俺のほうはと言うと……終わってみれば結構気疲れしちまったなぁ……。
だからデートに誘ってくれた時感じた、これを機会にヨリを戻せるかもと言う期待は
デートを終える頃には……

  /      /      /      /

 学校の帰り道、私と熱矢先輩は今、とある模型店に来てる。
熱矢先輩があの女と付き合ってた頃からも一緒に模型店を寄る事はあったけど、
でも最近になってからは特に其の頻度は高まってる。
そう、先輩があの女と別れて以来私達はより親密になっていた。
でも幾ら親しいと言ってもそれは先輩後輩同士というか、同じ趣味仲間同士の域のまま。
未だ其の関係に発展の兆しが無いのは寂しくもするけど、でも欲張るのは良くないよね、うん。
あんまり高望みしすぎてそれで今ある幸せまで失う様な真似はしたくないから。
そう、こうしてお店でプラモデルを眺めながら話し合えて、そんな楽しい時間。
そんな幸せな時間を味わえてるんだから。

 そうして店内を一緒に回ってると熱矢先輩の目があるポスターにとまる。
それは他県で行われるホビーショーの告知ポスターだった。
「あ、今年もホビーショーの時期ですね。 先輩行ったことってあります?」
「いや。 行ってみたいなーとは思ってるんだけど未だ一度も行ったこと無いんだ。
そう言う稲峰は?」
「私も未だ無いんですよ。 行きたい気持は有るんですけど、チョット遠いですから」
そう。 いつも雑誌等に載るリポートで見るだけで実際に見に行ったことは無い。
最新情報や試作モデル、またホビーショーで始めてお披露目になる情報など、
プラモデル好きな人間にとってとても興味深いイベント。
でも場所が遠いので今まで実際に足を運んだ事は無かったのだ。

「だよな。 実際行くとしたら幾らぐらいかかるんだろ」
「そうですね。 チョット調べてみましょうか」
そして私は携帯を取り出し電車の乗り換え案内のサイトにアクセスする。
画面に私達の地域の最寄の駅名とホビーショー会場の最寄りの駅名を入力する。
そして出てきた結果は――。

「げ……」
熱矢先輩が思わず絶句したのも無理はない。
そこに出た金額は一高校生の財布でどうにかするにはかなりキツイ金額だったから。
「あ、でも待ってください。 この検索結果って新幹線の利用が含まれてますよ。
もうチョット待ってください。 今度は特急とか使わない低料金でいけるルート調べてみますね」
言って私は条件を変更して再検索を掛けた。
そして出た再検索の結果は――。

「さっきに比べれば大分安くなったな……」
「でもそれなりにかかりますねぇ」
「無理すりゃ何とかなりそうだが……う〜んでもやっぱキツいかな〜」
そう言った先輩の顔からは迷いの気持が見て取れた。
やっぱり行きたいんだ。 そうよね。 プラモデルが好きなら当然よね。
私もプラモデル好きだから其の気持はとても良くわかる。
ネックになってるのは交通費の問題。 これさえ何とかできれば……。

「あ……」
「どうした稲峰」
「ええ、ちょっと思い出した事がありまして、従兄のお兄さんで鉄道に詳しい人がいるんです。
其のお兄さん、安く乗れるフリーパスとかについても結構知ってるから、若しかしたら……」
「本当か?!」
熱矢先輩の顔に期待の色が浮かぶ。
これって、私を頼ってくれてる。 期待してくれてるってことよ……ね?
応えたい。 先輩の思いに。 そんな思いで胸一杯になりながら私は口を開く。
「ええ。 ですから帰ったら夜にでも電話して聞いてみますね」

9

 そして明けて翌日 
「で、どうだった? 稲峰」
お昼休み時間、屋上で二人でお弁当を広げながら熱矢先輩は聞いてきた。
「ハイ。 昨日の夜電話して訊いてみた所あるそうです。 其の区間を含むフリーパスが」
「マジか?! で、其のフリーパス使えば安い料金でも行けるんだな?」
「ええ、でも期待に応えられる程かは……」
そう。 確かにフリーパスを使えば普通に行くよりかは安くなる。
でもそんなぐんと安上がりなわけじゃない。
だからガッカリさせはしないだろうかと気にしながら私は伝えた。
私からの報告を聞き終えた先輩は暫らく考え込んでいた

「そうか。 其の額なら俺の小遣いでも何とかなるな……。 よし、決めた!
其の教えてくれた行き方で行くことにするよ。 ありがとうな稲峰。
お前が相談に乗って教えてくれたお陰だよ」
そう言って熱矢先輩は笑顔を向けてくれた。
「い、いえ、そんな大げさですよ」
言いながら私は思わず視線をそらしてしまった。
其の笑顔に幸せな気持で満たされつつもすい思わず照れ臭くてなってしまって。

「で、稲峰。 お前もやっぱり行くのか?」
「え? あ、ハイ。 私も前から行ってみたかったですし……」
言いながら私は気付いた。 そうだ、先輩も私も目的地は一緒なんだ。
だったら誘ってみようかしら。 うん。 折角のこの機会なんだ。
思い切って誘おう。
私は意を決して口を開く。

「あの、先――」
「じゃぁさ、一緒に行くか?」
その時私が口を開こうとするのとほぼ同時に先輩が口を開いた。
そして紡ぎだされた言葉は、それは私が言おうとしてたのと同じだった。
私は其の事に驚きを隠せず思わず固まってしまって、その間にも先輩は言葉を続ける。

「どうせ目的地が一緒なら一緒に行こうぜ。 一人で見て回るのも良いけど、折角なんだから
同じ趣味の仲間同士で見て回ったほうがもっと楽しいと思うんだ」
――空耳なんかじゃない。 本当に私を誘ってくれてるんだ。 私を――
徐々に頭がハッキリしてくると私の中の驚きはやがて嬉しさへと、喜びへと変わっていった。
そして喜びの気持のまま口を開く。
「ハ、ハイ! 私のほうこそ若しご迷惑でなければご、ご一緒させてください!」
言った直後私は思わず自分の口を手で押さえる。
思わず興奮して大きな声を出してしまった事に自分でも分かるほど顔の温度が上昇していく。
興奮する気持を押さえながら再び熱矢先輩に視線を移すと其の顔には優しい微笑が浮かんでいた。
その微笑に私のほうも自然と笑顔になる。

「よし。 じゃぁ何時ごろ出発する?」
「そうですね。 じゃぁ――」
そして私と熱矢先輩は当日の打ち合わせを始めたのだった。

 

「よし。 全て準備オッケー」
ホビーショー当日の朝、私は声に出し出発のチェックの確認を終えた。
始めて行く場所だし結構距離もあるから余裕を持って早目に出る事にし、
結果早朝に出発する事にしたのだった。
おかげでかなり早起きする羽目になっちゃったけど、でも全く眠気は無く頭はすっきりとしてた。
これから向かうホビーショーに、それも熱矢先輩と共に行けるんだという期待と喜びで
胸が一杯だったのだから。
そして私は期待に胸踊ろせながら家を出たのだった。

 駅に到着した私が待っていると程なくして先輩も駅に姿を見せ挨拶を送ってくれた。
「おはよう稲峰。 待たせたか?」
「おはようございます先輩。 いえ、私も少し前に着たばっかりですから――」
先輩と挨拶をかわしながらふと思ってしまった。 それは――
「どうした?」
「い、いえ何でも無いです」
――それは今のやり取り。 コレってまるでデートの待ち合わせをしてる恋人同士の会話みたい、
なんて思ってしまったから。
でも……そんな風に感じてるのは私だけ。
先輩も今日の事が楽しみといった笑顔を浮かべてくれてる。
だけどそこにある私に対する思いはあくまでも後輩とか親友とか、それ止まりだろう。
だから……余計な事をいって水をさしちゃいけない。
そう想い私は気持を抑え先輩の方を向き直り口を開く。
「じゃぁホームに向かいましょうか」

 駅を乗り継ぎ会場に到着した私達は圧倒された。
今日のホビーショーは国内で行われるこうしたイベントの中では最大規模のもの。
だから当然其の来場者の数も相当だろうと予想はしてた。
でも実際目の当たりにした人の数は私の予想をも越えたものだった。
そして私がその人の多さに圧倒され立ち尽くしてた私は――
「ひゃわっっ?!」
其の人波に呑まれさらわれそうになってしまった。
ヤ、ヤバッッ! そう言えば私ってば背も低いし体もちっちゃいから普段も満員電車とか乗ると
埋もれそうになったりしてたんだった!
油断した〜! これじゃ折角先輩と一緒に来たのにはぐれちゃう。 そ、そんなの……

「稲峰!」
人波に埋もれそうになった私は済んでのところで熱矢先輩に手を掴まれ難を逃れた。
「大丈夫か、稲峰?」
「あ、はい。 大丈夫です……」
私は応えながら自分の手を見つめた。 熱矢先輩が握ってくれてる私の手を――。

「兎に角凄い人の数だし気をつけようぜ?」
そう言って熱矢先輩は掴んでた手をそっと離し私の頭をポンポンと優しく叩いてくれた。
「あ、ありがとうございました」
私は頭上にある熱矢先輩の手を名残惜しげに見つめていた。
未だ手には熱矢先輩が掴んでくれた感触が、温もりが残っている……。
咄嗟の事でさっきは沸かなかった実感が今更よみがえってくる――。
――もっと掴んでて欲しかった。 ――もっと握っていたかった。

「しっかし改めて凄い人込みだよな〜。 この人込みじゃ油断するとまたはぐれちまいそうだな。
だからほら――」
そう言いながら熱矢先輩は私の前に手を差し伸べてくれた。
え? これって――
「はぐれない為にもシッカリ掴んでろよ?」
私は差し伸べられた手を掴んだ。
「あ、ありがとうございます!」
そして手を握り返した私に向かって熱矢先輩は優しく微笑んでくれた。
其の笑顔に、手の温もりに私の胸のうちは幸せで満たされてくる。
私を気遣って手を差し伸べてくれた事が、熱矢先輩と手をつないで見て回れる事が嬉しくて――。
今の私達まるで恋人同士みたい……には見えないんだろうな……。
いいとこ仲の良い兄妹……いや下手すりゃ兄弟って言う風に見えてるんだろうな……。
――って、やめやめ! 折角の楽しみにしていた今日という一日。
余計な事は考えちゃ駄目よね。 うん。

「先輩、今日は目一杯楽しみましょうね」
そして私は気を取り直して口を開くと先輩と共に会場に向けて足を踏み出したのだった。

 会場に足を踏み入れた私達は各メーカーブースの展示品に目を奪われた。
それは今回のショーで初めてお披露目になる試作品だったり、
或いは既に模型雑誌等で発表されてるのも実物を目の当たりすると
写真とは比べ物にならない感動が伝わって来る。
新作や企画中の試作品だけじゃない。 プロの手による作例やジオラマの展示とか
私達の目を釘付けに魅了してくれるもので一杯だった。
展示品を眺める私の胸のうちは嬉しさや楽しさで一杯で、そしてそれは熱矢先輩も一緒だった。
目の前に広がる展示品の数々に釘付けになり眺めてる熱矢先輩の瞳はキラキラと輝いていた。
そしてそんな先輩と一緒に今この時を共有できる。
それは私にとって例えようも無いくらい幸せだった。

 途中お昼休みをはさみ私達は昼食をとる。 ちなみにお昼ごはんは私が作ってきたお弁当。
建前上の理由は出費の節約。 でも本音は熱矢先輩に私の料理を食べて欲しかったから。
実際には私が作ってきたのはおにぎりなんで、料理っていうほどご大層なものではないけど、
でもこういう所でとるお弁当ならあまり凝ったのではない方が良いから。
それに懲りすぎて失敗しちゃったら本末転倒。
そんな失敗した料理なんか熱矢先輩に出すわけに行かないからね。
それでも実際にはちょっぴり型崩れとかしちゃったりもしたんだけど……。
だけどそんなおにぎりでも熱矢先輩は美味しそうに食べてくれた。
美味しそうにおにぎりを頬張る熱矢先輩の横顔を眺めながら私は頑張って良かったと言う満足感と、
と同時に頑張ってコレが限界の自分の不甲斐なさに少し凹んでもいた。
だから今度作る機会があればそのときはもっと頑張って美味しく作るぞー!

 昼食を済ませた後、午後も各ブースや会場内を見て回った。
そして時が立つのも忘れて見て回ってると、気付けば閉場のアナウンスが流れ始めてた。
楽しい時間はあっという間に過ぎるっていうけど本当ね。
そう思いながら私達も会場を後にする。

 帰りの電車の中、興奮冷め遣らぬ私と熱矢先輩は今日のホビーショーに付いて語り合っていた。
「今日は本当に楽しかったですね、先輩」
「ああ。 それもこれもお前のお陰だよ。 誘いに応じてくれてありがとうな、稲峰。
本当お前みたいに気の会う趣味仲間の友達が一緒に来てくれたお陰だよ」
――趣味仲間の友達。其の言葉に嬉しさもあるけど、でも同時に寂しさを感じないわけでもない。
だけど今はそんな事考えちゃ駄目。 折角の楽しい余韻が台無しになる。
「いえ、私のほうこそ誘ってくれてとっても嬉しかったです」
だから私は微笑んで熱矢先輩に応えた。
「それにこうして帰りの電車の中でショーの余韻を噛締めながらの会話も楽しめて。
一人出来てたらこんなお喋りも出来なかったもんな」
そう言いながら楽しそうに話を続ける熱矢先輩と会話を交わせて
私自身も物凄く楽しくて幸せだった。
こんなに遅い時間まで一緒にいられて――。

「あ!」
「どうした? 稲峰」
「えぇっと、その……。先輩、チョット途中下車して寄り道に付き合ってもらっても良いですか?」
「寄り道? 別にいいぜ。 どうせフリーパスだから乗り降りしても料金は嵩まんし」
「ありがとうございます。 じゃぁもう少し先の駅でチョット付き合ってください」
窓の外の大分沈んだ夕陽を見て私は思い出したのだ。
確かこの先の駅で降りた辺りに夜景で有名な場所があるのを。

 私達は駅に降り立つと大分いい感じに日も沈みかけていた。
「先輩、こっちです」
私は熱矢先輩と連れ立って駅を後にし夜景のスポットへと歩を進めた。
目的の場所へと向かいながら私の胸は高鳴っていた。
昔からの憧れの一つだった。 好きなヒトと一緒に二人っきりで夜景を眺めるのを。
写真集やインターネットのページを眺めながらいつか私も、って思い描いていたりもした。
そして私達は目的の場所へ辿り着く。

「おぉ〜、コリャ確かに綺麗な眺めだな。
うん、月並みな表現だけど本当宝石をちりばめたみたいにキラキラしてる」
「はい、本当に綺麗ですね。 先輩も気に入ってくれたみたいで私も嬉しいです」
二人並んで夜景を眺めながら私はドキドキしてた。
厳密には私が思い描いてたのとは少し違うのは分かってる。
だって幾ら私が熱矢先輩の事を好きだと言っても私達は恋人同士じゃない。
あくまで私の片想い。
だけど、それでもこのシチュエーションに私は甘い陶酔感の様な感じを覚えていた。
まるで恋人同士みたいなこのシチュエーションに――。

 やがて楽しかった今日一日の幕が下りる。
「わざわざ家まで送ってくださってありがとうございます先輩」
日も暮れていたのでと言う事で熱矢先輩は家まで私を送ってくれたのだ。
「いや、こちらこそお前のお陰で今日一日とても楽しかったよ。
おまけに帰りに綺麗な夜景も見れたし。 本当にありがとうな。
今度改めてお礼とか……」
「そんな、お礼だなんて大げさですよ。 楽しかったのは私もですから……」
言いながら私はふと思った。 厳密には夜景を見ながらも思ってたこと。
言わないほうが良いと思いつつも、でも今この雰囲気の中なら……。

「じゃ、じゃぁ……お別れのキ、キ……、チューとか、な、なーんて……」
う、うわー! だ、駄目! 言いながら恥かしくなっちゃっ……て……?
思わず自分で言いかけた言葉に赤面しそうになった私の前髪に熱矢先輩の指が触れ――
「おやすみ。 稲峰」
そして踵を返し家路へと帰っていく熱矢先輩の背中を見つめながら私は口を開く。
「は、はい……。 おやすみなさい先輩……」
そして反芻し思い返す。
あの時熱矢先輩は私の前髪を掻きわけそっと口付けをしてくれた――。
ほっぺとかでも、ましてや唇でもなく……おでこだけど。
だけど――。

(きゃ〜〜〜〜っっ!! あ、あ、熱矢先輩にキスしてもらっちゃった〜〜〜〜〜!!!)
私のテンションは言い表せないほどの喜びで振り切れそうなほど高まってたのだった。

2008/01/14 To be continued.....

 

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