「あっはっはははっは」
胸を張り、声を高らかに上げて、俺はひたすら笑い続けていた。
奈津子さん以外が酔い潰れてしまった桜荘のお花見会から1週間の月日が経っていた。
朝起きると自分だけで外で寝ていていた。おかげで少し体調を崩してしまったが、
今日は楽しみに待っていた日であった。
今日は営業を勝手ながら休業している、カレー専門店オレンジのテーブルの上で
俺は喜びの余りに高笑いをしている。
「待ちにまった、今日は給料日。というわけでここに集まっている諸君は
俺に何かを美味しい物を奢ってくれ」
と、後ろを向いて告げる。同じ、テ−ブルに大人しく座っている3人をしっかりと見据えて、
「というわけでおまえらも100円ショップの買い出しに手伝うように」
「どうして、全然無関係な私まで連れて来られるわけ? あんた、何様のつもり?」
朝倉京子が鋭い視線を向けながら、刺々しい口調で告げていた。
「今回はライバル店とかオレンジとか関係ない。
ある程度、顔と認識がある奴をそれなりに脅してこの場に集合させた。
これから始まる戦いに敗北は許されるわけないからな」
「マジで言っているのかよ」
朝倉京子はうんざりとした表情を浮かべていたが、
俺は気にすることなく今回の100円ショップの買い出しに熱意を込めて、
ここに集まった皆に説明する。
「あのクソ店長が美耶子の賞金を支払うから俺の給料を払えないと血迷った戯言を言ってきたので、
そこにゴミグスのように転がっていた物体へと転化した。残り代金1万。
正に1ヵ月1万円生活をリアルでするはめになろうとは。安曇さんが大学関連で帰宅が遅くなって、
夕食が作れない日があれば見事に餓え死ぬぞ」
「お兄ちゃん……そこまでして食費を削って私の生活費と学費を払わなくても……」
「う〜ん。一樹さんにはもっと惨めで貧乏な生活を送って欲しいんですが。
1ヵ月1万円は私にとっては多すぎると思いますよ。
一樹さんは1ヵ月5円だけでやっていけます。私が保障するので、きっと大丈夫……ですから」
と、横から声をあげたのは、心配そうに見つめる雪菜と、
いつものように毒舌の口調で俺を精神的に追い詰める美耶子だった。
彼女たちを呼び出したのは、昨日いきなり決定した創立記念日で学校が休みだからである。
(いわば、サボリ)
「俺の給料を奪った張本人がどの口で言うのかな?」
「ふぇ〜ん。い、痛い。痛いですぉ。これは間違いなくイケメンで勝ち組のエリートだった彼が
実はDV男だったオチですね。
私を精神支配して風俗に売るつもりなんですね」
「どうして、そこまで猛烈に下ネタに走るんだよ」
美耶子の柔らかい頬を引っ張るが、本人は嫌がるどころか更に痛々しい妄想を口にするのでやめた。
さすがにこれ以上をやってしまうと俺のアイコラ画像を画像掲示板に
うpされてしまう可能性があるからな。
「で、白鳥さんと進藤さんはオフなの?」
と、騒動しい騒ぎにうんざりしている朝倉京子がここにはいない更紗と刹那の名前を口にした。
「二人は今日オフなんだ。てか、俺が休ませた。まさか、100円ショップで女々しく
生活用品とカップラーメンを買っている姿を見れば、いろんな意味で卒倒するだろうに」
「むしろ、1ヵ月1万円で過ごすこと自体が馬鹿馬鹿しいわよ」
「むっ。男の一人暮しはこんなもんですよ」
安曇さんが夕食を作るまでは俺の食生活を悲惨すぎた。
家事一般は家を出るまでは親任せだったし、親がいない時に更紗と刹那の手料理ばかり食べていた、
天国のような環境にいたのだから仕方ない。
安曇さんや二人に頼りすぎるのは人として情けないため、出来るだけ自立しようとする
俺の健気な努力ぐらいは認めてくれてもいいだろうに。
ただ、朝倉京子という女にとっては男の生物は性欲の塊で常に獣だと思っている節がある。
そんな、貧乳に男の独り暮らしの孤独と寂しさと苦労と虚しさを知れと言っても理解不能であろう。
「さてと、そろそろ戦場に駆け出すとするか」
改めて、俺は笑顔を浮かべた。
「あ、あの、お兄ちゃん。学園の制服姿じゃあ普通にサボってきたの丸わかりなんだけど?」
「気にするな。少年少女が19時以降になるとカラオケ店に入ることができないような条令は、
俺が100円ショップでイヤホンをあるだけ買い漁る前には無力!!」
「一樹さん。最近では学園に行っている時間帯に歩いているだけで補導されてしまう条令が
可決されるそうですよ。
まさにひきこもりにとっては開店前のゲームショップで並ぶのはいいカモになっちゃいました」
「あっはははっは。そんなもの。100円ショップで売られている、
有毒性の物質が摘出されたアルミ鍋に比べたら、東方は赤く燃えてるぐらいに大したことじゃあない」
「うわっ……さすがは一樹さん。今の言葉を美耶子ちゃんメモにちゃんと記録しなくちゃ。
一樹さん観察帳。ヘタレワーキングケアフリータがまたおかしな事を言ってきた。対処方法。
★ミキサーに入れて、粉々にして生き血はお姉ちゃんに飲ます。っと」
と、バカな会話を繰り広げながらオレンジの外へと出た。
朝倉京子、美耶子、雪菜を引き連れて街の外を歩いていると
周囲の男性たちから冷たい視線が送られてくる。。
一応、可愛い女の子3人を引き連れているからな。
羨望の眼差しで見られるのは仕方ないことだが、現実はそう甘くない。
俺はいつ爆発してもおかしくない時限爆弾を背負いながら、
街道を恐る恐ると頭の髪の毛が抜け落ちるぐらいに神経を使いながら歩いていた。
「どうして、私まで深山一樹のくだらない買い出しに付き合っているんだろうか」
「そりゃ、お前がオレンジの100倍カレーのネタをパクって、
美耶子に一瞬にして無限コンボを喰らったせいだろうに」
オレンジで異常に盛り上がった100倍カレーの似たようなネタを企画立案実行に移した
青山次郎と朝倉京子はオレンジより客を呼べると思っていたのだが、
美耶子があっさりと100倍カレーを平らげてしまったおかげで
無駄に高額だった賞金を支払うことに。
それから、毎日嫌がらせのように美耶子は100倍カレーに挑戦して、カ
レー専門店ブルーの経営は見事に傾いた。
あの女が伊達にデビルという称号で呼ばれているわけじゃない。
ただ、狡猾で腹黒い美耶子は今回の買い出しを条件に賞金をチャラにするという取引を申し込んだ。
しぶしぶと朝倉京子は条件を呑んで、現在に至る。
「だって。だって。だって。まさか、美耶子が挑戦するなんて誰も思わないじゃない。
てっきり、オレンジの疫病神であって、ブルーに来るなんて全然思わなかったもん」
「あのデビルはからかいやすい相手ならどんな嫌がらせにも労力と残業を惜しまない相手だぞ。
常にデビルの攻撃から警戒しないと」
「今度からそうするわ。デビル立ち入り禁止だけじゃあ甘いから、
デビルスレイヤー深山一樹の強制的呼び出しを発動トラップでも作っておかないと」
なんだそれ。
朝倉京子が危ないことを思いつかないうちに俺はさっさと戦場の元に走りだそう。
100円ショップはカレー専門店オレンジから500Mぐらいに離れた場所で営業している。
すでに半分以上の道程は喋りながら過ごしてきたので走ればすぐに辿り着くだろう。
「じゃあ、先に戦場に特攻してくるぅぅぅ!!」
目先の目的に頭が一杯だったのであろう。
俺はマンホールの蓋が開いていることに気付かずに最初の一歩を踏み外して、奈落の底に落ちた。
それは唐突な出来事だったかもしれない。
何故、この時に限ってマンホールの蓋が開いているんだと
行政の怠慢さに国家賠償請求で訴え殺したい。
ただ、わかっていたのは誰かの悪戯というよりも、あのお花見会で見た夢。
さくらと名乗った少女の幻影が脳裏をよぎる。
もし、彼女の仕業だったとしたら、マンホールの蓋ぐらい開けて、俺は落とすぐらいは可能であろう。
相手は桜の精。
人間外の相手なのだから、物理法則を完全無視にしてこの状況を作り込むぐらいは簡単なのであろう。
やれやれ。下水道の中は異臭がするレベルじゃないんだよ。
どうせ、やるならば、大根で頭部を殴ってもらった方が精神的負担は小さい。
ともあれ、頭を強く打ったので俺の意識は暗黒へと落下していく。
と、彼は咄嗟に慌てて上体を起こした。夢から覚めた衝撃で状況を把握しようと
左右に視線を振った。
だが、ここはよく見慣れた自分の家。
そう、引っ越す前の自分の部屋だと気付くと安堵の息を吐いた。
あの夢に見ていた事は何かの悪い夢だったのだ。
「どうしたの。カズちゃん」
と、更紗がにっこりと笑顔を見せている。
「カズ君が少し昼寝すると言ってから1時間以上も経っているんだよ」
刹那も起き上がった俺に対して優しい笑顔を浮かべていた。
そう、この情景には見覚えがあった。ベットから起き上がると
二人は受験勉強のために机に教科書やノートを載せて勉強していた。
大学受験のために3人で俺の部屋で勉強していた……幼馴染の絆が壊れていなかった頃である。
「俺は寝ていたのか? ゆ、夢を見ていたんだ。思い出せないけど、とても嫌な夢」
「カズちゃん、寝言で何かうなされていたらしいけど。どんな夢を見ていたの?」
「それが意味わからないんだ。なんか、俺が原因で更紗と刹那が喧嘩を始めて、
幼馴染の絆が木っ端微塵なぐらいに修復不可能になるまで砕かれてさ……
桜荘というボロアパートに逃げるんだけどさ。
そこに意味のわからない女の子達といつまでも馬鹿騒ぎをしているんだ。
それに俺はそこでカレー店のアルバイトをやっていて、
店長とかいう変態の尻をいつまでも蹴り続けるんだ。本当にそんなことがあるわけないのに」
と、呼吸をすることを忘れて、俺は夢で見た恐ろしい事を更紗と刹那に告げていた。
更紗と刹那は少し険しい表情を浮かべて、とあることに動揺していた。
「カズちゃんが女の子達と……」
「いつまでも、馬鹿騒ぎ……」
二人とも暗い雰囲気を背負って、俺の元にやってきた。
「そんなの絶対に悪い夢だからさっさと忘れた方がいいよ。
カズちゃんと私と刹那ちゃんの幼馴染同士の絆はそう簡単に崩れないん
だから。私が絶対に保証するから。そんな夢の内容はさっさと忘れること。いいっ!!」
忘れると言っても、あの夢は現実感がありすぎて、俺の頭に印象深く残りすぎた。
しばらくの間はその件で憂欝になるであろう。
「カズ君。女の子達といつまでも馬鹿騒ぎしている夢を見たと言っていましたね。
多分、大学受験の勉強ばかりやっているから欲求不満になっていると思うよ。
今度の休日に更紗ちゃんとカズ君と私でデートに行きましょう。
それなら、嫌な事だって忘れるでしょ」
「刹那ちゃん。それナイスアイデア。3人デートしましょう」
「ああ。いいかもな」
刹那が優しく手を握り、俺の頭を更紗が優しく撫でる。昔の自分ならそれだけ顔を真っ赤にして
振り払って虚勢の一つでも言っているのであろう。
だが、俺は二人の好意に甘えていた。もう、それが永遠に失われてしまうことを知っているから。
「カズちゃん」
「カズ君」
「ずっと、3人一緒だよ」
「ああ……」
その言葉を告げる前に目の前の二人は消えていた。
暗闇の視界に彷徨うと今度は新たな光の元へと意識はそこに辿り着いていた。
「どうしたんだよ。深山。あんまり飲んでないじゃないか」
次、意識が目覚めるとそこは宴会場であった。声をかけたのはクラスの中でも仲が良かった
旧友の薔薇野がそこに居た。
どうやら、今度は学園時代のクラスの卒業記念として皆で飲み会に行った時のものである。
1年前の事なのに凄く懐かしいと思えた。
「うるせー。そんな気分にならないんだよ。
てか、未成年でこんな宴会場を貸し切って飲んで喰えの騒ぎが学園にバレたら
卒業資格を失うんじゃねぇのか?」
「ここは学園のOBが経営している飲み屋だから大丈夫だろ」
「はい〜。そうですか」
「それに深山。白鳥さんと進藤さんを放置して大丈夫なのか?
ほら、あそこでさ。女癖が悪い二人に捕まって、無理矢理に酒を飲まされてるぞ。
宴会を終わった後でラブホに連込んで襲われるぞ。
で、ヤってしまった写真で女の子を脅して嫌々に付き合うつもりなんだぜ」
「俺の知ったことじゃない」
「おい。深山。学園でも評判の良かった美少女の二人を狙っている男子なんていくらでもいるんだぞ。
二人が襲われてもいいのかよ?」
「もう、俺達は幼馴染でもなければ赤の他人だ。
更紗と刹那が他の男性と肉体関係を結んだとしても、何の関係もないんだよ。
それに明日は新たな場所に旅立つ予定だから、この後の二次会にも参加しないぜ。
まあ、勝手にやってくれと」
「見損なったぞ。深山。あれだけお前を慕っていた二人をこんな風に見捨てるなんて。
何で、いつから、そんな最低野郎になり下がったんだよ」
「俺が聞きたいよ。んなこと」
薔薇野は今にも殴りかかりそうな勢いで俺の胸倉を掴むが、
この飲み会の場を、クラスメイト達の最後の交流を壊すことを恐れて、あっさりと離した。
それ以上に彼は憤慨している表情を浮かべて、俺の席から離れて行った。
一人になった俺は静かに酒を呑んだ。酒の味はわからない。
とりあえず、美味しくないってことだけは確かだ。
学園を卒業したとは言え、大人は何でこんなもんを美味しいそうに飲むんだろうね。
しばらく、肴と酒を交互に飲み食いをして気分を落ち着かせる。
更紗と刹那は青い顔をしながら、女癖が悪い男達に捕まって、無理矢理に酒を勧められていた。
恐らく、焼酎のようなアルコール度数が高い酒であろう。
そんな酒の品種の名前を知らない彼女たちが、
恐らく、同じクラスメイトでもほとんど話したことがない男と絡まれているだけでも
恐怖に等しいであろう。
ただ、男達の目的も知らずに酒さえ飲めば解放されると信じて、
自嘲的な表情を浮かべて我慢して飲んでいる姿は滑稽であった。
ふと、更紗と刹那と視線が合った。
助けを求めるような子犬のような瞳で
(カズちゃん)
(カズ君)
(助けて)
と、切実に訴えていた。俺は思わずその意図がわかってしまうので慌てて二人から視線を外した。
それが二人にどんな絶望を与えてしまったのか。知りたくもなかった。
更紗と刹那をあんな形で振ってしまった俺が助ける資格なんてもうない。
他の男が二人の体を目的で近付いて来ても、それは更紗と刹那とその男達との問題であって、
俺はその問題に触れることさえ許されない。無関係な人間なんだから。
もし、そいつらが更紗と刹那を幸せに出来るならば、女癖の悪い男達でも別に構わないじゃないか。
他の男たちに無理矢理犯されてもさ……かえって免疫力がつく。
悲観的に物事を考えて自嘲じみた笑みを浮かべると俺はコップに入ったお酒を飲み込んだ。
(ごめん。更紗。刹那。助けられなくて) |