また、俺はあの悪夢を見ている。
夢。
否応にも半強制的に流し続けられる映像は俺の心が引き裂ける。
待っているのは、大切にしていた幼馴染の泣き顔。
俺、深山一樹が二人の少女を傷つけた高校生時代の過ちが夢として何度も再現される。
どんなに苦しくても辛くても、人間は逃げることができずに永遠にその過ちに追われることとなる。
ゆえに、俺は今も悪夢から解放されずに自責の念に押し潰されている。
「カズちゃんカズちゃんカズちゃんっっっ!!」
可愛らしい声と同時に俺の背中を叩きまくる容赦のない幼馴染が、俺の惰眠を防ごうとするのは
少し殺意を感じるが、俺は学園の昼休みという短い時間で疲れを癒したいために
懲りない抵抗を続けるつもりであったが……。
「もう、更紗ちゃんたったら。カズ君を殴るんだったら業務用エクスカリバーで頭から足まで
真っ二つにしないと起きないよ」
「それもそうだね……。刹那ちゃんの提案どおりにカズちゃんの肉体をバラバラに引き裂いて
ミキサーに粉々にでもしないと起きてくれなさそうだね」
「そんなことやったら間違いなく死ぬわぁぁぁーー!! アホですかあんたらは」
貴重な眠りから現実世界に帰還すると自分の机の周囲に集まっている幼馴染たちを一蹴する。
放っておけば何をやるのかわからない一般常識概念から少し外れた女の子たちだからな。
注意深く警戒しておかないと外国に売られそうで恐いぞ。
「カズちゃん。ようやく、起きたんですね。良かった」
「良くないわ。昼休みという勤勉に励んでいる生徒の安らぎの時間を奪われて、
俺は一体何を楽しみに生きればいいんだ」
「カズ君。授業中もたっぷりと寝てたのに。まだ、眠たいの?」
「どうせ、私たちのいやらしい裸を想像して寝られなかったんじゃないの。カ・ズ・ち・ゃ・ん・」
「どこでそんな言葉を覚えてきやがった。更紗」
「カズ君が隠してあった秘蔵のお宝本を燃やすときに中身をちらりと確認した時じゃないのかな?」
「な、な、なんですと……!?」
俺に何の断りもなしに癒される本を躊躇なく捨てやがったのか。
幼馴染っておーそーろーしーいー。
「そんな事はどうでもいいんだよ。カズちゃんを起こしたのは……。ほらっ」
更紗が刹那の方を向くと彼女は照れ恥ずかしいそうに頬を手で抑えていた。
「刹那ちゃんが希望の大学を推薦入学で受かったんだよ」
「本当に?」
「裏口入学じゃないよぉ〜カズ君。正真正銘に受かったんだからっっ!!」
刹那の甲高い声を上げながら、ポカポカと俺の頭を叩いてくる。
嬉しそうにその光景を見つめている刹那。
そして、サンドバックのように殴られている俺と彼女達はずっと一緒に過ごしていた幼馴染だ。
家は隣同士で小中高と一緒で幼馴染の関係は腐れ縁のように続いていた。
思春期の男女の気まずい関係を通り越してべったりとくっついて離れようとしない
二人の幼馴染に嘆息しながらも、
仕方なく頼りのない二人の面倒は辛抱強くみていた。それは互いの両親から任されているし、
使命を放棄して帰れば俺の親父の鉄拳の制裁を受けることになっているからな。
拒否権も行使できない俺は二人の幼馴染と青春の日々を過ごすと言えば、
恋人がいない男性からナイフで背後を刺されるかもしれないが、
女の子二人と一緒に過ごすのはとーーてーーも神経を使って思わず胃炎になるぐらい大変である。
この……二人は両親や俺以外の他人には全く心を開こうとしなかったからだ。
白鳥更紗(しらとり さらさ)
長い髪を黄色いリボンに纏めて、中学生のような童顔の顔立ちをした女の子。
俺と接する時は天然で少しおっとりして少しだけ騒動しいのだが……。
いざ、他人、クラスメイトの前になると借りてきた猫のように大人しくなる。
人付き合いが苦手な更紗は怖怖しい態度でボソボソと呟いた声でしか話かけることができない。
俺のことを、『カズちゃん』と呼ぶ。
その呼び方はやめてくれと頼んでも一向にやめる気配を見せない。
進藤刹那(しんどう せつな)
栗色の長い髪を真っ二つに分けて紐かゴムで結んでいて、
顔立ちは同世代の少女の平均的な容姿を上回っているような顔立ち。
小柄な体で精一杯に動く姿は可愛いと評される女の子。
心を許した相手にはとことん懐いてしまうが、そうではない赤の他人の前では
適度な距離を置いてそれ以上近付けさせない。
気が弱くて引っ込み思案の彼女は他人に物事をあまり強く言えないという短所もある。
俺のことを、『カズ君』と呼ぶ。まだ、カズちゃんよりは少しまともな程度だ。
その二人が学園生活を暮らすために俺の依存度は皆様のご想像でお考えください。
ともあれ、刹那が見事に希望していた大学を推薦入学したことは
俺と更紗にとっては祝うべきことであり、
大学の受験を控えている俺と更紗にとっては羨ましい限りであった。
だが、今まで幼馴染としてずっと一緒に居た俺達は離れ離れになって
互いの進路を行くことを意味していた。
俺に依存していた刹那と更紗は、俺が希望する3流大学なんて余裕で行ける程の
高い学力を持っていたので、
教師や親や、そして、俺の強い勧めで互いの学力に合った大学を受けさせることにした。
何も言わないと、更紗と刹那は進学先の第一希望を、俺が受ける大学に決めるかもしれないからな。
これは二人にとって、俺なしで生きるために乗り越えないと行けない壁であった。
刹那の推薦合格が決まってから数日後。
学園の放課後の屋上に俺は呼び出しを喰らっていた。
本当なら面倒臭いので無断キャンセルをするところだが、
珍しくというか初めて手紙で時間と場所を指定された物を貰った。
いつもと違った様子が気になったのか、俺の足は自然と屋上への階段を上っていた。
屋上に着くと茜色に染まった空がどこまでも果てしなく広がっていた。
フェンス越しに手紙の差出人が肌寒い風にスカートの裾を揺らしながら待っていた。
「もう……。来ないって思ってたよカズちゃん」
「どうしたんだ。いきなり、こんな物を貰ったからびっくりしたぞ」
猫の肉球の模様が付いている手紙をわざとらしく取り出して、
俺は更紗が必死に書いたであろう手紙を左右に動かした。
「カズちゃんが来てくれるように必死に想いを込めて書いたんだから」
「で、何の用だ。わざわざ手紙まで書いて呼び出したんだから。何かあるんだろうな」
「もう、カズちゃん。少しは女心をというものに気を遣ってください」
刹那は真っ赤な夕日のように顔色を真っ赤にして、俺を真剣な眼差しで見つめていた。
「刹那ちゃんが推薦で大学に受かちゃったね。今まで仲良しだった幼馴染が離れ離れになるんだよ。
ちょっと寂しいです」
「確かに離れ離れになるかもしれないけど、幼馴染の腐れ縁がなくなるわけじゃないんだぞ。
会おうと思ったら、家は隣同士なんだからいつでも会えるじゃないか」
「そういう問題じゃないんだよ……カズちゃん」
「どういう問題」
「私はもっとカズちゃんの傍にいたい。
今の幼馴染の関係よりも深い絆で結ばれたいって思ってるの……。
カズちゃん。
私はあなたのことが小さな頃からずっと好きです。
ずっと、カズちゃんの事を想っています。だから、私と付き合ってくださいっっ!!」
「えっ……更紗?」
突如、更紗から告白されたと脳が物事を理解するまで軽く間を空けてしまう。
それほど、俺にとっては更紗の告白は唐突で予想できなかったのだ。
「恋人同士になりたいと思っています。だから、ちゃんと答えを聞かせてください」
これ以上顔色が朱に染まった更紗が恥ずかしさのあまりに俺から視線を向ける。
幼馴染としての認識から一人の女の子へと意識すると告白されている側も照れ恥ずかしい。
「俺は……」
ずっと、幼馴染として隣にいた更紗。いつも傍で笑顔を絶やさずにいた少女を。
俺は一体どういう風に思っているのか?
改めて、考えてみる。
少し一般常識から外れている天然なところもあるが、人付き合いがあまり上手ではない女の子。
もし、更紗と付き合えば、残りの学園生活も楽しく過ごせることであろう。
ただ、脳裏をよぎってしまったのは……もう一人の幼馴染の存在。
刹那。
もし、あの気が弱くて引っ込み思案な少女は俺と更紗の仲を応援してくれるのか?
だが、不思議なことに俺の勝手な想像では泣き顔を浮かべている刹那がいた。
それに、3人の幼馴染の関係は両者のどちらかと付き合ってしまえば……
もう今までの関係じゃあ居られなくなってしまう。
幼少の頃から続く3人の関係。
それは、深山一樹の人生の大半を過ごしていた大切な思い出を全て壊してしまうという意味である。
それは、考えるだけで自分の心が引き裂かれそうになった。
更紗の告白を受けるまで考えたこともなかったが、それはなんて恐ろしい事であろうか。
付き合ってしまうとこれまでの日常が壊れる。
だとしたら、俺ができる事は一つだけであった。
「ごめん。更紗とは付き合うことができないんだよ」
喉から必至に声を振り絞って俺は精一杯の答えを出した。
だが、更紗は紅潮していた頬からどんどん生気がなくなってゆく。
「う、う、嘘でしょ? カズちゃん。私のことは嫌いなの?
もしかして、カズちゃんはカズちゃんはっっ!!」
「少し落ち着け。更紗っ!!」
「刹那ちゃんのことが大好きなの!?」
俺の胸倉を掴んで瞳が潤んでいる更紗が必死に叫んでいた。その事実を否定するかのように。
俺にとっては幼馴染二人のどちらかを選べるはずもなく、問題を先送りすることしかできない。
「俺は……」
口篭もる俺に、問い詰めようとしている更紗。
その間にもう一人の人物が乱入してきた。
「ふ、二人とも何をやっているんですかっっ?」
屋上の扉の付近に見てはいけない物を見てしまった表情を浮かべていた刹那がそこに居た。
予想すらしてなかった人物に俺と更紗は思わず驚愕する。
「カズ君と更紗ちゃんの姿が見えなかったから。もしやと思って来てみれば……
酷いよ更紗ちゃん。約束を破るなんて本当に酷すぎるよぉ!!」
「約束?」
「カズ君に告白するときは一緒に告白しようと約束したでしょう。
どうして、更紗ちゃんは抜け駆けしてカズ君に告白しているの?」
「刹那ちゃんにだけはカズちゃんを取られたくなかったんだよっっ!!」
その言葉に刹那は更紗の方に近付いて、彼女の頬を平手で叩いた。
普段大人しいはずの刹那が更紗の頬を叩くという尋常ではない光景に、
俺は一言も言葉を出すことができなかった。
「私だってカズ君のことが好き。
誰よりも好きなんだよ……。
その気持ちがお互いにわかっているはずなのに。
私だって更紗ちゃんにカズ君を取られるのは嫌だもんっ!!」
刹那の瞳から涙が頬を伝って零れ落ちて行く。
二人とも目を真っ赤になって、言葉のならない言葉をお互いにぶつけ合っていた。
「カズちゃんは……私と刹那ちゃん。どっちが好きなのかここで答えてよぉぉ!!」
「そうだよっ!! カズ君は私たちのどちらを選ぶんですか?」
更紗と刹那が迫り来るように重圧と何かを期待する視線を向けられる。
この修羅場の迫力に圧されて俺は正常に思考することができない。
ただ、恋をする乙女に対する怯えと、ここから一秒でも逃れたいという気持ちで一杯であった。
「俺は……」
「二人とも付き合わない。だって、俺達は幼馴染なんだからな。
付き合うとかそういう気持ちになれるはずがないだろ。
幼少の頃からずっと一緒に居るんだ。一人の女の子として今更見れるはずもないし……。
俺だって気になる人がいるんだよね。
そ、そ、そう。C組の英津子さんみたいな物静かで清らかな人がいいんだよ……。
だから、更紗と刹那のどちらかを選べと言われても困るんだよなぁ」
本当の想いとは逆の言葉が俺の口から出て行く。これが俺なりに考えた大切な日常を、
大切な幼馴染の関係が壊さない唯一の方法だった。
思いつくばかりの更紗と刹那を振る言い訳を、饒舌に語って行く。
考えるだけで精一杯だったのか、二人のどういう顔を浮かべているのか全く気付いてなかった。
長々と語り終わってから更紗と刹那の異変に気付くがもう遅かった。
「あっはっははは……カズちゃん?」
「ぐすぐすっっん。カズくん」
顔色を真っ青にして刹那と更紗は乾いた笑みで浮かべていた。
虚ろな瞳は焦点を合わせずに瞳から涙が流れてゆく。
壊れてしまった二人を見て、俺は悟ったんだ。
自分が守るはずだった幼馴染の関係は木っ端微塵に壊してしまったこと。
それがもう取り返しのつかない事であると。
その日を境にして俺は更紗と刹那を徹底的に避けることにした。
クラスメイト達は俺にべったりな彼女たちと俺の関係が
唐突に変わってしまった事を聞きたがるが、無視した。
親や更紗と刹那のおじさん達から詳しいことを教えて欲しいと頼まれたが、
教えることなんてできなかった。
だって、そうだろう。二人が勇気を振り絞った告白をあんな風に断って更紗と刹那を……
傷つけてしまったのだから。言えるはずがない。
それでも学園の平凡な日々が続く。
ただ、更紗と刹那の本質がそう簡単に変われるはずもなくて、
休み時間になる度に俺の席にやってきて、
カズちゃんカズ君の好きな人と結ばれるようにお手伝いしてあげる、
と俺の事で何かと接点を持とうする。
だが、俺は更紗と刹那をいないように扱った。
彼女たちが近付いても無視して二人を引き離すように教室の外に出る。
昼休みや平凡な休日すらも追いかけてくる二人を避けて避けまくった。
そうしないと俺はあの日の事を思い出して、更紗と刹那の泣き顔を思い出してしまい。
罪悪感に胸を潰されてしまうからだ。
決めてしまった進路も俺は無理矢理に変更して。
故郷の地から遠く離れた大学に進学することを決めた。
そこなら学生が借りられるアパートを探して、二人の距離を遠く離すことができると思ったからだ。
高校の卒業式後、更紗と刹那に別れを告げずに。
大学の合格発表後に俺は進学する先の場所の移り住む住所へと逃げるように引っ越してしまった。
それから、更紗と刹那とは会っていない。
せっかく入った大学も半年を通うこともなく中退した。
それからは無気力にフリーターを続けている。
大切な物を失ってしまった俺は何かをやろうとする気力がすっかりとなくなってしまった。
日々生きるための糧を手に入れる程度の労力を行使することができても、
真っ当な仕事に就こうとは思わない。
現在の俺の存在価値はただ生きているだけである。
もう、それは仕方ないことだと思う。
大切な物を無くして始めて更紗と刹那が傍にいない寂しさに気が付いてしまったから。
確かに思い出は美しい。
人が生きるためには思い出だけでは弱かった。
逃げてしまった臆病な自分が憎く思いながらも、
重くのしかかる現実を俺は受け入れるしかなかった。
そして、運命の歯車は回りだす。
離れ離れになってしまった幼馴染たちと再び交わるのは
俺が桜荘に移り住んでから1年の月日が経つ頃であった。
プロローグ 完 |