INDEX > SS > 毒姉

毒姉



1

私の弟は引き篭もりである。
人生の落伍者、現代社会に巣食う癌細胞、
人間の屑などと世間で好き勝手にいわれている引き篭もりである。
学校にも行かず、カーテンを閉め切った薄暗い部屋で四六時中パソコンとにらめっこしている、
極々スタンダードな引き篭もりである。
モニターの前で卑屈な笑い声を上げて、アニメキャラクターの名を叫びつつ自慰をするという、
いわゆるオタクと呼ばれる人種でもある。
自室から風呂と用足し以外では出ようとせず、稀に外出することもあるがその理由は
ゲーム購入のためだという、随分と都合のいい引き篭もりさんだ。
そんな駄目人間である弟の食事は、彼の姉である私が用意することになっている。
ドアの前に夕食を乗せたお盆を置いて、思春期の息子に接する母親宜しく声をかけるのだ。
「ひろくん。晩ご飯、ここに置いとくね」
「フヒヒヒwwwwwサーセンwwwwwwwwww」
弟から奇妙な返答が帰ってきた。大方、またインターネットでみたものに影響されたのであろう。
だが、心なしか今日の弟はいつもより機嫌が良いように思える。
普段ならこの手の呼びかけは無視するか、適当にあしらうような返事をするはずだ。
それならばと、勇気を出して再び話しかける。
「ねえ、ひろくん。たまにはさ、お姉ちゃんと一緒にご飯、食べない?」
「実姉?あるあ……ねーよwwww」
間髪いれずに帰ってくる拒絶。取り付くしまもない。
はぁ、とため息を吐いて扉を後にする。
今日も一人で夕食かと考えると憂鬱になった。
引き篭もる以前は二人仲良く食卓を囲んでいたのに、今は顔さえみせてもらえない。
どれだけ私が献身しても、かえってくるのは素気無い拒絶。
怒るでも怒鳴るでもなく、ただ単に面倒ごとをあしらうかのように、
私の問いかけに対して無関心であるかのような振る舞い。
テレビドラマの引き篭もり少年のように怒鳴り散らしてくれたらどんなに気持ちが楽になるだろう。
好きの反対は嫌いではなく無関心だという話を思い出すと悲しくなった。
弟は変わってしまった。昔はあんなに私を慕ってくれた弟は、
あの日以来文字通り人が変わってしまったのだ。

三ヶ月前までの弟は、今のようにアレな性格ではなかった。
整った顔立ちと学年上位の学力。部活動は陸上部に所属していて、それなりの成績も残していた。
人当たりがよく友人も多い、どこに出しても恥ずかしくない、姉想いのいい弟だった。
そんな弟がなぜ今のような引き篭もりになったのか、私には解らない。
世間的に恵まれた人種であった弟が、引き篭もる原因になりそうなものは私には思い当たらなかった。
あの日の弟に不信な挙動は何もなく、いつも通りに登校していつも通りに帰宅した。
そして帰宅した弟は突然、私に向かっていったのだ。
「姉ちゃん。俺、今日から引き篭もるから」
「はぁ?」
そのときの私はどんな表情をしてたのだろう。脈絡も何もあったものじゃない弟の引き篭もり宣言に、
私は間抜けに口を開いたままその場に突っ立っていた。
「ちょ、ちょっとまってよひろくん!どういうことなの?」
弟は私の言葉を無視してすたすたと自室へ歩いていき、音を立てて扉を閉める。
「ねぇ、なに?引き篭もるってどういうこと?」
私はすぐさま弟を追いかけ、扉を叩きながら問いかける。
「ひろくん!返事して!お姉ちゃんを無視しないで!」
何度もがんがんと扉を叩くが、一向に返事が返ってくる気配はない。
ドアノブに手をかけてみるが、鍵をかけているらしく全く回ろうとしない。
生まれて初めて弟に無視された私は不安と恐慌に駆られて何度も扉に叫び続ける。
こんなこと、今まで一度もなかった。
ひろくんが私を無視するなんて、絶対にありえないと考えていた。
叫ぶことでその事実を否定できると思ったのか、私は何度も何度も大声で問いかけ続けた。
「ちょっと!お願いだから返事して!ドアを開けてよ!」
嗄れ声が私の体を出て冷たい廊下に反響する。半ば殴りつけるような動作で扉は叩かれ、
その振動で弟のネームプレートがかたかたと揺れた。
私の声は本当に弟に聞こえているのだろうか。もしかしたら弟は部屋の中などにいなくて、
私の後ろから現れてごめんね姉ちゃんといって悪ふざけのネタ晴らしをしてくれるのではないかと、
在りもしない希望に縋った。
しかし、現実は非情である。
時計が翌日を指しても、私は扉を叩き続けていた。

頬が濡れているのに気付いた私は、慌ててそれを手で拭った。
あの日の出来事を思い出したときはいつもこうだ。
弟に拒絶されたという事実が私を打ちのめし、涙腺を緩ませる。
結局のところ、弟は何も私に話してくれなかった。引き篭もりになった理由も、
姉でありたった一人の肉親である私を拒絶した理由も、私は何も知ることができなかった。
床に散らばった洗濯物をたたみなおし、立ち上がって弟の部屋へと歩き出す。
夕食の食器を回収するためだ。
あの日私が叩き続けた木製の扉の表面は、私の心情を表すかのようにささくれ立っている。
ひろくんの部屋とかわいらしい書体で描かれたプレートは床に落ちたままだが、
私にはそれを再び掛け直す勇気が無い。
「ご飯、ちゃんと食べてくれたんだ……」
皿に載せられたハンバーグは、ちゃんと平らげてくれたようだ。
食べてくれたことが嬉しくて、調子付いた私は言葉を続ける。
「あ、でもブロッコリー残しちゃってるね。嫌いなものがあるならいってくれればいいのに……」
「はいはいわろすわろす」
会話が成り立たない。弟は私が話しかけようとするといつもこういってはぐらかす。
こうなってしまってはお手上げだ。久しぶりに弟と面と向かって話せるという希望は叶わなかった。
下心が見え見えの台詞がいけなかったのだろうか。
私は再び話しかけることも出来ず、お盆を持って立ち去った。

硬く冷たい静寂に満ちた台所。家族の温もりは、あの日以来失われたままだ。
食器はもう洗った。溜まっていた洗濯も済ませた。私に課せられた仕事はもう無い。
一人ぼっちで椅子に座り、対面の、弟が腰掛けることのなくなった背もたれを眺め続ける。
弟は、私に何も語ってはくれない。私を頼ってはくれない。
弟に私は必要とされていないのかと考え、頭を振る。
今のような引き篭もり生活を続けるには、食事や被服の世話をする人間が必要だ。
私がいなかったら弟はきっと餓死してしまうだろう。
私の献身があるからこそ、弟は生きていられるのだ。
そう、私はひろくんにまだ必要とされている。
このとき、私の意識の底で忌まわしくも甘美な想念が、
弟の生殺与奪を握っているという唾棄すべき傲慢ともいえる思想が鎌首を擡げ始めた。
その想念はとても心地よく私の胸へと染み込み、暗い喜びをもたらしてくれる。
弟は、私がいなきゃ生きていけないのだ。
心のどこかで、この生活がいつまでも続けばいいのにと、声が聞こえた。

2007/04/25 To be continued.....

 

inserted by FC2 system