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ドラゴン一人乗り。



1

 煌びらやか調度品が並ぶ寝室、その中央で少女はせわしなく歩き回っていた。
普段人前に出るときの姫としての装いを完全に消しており、落ち着きは欠片も見えず、
ひたすらに歩き回っている。 この場に世話係が居たならば幾らか彼女の行動に苦言を発しただろう。
だが今は彼女の指示により、部屋の内部どころか周辺にすら人影は無い状態になっている。
  軽音。
  厚い樫の扉を叩く音がして、そこで漸く足を止めた。
「入れ」
「あいよ」
  間違っても一国の姫に対して使って良い言葉では無いのだが、少女は気にすることなく、
寧ろ嬉しそうな表情を浮かべて扉に向いた。
その行動だけで、彼女が彼をどれだけ待ちわびていたのかが知れるだろう。
  扉を開いて入ってきたのは、二十代半ばの青年だった。骨太の長身には鍛え上げられた筋肉が
張り付いており、それを無骨な鎧が覆っている。刈り込まれた単髪は炎のような赤、
それが彼の一番の特徴だ。周囲の者に『赤竜』と呼ばれる所以である。
  そして少女は彼を見た途端、白滋のような頬を薔薇色に染め、絹糸のような金髪を跳ねさせ、
ドレスの裾を翻しながら、はしたなくも駆け寄った。
「おいおい姫さん、危ねえがら走らないでくれよ。万が一があれば」
「良いのだ」
  彼の言葉を遮るように言い、
「それよりもザック、妾のことはミリィと名前で呼んでくれと毎回言っているだろう」
「ですがね、姫さん。毎回言ってるように、俺は騎士であんたは王女だ。
その辺りくらいは守らんと、俺もおまんまの食い上げなんでさ。分かってくれよ」
  逆にそれ以外は全く守っていないと判断出来るようなことを言い、彼、ザックは溜息を
吐いて頭を掻いた。実際、彼は王女であるミリィを姫と呼ぶこと以外は規則を全く守っていなかった。
今とてミリィを『姫様』ではなく『姫さん』と、
従者が使うには少々不味い呼び方をしているのである。普段の行動も窺い知れようというものだ。
「それで、今回の御用は何ですかい? 俺に出来ることなんざ、大して無いですよ」

「うむ」
  軽く頷き、ミリィは姿勢を正してザックを見た。先程までの少女然とした雰囲気は消え、
本来の立場である王女の姿になる。小柄な体からは他者を圧倒する程の気迫が溢れ出し、
ザックは頭二つ分も低い場所からの視線であるにも関わらず見下された気分になった。
「今から言うことは絶対に他言無用だ、良いな」
  頷くザックに一歩近寄り、
「正式な発表は三日後になるが、今の内に伝えておきたくてな。
ザック、そなたは先の戦で敵の大将首を取ったであろう?
  その功績が認め、爵位を授けることになった。
つまりそなたは、貴族の仲間入りをすることになる」
  一息吸って、
「立場上は入り婿になるのは仕方ないが、妾を妻とする権利を得たのだ」
「いやいや、それは絶対にねぇでしょう」
  ミリィに苦笑を向け、ザックは頭を掻いた。困ったときや面倒なときの、彼の癖だ。
「例え爵位を貰っても、それは無茶ってもんです。何てったって俺ぁ貧民街出身っすよ?
それが貴族になるってだけでも無茶苦茶なのに、姫を嫁になんで馬鹿な話はねぇですよ」
  平和が長く続いていたことにより、騎士団が弱まっている。それは珍しい話ではなく、
この国も当然例外ではなかった。そのような状況で起こった大戦、慢心が不安へと変わり慌てて
軍備を固めようとしても兵は一朝一夕強くなるものではない。
そこで考えられた案が国内から腕自慢を集めての即席の傭兵部隊。
時間稼ぎにしかならないが、何もせず手をこまねいているよりは幾らかはマシだろうということで
戦場に派遣されたのだった。
  だが嬉しい誤算があったのだ。
  貧民街出身であるザックが予想外の働きを示し、更には俯抜けになった騎士団をも率い
敵軍の大将をも討ち取ってしまった。そのお陰で国は勝利し、現在に至るのである。

 確かに自分の功績は少なくないとは思ったが、しかし結婚までは飛躍しすぎだとザックは思う。
今は幾らか近付いたと言っても、権利を得たのだとしても、元は大きな身分の差があったのだ。
平和なままだったなら、それこそ交わらない並行線のようなものだった。
爵位を授かったからといって、簡単に埋められる溝ではない。
「姫さんが俺を良く思ってたのは、なんとなく知ってやしたよ。
ですがね、無理なもんは無理なんです。はっきり言いやす、諦めて下せぇ」
「だが!!」
  ザックは首を振り、吐息を一つ。
「それに、嫁にしたい相手が居るんですわ。だから、例え結婚が認められても無理ですわ」
  ミリィは俯き、背を向けた。
  一歩、また一歩と進んで窓に寄り、窓枠に手を掛ける。
  よもや飛び降りてしまうのではないかと一瞬不安に思ったが、それは杞憂だったようだ。
振り返った顔に浮かんでいるのは辛そうな表情だが、姫としての雰囲気は崩れていない。
日の光を背景に立つ姿は、表情こそ違うがいつものものと変わりない。
「そなたの意思は分かった。だが一つだけ頼みがある」
  何だ、と思った瞬間にミリィが浮かべたのは強い笑み。
「そなたの生まれたという貧民街とやら、案内致せ」
  あまりにも唐突な頼みにザックは目を丸くしたが、ミリィの心中では既に決定しているものの
ようだった。鼻唄混じりに城下町を見下ろして、たまにからかうようにザックに目を向ける。
瞳に宿っているのは無邪気さと高慢さ、残酷さがブレンドされた意思の光だ。
「どうした? そなたに断る権利は無いぞ?」
  舞踏のステップを踏むように軽やかな足取りでザックに近寄ると、唇を耳に寄せた。
「もし断りでもしたら、どうなるのだろうな? ここで悲鳴の一つでも出せば、
そなたは謀反を働いたとして罪人扱いじゃ。島流しかのう? それとも」
  囁きながら首筋に細くしなやかな手指を伸ばし、
「打ち首かの?」
  撫で、爪で弱く掻くようにして腕を引っ込める。
「分かりやした、分かりやしたよ。案内しやす。全く、姫さんには敵いやせんよ」
  やけになったのか、叫ぶように言う。諦めと疲れが強く滲んだ今の表情を見れば、
この男が国を勝利に導いた『赤竜』と同一人物だとは誰も思わないだろう。
他国から畏怖の念を抱かれているこの男も、こうなっては形無しである。
「よし、ならば早速行くぞ!!」
  張り切るミリィを見て、ザックは頭を掻いた。

 

 ◇ ◇ ◇

「おい、何だか臭うぞ?」
「しゃあないっすよ、ここは城じゃありやせん。香水どころか、風呂にも碌に入れねぇ奴が
ごまんと居るんすから。水ってのは、生きるのに一番大切なんです」
  先程から、ずっと今のような調子であった。正体を隠す為に渡した使い古しのローブを見ては
汚いと文句を垂れ、馬車を使わずに歩いてゆくと言えば嫌がり、白では見たことがないような
珍しいものを見るとザックの制止もどこへやら、好奇心の赴くままに動くのだ。
そして貧民街に入ってからは、汚いだの臭いだのと文句ばかりであった。
「それより気ィ付けて下さいよ。こんな若い娘が勝手したら、マワされますから。
あんたが姫さんだって知れたら、それはもうエラいことになりやすからね」
「マワす? 曲芸でもするのか?」
「集団で犯される、っつう意味です」
  なんと!?、と驚くミリィの手を引いて、ザックは小さな家の前で止まる。塗装は剥げて、
下のレンガ地も風雨に晒されて何箇所か崩れていた。お世辞にも綺麗とは言えない、
小屋と言っても信じてしまいそうな建物。それを見て、ミリィは首を傾げた。
  ザックは躊躇いもなくドアを開くと中に入り、ミリィも恐る恐るそれに続く。
中は簡単な作りでリビングとキッチンが一体化をしたようなものだった。
寝室くらいは分けられているようだが、外から見た規模で考えると、
そちらも大して広くないのが推測出来る。
「今帰ったぞ。モリス、居るか?」
  呼び掛けに応えて、奥のドアから髪の長い女性が出てきた。ザックと同じ赤い髪をした、
長身の女性だ。細められた目元が特徴的な柔和な顔付きで、
ミリィとは違い、豊かな胸やそこから下に続くラインなどが女性の持つ曲線を描いている。
大人の女性、という表現がぴたりとはまる。
モリスと呼ばれた女性はミリィを見ると、にこりと笑った。

「あら、新入りさん? よろしくね、私はモリス。ザックもね、久し振りに帰ってきたと思ったら
随分と素敵なお土産を持ってきたわね。また家族が増えて嬉しいわ」
  勘違いをしているモリスの言葉に、ザックは小さく笑った。ミリィの着ているローブのフードを
外して、頭を掻く。モリスはミリィの姿を見て息を飲み、ザックに視線を向けた。
「本物だよ。どうしても下に来たいってきかなくてな、暫く相手をしてやってくれ。
お前だったら安心だ。それじゃあ姫さん、俺は少し出てくるんで大人しくしてて下せぇ」
  一方的に言うとザックは背を向けて家を出て、結果二人きりとなってしまった。
「あの、姫様」
「ミリィで良い」
  適当な椅子に腰を下ろし、ミリィはモリスを眺めた。美人だという訳ではないが、
人に好かれる種類の人間だと思う。会話も先程の簡潔なものだけだが、物腰や表情を見ているだけでも
分かった。ミリィとて王女である、常に貴族や他国の王族の顔を見て生きてきた彼女は、
並の大人よりも遥かに高い知能と観察眼を持っていた。
「ザックはどこへ?」
「共同墓地です、昔の家族は皆そこですから。それよりミリィ様、本日は一体、
どのようなご用件でしょうか? 正直、こちらには見るものなど」
「いや、来たのは下らん好奇心だ。……下らなくもないか」
  それより、と前置きして、
「そなたは、ザックの兄弟か?」
「似たようなもの、ですね」
  言われて、理解する。
  そうか、この者か、と。
  新しい家族と先程モリスが言ったが、それは貧民街に捨てられた子供を保護しているのだなと
判断した。もしかしたら一人で行っているのではなくコミュニティを作っているのかもしれないが、
どちらでも良い。要は、血の繋がりが無い者が集まっているのだろう。
ザックもそうだろうし、彼女も家族のようなものと言ったからには、当然そうなのだろう。
そして今は騎士の宿舎に住んでいるが、若い男女が一緒に住んでいたとなればどのような関係かは
予想がつく。モリスが、ザックの言っていた女性なのだと。

 結論し、ミリィはモリスを見た。
「そなたはザックと一緒になりたいと思っているか?」
  直球で尋ねると、モリスは案の定頬を染めて俯いた。小さく頷き、
「ザックは、私の一番大切な人なのです。まだお互い言葉にはしておりませんが」
「諦めよ」
  短く吐き捨てた言葉に、空気が凍った。
  驚きに見開かれた瞳を見てミリィは口の端を吊り上げ、冷たい視線を持ってモリスの顔を覗き込む。
立ち上がると、わざと大きく踵を鳴らして近寄り、
「三日後には、ザックは貴族になる。兵を率いて敵国を打ち破った大英雄だ、王の器とも
認められようぞ。貴様らの言葉で言うなら天上人か、つまり手の届かない場所へと行く」
「そんな、まさか」
「王族の言葉に、嘘があると申すか?」
  滅相もございません、と蚊の鳴くような声で呟き、モリスは膝を着いた。小刻みに肩が震えて、
溢れ出した涙が床を打つ音が静かに響く。すすり泣く声は、激情の温度だ。
「安心せよ、ザックは妾が幸せにする。だから心おきなく見送るが良い」
  モリスを冷たく見下ろし、続いて窓の外を見た。ザックが来るのを見ると急いで家から出た。
一瞬にして冷徹さは消え、恋をする乙女の顔に戻っている。
「ザック、待ち侘びたぞ!!」
「姫さん、早くフードを被って下せぇ。何かあったら飛ぶのは俺の首じゃなくて、この国なんですぜ?
  せっかく勝ったのに全部パァになりまさ」
  すまんすまん、と言いながらフードを被り、顔を隠す。
  浮かんだのは、先程の冷たい笑みだった。

 

 ◇ ◇ ◇
  それを聞いたとき、ザックは耳を疑った。
  きっかけは貧民街の物盗りの一人が、偶々城下町の見物に来ていた貴族の息子を
殺したという事件だった。鼠を見掛けたら、その何十倍も居るものと思え。薄汚い溝鼠だったら、
それは尚更だ。生かしてはいけない、あいつらは国の害悪だ、殲滅しろ。そのような運びで決議され、
貧民街の住人を一掃する計画が始まったのだという。
  ザックも貧民街出身だが、国を救った大英雄の『赤竜』は数々の貴族に愛されていた。
誇り高さ、勇ましさ、強さ、それから来る厚い人望。今や、ザックを貧民街から出てきた
ゴロツキとして見る者は居なくなっていた。爵位の授与も先日終わっており、
完全に貴族として上流階級扱われていたのだ。だからこの話を敢えて教える必要はない、
寧ろかつて共に生きた仲間が死ぬと知ったら悲しむだろうし、止めにも来るだろう。
それは不味いと判断され、知らされることは無かったのだ。
  だが話というものはどこかに穴があるもので、少なからず漏れてしまう。
だからザックの耳に入ったのだが、それは知るには遅すぎた。
既に騎士団は城下町へと繰り出しており、辿り着いたときには無数の死体が転がっていた。
  対応が遅れた。
  悔やみながら、ザックは馬を走らせる。
「モリス!!」
「案外早かったのう」
  扉を開いた先の光景に、愕然とする。

 モリスが数人の騎士に犯されていた。前から後ろからも貫かれ、口も犯されている。
瞳には生気が宿っておらず、表情のない顔には涙が乾いた跡が見えた。
どれだけ中で出されたのだろうか、生々しい音を発する結合部からは大量の精液が溢れ出している。
  そして何より、
  何故、ミリィがここに居る?
「事情が分かっておるなら、手出しは無用じゃ」
  妾は止めたのだがのう、と言いながら小さく笑い声を漏らす。
「お前らも、何やってんだ!!」
「すいません、ザックさん。でも俺らにも、家族が居るんです。ここで命令を無視したら、
今度は俺らの家族が生きていけなくなるんです。悪いことだと分かっていますが、でも、
分かって下さい!! こうすることしか出来ないんです!!」
  モリスを犯している数人の騎士の内、一人が叫ぶ。他の者も、皆泣いていた。
  何故、このようなことになったのか。ミリィはモリスを気に入ったのではなかったのか。
『貧民街は楽しかったっすか?』
『うむ。特に、モリスには有意義な話も聞けたしの』
  貧民街からの帰り道、楽しそうに言っていた言葉は、全て嘘だったのか。
「これでザック、そなたも諦めがつくだろう。『赤竜』の隣に立つのは、妾一人で良い」
  言い終えると同時に、騎士の一人が達したようだった。逸物が引き抜かれた尻穴は
完全に開ききっており、暗い穴がぱくぱくと力なく開閉している。
ごぽり、と溢れた精液が床に大きな、白く汚れた水溜まりを作った。
「ミリィ、あんた俺の気持ちを分かったっていったじゃねぇか」
「おぉ、初めて名前で呼んでくれたのう」
「良いから答えろよ!!」
  はは、と笑って椅子に腰を下ろすと頬杖を着いてザックを眺め、
「分かったとは言ったが、納得するとは言っとらん」
  呆然として立ち尽くすザックを見ると、再び笑い声を漏らす。

 ミリィは近くの騎士の腰にあった短剣を引き抜くと、
「これで、しまいじゃ」
  犯していた騎士を押し退け、胸に突き立てた。
「モリス!!」
  騎士を引き剥がし、ミリィを突き飛ばし、必死に抱き締める。
ザックの服も瞬く間に紅に染まったが、気にしている場合ではない。
何度も、何度も、反応するまで呼び掛ける。
  不意に、瞳に光が戻った。
「ごめんなさい、ザック、もう、駄目みたい」
「死ぬな。こんな場所で死ぬんじゃねぇ!!」
  せっかく貴族になって、堂々と結婚を宣言出来ると思ったのに、
裕福で楽しい暮らしをさせてやれると思ったのに、これでは全てが無理になる。
出世しても金持ちになっても、これでは意味が無い。
孤児院を作って一緒に貧民街の子供達を助けよう、と出兵の前の晩に誓いあった。
その為に頑張り、ここまで来たというのに。
「死ぬな、死ぬな!!」
  死ぬな、と馬鹿のようにそれだけを繰り返し、叫ぶ。
「無理よ、自分の体のことは、自分が一番、分かってるもの」
  血を吐きながら微笑み、ザックの頭を撫で、泣き虫なのは変わらないわね、と軽い調子で言う。
穏やかな、いつもと全く変わらない様子で。
「ザック、今まではっきり言えなくてごめんなさい。あなたのこと、愛してるわ」
「俺もだ、絶対にその気持ちは変わらねぇ!! だから死ぬんじゃねぇ!!」
  胸に顔を埋め、ザックは泣き叫ぶ。
  だから、気付けなかった。
  ミリィは見る、自分に優越の笑みが向けられたのを。
  ゆっくりと、声を出さずに、
『わ・た・し・の・か・ち・よ』
  そう、呟いたのを。
  『赤竜』の悲しみが響く中で、モリスが死にゆく中で、ミリィは立ち尽くしていた。

2007/03/31 完結

 

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