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かすかな彼女



1

誰にもできない。
香素花(かすか)と俺の仲を裂くことは。

「好きです……私、ずっと先輩のことが好きでしたっ!
  私と付き合ってください!」
大切な話があるから屋上に来て欲しいというベタな手紙をもらったときに、
こうなるかもしれないと予想していたけど。
待っていた紫乃(しの)ゆかりちゃんの顔を見たときに確信したけれど。
俺の返事は決まりきっている。ずっと前から。香素花(かすか)と身体を重ねたときから。
「悪いけど、俺は君とは付き合えないよ、ごめん」
申し訳なさそうに言ったが、胸中はひどく冷めている。
俺が香素花と一緒にいることは、始終つきまとっているこの娘ならわかっていたはずだ。
「それはやはり……香素花さんを想っているからですか?」
「当たり前だろ。大体、俺が香素花と別れて君と付き合って、君は本当に満足するのかい?
  誰か別の女に告白されたからって、ほいほい乗り換える男は誠実じゃないし、
  俺がそういう奴だったら、君と付き合ったとしても、また別の女に告白されたらそいつに
  乗り換えることも有り得るんだよ?」
まくし立てる俺から紫乃ゆかりは目を逸らして俯いている。
何かを耐え忍んでいるかの表情。少し言い過ぎてしまったか。
「とにかく、そういうわけだから。これからもう話しかけるな、とまでは言わない。
  だけど俺の方から声を掛けることは控えるよ。変に期待させる気はないから」
それだけ言うと俺は足早に屋上をあとにした。

予想していたこととはいえ、できるだけ相手を傷つけずに事を済ませるのは骨が折れる。
やや早くなった鼓動を抑えながら階段を下り、人気の無い特別教室を探して入る。
そこで数分、気持ちを落ち着けたとき、唐突に彼女があらわれた。
「ねえ、あんな子は適当にあしらっておけば良かったんじゃないの?」
ひどく冷ややかな口調で言い切る香素花。
先ほどの屋上での会話を聞いていなければ出てこないはずの言葉だが、
俺に関係する出来事の一部始終を香素花が知っていることは、もはや当たり前だ。
だから俺は驚くことなく返答する。
「八方美人を自認する俺としては、あれが精一杯だな。
  それに俺が香素花以外の女を受け入れるわけが無いだろう?
  まあ、もしさっき俺が少しでも気のある素振りを見せたら、香素花は割って入ってきただろうが」
「当然よ、そんなこと。大体、あなたが気を抜くからあんな奴に告白を許すのよ」
「香素花の基準で気を張っていたら俺はもたないよ。
  今でも十分に香素花を第1に行動しているつもりだが」
「だったらあいつはこれから無視して」
「あー、まあ、明日から向こうが話しかけてこなければいいなあ」
「違う! あなたが相手にしなければいいの!」
香素花のお決まりの説教を頭に入れながら、俺は教室へと戻っていった。

放課後になって帰り道。当然、香素花も一緒だ。
「今日はなんだか機嫌が良いね」
「当たり前じゃない。昨日まではあの紫乃紫とかいう回文じみた名前の女がいたのよ」
「ふーん、そうだったのか。何も喋らないから、わからなかったよ」
「あなたからあの女を追い払うのを待っていたの。
  あたしのアイコンタクトが通じなかったようね」
香素花が珍しく冗談を言う。
「面白いね、それは。俺に通じていたら超能力だよ」
「愛のテレパシーは通じるのにね」
「ああ、それはそうだな」
こうして香素花といる日常。ささやかだが幸せなことだ。

翌日、俺がいつものように香素花と会話をしながら登校していると、
途中の交差点で声をかけられた。
「おはようございます、先輩」
俺に好意を寄せているという紫乃ゆかり。
昨日、屋上で俺が拒絶したときの表情を微塵も見せてない笑顔。
「ああ、おはよう」
ついさっきまで饒舌に話していた香素花が途端に押し黙る。
仕方がないか。香素花と話すためにはゆかりちゃんを無視しなければならないし、
ゆかりちゃんと話すと香素花の相手ができなくなる。
後からまた香素花に怒られるだろうが。
俺はなんとなく手で転がしていたケータイをしまう。
「あの……ごめんなさい。先輩は香素花さんと話していたんですよね……?」
上目で気をつかい、訊いてくる。
「うん、そう。あんまり君と話していると後から香素花に怒られるのは俺」
「そう、なんですか……。えっと……先輩は今日、病院に行かれるのですか?」
「なんで俺が病院に?」
「え、でも香素花さんはまだ具合が悪いんですよね?」
ああ、ゆかりちゃんは香素花が入院していた頃の事を知っているのか。
「香素花が病院にいたのは3週間前のことだよ。
  一時帰宅を許されて、それからはもう病院に行く必要がなくなったんだ」
「そう、だったんですか。その……香素花さんは大丈夫なのですか?
  いえ、ただ香素花さんが家出をして行不明だと聞いたので……」
ゆかりちゃんが『行方不明』と言ったとき、
「ちょっとアンタねえ! 勝手に人を失踪扱いしないでよ!
  あたしはちゃんとここにいるじゃないの!」
ついに堪らず香素花がゆかりちゃんに食って掛かった。
突然の出来事にゆかりちゃんは目を丸くし、周囲の通行人も訝しげにこっちを見てくる。
「まったくふざけるのもいい加減にしてよね、この泥棒猫!
  アンタは昨日とっくに振られたのよ。
  なのに今日も朝から尻尾を振りに来て、往生際が悪いったらないわ」
香素花の剣幕にゆかりちゃんは顔を蒼白にしつつある。
さすがに不味いと感じた俺は香素花を制止した。
「もういいだろ、その辺で。俺はゆかりちゃんのことは何とも思っていない。
  俺が好きなのは香素花だけだ。ゆかりちゃん、君もわかっただろう?
  俺と香素花の間には誰も割り込めないんだ」
すっかり言葉を失っているゆかりちゃんを置き去りにしていく。
俺は香素花の機嫌をなおすように弁明しながら登校するはめになった。

朝の一件が尾を引き、放課後になっても香素花の機嫌が悪いままだった。
このままではまずいと思い、帰り道で俺はどうにか香素花をなだめようとする。
「なあ、香素花。いい加減、機嫌をなおしてくれよ。
  もうゆかりちゃんが話しかけてくることはないと思うんだ」
「あら、機嫌ならもうとっくに元通りよ。
  だけど今日は帰ったら、いつもの調教メニューをするからね」
「げっ、またあれをやるのか。くそう、この季節は少しきついぜ」
「あなたに拒否権は無いの。嫌なら私と別れてあの子の元へ向かう?」
「ったく、仕方ねえな。わかったよ、2時間だけだぜ」
「ええ、たっぷり私を気持ちよくしてね」
今日は帰ってから『あのメニュー』をこなすことが決まったそのとき、
背後から俺を呼ぶ後輩がいた。
「待ってください! 先輩」
ああ……、せっかく香素花の機嫌がなおったのに、どうしてまだ俺に関わろうとするのか。
無口になった香素花だが、胸中はゆかりちゃんへの憎悪で満ちているに違いない。
「君もしつこいね。また香素花に怒鳴られたいの?
  今にも君を襲いたがっているよ」
「先輩、病院に行きましょう」
「は? 何を急に言うんだ。朝も言っただろ、香素花はもう病院に行く必要はないんだ」
俺もいい加減にうんざりしてきているが、
ゆかりちゃんはいつになく必死な顔で俺の袖を引っ張ってくる。
「ダメです。すぐに行かないと先輩の人生が手遅れになってしまいます!」
ぐいぐいと俺の身体にゆかりちゃんが触れてきたとき、
堪忍袋の緒が切れたのか、香素花が出てきてゆかりちゃんの首を絞めつけた。
「アンタは今すぐここで死ぬ? 泥棒猫は夜の裏道でお尻を突き出していたらいいのよ。
  下郎からマワされる公衆便所がお似合いだわ」
ゆかりちゃんの顔が鬱血してきたところで、さすがに止める。
手が離れた首筋には、しっかりと赤い手形が残っていた。
ゲホゲホと空気を補給するゆかりちゃんの目には、絶望と恐怖の色。
「ゆかりちゃん。もうこれが最後の警告だと思いなよ。
  次に関わってきたときは、間違いなく香素花が君を殺す」
そう言うと、呼吸を調えたゆかりちゃんは嗚咽を漏らし始めた。
多少の罪悪感を抱くが仕方が無い。
俺が香素花と一緒にいることは、誰にも裂くことができないのだから。
「さあ、帰りましょう。『メニュー』は2倍にするわ」
「ああ、仕方ないな、それは」
ゆかりちゃんの乱入で香素花は朝よりも機嫌を損ねてしまっていた。

香素花と一緒に自宅に帰り着き、部屋へと急ぐ。
ドアの施錠を確認するとカーテンを閉め、手袋をはめる。
「1週間ぶりね。まだ綺麗かしら、私」
「処置はきちんとしたんだ。大丈夫のはずだ」
押入れを開け、毛布で覆った特大のクーラーボックスを引きずり出す。
冷凍マグロが数匹は入るであろう特注品。
今も電源はコンセントに繋がれて稼動している。
香素花が病院から一時帰宅したときに密かに購入してきたものだ。
俺は慎重に金具を取り外してボックスの蓋を開ける。
中には裸の『香素花』が横たわっている。
心停止直後に血液を抜き取り、防腐剤を塗った香素花の顔は、
今もかたちを崩すことなく留まっている。
閉じていた瞼を開くと、濁った瞳の香素花が俺を見る。
香素花とこうしてアイコンタクトを交わすことで、
3週間前の記憶が鮮明に浮かび上がってくる。
不治の病に冒されて助かる見込みの無くなった香素花が、
この世に留まるために俺に行った最後の処置。
それが俺の中に香素花の人格を植えつけるということ。
全身の自由を奪われ、不眠不休の極限状態になった俺は、
耳元で繰り返し香素花の人生を聞かされながら、
目は香素花の身体の隅々まで見せられ、
鼻は香素花の全身の体臭で呼吸をし、
口は香素花の頭から足先までの味を覚え、
肌は香素花の感触においてのみ性的興奮を得るようになった。
「さあ、早く私を抱いて。今日は10回射精するまで許さないわ」
頭の中から香素花の命令が聞こえてくる。
だが香素花に言われるよりも前に俺は欲望の証をたぎらせ、
彼女の中へと進入を果たしていた。

香素花と俺はいつも一緒だ。これからも、ずっと。

          (了)

かすか……有るか無いかはっきりしない様子。『幽か』と表記。

2007/03/13 完結

 

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