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黄昏のとき、誰?、彼女



1

 妹の麗華(れいか)は、重い病気を患いながら学校に通っている。
普通なら医者が止めるだろう。だがそもそも医者にかかっていない。
だったら親が心配するだろう。しかし親は麗華が病気だと気づいていない。
麗華が患っているのは身体ではなく精神だから。
そしてその症状を目の前で見たことがあるのは、おそらく俺だけだろう。
「お兄ちゃん、今日の体育でね・・・・」
一緒に登下校する学校からの帰り道、
夕日を背に浴びながら麗華は楽しそうに昼間の出来事を話している。
だがそんな彼女が昨夜、家で何をしたのかを語ることはできない。
いや、今の麗華ならいつものようにぐっすり寝ていたと答えるだろう。

夕日が沈み、無限に伸びていた麗華の影が地面と同化する。

「今晩は。久しぶり、お兄ちゃん」
一瞬前まで明るく話していた口調が一変し、
黒い瞳に暗い微笑をたたえて俺を見つめてくる。
「昨夜あれだけ話したのに、久しぶりはないだろう」
「お兄ちゃんは知らないから、わからない。
  私がこの身体の深淵に潜り込んでいる時間が、
  まさに一日千秋といえるってこと。
  それより、ねえ、お兄ちゃん」
表面的には笑み成分が増し、実質は内側で青い炎を燃え上がらせているだろう、
もう一人の麗華がいつもの繰り言をはじめる。
「今朝、登校しているときに他の女を見た回数は4回。
  OLが1回、若い主婦が1回、同級生が1回、先輩が1回。
  休み時間に女子と視線を合わせていた時間は合計23分8秒。
  廊下で肩がこすれた女は隣りのクラスの出席番号14番。
  昨夜わたしと話した後に官能小説のサイトを45分見た。
  内容は巨乳による・・・」
「そこで、ストップ。天下の公道でそんな単語を口走るな」
「家で2人きりならいいのね」
俺が許可するまでもなく、毎晩扇情的な言葉ばかり吐いているくせに。
「なあ、いい加減に元の麗華に夜の身体を返してくれないか」
「つまり、やっと私を抱いて寝てくれるのね」
「違う。妹とそんなことできるか」
「あら、残念。だったら、私はこのままよ。その理由はわかるわよね。
  だって私は元の彼女から望まれてこうしているんだもの」
太陽が沈んでいるときにしか現れない、この麗華が言うように、
元の麗華もまた俺と男女の関係になることを欲しているのだろう。
なぜなら麗華に、目の前のもう1つの人格が最初に現れたのは、
彼女が俺に告白して迫ってきて、俺が拒絶したその日の夜だったからだ。
そう、麗華がこうなってしまった原因は俺にある。
そのことがわかっているから、なんとか麗華を治療したい。
だが病院に行っても目の前のこいつは正体をあらわさない。
日没後でも俺と2人きりでなければ、元の麗華のふりをする。
解決策は、こいつの言うように麗華を抱くしかないのだろうか。

夜、俺が自室でくつろいでいると、ノックもせずに麗華が入ってきた。
風呂上りなのだろう、タンクトップにショーツだけという格好だ。
「急に入ってくるな。それと服を着ろ。麗華に風邪をひかせるな」
「お兄ちゃんが温めてくれるよね?」
そう言って勝手に俺のベッドに入り込む。
「あはっ、この毛布、お兄ちゃんの匂いがたくさん染みついてる。
  こんなの嗅いだらすぐに濡れてきちゃいそう」
「一人エッチは自分の部屋に鍵をかけてするものだ」
「そんなことないよ。好きな人の前ですると、いつもより気持ち良くなるの」
麗華は毛布をめくって肢体をこちらに向けた。
そして自らの手で胸の膨らみを強調するように揉みしだき、
ショーツを股に食い込ませて秘部のスリットを浮き上がらせる。
「知ってる? 最近増えているセックスレスって、
  夫が若い頃から激しいオナニーに慣れてしまって、
  妻の膣で満足できなくなったことが一因らしいよ。
  お兄ちゃんがそうならないように、妹の私が一肌脱いであげる」
エロ本やDVDを全て処分して、ネット動画も禁止設定にする女が何を言う。
「お兄ちゃんは、私がずっとこのままでもいいの?
  夜の麗華の時間は私のもの。昼間の麗華は多眠症かと思い始めている。
  お兄ちゃんは麗華の恋心を拒絶して傷つけただけでなく、
  人生の時間の半分も奪ったまま知らんぷりをするの?」
色仕掛けでは効果が無いと悟ったのか、今度は俺の良心に訴えかけてくる。
「麗華を奪っている張本人のお前が言うことじゃない。
  それにだな、仮に俺がお前と寝たからって、
  お前がいなくなるとは限らないだろ」
「ううん、私が消えることは絶対に約束する。
  私はあくまで元の麗華の従属者にすぎないもの。
  私を抱いてくれたら、私はお兄ちゃんの前から消えるよ。
  それから元の麗華とどう向き合うかは、お兄ちゃんの自由」
これまでにない真剣さを帯びた表情で、夜の麗華が俺を見る。
かつて近親相姦を禁断として麗華を拒絶した俺が、
麗華を救うために近親相姦を犯すのか?
こんな因果応報があっていいのか。
だが麗華を元に戻すためには……。
「決断してくれたのね。大丈夫、お兄ちゃんが罪悪感を抱くことはないの。
  悪いのは全て私だから。私を恨んで憎み続けてもいいの。
  だけど今夜だけは、私の身体を感じているときだけは、
  私のこと、愛して、ね?」
麗華の肌に触れたとき、それまで頑なに拒否していた動物的肉欲が、
一気に膨れ上がってしまっていた。

・・・・・・。

行為を終えた後、夜の麗華は一言、「ありがとう」とだけ残して、
麗華の部屋へ戻っていった。
俺は一線を越えたという実感も、行為の余韻に浸ることなく、
ただ猛烈な眠気に身を任せるだけだった。

翌朝、いつもの時間になっても起きてこない妹の部屋をノックしたが返事はなく、
そろそろ出ないと遅刻するという時間になって、
ようやく麗華がパジャマのまま起きてきた。
彼女は明らかに顔色の悪い顔をして、
「……今日は寝不足で気分が悪いから、休むね……」
と言って再び部屋に戻ろうとした、が振り返って、
「放課後になったらすぐに帰ってきて……日が沈む前に」
その言葉に俺は昨夜の行為を思い出し、快感よりも得体の知れない恐怖を感じて、
慌てて家を飛び出したのだった。

麗華から告白されたこと、もう一人の麗華が初めて現れたときのこと、
昨夜の麗華との行為のこと、今朝の麗華の様子のこと、
頭の中が妹のことで満たされていた時間はあっという間に過ぎて、放課後になる。
後ろめたさと怯えのような感情を抱きながら帰る足取りは重く、
帰宅する頃には夕刻に近づいていた。
本当に今夜はもう、あの麗華は現れないのか。
そして俺はこれから、麗華と兄妹として関わっていけるのか。
躊躇して逃げたくなる気持ちを、今朝の麗華の言葉を思い出して、
なんとか家の戸を開ける。
「ただいま……」
だが返事はない。靴を見ると麗華はいるようだ。
まだぐっすり眠っているのだろうか?
大きな足音をさせないように気をつけながら階段をのぼり、
妹の部屋へ向かう。

最後の一段を踏んで麗華の部屋を見ると、ドアが半分開いていた。
「麗華、具合は良くなったのか……?」
隙間から顔を覗かせると、目に入ってきたのは、
西日を浴びて窓辺に立つ妹の姿。
その右手の中に日光を反射する銀色の刃。
「お帰りなさい、お兄ちゃん」
部屋に足を踏み入れて状況を認識したとき、
受け入れるよりも自分の目を疑った。
床に散らばっているのは、無造作に切られた髪の毛と、
それに絵の具のようにまとわりついている血。
それらはいずれも麗華の身体の一部分だった物。
いまでは所有者のいないただの物。
「わたし、今朝起きてみたら、身体の内側のある部分が痛んだの。
  下着が赤く染まっていたの。
  お兄ちゃんが学校に行っている間に、お兄ちゃんのベッドを見たら、
  シーツが同じ色に染まっていたの。
  ねえ、お兄ちゃん。昨夜、わたしが寝ている間に、わたしを襲ったの?」
口を開けようとしたが、
まだ衝撃から立ち直れない俺は首を振るだけで答える。
「そうだったのなら、わたし、とても嬉しいよ。
  たとえ寝ている間にレイプされたとしても、相手がお兄ちゃんなら感激。
  わたしが破瓜の瞬間を覚えていないのは残念だけど。
  わたしが処女を失うときを実感できなかったのは無念だけど。
  あ、お兄ちゃんを恨んでいるんじゃないの。
  恨んで憎くて殺してやりたいのはね、この日記を書いた女なの」
果物ナイフを片手に持ったまま、麗華は机の上の日記帳をめくる。
「ふふ、知らなかった。
  わたしは夜になったらすぐに眠くなるだけだと思っていたのに。
  まさかこの女が毎晩、お兄ちゃんを誘惑していたなんて。
  昨夜はわたしの身体を使ってお兄ちゃんに抱かれていたなんて。
  だめよ、お兄ちゃん。わたしと同じ姿だからって、こんな女に誑かされたら。
  わたしに擬態する泥棒猫なんて、妖怪そのもの。妖怪は退治しないと」
じわじわと血液が滲み出ている手で、日記帳を床に叩きつけると、
麗華はナイフを首筋にもっていく。
「ほら、もう黄昏の時間。
  夕日を浴びた人影を、誰?彼?と問う誰彼の時刻。
  でもね、わたしはいつでもお兄ちゃんの妹なの。
  お兄ちゃんだけを想う、麗華なの。
  あんな妖怪猫は、お兄ちゃんの前に姿を現したいけない。
  だからこれから、わたしが消すね」
スッと、麗華の腕が滑らかに軌跡を描く。
それにつられてナイフも動く。
少し遅れて天井に赤い染みが付着していく。

夕日が沈み、無限に伸びていた麗華の影が地面と同化した。

                 (了)

2007/03/09 完結

 

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