「さぁ、私たちの出会いに乾杯だ」
「「「乾杯」」」
私とラッテが腕によりをかけて作った豪勢な料理が並んだテーブル。
そのテーブルに腰掛けて紅行院家のお姫様と王子様、
そしてその王子の婚約者の猫娘がグラスをかち合わせました。
音戸をとるしずるお嬢様に合わせて、直さまはオレンジジュースの注がれたグラスを
遠慮がちに上げています。しずる様がさながら大学生の宴会のように(言葉は上品でしたが)
高々と上げている姿とは対照的です。
川澄葛葉はどちらかといえば直さまのようなおとなしくグラスを掲げる方でした。
かちんとグラスと氷の音を鳴らし、しずるお嬢様がオレンジジュースを一気に飲み干します。
本当に大学生の宴会のようです。
空になったグラスをしずるお嬢様がテーブルに置くと、
すぐ横に控えていたラッテが黙ってミニッツメイドの紙パックを持って注ぎいれます。
「おう、ごくろうだな」
無言で頭を下げて、一歩下がるラッテ。
いつもは直さまと私、そしてラッテの三人で一緒にテーブルに座り食事を取るのですが、
今回ばかりはさすがに私たちは本物のメイドよろしく、
身分をわきまえて食事する直さまたちの後ろに控えて給仕のお手伝いをしています。
私は直さまのためだけに遣える者ですので、当然直さまのすぐ後ろに控えます。
ラッテはテーブルを挟んだ対向側に座るしずるお嬢様とその脇に座る川澄葛葉を任せています。
普通なら全体的な身分が上のはずのしずるお嬢様をメイド長である私が担当するべきなのですが、
この家の主人は直さまですので。
お嬢様も私の直さま好きはよくわかっているのか素直にラッテの給仕を受け入れています。
というよりしずるお嬢様は元よりそんなこと気にするお人ではありません。
ラッテも一応は空気が読める女ですので、黙って仕事をしています。
私は直さまの後姿とそこから見える可愛らしい食事風景に心を奪われつつも、
心の奥底の瞳からは対面に座る川澄葛葉の挙動をじっと観察していました。
「ほぉ、改めておいしそうな料理だな。わたしはここに遊びに来る時は、
直の次にこの料理が楽しみなのだよ。葛葉」
しずるお嬢様が葛葉にまるで自分の作ったもののように自慢します。
「はい、とてもいい匂いでおいしそうです」
直さまと川澄葛葉の二人がどんな邂逅をしたかは、私は見ていません。
川澄葛葉はテーブルに並ぶ料理を眺めながら、
ちらりちらりと直さまのお顔を伺うように覗いていました。
二人の邂逅は見ていませんが、短い時間です。まだ自己紹介をしあっただけのようです。
その様子から、やはりお互いまだ話題も見つからずに、観察しあっている段階ですね。
ラッテのように自ら切り込んで話していく性格ではないのでしょう。
「直、ちなみにこの中では何が一番好きだ?」
「あ、うん。姉さん。これとか……僕、好きだよ」
「これは素麺ですか? 直くん?」
麻婆春雨を指差す直さまに、川澄葛葉が固い笑顔で訊きます。
「え、いや。春雨……」
「そう」
「ほぅ、君は素麺を食べたことがあるのかい? 葛葉よ」
「はい。一年ほど前に……」
しずるお嬢様が居なければ会話が続かないでしょうね。絶対。私は心の中でほくそ笑みます。
ふと、川澄葛葉と私の目が一瞬だけ合いました。
私の視線に気付くと、ぴくりと肩を震わせて料理に視線を戻しました。
……なんで、そんな怯えているのでしょうか。わたしはただ観察しているだけですのに。
「おいしい……」
「うん」
「はははっ、やはりここの食事は絶品の一言に尽きる」
三人が料理に手をつけ始めました。
私の料理に舌鼓を打つ直さま、しずるお嬢様、……そして川澄葛葉。
会話はしずるお嬢様が話題を出し、それを直さまや川澄葛葉に意見を出してもらい
話を進めていく形で進んでいきます。
直さまと川澄葛葉の二人は当人同士だと一言・二言で会話が終わってしまいますが、
その度にしずるお嬢様がフォローを出し、なんとか楽しい場が続いています。
しずるお嬢様のご近所武勇伝話なるものまで飛び出し始めると、
直さまと川澄葛葉はそろって声をあげて笑い始めました。
どうやら、互いに緊張がほぐれてきたようです。
川澄葛葉も肩の力が抜けてきたようで、じかに直さまに話を振ったり直さまも、
それにとして盛り上がっていきます。
しかし、直さまと会話しつつもちらりと後ろに控える私の顔を見ては、
彼女は小動物のように怯えるような表情を浮かべ、
すぐに何事も無かったかのように話に戻っていました。
そんなに私が気になるのでしょうか。
私が実は直さまと結婚するはずだった女だと知っているから、私を定めているのでしょうか?
私は直様の後ろで控えながら考えをめぐらします。
「ととと、すまん。そろそろ私は出る時間だな」
時刻が午後三時を回ったころ。そう言って、突然しずるお嬢様が立ち上がりました。
「え、出るって?」
直さまが目を丸くして聞きます。川澄葛葉も驚いたように口を開けてしずるお嬢様を見ました。
私もラッテも驚いて、給仕の手を止めます。私たちも初耳なのです。
「デートだ」
「はぁ?」
デートですって?
しずるお嬢様が……?
「と、いうわけでだ。エリィ」
「はい?」
「車を出して私を隣町まで送ってくれないか?」
……しずるお嬢様は、私を見据えてニヤニヤと笑いながら、そう言い放ちました。
★
私としずるお嬢様は無言で車を飛ばしていました。
後部座席に座ったお嬢様はふんふんと機嫌よさそうな表情で、鼻歌を奏でていました。
しずるお嬢様がデート……? 相手は誰でしょうか。想像がつきません。
どこかの財閥のご子息? いや、案外そこらへんに居る、普通の同世代の男子かもしれません。
人の思惑の裏側を渡らせるように見せて本質はとても純粋な心をお持ちになった、
しずるお嬢様のことです。
生まれてからどっぷりと思惑や欲や政略の海に浸かって育まれてきた
レベルの高い男には見向きもしないでしょう。
それよりももうすこし庶民の位置に近い男の子をしずるお嬢様は好くはずです。
「……お嬢様。お嬢様の恋人とはどのような方でしょうか?」
「気になるのかい?」
「ええ」
「ふふん。直以外のことはまったく興味は無いと言い張っていたエリィはどこへ行ったのだ?」
ええ、直さま以外興味はありません。しかし、疑問はあります。
「しずる様の口から恋人という言葉が出るとは思っていませんでしたから」
「出そうと思えばいくらでも出るぞ? こいびとこいびとこいびとこいびと南君の恋人こいびと」
「……はい」
やはり、まともに教えてくれる気は無いようですね。
それにしても南君の恋人とはまた古いドラマを持ってきましたね。
虫のように花壇に埋められる恋ですか。これは漫画版でしたかね?
バックミラ−で私はしずる様の様子を伺いつつ、ハンドルを回し、
できるだけ早くしずる様の指定した目的地まで走らせます。
車の通りの少ない十字路の信号機が赤に変わり。私は車を徐行させて止めます。
「……それにしても、エリィ」
止まってしばらくして、しずるお嬢様が自分から口を開きます。
「なんでしょうか?」
「不機嫌そうだな」
「そんなことありません」
「嘘付け。顔に出てるぞ」
さっとバックミラーにうつる自分の顔を見てみました。
別にマジックなどで落書きはされていません。ただの私の顔があるだけです。
「そんなことありません」
私は自信を持って否定しましたが、しずるさんはそんな私の自信を鼻息一つで吹き飛ばします。
「お前は顔に出てるという意味を間違えておらんか?」
「私の顔は何が起きても未来永劫私の顔です。誰の顔にもなりません」
「そんな『前はどこだ』みたいな矛盾した答えはいらん。
まったく、変なところで抜けているやつだな。相変わらず」
しずるお嬢様は深くため息をつきました。
「はやく帰って、あの娘と直がいちゃいちゃしないように監視したいのだろう?」
「そんなことありませんっ」
信号が青になります。アクセルを踏みしめて、また車を走らせました。
対向車はおらず、私はぐんぐんと車のスピードを上げていきます。
「ふふふふ。いちゃいちゃいちゃいちゃ。今頃二人でなにをやっているのだろうな。
きっとお目付け役がいなくなって二人でせいせいしてるのだろうなぁ。焦るだろう? エリィ」
「いえ。別に」
「あせっとるな」
「そんなことありません」
「じゃあ何故一般道路で140キロも出してるのか理由を聞かせ願おうか」
メーターを見ると、右のほうまで振り切っていました。
なるほど、いつのまにかアクセルを踏み込んだままにしていましたね。
……私はブレーキを緩めて、スピードを落としていきます。
私の免許は残り3点しかないんです。ここで罰点で免停でも喰らった日にゃ
メイドとしての立場がありません。
……私は車の運転が実は苦手なんですよっ!
「……ほれ、正直に話してみろ。ほれほれ」
しずるお嬢様は私の後部座席から手を伸ばして、
私の頬を人差し指で両方からぷにぷにとつついてきます。私は黙ってそれを無視します。
「ふぅむ。強情なヤツだ。そんなに、直の家に婚約者を呼んだのが嫌だったのか?」
当たり前です。
ずっと直さまに仕え、直さまだけを愛し続けていた私を無視して、
直様に婚約者として川澄葛葉をあてがったのは他でもないしずるお嬢様なのですよ?
「………」
バックミラー越しに、しずるお嬢様を睨みつけます。
私の無言の抗議にしずるお嬢様はにやりと笑って肩すくめました。
「お前は、友達と呼べるものはいるのか?」
「いいえ」
即答します。居る必要も作る必要も無いですからね。私にとって直さまはご主人様であり私の全て、
ラッテはただの小間使い。
「……そうか。じゃあ、私の意図はわからんだろうな。ふふふふふふふ……」
?
友達に関することで、しずるお嬢様は何か考えがあるのでしょうか。
しかし、友達という言葉。恋人という単語と同じぐらい
しずるお嬢様の口から出るのには珍しい言葉です。
ちょうど、しずるさまに指定された場所に停めます。
織姫高校の校門の前。
グラウンドでは野球のユニフォームを着込んだ男たちが汗苦しい怒号を飛ばしていました。
あんな、ところに直さまは入れられませんね。
「着きましたよ。しずるお嬢様」
ここで、降りられるのでしょう?
私はシートベルトを外して、後部座席にドアを開けるためと外に出ようとして……。
「待て。エリィ」
「はい?」
しずるお嬢様にとめられます。
しずるお嬢様は鏡の国のアリスのチャシャ猫ように意地悪く笑っていました。
あ、いや。いつも意地悪く笑っていますが……。
「予定変更だ。このまま吉野崎ワニ園に行ってくれ」
「………はい?」
吉野崎ワニ園といえば……隣県ではないですか!!
「お嬢様!?」
「ふふふ、行きたまえ」
「デートは……」
「一回のデートのドタキャンぐらい、私の恋人は許してくれるさ」
ふふふふ……と笑うお嬢様。……吉野崎ワニ園なんて、往復するだけでもう夜になってしまいます。
一体なんのつもりで…。
「どうした? 私の命令だぞ。はやくワニ園へ行くのだ」
「……お嬢様。そんなに直さまから私を離したいのですか……?」
「そんなことはないぞ。わたしはただ頭に被るスポンジ製のワニの被り物が欲しいだけだ。
あのカプッチョと頭から食いつかれてるヤツだ。さぁ早く行きたまえ」
問答は無駄ですね……。私は歯を食いしばると、強く強くアクセルを踏みしめて、
車を走り出させました。 |