* * * * *
ケスクは歯ぎしりしていた。
(……なによなによなによ! クチナの馬鹿! 馬鹿! 馬鹿!
あんな小娘のどこがいいのよ!? 胸だってぺたんこで、頭から変なの生えてるじゃない!
それに素性もよくわからないっていうし、そんなのクチナには相応しくないんだから!
クチナには、もっと、その、なんというか、私みたいなのが一番なんだから!
なのに、クチナってば……! ……うう……!)
ケスクの睨み付ける先。
――クチナと、彼にまとわりつく羽虫。
許せない光景を、しかし見るだけしかできないことに、ケスクは心の底から苛立っていた。
それは、きっとあの姉妹も変わるまい。
そしておそらくは、あの奴隷娘も同じだろう。
まさか、こんなことになろうとは。
クチナの部屋に女奴隷と訪れて。
護衛姉妹と戦っていた刀小娘を殺そうとしたときは。
今のような事態になるなどとは、欠片も想像できなかった。
(あいつら……絶対許さない……!
大会で戦うことになったら、絶対に殺してやるんだから……!)
ケスクは決意を新たに。
殺すべき相手を、明確に見据えた。
一人は当然、クチナにべたべたひっついている、角の生えた少女。
そして、もう一人は――
(――あの、腐れ侍女……!
次は絶対、油断しない。
どんな小細工を仕掛けようとも、必ず斬り殺してやるんだから!)
* * * * *
愛竜に跨り、愛剣を抜き放ち、それでもケスクは油断していなかった。
竜に乗った竜騎士は、紛う方無き大陸最強。
それは誰も疑うことのない、絶対的な事実である。
しかし。
護衛姉妹が二人揃い、各々の武器を手に、侵入者と相対していた。
ケスクは、イクハとユナハの実力を、嫌というほど知っている。
どちらか片方ならともかく、二人揃った状態で。
侵入者が瞬殺されていないという状況は。
――はっきり言って、異常だった。
故にケスクは最大警戒。
侵入者を上級竜と同等のつもりで、斬り殺す。
クチナ王子の寝室は、広いといっても人間レベルでの話である。
竜の中で小柄とはいえ、人間の3倍の大きさの飛竜が飛び回るには、狭すぎる。
だが、飛竜の強みは、名前に表される飛行能力。
空戦を制する移動速度こそが、飛竜の真髄である。
ならば、どうするか。
簡単なことだ。
「――征け!」
ケスクは吠えた。
呼応するのは飛竜の翼。
竜は、翼の揚力によって飛ぶのではない。
翼が、空気を掴むのだ。
竜騎士が、空を駆けた。
一直線、敵に向かって。
瞬きすら許されない刹那の合間。
竜騎士の刃が、蒼髪の少女へ襲いかかる。
飛竜の突撃に完璧に合わせられた、鋭すぎる一閃。
それは、あらゆる防御すら切り裂く、必殺の一撃だった。
が。
ケスクの大剣は、虚空を斬った。
「――なっ!?」
必中を信じていたケスクは、驚きの声を上げてしまう。
外すはずはなかった。
高速で避けられたわけではない。
斬る瞬間まで、ケスクの人並み外れた動体視力は、相手の姿を捉えていた。
斬った瞬間、消えたのだ。
まるで――幻を斬ったかのように。
「――え? なに?」
飛竜の困惑した様子に、乗り手のケスクは反応した。
彼女の愛竜は、不可解そうに鼻の頭を振っている。
何かにぶつかってしまったらしい。
しかし――何に?
ケスクと侵入者の間に障害物はなかった。
侵入者に向かって、真っ直ぐ飛んだだけなのに――
そこまで考えたところで。
ケスクは直感で飛竜を旋回させた。
果たして、そこには。
刀を拾い上げた、少女がいた。
「――ふん。姿を眩ますのは我の十八番だ。直線で来てくれて助かったぞ」
不敵に嗤う少女は。
しかしその全身を、いたく傷つけられていた。
左肩は砕けたのか、異様な捻れ方をしている。
横顔は耳から下が裂け、千切れた筋が血にぬめっていた。
腰骨は歪んでいるのか、立ち方も何処かおかしかった。
それでも。
少女は、嗤っていた。
「跳ね飛ばされたおかげで、こいつを拾うことも出来た。
――結構、気に入っているのでな。多少の怪我は、仕方あるまい」
言いながら、無事だった右腕で刀を振るう。
その剣閃は、どことなくぎこちなかった。
「……ちっ。流石に、このままで戦うのは無理か。
まあいい。竜騎士よ、これからが本ば――」
少女が言葉を終える前に。
ケスクの竜が、再び飛んだ。
「のわあっ!?
くそ、少しは格好付けさせろ!」
転がりながら逃げる少女。
それを嘲笑うかの如く、狭い空間を飛竜が踊る。
「――変な技を使うようだけど! 叩き斬ってやるんだから!」
「ほざけ! 先程は機会を逸したが、今度こそ我の本当のす――」
少女が何やら言おうとしていたが。
全く気にせず、ケスクは再三突撃をかけた。
飛竜の常識離れした機動力に、正確無比な己の斬撃を乗せて。
たとえ、上級竜が相手でも殺しうる、帝国有数の竜騎士の必殺技。
対する少女は、なにやら不穏な気配を発していたが。
その小細工を起こす前に、斬り殺す自信がケスクにはあった。
――彼女の愛竜が、突然、その動きを止めさえしなければ。
* * * * *
突然の急制動に耐えられず、ケスクは勢いよく放り出される。
それは絶対的な隙だったが、ヘイカもそれに構ったりしなかった。
突然止まった飛竜と同じく、全身を硬直させていた。
その光景は、とても異様なもので。
二人の戦いを見ていた他の者も、無言で光景を見守るだけ。
最初に気付いたのは、ユナハだった。
「――クチナ様! 姉さん! 何か来る!」
剛槍を構え、傍にいたサラサを押しのける
「ちょ!? なにすんのさ! 王子はボクが護るんだから!」
「クチナ様の護衛は私です! 貴女はどっかそこらへんで座っててください!」
「むか。何だよそれ!?
王子様の護衛のくせに、あんな糞餓鬼、瞬殺できないのかよ!
――ボクだったら一撃だね、一撃!」
「なんですって!?」
ぎゃあぎゃあと口喧嘩をする二人。
しかしそれでも二人の体は、完全にクチナを庇っていた。
壊れた窓側から如何なる相手が訪れようとも、クチナを護りきれる体勢だった。
ただ。
窓から飛び込んできた存在は。
二人の想像を、遙かに超えるものだった。
「くちなー!」
緊迫した空間には不似合いな、甘えた声。
飛び込んできたのは、一人の少女。
とはいっても、壁をよじ登り突入してきたわけではない。
城の比較的高いところにあるクチナの寝室。
その窓から、言葉通り。
――“飛び”込んできた。
ぐわん、と空気がかき混ぜられた。
部屋の気流が乱れに乱れ、ユナハもサラサも吹き飛ばされる。
暴力的なまでの風。誰一人として、その場に留まることを許さない。
――ただ二人の例外を除いて。
ひとりはクチナ。
彼にだけは何故か、暴風は襲いかからず、そよ風に前髪が揺らされるのみ。
もうひとりは。
部屋に乱入してきた、年若き少女。
否。
“それ”は、はたして少女と呼んでよいものか。
人にあらざる、薄緑の髪。
額より生えた、異形の角。
そして、何より――
背中から生えている、巨大な“翼”。
翼といっても、鳥のように美しいものではない。
臓物と溶けた鉄を混ぜ合わせたかのような、赤黒くぬめる肉の板。
蠢く腐肉が、背中の皮を突き破り、大きく展開しているのだ。
翼を生やした少女――ヌエは。
吹き飛ばした少女たちのことなど欠片も気にせず。
一直線に、クチナの胸に抱きついた。
「ぬ、ヌエ!? どうしてここに――」
「くちなにあいにきた!」
「会いに来たって……施設から勝手に出てきたの!?」
朝の少女乱入から今まで混乱のし通しだったクチナだが。
ヌエの言葉で冷水を掛けられたかのように思考を切り替えた。
――もし逃げ出してきたのなら、大事件だ。
ヌエに関する研究は、最上級の機密事項である。
検体の処分や主国との関係悪化は免れないだろう。
……もし表沙汰になっていないのであれば。
何としてでもヌエを施設に戻し、彼女に被害が及ばないよう尽力しなければ――
「ううん。たいかいにでたいっていったら、えらいひとがすきにしていいって」
「……え?」
予想外のヌエの言葉に。
クチナの思考は、白く染まった。
「……偉い人って?」
何とか気を取り直したクチナは。
恐る恐る、ヌエに訊ねた。
「よくわかんないけど、えらいひと。しせつのひとが、みんなこわがってたから」
「――怖がってた? 施設の職員じゃない……?」
「それでね、そのひととおはなししてたらね、くちなのはなしになってね。
わたしがそのたいかいにでたいっていったら、そのひと、でてもいいって!」
「……僕のことを知ってる? ……ねえ、ヌエ。その人の名前、教えてくれないかい?」
「ん。えっと、うんと、たしか……ねきつ。そうだ、ねきつこーしゃくっていってた」
――ネキツ公爵。
どこかで、聞いた覚えがある。
そう、確か、大会の参考にと訪れた、主国の奴隷闘技場の――
と。
一瞬考え込んだクチナの脇を。
一陣の風が、吹き抜けた。
「王子様、大丈夫……っ!?」
強風で吹き飛ばされていたサラサが。
クチナと少女の間に、割り込んだ。
その拳は握り締められていて。
踏み込む足は、地面を砕かんとばかりに力強く。
上半身は硬く捻れ、解放の瞬間を待っている――
「なに勝手に、」
「!? じゃま!」
サラサに割り込まれたヌエは。
不機嫌を露わにして。
異形の翼を大きく動かす。
「ボクの感動の再会を、」
「どいて」
――竜の翼は、空気を掴む。
ヌエの背中から生える翼は、風切竜と呼ばれる種族のものである。
知能が低いため下級竜に属されるものの、その翼は自在に風を繰るといわれている。
それが、狭い空間で、使われたら。
人間など軽々と吹き飛ばされる、暴風が吹き荒れることに。
「――邪魔してるんだよっ!」
「えっ――」
しかし、サラサは吹き飛ぶどころか崩されることもなく。
振り上げられた拳は、次の瞬間。
――暴風を突き破る、閃光となった。
「……!」
ヌエの目が見開かれる。
鉄よりも硬く握り込まれたサラサの拳が。
無防備に晒された、ヌエの左胸へ走った。
それは、肋骨を粉砕し、心臓をズタズタに破壊する。
はずだった。
* * * * *
ケスクは、飛竜に放り出されながらも、剣を手放していなかった。
そのまま肩から着地し、体を回して衝撃を流す。
部屋の端まで転がったところで、体を跳ね上げ、状況を把握した。
飛竜が止まった原因は不明。
窓から新たな侵入者。
クチナの近くには護衛姉妹と女奴隷。
――侵入者は、クチナのもとへ一直線。
駆け寄りたい衝動をねじ伏せる。
クチナとはだいぶ離れている。
それに、護衛姉妹と女奴隷がいれば、どんな強敵が相手でもクチナを守り抜くだろう。
そう判断したケスクは。
クチナを護るという最上級の名誉を諦め。
刀を持つ少女に、向かい合った。
「……な、なんだ、アレは……!」
少女は何故か戦う意志を見せず。
呆然と、新たな侵入者の方を見つめていた。
――好機。
ここで見逃すケスクではない。
一足飛びに距離を詰め、そのまま鋭い剣閃を放った。
「!? ――ちぃっ!」
気付いたヘイカが、慌ててその場を転がった。
――すんでの所で避けられる。
その身のこなしは、大怪我しているとは思えないほど。
だが、少女は紛う方なき重傷である。
ケスクの刃に倒れるのは、時間の問題だった。
はずなのに。
* * * * *
ちりん、と。
澄んだ鈴の音が、響いた。
激戦の最中、そのような音に反応する者などいるはずもない。
各々が、己の相手に対して精一杯。
しかし。
澄んだ音の直後。
全員が、その動きを止めていた。
暴風に吹き飛ばされたが、体勢を立て直しつつあったユナハ。
クチナから侵入者を引き剥がすため、離れたところから棒を振りかぶっていたイクハ。
風を操る侵入者に、必殺の拳を叩き込まんとしていたサラサ。
今まさに、大剣で敵を貫こうとしていたケスク。
胸元まで大剣が届き、半ば諦めかけていたヘイカ。
風を突き破った拳を、驚いた表情で見つめていたヌエ。
彼女らの動きが、全て、止まっていた。
「――まったく」
やれやれ、と。
呆れたような溜息は。
部屋の入り口から聞こえてきた。
「お使いから帰ってきて、窓が豪快に割れてるし。
いつからここは、戦場になってしまったのですか?」
声の主は、メイド服を着込んだ少女。
指先をくるくる回しながら、部屋の中を見回している。
「ツノニ……!」
クチナの声に、少女――ツノニが肩を竦めた。
「まあ、ご主人様が無事だったから、良しとしますか」
つかつかと部屋の中に踏み入るツノニ。
彼女の足運びに緊張は欠片も見られず。
その隙の無さに、瞠目する者もいた。
「こら、ヌエちゃん。
ちゃんと入り口から入らなきゃダメでしょ。
窓から入ってくるなんて、はしたない」
ヌエに人差し指を突き付けて。
めっ、と眉根を寄せて注意した。
「え、あの、その、ツノニさん!? なんで!?」
「あー、ユナちゃん。下手に動いちゃダメだよー。
銀蚕の糸に金剛石をまぶしてあるから――全身、細切れになっちゃうぞ」
そう言うツノニの手からは。
目を細めても捉えるのは難しい、極細の銀光が煌めいていた。
それは、部屋全体に張り巡らされていて。
クチナとツノニを除く、全員の体を捕らえていた。
いくら激戦の最中だったとはいえ。
これだけの猛者達に全く気付かれず。
“糸”を仕掛けるその技術は、異常としか言い様がなかった。
「いやー。それにしても大漁大漁。
不意打ちが得意な私でも、これはほとんど奇跡だなあ。
――ご主人様ー。頑張ったツノニを褒めて褒めてー」
ニヤニヤと笑いながら、クチナに擦り寄るツノニ。
その所作に部屋の温度が一段階下がったが、全く気にする様子はない。
「ま、冗談はさておくとして。
ヌエちゃんが部屋にいる時点で驚きなのに、
えっちい格好の人や、死にかけの子どもまでいるんだから、もうわけわかんない。
――ご主人様。どうしてこんなことになったのか、最初から説明してくれませんか?」 |