お兄ちゃんが許して、私が許さないという我侭はできません。
そもそもこの女がお兄ちゃんをひっぱたき、
それに私が口で応戦して大喧嘩になってしまったのですから。
つまり、私はお兄ちゃんのために戦ったわけであり、そのおにいちゃんが許すというなら
私も必然的にこの女をゆるさなければならないのです。
お姉ちゃんの妹だったせいか、私はこれまで物分りのいい妹だと認識させられていました。
お姉ちゃんやお兄ちゃんに「お前は素直だな」と言われて頭を撫でられているときは
とてつもなく幸せでした。
そのせいで、そのせいで私はお兄ちゃんの目を気にしてしまい、お兄ちゃんが頭を下げた後に、
本心ではまったく違うのにこの女に謝ってしまいました。
女もこっちが悪いんだからと言って私に頭を下げました。
私は本当です……という言葉をすんでのところで飲み込むことができました。
その日から、女はたびたびお兄ちゃんに会いに来ました。
女はいろいろとおにいちゃんと趣味があうらしく、女が来るといつもその話題で仲良く談笑し、
私は一抹の寂しさを覚えました。
お兄ちゃんの趣味は学校ではあまり知られていませんが、ホラー映画の鑑賞です。
その映画の幅は心霊モノやサイコホラー、ゾンビ、パニック、スプラッタなど
ありとあらゆるホラー映画に精通し、お兄ちゃんの部屋のDVD棚にはおどろおどろしいタイトルが
山ほど並んでいます。
それを部屋のテレビでヘッドフォンをつけてポップコーンを頬張りながら見るのが
お兄ちゃんの休日の過ごし方なのです。
私はなんどかお兄ちゃんの趣味に付き合おうと努力しましたが、
その日の夢でゾンビとジェイソンとゴーストとバタリアンに追いかけられる夢を見てしまいました。
それ以降、私はお兄ちゃんのこの趣味を「お兄ちゃんの唯一の欠点」と認識し、
これに関してはスルーを決め込みました。
(その後、事情を聞いたお姉ちゃんにこってりと油を搾られていたお兄ちゃんのしょんぼりとした顔は
微笑ましかったですが)
その、私にとってお兄ちゃんの唯一の欠点であるホラー映画の趣味。
女が非礼を謝りに来た日、頭を下げた後の私の憮然とした顔に気付かず、
女はお詫びだと言って私たちを放課後学校近くの喫茶店へ招待してくれました。
私は覚えていた危機感から行かないほうがいいと思い、お兄ちゃんも断ると思っていました。
しかし、何故かこのときお兄ちゃんは女の招待に快く応じました。
私は行きたくないですが、お兄ちゃんだけで行くとなると今度は女とお兄ちゃんは
二人っきりになってしまいます。私も行かざるをえません。
まぁ、軽く紅茶でも頼んで帰るだけ……この時の私はまだ楽観してました。
女も別にお兄ちゃんが好きなわけではありません。
しかし、それが甘かったのです。私はこの時、我侭を言ってお兄ちゃんを女から
確実に遠ざけるべきでした。
雰囲気のいい喫茶店でなんてことない話で談笑する二人。しかし、どうもぎこちなさは拭えません。
当たり前です。私は女と話をする気は無いので常に黙っていましたし、
お兄ちゃんと女はほとんど初対面です。ふたりはすぐにどちらも無口になってしまいました。
私は自分に湧いた危機感をただの気のせいだったと結論づけ、そういえば家の牛乳が切れていたと
思い出し、そろそろ帰ろうかとお兄ちゃんに話しかけようとしたそのときです。
お兄ちゃんは言うか言わないか迷ったように視線を右往左往させ、
思い切ったように女にある外国の名前を言いました。
女はいきなり目の色を変えました。私の背中にもう一度、強い危機感が襲ってきます。
その外国の名前は後で聞くとあるB級ホラー映画の監督の名前だったのです。
女は目ざとくもお兄ちゃんの趣味に気付き、自分もホラー映画好きなのだと明かしました。
(この時点で私はこの女に対する評価を大幅に下げました)
これにはお兄ちゃんもかつて無いほどに目を輝かしてしまいました。
その後の二人の会話はまるで立て板に水。
二人は良い雰囲気の喫茶店で、周りの空気がアウター色に染まるほどホラー映画談義を始めたのです。
○○のシーンが最高だ、○○の血しぶきシーンは絶対あの監督の影響を受けている、
○○な展開はがっかりだ、等等。
お兄ちゃんと女は水を得た魚のように生き生きと喋り、ほぼ初対面なのに、話が進むに連れて
まるで何年も前から親友のようにどんどん親しげになっていきました。
もちろん私が二人の会話についていけるわけがありません。私はスパイダーマンの監督が
死霊のはらわたという邦題だけで気分が悪くなりそうな映画の監督だということも知らないのです。
二人の肉や血や目玉といった単語が飛び交うテーブルでひとり寂しく赤い紅茶を啜ることしか
できませんでした。
帰り道、お兄ちゃんは自分と趣味が会うホラー仲間をはじめて見つけたことに大喜びしていました。
お兄ちゃんのホラー映画好きは筋金入りで友達の仲でもホラー映画を好きなやつはいるが、
B級の○○作品まで知ってるやつはいなかったと楽しげに言います。
私は「ふぅん」としか返答できません。
お兄ちゃんは自分の趣味とあう人間をようやく見つけたと何度も語りました。
嫌な予感は的中したようです。
翌日から、その女は屋上で私とおにいちゃんが一緒に弁当をつついているところに菓子パンを持って
やってくるようになりました。お得意のホラー映画トークと、レアモノらしいビデオを抱えて。
お兄ちゃんはすぐに歓迎し、私と二人っきりのはずの食卓に彼女を招き入れました。
お兄ちゃんは女との話になると、私なんて居ないかのように、いまが昼食時間だということも
忘れたように、お弁当を食べる箸を止めて話に夢中になってしまいます。
そんな日々が毎日続きました。
私はどんどんお兄ちゃんからの疎外感を感じるようになってしまいます。
対照的に女はどんどんお兄ちゃんと親しくなっていき、ついには二人はお互いのことを
名前で呼ぶようになってしまいました。
お兄ちゃんはお姉ちゃんのことを忘れてしまったのでしょうか。否、違います。
お兄ちゃんにとって女はまだ友達の域から出ていません。
しかし、女のほうはどうかわかりません。元々がお兄ちゃんに告白した雌猫の付き添いだったから
と言って、女がお兄ちゃんを好きにならないということもないのです。
私はどうにかして、彼女を遠ざけられないかと考えましたが……、
お兄ちゃんが女と話して喜ぶ姿を見ている以上、
その笑顔を消すことになると考えるとなにもできません。
お兄ちゃんとお姉ちゃんによって作られた自分の素直という長所がここで枷となったのです。
お兄ちゃんがはいと言うなら私もいいよ……という風に、私は自分の我侭も言えず
ただ二人のホラー談義を見ながらお茶を飲むことしかできませんでした。
ある日のこと、いつものようにお兄ちゃんと一緒に昼食を食べるため、私は屋上へ向かっていました。
今日はたまたま授業が長引き、いつもより遅めになってしまいました。
もしかしたらもう女が来ているかもしれません。私は焦っていました。
ようやく屋上にたどり着き、屋上のドアについている窓を覗いてみると、
お兄ちゃんと女が二人で並んで座っているのが見えました。弁当をあけていません。
どうやら待ってくれてたようです。
私は少し嬉しくなって、すぐにアルミ製のドアを開きました。
その二人が入ってきた私に気付くまでの瞬間、お兄ちゃんが言った一言が
私の耳に入ってしまったのです。
お兄ちゃんは女にこう言いました。
「うちで映画見ないか?」と。
私の頭の中に警告音が鳴り響きました。 |