あいつが兄さんになった日。
あの日をきっかけに私は壁を取り壊す作業を始めました。
長きに渡って私と兄さんを隔ててきた歪んだ鏡の壁。
そこに映っていたのは醜く歪んだ私の姿。
私は目を背けないように注意して、思い切りそれを叩き壊します。
きっとそれは殻に閉じこもっていた弱虫な私。
そんな私を救ってくれた兄さんに、私の心は否応無く兄さんに惹かれてゆきます。
姉さんが眠りについた後、
私はこっそり部屋を抜け出して今ではあまり使われていないお父さんの書斎へ向かいます。
毎晩兄さんはお茶と軽食を用意してそこで待っていてくれるのです。
私達はお茶を淹れて、つまらない話、取り留めの無い話を重ねてゆきました。
今までの溝を埋めるように、失った時間を取り戻すように、自分の恋心を悟られないように、
私は兄さんと親しくなってゆきます。
それでも最初の頃はまだ素直に兄さんと呼べません。
まだ甘え方すらわからなくて、私はついついそっけない態度を取ってしまいます。
素直に伝えたいことに「ついで」とか「しょうがなく」なんて余計な言葉をくっつけて、
本心を誤魔化して伝えてしまうのです。
それでも兄さんはそんな私に笑顔で応えてくれます。
その笑顔に昔のような悲しげな面影はありません。
陽だまりのような暖かな笑顔。
オレンジ色のスタンドライトの明かりに包まれて、数多の本に囲まれて、
お互いのキモチを寄せ合ってゆく。
たった二人だけの秘密の時間。
まるで、悪いことをしているような興奮がそこにはありました。
しかし、それも長くは続きません。
三人しかいない家。
そう長く隠し通せるわけがありません。
私達の秘密のお茶会が姉さんにばれてしまうまでにあまり時間はかかりませんでした。
「ねぇ―――いったい何しているの?」
夜に隠されていたはずの書斎の扉が怒りに震える姉さんの手によって開かれていました。
「やっぱり、そういう事だったんだ―――表向きは従順な振りして、
本当は二人して私の事を馬鹿にしてたんだ」
「姉さん、違うの!」
「何が違うの? 私の聞き違いじゃなければ、雨音ちゃんはそいつのこと
『兄さん』って呼んでるんでしょう?」
後ろめたさと、ほんの少しの恥ずかしさ。
私は何も言い返せません。
私が黙り込んでしまうと、その矛先は兄さんに向けられます。
「あんたが来てから、家はめちゃくちゃ。ねぇ、いったいどう責任とってくれるの?」
兄さんは何も言わずに、ただ押し黙って姉さんの圧力に耐えています。
「へぇ、雨音ちゃんとは喋るのに、私には口も開いてくれないんだ」
姉さんはティーカップを手に取ると、まだ中身の入ったままのそれを兄さんの頭に投げつけました。
兄さんは避けようともせず、直撃を受けて頭を押さえます。
傷口を押さえている指の隙間、
茶色の液体と赤色の液体が混ざり合いながら兄さんの頬を伝いました。
「姉さん、もう止めて!」
私は姉さんにしがみつきました。
これ以上兄さんの血なんて見たくありません。
「放しなさい雨音ちゃん、今ならまだ許してあげる」
首筋に氷柱を押し当てられたような言葉の鋭さに私は思わず手を放してしまいそうになります。
「姉さんもう止めようよ! 本当は姉さんだって、もうこんなことしたくないんでしょ!!」
姉さんは一瞬驚いたような顔をした後、それを振り払うように私を強く突き飛ばします。
横殴りの衝撃。
本棚に私の身体が衝突する寸前―――兄さんが私の身体を受け止めていました。
姉さんは私達が寄り添って立っているのを澄んだ丸い瞳で捉えると、
今まで氷を思わせる程冷たい様子だった姉さんが燃えるような眼差しを私達にぶつけてきます。
「何? 二人で仲良く兄妹ごっこ? バカじゃない!!
そいつが来てから私達のお父さんは帰ってこなくなったんだよ!
そいつさえいなければ、私達は家族仲良く三人で暮らせたんだよ!
それなのに雨音ちゃんはそいつの味方をするの!? お姉ちゃんを見捨ててそいつの選ぶの!?
おかしいよ! 笑っちゃう!
今までずっといっしょだったのに、掌を返すようにお姉ちゃんを裏切って!
そいつのことが憎いんじゃなかったの! 嫌いなはずじゃなかったの!
ついこの前だって階段からそいつを突き落としたの雨音ちゃんなんでしょ!
その雨音ちゃんがどうしてそっちにいるの!? どうしてそこにいられるの!?
許せない! 許したくない! 許してやるもんか!
自分だけ良い子の振りして、そいつに取り入って幸せそうな顔して! 私だけ除け者にして!!」
まるで悲鳴のような怒声。ノイズのように端々の見え隠れする本心。
姉さんはそれに気が付いていません。
「もうウンザリ!! 雨音なんか死―――」
快音が響いて姉さんが止まった。
「―――いい加減にしてください」
兄さんが姉さんの頬を張っていた。
今にも泣いてしまいそうな顔で―――
「僕に言うのはかまいません。でも、雨音ちゃんにだけは、その言葉は使わないで………」
姉さんにその言葉は届いていたのでしょうか?
呆けた顔のまま姉さんはただ立ち尽くしています。
いくらかの静寂。
兄さんは戸惑うことなく、血に濡れてしまった手を姉さんの赤く腫れた頬に添えます。
そして、姉さんはその手を拒んだりはしませんでした。
「ごめんなさい、痛かったよね。
でも、こうしてでも止めないといけないと思いました。
たった二人の血の繋がった姉妹が憎みあうなんて悲しいですよ。
僕には兄弟がいませんけど―――そう思います」
「………」
「晴香さんの言うとおり、僕がここにいるせいで二人が辛い思いをしているのは知っていました。
冬彦おじさんがいなくて淋しい思いをしていることも、
その原因を作った僕のことを怨んでいることも……。
だから僕は………出来るだけ早くこの家を出ようと考えていました。
二人に迷惑のかからない場所へ行こう、二人の目が届かないくらい遠くに行こう。
そしたら、お互いを傷つけあうことも無くなるだろう、って」
そこまで言い終わると、兄さんの表情が真剣なものから柔らかなものへと変わります。
「でもね―――それは嘘。
本当は二人ともっと仲良くなりたい。二人の家族になりたい。って、ずっと思ってた」
「――――――もういいよ、わかったから」
姉さんはたったそれだけしか言いませんでした。
けれど、それで十分だったのでしょう。
姉さんはきっと泣いていただろうから、それ以上は何も言えなかったはずです。
兄さんと姉さんが和解して、私達家族三人の新しい生活が始まりました。
兄さんが私に求めたのは妹としての私。
それも、家族としての妹。
既に兄さんに恋心を抱いていた私には不満もあるのだけれど、私は兄さんの意向に従うことにした。
今まで散々兄さんに酷いことをしてきた。
これはその罪滅ぼし。
ならば今は兄さんの思うようにすればいい。
そしていつの日か、兄さんが私を女性として求めてくれる日がやってくる。
そんな淡い期待を胸に秘め隠して、私は妹としての日々を積み重ねてゆく。
これでも最初は妹らしく振舞おうとして努力してきたつもりでした。
ぎこちない日常の繰り返し。
罪悪感で始めた家族ごっこ。
それが当たり前になるにつれて、私は兄さんの手を強く握り締めるようになってゆきます。
兄さんの手はお父さんの手のように温かくて、後ろめたい私の手をぎゅっと握り返してくれました。
けれど私はそれで満足しなければいけない。
それ以上は求めてはならない。
それだけひどい仕打ちをしてきたのだ。
私にはその資格が無い。
いまでも残る傷跡を付けたのだ。
兄さんが私を腹の底から許すことは無い。
私は兄さんの妹でいられるだけ幸運。
それでも日を追う毎に想いを増してゆく恋心を止められなくなってゆき、
私は自分の感情を持て余してしまう。
姉さんや他の女が兄さんに擦り寄るたびに私の対抗心は強くなり。
自分の身体が大人になるにつれてその傾向は徐々に強まってゆく。
私は矛盾しているとは思いつつも、兄さんに寄り添い私を女として意識させることに努めた。
妹の素晴らしさをさりげなく語ったり、
風呂上りにバスタオルのままで兄さんの周りを歩き回ったり、
何かと理由を付けては兄さんに密着して胸を押し付けて誘ってみたり、
まだ脱ぎたての下着を兄さんの洗濯物に混ぜておいたり、
朝起こされた時に寝間着の下に下着を着けずに待っていたり、とかなり過激な事もやってみた。
けれども兄さんの守りは鉄壁だった。
いいところまで攻め込むことは出来ても兄さんは絶対に一線を超えてこない。
同じように兄さんにアピールしている姉さんにしたって同じ事だったと思う。
結局どこまで行っても兄さんにとって私は妹なのだろう。
本当の家族がいなかった兄さんは私達を本当の家族以上に大切にしてくれる。
それがうれしくて、少し切ない。
私は実ること無い恋を抱えて生きてゆく。
それが私の贖罪だと、積み重ねてゆく日々の片隅で私は覚悟しているつもりになっていた。
高校生になったある日の昼休み、私の胸に言いようの無い予感を感じました。
兄さんが私を置いてどこかへ行ってしまう。
あまりにも漠然としすぎて、それが何かすらわからないけれど―――ずっと抱えてきた、
確かにある不安。
兄さんを奪われる、と警鐘を鳴らす女の感。
私は本能の赴くまま、昼食を抱えて兄さんの元へと向かいます。
階段と廊下を早足で抜けると、兄さんの教室が何故か慌しい雰囲気に包まれていました。
「あの、天野八雲はいますか?」
私が恐る恐る教室のドアから顔を覗かせると、
そこには兄さんと山積みのパンと姉さんが並んでいました。
「雨音ちゃん! こっち、こっちだよ〜」
姉さんはまるで私が来ることがわかっていたかのようにこちらへ手を振ります。
周囲の状況から事態を察知し、自然と兄さんの隣に陣取ると
兄さんは嬉しいような困ったような顔をしました。
そんな顔をされると思わず抱きしめてしまいたくなってしまいますよ、兄さん。
隣から聞こえる兄さんの息遣い。それだけで私の心は穏やかさを取り戻せるのです。
もちろん、兄さんにきちんと釘を刺しておくことも忘れません。
典型的なイイヒト星人の兄さんは困っている人を見逃せないのです。
兄さんは助けを求められれば必ず応えてしまいます。
それは兄さんが、苦しい人の気持ちがわかってしまうから。
きっとそんな兄さんにしてしまったのは私達だけれど、兄さんのそんなところに惹かれている。
だから一番良い手段は巡り合わせないこと。
どこの誰とも知れない困ったさんを兄さんに近づけない。
救われた女性が兄さんに恋してしまうなんてことがあってはならない。
兄さんはそういう方向にはかなり疎いのですが、万が一ということもあります。
だから兄さんにはこう伝えておきます。
『兄さんは今日一日私たち以外の女性に注意して過ごしてください』
私は報われない恋を覚悟しているからといって、決してあきらめたわけではないのです。
こちらからは求められないから、待っている。
それが今の私の状況。
けれど、もしも兄さんが私を求めてくれるなら、私はどんな要求にでも応える自信がある。
どんなに恥ずかしいことでも、どんなに淫らなことでも、兄さんのためなら私は何でもする。
兄さんの全て受け止めて、その結果、汚らしい雌犬のように扱われてもそれは苦でもなんでもない。
兄さんに隷従する。むしろそれは―――喜ばしい。
兄さんなら私を穢してくれてかまわないよ。
欲望の全てを私にぶつけて私の事をめちゃくちゃにしてください。
本心に嘘ばかり吐いてしまう私の生意気な身体に兄さんが罰を与えてください。
そう、私は待っているの。
飢えを、渇きを、満たせぬまま待っているんです。
兄さんが犯してくれるのを―――
兄さんが堕してくれるのを―――
兄さんが壊してくれるのを―――
兄さんだけを待っているんですよ。
放課後の教室。
急いで迎えに来た私を兄さんの代わりに待っていたのは姉さんでした。
「八雲ちゃんは今日は早めにバイトに行ったみたい。
さっき玄関で一人で帰るのを見たって人がいたよ」
きっと兄さんは私達の忠告を受け入れて早めにアルバイトに向かったのでしょう。
アルバイトに行ったのならそれほど危険は無いはずです。
バイト仲間のウエイトレス達には日頃から兄さんに近づかないように
親切丁寧に言い含めてありますし、
困っている客を助けてもそれは店員ならば当たり前のこと、
相手も勘違いを起こしたりはしないでしょう。
第一、兄さんは仕事をほおりだして女に現を抜かすような性格ではありません。
私達はとりあえず胸を撫で下ろし、
家で必要最低限の用事だけ済ませて兄さんのアルバイト先の喫茶店へと向かいます。
意気揚々と私達が店の窓から店内を覗いてみると、
ほんの僅かの間に生じた隙を見計らって『悪い女』は狙い済ましたかのようにそこにいた。
学制服姿の兄さんと正面に向かい合って、顔色を窺いながら媚を売るあの女には見覚えがある。
今日教室にいた女の一人だ。
兄さんはアルバイトをしている事を学校では話していないはずだから、
きっと教室から黙って後を追けてきたのだろう。
ストーカーなんて性質が悪い。
いつか家にまで上がりこんでくるに違いないし、そんな事は断じて許されない。
あの女は兄さんが迷惑していることに気が付いていないのでしょうか?
兄さんはお人好しだから表情には出さないけれど内心酷く迷惑しているに違いありません。
あんな女さっさと追い払って兄さんの事を救ってあげなければならない。
それが妹である私の務め。
私達が店内に踏み込もうとしたそのとき―――兄さんがあの女に笑顔をみせた。
たったそれだけ。
それだけで私達は動けなくなってしまった。
あの女はコーヒーカップを持ったまま変な顔をしている。
兄さんがそれを見て微笑んでいる。
まるで―――デートの一コマを見ているような光景。
それを、私ではない誰かと兄さんが演じている。
その瞬間、私を押さえ込んでいた理論武装は粉々に吹き飛んで、
脳味噌で組み立てた覚悟なんてものが甘ったれたものだと思い知らされた。
その光景は私の感情が許せるものでは到底なかった。
全身の血液が沸騰して噴出しそうになる。
腹の奥底でマグマのように熱いナニカが燻っている。
今すぐにでも出て行って私の兄さんに媚を売る女を引き剥がしてやりたい。
兄さんを強く抱きしめて、私のモノだと宣言したい。
頭ではわかっていた。
いつかこんな日が来るんじゃないかと。
でも、心が見過ごしてくれなかった。
私の恋心はもう愛情に変わってる。
でも、私の足は動いてくれない。
足にはしっかりと枷が付いていて、地面と足首を強く縛った。
私にはその資格がないと、他でもない私が自身を縛り付けます。
窓越しの二人からは次第に遠慮が消えてゆき、まるで二人は友人のように語らいます。
友人はいつか恋人になれるかもしれない。
けれど、妹はどこまで行っても妹のまま。
苦しい。
どうして兄さんと向かい合っているのが私ではないのでしょう。
本来あの場所にいるべきなのは私のはずです。
私のいるべき場所に違う女がいるのに兄さんはどうして笑顔でいられるの?
理解できない。
ようやくあの女が立ち上がる。
地獄のような責め苦の終わり。
兄さんはあの女を見送るときに客にするように頭を下げる。
まだ、その程度。けれど、これ以上先に進ませるわけには行かない。
あの二人が笑顔で別れるようになったら私はあの女を殺さなければならなくなる。
むしろ、今すぐにでも殺してやりたい。
あの女が屍を晒す姿を想像するだけで心が躍る。早くあの女の血が見たい。
こんな気持ち初めてだ。
あの顔、二度と忘れない。
兄さんの姿がいったん消えると、私の身体は糸でもついているかのように勝手に動き出し
気が付けば店の席に着いていた。
私の頭はぐちゃぐちゃ。
私達を心配してくれる兄さんの声もどこか遠くから聞こえてくる。
私の胸を広く覆う影。
その正体が何であるかにわたしはもう気付いている。
ただ兄さんにだけはそれを見せたくない。
それなのに私は兄さんに気付いて欲しくて、私は兄さんが困るような行動を取ってしまいます。
兄さん、ごめんなさい。
でも、いつまでも手を出さないでいる兄さんが悪いんですよ。
早く私に気付いてくださいね。
喫茶店で散々騒いでしまった明日から兄さんは急に忙しくなった。
昼休みや放課後に教室を訪ねても居ないことが多く、
居たとしても忙しそうでとても声をかけれる雰囲気ではありません。
そして、兄さんの傍らには学園祭の準備という名目を盾に
いつも張り付くようにあの女が付き纏っている。
本当なら今すぐにでもあの女を兄さんから引き剥がしてやりたい。
しかし、兄さんの立場を考えるとそんな強気な態度に出ること控えなくてはならない。
兄さんは自発的に学園祭に協力していることになっているし、
名目上とはいえあの女は学園祭の準備をしているのだけなのだから。
そんな兄さんのお人好しな性格が裏目に出てしまっている状況の中、
せめてアルバイトの日ぐらいは兄さんと過ごそうと楽しみにしていたのに
姉さんがなかなか帰ってこない。
ただでさえ二人でやる家事を一人でやって時間も押してしまっているのに、
これ以上待っていたら兄さんのアルバイトが終わってしまいます。
私が待つことをあきらめて玄関で靴の紐を結び始めた頃、リビングの電話が鳴り出しました。
家の電話番号に電話してくるのは基本的には兄さんか姉さん、お父さんの三人だけ。
消去法と確率論で考えると必然的に姉さんということになります。
今頃電話してきて、先に店に行ったなんてことを言ったらただじゃおきません。
「はい、こちら天野です」
『もしもし、雨音ちゃん? 僕だけど』
………
……………
…………………
ガチャン。
恥ずかしい事を言ってしまったので、思わず電話を切ってしまいました。
話の前半部分はよく覚えていませんが、後半部分は忘れもしません。
何でも、兄さんは私に大事な話があるそうです。
これはつまり………
ついに、ついにその時がやってきたようです!!
兄さんが私にする大事な話といえば一つしかありません。
プロポーズ。
これしかありません。
兄さんが決心したきっかけはわかりませんが、私にとってそれはどうでもいいことです。
あのまじめな兄さんがアルバイトを早引けしてまでする大事な話なんてそれしか考えられません。
そういえば私ももう結婚できる年齢になりました。
兄さんはまだですけど、予約をしておこうという事なのでしょう。
そんなものは必要ないのに………。
いえ、流石にそこまで一足飛びに物事考えてしまうのも考え物です。
一応、物事には順序というものがあります。
ならば………告白。
こちらのほうが可能性としては高いかもしれません。
それでも私は十分です。
むしろ、その後にプロポーズが待っているとすれば二度美味しいです。
いったい兄さんは私にどんな告白をしてくれるのでしょうか。
『愛してる』『好きだ』『僕は雨音ちゃんをもう妹としては見られないよ』etc……
そして愛し合う若い二人は………。
私はすぐにお風呂で身を隅々まで清め、兄さんの帰りをリビングで待ちます。
今日まで礼儀正しいクールな妹で通してきたのです。
突然玄関で待ち構えるようながっついた真似は出来ません。
それでも………じっと座ってもいられません。
コソコソと玄関で様子を窺いながら、
物音がするたびに急いでリビングに戻る動きを繰り返してしまいます。
リビングと玄関の間を20往復した頃、玄関の鍵が差し込まれる音がしました。
もう何度も聞いている音、聴き間違えるはずがありません。
私は足音を忍ばせ跳ぶようにリビングへ戻ると何食わぬ顔してソファーに腰を下ろしました。
玄関の閉まる音がして、足音がこちらへ近づいてくるたびに私の心音は跳ね上がります。
「お、おかえりなさぃ」
緊張で声の調子がおかしい。
兄さんに変な妹だと思われなかったでしょうか?
「ただいま」
返ってきた声は姉さんの声、私の緊張は一気に抜け落ちます。
こちらの緊張が伝染してしまったのでしょうか? 姉さんの声色も少しおかしい様子です。
いつもならもっと無駄に元気なはずなのですが、なんというか機嫌がすごく悪そうです。
姉さんはどこか怪しい足取りでリビングに入ってくると、私に近づき両肩をきつく握ります。
姉さんの大きめの瞳が昏く冷たいものに変わっていました。
「ねぇ、雨音ちゃん。八雲ちゃんがね、私達と距離を取りたいって言ってきたの―――信じられる?」
それは予期せぬ一言。
私が兄さんから聞きたいのはそんな言葉ではありません。
「嘘……でしょう?」
私の言葉を聴いて姉さんの口元が釣りあがります。
「嘘かどうか自分で確かめてみたら?
お姉ちゃんはお部屋で待ってるから確認が済んだらすぐに来てね。
―――二人でいっしょに八雲ちゃんを救ってあげようよ」
姉さんはそう言い残すと足音を響かせながらゆっくりと階段を上ってゆきます。
誰も居なくなったリビング、まだ上手く頭が働きません。
兄さんの大事な話は私への告白だったはずです。
だから姉さんの話は信じられませんし、信じたくありません。
けれど、あの状態の姉さんが嘘を吐くとも思えません。
先ほどの姉さんの口調から予測すると、もうすぐ兄さんが帰ってきます。
兄さん。
兄さんは私を捨てたりしませんよね?
――side 雨音 End―― |