最近、気が付けば、柴田君を眼で追っている私がいます。
彼を見ていると、何だかとても落ち着くのです。
彼の声を聞いていると、何だかとても安心できるのです。
彼と話をしていると、何だかとても楽しいのです。
理由は分かりません。
……いえ、本当のところは、大方の予想はついているのですが、認めたくない私がいるのです。
それを認めてしまうと、自分の中で、何かが終わってしまうような気がするからです。
何故でしょう?
私が、腐女子だからでしょうか?
それとも、男性恐怖症だからでしょうか?
……いえ、実を言うと、この疑問に対する解答も、ちゃんと分かっているのです。
私は恐れているのです。
親友のはずの、落合静香という女性を。
以前、落合さんの家で、次の期末テストの勉強会をした時、彼女がトイレに立った合い間に、
私は彼から聞いてしまったのです。
かつて“血のヴァレンタインデー”と呼ばれ、学園全体を震撼させたドッキリ事件があったそうです。
その被害者は、柴田遼太郎。
その映像は、フられる直前から、企画者と思しき放送部員を柴田君がKOする瞬間まで含めて、
見事に編集されてネットでばらまかれ、諸方面に様々な反響を呼んだそうです。
そして、柴田君が言うには――その無修正版の画像データを、落合さんが持っているんだそうです。
画像データは4種類。つまり4台のカメラから撮影したリアルタイム映像が全て、
彼女のパソコンのデータベースに入っていたのだ、と。
もしそうなら、“血のヴァレンタインデー”のスタッフの中に落合さんがいた、
ということになります。
いや、スタッフにいたどころではありません。企画立案、いやいや、まさかとは思いますが、
編集を手がけたのも彼女自身かもしれないのです。
彼は非常にショックを受けたそうです。
何故なら、事件の後に女性不信に喘ぎ、半ば鬱化していた彼を、
再び日常生活を送れるまでにケアしてくれたのは、落合さん本人だったからだそうです。
「静香を疑いたくない」
彼は、そう言っていました。
でも、疑いたくないからこそ、その疑惑は留まるところを知らずに広がってしまう。
それが怖いのだ、とも。
でも私には、分かるのです。
彼女は、ただひたすらに、柴田君を独占したかっただけなのでしょう。
彼を慰め、自分以外の女性は全て信じるに価しない、彼の心にそう刷り込ませるための、
壮大なる狂言だったのでしょう。
彼にブン殴られた放送部員こそ、いいツラの皮だというべきでしょうか。
ハッキリ言って、そこまでムチャクチャな行動力と独占欲、そして計画性を持った人を、
私は二次元以外では知りません。
つまり、柴田君に対する好意を自認してしまうということは、
少なくとも、そんな落合さんを敵に回すということなのです。
しかし、先手を取られたのは、やはりというか、何というか、私でした。
「あれぇ〜〜、誰かアタシのサイフ知らない?」
体育の後の着替えの時間、クラスメートの素っ頓狂な声が教室に響き渡りました。
うちの学校の体育の授業は、2クラス合同が常で、1組の男子は2組の教室で、
2組の女子は1組の教室で着替える事になっています
サイフが無いと言い出したのは、我がクラスで“頼ちゃん”と呼ばれている、いわゆるドジっ娘で、
最初はみんな『やれやれ』とか『またなの』とか、そんな他人事な口調だったのですが……。
「ちょっと、ホントに見つかんないんだって!! みんな頼むから探すの手伝ってよっ!」
頼ちゃんが泣き声をあげ始めると、その場にいた女子たちはみな呆気に取られ、
「頼ちゃん、そのサイフって、いくら入ってたの?」
「12万とちょっと……昨日、バイトの給料日だったから」
金額を聞くに及んで、ようやく事態がシャレになっていない事に気付いたのです。
「ちょっ……、マジっ!?」
「何で貴重品係りに預けなかったのよ!?」
「わすれてたの……」
「アンタ、バカじゃないの!?」
「そんなこと言ってる場合じゃないよっ、早く探さなきゃっ!!」
こういう時にリーダーシップを取るのは、やはり落合さんで、サイフの特長やメーカーなどを、
ぐずつく頼ちゃんから聞き出し、
ついでに廊下で待っている男子たちも教室に入れ、捜索を開始したのです。
しかし、サイフは見つかりません。
そうこうする間にチャイムが鳴り、次の授業の先生が来たのですが、
幸いな事に、その先生は我が組の担任だったので、
自習という名目で、サイフを探し続けたのですが……。
次の瞬間、私は心臓がぶっ飛びそうになりました。
何の気もなしに覗いた自分の机の中に、何とそれっぽい物体があったのです。
まさかと思って、手を突っ込んで取ってみると、……案の定、それが例のサイフでした。
「あれ、ヤマグチが持ってるサイフって、それ頼ちゃんのじゃないの?」
突然、背中から声をかけられて、振り向くと同時に私は、
思わずそのサイフを背中に隠してしまいました。
「ちょっと、何隠してんのよ、見せなさいよ」
その女の子の声で、他のクラスメートもこっちを振り向き、
瞬く間に誤魔化せなくなってしまいました。
私は仕方なく、
「あの、これ、――頼ちゃんのサイフだよね?」
おそるおそるサイフを出すと、
「あああ、これだよぉ!! あった、あった、ありがとぉぉヤマグチっっ!!」
「……うん、よかったね」
「助かったよぉ、で、コレどこにあったの?」
「……」
いま私にとって最も痛い質問を、彼女は無造作にしてきます。
だからといって、もはや嘘はつけません。
私が机からサイフを取り出したところを、クラスの女子に見られてしまっているのですから。
「私の……机の中……」
「ちょっと待ちなさいよっ、それってヤマグチ!」
「あんたがサイフ盗んだってことぉ?」
私の周囲にいた女子たちが、一斉に騒ぎ始めます。
「おいおい、まじかよヤマグチ」
「お前、見かけによらねえなぁ〜」
男子たちも騒ぎ始めます。
「違いますっ、違うんですっ! 私も知らないんですっ!
知らない間に机に入ってたんですっっ!!」
たまらなくなって、周囲を見回します。
私を見つめるクラスメートの視線、視線、視線!
或いは疑惑の、
或いは好奇の、
或いは白眼の、
或いは驚愕の。
私も可能な限り声を張り上げます。
もう、この場で私を庇ってくれるのは、私しかいなかったのだから。
「信じて下さいっ!! 本当なんです! 本当に私は知らないんですっ!」
「嘘つきなさいよっ!」
「予想以上に大騒ぎになって、引っ込みがつかなくなったから、
こんな小芝居で誤魔化そうとしてるだけでしょう!」
「違いますっ!」
「――もうその辺にしといてやれよ」
柴田君が、そこにいました。
「何かお前ら、無理やり山口さんに罪を被せようとしてるみたいだぜ」
その一言で、私に詰め寄ってきていた女子たちは、何も言えなくなってしまったかのようでした。
「アンタ、ハメられたんだよ山口さん。そうでなきゃあ、あんな挙動不審なうろたえ方はできないさ」
「いい加減なこといわないでよっ!!」
「だったら、一体誰が、そんな事したって言うのよっ!?」
女の子たちが、再び騒ぎ始めます。
その時になって、私は初めて思い当たりました。
私に、こういう疑いをフッかける心当たりのある人物……。
彼の前で私のイメージを破壊し、おとしめようとする人物……。
――落合静香!?
まさか、まさか、でも、でも、……あり得る! 幼馴染みを罠にハメてまで独占しようとする
落合さんなら、最近、妙に柴田君と仲良くなった私を、こんな目に遭わせるくらいはやりかねない!!
「オレだよ」
「「「はぁっ!!?」」」
声を立てたのは、私を包囲していた3人の女子。
でも、クラス中の眼が柴田君を見ていました。
――おい、何だそりゃ!?
―― 一体、どういう事なの?
――シバ遼のヤツ、とち狂ったんか?
そういう声なきハテナマークが、クラスメート全員の頭に浮かんでいた事でしょう。
勿論、私も例外ではありません。
彼が何を言いたいのか、サッパリ分からなかったのです。
少なくとも、この時点では。
「なに言ってるんだよ遼くん!! キミがサイフなんか盗むわけ無いじゃないかっ!?」
落合さんが、この異常事態に声を張り上げます。
しかし、柴田君は軽く流します。
「ああ、勿論サイフなんざパクっちゃいねえさ。
オレはただ、拾ったサイフをこいつの机に突っ込んだだけだ」
その瞬間、教室は騒然となりました。
「おい、うるさい! 黙れ黙れ!!」
その時になって、ようやく担任の先生が、みんなに代わって柴田君の前まで来ました。
「――柴田」
「はい」
「一応訊くが、何でそんなマネをした?」
「ん〜〜、何でって言われてもなぁ」
「理由も無く、こんなことをしたってのか」
「……オレね、アイツのことキライなんですよ」
今度は、誰も声すら立てませんでした。
先生の右ストレートが、柴田君の頬をとらえ、そのまま教室の後方の人垣まで、
彼はフっ飛ばされてしまったからです。
「柴田……ちょっと進路指導室まで来い……!!」
先生が怒りを無理やり抑えた声で言い捨てると、柴田君の胸倉を掴んで立たせ、
そのまま二人は教室を出て行ったのです。
「ちょっと待ってよ! 先生、何かの間違いだよっ!! 遼くんがそんな事するわけ――」
ようやく自我を取り戻した落合さんが、2人の後を追おうとして、
その時初めて、私を振り返りました。
――それこそ、物凄い殺気に満ちた眼差しで。
そして彼女は、教室を出て行きました。
その瞬間、私はようやく分かったのです。
柴田君が、自ら汚名を着ることで私を救ってくれたのだ、ということが。
私を守るために、あえて先生を怒らせ、殴られて見せたのだということが。
もう身体に力が入らない状態でした。
私はすとん、と椅子に腰を降ろし、胸を抑えて懸命に涙を堪えようとしました。
それは、私の中で彼への好意が、ハッキリとした“恋”に変わった瞬間でした。 |