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バッドラック樋口



1

「ぐすっ…ぐすっ…それでね、部長ったらね、あんな女の作ったお弁当を
  すごく美味しそうに食べるの…。」
「そう、ひどいね。」
「そう!ひどいでしょ!?わたしも…わたしもお弁当作ってきたのに、
  部長は食べてくれないんだよ…あんな女の作ったお弁当は食べるのに…えぐっ」
そこで、
「梅村さんのを部長が食べてくれないのは、梅村さんがお弁当を渡さないからだよ」
とは言わない。
言えば、部長が好きで好きでたまらないけどそんな厚かましいこと出来ない、
という答えが返ってくるのは分かってるからだ。間違いなく泣きながら。
もう同じ問答をループするのには疲れてしまった。
こうして恋に悩むクラスメイト兼部員仲間が悲しみにくれている時は、
ただただ何も言わずに聞いてやるのが一番なのだ。
今日もこうして聞いていれば、放課後には部活に励む部長の姿を見て
恋エネルギー(本人談)を充填して元気を取り戻してくれるに違いない。

そう思っていた僕の希望は儚くも裏切られた。
「よう、樋口、梅村。」
「「ぶ、部長!?」」
思わず梅村さんとかぶってしまった。
休み時間の教室で、学年の違う部長と出くわすなんて考えてもみなかったので。
たまたま同じクラスの違う部員に用事があったと後で聞いたが、そんなことはどうでもいい。
たまたま通りがかっただけなら、ただただやり過ごして欲しかった。
あんな言葉、残していってくれさえしなければ。
「なんかちょっと見ちゃいけない場面に出くわしちゃったかな?
樋口、お前あんまり女の子は泣かせちゃ駄目だぞ?…じゃ、また放課後にな。」
それだけ言って、手をひらひらと振ると、部長は教室を出て行った。

僕は教室を出る部長の後姿を見送りながら、どうしても梅村さんの方を振り返る勇気がもてなかった。
今の部長の言葉、部長は何を思っていったのだろう?
僕は梅村さんの彼氏で、梅村さんに別れ話でも持ちかけてると思っただろうか?
いやいや、白昼の教室でそんなことしないだろう。
そう、部長はよく事情は飲み込めないが適当に言ってみただけだ。
梅村さんと僕が付き合ってるなんて、きっと思ってない。
梅村さんも、きっとそう考えているはずだ。
僕は一縷の希望にすがりながら、鞭打ちに襲われたように固まった首を元に戻す。

ああ、やめようよ梅村さん。そんな、椅子なんか振り上げるのは。
大丈夫だって。部長は勘違いなんかしてないって。
仮に勘違いしているとしても、後で訂正すればいいじゃない。付き合ってなんかないって。
今僕を殴りつけなんかしたら、もっと大問題になって部長に嫌われちゃうよ。
そういえば、部長、貴方は何でいつも空気が読めないんですか?
何でいつもいつも修羅場を作り出すんですか?
あまつさえ、そのとばっちりを僕のような善良な小市民にまで振り掛けるんですか?

色んな言葉が脳裏をよぎったが、防御行動に移る時間はなかった。
時は止まっていない。僕にそんな能力はない。
この世の終わりのような泣き顔をしている梅村さんの腕で、椅子は僕の頭に正確に振り下ろされた。

2

「ごめんね、ごめんね、私あの時何が何だか分かんなくなっちゃって…。
樋口君が憎かったとか、そういうことじゃないの!他にどうすればいいか分かんなくて!」
ベッドに手を置き、詰め寄りながら梅村さんは必死に語りかけてくる。
片手で彼女の肩を押しとどめつつ、残る手で僕は小さなホワイトボードに文字を書いた。
『もう大丈夫だから』
書いた言葉を梅村さんの前に示す。
それを見て、彼女は少し落ち着いたようでまた椅子に腰を戻した。
もう何回繰り返しているのか分からないが、そういった繰り返しに僕は慣れていたので、
あまり苦にはならなかった。
ここでは本を読むかテレビを見るくらいしかやることがないので、
梅村さんとこういう押し問答をやってるのも暇が潰れていいかな、と思えるほどだ。

頭頂部に綺麗な一撃を食らった僕は、そのまま机に沈み顎を叩き付けられて気絶した。
昼下がりの教室で起こった突然の凶行に、その場が騒然としないはずはない。
行動が早い人がすぐに先生を呼びに行き、僕は救急車で病院に運ばれ、彼女は職員室に連れ込まれた。
高校から逮捕者が!真昼の学校で起きた惨劇!という形でワイドショーに報道されちゃっても
おかしくない事態だった。
が、彼女の父親が県の議員らしく、すぐに学校に手を回したのと、
問題を大きくされると困るらしい学校が緘口令を敷いたおかげで、大騒ぎにはならなかった。
緘口令も何も、梅村さんは泣くばかり、僕は病院に担ぎ込まれて手術中という状況で、
誰も詳しく事件の原因やらなにやらを知っている人はいないのだが。
意識を取り戻した僕は自分の不幸を有耶無耶にされたわけで、
本来なら梅村さんちや学校に怒鳴り込んでもいいはずだった。(今は怒鳴れないが)
ただ、一応剣道部員という身でありながら、同じ部員とはいえ彼女の一撃を外すことすら
できなかったとか、
「他人の修羅場に巻き込まれる」という非常に説明しづらい事情だったこととか、
彼女の父親から治療費&多額の見舞金を僕の親が既にもらっちゃったこととか、
いろんなことが重なって、騒ぎ立てることはしないことに決めたんだ。

 

それに、目の前の彼女はこうして誠心誠意謝ってるわけだから。
「うう…本当に、ごめんね。」
湧き出す涙をハンカチで押さえながら、また僕に詫びる。
実は、彼女がこうして1人で僕に謝りに来ていることは意外なことだった。
梅村さんは僕が知る限り寝ても覚めても部長部長、といった感じで、
彼に勘違いされることは悲しくても僕を怪我させたことは
大して心に留めていないんじゃないかと思っていたからだ。
梅村さんにとってはひどい認識かもしれないが、実際僕は消し去られそうになったわけだし。
しかし、そうでもなかったらしい。僕は彼女にとって謝る価値ぐらいはある人間だったようだ。

「樋口君は私の話をずっと聞いてくれてたのに、傷つけるようなことしちゃって…。
私、本当に反省してるの。もう二度とあんなことしないから…。
私に出来ることなら、何でも言って!」
再び僕の方に詰め寄ってきた梅村さんが、僕の両手をひっしと掴んで叫ぶ。
想像して欲しい。
目の前に、綺麗な黒髪をたたえ目筋の整った顔をした美少女が、
長いまつ毛を持った目に涙をいっぱい浮かべて迫ってくるんだ。
僕は健康な男子だし、病院に長く留め置かれていたわけだし、
こういう状況は嬉しくはあるけど、とても始末に悪いものだろう?
僕はすぐにその手を振り解こうとした。口で「離してくれ」といえば良さそうなものだが、
今の僕にそれはできない。
顎は打ちつけたせいでひびが入ってしまったらしく、ガチガチに止められているのだ。
栄養補給は点滴のみという有様で、明瞭な言語を発することなどできはしない。
「な、何で暴れるの?駄目なの?やっぱり許してもらえないのッ?」
何も言わず振りほどこうとする僕の態度は、彼女には否定の姿勢に見えたらしい。
より強い力で僕の腕を掴んで離さない。
困ったな…ボードにもペンにも手が伸ばせないので、打開する手立てがない。
そのまましばらく「ごめんね」を連発するだけの梅村さんと
振りほどこうとする僕、という構図が続いた後、病室をノックする音が響いた。

返事をする暇もなく(できないが)開けられたドアから姿を見せたのは、部長だった。

 

「よー樋口、見舞いにきてやったぞー。っと…梅村?
…ごめん、何か取り込んでたのかな…また、後で来るわ。」
よりにもよって、何で貴方なんですか?部長。
こちらに弁解の一言を与える暇もなく、ドアから顔だけ出して悪魔の矢を放って。
そんなに僕を殺したいんですか?僕が貴方に何かしましたか?
部長に対する怒りが心に湧いたものの、それは一瞬で吹き飛んだ。

パターンだ。良くあることだ。
僕がしなければならないのは、生存に向けて行動を起こすことだけだ。
目の前の梅村さんを見ると、顔を下げて何かに耐えるようにふるふると震えている。
今度こそ、僕という存在をこの世から消し去るつもりだろう。
今度は何が使われる?辺りを見回す。とりあえず、彼女が座っている椅子ぐらいにめぼしい凶器は…。
いや、あった。母親がりんごを切ってくれた時に片付け忘れたナイフだ。
積まれた本の上に皿とともに無造作に置かれている。
ああ、神は僕を見放したのか?前世に何か悪行を重ねたのだろうか。
頭の中で不吉の鐘がけたたましく鳴り響く。このまま手をこまねいていたら間違いなく死ぬ。
どうするか。
説得?無理だ。筆記している暇なんてない。
先にナイフを取る?これも駄目だ。
彼女に手を掴まれている状態では、彼女がナイフに手を伸ばす方が
僕が振り解いて手を伸ばすより速い。
助けを呼ぶ?僕は叫べない。運の悪いことに大怪我だった僕は個室にいるので相室の患者もいない。
ナースコールを押しても看護婦が来る前に僕は死ぬ。
こうなったら…目の前の彼女を押し倒すしかない!
そうすればとりあえず彼女が攻撃してくることは防げるし、
大騒ぎになれば誰か駆けつけてくれるだろう。
「入院患者の男が見舞いに来てくれた女性を襲う!」
というセンセーショナルな記事になるかもしれないが、
命には代えられない。
僕の生存本能が僕の背中をプッシュして、彼女を押し倒そうとする。その瞬間に。

梅村さんが、ばっと突然顔を上げた。
てっきりまたこの世の終わりのような泣き顔だと思っていたら、意外にも笑顔だった。
その目から涙はこぼれていたが、長い雨が今終わったと告げているような、さばさばした笑顔だった。
「私が、また君を襲うと思った?…あの時は、ごめんね。
でもね、もういいの。部長とのことは、終わったの。」
これまで聞いたことのある彼女のどんな声よりも明るい声で、梅村さんは言った。

 

そこからは、また長い話だった。
時折涙を浮かべる梅村さんを慰めつつ、また話が戻り、と行きつ戻りつ聞き出した事情は
次のようなものだった。
部長にアプローチしていた女と部長は、もう随分前から付き合いだしていたらしい。
僕らにも交際しているという事実は伏せていたので、分からなかったのだ。
僕が怪我をして入院している間に、梅村さんはそれを他の部員から教えてもらった。
すごく悩んで、相手の女を殺そうかとまで考えて、父親の力を借りてでも…とまで思いつめたらしい。
しかし、そうやって暴力で解決しようとする姿勢が、樋口敬太という何の罪もない一般男子高校生を
死の淵を経て入院生活に叩き込んだのだ、と彼女は自覚した。
それで、部長とのことは縁がなかったんだ、と諦める気になった、というんだ。
全て話し終わった彼女は、涙を拭いて笑顔を浮かべた。
「人を殴る前に、こんなこと気づくのが普通だよね。
でも私馬鹿だから…樋口君をこんなにするまで分からなかった。
君のおかげで気づいたの。ありがとう、樋口君。」
真摯な目を向ける彼女に、僕は何を言ってあげたらいいか分からなかった。
とりあえず、
『僕は何もしてないよ 梅村さんが自分で気がついたんだよ』
と事実をありのままに書いておいた。
「ありがとう。君はやっぱり、優しいね。」
にっこり笑って、照れることを言ってくれた。

「今日は私もう行くね。また、必ずお見舞いに来るから。その、私のこと、嫌わないでね…。
  それじゃあ。」
手を振って病室から出て行く梅村さんを、僕も手を振って見送る。
何も悪くない僕がこんな痛い目を見るなんて、世の中は理不尽だ、神なんかどこにもいないんだ、
とまで思っていた僕だったが、今の僕の心には一陣の涼風が吹き抜けていた。
1人の女の子が、人の道を踏み外しかけたものの、何とかギリギリの線で押し留まって、
これから正しい道を歩んでいこうとしているのだ。素晴らしいじゃないか。
僕の怪我には、それだけの意味があったんだ。
特に何か能動的にしたわけではないが、それでも何かを成し遂げたような達成感に包まれた。

久しぶりに、「幸せ」という感情を味わっていた僕の耳に、またノックの音が聞こえた。
ガラガラとドアを引いて現れたのは、活発そうな茶色の髪の女の子だった。
山下和美。現在の僕の彼女だ。
「お人よし」「ヘタレ」「いつか人に騙される」「いや殺されるね!」といわれ続けた
情けない僕の性根を、
「そのずば抜けたお人よしぶりに惚れたの!これからは私が守ってあげるから!」
とか何とかおっとこ前に言いのけてくれて以来付き合っている。
入院以来、一度もお見舞いに来てくれなかったので、とうとう愛想を尽かされたと覚悟していた。
その彼女が、会いに来てくれたんだ。今日はとても幸運な日だと思った。
浮かれていた僕は、彼女が沈み込んだ表情をしていることに、気づかなかったのだ。

 

「今のが、敬太の浮気相手?」
彼女の口から発せられたのは、思いもかけない一言だった。
浮気?何を言っているんだろう。まったく意味が分からない。
僕は完全に混乱している状態で、彼女の方を見ることしかできない。
「学校で噂になってるよ。敬太が学校一の美女に別れ話を持ち出して、殺されそうになったって。」
きっと和美がこちらを見据える。
大体事情は飲み込めた。学校の敷いた緘口令は、
事実を捻じ曲げて人口に膾炙させる結果になったようだ。
僕が梅村さんに別れ話を持ち出して、結果椅子で殴られた。
非常に分かりやすい構図だ。くそっ、一般大衆の思考回路が憎い!
とりあえず、目の前の和美の誤解を解かなければ。こんな誤解で愛しい恋人を失いたくない。
慌ててペンを探す僕を尻目に、和美は言葉を続ける。
「でも、別れるのはやめたんだよね?…だって出てきた彼女笑ってたもん。
あの娘を許して、付き合うんでしょ?」
しまった。和美は病室から出てきた梅村さんと出くわしたのか。
そういえば最初の一言は「今のが」、だったっけ…まずい、まずいぞ。
彼女のあのさっぱりした笑顔から、和美は悪い方向に想像を膨らませたようだ。
転がっていたペンを見つけ、僕は必死で弁解の言葉を考える。
『違うんだ 彼女が好きなのは部長で 僕はその話を聞いていただけで
聞いていたら突然その当人である部長が 』
ううっ、長いな。単純な話だが書くとなるとそこそこの分量がある。
必死でペンを走らせる僕は、彼女が間合いを詰めているのに気づかなかった。
気づいたときには、目の前に和美が迫っている。

「私はどうなるの?あの娘のかわりに私が捨てられるの?
そうだよね、あの娘綺麗だもんね。
お節介で煩いだけの私より、ああいう綺麗で大人しそうな女の方がいいんだよね。
私を捨てて、二人で仲良く学園生活送るんでしょ?同じクラスだしね。
…何か言ってよッ!そんなことないとか何とか、言ってよ!!
何で何も言わないの?もしかして本当に本当なの?私を捨てるの?私の何がいけなかったの?
私に不満なんて一言も言わなかったじゃない!!
あんたが変えろって言うなら、私どんな風にでもしたのにッ!!
何がいけなかったのよ!!もうあの女を抱いたの?抱かせてくれる子のほうが良かったっていうの?
言われれば、私だってあんたになら、って思ってたのに!!
…ねぇ、何か言ってよぉ!!!」
和美が泣きながら叫ぶ。恋人が誤解で泣いているのを見るのはつらい。
言わないんじゃなく、言えないんだ。その一言すら伝えられない。
まずその一言を書くべきだった。それを書こうとする僕を無視して、彼女はナイフを手に取った。

 

そう、あのナイフ。さっき僕が生命の危機を感じて、対処しようとしていたナイフだ。
防いだと思ったのに。こうして僕の目の前に凶器として戻ってくるとは。
既に般若の形相になっていた彼女が、ナイフを腰だめに構える。
「私を捨てるなんて、許さないよ…。私は、あんたのことが好きなんだから。
あんな女と付き合って、私を捨てるなんて、ずるいよ…。」
静かになった和美の口調は、決意を感じさせた。
僕は、書くのをやめた。諦めた。今何を示しても彼女は分かってくれないだろう。
助けを呼べないのは先刻検討したとおり。
どうしようもないな、こりゃあ。神様は、やっぱり僕に死ねと言ってるらしい。
「大丈夫、あんただけ殺したりしないから。私もすぐに死ぬからね。
守るって、約束したでしょ?死んだ後も、ずっと一緒にいて守ってあげるからね?」
涙を流しながら、にこっと和美は笑った。
綺麗な笑顔だ。さっきの吹っ切った梅村さんの浮かべた表情に似ている。
つまり、和美も何かを吹っ切ってしまったんだろう。

彼女の足を動かして僕の方に迫ってくる。ナイフを構えながら。その光景が、ゆっくりと見えた。
死ぬ直前にアドレナリンがどうとかって奴かな。二度も味わうとは思わなかったや。
もしもあの世が本当にあるのなら、そこで和美に事情を話さなきゃ。
「あんたがお人よしだから、私まで死んじゃったじゃない!」
とか何とかいうかな。和美は。ごめんな、和美。好きだよ。

2007/02/07 To be continued.....?

 

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